石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと -40ページ目

石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと

日常で気になったことや、長い物書き志望歴で思ったことをランダムに綴ります。

「そして彼女はえんぜんと微笑んだ」

 

 昔読んだマンガの一コマにあったセリフである。その「彼女」が中学生という設定と、絵がとても可愛かったせいもあり、「えんぜんと」(たぶん平仮名だった)というのがどういう意味なのか、ピンと来なかった。

 

それが、うん十年の長い歳月を経て、つい先月。ガツンときたのである。「これだ!」と一瞬で納得した。

 

宝塚の、男役トップスターさんの笑み。もう、ビックリするほどそれ。妖しくて魅力的で目をそらせない強烈な力を持った微笑み。それこそが「えんぜんと」じゃないかと思った。

 

婉然と=女性がしとやかで美しい様

艶然と=美しい女性が色っぽくにっこり笑っている様

(コトバンクより)

 

たぶん、私が読んだマンガは前者で、宝塚に感じたのは後者。微妙に違うが、今や私にとって「えんぜん」はもう「艶然」にしか思えない。

 

生まれて初めて宝塚の舞台を生で観たのである。華やかな美しさに目を奪われた。音楽や歌の迫力と心地よさに引きずられた。リズミカルなダンスに心が踊った。特に、ショーでの男役さん達群舞はキレッキレで壮観で、泣きそうになるほど気持ちを揺さぶられた。

 

こんな世界があったんだ……。知ってはいたけど知らなかった。頭では認識していたけれど実感はしていなかった。これが、宝塚。

 

そもそも、天海祐希さんとか真矢ミキさんくらいしか知らなかった宝塚ド素人の私。もう、誘ってくれた知人に大感謝である。

 

アラフィフにもなると、モヤモヤすることの多い、というより、毎日の殆どがモヤモヤ、ストレス。それなりに発散法は持っていたつもりだった。


でも、私の発散法と言えば、晩酌。飲み会。プロ野球観戦。げ。オヤジじゃないかっ! どうも最近、殺伐としてると思ってたんだよ……。

 

足りなかったのは、美しさとかキラキラ感とか、……つまり女子っぽいもの。ああ、いつのまになくしてしまったんだろう。いや、元々あんまりなかったのか……(汗)。

 

きらびやかでゴージャスな衣装。凝った舞台セット。美しいジェンヌさん達。そういうものを見るだけでこんなにも心が洗われると初めて知った。そして美しい男役さんがジェントルな所作でエスコートし、すさまじい目力を持って決めゼリフ。

白旗。ノックアウトです。

 

全く前提知識なく観劇した初心者だったがそうなった。その後、他の演目のDVDを手当たり次第見まくっているうちに……うわあ、どうしても目を引かれるジェンヌさんがいた! 


彼女が踊って歌って愛に破れるたびに撃ち抜かれてしまう私。もう彼女しか見えません!

これが「ご贔屓さん」と呼ばれる「推し」というものかあ……。

 

この話、長くなりそうなので、また別の回に続きます。(了)

 

 

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少し間が空いたけど、海外旅行に出かけた際の準備編、おもてなし編から、食べ物編としてパート3につなげてみる。
 
旅行慣れしてる方や物知りな方なら常識だろうが、海外の食べ物屋さんで出てくる量は半端ではない。

私も何度か遭遇したはずなのだが、何せ海外旅行の機会はそうそうないので、何年かぶりに出かけるときには忘れている。そして失敗を繰り返す。
 
以前特大ステーキを頼んだ上に前菜と主食とサラダを人数分。3割ほど食べたところで首までステーキ状態。意地汚くもう少しあとちょっとだけ、と頑張ったのだが、半分以上残すはめに。そのあと観光するはずが、寝込んで起き上がれなくなった。
 
トマトサラダを頼んだら、本当にトマトのスライスだけが山盛り来たのにビックリしたこともあった。間違いじゃないけど、トマト多め、でもキュウリやレタスも当然添えられている日本仕様しか頭になかった。
 
