石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと -41ページ目

石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと

日常で気になったことや、長い物書き志望歴で思ったことをランダムに綴ります。

1月23日、高橋留美子さんが、フランスのアングレーム国際漫画祭でグランプリを受賞したとのこと。漫画の発展に貢献した作家に贈られる賞だそうで、日本人は大友克洋さんに次いで2人目という。(読売新聞1/25より)

 

高橋さんといえば、「うる星やつら」「めぞん一刻」。

その二つ、自分にとって青春ど真ん中の漫画であった。うる星で笑い、うる星に学び、めぞんから大人のじれったさや、当時の大学生の実態、就職の厳しさなどを感じ想像したものだった。

 

うる星からの「学び」というのは、学校で習う事柄が巧みに織り交ざっていたからである。宇宙人とか雪女とか閉所恐怖症とか男装の女子などの登場人物からしてぶっ飛んだ、ナンセンスなコメディでありながら、である。自分は、表面張力とかインプリンティング(刷り込み)とか、ここで覚えたも同然。「よくもやってくれたな」と「よくぞやってくれました」がちょっとしか違わないのに全く逆の意味になるという日本語の機微に気付いたりとかもあった。教室でウトウトしながら聞いていたことより、よほど頭に残っている。

 

また、漫画家を目指していたわけではないながら、ラムちゃんの脚線美に憧れ、セーラー服の下にすらりと伸びる靴下にスニーカーの足をノートに落書きしまくったものである。ちなみに何年か前の「高橋留美子原画展」も見に行った。そのくらい絵柄が好きである。

 

めぞんでは、普段はエプロンにジーンズの響子さんが、お出かけするときの服が素敵だった。こずえちゃんや八神さん、九条さんの、それぞれの個性に合ったファッションも楽しかった。自分は特に三鷹さん推しで、きらりと光る歯と、苦手な犬に最後まで翻弄されるギャップが大好きだった。

 

どちらの作品も男性誌向け雑誌に連載され、男女の恋模様や、時に過激なセリフや危険な妄想があった(今にしてみればそうでもないだろうが)。が、高橋さんの人柄のせいなのか女性目線だからなのか、全くいやらしくならなかった。そこが、ずっと高橋さんのファンでいられた一番の理由かな、とも思う。


また、「しーん」とか「わはは」とか、普通は擬音を表す手書き文字の中に、「きっぱりと」とか「あっさり」などの修飾語が時折混ざっていて大笑いした。当時はあまり見なかった手法で、その斬新さに虜になった。

 

とにかく絵や構図の上手さ、しっかりした舞台設定、多彩なキャラを生む力、時代のとらえ方の確かさ。そして、何よりセリフや話運びのテンポがダントツ。

自分は読み直すたびにそういった違う面が見つかるのが面白くて、一粒で何度も楽しんできた。今、自分で創作をするときも、お手本にしているところが多々ある。教科書といってもいい。

 

ラムちゃんは実家に全部置いてきてしまったけれど、めぞんは今も押入れにある。久しぶりに読み直してみようか。(了)

 

 

 

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 昨日、大坂なおみ選手が優勝し、ランキング1位に上り詰めた。こんなすごいことを見られる日が来るなんて。とても贅沢な気がして泣けた。


    その上で、また大変贅沢な愚痴なのだが、男子テニス。錦織圭選手の試合を観ているとものすごく疲弊する、というお話。(以下、敬称略)

 

始めは調子が出なくて、ブレイクを先に許し、1セットを落とし、2セット目はサービスキープはするものの相手のサービスも破れずタイブレイク……とかの、絶体絶命のピンチに陥る。でもそこから起死回生の大逆転劇が始まり、フルセットに持ち込んだ末、辛くも勝利。

 

……みたいな試合がしょっちゅうだから。錦織を応援して観戦している方ならよくご存じだと思うが。

 

これ、シナリオとか小説のコンクールなら、間違いなく賞を取るだろう。主人公を窮地に窮地に追いやるのがセオリーであり、それをひっくり返す爽快感こそ物語の醍醐味だから。いや、物書きを目指している身としては、見習わなければならない。

 

