石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと -42ページ目

石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと

日常で気になったことや、長い物書き志望歴で思ったことをランダムに綴ります。

 

 ヒモ、◎、パンチ。これが投稿準備のための自分の三種の神器。

 

 シナリオや小説のコンクールに応募しようとする場合、もちろん原稿を仕上げるのが最も大事。でもその後、発送するまでの作業が、意外と手間暇がかかる。

 

 まずやっかいなのが、本文以外の添付事項である。

 氏名住所経歴などの個人情報は今までの投稿分からコピペすればよいが、梗概=あらすじは難敵。

 大体が800字制限だが、50~60枚のシナリオなどの内容をその長さにコンパクトにインパクトをもって収めるのはなかなか手強い作業なのだ。

 時間を置いて見直すとひどい出来なことが多いので、直す時間を確保するため早めに作っておくようにしている。大体が本文がラストまで辿り着いた時点でざっくりあらすじを書き殴る。で、本文にああだこうだと直しを入れてどうにか提出できるな、と思った後にもう一度それを見直す。これだと一から書き始めるわけじゃないので心の負担がまるで違う。

  

 で、やれやれ提出物が揃った、と思うわけだが、その後がまためんどくさい。

 

自分の場合、まずページ設定を詰め詰めで下書きしているので、募集要項の書式に直す。そのときに、「っ」「々」などが行頭に来ないよう禁則処理してあるか確認。改行などでの崩れがないかもチェック。

更にヘッダフッタを消す。「――」「……」などの二マスで一組の物の間が空かないよう変換。そうして印刷。誤字脱字の確認。

 

 ここで三種の神器その1のパンチが登場。しかし自分のはちゃちい代物なので、一度に10枚以上の穴空けができない。地味に9枚ずつガッコンガッコン空けてゆく。

 そしてその2、◎の出番。空いた穴の補強シールである。ただ、50枚以上ある紙全ての裏表に貼るのはさすがに面倒なので、上から5枚下から5枚だけに貼る(根がケチなせいもある)。

 そしてその3、ヒモを通す。その結び方も、投稿初心者だった頃はテキトーだったのだが、最近ではハウツー動画が出回っていて、その通りに二重にかっちりやるようになった。

 

 こうして仕上がった応募作品一式を、レターパックに封入。大体360円のもので収まる。昔は簡易書留で送っていたが、この方が安いしポストで出せる。

 ただし、応募要項に「書留に限る」と注意書きがある場合はそうする。レターパックが書留の要件を満たすのかどうかわからないので。郵便局の人に訊いてはみたが「そう注意書きがあるなら書留をお薦めします」とのお返事だった。そうすると郵便局へ出向く必要があるので、更に時間の余裕を見ておかなくてはならない。

 その投函をもってようやく投稿が完了するわけである。ーー脱力。

 

 この作業に、毎回半日は費やす。だからあまりギリギリまで原稿に手を入れていると、せっかく書き上げたのに発送する時間がなくなってしまう、という悲しい事態になることを、長い経験の中で覚えた。

 今ではこの作業、ルーチンと言えるほど普通にこなせる。それほどに投稿慣れ(だけ)してしまっていていいのか……との疑問がありつつ。


 でも最近ではネット投稿というところも増えた。これまで述べてきた印刷以降の作業が全てパス出来るのだ。

 何て楽なのだろう。出し終えたポストに思わず一礼二拍手してしまう解放感がないのは寂しくもあるけれど。

 

      (了)

 

 

 

 

 

~~以下の小説サイトに投稿しております~~

 

 

 ↓↓↓よかったらお立ち寄り下さい。

 

 

  エブリスタ

 

  アルファポリス

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

 

 

 

 

 去年の暮れ近く、体調を崩して病院へ行った。時期的に同じような人々で待合室は溢れ、席さえ確保できないくらい。具合が悪い上に座ることも出来ず、空気は澱み、延々と待たされる中。ハズレに当たった……。

 