また、ケーキなどのスイーツが甘い。甘過ぎてデカ過ぎる。スイーツ食べたいけどあまり甘くないやつ、ってみんな思ってないですかね? 日本では。

海外の方に言わせると、甘いものを頼むのに甘さ控えめってワケわかんない、とのことである。甘いのを食べたいのだから、ガッツリ甘くなくてはならないとな。
なるほど……とは思いますが。
 
今回の海外旅行は、機内食含め、ほとんど食事つきだった。だから頼むときの失敗はなかった、と言えるかというと、そうでもない。
 
そのついていたお食事自体が大量だったのである。仔牛のカツレツとかマスの焼き魚とかめちゃくちゃ美味しいのに……とても食べきれる量じゃなかった。10センチ×10センチくらいの揚げ物2枚ドーン、その下にジャガイモ3個分くらいのマッシュポテトがバーン。豊富な種類のパンおかわり自由。サラダ山盛り。そんなのに三度三度キッチリ大型ケーキがつく(もちろんコッテリ甘いやつ)。

もったいないと思うから必死で食べたが、……やはり半分くらいずつ残す結果に。何回か目には、またケーキつくの? と、同じツアーの方達とウンザリ顔を見合わせてしまったくらいで。
 
おかげで胃が大きくなった。旅行のおしまいの方には7割くらいはたいらげられるようになった。
 
って、まずいよね、体重的には。帰ってヘルスメーターに乗るのがドキドキものだった。
 
ところが。
 
そんな大量な食事とデザートと、おまけにお酒三昧。常にお腹いっぱい状態。なのに驚くべきことに、体重は増えていなかったのである。えええー、嘘でしょ、とヘルスメーターを二度見三度見。

胃袋は確かに大きくなった。けど、旅行というものは歩く。そういえば毎日くたくたになるまで歩いた。スマホの歩数計で確認すると、1日平均2万5千歩ほど歩いていた。

ダイエットの極意、つかんだり! と、小躍りした。帰った直後から毎日そのくらい歩けばよい、と決意。

しかし……、あれから1ヶ月以上が経つ。なのに1日足りともその決意が実行されることはなかった。

自分のあまりの怠け癖に、一番のオドロキを感じたのであった。

(了)

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 2017年の直木賞受賞作、恩田陸さんの「蜜蜂と遠雷」を、今更ながらようやく読んだ。

 

 これは本屋大賞とダブル受賞の話題作。自分はこの作家さんのファン歴は長く、「六番目の小夜子」や「不安な童話」「夜のピクニック」などをよく読み返していたにも関わらず、完全に出遅れた……。

 

起こる出来事や事件はそんなにおどろおどろしているわけではないのだが、どこかしらいつも不穏。不気味な何かが後ろにある。それが知りたくてページをめくる手が止まらない。自分はこの作家さんをそんな風に感じていた。

 

今回の「蜜蜂と遠雷」は、そんな今までの印象とちょっと違った。

最初から最後まで一つのピアノコンクールの話である。1142枚という大長編にもかかわらず、それだけである。なのにやっぱりページを繰る手が止まらない。


これはすごいことだと思う。そもそも小説は音を出せない。読者にその感動を直接伝えることができない。だから、その曲をどういう風に弾いたのか、どんな音だったのか、それぞれの参加者の奏でる音にどんな違いがあるのか。すべて書き手の表現力にかかっているのだ。

 

そのピアノコンクール審査に残るのは、違った種類の天才達。その描き分けがものすごい。この子はこうで、こっちの人はこんな感じ。その中で読み手の自分はこの人を推したい、とか思えてしまう。その描写力にため息が出てしまうほど。

 

以前、自分がマンガ原作に関わっていた時に担当さんに言われたことがある。音楽は扱うことができないと。

え、何で? と思った。


自分の好きなマンガに赤石路代さんの「あるとのあ」というのがあって、これもピアノやバイオリンが主軸の音楽もの。そういうマンガが存在するのに、なぜ「できない」とダメ出しされてしまうのか。納得できなかったのである。

 

