追記しました。
The Jam
ザ ジャム
ポールウェラー(ソングライター ヴォーカル ギター)
好きで聴いた初めてのバンドは懐かしのハードとかビートルズとかだね。68年ごろさ。あの時期のポップシングルやトレメローズみたいなグループをラジオで聴いたり、テレビで見たりしたんだ。初めて買ったレコードは(サージェントペパーズ)だよ。ビートルズはずっと好きだったな。どこが良かったのかを答えるのは難しいね。彼らの曲で好きなのが誰でも一曲はあると思う。
◎貴方のビートルズのお気に入りの一曲は?
(Strawberry Fields Forever)と(Hey Jude)が好きだね。メロディーも歌詞も実に素晴らしい。アルバムを出すたびに進化を遂げたビートルズは、バンドが目指すべき目標を示したテンプレートだったと思う。そういった事を実践しているバンドは最近はほとんどいないから、彼らは真のアーティストだった。まるで画家の様に常に新しいテーマを探し、前進し続けたんだ。
僕がジョンをシンガーとして尊敬するのは、技術面よりも正直でパワフルなところだ。(ドントレットミーダウン)なんかは八つ当たりみたいな感じだし、(ツイスト&シャウト)は歌入れをする前にカミソリでうがいをしたんじゃないかって言うくらい迫力がある。
かと思えば(ジェラスガイ)では優しくてソウルフルな一面も見せる。作曲家、作詞家、シンガーとしての影響はもう計り知れないよ。最近は(リメンバーラブ)とか隠れた名作にはまっているんだけど、一番好きな曲と言えば(ストロベリーフィールズフォーエバー)だね。初めて聴いた日を今でも覚えている。9歳だった。何も知らなかったけど傑作だと分かったんだ。
当時もう母親の影響でビートルズやキンクスは聴いていたんだけど、この曲で目を開かされたんだよね。僕の教師は4人で、ジョンとポール、ジョージとリンゴだけど勉強が本当に始まったのはこの曲からだね。
(マジカルミステリーツアー)が放映された日にどうしても見たくてね。母親と父親がつまらない映画見てたけど、コマーシャルを待ってはチャンネルを回したよ。当時のぼくのチャンネル権はその程度でね(笑)
その時からビートルズマニアになった。父親とリヴァプール巡礼の旅にも行った。ジョンの子供の時の家、メンローブアベニューやアラートンのポールの家とかね。でもストロベリーフィールズには行けなかった。
ストロベリーフィールズはプロダクションも革新的でね。プロツールスなんてないんだから間違えたら取り直さないといけない。2つのセクションを編集してつなげたのはジョージマーティンの手柄だよ。真ん中でキーが変わるのもすごい。いつ聴いても最初に戻って聴きなおしたくなる。未だに聴くたびに発見がある。色んなテクスチャーが入っているからね。ストロベリーフィールズを超える曲にはまだ出会ってないな。
ポールマッカートニーの70歳の記念になる何かをしてあげたかった。彼は今でも僕にとって偉大なるインスピレーションだからね。つい最近も彼の演奏を生で観たんだけど、素晴らしかったよ。僕から彼と彼の音楽に対する愛の証となるこのカヴァーピース、是非気に入ってくれることを願っている。ロックし続けろ、マッカ!
ビートルズカヴァー
◎貴方のポールマッカートニーの一曲は?
(ユーテルミー)。何年か前のアルバムに入っている曲だ。僕に言わせれば、これは頂点、彼の最高傑作の位置にある。歌詞も素晴らしいし、マッカのいかしたメロディーセンスが活きてるよ。本当に見事だ。
2013 ペニーブラックミュージック
◎貴方のベース演奏はジャムの伝説の要素の一つでしたよね。ジャムの3枚のアルバムにおいてそれは顕著でした。貴方は独学でしたか?それとも貴方のスタイルのもとになった他のプレイヤーはいましたか?
僕は本当に独学だったよ。オリジナルのジャムはギターのスティーブブルックスがいたから4ピースのバンドだったんだ。その時、ポールウェラーがベースを弾いてた。それからスティーブブルックスがバンドを離れてしまったから、僕らは代わりのギターを探すためにオーディションをしなければならなくなった。だけど僕らの音楽だけでなく、社会的な立場にもあうギターを見つけることがどうしても出来なかった。
結局、ポールウェラーが僕に言った。(楽器をスワップ)しよう。だから僕はギターを手放し、ベースを持ったんだ。ポールは僕にただ二つのベースラインを聞かせてくれただけだった。だから、そこから僕は僕自身の演奏スタイルを見つけ出した。だけど、そうなるまでにはいくつもの紆余曲折があった。
ただし、例え僕が独学だったと自然に言うとしても僕は明らかにポールマッカートニーとジョンエントウィスル(ザ フー)からの影響を受けている。
パンクミュージックはすべて新しいものとして紹介された。だけどそういうのにはとても違和感を感じていた。だって、僕らの音楽は演奏を含めて、ある程度、60年代のバンドに支配されていたから。
ミュージックレイダー 2012
自身のキャリアを変えた10曲 the jam Start
ビートルズのアルバム「リボルバー」をよく聴いていたんだ。この楽曲(Start)には無意識のうちにTaxmanが入っていて、Startのアイデアを思いついたとき、意図的ではないけどそれが入っていたんだ。そうでなければ、ポールマッカートニーはきっと僕らを訴えようと考えただろうね。
つまりビートルズから影響を受けただけなんだ。この楽曲はデヴィッドボウイをチャートのトップから引きずり下ろしたナンバーワンヒットだった。その時、「わあ、本当にトップにたどり着いたんだ!」と思った。ナンバーワンを獲得すると、スパイナルタップがアンプを11まで上げているようなものだ。一方、1位を取ったなら、どこに行くんだろう?というプレッシャーがあった。
the jam のタックスマン??