 ようやく座れた席の、すぐ横に立っているお母さんと小学生に向かい、どこの奥からやってきたのか、「ああら○○さん!」と、同級生の父兄らしきオバちゃんが。「どうしたの? 風邪?」とそこまではよい。お母さんが「そうなの」とたった一言答えるや否や。「うちはねえ、今朝起きてごはん作ってたら調子悪いけど学校行くって言うからそのまま行かせたのよお。でも結局熱っぽくて帰されるっていうからじいちゃんが迎えに行って、あ、私は仕事に行っちゃってて、仕事っていうのは××で△△のパートなんだけど、それが10時からだから、家には年寄りしかいなくて、で、子供は帰ってきたら吐いたっていうの、それがサラサラじゃなくてドロドロの――」と、その長々しい話は止まらない。

 

 子供の朝一番からの描写、必要ですか? あなたのお仕事がどんななのかは別に興味ないです。病人の事細かな病状は、医者だけに話してくれ。

 と、思いながら延々と続く話を聞くしかない。なぜなら席を立てばもう二度と座れないだろうし。聞かされている母子も、会計の呼び出し待ちらしくそこを動くわけにいかない模様。

 

 その話、一から十まで聞きたいと思いますか? との暴言が喉まで出かかるほど、具合の悪さが倍増される事件であった。

 恐らくそのオバちゃんは親切なのだろう。相手がわからないといけないので、なぜ自分が迎えにいけなかったか、どれだけ子供の病状が悪いのかを事細かにお話してくれた、と。

 

 だけどこの件で、注意しなくてはとつくづく思った

 物を書く時は説明しすぎてはいけない。リズムが悪くなるし読み手に「そんなことはわかってるよ」と思わせては残念だ。説明が少なすぎてもいけない。読み手がわからなくて途中で放り投げる恐れがある。一から十まで語らずして伝えきるには五くらい? 七? それとも三でいい? この過不足の加減が難しい、といつも思うのだ。

 

 テレビドラマで、いつからか、最終回とかで10分延長という特別措置をするのが氾濫するようになった。それを見ると、「この10分必要?」と思うことが多い。60分の内容を70分に希釈しているに過ぎない場合、テンポが悪くて惰性感ありあり、になるのがよくわかる。


 それを反面教師に、だらだら長すぎてはいけない、と自戒しつつ、必要な部分まで削ってしまって「わからない」とぶった切られる

 そんな感じで長年に渡り試行錯誤中の、物書きもどきです。


(了)

 


 

 

~~以下の小説サイトに投稿しております~~

 

 

 ↓↓↓よかったらお立ち寄り下さい。

 

 

  エブリスタ

 

  アルファポリス

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

 

 

 

 

  もう半年以上前になるが、愛車を買い替えた。ハイブリッドにしたので、ガソリンの補充頻度が減って家計にも優しい。更にものすごく静かで振動も少なく、乗り心地抜群の優等生である。

 

 しかし、この「ものすごく静か」というのが、逆によろしくないと最近わかった。

 

 静か過ぎるのである。発進する時も、普通に走っている時も、スピードを上げる時も。運転する立場でもほとんどストレスを感じないくらいで、だから歩行者からしてみれば、全く気付かないほどのおとなしさ。

 

これってめちゃくちゃ優秀。車の騒音が問題になって、開発者の方々がおそらく大変な工夫と努力をもって解決した、素晴らしい技術であるはず。

 

けれどそもそも、車=うるさいという認識が、誰にでも普通に刻み込まれている。だから音もなく近づくなんて思いもしないのだ。

自分が歩行者になって思った。その車が10センチ横を通り抜けようとするのも、すぐ後ろでエンジンをかけられても何の気配も感じない。これがとても危険だということは子供でもわかる。だから嘘かホントか少しは音が出るように改良された、との話も聞いた。

 

 ふと自分の子供時代のことを思い出した。

 

 決して優等生ではなかったが、はみ出したり誰かを困らせたりすることのない、親や教師にとってはたぶん楽な子供だったと思う。勉強もスポーツも友達付き合いも平均的で、大人の手を患わせるような大きな問題は起こさなかった(はず)。

 

 けれどこの「手のかからない」ということが、逆にネックだった。大人は手のかかる子供に注目する。そちらにかける時間の方が圧倒的に多くなる。それだけでも少し寂しさを感じたが、一番理不尽に思ったのはそこじゃなく。

 

 例えば宿題を期限までに出す。やりたくはないのだけれど、小心者だから泣く泣く遊ぶ時間を減らしてでもとにかくやる。当たり前のことだから誉められはしない。でもそれよりすごいことが出来る訳じゃないので、結果誉められる機会は全くないわけである。

