石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと -40ページ目

石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと

日常で気になったことや、長い物書き志望歴で思ったことをランダムに綴ります。

「リケジョの頭の中をのぞけ」というテーマで、自分が文系女子とどう違うと思うか、をリケジョにアンケートするラジオ番組があった。

 

 以前も書いたが、私はリケジョである。いえ、正しくは、理系の学部を卒業だけした、理系と呼ぶにはおこがましいこと甚だしいエセリケジョである。

→「エセリケジョ」、「リケジョは物書きを目指せるか

 

 だけど時々、やっぱりどちらかと言えば理系脳なんだろうなあ、と思う。そのラジオ番組を聞いていても、著しく共感する意見があったのだ。

    その一つが、「同じことをいろんな言葉で何度も言われるのがまどろっこしい」というもの。

 

 そうなのだ。日本語とは、一つのことを様々な表現で言える素晴らしい言語。「私」という一人称ですら「ぼく」「俺」「それがし」「あたし」「うち」「自分」等の言い分けがある。

 おしなべてそんな風に言葉の種類が豊富なわけで、「彼女は綺麗、美しい、麗しい、華やか、見映えがする」とか、状況に応じて言い方を変えられるのだ。

 

文系には、そういうことを得意な方が多いのだろう。が、理系は「要は美人のことでしょ」とか「夏緒か」との一言ですんでしまうのである。

 

他にも、家に無駄なものを置きたくないとか、お金の使い道は計画的に考えるとかの意見があった。その辺は私、やっぱリケジョじゃない、と思ったけど。

 

そのラジオのパーソナリティの男性が、「リケジョというと理屈っぽくて怖そうという先入観があったけど、キッパリサバサバ格好いいイメージに変わった」と言っていた。私も、自分のことは別として、そう思う。

 

つまりは無駄が嫌いなんじゃないかな。単純明快、スッキリ飾りっ気ナシ、みたいなのを好むんじゃないかな。……私もリケジョに混ぜてもらえるのなら、その辺はわかる。

 

物書きを目指したい身としては、表現力、描写力が必要なわけで、様々な言い分けは出来た方がいい。でもいかんせん、やっぱりズバリわかりやすいのが好きなので、単純な表現になりやすい。気付くと「美しい」「美しかった」「美しすぎて」と、同じ言葉ばかりが重なっている。読み返すとそれはうるさい。言い換えができるよう語彙を増やさなくてはと思っている。

 

ただ、私の目標は「過不足なく」。読み手にわかってもらえる最小限の言葉、文章で表したいと思っている。……って、めちゃくちゃ難しくて、日々苦労してます。

 

(了)

 

 

  

 

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 このところ、伊賀市が忍者を公募して外国人の応募が殺到してるとか。嘘のようなホントの話がニュースになっている。公募は嘘だが、外国人に忍者好きが多いというのは、日本語教師の方などからもよく聞く。自分にはよくわからない感覚だけれども。

 

 自分の持っている忍者像とは、修行として麻の芽を飛び越える、というやつだ。芽は葉をつけ、少しずつ大きくなり、それを毎日飛び越えているうちに跳躍力が上がっていく、という。

 

 まあいつか麻の成長に、跳躍力の伸びがついていかなくなる。たぶん自分の場合、それはかなり早いうちにやってくる。いや、最初のうちは楽勝とか言って軽々飛んでいて、つまり跳躍力の伸びなど1ミリもないまま、そもそもの飛べる高さを越されたらおしまい。だからといって、楽勝と言ってる間も、うっかりひっかかってしまうくらい失敗ジャンプもある、という……修行する気あんのか、というレベル。

 

 とまあ、こんな忍者の修行の話を思い出したのは、自分、相手に合わせてしまうタイプだよなあ、と感じることが多いからである。この場合の「合わせる」というのは、相手の話に合わせるとか、空気に合わせるとか、そういう協調性と呼ばれる素晴らしい素質のことではない。勝負事、努力事についての情けなさのことである。

 