でも今思えば、それがどれだけ無謀なことだったのかがわかる。


「あるとのあ」は、音を、森林や草原などの素晴らしい風景を描くことで表現している。音の深さや透明さを目に訴えているのだ。そういうのを漫画家さんに描いてもらえるような原作を書くには、とてつもない力量が必要なのだと思われる。

 

マンガ原作とはまた違うけれど、「蜜蜂と遠雷」はそれをやってのけている。絵で訴えるということすらできない小説。文章で、言葉だけで、それこそ森林や草原を喚起させ、そこからその音楽を読み手に想像させる。こちらにそのイメージががんがん伝わってくる。……と自分は思った。(クラシックにあまり詳しくないので、この辺は通な人に言わせたら違うのかもしれないが)

 

そんな風に「音を書く」ことができるか否か。自分も物書きを目指すなら、挑戦していきたいことの一つだと思った。

 

(了)

 

 

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木曜日、イチローの最後の試合と引退会見を見た。


 昔は尖っていたけれど、最近は態度も言葉も優しくなったように思う。勝負師としては、だから幕引きになったのかもしれない。
 
 ただ、これだけ長い年月の間、人を惹き付けるプレーヤーであり続けたことは、尊敬と憧れはもちろん、同じ日本人として(同じなのはそれだけだが……)誇りに思う。
 
 イチローの長きにわたる活躍はアイコンとして使えると思っている。つまり、何年もに渡る物語を書いたとき、イチローの存在はそれだけで時代背景になるのである。
 
 振り子打法を引っ提げてオリックスで日本一になったことを描写すれば1996年、WBCで不振のため胃潰瘍になってああイチローも人間だったと安心すれば2009年、メジャーで通算最多安打を打ち立てたスタンディングオベーションシーンがあれば2016年。
 20世紀、21世紀、親世代が若かった頃、現代、等々、時代の匂いを書き分けることができるのである。

 実際、日本で首位打者を取ったこと(1994~2000)、メジャーで50歳まで続けると宣言した(2015くらい?)ことを使い、母と息子の二世代物語を書いたことがある。

 それだけ多くの、誰もが「これはあの頃だ」とわかる名シーンを、長期間ずっと生み出し続けてくれていた。

 プレーだけでなく、発言も響くものがたくさんある。

 昔からこの人の会見のたびにずっと感じていた。彼なりの言葉を探し、思っていることをひとつひとつ誤解なく伝えようとしている、ということ。その中に、励まされ、もう少し頑張ってみようと思わせてくれる言葉がどれほどあったことか。

 

 木曜日の会見も、いつものように考え考え話していた。スポーツのジャンルに分類されるイチローが、これだけ「自分の言葉」にこだわっている。なのに、言葉を扱う物書きを目指す私が、それを探して見つけないでどうする。ありきたりに「お疲れ様」とか「ありがとう」とかですませてはいけない。イチローのプレーに、野球への姿勢に、その功績に、その発言や努力やスター性に、どれだけ敬意を持っているかは、より言葉を選んで、自分の切り口で語らなくてはいけない。たとえこの文章をイチローが読むことはないとしても。そう思う。


 その会見で一番沁みた言葉。
「人より頑張ったとはとても言えないが、自分なりに頑張ったとは言えます」。

 アラフィフにもなると、どうしても思い通りの結果が出なかったことも多い。手が届いても詰めが甘かったり、無知でチャンスをふいにしたこともあった。

 人より厳しさが不足していたのかもしれない。努力が足りなかったかもしれない。でも、あれ以上は私にはできなかった。私にはあそこまでが精一杯だった。だからやっぱりもうあきらめるしかないのかな、と何度も思った。

 でも、イチローのその言葉は、ああ私はそれでよかったんだ、とストンと思わせてくれた。まだあきらめなくてもいいんだ、とも。努力も目指すものもレベルが違うことは、重々承知の上である。

 この言葉、座右の銘として、心に刻みます。
 そして、これからのイチローも楽しみにしたいと思います。
 
(了)
 
 