というくらい、面白すぎるほど面白いのである。錦織の試合は。手に汗握る、思わず声を上げてしまう、ドキドキハラハラ、そして歓喜爆発の結末。

 

けど、リアルタイムで観ているともう胃も心臓もでんぐり返りそうに痛くなる。一つ一つのラリーが長く、一打一打がスーパーショットばかりで、それをとんでもないフットワークで返し合う、なんて奇跡を連発する。まばたきもできないし、肩の力が緩む間もない。

 

そんなのの最たるやつが、今回ベスト8を決めた試合だった。5時間を超えるフルセットマッチ。勝利をモノにした時は、錦織自身も疲れ切って顔が死んでいたが、こちらもクタクタだった。見届けずにはいられない、ホントに凄まじい、観る価値のあった心底震えた試合だった。

 

しかし、おそらくこのダメージが、次のジョコビッチ戦で響いたと思われる。第2セット途中で棄権。……本当に残念だ。太股の痛みが、どうか重傷ではありませんように。

(ちなみに棄権で早く終わって浮いてしまった時間を、ジョコビッチが長いインタビューでファンサービスしていた。試合中は強すぎて憎ったらしいことこの上ないが、ナイスガイなのである。)

 

けど……正直なところ、お願いだから錦織、出だしでセットを落としたりするの、なしにしてくれ~、と叫びたくなることが多い。もう少し楽に勝てたらどんなにいいだろう、と。

 

が、これこそが贅沢というもの。

 

自分もテニスをかじって○十年。始めたのは、まだウッドのラケットが主流だった頃。ウインブルドンとかグランドスラムとか言葉は知っていたけれど、外国人選手のものという認識だった。日本人は、特に男子は、パワーと速さとフットワークでどうしても見劣りしていた。

当時「エースをねらえ!」を愛読していた自分だが、岡ひろみが世界レベルを目指す――日本人がそれをやってくれちゃう。なんて、マンガだからできることだと思っていた。

 

それが。それがである。

錦織はランク7位が確定らしい。世界のトップクラスで対等に戦い、あわよくば頂点も見えている。大坂は既にもう上がいない。

自分が生きている間には起こり得ないことだと思っていた。こんな時代が来るなんて。感無量である。

 

だから、文句を言うなんてとんでもない贅沢。

 

圭くん、しっかり養生してね。なおみちゃん、もう存分に泣いていいよ……。

次の大会もお二人を全力応援します。

 

(了)

 

 

 

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 今回が100回目の投稿だということに、今更気付いた。かねてから節目の回は何か特別なことを書きたいと思っていたのだが……。2年近く定期更新を続けてこられたこと(だけ)は自信になったので、特別感よりは毎週日曜更新を継続する方を優先します。

 

マンガなら和田慎二、小説なら東野圭吾、音楽ならGLAY、日本人俳優は山田孝之で、外国人俳優ならケビン・ベーコン。(敬称略)

 

私の好きな方々である。ちょっとだけ100回らしく、自分的な祭りにしてみることにする。

 

「スケバン刑事」を始め、リアルで迫力ある画力と荒唐無稽に近い設定でも説得力抜群のストーリーテラー、和田慎二。

中学生の頃にハマって以来、雑誌連載は立ち読み、殆ど全てのコミックスを買いあさり、文庫化されるとまた買い直した。筋書きがわかっていても何度も読みたくなるという力を持っていた。いつか自分の書いた物が世に出回ったら「対談」とかして大好きですと伝えたい……などと妄想していたのだが、2011年に亡くなられた。本当に残念である。

 

東野圭吾は説明するまでもなく。今や超売れっ子でドラマも映画も引きも切らない。

自分がハマッたのはもう20年以上も前だった。転居して仕事も友達もなくなった時期、本屋をぶらつくことだけが楽しみだった頃。「天使の耳」という本が目についた。あおりや違法駐車など、今を見通していたとも取れる、交通問題をキーにした短編集で、抜群の面白さ。以来やっぱり著作を買いあさり、何度でも読んだ。初版本も多いので、今売ったら結構な財産になるのかも……。

 

