鳴神社
(なるじんじゃ)


紀伊国名草郡
和歌山市鳴神1083
(境内東側にP有り)

■延喜式神名帳
鳴神社 名神大 月次新嘗相嘗 の比定社
[境内社 堅真音神社] 堅真音神社の比定社
[境内社 香都知神社] 香都知神社の比定社

■旧社格
村社

■祭神


現在は寂れた古社ながら、往時は日前神宮・國懸神宮伊太祁曾神社に比肩されるほどの紀伊国きっての大社。
◎一帯は紀伊忌部氏が拠点としていた地。「紀ノ川」河口南岸、5kmほど内陸の和歌山平野内。
忌部氏は天太玉命を祖とし、大和国高市郡の天太玉命神社(式内名神大比定社)が鎮座する辺りを本貫地としていましたが、それに従った「忌部五部神」というのがありました。出雲忌部(櫛明玉命)・紀伊忌部(彦狭知命)・阿波忌部(天日鷲命)・讃岐忌部(手置帆負命)がそれ。「古語拾遺」には天目一箇神も挙げられています。
これらは当地の国造の管轄下の品部(ともべ、職能集団)でしたが、紀伊忌部だけは中央(大和国)の忌部氏に直接支えていました。職掌は材木貢納や社殿宮殿造営など。
◎当社はその紀伊忌部氏が奉斎していた社であると考えられています。忌部氏の衰退とともにご祭神すら不明の状態になっていたとか。一旦は速秋津彦命・速秋津姫命を祀る社とされましたが、平成8年に大和国の天太玉命神社から分霊されて現在のご祭神となっています。
◎社伝では名草郡の治水のために、水門神(みなとのかみ)である速秋津彦命・速秋津姫命を祀ったとしています。「鳴る(ナル)」は古代朝鮮語で「川」の意味であるとか。
◎以上から考えられるのは、元々は水門神を祀る社として創祀、そこに紀伊忌部氏が祖神を祀る社として被さり創建がなされたのかと。それが式内名神大社として列記されるほどの社格になった所以かと思います。
◎これらとは別に、紀伊国名草郡を根拠地としていた大伴氏が奉斎していたという説も。「古屋家家譜」という大伴氏の信憑性が高いとされる系譜上に、註釈として「天雷命」が祀られる社として掲載されています。天雷命について「古屋家家譜」の研究等で知られる宝賀寿男氏は、天雷命は大伴氏の遠祖とされるカグツチ神と同神とみています。


*境外社 鳴武神社

*写真は2017年2月と2021年12月撮影のものとが混在しています。



右殿(向かって左殿)が天太玉命、左殿(向かって右殿)が速秋津彦命・速秋津姫命