エルヴィスコステロ アンド ジ アトラクションズ | ビートルズやメンバーへのミュージシャンの発言集 The Beatlesの影響 The Beatlesの評価 

ビートルズやメンバーへのミュージシャンの発言集 The Beatlesの影響 The Beatlesの評価 

 ビートルズやビートルズのメンバーに対するミュージシャンの発言は今までたくさんありました 。おそらくこれから先もたくさん発言される事でしょう。ここはビートルズが与えた影響を記録していく場所です。

エルヴィス コステロ

 

 

          2022   ステレオガム

 

 

   ちょっと当たり前かもしれないけど、 "For No One" を選ぶね。ラバーソウルは私が "これは私の知らない世界についての何かだ "と思った最初のアルバムだ。それまではビートルズの曲はどれもとてもハッピーに思えた。それが『Rubber Soul』ではよりダークなもの、より大人なものが出てきた。ポールの曲はハッピーなものが多かったけど、レノンの「ガール」や「ノルウェイの森」みたいな曲はダークになった。そして『Revolver』が登場して、これは今でもビートルズのレコードの中で一番好きなんだ。このアルバムは両方が備わっているんだ。すごいコーラスもあるし、ワイルドで革新的な曲もある。(Tomorrow Never Knows )のような分かりやすい曲だけでなくてね。ロックンロールの中で最もスイングしている曲のひとつで、とても繊細なスイングをしているのが "I'm Only Sleeping" だよ。レノンのサウンドの素晴らしさもさることながら、ビートルズというバンド、リンゴのドラム、ポールのベース演奏、スイングの仕方が凄いんだ。アメリカ人は違うレコードを持っているから、イギリスのレコードの話をしてるよ。


   "For No One "のところまで来たね。レノンとマッカートニーの決まり文句は、ポールが優しいやつで、ジョンが神経質な奴だというものだ。でもそうでもないだろう?ポールは "I Saw Her Standing There" "I'm Down" "She's A Woman" "Helter Skelter "を書いた。おいおい、ちょっと待ってくれよ。 その後に存在し得ないような音楽が一杯あるんだ。確かに彼らはとても影響力があるし、時代が違えばその後に続く別の音楽にも影響を与える。90年代にはホワイトアルバムが明らかに青写真になったと思ったことを覚えている。つまり、実験的なレディオヘッド、「OKコンピューター」のレディオヘッドだよ。あれはホワイトアルバムなしには存在し得なかったものだ。トムもそれを認めると思う。彼らはメロディーを圧縮してしまうような実験的な手法でメロディーの美しさを隠してしまうようなとても興味深い方法を取っていた。ビートルズもその一世代前に同じことをやっていた。それが(Get Back)だよ。美しいメロディーを奏でるバンドがひどい音のフェンダーアンプで演奏している。スタジオの音は小さくてうまく機能していないのになぜかマジックになっている。


  私たちが知っていることすべてに対して矛盾するような瞬間について考えるんだ。「For No One」は、ポールマッカートニーの素晴らしさのすべてが1曲の中に詰まっている。本当に美しいメロディがある。彼は、何もしない素晴らしい映画俳優のようなものだ。彼はドラマチックになり過ぎない。彼の歌い方は声の音色にほんのわずかな感情が込められていて、変な言い方に聞こえるかもしれないが、ほとんど1920年代や30年代のレコードのように聴こえるんだ。そこにはビブラートがないんだよ。ビブラートがなく音色があり、人々が彼の歌唱について使う言葉は "切ない "だろうね。


  私にとってはこの曲が彼のベストリリックだよ。この曲は彼がいかにユニークなリリシストであるかを証明する曲だと思う。誰もが書いたような曲ではない。私が思いつくような曲でもない。そしてこの楽曲以降も、この歌詞の並べ方はそれ以降もそう多くはない。それはさておきその語り口はまるで劇作家のそれに似ている。"あなたの一日が始まる..."つまり場面を設定するんだ。「She’s Leaving Home」 と同じだけどはるかに経済的だよ。「...彼女の優しい言葉がまだ耳に残っている」 "彼女の目には何も映らない" "涙の奥に愛の痕跡はない" "誰のためにも泣かない" つまりこれはとてもとても悲惨なことなんだよ。マッカートニーの曲の良さはただ歌っているだけでは心に思い当たらないのに、それが心に思い当たった瞬間にその曲から逃れられなくなることだ。