GLAYへの始まりも20年前くらいか。メロディに惹かれ、声に惹かれ、歌詞に惹かれ。最低でも三度美味しい。

当時買ってみたアルバム「REVEIEW」、その収録曲全てが心地よかった。選ぶ言葉が美しくて深くて沁みる。以来、未だにドライブのお供である。毎週水曜のTERUのラジオまで聴いている。いつか自分の書いた物がドラマになるときは、主題歌はGLAYと決めている(←またも妄想)。

 

山田孝之、ケビン・ベーコンは、共にカメレオンなところが好きでたまらない。若い頃は色男、いい人、純愛、頭がいい、落ちこぼれなど青春の定番ながら真逆の役柄もあり、出演作が変わると同一人物とは気付かなかったくらい。その後冷徹、極悪人などのクセ役が多くなったのも共通点。上手いという証明だろう。無論、出演作は見まくった。ドラマも映画も。

彼らの出演シーンだけ集めようと試行錯誤したこともあるが、録画機に詳しくないので頓挫した。ご本人達に接点はないが、私的には同列なので一緒に語らせていただいた。

いつか自分の書いたものを原作にしたドラマなり映画なりに出演してもらえたら……(またまた妄想)。いや、本気でそのつもりで書いた小説も存在する。とっくに落選しているけれども。

 

こうして好きな物をあらためて挙げてみると……「物を書く」ときのこだわりにつながっている。


何度でも読みたくなる物を、という目標は、和田慎二、東野圭吾の両氏の作品の影響だし、GLAYの歌詞に倣ってきれいな日本語を綴りたいと心がけるようになった。山田、ケビンのお二人のような上手い役者さんをイメージするとキャラ設定がぶれない。


ただの趣味、好み、気分転換。そう思っていても、どこかで何かがつながっている。きっとそれは物書きに限った事じゃなく、誰もがそうなのだろうと思う。



以上、ささやかな100回記念祭りでした。


(了)

 

 

 

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 何年も宛先構わず投稿しまくっている今頃になって、こんなことを思うのも何なんだけど。

 

 応募先はよく考えて選定しなさい、とはどの学校、先生にも言われること。理屈では、言葉の上ではわかっていたつもり。どう見ても純文学系なのにエンタメ系の賞に応募しても、またその逆でも、まあシャットアウトされても仕方ないだろう、という。内容以前に、ジャンルでふるい落とされてしまうということであろうと。

 

 わかっていたつもりではあるのだが、そもそも一番問題なのが、自分の書く物がどういうジャンルなのかが自分でわかっていないということ。


純文学かエンタメか、と考えれば、純文学ではない。消去法でエンタメである、ということになる。では、どういう系統のエンタメかというと、推理小説やミステリーではないけど、恋愛でもない。時代小説ではもちろんない、というか無理。強いて言えば「人間ドラマ」、かなあ……。

 

ではターゲットの年齢は、と考えると、まず児童文学ではない。少年少女が主人公の話も書くけど、あまり多くないし、夢や希望が将来に広がっているという内容にはあまりなっていないし……(汗)。

 

かといって大人向けでもない。自分があまりに幼稚で知識ないし自己チューだし、……大人の考え方、分析、大人へ向けてのメッセージとかが弱々しいのは明らか。文章や人物に色気もない。

 

男女どっち向け? というのもどっちつかず。自分、女らしくないし、かといって男性の気持ちがわかるわけじゃなし。

 

中途半端だなあ、といつも思う。結局、わがままな年配の書く若めな人向けのストーリー? ……誰が読みたいんだ、それ。

 

というわけで、どこに応募していいのか本当にわからない状態が何年も。なので、めぼしい賞の受賞作品を片っ端から読んでみている。この系統なら好き、この審査員に読んでもらいたい、とかそういうことで選ぼうと思い立ち。

 

ところが、ここでまた立ち往生。受賞するくらいの作品だから、とてもとても上手いのだ。話にもよるけど、スケールが大きかったりバックグラウンドが緻密だったり並大抵でない表現力だったり。