 例えばボウリング。一緒のレーンで投げた人が、そこそこいい成績だったとする。すると自分もそれに引きずられて、いつもよりいいスコアが出たりするのである。中学生の時水泳で、隣のレーンを泳いでいたなかなかに速い同級生についていっているうち、ナイスなタイムが出たことがある。かけっこについてもしかり。おお自分、すごくない? と、そういうときはとても達成感、満足感があった。

 

 ところがこの才能、勝負相手が調子を崩していたりした場合、それに引っ張られてダメダメになってしまう危険度も高い。ボウリングも相手が不調だと何か付き合っちゃって(いや、そうしようという意志はないのに)、ボロスコアの70点台という記録がある。水泳にしてもかけっこにしても、学校成績でもそうなのだ。

 

 つまり、忍者の麻の修行が実は自分には合っていたと思われる。ただし、芽からではなく、飛べると思う高さより少しだけ高いところから始めるのが正しかったのだと。常に自分より少し高い能力のものを追いかける。するとそれに引っ張られて能力がそこまで上がる。そういうことなのではないか?


    でも、少し高い能力? それを追うには自分の能力がどの辺かの見極めができなくてはならない。

 

 難しいんだよな、これ。イチローやショーヘイに定めても全くダンチなので意味があるはずもなく。草野球辺りだろうが、それならどのレベルだろ? となるわけで。


    今更でも成長したい分野があるなら、麻飛び修行のその前段階から見直してみるしかないな、と思う今日この頃である。

 

(了)

 

 

 

 

 

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 今年は既に2度、台風が近所をかすめた。幸い被害は殆どなく、通り過ぎてしまえば暑さが残るのみである。

 

それでもこの異常気象。台風も変なコースを辿ったり、めちゃくちゃ遅かったりするわけで、その破壊力ははかりしれない。天気予報でも事前の注意を呼びかけまくっていた。

 

天気予報に従順な我が家は、その度にベランダの植木鉢をどうしよう、と思い悩む。いや、植物好きとかガーデニングが趣味とかでは全然ない。むしろ逆。


自分、お祝いとか何かのお礼にいただいたお花を、ことごとく枯らしてしまった、ある種名人とも言える前科が多々あるのである。下さった方にはホント面目なくて、後に会った時もなるべくその話題に触れないよう気を付けていたくらいである。

 

毎日水やりはきちんとしていた。ベランダは日当たりも良く、たまに栄養剤などを加えたりもした。それでも愛がないのか、みんなしばらくするとくったりとなってしまうのだ。


そんなこんなで残っているのはわずか。ミニバラが半年に一度くらい、思い出したように一輪か二輪花をつける。もう一つ、観音竹がぐんぐんと葉っぱを増やしまくっているくらいである。

 

ただしこの観音竹、根っこも膨らみすぎて、鉢がはち切れた(ダジャレではない)。ある日、パカーンと3個に割れ、一辺6センチくらいの3角形のピースが2つ横に落ちていた。そんな欠けた鉢のまま、既に2年くらいは経過しているかと……。植物好きな方が聞いたら卒倒するくらいの暴挙かも知れんです……。

 

というわけで、取り敢えずちゃんと生きているのがその2鉢だけなのである。でも鉢は9個もある……つまり残り7つは枯れ草&雑草若しくは土のみという、どーでもいい物体と化している。

 

しかし。台風が来るとなると、やはりこいつら全員ベランダに放置しとくわけには行くまい。灼熱地獄の中、結構重さもあるその9つを部屋の一角を空けて粛々と取り込む。台風の最中は洗濯の内干しも加わって、家の中狭いわ歩きにくいわ。

 

いい加減捨てなさい。自分で自分に怒りがこみ上げる。いやいや、7つは鉢は壊れていないのでもったいないから。雑草摘み取って何か別の種を植えればいいから。そう引っ張って早数年である。

 

結局、いつかいつかと言ってるだけで不要物なまま。けれど捨てるに踏み切れない。

 

ならば台風に備えて部屋に入れたりする必要あるのか? あるのである。彼らが風に乗ってベランダ側のガラスから突っ込んだ場合、激しい損傷が予想される。そのくらい重みのある良い鉢なのだ。一体どれだけバチあたりなんだか……(くどいようだがダジャレではない)。

 