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 プロ野球の日本人選手のうち、4~6月生まれは1~3月生まれの2.5倍もいる。早生まれの選手は非常に少ないというデータである(2009年プロ野球年鑑より)。

 

これは10年ほど前に、プロ野球を題材に書いた物語の出だしである。

 

簡単な理屈なのだが、子供のうちは同学年でも4月生まれと翌年3月生まれではずいぶんと体格に差が出てしまう。だから野球にしても他のスポーツなり勉強なり、早生まれはどうしても劣等生になる。


レギュラーは上手い子がなるもの。つまり早生まれでない子が選ばれることが多くなる。レギュラーは試合にたくさん出るわけで、そういった実践経験を積むことで更に上手くなり、元々差があった早生まれとはどんどん開いていく……そういうことである。

 

もちろん、元ジャイアンツの桑田真澄さんみたいな方もいる。4月1日という早生まれのどん尻でありながら、あの現役時代の活躍である。だから早生まれの全員が全員、埋もれてしまうわけではない。が、不利なことは確かだと思う。

 

自分も早生まれである。もうすぐ誕生日である。もはや数えるのも面倒な年齢になり、何歳になるのか思い出せん。とか平然と言うほど今は面の皮が厚くなった。けれど幼少の頃は早生まれのおかげでずいぶんと泣き虫だった。

 

何をやってもクラスの誰よりできない。できないからやりたくない。やりたくないからずっとグズグズ泣いていて、やらずにすませてしまう(思い返してみると、早生まれにかこつけてズルしてたんじゃないかって気もしてきた)。

 

でも、忘れられないことがある。


小学校1年だか2年のときだったか。担任の先生がずいぶんと根気よく付き合ってくれて、いつもいつも励ましてくれた。


で、図工で何かの絵を描きましょう、といった時間だった。案の定、ぐずぐずとなかなか描き出さなかった自分だが、ちょっと気が向いて画用紙に広く大きく描き始めた。絵の具を淡く塗ったひまわりの絵は、自分でもちょっと気に入った出来映えになった。そうしたらその先生、「○ちゃん、素晴らしいわ。すごく素敵な絵が描けたわね!」と、文言はうろ覚えだが、みんなの前で手放しで褒めてくれたのである。


自分はまた泣いていた。生まれて初めての嬉し泣きだった。

 

それからだったと思う。何をするにもずっと楽に始められるようになった。泣かなくなった。その先生が「自信」の元のようなものをくれたのだ。

 

まあ何にせよ、子供の頃はそんな感じで四苦八苦する早生まれ。でも、20代から30代くらいかなあ。早生まれの方がいつも同学年の中で少し若いので、うらやましがられるようになった。メリットといえばメリットである。


が、もう少し年齢が進むと、1年未満の違いなんぞあってなきが如し。誰かと何かの差があるとすれば、それまでの努力や経験に裏打ちされた人徳とか懐の深さとかだろう。


早生まれだからこそ、負けるもんかと踏ん張った方も多いと聞く。自分にそんな根性はなかったが、気持ちはわかる。


早生まれ、頑張れ!

 

(了)

 

 

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 先週、ヨーロッパ方面に旅行に出た際のオドロキを書いた。書き切れなかったオドロキを続けてみる。

 

街を歩いてバスに乗ろうとした。旅先で必ずやってみたいことの一つである。

ガイドブックを見ると、乗る前にバス停で切符を買う、となっている。が、切符を買う機械がどこにも見当たらず、ウロウロ。すると、近くにいたお兄ちゃんが「Ticket? Touch this」と教えてくれた。何と、広告板に見えた設置物が、タッチすると広告から切符売りに切り替わるのだった。お兄ちゃんは「How many? Two?」とさっさかリードしてくれ、無事買って乗車することができた(英語はテキトーな再現です)。

 

彼はこちらが「Thank you」と言うのも待たずいなくなった。着崩した服や髪型がお洒落で、でも日本だったら学校で問題児に分類されそうなタイプに見えた。それが、ごはんを食べる前にはいただきますを言う、くらいのごく当たり前な感じで手助けをしてくれたのである。

