ザ ポリス | ビートルズやメンバーへのミュージシャンの発言集 The Beatlesの影響 The Beatlesの評価 

ビートルズやメンバーへのミュージシャンの発言集 The Beatlesの影響 The Beatlesの評価 

 ビートルズやビートルズのメンバーに対するミュージシャンの発言は今までたくさんありました 。おそらくこれから先もたくさん発言される事でしょう。ここはビートルズが与えた影響を記録していく場所です。

 

追記します

 

スチュワートコープランド(ドラム ソングライター)

 

 


 

          ゴールドマイン    2022

 

○ビートルズ  ヘルプ!


  兄妹や親から譲り受けたものではなく、私が所有した最初のLP。13歳の私にはすべてがミステリアスで、幼い私の心をわしづかみにした。キンクスやストーンズにはエッジの効いた曲もあったが、ビートルズほど一貫して素晴らしいアルバムを作っていたバンドは他にない。





  ミュージックレイダー  2013年    スチュワートコープランドが選ぶ16枚


◇The Beatles   Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (1967)


 さあ! この一枚を選んでおこう。すべてのアルバムの中で(太陽の心臓をコントロールするもの)を選ばないわけはないよね?リンゴスターはそれらの創造的な楽曲のすべてを演奏した。そういった意見にはこの様な多くの反論がある。(リンゴは世界でもっとも最高のドラマーだったのか?)(いいえ。彼はビートルズでも最高のドラマーではなかった。)第一、ポールマッカートニーは決してそんなことを言わなかった。それは確かだよ。ジョージマーティンもそんなことを言わなかったよ。確かにね。ジョンレノンはそういった事を言ったかもしれないけど(1980年プレイボーイインタビュー)、それは真実ではないよ。


 僕はポールマッカートニーが意図したサウンドをわかっている。彼がドラムを演奏した2曲のビートルズの楽曲で彼の演奏は本当にかなり良かったよ。だけど、ドラマーではない人々はしばしばドラマーよりも良いドラムを演奏するものなんだ。なぜなら、彼は君が決してするとは思わなかった、興味深いと思えるようなすべての演奏をしたからだよ。


 そういったすべての演奏にも関わらず、想像力の少しのひらめきの部分においても、その演奏はリンゴスターの標準には達していない。リンゴは本当に想像豊かなソリッドなドラム演奏をした。君もそういった演奏を聴くことが出来るだろう。そういった演奏はシンガーの背後にあるただのバックビートなだけではないんだよ。そこには、大きなタムタムサウンドについての全て、大きなドラムのフィル、普通じゃない変わったリズムが存在するビッグなドラムモーメントがあったんだよ。


 一つ一つのビートルズの楽曲は何らかのユニークなトリックか、何らかのクールな構造を持っているんだよ。そして多くのケースで、それはドラムにも由来するものだ。



 


スティング(ヴォーカル ソングライター ベース) 

 

 

 

リックベアト インタビュー   2022

 

 

 

 私がミュージシャンである理由はビートルズが原因なんだ。君がビートルズについて言及してくれてうれしいよ。彼らはリバプール出身で、私はニューカッスル出身だった。両方イングランド北部の港町で、私も労働者階級。彼らは私と同じ教育を受け、私はグラマースクールに通った。彼らは奨学金を受けた男の子だった。僕らは賢い労働者階級の子供たちなんだよ。

 

 僕がミュージシャンである理由は、ビートルズのおかげなんだ。彼らは自分たちの曲で世界を征服した。だから、10年以上も若い世代が、同じことをやってみよう。『ああ、やってみよう、この4つのコードは知っているから、たぶんできるだろう』と考えることを彼らが許可した。そして、私たちがはみんな、それに挑戦したんだ。私たちはビートルズに多くを負っている。彼らは私たちの人生すべてに素晴らしい影響を与えた。

 

 

◎好きなビートルズの曲を何曲か上げてみてください。

 

 

