ビートルズとパンク  ビートルズとハードコアパンク  | ビートルズやメンバーへのミュージシャンの発言集 The Beatles  影響 評価 

ビートルズやメンバーへのミュージシャンの発言集 The Beatles  影響 評価 

 ビートルズやビートルズのメンバーに対するミュージシャンの発言は今までたくさんありました 。おそらくこれから先もたくさん発言される事でしょう。ここはビートルズが与えた影響を記録していく場所です。

掲載後、3件追記しましたので。

 

 

ポールマッカートニー    

 

            2015年 告白

 

 

◎我々はラモーンズが、その名前をポールラモーンというマッカートニーの一時的な芸名から取ったことを知っている。それでも彼は依然として反逆児のイメージが強く残っていたジョンレノン以上にロックンロールの守旧派扱いを受けていた。パンクの時代はポピュラー音楽史上初めて富と名声――それまでヒッピー系のアーティストですら、成功の証とみなしていた要素――が音楽の本質や目的と対極にある物として糾弾された時代だった。彼はその挑戦を真剣に受け止めた。

 

 

 私は1989年に彼に尋ねた――(1976年にパンクが登場したとき、大きな分裂が出来て、いよいよ自分はあっち側に行ってしまったという気持ちはありましたか?)

 

 

 

 基本的には(退屈なおいぼれども)ってことだろう。そういう言われ方だった。年齢差があったのは確かだ。連中は僕らが10年か12年前にやってたことを繰り返していた。それが連中に『僕らにもあった』(切れ味)をもたらしたんだ。若さがね。それが最初の印象だった。―――――まいったな。ぼくらももうお払い箱か。でも例えばダムドのラットスキャビーズみたいなドラマーを見ていると、(なんだただのキースムーンじゃないか。そんなのもう何年も前にやっているぜ。)となってね。ちょっと速いだけなんだ。連中のライブは20分で終わっていたけど、考えてみたらそれだって、ビートルズのやっていたことだった。

 

 

 あの時期には確かに分裂があった。妙な話なんだけど、僕の出した唯一のレコードが(夢の旅人)でね。だからどう見ても、連中と同じ土俵で闘っているとは言えなかったわけだ。正直、からかってやれっていう気持ちもあった。だってスコットランド風のワルツを、みんながやたらと唾を吐きまくってる時代にリリースしたんだぜ。それに一番上の娘のヘザーはすっかりパンクに熱中していた。僕の好みからすると、あの子にはその手の知り合いが多すぎた。ビリーアイドルとデートしてたりしてね。父親としてはもう最高にありがたい話じゃないか!

 

 

 でもあの子はパンクシーンに詳しかった。それで一緒にチェックしたんだ。(パンクの友達の中には、ジュークボックスで(夢の旅人)をかける子もいる、)と言っていたよ。

 

 

 だから物事というのは決して、白黒がはっきりしているわけじゃない。((夢の旅人)とパンクは対立していた。)という風に考えられがちだけど、実際にはそうじゃなかったんだ。ぼくはそういう型にはまった見方は好きじゃない。もしその通りだったら、僕らだって手首を切っていただろう。そうすれば結構暗くて陰鬱な感じが出せるからさ。物事はもしかしたら見かけとは違うのかもしれない、といった視点を常に持つようにすることは良い事だと思う。たった今見えてるものとはね。

 

 

 というわけであの曲はどんなパンクのレコードよりも大ヒットした。それによく考えてみると、僕らだって(ヘルタースケルター)をやっているんだ。(アイムダウン)だってやってるし。狂ったように絶叫するリトルリチャードっぽいやつだ。あと、(シーズソーヘヴィー)みたいなジョンの曲もあった。(だからこれはどう転んでも、僕らに出来ない曲だ。)と感じたことは一度もなかったと思う。現にキースムーンみたいな連中は、脅威を感じるというより単純に怒っていた。自分のドラムスタイルをパクったやつらに、退屈なおいぼれ呼ばわりされたからさ。向こうにあったのは怖いもの知らずの若さだけだったのに。

 

 

 いや。良い事だったと思うよ。あれは(ほうき)みたいなもので、音楽シーンを掃き掃除してくれたんだ。あの頃は全部がLAのロッドスチュワートっぽくて、ちょっとデカダンな感じになっていた。でもなんだってそうだけど、行き過ぎは良くない。僕のイチバンのお気に入りは(プリティヴェイカント)だった。ダムドも悪くなかったかな。でも僕的には短いブームだった。ああいう(ドシンガシャン)とやって、唾を吐きまくる音楽はね。何も考えずに一晩中騒ぎまくりたい人間にとっては悪くないかもしれないけど、こっちはもう結婚していたし、一晩中騒ぎたい気分でもなかったから。

 

 

 最初はちょっとこれはマズイという感じがした。でも最初にそんな感じがしたのは、あの時が初めてじゃない。(アリスクーパー)が出てきた時もそうだった。時間というのはありがたいもので、今、振り返ってみるとよくわかるんだ。あの時点(1972年)でのアリスクーパーは(ちょっとまずいんじゃないか)という感じがした。ダークサイドが忍び寄ってきたというか。もちろん実際に会ってみると、アリスクーパーは最高に良いやつだったけど。単なるイメージの問題だよ。あいつは(ノーモア ミスター ナイスガイ)みたいな曲をやっていて、それが僕からすると、かなりマズイ感じだったのさ。1か月くらいは本気で悩んだからね。(ああ、なんてこった。世界はもしかするともっと暗くて、もっと暴力的な方向に舵を切ったのかもしれない。。。。。)。 あの頃は一夜にしてそうなってしまいそうな感じがしていた。

 

 

 

 じゃあ最後に本気でこれはマズイと思ったのはいつかって?そうだな(デイヴクラークファイブ)が出てきた時かな。でもみんな程度問題で、いづれは落ち着くところに落ち着く。それ以前だと?ああ(ジェリー&ペイスメイカーズ)かな。あの時もかなりビビってた。でもそのうちに気が付くんだ。なんだ、僕らはそういうのを全部、生きのびてきたんじゃないか、だったら希望が無いわけじゃないぞ、って。そして僕らは実際にパンク時代を生き延びたし、連中は大部分がヤワになってしまった。だって燃え尽きるのが嫌だったら、どこかに落としどころを見つけるしかないんだからね。

 

 

 ありがたいね。だっていまだにああいうクラブを飛び回る暮らしをしていたらたまらないだろ。きっとボロボロになっているはずだ。いや、そういう暮らしをやって良かったとは思うよ。だからこそ今、こうやってこんな話が出来るんだし。単純にいまだにああいう暮らしをしてるのは嫌だって事さ。