 

また、トラムに乗ったときのこと。降りる駅が近付いてブザーを押した。すると、運転手さんがマイクで何かがなり立てた。途端、乗客みんなの視線が一斉にこちらに向いた。

何? 何かやらかした? 焦ってもマイクの声は何語かも不明でサッパリわからん。そしたらすぐ横にいたお婆さんが何やら運転手に言い返し、さらりと降りていった。それでどうにか収束。

 

一体何だったんだ? と、よく見ると、押した赤いブザーには「emergency」(たぶん旅行客を意識して英語)と書いてある。えっ、非常ボタンてこと? 更によくよく見ると、それよりずっと押しやすい位置に緑色のブザーがある。……あれ、こっちを押すんだったの? 

 

想像であるが、「何かあったのか? 具合でも悪いのか? 緊急ブザーを押したのは誰だ!?」みたいなことを運転手が言い、こちらが「???」となっていると「いたずらするなっ」と運転手が怒り、そこでお婆さんが「外国人の観光客よ。間違いなんだからそれでいいじゃない」……みたいな経緯かと。このときも、当然のようにフォローしてくれる方がいたのだった。

 

またトラム内では、「優先席」と書かれた席(読めなかったけどおそらく)があった。若い女の子が座っていたのだが、年配の女性が乗ってきたら即座に立った。そしてその年配女性は即座にそこに座った。「どうぞ」でも「ありがとう」でもなく、一瞬のことだった。つまり、その席は空いていたら座っても良いが、座るべき人が来たらどくのが当然。それは「親切」ではなく「must」なのだ。という風に見えた。


30年前の旅行でのことも思い出した。突如連れと別行動することになったが、英語すら通じない地。一人で立ち悩んでいたところ、現地のおじさんに声をかけられた。40~50歳くらい? 案内すると言ってるらしき片言英語。今ならおっかないと逃げるだろうが、当時20代の怖いもの知らずだった自分は乗った。おじさん、あちこち名所につれてってくれ、現地の人と調整が必要であればやってくれた。お互い怪しい英語でのコミュニケーションで巡った半日は新鮮だった。最後は手を差し出され、握手して別れた。終始紳士的だった。

 

困ってる風な人がいたら普通に教える。フォローする。年配への尊敬といたわりは絶対的。できるヘルプならするのが当たり前。そういった配慮が習慣として根付いている。

 

たかだか数日観光に行っただけのことで、その感じ方が正しいのかどうかはわからない。けれど「お・も・て・な・し」という言葉を高々とスローガンに掲げなくてはならない日本は、そういう面では遅れているのかな、と思ったりしたのだった。

 

(了)

 

 

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ヨーロッパ方面に旅行に出た。実に30年ぶりのことである。

 

前回は、学生の時だった。卒業前に海外へ旅するという風潮があった時代。それに乗って自分も格安ツアーで出かけた。


今回、そのときとかぶっている旅先もあったが、何一つ覚えていなかったので新鮮に楽しめた(いいのか悪いのか……)。

 

その果てしなくおぼろな記憶力でも、卒業旅行の時とは変わったな、とオドロいたことがいくつもあった。

 

まずはもちろんスマホ。

自分の場合、便利さの面でそう言うのではなく、むしろめんどくさくて思ったのだった。

 

当然昔はそんなものはなかったので、何も考える必要はなかった。ところがこれ、持ち歩かずにはいられない必需品となった。けど、自分のようなあまりスマホに長けてない人間がヘタに持っていると、便利さより不安が先立つ。渡航先でへらへら何も考えずに使うとぺらぼうな高額料金となる、なんて話を聞くわけで。

 

どういう電波が出ていてアプリがどうの、電話とネットは違うの、データローミングがどうの、と、この器械をよく理解していないので考えるのがイヤになり、家に置いてっちゃおうかな、とすら思った。

結局、旅行会社お薦めの「Wi-Fiレンタル」を借りることにしたが、その検討段階であちこち聞き回って疲れ果てた。

 