  ブラックバード とペニーレインだね。

 

 

以前、ポールマッカートニーが僕のある一曲を書いておけば良かった。と言ったんだが、その時の僕の素直な反応としては(マッカートニーの曲を100曲くらい書いておけばよかったな!)って感じだった(笑)。


 

 

 

      自伝 タップザポップ 

 

 

 その散漫な音楽(ラブミードゥ)にはバカ騒ぎをやめさせる何かがあった。ジョンの寂しげなハーモニカとポールのベースのイントロフレーズが2度繰り返される。それからヴォーカルハーモニーが5度からマイナー3度で重なり、再びソロでリフレインに戻る。

 

 

 当時はそんなことは全く分からなかったが、他の皆と同じように、何かとても意義のある、音をギリギリまで削ぎ落したという意味で、革命的とさえ言える興味深いものを感じたのだ。

 

 

 彼らに出来るのであれば僕らに出来るかもしれない。僕らの世代の多くの人は少なくともビートルズが成し遂げたことに挑戦する許可を与えられたんだよ。

 

 

 まるで金庫破りが錠をこじ開けるように獲物を自分のものにするまで、自分の分析を超えていると思われる小節部分に何度も何度もレコードプレーヤーの針を落とすのだ。

 

 

 古臭いバンドの常とう手段でも、ビートルズが使うと微妙な皮肉が効いているように思えたのだ。この時もやはりそんなことは理解できなかったが、以前のポップミュージックには無かった洗練されているレヴェルに、それが到達していることは本能的にわかった。

 

 

 音楽が世界を変えるに違いないと思えた世代にとっては、(ビートルズ)はまさに国境のない音楽、いたるところに存在するサウンドトラックだったのだ。

 

 

 

 

 

 僕が選ぶビートルズの一曲は「Love Me Do」だ。僕が初めて聞いたビートルズの曲だ。これを初めて聴いたのは11歳の時だった。たまたま友人達と公営プールで泳いでいる時に聴いた。その溶け合ったヴォーカルハーモニーと魅惑的なハーモニカに惹きつけられ、僕たちは圧倒的な、ほとんど霊的と言っていいほどの衝撃をうけた。その感覚は言葉にはならない。その場で僕らは全員立ち上がり、裸のまま踊り出したんだ。それから数日でこの現象が僕らだけではなくクラスメイトにも起きていることに気が付いた。それくらい強烈な一曲だった。その一瞬で僕は人生の歩くべき道を決めたのだと思う。
 


       

             ローリングストーン


 マイアミでポリスがちょうどステージの袖に降りた時だったと思う。ジョンレノンが撃たれたって聞いて、みんなが感じたのと同じように感じた。信じられなくてショックで恐ろしかった。彼の様な人が亡くなるというのは山が消えて川がなくなるようなものだ。彼の死は多分それと同じくらい重大な出来事だったと思う。



 それはビートルズがまるで僕の少年期のしつけや教育をしてくれたようなインパクトだっただろう。彼らの生い立ちは僕ととてもよく似ていた。イギリスの産業都市の労働者階級の出身だからね。彼らは独特の歌を作って世界を征服した。イギリスの多くの若者が同じようになりたいと思って彼らを手本にした。


 
 ジョンレノンがいなくなってみんながさびしがっている。僕はあの建物の傍を歩くたびに彼の事を考えるんだ。




◎君が音楽を始めた頃は何に影響を受けた?ビートルズから影響を受けた?