ああこんな人達と肩を並べられるわけがない、と、打ちのめされてしまうことを繰り返す。そうなると、好きな作家さんが審査員だとしても「こんなレベルのを応募してくるなんて」と舌打ちされたらどうしよう、などと腰が引けてくる。

 

でも。

最近思うのは、書くのはやめられないなあ、ということ。くだらなくてもつまらなくても、何かを込めた物語を創る、ということが、面白くてたまらない。落選し続けても、それだけは確か。


だから、恥も外聞もなくこれからも投稿を繰り返すのだろう。ま、ツラノカワを厚くして、できればちゃんと趣旨に合った賞に応募してみたいので、……最初に戻る。

 

(了)

 

 

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子供の頃、お正月は暇だった。

いや別にやることがないわけではなく、初日の出を見たり初詣行ったりおばあちゃんち行ったり、は、した。けど、三が日はもたなかった。

お年玉を使いに出かける、という方法もボツ。お小遣いは全て本かマンガを買うことに費やしていた自分である。けれど本屋が開いていないのである。

たとえ欲しいものがお菓子とか文房具、あるいは外食だとしても同じこと。お店はどこもシャッターが降りていて、閑散としていた。

今じゃコンビニもファミレスもあるけれど、それがそうそうなかった頃なのだ。近年、人の手配がつかずに元旦は休む店も増えてきて、昔に戻っている感も少しあるが。

友達は田舎とやらに帰っている子が多く、うちは祖父母が父方も母方も1時間圏内に住んでいたので、孤立するはめになった。夏休みのラジオ体操と同じパターンである。

幸いにして、姉妹がいた。羽根つきとかコマ回しとかカルタとか、正月らしい遊びもしたが、やがてやることがなくなり、結局一緒に正月長時間時代劇を見ていた。確か2日間に渡っての12時間ドラマとかだった。

時代劇など全く興味のなかった年頃である。どれだけ暇を持て余していたか想像していただけると思う。

それでも、それはそれで笑えたのだ。

何が一番嫌だったかというと、お節料理が続くことだった。
黒豆、やつがしら、なます、こんにゃく、昆布巻き、栗きんとん、お雑煮に海苔餅……決して嫌いじゃない。むしろ普段に出たら喜ぶくらいな一品ばかり。

だとしても続くと嫌になる。あの頃は3日間もしくは余れば4日でも5日でも1週間でも食卓に並んだ。

もううんざりだ。パンが食べたい! そればかり思っていた。それこそコンビニに行けばよい。しかしあの頃は……以下繰り返し。
(ちなみにもう少し大きくなってからは、デパートが2日に開くと知り、いそいそ出かけるのが恒例になった。)

今は元旦以外はほとんどお節はいただかない。三が日でもパンもご飯も食べる。幸せな時代だと心から思う。

余談だが、今年のお正月、実家で大量にご飯が余った。みなお腹いっぱい、と手を出さない。が、おにぎりにしたら、持ち帰りを含め、瞬く間に消えた。

そそる料理、というやつなのか。だとしたら、お正月だけでいいや、と思ってしまうお節は、それ以外に分類されるんだな。いやでも、だからこそ特別感があるのかも、と……何だか納得した年初である。

(了)

 

備忘録的に、今年はどれだけの量を書いたのかなあと振り返ってみる。

 

小説① 100枚

シナリオ① 55枚

小説② 10枚

小説③ 10枚

シナリオ② 55枚

小説④ 50枚

小説⑤ 30枚

小説⑥ 30枚

小説⑦ 10枚

小説⑧ 180枚

小説→シナリオ③へ直し 55枚

プロット作成中2本(小説100枚~200枚予定)

 

 ……といった具合で、長短合わせて小説8本、シナリオ3本、構想妄想中が2本。他、このブログを週1更新(毎回2.5枚くらい)。

 まっさら最初から創ったものもあれば、以前書いたもので形式を変えたもの、放り出してあった拙作をベースに化けたものもある。一応エンドマークはつけたが、直しがこれからのものを含め。

 

この量が、物書き志望者として多いのか少ないのかわからない。何作か並行してる時期もあり、錯乱しそうになったこともある。

けれど自分にしては、バイトや家事の合間を縫って、結構頑張った方だと思う。

 