ドイツ語圏内に行くので辞書とか必要? とまたまたジタバタしていたら、Wi-Fiレンタルのお店で翻訳機も勧められた。おお、こんなものまで今は存在するのか。ドラえもんに出てきた翻訳こんにゃくが、現実に存在する時代になったというオドロキ。


昔は「地球の歩き方」とか旅行フレーズの翻訳集的な重たい冊子をバッグに突っ込み、それぞれの国の「ありがとう」「こんにちは」などをしゃべってみたりした。

が、この機器は、日本語を言えば即座にそっちの言葉に言い換えてくれるという優れ物。74言語にも対応しているとな。


ただし、結果的にはどちらもほぼ必要なかった。Wi-Fiならホテルで使えたし、めちゃくちゃ拙くても英単語のつなぎ合わせであちらの人は親切に教えてくれたし。

 

それからカメラの進化のオドロキ。

昔はフィルムを白い円筒ケースにいくつも持って行って、しかも旅行後現像に出してから手振れや変顔に気付いて歯噛みしたものだった。

今じゃちっちゃなデジタルで荷物にもならず、その場ですぐに出来映えを確認、何度でも撮り直しが可。

あらためて考えると感極まる。


また、ガイドさんの解説を受けるイヤホンマイクというのを初体験。ガイドさんが発信器に話し、こちらが受信する仕組み。

離れていても聞き逃すこともなく、音声もクリア。いつの間にかガイドつき観光とはこんなシステムになっていたことにオドロキ。

ただ、声が近くに聞こえるもんで一緒に動いているものと錯覚する。あちこち目移りしている間に迷子になる危険性は大。

 

そして、昔はメールなんかもちろんなかったから……送り出す親が自分に一つ約束をさせた。

「毎日絵葉書を一枚出す」こと。

忠実に必ず寝る前、ハガキにびっしり感想を書いた自分にオドロキだ。内容は全く覚えていないけれど、今思えばほっこりする風流な約束だった。

 

実家を探せばどこかに取ってあるのだろう。でも、読みたいような読みたくないような。もしかしたら今回の旅行とほとんど変わらない感想かも。30年の成長がまるでない、と思い知らされ、それが一番のオドロキかも知れないから……。

 

(了)

 

 

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 千葉テレビで再放送されていた「太陽にほえろ!」が、先日このタイトルの回をもって放送を終了した。ボンボンというあだ名の若手刑事が殉職した回である。

 

 40年ほど前、本放送を欠かさず見ていた自分、この番組へのハマり方は尋常でなく、特にこの回をリアルタイムで見た後は灰になった。ボンボン刑事の大ファンだったのである。
 
 簡潔にあらすじをつまむと……

 目の前で自殺しようとした女性を思い止まらせたボンボン刑事。しかし彼女は翌日自殺。実は恋人の男に殺されたのだった。男は強盗犯。盗んだ宝石は彼女の妹に託されており、妹が危ない。ボンは一人で妹を追っていくが、彼女と共に銃弾に倒れる。彼女を救うため、瀕死の重傷ながら力を振り絞って電話ボックスに向かう。そしてようやくたどり着いて電話がボスに繋がったとき、安心感で事切れる……。
 
 あああ。
 当時、どれだけ泣いただろう。ビデオなんてものは我が家にはまだなく、カセットテープに録音した音だけを繰り返し繰り返し聞いた。時と共にその回数が減っても、5年ほどは毎月13日は喪に服す意味で必ず聞いた。おかげで今でも、次にどんな音や音楽、誰のどういったセリフが来るかわかるのである。人の名前や昨日のごはんすら思い出せない昨今でも、これだけは事細かに暗唱できる。あの頃の記憶力は侮れない。
 
 ただ、数十年が過ぎて、変わったなあと思うことがある。
 目線だ。
 
 あの頃のボンボンは自分の憧れのお兄さんだった。大好きで大好きで彼氏になってもらいたいくらいの夢中度だった。だから死んでしまった時には、恋が終わった喪失感で脱け殻だった。ボンがあんな女を助けて死ぬなんて、と、妹役の根岸とし江(現根岸季衣)を恨んだものだった。