 ところがそういう当たり前のことをやらない輩がいる。親も教師も怒る。何とかしようと闘いになる。そしてその果てにその子がちゃんと宿題を出した暁には、大喜びで褒めちぎる。

 こちらは遊びたいのを我慢した。そっちは遊びたいだけ遊んでいた上にそれだ。

 

 そんなことをたくさん横目で見てきた。自分がやっても褒められないことを、やらないでいた子が褒められるというモヤモヤ。見放されているような孤独感。

 

 大人になった今ならわかるが、子供は一人一人違う。長所を見つけてやることが大事。見つけにくい子に時間がかかるのは仕方ない。わかるが自分は教師にはなれないな、と思う。ちゃんとやった子を放っておく事態にならざるを得ないのはどうしても忍びない。

 

 うちの愛車、大事にしよう。静かなのを誉めてあげよう。やることやってるのにそのせいで肩身が狭いなんて、切ないから。

 

(了)

 

 

 

 

 

 

 

 

~~以下の小説サイトに投稿しております~~

 

 

 ↓↓↓よかったらお立ち寄り下さい。

 

 

  エブリスタ

 

  アルファポリス

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

 

 

 

 

  学生の頃、部活にしろ、読書にしろ、うだうだするにしろ、やりたいことをしようとするとよく邪魔が入った。

 勉強が主たるそれ。終わったと思ったらすぐ次の定期テスト。あっという間に次の受験。「勉強しなさい」と言われるのも嫌だが、言われなくても心の半分にひっかかって、さぼってやりたいことをやっていても集中できなくてモヤモヤした。

 

 それが大人になって変わったかというと。全くというか、更に格付けが下がった。つまり優先順位がどんどん落ちていく。仕事がある。家事がある。しがらみの付き合いがある。体のあちこちが故障する。冠婚葬祭が飛び込む……やりたいことなんてもう、最後の最後という後回しになってしまうのだ。

 

 自分の場合、一番やりたいのは物語を作ること。そのために仕事も時間の融通が利くものを渡り歩いたし、他のTODOもなるべくゆるめに設定して、書く時間を確保しようとしてきた。

 

 なのに。

 仕事も長く続けていると情がわく。もう少しシフト入れないかと頼まれれば、時間空いていない訳じゃないので断れなくなったり。

 何かの人数合わせで誘われると、実際時間がない人よりかは行けないことないわけで。

 暇だと思われていろいろ振ってくる輩もいて、あれこれ言い訳をつけて断ったりもするのだが、家にいるのがバレたりすると大変気まずい。

 

 そして、始末の悪いことに、いざ時間を堂々と「物語を作る」ことに費やせる番がきたとき、さて何もアイディアが浮かばないぞ、どうしよう、となったりするのだ。

 で、だらだらゲームに終始したり、たまっていた録画が結構片付いてしまったりと……嗚呼、大人になるとどうしてこう、やりたいことが全く出来ないのだろう……

 

 工夫はしてるんだよ、と言い訳してみる。細切れの通勤時間にアイディアをメモったり、15分しかないならざっとあらすじだけ書き上げるとか、待ち合わせまでの空いた時間に資料探ししてみたり。少しずつでも進めようと。

 だけど叩き台のベタ書き何十枚となると、どうしてもまとまった時間が必要になる。

 

 昔読んだ「ドラえもん」に、時間貯金箱というのがあった。すごく欲しかったけど、現代にはそれと同じようなことを可能にするツールがある。細切れ時間を上手いこと繋ぎ合わせられるはずなのだ。

 

 大人になるほど、年がいくほど、目先の切羽詰まった必須事項や避けられない突発事項が増えていく。急がない自分の「やりたいこと」は、ズルズルと後回しになってしまう。

 だから、いざ実際丸一日まとまった時間が取れた時に、いかに最初からトップギアで進められるかが勝負。そのためにツールを駆使し、どれだけ事前準備を整えられるかが、今の自分の課題になっている。

 

(了)

 

 

 

 

 

~~以下の小説サイトに投稿しております~~

 

 

 ↓↓↓よかったらお立ち寄り下さい。

 

 

  エブリスタ

 

  アルファポリス

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

 

 

 

 

