子部神社 (蜾嬴神社 飯高町376)
(こべじんじゃ・すがるじんじゃ)


大和国十市郡
奈良県橿原市飯高町376
(P無し、もう一つの子部神社から70~80mほど)

■延喜式神名帳
子部神社 二座 並名神大 月次新嘗 の論社

■祭神



橿原市の北端、令制国では十市郡の北端に鎮座する社。すぐ近くに同名社(飯高町372)が鎮座し、関連社であるとされています。式内名神大社の比定に関しては、同名社は間違いないとして、当社を含めて二座とするのか、あるいは当社は別宮とするのかで意見が分かれています。
蜾嬴(スガル)は紀などに登場し、「蚕」と「嬰児」を間違えて集めて来たという説話が載せられています(詳細は同名社の記事にて)。その嬰児たちが壮年となり、蜾嬴を奉斎したのが両社のようです。
「多神宮注進状」では当社の祭神を「雷蜾嬴の霊」としています。また官弊社(式内社)ではないとも。
◎紀にもその辺りのことが記されています。雄略天皇が蜾嬴に「三諸山の神を捕らえて来い」と命じます。蜾嬴は大蛇を捕らえて来て天皇に見せますが、雷のような音を立てています。天皇は斎戒していなかったため、慌てて身を隠しました。蜾嬴はその大蛇を三諸山に放ち、「雷蜾嬴」を賜ったと。
雷で「くわばら、くわばら」などと言うのは「桑原」が語源ともされ、蚕に合わせたストーリー性の強い説話とも思われますが。
◎一方で「日本霊異記」には「豊浦寺と飯岡の間の丘から雷神を捉えて献上」とあり、これは「雷丘」のこと。そして蜾嬴が没するとその忠義を称えて、丘に墓標を立てたとあり、「雷丘」が古墳ではないかと考えられます。
また行方不明となっている式内名神大社 氣吹雷響雷吉野大国栖御魂神社が、かつて「雷丘」の北側にあったとされる八王子社ではないかという説も。蜾嬴が捕え雄略天皇が畏れた雷神は、この神であるのかもしれません。
◎寂れた古い集落内に、ひっそり隠れるように鎮座。かつては大社であったらしいですが。

*写真は2018年12月と2020年6月、2022年3月撮影のものが混在しています。


行きどまりと書かれ、左折と表示されていますが、そのまま真っ直ぐに。どん突きを左に未舗装道路を進むとすぐに。

その未舗装道路がこちら。






「大和名所図会」より(一部ボカシを入れています)