 大体ね、前半でボスがボンを褒めちぎる。人の命を助けるのも俺たちの仕事。それを忘れなかったお前を誇りに思う、なんて。それが嬉しすぎたボンは、もう一度やろうとして命を落とすのだ。上司、褒め方考えなきゃダメだろ! って、もう相手構わず八つ当たりした自分。
 
 そんな少女も今やもうアラフィフである。アラフィフになろうがアラカンになろうが憧れは変わらない。けれど今回久しぶりに視聴して思ったのは。妹を助けようと電話ボックスまでの長い距離を必死でたどったシーンに涙したのは同じ。(当時はケータイなんて影も形もない。助けを呼ぶなら電話ボックスへ行くしかなかったのだ)
 でも。

 もういいよボン。頑張らなくてもいい。お願いだからそのまま動かないで安静にしてて。無理しないで。少しでも長らえて。20歳そこそこの男の子が、血まみれで辛くて苦しくてフラフラなのにあんな遠くまで行こうとするなんて、もうやめて。
 そう思ってしまった。
 
 完全に親目線である。
 昔は同世代目線だった。「ボン、頑張って!」と思いながら見ていた。

 ああ、こういう風に見方は変わっていくんだなあ。そういえば、同じ映画でも本でも昔とは感じ方が変わった。そう思うことが増えている。それはそれで面白いけれど。
 
 ところで、この番組は殉職が目立つし、長寿ゆえにそれが一つの区切りにはなっているけれど、他の話も秀逸なものが多い。見直してみると、現代にも通じる問題を40年以上も前にすくい上げ、鋭く斬っている傑作が数多くある。ここで終わらせてしまうなんてもったいない。続きでなくても、マカロニからまた始まってもいいなあと思う。

 千葉テレビさん。伝説の刑事ドラマの放送、再開しませんか。
 
(了)
 
 
 

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もう10年くらいになるだろうか。

家で取っている新聞をチェックし、1日最低1つは気になる記事の見出しをノートに書き出す。そんなことをやってきた。

 

きっかけは、ある物語を作ろうとしていたときのこと。ちょっと前に読んだ覚えのある記事が、エピソードとしてうまくハマるんじゃないか、と思いついた。で、それが載っていた新聞を探し始めた。

 

……これが。これが猛烈にめんどくさかったのである。つい最近と思ったけれど、どれだけ最近だったかを思い出せない。朝刊だったか夕刊だったかも定かじゃない。三面だったか地方版だったかも。


その日1日はその記事を探して新聞の山をひっくり返すことに費やされた。見つかったことは見つかったが、結局うまくハマらず使えなかった……。

 

これで懲りた。せめてデータベース的に、気になった記事を日付と見出しだけでいいからノートにつけていこう。そう思ったのだった。

 

で、始めたのはいいが。

 

新聞を毎日読み込むのは、自分には結構大変な作業だった。もちろん作家の方々は多くの新聞を読んでおられると聞くし、池上彰さんなどは11紙も購読されているとか。自分も物書きを目指す以上、たかが1紙くらい読みこなせなくてどうする。

 

……読みこなせない。

 

いわゆる言い訳というやつだが、家事炊事が回らない日もある。バイトの繁忙期が定期的にやってきて、新聞のちっちゃな文字を見る気にならない日がある。やれ旅行だ、葬式だ、宴会だ、とかが立て込んで、後回しになってしまう日も。

 

で、たまっていくのである。でも「1日見出し1つ」と一度決めてしまった以上、諦めの悪い自分は読まずに捨てることができない。最大で40日分積み上げたままになっていたことがある。

 

それでも何とか消化していった。今更めっちゃ古いニュースじゃん? とか思いつつ、とにかく見出しを1つ以上ずつ。でも、曜日ごとに気になるコラムもあるし、相談コーナーなどは目を通さずにいられない。なのですごく時間がかかる。