涼しくなったらちゃんと植え替えてお花を咲かせる。それがこの秋の大きな目標です。

 

(了)

 

 

 

 

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 どこかのラジオで、「中国語の勉強してますか」とのアンケートを取るという企画があった。


    観光や在日の中国の方が多い昨今。好きな中国人同僚としゃべりたいとか、行きつけのコンビニでいつも喧嘩している中国人夫婦の言い合いの内容が知りたい、とか、中国語ならわからないだろうとこちらを侮って愚痴る内容がわかっちゃうとか、アンケートの答えは様々で面白かった。時代だなあと思う。


    大学の時、必修で第二外国語があり、フランス語、ドイツ語、中国語のどれかからの選択だった。自分はドイツ語を取ったが、あのとき中国語を取っていたら、今の時代に少しは役に立てる位置にいられたかも、と思ったりした。
    しかしそれは一瞬。何を選択しようが同じだったろう、と思い直した。
    なぜなら、ドイツ語、全く身になっていない。どころかほとんどきれいさっぱり忘れている。語学は好きな方だったのだが、このときは嫌いだった。

    何せ面倒なのである。文法は英語と似ているからいいとして、何故に名詞に性別があるのか。しかもそれに応じて定冠詞が変わる。加えてまさかの、動詞も場合によって変化する、という暴挙。一体辞書でどういう綴りを引いたらいいのかわからんちん。

    無理。

    友達に手伝ってもらってどうにか単位は取ったものの、センスゼロだったのだと思う。

    でるですでむでん。定冠詞の変化を暗記した、それだけは今も念仏のように覚えている。
    文章で記憶に残っているのはたった一文。イッヒリーベディッヒ。=アイラブユーである。もちろん使ったことは一度たりともない。

    だからあのとき中国語を取っていたとしても、今何の足しにもなっていないと断言できる。もしも何か国際的に役に立ちたいならば、そう思ったときに一から勉強し直すしかないのだ。どの言語にしても。

    高い学費を払ってくれていた親に、今更ながら申し訳なく思う。今なら何か勉強を始めようとすれば自腹になる。元を取らねば、と超必死になる。

    しかしいかんせん記憶力や集中力、柔軟性などが当時と雲泥の差、半減どころか誤差分くらいしか残ってないのでは、というほど目減りしている。

    吸収力が今の何倍もあったあの時期に今の貧乏性が発揮できていたら。今の半分でも必死になれていたら。と、残念に思う。

    人生って、何かと何かの絶好調期は重ならないものなのね……。粛々とその時々に出来ることをやるしかないんだな。

(了)

 

 

 

 

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 暑い。

暑すぎる。

酷使に耐えられなかったのか、エアコンが突然沈黙、大慌てで対応しているところです。

 

大人になってよく思うのが、歳取って体力が落ちたから暑く感じるのか、それとも子供の頃に比べ、本当に気候自体が暑くなってるのか、ということ。

 

確かに体力も耐性もなくなって、ちょっと暑くなると×、ちょっと寒くなると×な近年である。

 

子供の頃はこんなにも毎日暑い暑い言っていなかったと思う。体力あったし遊びとか何かに夢中になると寒暖を感じない集中力があったんだろう。

 

と、最近の耐えられない暑さを歳のせいにすることもあるが、やはり気候自体が×なのだ。

今年の異常と断言できる危険宣言。気温が39なんて、生まれて初めて味わった。もう不快を通り越して脱帽である。

 

エアコンは好きじゃないので毎年緩めに、夜は切りタイマーで節電も兼ねていた。が、今年はそんなの、有無を言わさず無視である(たぶんだから壊れた)。電気代が楽しみだわ……

 

必要最低限のマスト事項しかやらない。この季節のモットーであるが、今年は必要なこともなるべくしない。

洗濯だけはいつもの倍以上に膨れ上がるので、その分掃除炊事は出来る限り省略、不要不急でない外出は極力キャンセル、日のあるうちは外に出ない。……としたいが、なかなかそうもいかない。

 

