ザ ストラングラーズ | ビートルズやメンバーへのミュージシャンの発言集 The Beatles  影響 評価 

ビートルズやメンバーへのミュージシャンの発言集 The Beatles  影響 評価 

 ビートルズやビートルズのメンバーに対するミュージシャンの発言は今までたくさんありました 。おそらくこれから先もたくさん発言される事でしょう。ここはビートルズが与えた影響を記録していく場所です。

The Stranglers

 

ヒューコーンウェル(ソングライター ヴォーカル ギター  小説家)

 

 

               フェースマグ 2015

 

◎ヒューさん、音楽が初恋だったのですか?あなたは多くの本を書き、私の 知る限りでは3冊の小説を書きました。私は作家として、小説の一つや二つを書ける人には畏敬の念を抱きますが、それでも音楽が最初に来たのですか?


  私たち子供にとって音楽はより身近なものだった。若い頃はいつもよく本を読んでいた。今はそれほどでもないが35歳くらいまではよく読んでいた。フィクションに夢中だった。本を読むときは時間を見つけて腰を据えてエネルギーを注ぎ込まなければならないが、音楽は空気のようなものだよね。だから音楽が一番大事なものになったんだと思う。音楽なら何か別のことをしていても無意識のうちに何かが聞こえてくるよね。

 

 

◎ヒューさんが若い頃に影響を受けた音楽についてお聞きしたいのですが、若い頃は何を聴いていたのですか?ご両親が聴いていた音楽を聴いていたのですか?


  父は土曜日になるとウォーリー ホワイトマンのカントリー&ウェスタンミュージックショーを演奏していたし、クラシック音楽も聴いていたよ。兄はジャズに夢中だった。寝室が一緒だったんだけど兄は僕にレコードを触らせなかったんだ。それで12歳くらいのときにモーズ アリソンのことを知ったんだ。もう一人の兄はエディ コクランのレコードを持って帰ってきて、いろんなものを聴かされたよ。その後、ストーンズ、ビートルズ、そしてチャック ベリーにも出会った。聴いていてとても楽しい曲ばかりだった。どれもストーリー性がある。彼らの曲はひとつひとつがネバーランドのようで、君をいろいろなところへ連れて行ってくれるんだ。だから、その頃の僕の音楽教育は、チェリーやレーズンやサルタナの入った、とてもリッチなフルーツケーキのようなものだった。。。子供の頃にたくさんの種類の音楽に触れられたのはとても幸運だったと思う。残念ながら今はその代償を払っているけどね。

 

 

    ジャズやリズムアンドブルース、クラシック音楽を聴いて育った。ウォーリー ワイトンのフォークやカントリーミュージックの番組は家族でよく聴いていた。私はエバリーズに大きな影響を受け、彼らの曲に合わせて歌う練習をし、良く3分の1のハーモニーを加えていた。リチャードトンプソンとは、ウィリアム エリス スクールで知り合った。ローリングストーンズやザ フーなどの音楽に興味を持つ仲間だった。リチャードと私は、当時の豊富な音楽の中からチャック ベリーやハウリン ウルフを一緒に発見したんだ。トンプソンはバンドを組みたがっていて、ベース奏者が必要だった。そんなとき、友人にベースを教える以外に何ができるんだろう?

 

      ノーディプレッション  2015

 

◎1964年、ヒュー コーンウェルは学校のバンドに入りました。それは、ただのバンドではありませんでした。後にフェアポート コンヴェンションを結成することになるリチャード トンプソンが結成したバンドだったのです。当時15歳だったヒュー コーンウェルは、Emil and The Detectivesというバンドと一緒に、ビートルズ スタイルのホフナー ヴァイオリン ベースを持って写真撮影をした。


  ここで持っているヴァイオリン ベースギターを手に入れたのを覚えている。(写真左端) 1964年の写真で15歳くらいで、50ポンド貯めて手に入れたんだ。それまでは、板材の厚さのネックの自作品を弾いていた。リチャードトンプソン(写真右端)が、Emil and The Detectives(写真のバンド)を結成する際にベースが必要だから習おうと言い出し教えてもらったんだ。私たちは学生時代からの親友で、ローリング ストーンズやザ フーなど、お互いに発掘した音楽を聴かせ合っていた。リチャードの姉のペリは、ロンドン北部のホーンジー芸術大学の社交秘書をしていて、私たちをパーティーの演奏にブッキングしてくれて、1回30ポンド支払ってくれた。私たちの最大の功績は、ゴルダーズグリーンのイオニックシネマでヘレン シャピロをサポートしたことだ。しかし、私たちはOレベル(試験)を受けた後に音信不通になった。次に彼のことを聞いたのは、フェアポート コンヴェンションのリードギタリストになった時のことで、2008年にマドリードのフェスティバルに二人で出演するまでは会うことはなかったんだよ。

 

 

◎もう一度、一緒に仕事をすることはあるんでしょうか?