ブログ以外は、大体どこかのコンクールに出したか出す予定のもので、6本落ち、1本結果待ち、4本は来年投稿予定。


ま、コンクールの当落なんて、ずっとこんな調子のトホホな確率。けど受かる受からないというより、締め切り設定に使わせてもらっている。締め切りがないと書き上がらない怠け者なので。

 

本当はあと2本出したかったのだが、うまくまとまらず期限に間に合わなかった。毎年応募していたところなのでちょっと悔しい。いずれもシナリオ。来年の課題としたい。

 

うん、年末らしく1年の総ざらいと来年の抱負になったかな……毎年あんまり変わらないんだけど、こんな風に年末に振り返ったのは初めてで、何か新鮮。

 

来年もいろんな物語に挑戦していけたらいいな、と願う年の瀬でした。

 

(了)

 

 

 

 

 

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 今年もこの季節がやって来てしまった。でも、去年はほとんど通常の掃除のみで終わってしまったので、今年こそ美しい家で年末を、と密かに意気込んでいる。

 

 しかし、去年はおろか、その前もその前も、……いったいどのくらい遡ればいいのかわからないくらい手付かずな箇所がいくつもある。考え出したら全くやる気にならないので、今年は「極意」に従うことにした。あちこちで聞くこれ、つまり一日にちょっとだけやる、という、実に簡単で実に難しいことなのである。

 

それでもその気になったとある日、まずはギュウマンになって開け閉めもままならない引き出しを一つ整理した。ごっそり捨てた。直後から何と快適なことだろうか。その所要時間、15分。

 

これで、味をしめた。

 

翌日は、頂き物のたびに捨てられなかったヒモとかお洒落な袋とか輪ゴムや他もろもろの小物の入った引き出し。これには約10分。

その翌日は、カオス状態の原稿や資料などの山。棚の古いのを押入に押し込み、手元の200%に詰め込まれたボックスの中身を棚に移動。空いたボックスにカオスを突っ込み、終了とする。これは30分。何か胸のつかえが取れた。

 

翌日は洗面所の棚。最後にいつ使ったかわからない使いかけのコンタクト洗浄液や髪染めや山のような試供品。目一杯捨てた。すかすかのきれいな棚。何というすがすがしさ。30分。

 

キッチンのカウンター&棚。30分ずつ×3日で、スッキリ。

 

お風呂のカビ退治。うっかり興が乗って、1時間。腰に来た。

 

この辺りで背中が固まってしまった。痛くてくしゃみもままならず、接骨院通いが再開。

加えて指や掌がカスカス。ハンドクリームを塗っても塗っても潤わない。紙の束を整理したせいでやたらに切り傷が増え、地味に痛い。

 

そろそろ限界かも。と思いつつ、やっぱりきれいになると気持ちいい。これを知ってしまうと結構続けられるものだと思った。


まだいろいろと気になる箇所があるのだが、優先順位が高いと思う順にやってきたので、残りは来年に持ち越してもいい。1日15分~30分を限度にできる範囲で。これなら、年末の大掃除じゃなくてもできるもんね、と気も楽だ。

 

 まあ明日の自分は信用できない。現状維持の通常作業だけでいっぱいいっぱいになっている姿が容易に浮かぶ。でも、「ちょっとだけ掃除」で気持ちが洗われれば、気分転換にもなるし、日々の暮らしも楽になる。それを覚えておけばいつでも家の中が快適になる、はず。……記憶力に自信がないのが問題だけど。

 

(了)けろけろけろっぴ

 

 

 

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 クリスマス会、忘年会、新年会、と、宴会シーズン突入。幹事さん、ご苦労様です。日程調整とかお店選びとか会計とか、結構な手間。参加するときは感謝を忘れないようにしたいです。

 

中でも幹事のお仕事としては参加者への連絡というのが重要。近年はスマホの普及で、LINEでの一斉連絡が可能になった。メールでも複数送信ができるし、随分楽になった……と、年寄りの昔話に飛びます。

 