どうしても出るときは、絶対に走らなくてすむよう時間に超余裕を見る。おかげでやたらにどこでも早く着きすぎる。到着地に冷房がない場合、最悪である。


荷物も多いし。脱水予防のための500ミリペットボトル、太陽とゲリラ豪雨に備えた晴雨兼用傘、過冷房よけの羽織り物、なるたけ外に出たくないがためのお弁当……重くて余計に汗が出るんだわ。

 

涼しいときは何のストレスもかからなかった徒歩10分ほどで大汗。洗濯干す作業だけでも大汗。ゴミ出しだけでも大汗。

 こういった日常の作業が、いかにそこそこの熱量を発する結構な運動であるかを痛感する今日この頃。

 

こんな東京で、ホントに2年後オリンピックをやるんだろうか。高々朝30分ほどの繰り上げとかでどうにかなるとはとても思えない。自分は朝から晩までぐったりしたまんまであるからして。

 

とにかく、必死でこの季節をやり過ごす。そんな1~2カ月は毎年廃人のように全く役立たずな自分です。

 

(了)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 まだ漫画というものが、子供に悪影響だと言われていた頃。うちの両親は特に禁止もせず、好きに読ませてくれていた。

 

 本も読んだが、漫画の方が圧倒的に多い。忌み嫌っていた当時の大人の方に言いたい。漫画って、とっても勉強になる。

歴史とか理科などの勉強の解説のために描かれた漫画も最近多いが、そういうのではなく、純粋にストーリー漫画の話である。

 

まず、言葉。自分の場合、学校で習わなかったのにいつのまにか知っている言葉は、大抵漫画から来ている。

 

「ハコ」=少年院、「マッポ」=警察(巡査)、「銀しゃり」=米、などの隠語は中学の時にハマった「スケバン刑事」で覚えた――知らなくていいっちゃー知らなくてもいいとゆーレベルかも知れないが。

    でも「お目付け役」「世のしがらみ」とかも、実はこの漫画で覚えた。たぶん誰でも普通に使うこういう常識的な言葉も、もしこの漫画を読んでいなかったら今でも知らないままだったかもしれない。

 

「ブラック・ジャック」も自分にとってはバイブルだ。メス、鉗子、ドレーン、人工心肺等々の道具類から、気胸、嚢腫、水頭症、腹膜炎、無頭児などの病名も小学生で記憶してしまった。まあこのくらいは今医療ドラマ全盛なので、ドラマ好きなら普通に入っているものなのかもしれないが。

 

ギャグマンガの「うる星やつら」にしても、表面張力とかインプリンティングとか、教室で習ったときにはすぐに忘れてしまった言葉が笑いに昇華されている場面があり、ここでしっかりインプットされた。

 

 言葉以外にも、社会問題を知れるという利点がある。自分、恥ずかしながら新聞はあまり読まない方だった。身の回りのことだけで精一杯で、他の世界、例えば外国のこととか政治とか教育とか、触ったことのないスポーツとか。身近でないものには興味も意欲も湧く余裕がなかった。

 

 けれど、漫画にはそういう背景が色濃く出ているものがある。

ベルばら」のフランス革命は言うまでもないし、先の「ブラック・ジャック」でも公害やら細菌兵器やら水爆実験やらの被害者の叫びを描いている部分がある。ブラックジャック自身、不発弾でああいう見てくれになった。

    また、「ワン・モア・ジャンプ」というスケート漫画では、チェルノブイリで被爆した天才少女が倒れる衝撃的な場面もあった。


    他にもまだまだたくさん挙げたい漫画はあるのだが。

 とにかくこれらがすごいのは、ストーリーに惹きつけられて読み進むうちに、自然とそうした背景も頭に入るところである。

 

 子供の頃は、入口が小難しそうだとそこでほっぽり出す。下手をすると食わず嫌いで一生近寄らないなんてことにもなりかねない。良質な漫画は、そういうところをするりとくぐらせてくれる素晴らしいツールだと思う。

……漫画ばかり読んでいた子供時代を言い訳しています。

 

(了)

 

 

 

 

 

 

 

 

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 物語を書きたい、という思いは子供の頃から持っていた。だから、書いている途中に邪魔が入るのが不満で、早く「書くだけ」の生活を送りたいなあと願っていたものだった。

 