毎日ちょっとずつやらんといかん。その方が楽だ。大量に片付けて身も心も朽ち果てた後には、いつもそう大反省する。

 

先日、新聞の契約期間が切れた。ちょうど旅行の予定も入っていたので、1ヶ月間休むことにした。


 たまらない。サボっているのにたまっていかない。

    何て楽チンなんだろう。どうしよう、もう新聞なんて復活しなくてもよくない? とか悪魔の囁きがよぎる。

 

 そのノートは今や10冊を超えた。でも読み返してエピソードとして使ったことは、1,2回。管理が悪くて何冊かは行方不明。

    う~ん、意味があるのかないのか微妙。自分の首を絞めるような余計な誓いを立ててしまったのではなかろうか。

 

 いやいや。きっと時代の流れやトピックを肌で感じるのに役立っているはず。そう念じながら、今日も積み上がっていく新聞を見ないフリしている。(了)

 

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三浦雄一郎さんが南米最高峰アコンカグアの登頂挑戦を中止した、というニュースがあった。ドクターストップに従ったとのことだ。

 

86歳での挑戦。心臓に持病もおありとか。

以前何かのドキュメンタリーで見たウロ覚えなのだが、雄一郎さんの果敢な冒険は、息子さん娘さんドクター他関係者総出の一大プロジェクトであるとの内容だった。健康、備品、案内人、天候、科学、等々、様々な角度からの入念な準備がされていると。

 

それには、どれだけの時間と労力とお金がかかることだろう。そう考えると、中止なんて絶対できない。ド素人の自分には、そんな風に「実行」一択になってしまうと思う。別次元の小さな事ですら。

 

例えば休暇に旅行を計画したとする。ツアーを申し込んだり宿を予約したり交通のチケットを取ったり。場合によっては服やら小物やらを買い揃えたり。その休暇を取るために、もしかしたら上司と喧嘩だってするかもしれない。期限より早く仕事を進め、引き継ぎもすませ。

 

それがもし、天候や交通機関や健康上の理由で可不可をせまられたら。

 

多少の不備や不具合ならば強行してしまうだろう。

せっかくスキーに来たんだから、ちょっとくらいの吹雪なんかで中止したらもったいない。せっかく休みを取ったんだから、少し熱があるくらいで温泉をやめたくない。何より直近になって中止すればキャンセル料がかかる。それを払いたくない。

などと思ってしまう。現に何度もそういう事態をそういう感覚ですませてきた。

 

旅行に限らない。大掃除で大量に発見した、賞味期限切れの缶詰。もったいないから、と、食べてしまった。自分、鉄壁の胃だったようで大丈夫ではあったが、大幅な期限切れだったので、医者代の方が勝ってしまう危険もあった。

 

繁忙期だからと捻挫を押して松葉杖で出勤したことがある。自分の不注意の怪我のせいで周りに迷惑をかけたくなかった。しかし結局使い者にならず、逆に迷惑をかけまくり、早退することになった。最初から休めば良かった……。

 

等々、些細なことなのに中止にできない自分がいる。

 

人生においてもそうかもしれない。物書きになりたくて、中途半端な位置にしか行けなくて、それでも○○年も続けてきたのだからもったいない、と。

モノにならないのにやめることができない。まだできるのではないか。もう少し先に行けるかも知れないじゃないか。その思いが捨てられないがために、書く時間を取りたいがために、ずっと非正規の仕事しか選ばなかったが、いつも迷っていた。

 

中止するには勇気が要る。捨てる勇気。きっぱり割り切る勇気。

 

三浦さんはそれをできる人だからこそ、あれだけの偉業を遂げてこられたのだろう。そしてまた次の挑戦へ向かうのだろう。止まる時は止まる。そして次。やめるのではなく。

 

やめることはない。でも必要なら止まる。そうやって、自分も書き続けていいのかも……そんな風に思えた。

 

最高年齢での快挙も素晴らしいが、中止しても教わるものがある。

 

 

(了)

 

 

 

 

 

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