  「ビバリーヒルズ高校白書」という海外ドラマがはやっていたことがある。華やかなセレブ地区に越してきた双子高校生を取り巻く青春群像劇なのだが、ずっぽりハマッた。自分は、一歳年下のくせしてこのグループに混ざっていたデビッド君のファンだった。


 このドラマ、自分の高校生活からは考えられない、と、ぶっ飛んだっけ。


 まず、私服があまりにおしゃれ。制服で三年間過ごした身としては、うらやましくもあったが、あそこまでファッショナブルだとついていけないだろうと、日本でよかった、なんて少しホッとした本音もある。


 それから授業中の行儀の悪さ。肘を突いて上目遣いだったり、女子がミニスカートで足を組んでたり、先生とタメ口だったり。日本じゃすぐに要注意人物になってしまうだろうことが、普通の感覚らしいのが不思議だった。

 でも、先生に対しても生徒同士でも、きっぱり意見を言い合う。それが新鮮に思えたのは、そういう面が日本に(自分に?)足りないところなのかなと感じていたからだろう。


 「ビバヒル」で初めて思ったわけではないが、高校生が車通学をするという状況に、ええっ、と思った覚えがある。あれだけ大きな国だから、交通事情によりそうなるのだろう。州によっても違うらしいが、16歳くらいで免許が取れるところもあるらしい。

大好きな映画に「フットルース」というのがあるが、卒業パーティに女子を迎えに行くシーンがあった。目的地について、すぐに降りようとする彼女を制して、主人公が運転席から助手席に周り、ドアを開けてあげる。そういう仕草を大人の真似してやりたがる、という高校男子の初々しさを、微笑ましく思えたものだった。


他にもこの「ビバヒル」、学生なのに新聞部の社会への糾弾が鋭かったり、自己の目線がしっかりしていて物怖じしなかったり。狭い中ですぐ別れたりくっついたり(これは果たしてリアルなのか、ドラマとしての創作なのかわからんが)。


とにかくカルチャーショックの連続。高校生活は勉強に部活、ときどき恋愛。みたいなのが常識と思っていた自分。世界は広いんだな~、と思ったわけで。

だからもう少し早くこういうドラマを見たら人生変わったかも、と、10年以上も前に見た時に思った。こういう高校生活をちょっとのぞいてみたかった。


自由すぎてその分責任も背負うことになるから、日本にいるより大変かも知れない。ドラマを見るだけでそう思ったりするのだから、実地研修したら得るものは計り知れないだろう。

最近はあまり人気がないと聞く留学だけど、お子さんにそれを勧める親御さんの気持ちがわかる。まずこういったドラマを見てみるのも、行きたいと思うきっかけとして悪くないと思う。


(了)

 

 

 

 

 

 

~~以下の小説サイトに投稿しております~~

 

 

 ↓↓↓よかったらお立ち寄り下さい。

 

 

  エブリスタ

 

  アルファポリス

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

 

 

 

 

 台所の水栓が外れた! トイレの水が流れっぱなしで止まらない! お風呂のシャワーノズルが絶不調! 等々、これまで襲われた水回りのトラブル。

 

 でも心配なし。我が家には心強い味方がいるのだ。名付けて「水回りのデスパイネ」。とある大手の修理屋さんなのだが、これが頼りになるのである。

 

ちなみにデスパイネとは、プロ野球チームのロッテに一昨年まで在籍した助っ人外国人である。昨年からソフトバンクに移籍、ホームラン王と打点王の二冠となった強打者だ。腕っ節の強い頑強な強面の、でもどっか愛嬌のあるキューバ出身選手。

 

そのデスパイネによく似ているのだ、その水回り助っ人さん。

そこの会社は、依頼主の近所から手の空いている修理屋さんを派遣する仕組みらしいのだが、だからうちが依頼すると、彼に当たる確率が高い。最初にやってきたときに一発で覚えた。物覚えや人の顔の覚えが悪い自分がそうなったのには訳がある。

 

その方、見かけはデスパイネのごとく大きくて頑強そう。なのにである。なのに、声が。声がソプラノなのである。

玄関に迎えに出た自分が居間に戻ると、オットが「事務の女性も一緒に来たの?」と訊いてきたくらいだ。その見かけと声とのギャップがあまりにすごくて、インパクト大。一瞬で記憶に刻まれたというわけである。

 