 それはちょっと違うのかも、と思ったのは、コミック原作のコンクールに入賞後、しばらくの間持ち込みをしていた頃。

 

 それまで掛け持ちしていたバイトを全て辞めた。原作の仕事で頑張るんだ、と浮き浮きしていた。朝から晩までそのことだけに時間を費やせる幸せ。書くことに邪魔が入らない幸せ。

 

 ところがである。

    詰まったり進まなかったりすると他にやることがない。家以外に行く場所もない。せいぜい買い物か、本屋をグルグルするくらいである。

    メールもあまり発達していない時代で、しゃべる相手もろくにいない。そんな狭い世界で生きていると、ネタに詰まるのに時間もかからない。


    どっか遠出して気分転換とかネタ拾いとか、と思っても、バイト代も入らなければ原作収入は出来高制。浪費は大敵。

    人に会っても身分をどう紹介していいのかわからないので、外に出るのも億劫になる……。

 

 一行も書けない日々が日常化してくる。あまりにもヒマ過ぎて、結局はまたバイトを探した。その頃にはいい年齢になっていてかなり苦労した。こちらが大した仕事でもないのに、と思っていても返事すらもらえない買い手市場。

    あまりに断られ続け、就活での若い子の悲観がよくわかってしまった。そういう気持ちならリアルに物語にできる、と思ったくらい。

 

 これなんだろうな。

    直接書いてはいなくても、こういう世の中の感覚を生で知ることが、書くことに生きる。一日中家に引きこもってパソコンに向き合うだけが創作ではないのだ、と今更気付かされた。

 

 で、ようやくバイトが決まると、書く時間がなくなる、という悩みに戻る。乗りに乗って、あと丸一日あればエンドマークまで辿り着きそうなのに、というところで、バイト先の繁忙期がやってきたりするのだ。

 

 けれど、書くだけに専念しようと全ての仕事を辞めてしまった頃に比べ、気持ちが安定して、書く作業も進む。たぶん、定収入のある安心感と、書けない時間があることによる効率化? が、両輪で走るのだと思う。


    食い詰めるくらいな方が必死になってモノになったろう、という意見もある。それも正しいと思う。が、自分の場合はそうじゃなかった

 

 2年程前に、ちょっとしたブックレビューを書かせてもらったことがある。「おばちゃん街道」というエッセイ集についてのものだった。

    著者の山口恵以子さんは、「物語を作りたい」という夢を長年追い続け、ついには松本清張賞を取られた作家さん。

    山口さんは「食堂のおばちゃん」をやりながら書いてきた。その肩書きこそポイント。「恒産なき者は恒心なし」と受賞の言葉でおっしゃっている――安定した仕事があってこそ精神が安定するという意味。それがそのときストンと自分の腑に落ちた。

 

 創作とは言ってもその世界に出てくるのは普通の人達なわけで。だから人と自然とふれあう「仕事」というつながりを断ってしまっては、書けなくなるのは当たり前だったんだなあ、と最近思うのである。


(了)

 

  

 

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 「カーネーション」の再々放送にハマっている。


 本放送は2011年後半、そのときもその後の再放送も今回も、毎回正座(!)に近い状態で視聴。


 主人公糸子の、ミシンに対する思い、洋服への思いに心打たれる。元来のブルドーザー的な押しの強さでどんどん道を拓いていく小気味よさ。スカーレット・オハラよろしく家族を支える逞しさ。


    それだけでも見応えがあるのだが、家族や周りの人達一人一人もとても素敵で、誰とのエピソードでも「それでどうなるの?」と乗り出す展開。毎回実に短く思える15分なのだ。


 本放送、再放送、そして今回3度目視聴だというのに、結構忘れていて、いちいち新鮮に驚いたり感心したり。覚えていても、もう一度確認して嬉しくなる。良作とはそういうものだろうと思う。


