鳴武神社 (壺之御前)  


紀伊国名草郡
和歌山市鳴神1809
(P無し、鳴神社の道路向かいなので合わせて参拝しています)

■祭神
鳴武大明神


現在は鳴神社の境外社という扱い、石祠のみが鎮座する社。忘れ去られたような存在ながら、古代紀伊国の様子を垣間見る貴重な社の一つかと考えています。
◎「続群書類従」という書に「(鳴武大明神は)百済の国、耆奢大王の四女なり。日前宮の摂社として霊を祭る。九月二十六日天降り給や酒壺七ツ飛び共に以て降る」とあるようです。おそらく5世紀頃のことであろうとされています。
◎紀には紀角宿禰(武内宿禰三男)が百済に遣わされていますが、百済王族の酒君という者が無礼を働いたので鎖で縛られ日本に連行したとあります。この鳴武大神とは、この酒君のことなのかもしれません。その後、逃亡したものの鷹を手なずけ仁徳帝に献上し逃亡の罪をまぬかれたとあります。
鳴神社は紀伊忌部氏が祖神を奉斎した社と考えられていますが、当地一帯を本貫地としてしていました。その神奈備山は地理的な観点から東方の「大日山」ではないかと。その山中に「直水井戸」遺跡というものがあるようです。
これは日前宮で利用された酒造用の水を汲んだ井戸とされています。おそらくこの頃には、紀伊忌部氏が衰退し紀氏が権勢を増した頃で、「大日山」は日前宮の神奈備山となっていたように思います。


【関連社・史跡】

◎摂津国住吉郡 酒君塚古墳 


*写真は2019年2月と2021年12月撮影のものとが混在しています。