でも、仕事はまさにデスパイネ。丁寧でしっかり、説明もわかりやすい、の三冠王。何より電話するとすぐに飛んできてくれるのだ。「すぐにはちょっと……」と一度口ごもられたことがあったのだが、「どのくらいかかりますか?」と訊くと「あと30分はかかっちゃいます」と申し訳なさそうに。いやいや、夜とか明日とか言われるのかと思ったんで、全然OKです。むしろ申し訳なく思ってもらうのが申し訳ない。……といった具合に親切度も花丸。

 

ここに辿り着くまでには、いろいろな修理屋さんを渡った。来るのに一週間かかったかと思えば、状況を見ただけで「来週道具持ってきます」と言い放った業者には二度と電話しなかった。ああでもないこうでもないとさまよった末に大金の見積もりを出したところも同様。マンション管理提携先には、「適用外」とか軽く言い渡された。

けど今はデスパイネがいるから安心。水回りは緊急を要するし精神的にパニックになりやすいので、これはとても大きい。

 

そしてもう一つ。物語を書く時の大事な要素に「キャラ創り」というのがある。それは「ギャップ」というものが一つのキーになる。このデスパイネのキャラ、いつか使えるのではないかと、密かに創作メモに書き留めてある。

 

(了)

 

 

 

 

 

 

~~以下の小説サイトに投稿しております~~

 

 

 ↓↓↓よかったらお立ち寄り下さい。

 

 

  エブリスタ

 

  アルファポリス

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

 

 

 

 

 子供の頃、何かをさぼりたくてお腹が痛くなったことがある。いや、「痛くなったことにした」ことがある。

 

 子供心に、ただ痛いと言っても見破られるだろうと思った。で、決してそれをさぼりたいわけではないのだと楽しみにしてる風を見せつつ、ちょいちょい腹痛な顔をする。更にその素振りは、見たいテレビ番組中には起こさないようにし、好きなごはんのメニューは食べられるくらいで、けども周りにいるスピーカータイプの友達に気付かれる程度には目立たなくてはならない。


 そこで「朝起きた時にちょっと痛かったけど、気のせいかと思ってごはんは食べちゃった。テレビを見終わったら少し痛くなったんだけど、さぼりたくない楽しみだから頑張って出かけた。でも直前になって我慢できなくなって、本当に残念だけど休む」とかいうストーリーができあがるわけである。

 

なんて小ずるく小賢しい可愛げのないクソガキであろうか。今の自分がこんな子供に出会ったら、ブッ叩いているところである。

まあ、そういう言い訳を聞いていた大人の表情を思い出す限り、バレバレだったことは間違いないだろうが……。

 

小説とかシナリオで物語を創り始めてから、そんな過去の汚点をよく思い出す。

何せ物語というのは嘘っぱちである。ノンフィクションでない限りは全くのデタラメ、想像、妄想である。

けれどその嘘っぱちに説得力を持たせるためには、周囲を「本物」で固めなければならない。これは資料なり取材なりで何とかなる。

が、嘘であるがゆえに招いた破綻はそうはいかない。ああでもない、こうでもない、と辻褄を合わせるために四苦八苦する。あっちを立てればこっちがダメ、こっちを優先すれば気に入ったエピソードを捨てなくてはならない、などの調整に、めちゃくちゃ時間と労力がかかるのだ。

 

自分が修行中の「もどき」であるから未熟なのかと思いきや、本職作家の方々のエッセイなどにもそういった発言が出てくる。ので、創作につきものな苦労だというわけだ。

 

あの頃の腹痛のこすい言い訳も、どうにかこうにか辻褄を合わせた創作の一つだった。あんな子供の頃からそんなことだけは得意(?)だった。けれど未だ物書きにはなれていない。そういうイヤらしい小賢しさだけは持ったまま、何の花にも実にも化けていないわけで、……子供ならまだしも、大人としてどうかと。嘘つきは小説家の始まりだったと思いたい……。

 

このエッセイブログも、構成の勉強のために始めてちょうど1年が経った(→「25年の片想い」)。というわけで、いつかその小賢しさが花開く、というストーリーを妄想し、いっそう辻褄合わせに励む毎日である。

 

(了)

 


 

~~以下の小説サイトに投稿しております~~

 

 

 ↓↓↓よかったらお立ち寄り下さい。

 

 