 自分も物を書くからには、そんな風に、オチがわかっていても何度でも見たくなるような話を目指したい……。


    とにかくこの「カーネーション」、ストーリーの面白さはもちろんだが、セリフといい、話の運び方といい、キャラ設定といい、もうお手本だらけの秀作なのである。


 先日見た回では、キャラクターとセリフについてとても勉強になるなあというシーンがあったので、メモです、メモ。


 戦争が終わり、糸子の洋裁店経営が新展開を迎える。繊維商店会という経営者達の集会を紹介され会合に出かけるのだが、紅一点ということでバカにして酒を飲ませにかかってきた輩がいた。糸子は負けん気全開で受け、結局酔いつぶれて、誰かにおぶわれて帰宅する。


 その前に、会合で隣に座った周防さんという人と話すシーンがある。彼は長崎出身で訛りが強く、糸子は何を言われたのかサッパリわからず、何度も首を傾げたり聞き返したり。周防さんはいちいち親切にゆっくり一生懸命言い直してくれる。

    この1,2分の会話だけで、周防さんの出身、経歴、人柄が視聴者にくっきり伝わる。


 で、酔い潰れた翌朝、自宅で目を覚ました糸子は、誰に送られてきたのか覚えていない。お母さんに聞くと「男の人。とても親切に一生懸命説明してくれたけど、何言っているかよくわからなかったわ」との答え。


 これですよ、これ!


 シナリオを書く際、必ず言われるのが、「説明ゼリフはダメ」。この回は、周防さんが初登場だっただけに、説明しなくてはならないことがたくさんある。

    周防さんが一人語りで「僕は長崎出身で家族はこうで経歴はこう、今はこういう仕事をしていて」と説明してしまってはベタ。でも、長崎弁を糸子が聞き返すというやりとりで、全く説明ゼリフにならずに進む。


    更に「誰が送ってくれたの?」と聞いて「周防さんて人」では説明ゼリフ。「『親切』で『一生懸命』でしかも『何言っているかわからない』人」。これで全視聴者が「周防さんだ!」と叫ぶ。そして糸子をおぶった男の顔がアップになる回想が映る。


ああ、すごいな。こういうシナリオを書きたいな。と思う。でもそれ以前に純粋に面白くて面白くて、一視聴者としてのめり込んでいる。


 ちなみに、周防さんを演じているのは綾野剛さん。この役で女性のハートをわしづかみ、大ブレイクしたのはご存じのとおり。

    それまでの自分の印象は、異常者とか異星人とか不気味なクセのある俳優さんだったのだが、こんな風な優しげな包容力のある役がハマるとは意外だった。


    で、もはや自分ももれなく周防さんを見たいクチ。明日も出番を楽しみに、また正座視聴します。


(了)

  

 

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 先日、小田和正コンサートに行ってきた。

 

震えた。泣けた。

 

 自分はそれほど熱烈なファンというわけではなかったのだが、その楽曲は物心ついた頃から当たり前にその辺を流れていて、大半が耳に馴染んでいる。

 

 中学の学園祭には生徒のバンドがオフコースをコピーしていたし、ファンだった友達からダビングテープももらった。その後もハマッたドラマの主題歌だったり、逆に主題歌が聴きたくて内容はイマイチなドラマを見続けたり。

 現在も人気ドラマにCMにと、やっぱり当たり前に隣にある。40年以上もずっと最前線。すごいことだと思う。

 

 コンサートに行くにあたって、その歌詞をおさらいした。いつもそこに普通にありすぎて、実はそのストーリー性を実感していなかったことに気付く。あの切ないメロディと澄んだ歌声だけで、もう浸ってしまえていたというか。

 

 歌詞、切ない。

 男側からの、彼女とのすれ違いとか別れとか、その気持ちに対する戸惑いとか。いや、今更何言ってんの、と同世代やファンの方々に怒られそう。だけど自分の揺さぶられポイントは、メロディ→歌声→歌詞、という順番で来るので……って、2番目と3番目の間、何十年開いてんだか。

 

 今、ちょっといろいろズレてしまう人間関係のストーリーを考えていて、それがまとまりきらず、中途半端なモヤモヤを抱えてこのコンサートに行った。

 そしたら、……え。

 これです、これ!  このすれ違い感、ズレてく感。こういう感じの話にしたいの! どれもこれもテーマ曲にしていいですかっ!?