 僕がミュージシャンになった理由はビートルズにあるんだ。労働者階級出身だけど学歴があるという点で、彼らの境遇は僕に似ている。彼らが自分たちの曲を自作したという事には大きな影響を受けた。これはビートルズの画期的な功績だよ。僕が成功したのも自分で自分の曲を書けたおかげさ。



 根本的には最初、彼らに押し付けられた曲が粗末なものだったから、彼らは初めから自分たちで作ったわけだけど、歌ってそういうものだよね。昔のアーティストは専門の作曲家に頼っていたんだけど、創造的な観点から見れば、分業するより自分で書いて自分で歌った方がはるかに現実的だよね。僕も自作自演がとっても気に入ったんだよ。

 

 

 

 

       ベースプレイヤーマガジン   1995年

 


 ポールマッカートニーは言うまでもなくベースプレイヤーのトップだよ。そして、僕のベース演奏についてマッカートニーの影響を切り離すなんて出来ないよ。だけどベース演奏だけではなく他の面でもそうなんだ。歌う事、作曲をすること、最初にミュージシャンになることを決意した事も彼からの影響を受けた。そんな時には僕にはいつでも彼がいたんだよ。子供の時、僕はビートルズのアルバムを45回転で聴いていた。そうすると僕には彼のベースがより良く聞こえたんだ。彼はまさに(親方)なんだよ。



 僕はポールに会った時にいくつかの質問をした。すると彼は言ったんだ。(僕はロックとかポップとか音楽を定義付けするのが大嫌いなんだ。)その言葉だけで彼の偉大さや、僕への精神的な影響がわかったんだよ。それに彼について考えると僕の原点に触れるような気持になるんだよね。僕が最初に作曲した時の事なんだけど、僕が好きだった彼のいくつかのベース演奏に曲を付けたんだよ。それがまさに僕の作曲の原風景だった。

 



◎あなたは、初めて歌いながら同時にベースを演奏した時の事を覚えていますか?



 僕は歌ったんだ! 僕は何とかしたんだ。僕はギターヒーローになりたくなかった。僕は最初ギタープレーヤーだったんだ。ギターを演奏しながら歌うのは手拍子をしながら歌う様なものでそれほど難しくはなかった。だけど、僕にはボトムからバンドのハーモニーをコントロールする方がよりクレバーな事だと思ったんだよ。

 


 例えば僕がベースでCコードを演奏すると、ピアノやギターはCコードを弾く事が出来る。それはただCコードなんだ。僕がAコードを演奏すると、それはAになる。僕が何か違うことを演奏すれば、それは全体として違うコードになるんだよ。だからベースはボトムからハーモニーをコントロール出来るんだ。



 そして、その上、ベースを演奏する君がシンガーだとする。すると君はトップをコントロール出来るんだ。わかるかな?そうなんだ。僕はコントロールマニアなんだよ。だからベース=ヴォーカルという立場はバンドのコントロールがしやすくて、バンドリーダーとしては最適のポジションなんだ。そしてそのバンドにいる限りは僕の匙加減になるんだよ。



  最初は他の楽器の人間にはきっと理解できないんだ。でもそのうち気づくことになるんだよ。彼らが真剣にバンドの中にいて大人になればね。だから表向きベースプレイヤーは制限されている感じを受けるかもしれないけど、バンドの中では僕らの匙加減でバンドのコントロールが出来るんだ。つまり、ザ ポリスはもともとスチュワート コープランドのバンドだった。だけど、結局、サウンド的には僕のバンドになった。それはなぜか?それは彼らがドラムやギターを持っていたからだよ。彼らにはそれが出来ないからね。

 


 

◎70年代の初めに君が考えていたことを教えてくれる?

 


 僕は考えたよ。世界に認められる為の戦略ってなんなんだろう?僕にはなにが出来る?多くの人はジミヘンドリックスに、そしてジミーペイジになりたがった。ほかにもっと素晴らしいルートがあるのか?僕にとってベストとは。僕はストイックだった。寡黙な人間だった。だけどそれにも拘わらず僕は強力だった。

 


 僕は7歳からギターを演奏した。僕はクラシックギターを演奏した。スパニッシュギターだった。それから僕はコントラバスの教室に行って、その後、バンドに参加した。だけどロックバンドには参加しなかった。僕はジャズバンドに参加した。主流のジャズグループ、つまりビッグバンド、そしてジャズロックバンドで演奏したんだ。



 だから、僕が初めて参加したロックバンドはザ ポリスなんだよ。1977年の事だ。僕は決してロックンロールを演奏した事は無かった。だけど反対にそれはとても素晴らしい教育だった。ただのスリーコード以上のより広い音楽の体験が出来たと思う。僕はロックンロールが好きだったが、僕の音楽のバックグラウンドはもっともっと広いものだった。




◎貴方は訓練されたミュージシャンですか?