 

 

 もちろんだよ。よくスケジュールを見比べて、何かできないか考えているんだ。

 

◎自分を元パンク、老パンク...あるいは、パンクな存在だと思うことがあるんでしょうか?



  昔から自分が何者で、かつて自分が何者だったのかなんてよくわからないんだ。

 

 

 

        オールドスタッフ

 

 

◎ストラングラーズはパンクに先行し、ラモーンズ、ピストルズ、クラッシュ、バズコックスといった定型的なサウンドはありませんでしたが、パンクやポストパンクに通じる攻撃性と暗さは確実に持っていましたね。自分たちのサウンドやアティテュードに影響を与えたもの、またパンク以前の時代に自分たちがどのように受け入れられていたのか、説明していただけますか?


   僕らには影響を受けたものがあり、それが音楽として現れている。僕の場合はビートルズ、ヴェルヴェット アンダーグラウンド、ドアーズそしてラヴで、歌詞ではそれらを模倣しようとしたが、もちろんそれはイギリス風になった。パンクの世代より僕らが年上ということは、影響を受けたものが違うということだから、音も違うものになるはずなんだよ。だから、当時パンクシーンは僕らのことをよく知らなかったから、マネージャーはともかく僕らはあまりそのサークルに受け入れられなかったんだよ。


◎パンクが流行りだしてからは、どう思いましたか?

 

  パンクが音楽のジャンルとして受け入れられるようになった時点でパンクの流行は終わっていたよ。


 
◎ストラングラーズは、少なくとも1978年のバカラック&デヴィッドの「Walk On By」のカバーや、もちろん「Golden Brown」まで遡って、よりメロディックなものも可能でした。パンクファンはそういうのをどう評価していたんですか?
 
 

 「Walk On By」はオリジナルとは全く違っていて、ドアーズのような風味があり、とても好評だった。(Golden Brown)が「パンク ファン」にどう受け取られたかは意識をしたことはないんだけどね。クロスオーバーの成功っていう感じかな。
 

 

◎パンクと呼ばれるようになったムーブメントの最前線にいた者として、当時それに伴うメディアの爆発を振り返ってどのように感じていますか?
 

 

  それは諸刃の剣なんだよね。粗雑なものもそうでないものもあるし。ある意味ではレッテル貼りであり、またある意味ではチャンスを与えてくれたんだ。エルヴィス コステロ、グラハム パーカー、ブロンディなど、パンクとは呼べないような人たちもその中に含まれているだろ。私たちだけではなく、ザ ポリスもそうだった。ザ ポリスを見てみてよ!ムーブメントは関係者全員にとってチャンスの窓だったんだ。だから僕らとしてはどんなチャンスでもものにしなければならない。

 


  面白いことに、セックス ピストルズやザ クラッシュのようなバンドはその音楽的意義において時の試練に耐えているにもかかわらず、ザ ポリスやエルヴィス コステロのようなアーティストが成層圏的な成功を収めたのを考えてみると。。。とにかく彼らはパンクのレッテルの下にいるべきじゃなかったっていうことだ。

 


  パンクの悪評はストラングラーズの助けになり一方で妨げにもなった。新聞の一面を飾ったり、実際より悪く聞こえるように脚色された話もあったが、別の意味では障害にもなった。例えば、私たちは初めてオーストラリアにツアーで行ったとき、ニュージーランドでのツアーはキャンセルされた。ニュージーランドに行くのをとても楽しみにしていた私たちは、ニュージーランド政府が私たちのような人間を自国に入れたくないからキャンセルされたと聞かされたんだ。悪評は私たちにとって有利にも不利にも働いた。

 

 

 

 

 

 

 

            ガーディアン  2020

 

 

◎ストラングラーズはパンク界の汚れた老人であり見た目も音もまともでないバンドだった。この時代の他のバンドには、例えば口ひげを生やしたオルガン奏者はいなかった。クラッシュが政治的蜂起をセックスピストルズが虚無主義的破壊を訴えていた頃、ストラングラーズはフランス人ストリッパーたちと「ナイスン スレイジー」を演奏したり、ジョージメリーをB面のゲストに迎えていたりした。最近では、元リードシンガー兼ギタリストの彼は、ノッティングヒルのまばらな独身寮と田舎のコテージで時間をやりくりしている。

 

 

  最近は新しいバンドを積極的に探すよりも、Classic FMやRadio 3を聴くことが多いよ。僕とニューアルバムのプロデューサーはサイケデリックな音楽で育ったから、結局、子供の頃に興奮した音楽を聴くようになったんだ。

 

 

◎引き出し一杯のCDは、ジャンルやアルファベット順に整然と並んでおり、コーンウェルのコレクションとなっている。ボブ・ディランの『ブロンド・オン・ブロンド』や『ジョン・ウェスリー・ハーディング』など1960年代の名盤、レッド・ツェッペリンの最初の3枚のアルバム、ドクター・ジョンの『グリグリ』など、たくさんのCDが並んでいる。

 

 