 

 と、欠けていたピースがはまった感じがしたのである。さ、さすが長年ドラマ主題歌のヒットを飛ばし続けてきたアーティストである。こんな風に後押しされるとは思わなかった。

 ビバ! 小田さん!

 

 今年71歳になられる。とてもとても信じられない。だって、コンサートは18:30開始でアンコールまで終わったのが21:30頃。その間、1回10分程の休憩を挟んだだけで、歌いっぱなし、走りっぱなし。手を伸ばせば届くくらいの自分の近くも駆け抜けてくれた。なのに歌声が上ずることも息が上がることもなく。

 

 ……どういうトレーニングをするとこんな体力を手に入れられるのだろう。

    合間に小田さんとツアー先の地元の方とのふれあいの映像が流れ、足下が映った。生ふくらはぎが若すぎる。ちらちらと入れてくる雑談も全然オジサン臭くなく、温かく笑わせてくれる。その語り方も表情も、いたずらっ子みたいで、本当に魔性の男子。

 

 その世界にどっぷりつかった3時間であり、自分もまだまだやれる、と前向きになれた一時でもあった。

 繰り返します。ビバ! 小田さん!

 

(了)

 

 

 

 

 

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  昔々のその昔……会社のデスクというのは、物を書くために存在していた。10個くらいずつが「島」と呼ばれる塊になっていて、電話は誰でも取れるよう個々のデスクの境目に置かれていた。稟議書だの議事録だの業務日誌だのを書くのに、ファイルやマニュアル等をどれだけ広げてもまだまだ広々と使えたものだった。

 

やがてパソコンなる物が登場し、けれど最初はフロアの端っこに「パソコンコーナー」として集められていた。当時はデスクトップ型で、重くてでかくて動かせず、だから使う時はデスクを離れて作業するという形。

 

それが、ラップトップ型が出ると、電話と同じように数人に1台の割り当てでデスクの島に置かれるようになる。当然、それは書類作業の邪魔になるわけで、それぞれが自分のデスク上からじりじりと押し出し、隣や前と押しつけ合いっこになったりした――小学生かっ。

 

やがて、1人1台のノートパソコンが与えられ、作業は全てその中に移行。データも業務連絡もちょっとしたメモ書きも。

 

けれど、やっぱり書類がなくなるわけでなかった。稟議書や業務日誌をメールなどでやりとりするとしても、それを作るための根拠資料や下書きは普通に紙だった。データ入力だって、アンケートとか請求書とかの書類の束を見ながらやるものである。とすると、その作業時、書類とパソコンをどう配置するのか。

 

未だに自分、「正しいパソコンの置き方」がわからない。パソコンの手前に書類を置くと、キーボードを打つとき邪魔である。右側はマウスがあるのでやはり邪魔。とすると左しかない。

けれど、テンキーを死ぬほど使う身としては、マウスをクリックしてテンキーに手を移して、というのが面倒で、左側にテンキーを外付けしている。とすると左に書類というのも邪魔なのだ……。

 

また、書類の位置をどうにか妥協したとしても、一枚、また一枚と終わった分をどこに置く? 下に重ねていけばいいじゃん、という話だが、それも大量になるとかったるい。

 

たまに紙に何かを書く作業をするとして、そのときにはパソコン自体がとてつもなく邪魔なのだ。使わないので蓋を閉めても、場所だけは1/4を優に取る。そのせいでデスクからはみ出した紙の部分に走らせたボールペンがブスッと突き抜ける。あ~もう鬱陶しい!

 

なんて思っているのは自分だけなのだろうか。この悩み、勤め先だけでなく家でも同じ。もちろん様々な便利遣いはしているのでパソコン無しの生活なんて考えられないのだが、そんな大事な相棒のくせして、未だにデスク上の配置に困る。

 

上の方に棚があるといいなあ……使わない時はそこにパソコン乗っけちゃって、デスク広々使いたいなあ、と日々夢に見る。


……ま、デスクが狭いのはパソコンのせいだけでなく、小物とか本立てとかあれもこれもがデッドスペースを作っているせい。だからきっとその素敵な棚、実現したとしても、いずれ物置と化す。いざというときにパソコン乗っけることはできなくなっているような予感は、充分にある。

 

(了)

 

 

 

 

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