 


 ああ、僕の理解力はかなりすごいと思うよ。



◎貴方の好きな歌うベーシストは誰ですか?



 ジャックブルース、ポールマッカートニーそしてフィルライノット。彼らはすべて素晴らしいシンガーであると同様に素晴らしいベースプレイヤーだった。

 

 

◎そして彼らはカリスマティックなフロントマンでしたね。



 そうなんだよ。でも僕はその部分を多分持ち合わせてないな。でもそれ以外の残りの部分はもっているよ(笑)

 

 

 

 

 

 僕はプレシジョンベースを愛してるし、指で弾いてるから、ポールマッカートニーとは違う様に見えるかもしれないね。彼はピックを使ってる。でも手のひらを使う彼のミュートの方法は僕と一緒なんだよ。そして、彼はビートルズが解散してからベースを弾く事に対する優先度が下がった。それも僕と同じなんだ。僕らにとっては何よりも音楽を聞かせることが一番なんだから。

 

 

 

                            2016年 hulu movie plot   みんなのビートルズストーリー

 

 

  僕が初めてザ ビートルズを聞いたのは1962年の後半だった。僕は11歳で、学校のスイミングプールにいて、まさにその大混乱の水泳の授業が終わったところだった。更衣室でいかにも水泳教室の後に少年たちがするように、タオルで叩き合いながら着替えてたら、ラジオからその音(ラブミードゥ)が流れ始めたんだ。ベースの2拍、4拍、そして悲しげなハーモニカ、素晴らしい2パートのハーモニー、美しいコーラス、まるで、2分30秒の宝石の様だった。

 

 

  そしてわかったんだ。それからすべてが変わったって。なぜかはわからない。僕にはその時のことをはっきりと伝えることは出来ない。でも、それは信じられないぐらい重要で、僕の人生を変えたんだ。 そして、僕はビートルズがリヴァプール出身で、自分達で曲を書いているという事を知ることになる。そして、その後、彼らは自分たちの曲で世界を征服していくことになる。リヴァプールは僕が育ったイギリス北部にある貧しい街、ニューキャッスルからそんなに遠くない所にある。彼らに出来るのであれば、僕らにも出来るかもしれない。僕らの世代の多くの人は、少なくともビートルズが成し遂げたことに挑戦する許可を与えられたんだよ。 

 

 

     バークス 2018 ポールマッカートニーのインタビュー 

 

 

  あの曲が好きで、(僕があれを作るべきだった。なんで、彼なんだ!)って思ったよ。

 

 

◎スティングにそのことを伝えたことがありますか?

 

 

ああ、彼には(君、僕の曲を盗んだね)って言ったよ(笑)

 

 

                スティングのツイッター 

 

  ポールマッカートニーが、(自分が(Fields Of Gold)を作ったのなら良かったのに)って言った。ポールの楽曲の中には、僕が作ったのなら良かったのにって思うものがかなりある。一生分の借りがある人からそんなことを言われるなんて、すごく特別なことだよ。ありがとう、ポール。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画の

 

 

 

 

 

 

アンディーサマーズ (ギター)
 

         

 

           ローリングストーン


◎アンディー、 君はイングランド育ちだけどビートルズのライブはみた事はあるの?