ビートルズカヴァー
リックバックラー(ドラム)
カルチャーソナー 2019
最初にブルースフォクストンはギターを演奏するためにバンドに入ってきた。その時、ポールウェラーはベースを弾いていた。ホフナーヴァイオリンベースだよ。なぜなら彼のヒーローのビートルズのポールマッカートニーがそれを演奏していたからね。しかし、ある夜のギグの後、ブルースフォクストンがそのポールウェラーのベースの上に座ってしまってそれを壊してしまった。その楽器は直したんだけど、ちょうどそのころ、ポールがギターを演奏するようになって、ブルースがベースになったんだよ。
ゴールドマイン 2018
〇人生を変えた10のアルバム
ビートルズ ア ハード デイズ ナイト
このアルバムは発売当初に聴いたんだけど、クリスマスプレゼントとして兄から贈られたものだった。私と双子の弟が床に置いたスケレクストリックのセットで遊んでいる間、ずっとこの曲を流していた。その曲は私の心に残り、いつもあの頃を思い出させてくれる。音楽、それも特定の曲には、常に記憶を呼び起こす力があるんだよ。
ドクターフィールグッド Down By The Jetty
このバンドは僕らにとても影響を与えたんだ。ウィルコジョンソンのギタープレイのスタイルは、ポールウェラーにとっての問題を解決してくれた。彼らはまた、強いR&Bの曲とストレートなアプローチが私たちのために機能することを再確認してくれた。
ディープパープル ディープ パープル イン ロック
これは私がまだ学生だった頃に出されたものだ。ドラムを始めた頃には、どんなバンドのドラマーでも必ず聴いていて、イアンペイスは大人になってからも必死で腕を磨いた憧れの存在だった。彼のように工夫を凝らすことは、不可能に思えることもあった。彼の演奏を聴くだけで、私は多くのことを学んだんだ。
ビートルズ リボルバー
ビートルズ史上最高のアルバムだと思う。聴くしかないよ。もし、君のコレクションにないとしたら、とても恥ずかしいことだよ。
ザ フー Meaty Beaty Big And Bouncy
このアルバムは、短くて要領の良い素晴らしい曲ばかりだ。後のアルバムの「エモーショナルドーム」的な考え方になる前の、非常に英国的なスタイルのストーリーテリングソングだよ。
ザ ビーチボーイズ ペットサウンズ
これもまた、兄から初めて聞かされたアルバムだが、自分が大きくなるまでその良さを実感することはなかった。プロダクションとレコーディングのアイデアはまさに画期的だ。今聴いても、素晴らしいヴォーカルアレンジと楽曲の素晴らしさが際立っている。ただ、ジャケットは昔から好きじゃないけどね。
ジミ ヘンドリックス エクスペリエンス アー ユー エクスペリエンスド
多くの音楽好きがそうであるように、新しいものを発見することは喜びであった。特にこんなものを見つけたときは。最初は理解できなかった。これほどそれまでのものから自由でありながら、これほどパワフルなものが現れるとは...。今でも驚いているよ。
フリートウッド マック Rumours
1977年のイギリスでは、それまでのすべてに反抗することがマントラになっていた。だから、当時は1曲(「アルバトロス」)しか知られていなかったバンドの5分以内の素晴らしい曲ばかりが入っているアメリカを席巻しているアルバムを発見したことが、初めてアメリカにツアーに行ったときの目覚めの一撃となったんだ。公開されたばかりの映画『スター ウォーズ』の曲と一緒にどのラジオ局でも流れていたんだよ。
XTC ドラムス&ワイヤーズ
私はいつもXTCに親近感を抱いていた。彼らはパンクバンドというわけでもなく、何かに反抗しているわけでもないようだったが、まだチャートが主流の業界にあって、とても独創的で音楽的に不適合な存在だった。強力なプロダクションを持つ英国の偉大なスタジオバンドの一つだよ。(私はドラムが大好きだった!)
ザ ジャム オール モッド コンズ
世界市場での私たちのゲームチェンジャーとなったので、これをリストに入れなければならない。もっと重要なのはこれがライブ主体のバンドによって作られたスタジオアルバムであったことだ。近代的なレコーディングスタジオでの成人式だよ。私たちはこれまで楽器を押さえてからボーカルやパーカッションなどをオーバーダビングするというライヴ的な方法でレコーディングに臨んできた。しかし、このアルバムでは、ドラムトラックだけを残し、あとはほとんどすべてオーバーダビングしてる。