  エブリスタ

 

  アルファポリス

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

 

 

 

 

 羽生くん、宇野くんの1,2フィニッシュは荘厳だった。宮原さんはメダルは逃したものの、背筋がゾクゾクする素晴らしさ。坂本さんも元気なジャンプが愛らしかった。

 

というようにオリンピックのフィギュアスケートを見るたび、思い出す漫画がある。「ワン・モア・ジャンプ」赤石路代作(小学館文庫全5巻)。

 

これはスケート一家に育った少女帝が、フィギュアスケートでリレハンメルオリンピックに出る話である。連載当時、実際のリレハンメルはまだ始まっていなかったので、1994年より前の漫画。この頃はまだ日本人がフィギュアスケートでメダルなど、夢にも思わなかった。

 

簡単におさらいすると。

 

帝はジャンプが得意。想像力が豊かなので演技構成を自分で考えるのが好き。本番に強い図太さと機転、そして想い人のトーマの手助けで数々のトラブルを乗り越えていく。

ライバルの緋夏はバレエから転向、アーティスティックな美しさの持ち主。ペアを組む拓馬は滞空力がすごく、片手を上げたジャンプで帝を驚かせる。異母兄のトーマはロシア人ハーフで、怪我で引退はしたが前人未踏の四回転を飛んだ。

 

この連載時には、この設定は確かに漫画。リアル感はあるけれど、片手ジャンプも四回転もメダル以上にあり得ない。日本人にアーティスティックな優雅さはお国柄無理。という前提で楽しんで読んだ。

 

それが。

 

今回の女子金、銀のザギトワ、メドべージェワ。普通に片手上げてジャンプしてるじゃないですか。四回転ジャンプなんて、男子で飛ばない選手はいない。日本選手、みんなめちゃくちゃアーティスティック。

 

現実が漫画に追いついてきたというか、もう漫画の世界じゃなくなっちゃったと言うか。

 

ちなみにこの漫画、他にも様々なライバルが登場する。

チェルノブイリ事故で被爆し、天才でありながら死んでゆくターシャ、肌の色で採点が不利になることへの反発が強いリリー、スラム育ちゆえに上昇志向の強いジョディなど。社会的要素もはらんでいて読み応えがある。腹違いの兄トーマへの恋心を主軸に置いていながら、単なる恋愛少女漫画の域ではないので、大人にもお薦め。というか、私などは充分大人以上の年頃に読んでハマッた口である。

 

フィギュアも残すところエキシビジョンのみ。平昌オリンピックもあともうわずか。そんな名残惜しさと寂しさを晴らしてくれる名作だと思います。

 

(了)

 

 

 

~~以下の小説サイトに投稿しております~~

 

 

 ↓↓↓よかったらお立ち寄り下さい。

 

 

  エブリスタ

 

  アルファポリス

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

 

 

 

 

 日中家に一人。そんなときのお昼ごはん、皆さんはどうしているのだろうか?

 

 自分の場合、大体がパン。チーズと、ハムやツナなどそのときある物でトーストにして食べるのがほとんど。

 ただ、前夜のおかずで残った物が朝食後もなくならないときは、それがそのままランチになったりする。カレーとか八宝菜とか。冷凍ごはんと一緒に食べるわけである。

 

 で、ときどき首をひねることがある。豚汁が残っている。冷凍ごはんはない。でもパンとチーズはある……。

豚汁とトースト。この取り合わせって何か変じゃない? と。

 

ごはんとスープなら別に何とも思わないのだが。クラムチャウダーとかコーンスープとか、洋風の汁物でもごはんには合うと思う。けれど、パンと……豚汁? もとい、味噌汁。ミソスープとも言うし、つまりスープだから別にいいじゃないか、とも思うが、どうも妙な気がしてしまう。どうしてなんだろう。

 

焼き魚とトースト。これもダメだ。え、ツナならOKなのに。サバ缶、サケ缶……ならギリギリいけそうか。でも鰯の蒲焼き缶詰とでは無理。アンチョビなら大丈夫なのに。

 

こうして考えると、醤油、ミソとトーストとの組み合わせに拒否反応が出るのかと思う。でも巷には醤油トーストというのがあって、かなり美味しいと聞く。自分はまだ食べたことないけど。もしそれを食べてハマッたとしたら、何の問題もないのかもしれない。