 うん。ビートルズは見たよ。1963年の事だったと思うけど、僕の故郷の町でやったんで、もちろん見に行ったよ。

 


 よく覚えてるけど彼らがステージに現れて2曲続けて歌った時に(これからやる曲のうちの1曲が次のシングルになるんだ。気に入った方の曲をやったら大声で叫んでね)と言ったんだ。そのうちの一曲が(シーラブズユー)でみんながその曲の後に大声で叫んだために次のシングルになったってわけさ。


 ビートルズのことは忘れられないよ。彼らはあらゆる人に多大な影響を与えたし、ある意味では正にロックグループの成功の青写真になった。彼らとストーンズがね。ちょっとタイプは違ったけどね。



◎ギターの優等生として、ジョージハリスンのギターの腕についての君の印象を教えてくれない?


 ジョージハリソンはとても上手なギタープレイヤーだったし、正確なプレイをした。彼のギタープレイを聞き直してみて。とにかく聴かせるよ。


 

 彼が自分のギタープレイを嫌っていたことは知っているよ。彼はギターの名手ってわけじゃない。当時の名手はエリッククラプトンさ。ジョージは曲の持つフィーリングをよく捉えて、素晴らしく味のあるギターを弾いたね。


 

 僕はいつもサムシングのギターソロはすごいと思っていたけど、彼自身は気に入らなかったんだ。彼が自分のギターソロを嫌っていたことを知っているよ。(ヘルプ)の終わりでチェットアトキンス風にちょっぴりギターソロをやっていたけど実によかったね。


 楽器に命をかけていたという意味で彼は正に真の演奏者だった。彼はインド音楽を学びセゴビアにあこがれ、チェットアトキンスに耳をそばだてた。彼はギターに夢中だった。彼は真摯なプレイヤーだと断言できるよ。

 


◎何かビートルズで好きな曲はある?


 それはたくさんあるよ。(ヘルプ)は好きだね。曲全体に漂ってるほろ苦さをたたえたメロディーが好きだね。詩も素晴らしいし。

 詩について振り返ってみると素晴らしい詩をいくつも書いている。それは誰でも認めることだ。(フィキシングホール)(トゥモローネヴァーノウズ)。アルバム(リヴォルバー)に入っている曲はすべて素晴らしいんだ。




◎ギタリストの目線でジョンレノンに対する印象はある?


 そう。彼もギタリストなんだけど、いくつか素晴らしい演奏はあるが彼についてはギタリストというよりも詩人とかヴォーカリスト、ソングライターっていうイメ―ジの方が僕には強いね。彼は正に(ジョンレノン)という存在なんだ。僕らの世代にとってはね。僕は1942年生まれでビートルズと同世代なんだよね。その事実にはとても刺激を受けていたよ。
 


◎同様にポールマッカートニーについての印象はどうかな?


 彼は優れた曲を書いたし、優れたシンガーだった。ギタリストとしては彼はコンセプトをもったプレイヤーだった。きっと彼は音楽家としてもコンセプトを持った人じゃないかな。

 

 

 でもギタリストの僕の目線で彼に思うことは、彼と一緒に演奏したことはないが、彼の様なベースプレイヤーとはいくらでも演奏したよ。彼はただ素晴らしいベースプレイヤーだっただけでは無く、ベースプレイヤーのパイオニアだった。彼は先生だった。でもこういった事は僕が話すべき事じゃない。スティングに聞いてみた方がいい。彼はザ ポリスのポールマッカートニーなんだから。




 

            2010年 ギターインターナショナル


◎(ギターヒーロー)にありがちな速弾きやド派手なソロと違って、一見簡単そうに聞こえるのに実は挑戦的で難しい、そのスタイルはどこから来たのですか。



 ある程度はそれしか出来ないからだけど、ザ ポリスに入るまで数年間、クラシックギターをやってたんで、ワイドストレッチも難なく出来るし、手がとても強くなってたんだよ。。。。。。だけど、本当のところを言うと、他の誰とも違う音楽をやりたかったからだ。バレーコードなんか弾かないよ。3rdの代わりに9thとか、パラレル5thを3つとか。