  そして、アレンジャー側の出番だ。あのソロは不可能に近い。あの楽器の音域の外にあるんだから。ポールがロイヤルアカデミーのフェローシップ(特別研究員)になった時、あるコンサートをやったんだ。それはとてもフォーマルなイベントだった。彼のレパートリーの中からいくつか室内楽で演奏されるたんだ。ポールに伴奏したのはブロツキー カルテットだった。彼は「エレノア リグビー」「イエスタデイ」「フォー ノー ワン」「ヒア ゼア エブリウェア」を続けて演奏した。それは本当にロックンロールじゃなかった。私は彼が弦楽四重奏で演奏するのを聞くために、そしてフレンチホルンの演奏をするために、彼が一日中練習しているのを聞いた。彼は一流のクラシックソリストだよ。とても難しいんだ。彼はそれをとても美しく演奏した。"For No One "はあなたが作ることができる限り完璧なレコードだよ。

 

 

   ポールマッカートニーの80歳のお祝いに

 

 

 

            ローリングストーン   ビートルズと私


 僕がビートルズについて初めて知ったのは9歳の頃だ。その頃、僕は休日をリバプールを州都とするマージーサイド州で過ごしていたんだけど、地元の女の子が僕に粗悪な販促用の写真をくれたんだ、裏に名前が手書きで書いてあってね。


 それが1962年か63年の事で、ビートルズがアメリカに行く前の事だった。その写真は薄暗くて、はっきり顔が見えなかった。リンゴは髪を少しオールバックっぽくしてたよね、まるで、例のビートルズ風のヘアスタイルじゃ売れっこないよって言ってるみたいにね。


 僕は大して気にかけなかったんだ、僕にとってはただのバンドだった。面白かったのはリバプール出身の僕の両親やその友人たちがその地元出身のバンドに関心を持っていて、誇りにしていたことだ。なぜなら、ビートルズ以前にはイングランド北部出身でショービジネスに関わってるのはコメディアンだけだったんだよ。そういうわけで、ビートルズはパーロフォンというコメディーレーベルに所属していた。だから、きっとビートルズも現れては消えるちょっと変わったタレントぐらいに思われてたんだろうね。


 僕はビートルズに魅了された世代のまさにど真ん中だよ。僕が経験したこと、 虜になったように写真に見入ったり、シングルやEPを買うのにお金を貯めたり、地元のニュースショーで見たり、こういったことは世界中で繰り返し何度も何度も起きたことだ。こういったことが起きたのは今回が初めてというわけじゃなかった。でもビートルズが到達した名声のレベルというのはビートルズ以前にはチャップリンやブリジットバルドー、プレスリーくらいか、宇宙飛行士や前大統領、ヘビー級チャンピオンの遺産相続人くらいにしか与えられないものだった。


 1枚1枚のレコードすべてがショックだった。ストーンズみたいなラディカルなR&Bの伝道者に比べて、ビートルズは他の何とも似ていないサウンドに到達していた。彼らはバディーホリーやエヴァリーブラザース、チャックベリーが好きだったんだけど、自分達で曲を書いていた。彼らは自分の持っている素材で曲を書くということを、特別のことじゃなく当たり前のことにしたんだ。


 ジョンレノンとポールマッカートニーはまれに見る例外の様なソングライターだった。マッカートニーは昔も今も、本当に達人級の音楽家だ。ジョージハリスンは激しく奇想天外なギターソロを弾きまくるタイプのギタリストじゃない。彼はソロパートのメロディーをほとんど全部、唄えてしまうようなそういうギタリストだ。それと大事なのはソロがいつも曲のアレンジにぴったりマッチしていたということだ。リンゴスターは信じられないくらいユニークなフィーリングでドラムをプレイするんだよ。たくさんの優秀なドラマーが挑戦したけど誰にもコピーできない。そして、ビートルズのとりわけ大事なポイントはジョンレノンとポールマッカートニーがとてもファンタスティックなシンガーだったということだよ。