ケータイメールが存在しなかった頃、自分の場合はパソコンのメールで連絡していた。まだまだ家庭にパソコンがそうない頃の話で、大体が勤め先のメアドでやりとり。今ほどウィルスなどが問題視されておらず、タイトルさえ「飲み会のお知らせ」などでなく「日程調整の件」とかで目くらましをしておけば、ゆるくまかり通っていたものだった。

 

このメール連絡という手段、この頃は大変画期的で、とても嬉しかった。それまでは電話連絡だったからである。

 

一人一台のケータイを持っている時代ではなく、家電というやつである。これがなかなかにめんどくさい。連絡先が一人暮らしの人ならともかく、家族がいらしたり、寮で備え付けの電話が一台しかない、という場合もある。

 

飲み会が一対一で、連絡する相手が一人の場合はいい。留守電に入れておくか、連絡がつけばそれで話は済むのである。

問題は参加者複数の場合である。普段顔を会わせないメンバーだったりすると、連絡網というやつで電話を次々回す、という手段しかない。

 

幹事の自分がまず一人目に電話。日時場所などを伝えて次の人に電話してもらう。次の人は同じようにその次の人、そのまた次の人、と回してもらうのである。

しかし皆さん忙しい身。留守でつかまらないとそこで一旦ストップ。気を利かせて一つ飛ばして連絡してくれる方もいたが、そのまま停滞していることも多かった。また、お家の方に伝言をお願いすることもあったが、それがうまく伝わらずにフェードアウト、なんてパターンも。

 

また、最初に電話する幹事が言い忘れてはならないことがある。「最後の人は必ず私に連絡返してもらうよう伝えてね」と。でないと全員に回ったかどうかわからないからだ。

 

けれどこういった伝言ゲーム、必ずどこかで変形する。先に述べたようにぷつんぷつん途切れがち。なわけで、最後の人から連絡が返ってきた試しがなかった。日が迫って、最後の人に「伝わってる?」と確認電話してみると、いいやと否定されて遡っていくのが常だった。

 

そもそも連絡網が存在すればいいけれど、ないケースも多かった。で、○さんは×くん、×くんは△ちゃん、△ちゃんは□さんに連絡お願いね、などと指示するわけだけど、まあ大体失敗する。

 

……ああ、思い返してみたらまどろっこしすぎる。あんな時代によくぞ平然と滞りなく宴会開催に漕ぎ着けた幹事さん、猛者と呼びたい。自分の場合は不備ばかりだったことを思うと、LINEや複数送信メールがあらためて光り輝いて見えるこの季節なのである。


(了)けろけろけろっぴ

 

 

 

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「ガラスの仮面」をご存じだろうか。なんて愚問か。まだ連載中の、美内すずえさんの演劇大河マンガである。長年見守ってきた者としては、マヤと亜弓さんの決着を早く見たいものだが、永遠に妄想していたい気もする。このマンガがそれくらい深く心に刺さっている方は、私以外にも大勢いらっしゃるだろう。

 

 ところで、「ガラスの仮面」より前(あるいは並行して)、美内すずえさんは恐怖系のマンガもたくさん描いておられる。「13月の悲劇」「金色の闇が見ている」「白い影法師」「黒百合の系図」「妖鬼妃伝」と……タイトルを並べるだけでも怖い。

 

 そんなことを思い出したのは、最近ニュースで、神奈川県寒川町のひまわりのことが報じられたのがきっかけである。

 

 寒川町はその名前からどうしても寒い冬のイメージが強い。それをどうにか払拭したいと「冬のひまわり」にトライし続け、近年咲かせることに成功したのだという。

    背丈40センチ程と少し小さめだが、7万5千株が咲き誇る映像は壮観。摘み取りもできるというので出かけたいと思っていたのだが、結局行けずに来年への課題となった。

 

「冬のひまわり」。

    美内すずえファンならばこのタイトルの短編を読んだ方も多いだろう。私は傑作選の文庫を買い集めたときに初めて読んだ。これも、どちらかと言えば恐怖系に近かった。

 

 内容は……(これから読みたい方、ネタバレすみません)