 ザ ポリスについて言えば、3人の素晴らしい化学反応だったんだ。何年も一緒に演奏しながら、互いに影響し合ってロックに限らず本当に沢山のことから影響を受けて、幅広く色んなものを音楽に還元していった。いい耳を持ったシンガーが一緒だったしね。そういうのが自然に染み付いてったわけだ。

 





◎ソロアルバムも沢山リリースしていますが。他のギタリストと共演するのはどうですか。


 多くの人はリックやソロにばかり熱心で(タイム感)を鍛えてない。びっくりするよ。他のギタリストと共演する時に一番重視するのはタイム感を持ってるかどうかだ。だけどそういう人は思ってる以上にほんの少ししかいない。たいていはYouTubeとか見ながら、タッピングだのあれやこれやを懸命に練習してる。だけど、実際に音楽をやる時はタッピングやソロばかりじゃないだろう。



 相手に合わせてベストなタイミングでコードを弾く、それが本物のミュージシャンだ。彼らにはそれが出来ない。彼らは速弾きばかり頑張る。だが、きっちりリズムを刻むことができない。だから結局、彼らには音楽が作れないんだよ。

 


 私が共演する相手はだいたいオールラウンドなミュージシャンだ。ソロもできるが他のことも完璧にこなす。今までで最高だった内の一人はラリー コリエルだ。彼との共演は実に美しかった。学ばせてもらった。彼とツアーした時、音楽のセンス、タイム感、その裏にあるパルス、そういったことが本当に感じられた。

 


 ほとんどの人はそれが判ってない。(即興ってどうやるんですか?)、そんなことばかり聞いてくる。その答えは決まっている。(フォームを学んで頭に焼き付けるんだ。そうすれば何でも弾けるようになる)。



 彼らは正しいスケールとかコードにばかりこだわる。だが、そんなことはタイム感とフォームを身につけて次の段階に進んだらどうでもよくなる。音楽にそういう全く別の側面があるってことは、子供には判らないんだろうな。



 ロックのソロだってそうだ。タッピングとか、陳腐なダイアトニックとか、16thとか、そんなのばかりだが本当のソロとは、もっと抽象的なものだ。タイムから出たり入ったり、タイムをねじ曲げたりして最後はちゃんと戻ってくる。そういうソロがやれるのはエディ ヴァン ヘイレンみたいな名手以外にはいない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ポール マッカートニー インタビュー

 

 

◎現在活躍している中で あなたの影響を受けていると思われるアーティストはいますか?



 全く同じではないけど、スティングにはある意味で僕に近い要素があると思う。ちょっとした嗜好なんかがね。もう少し前だとビリージョエルに同じような色を感じるね。オアシスの曲の中にはビートルズの影響が色濃く表れたものがある。リアムはジョンに、ノエルはちょっと僕に近い所があるんじゃないかな。

 

 

 

 

 スティングの目は好きだよ。彼は多分(クソ生意気だ)って言われ続けてきただろう。僕も若い頃はそうだったんだ。でも、そんな事を言う連中は自分の常識に合う事しか理解できないんだよ。自分の常識に合う事ではないと、彼らには我慢できないんだ。つまり彼らには本当に大事な事なんてわからないんだよ。

 

 

 

◎他のアーティストの作品に嫉妬を覚えたことはありますか? 

 

 

   嫉妬するよりより、むしろ刺激をうけるかな。何年も前の話だけど、すごく気に入っていたのがビリージョエルの(素顔もままで)とスティングの(フィールズオブゴールド)だった。

 

 

◎スティングにその事を言いましたか?

 

 

  いや、一切話してない。気に入った理由というのはさ。たぶん、ほら、どちらの歌もちょっと僕っぽいだろ?僕が書いたといっても通りそうな曲じゃないか。でもそんなに嫉妬しちゃいけないよ。僕はこれまで恵まれすぎてるくらいだからね。

 

ビートルズカヴァー