 レノン、マッカートニー、そしてハリスンはソングライターとしての水準が驚くほどに高かった。想像してみてほしい。(Ask Me Why)や(Things We Said Today)のような曲がB面でリリースされるんだよ。(Paperback Writer)と(Rain)、(Penny Lane)と(Strawberry Fields Forever)、こういった素晴らしいレコードは、ただシングルとしてだけ発表されたんだけど、こういったレコードは事件だった。アルバムの発売を宣伝するだけのものじゃなかった。そして彼らは成長し始めた。単純なラブソングの歌詞から(Norwegian Wood)みたいなアダルトな物語へ。そこでは愛の難しい側面について語っている。そして売れ線狙いの歌詞にはないような偉大なアイディアへの成長。


 ビートルズはレコーディングで、聴覚的なパースペクティブをいじり始めた最初のグループだった。音の空間を作ることを単なるギミック以上のことにしたんだ。バンドの想像力にこたえる形で、ジェフエメリックのようなエンジニアが今では僕らが当たり前の事だと思っているテクニックを発明した。それはビートルズ以前には、白衣を着てスタジオで実験をしてるような人たちがやっていた事だ。でもロッカーたちが考えを持ってわざと音のバランスを狂わせるというようなことはしてなかった。たとえば(Strawberry Fields Forever)でのようにラウドな音の前面に静かなボーカルを置く、といったことだよ。モータウンからジミヘンドリックスにまで、すべてのミュージシャンに渡されたこの実験の免状をビートルズが発行したということをいくら強調しても強調しすぎることはないと思う。

 

 

 僕の絶対的なフェイバリットアルバムは(ラバーソウル)と(リボルバー)だ。どちらのアルバムも聴いてみれば、彼らが参考にした他の音楽がわかる。R&B、ディラン、サイケデリックミュージックなどなどだよ。でもそういったわかりきった方法、あるいはレコードの年代を特定する方法じゃ本当にその音楽の事はわからないんだよ。


 (本当に大事なのはこういったことだ。)リボルバーのレコードを手に取ってみて、何かが他とは違っていることに気づく。(あれ、裏ジャケットの写真では部屋の中なのにサングラスかけてるよ。)とか、(カメラの方を見てもいないよ)とか。(音楽もなんだかとても変わっていて、とても鮮やかだよ)とかね。(2枚のアルバムから1曲選ぶなら、(And Your Bird Can Sing)かな、いや(Girl)かな、いやいや(For No One)だろう)とか。


 ビートルズの最後のアルバム、(Let It Be)にはゴージャスな曲も粗雑な曲も入ってる。野心や人間的な弱さはどんなグループの作品にも忍びこんでいるものだと思うんだけど、ビートルズはそれをすごいパフォーマンスとして実現したんだよ。レスタースクエアーで(Let It Be)の映画を見たのを覚えてる。1970年だった。メランコリックな気持で映画館を出たよ。


 ある人から最近ニュースフィルムを集めたものをもらった。それを見るとビートルズがその輝かしく愉快なウィットをあっという間に枯らしてしまったのがわかるよ。初期の映像で、マッカートニーがレポーターたちにもうすぐエドサリバンショーに出演することを告げて、カメラに向かって指さしてこう言うんだ。(そちらの、エド、そしてエドの奥さん。)そこで(エドさん、だろ)とリンゴがつっこむ。事前に練習してたかもしれないが、完全に即興的に演じているよね。


 そのほんの一年後、最後のツアーの時のロサンジェルスで記者会見では、彼らはスーツもネクタイも着ていない。記者団のビートルズを怒らせようという挑発の試みを冷ややかな目で見つめている。ビートルズは疲れきって幻滅しているように見えた。