 偶然見た絵画の背景に、雪の中に咲くひまわりを見つけ、強く惹かれた少女。「冬に咲くひまわりなんて」と笑われ、バカにされる中、何年も探し追い求めていく。辿り着いたのは永遠に冬の幻の村。そこでようやく「冬のひまわり」を見つけたものの恐ろしい思いをし、逃げ切った後にはロマンを追うのをやめ、現実を歩き出す。……そんな話だった。

 

 このタイトルが秀逸だと思う。

 読み手100%の立場の初読の時、「え? 何のこと?」と引っかかりを感じた。書き手になりたいと四苦八苦している立場の今、そういう引っかかりがあり、かつ内容にピッタリリンクするタイトルを付けるのは、実に難しいとわかる。

 

「冬のひまわり」とは、現実にはあり得ないものの象徴とされていると想像する。

    話には、ロマンばかりを追い求めて失脚したお金持ちも登場するし、ひまわりを追っかけたために主人公も、当時女性の幸せと思われていた玉の輿のチャンスや友人達を失う。

    でも非現実的なものに浪費するのは無駄、といった一般論の中で、希望を持ち続けた主人公は真の理解者を見つける。また、彼女が知らないうちにその希望のバトンが次世代に継がれていく、というラスト。

 

あり得ない幻に導かれることもある、と。でも。

これは40年以上も前に描かれたお話。


今や寒川町には「冬のひまわり」が咲き誇る。12月に摘み取ることができる何万株が存在する。素敵だな、と思う反面、もう「あり得ないものの象徴」としては使えないんだろうな、と、一抹の寂しさも感じたのは、贅沢なのだろうか……。

 

(了)

 

 

 

 

  

 

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 紅葉狩りの季節、お寺巡りをしてきた。お寺には春の桜とこの時期の紅葉がつきもの。葉っぱの色づきはちょうどよくて、とても楽しめた。


    ついでといっては何だが、お寺だから、時間によっては和尚さんのお話を聴けたりする。

 

 いくつか拝聴したうちの一つのお話に、心が響いた。それは、よく言われていることだし、考えてみれば当たり前かもしれないのだが、そういう考え方をどこかに置き忘れていたことを思い出したというか。

 

その和尚さんはおっしゃった。

心が変われば言葉が変わる。言葉が変われば態度が変わる。態度が変われば生活が変わる。生活が変われば人生が変わる、と。

 

小さなことからなのだという。

悪いことなら、例えば十円を盗めば百円、百円を盗めば千円、そして次は一万円ということに必ずなる。最初は些細でも、どんどん膨れ上がってゆく。

良いことなら、例えば玄関を入る時にちょっと履き物を揃える。その小さなことが何かの変化をもたらし、部屋などが整理されてくる。すると生活も落ち着いてくるという。

詳細は曖昧にしか覚えてないのだが、そんな感じのお話だった。

 

髪を立て半分お尻を出したようなファッションの若者さえ納得し、帰りに挨拶までしてくれた話だそうだ。

 

自分にもストンと腑に落ちた。


よく気の持ちようと言うけれど、そういう小さなことができる余裕、そこから生まれる気遣い、それが呼ぶ相手からの信頼という安心感。そうやって心が変わっていくのではないだろうか。

……という風に自分は受け取った。なのでその日から履き物を揃えてみようと思った。

 

そもそも毎日の雑事に追われ、身の回りがごちゃごちゃしまくり、それを避けるように生活するためせせこましく、だからルーティンを雑にこなす。これが精神衛生上良いはずはない。

 

履き物を揃えるだけで、そのうち家の中がぴっかぴか。溢れ返っていた物が整理され、広々とした空間で効率的な動線で物事が進んで。そうしたら、何だか自分を褒めたくなり、人にも優しくなり、今までと違った空気が生まれてきたりして。――なんて夢が膨らむ膨らむ。

 

とまあ、都合のいい妄想通りになるかどうか、結果はまだ出ていない。が、何かを変えるという意識を持つことだけで、何だか新鮮で前向きになる。背筋が少しのびる。


この歳からでもやれることはまだまだありそうだ、と思った紅葉狩りだった。

 

 

(了)けろけろけろっぴ

 

 

 

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