雷公神社
(なるかみじんじゃ)


紀伊国牟婁郡
和歌山県東牟婁郡串本町樫野1037
(一の鳥居近くに駐車場らしきもの有り)
(当日は「日米修好記念館」前に駐車し、一の鳥居まで10分ほど歩きました)

■祭神
五十猛命
[配祀] 誉田別命 事代主命


本州最南端、串本の飛び出た半島「潮岬(しおのみさき)」から最短で1.8km隔てた離島「紀伊大島」。その東端付近に鎮座する社。
◎当社は「海金剛」を前面に望み鎮座。然るべき地に鎮座したのであろうと思います。「樫野」「須江」両村の産土神として崇敬されてきたとのこと。「樫野」はすぐ近くの集落、「須江」は丘陵の裏側の集落。
◎創建年代は2説有り。嘉承二年(1107年)と嘉永二年(1849年)と。かなりの隔たりがありますが、年号の文字の相似ということでしょうか。
◎江戸時代には鳴神明神社と称していたとのこと。現社名に改称されたのは明治初年。
ご祭神の五十猛命は紀伊国南部には馴染みの薄い神。北部の名草郡においては紀伊一ノ宮である伊太祁曾神社が鎮座、非常に篤く崇敬されていることで知られます。
かつての社名「鳴雷」で連想されるのは、同じく名草郡の鳴神社。こちらは紀伊忌部氏が奉斎していたという社。どうにも名草郡との関連を考えてしまいます。
◎例祭宵宮に行われる「走り参り」というのがあるようです。4mもある大松明を振りかざしながら成人男性たちが参加する火祭り。神倉神社との関連も考えています。


こちらは一の鳥居。この手前向かって左に10台分ほどのP有り。


スクショのやり方を覚えたので早速活用。当日は「日米修好記念館」から遊歩道を歩き当社へ(遊歩道は地図には記されていません)。

こちらが「日米修好記念館」とその駐車場。

トイレの横から遊歩道が始まります。「海金剛」とは反対方向。

概ね下り道。蟹や虫と戯れ、行ったり来たりしながら10分余りで一の鳥居へ。

当社はこの丘陵頂近くに鎮座。石段は150段ほどでしょうか。


足場は良くないものの間際まで行くことが可能。当日はフナムシの群集に負けて断念。


西側を。見えている島は「臼島」。


氏子たちは参拝の際、最後の石段で履き物を脱ぎ、以降は裸足になられるようです。参拝当日は知らずに靴のまま…。