 (Day Tripper)は売春婦についての曲だとか、(Norwegian Wood)はレズビアンについての曲だとかというタイム誌の評論へ応答するために、マッカートニーは答えた。(僕らは売春婦とレズビアンたちについての曲を書こうとしてたんだよ。)どっという笑いに続いて、(カット)とポールがつぶやく。その頃にはビートルズは、あとは落ち目だろうという印象をもたれていたんだろう。でも本当はまだ始まったばかりだったんだよ。


 

 ビートレスク(beatlesque=ビートルズ風)という単語は随分前から辞書にのっている。ハリーニルスンのメロディーに、プリンスの(Around the World in a Day)に、ELOやクラウデッドハウスのヒット曲に、ロンセクスミスのバラッドにそれを聴くことができる。ニルヴァーナを聴くとカートコバーンがビートルズを聴いていて、ビートルズ的なアイディアとパンク、メタルをミックスしたんだということがわかる。ニッカーボッカーズの(Lies)からフレーミンググルービーズの(Shake Some Action)にいたるあらゆる一発屋のヒット曲にもビートレスクを聞き取ることができる。


 ホワイトアルバムはアウトカーストからレディオヘッド、グリーンデイ、ジョアンナニューサムまでのすべてのミュージシャンに、自分の絵をより大きく、より大胆なキャンバスに広げていく許可を与えたんだ。


 僕自身、ビートルズのフレーズを盗んだことを認めなくちゃならない。90年代になって12曲をポールマッカートニーと共作した。彼にビートルズらしいハーモニーのいくつかを参考にしたらどうかと思い切って提案したことがある。その時の彼はWingsやソロ時代とは別の音楽的なボキャブラリーで曲を作っていたんだけど、彼のその音楽性の豊かさには驚くよ。


 1999年、リンダマッカートニーが亡くなった少し後、ポールはコンサートフォーリンダというクリッシーハインドが仕切ったイベントで演奏した。リハーサルで僕はリッキーネルソンの曲をポールとハモっていたんだけど、ポールが次の曲は(All My Loving)だって叫んだ。


 (第2コーラスのところでハモってもいいですか?)と聞くと、ポールが(いいね、やってごらん。)と言ってくれた。僕のこの35年間はこの曲のこのパートを覚えるためだけにあった様なものだ。ポールがリンダに会うずっと前に書かれた曲だけど、悲痛な感情を禁じ得なかった。


Close your eyes and I'll kiss you

Tomorrow I'll miss you


 ショーでは全く勝手が違っていた。ポールが出だしのところを唄うとすぐに、観客の反応が強烈だったからその熱気に飲み込まれてしまった。とてもスリリングだったけど面食らったね。その瞬間に僕はなぜビートルズがライブを止めたのかをわかった気がした。曲はもはやビートルズのものじゃなくなっていた。その曲はみんなのものになっていたんだ。




 

 

 

 

 

 うちの父親はジャズミュージシャンで母親はレコード屋をやっていた。僕は11歳になるまで実に高尚な音楽の趣味の持ち主だったんだ。ビートルズと出会うまではね。ところがそれからは彼らがすべてになってしまったんだ。



 僕が最初にビートルズを聴いたのは1962年のことだった。彼らはすべてを変えた。ビートルズの曲の中から1曲を選ぶなどということは僕には絶対に不可能なので、どれも選ばないことにした。



 当時、たくさんの素晴らしい音楽を聴くことができた。。バートバカラックの曲や、タムラモータウンの最初のレコードがアメリカからやって来ていたし、多数の英国ビートグループの中からは、レイデイヴィスのような優れたソングライターや、スティーヴマリオットのような偉大な歌手たちが生まれていた。

 

 

 

 




 僕らが(インペリアルベッドルーム)レコーディングしていた時の事、僕がヴォーカルを録っていた時にブルーストーマス(ベース)は隣のスタジオにいた。ポールマッカートニーがそこにいてアルバムを録っていたんだ。そして、その後、マイケルジャクソンがヴォーカルを録りにそのスタジオに入ってきた。

 

 

 誰かがブルースを僕のベースプレイヤーとして紹介するまではその場はとても和やかだった。だけど突然ブルースは追い出された。マイケルジャクソンが言ったんだ。(オー。僕はそいつは好きじゃない。僕はそいつは好きじゃない)