昔「苺大福」を食わず嫌いしていた頃を思い出す。食べる前は「考えられない」「気持ち悪い」などボロクソ言っていたのに、一口食べたら掌返し。今でも大好きなおやつの一つだ。

 

で、こんな風に、豚汁&トーストのことを「合わないなあ、この組み合わせ」と、思うからやめとくかというと……やめない。

 

理由は二つ。夜まで残しておくと結局誰も食べないままゴミになる可能性大。そして何より豚汁をメニューから外すと、外まで何か買いに行くか、代替物を作るかしなくてはいけない。

もったいない精神と、要はめんどくさがり。それが組み合わせへの疑問に勝つ。間違いなく。

 

美味しくないわけじゃなし。食い合わせが悪いというわけじゃなし。いずれ「醤油トースト」を試して苺大福化すればいいさ。いつになるか、それこそめんどくささが先に立つため、なかなか実現しないとは思うが。

 

というわけで、明日のお昼も「豚汁とトースト」になります。

 

(了)

 

 

 

~~以下の小説サイトに投稿しております~~

 

 

 ↓↓↓よかったらお立ち寄り下さい。

 

 

  エブリスタ

 

  アルファポリス

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

 

 

 

 

 昨今、CMやドラマでよく出てくるこのセリフが、あまり好きではない。

 近付きすぎ、ということで笑いを取りたいらしいが、何が笑えるのかよくわからないのだ。そっちが思うほどこっちは親しく思ってないぞ、というすれ違いを笑おうとしている感じが、どうも上から目線な気がして嫌なのかも知れない。

 

 これ、「パーソナルスペース」の違いということなのだろう、と思う他者に侵入されると不快や緊張を生じる空間――要するに、これ以上近くに寄らないで、と思う距離。

 

 これは知り合いか見知らぬ人か、男性女性か、等で変わってくるという。個人的な感覚として、年齢や地域性もありそうに思う。上手く使えば、営業とかナンパとかに役立ちそうである(気がする)。

 

 有名なのは京都の鴨川土手に座るカップル。ちょうど同じくらいの距離を空けて座っている様子が不思議だと話題になったことがあった。知らない者同士、ある程度の距離を空けたい結果、というわけだ。

 

 そう言えば。スーパーのレジに並んでいる時。

 後ろのオバサンが妙にくっついてくることがある。そんなに寄りたくないなと思って無理に前に詰めると、その分あっちも詰めてくる。結果自分は妙に狭い中でバランスを崩しかねない体勢になって辛い。ああこの人、自分よりパーソナルスペースが狭いんだな、と思ったりする。

 

 電車の席でも。

 こんなにガラガラ空いているのに、なぜ隣に座ってくるのか? という方がいらっしゃる。もしかしてコックリコックリしてしまったら迷惑かけるかも、とか、この季節、コートがかさばるから少し広々座りたい、とかあるので、かなり困惑する。

 

 温泉施設でも出会った。

 広い洗い場、あっちもこっちも選び放題じゃないか、という状態で、どうしてか隣で洗い始めるのだ。シャンプーしたりシャワーで洗い流したりの、雫や石鹸がまるで飛んでこない位置取りをすればいいものを、どうしてそこ?

 

直径1メートルほどの範囲で泡の出ているお風呂の真ん中にオバサンがいて、自分がちょっと避けて端っこにいたら、「泡のある場所へいらっしゃい」と親切に声をかけてくれたこともある。けど、1メートルの中に裸で隣り合うって、……ちょっと勇気が要ったので、丁重にお断りした。

 

 駐車場でも。

 どうして隣に、と入ってくる車がいる。まあバックするのに目印があった方がいい、という理由だと勝手に思うことにしたが、……そんなに寄ってきてガリとかやらないでね、なんて念じたりして。

 

 一応自分は女子なので経験はないが、オットによると男性トイレでもよくあるそうである。ガラガラに空いているのに、なぜか隣にきて用を足すオッサンが。

 

「近い……」とは、こういったときに使うのか。でも、CMとかドラマみたいに、相手に直接言う勇気は……ないなあ。

 

(了)

 

 

~~以下の小説サイトに投稿しております~~

 

 

 ↓↓↓よかったらお立ち寄り下さい。

 

 

  エブリスタ

 

  アルファポリス

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~