  CDの素晴らしいところは、すべての音楽が同じ年齢になることだ。古いレコードがすべて再リリースされ、新しい世代が初めてそれらを聴くんだ。僕は最近の音楽はあまり聴かないんだけど、彼女がGomezやDavid Grayを紹介してくれて...でも、彼女はNick Drakeを初めて聴いたんだ。

 

  サイケデリックなものでは、キャプテン ビーフハートの『Spotlight Kid/Clear Spot』、フランク ザッパの『Hot Rats』、バーズの『Younger Than Yesterday』、ラブの最初の3枚がお気に入りだよ。私の曲の一つ、Prizons Going Downは、アーサーリー(隣人を撃つと脅した罪で長期服役中のラヴの少し狂った元リードシンガー)のことを歌っているんだ。


  ラヴはサイケデリア、パンク、ポップを見事に融合させ、最も正統なポップミュージックとして聴くことができる。ストラングラーズのベーシスト、ジャン=ジャック バーネルはポップミュージックを嘲笑していたが、すべてはその文脈による。ラブはこの甘いポップなコードを使って本当のエッジを与えてくれた。


  ヴェルヴェット アンダーグラウンドのアルバム『Loaded』はこのポップな感覚を共有している。このアルバムは、11曲全てがシングルになる可能性を秘めた素晴らしいアルバムだ。ルー リードは、レコード会社がこのアルバムのプロモーションを全くせず、シングルもリリースしなかったときにバンドが終わったことを知ったと言っている。 それから、ストラングラーズが明らかに影響を受けている、ドアーズのアルバムもある。僕とジャックはドアーズのダークサイドとつながっていたけど、バンドの他のメンバーは彼らが誰なのかほとんど知らなかったんだ。


  非常に実験的でサンプルを多用したCD、ザ ファイヤーマンのStrawberries Oceans Ships Forestは奇妙な血統を持っているよ。これは、プロデューサーのユースがポールマッカートニーと組んでつくった産物なんだ。ユースはマッカートニーの家に行き2日間酔っぱらいマッカートニーの最新アルバムの24トラックのテープを持ち出してそれをリミックスした。歌は入っていなくてノイズだけなんだけどこれはマッカートニーのアイデアなんだ。多分10枚くらいは売れたんじゃない?これはステラマッカートニーがくれたコピーだよ。数年前まで彼女とは一緒にたむろしてたんだ。

 


  1969年のWalk on Byのアイザックヘイズのバージョンも好きだよ。みんなストラングラーズのヴァージョンが最高だって言うけど、僕はこっちの方が好きだな。また、ロンドンのソウルシンガーOmarのアルバムにはGolden Brownのバージョンがあり、Herbie HancockのBlow Up、Bernard HerrmannのPsycho、Roy BuddのGet Carterなどのクラシックサウンドトラック、John Coltrane, Charlie Parker, Art Blakey, Mose Allison, Nat Adderleyなどの多くのジャズもある。兄がジャズの大ファンだったのでずっと聴いていた。私は今は新しい音楽を渇望しているわけじゃないよ。音楽の仕事をしていると残念ながらそうなってしまうんだ。

 

 

◎コレクションの最後としてはヴィヴァルディを中心としたクラシックのCDが数枚、そして最後にほとんど見えない一番奥にストラングラーズのコンピレーションアルバムが数枚入っている。

 

 

 

 

◎ザ フーは好きですか?

 

 

  ザ フーはビートルズやストーンズと同じくらい重要だった。彼らはギター、ベース、ドラムをセットアップしている。The Whoの初期のものは、バッキングボイスを別の楽器として使用していた。昔のWhoの曲を聴くと、バッキングボーカルのアレンジがとても巧妙だ。それは追加された楽器なんだよ。それらはストラングラーズの曲を演奏するときに使うテクニックだ。

 

 

  他のお気に入りのバンドはキンクスだよ。キンクス夫妻は、私が生まれた場所であり、私が育った場所から数マイル離れたところに住んでいた。彼らは地元のヒーローだった。素晴らしいソングライティング。レイデイヴィスは偉大なソングライターで、なんと素晴らしい作品群だったことだろう。

 

 

  クリフリチャードが最初に始めた時、私はクリフリチャードに興奮していた。彼が始めたとき私は彼の曲、彼の初期のシングルをすべて買った。彼は本物のロッカーだった。

 

 

◎レノンですか?マッカートニーですか?

 

 

  マッカートニーだよ。ストーリーがありメロディックな楽曲を作るのが得意で僕をどこかに連れて行ってくれるからね。でもレノンも大好きだよ。彼の楽曲には詩的な感覚があったよね。僕らの時代のバンドには必ずレノンか?マッカートニーか?っていう話題があって、僕らのバンドではジェットと僕がビートルズが好きなんだけどジェットはレノンが好きだったから。。まあそういう感じでバンド内でも好みが別れるんだな。僕らの世代やその少し下の世代ではパンクを含め、レノン=マッカートニーの影響をわずかでも受けていないミュージシャンはほとんどいないはずだよ。