 


 同様にクインシージョーンズとの話も人づてに聞いた。二人の男たちは相当な量の賞賛を受けている。だけどそういう話を聞いたから、僕は彼らの前に行くことが出来なかった。彼らは僕と握手したくないから、彼らに会いに行ったり、握手をしたりしなかった。かつて、僕はジェームスブラウンからも同様に扱われた。だけど僕に何が言える?君はそれについてどう説明できる?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=3JGYKCvWnQc

 

 

 

 


 

ブルーストーマス(ベース)



                 フェンダーミュージックニュース



◎貴方はベース演奏について誰から影響をうけましたか?


 難しい質問だね。僕は60年代の半ばころからベースを持つようになっていて、影響を受けたのは。。。名前を並べるなら、ポールマッカートニー、ジェームスジェマーソン、ジャックブルース、ドナルドダックダン、そしてシャドーズのジェットハリスだよ。



◎貴方は専門的な教育をうけましたか?


 いいや。僕は受けなかった。僕の家にはピアノがあって、僕は弾かなかったけれど母が気持ちのいい音楽を聴かせてくれた。父親は小さいころをヴァイオリンを学ぶことに費やしたんだけど軍に入らなければならなくなってあきらめた。僕の家は音楽的な家だったんだよ。僕はハーモニカから始めたんだ。



◎いわゆる上手いベースプレイヤーとはどういったプレイヤーなのでしょうか?


 さっき自分が名前を挙げたプレイヤーもそうなんだけれど、それに加えるならジョンポールジョーンズやジョンエントウィッスルかな。。。

 

 

 他のベースプレイヤーもきっと同じ名前を挙げる人間が多いだろう。なぜ、同じ名前なのかわかるかい?それはこういったプレイヤーの共通点はここ(腕を叩く)じゃなくてここ(心臓をたたく)を大切にしてるからなんだよ。あるいはここ(頭を指さす)を大事にしているんだ。プレイヤーにとって一番大事なのは、(自分が一体何者なのか)ということなんだよ。器用さじゃないんだ。それは人格者であるかという意味ではなくて、音楽に対してどの様に立ち向かったかなんだよ。

 


 


             フォーベースプレイヤーオンリー 2012


 ポールマッカートニーとジェームズジェマーソンの演奏はその時の僕にはあまりにも複雑すぎた。だからビルワイマンやヤードバーズのポールサミュエルスミスの演奏を練習し、その演奏を卒業した後、リズム&ブルースを練習した。約一年の練習の後、最初のクリームのアルバムのジャックブルースのパートを演奏できるようになったよ。

 

 

 


             ギタープレイヤー 1987

 僕は(バックトゥエッジ)のアルバムでマッカートニーと一緒に演奏したんだ。とても素晴らしかった。僕はマッカートニーに言ったんだ。(僕はあなたから盗んだすべての演奏のロイヤルティーを払うべきかもしれません)って。すると彼は言った。(僕も君から盗んだよ。)そして、マッカートニーは彼のベースを持って僕らの(チェルシー)を演奏をした。

 

 

 




◎エルヴィスコステロと一緒にバンドをすることになった時にあなたは最高だって思いましたか?


 いいや。僕がバンドを始める時に興奮したのは一回きりだよ。僕が最初に始めた学生バンドで僕はポールロジャース(バッドカンパニー フリー クイーン)と一緒にやってたんだ。その時に僕は何て幸運なんだって思ったよ。だからエルヴィスがすごいヴォーカリストだなんて思わなかった。そして、僕がアトラクションに入るまでには10年のキャリアがあるんだよ。

 

ポールロジャース

https://ameblo.jp/kaikosumiiyoshi/entry-12285365997.html

 

 

 

 ブルースさん

 

 

 

 

 

 

 

 

エルヴィスコステロ  ホワイトハウスでのビートルズカヴァー

 

 

 

 

 

 

 

ポールと共演

 

 

 

 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=hA9FBea0DpU

 

https://www.youtube.com/watch?v=qle8iww2blw