石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと -42ページ目

石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと

日常で気になったことや、長い物書き志望歴で思ったことをランダムに綴ります。

 10年近く前、せっせと映画を観に行ってはその感想をブログに公開していた。これは5年弱続き、数えてみたらテレビ鑑賞を含めると、300本を超えていた。(興味があったらご覧下さい→映画ブログ)

 

 このブログを始めたのは、映画が好きなのはもちろん、何を観たかの備忘録的なものを整備しようと思い立ったこともある。

    が、一番には「自分はどう思ったのか?」を確認したいと思ったからである。

 

 変に思われるかも知れない。けれど自分、とっても流されやすい性格。そして思考回路のつながりが恐ろしく鈍い。なので、とある映画を観た誰かが「ここが面白くてここがツッコミどころ、作者はこういう意図」みたいなことをサクサク述べていると、「そうそう自分もそう思う」となってしまうのである。自分自身が思うように言葉にならなかったことを、バンと言い当ててくれる方が多いので便乗してしまう。

 

 もちろん全部がそうではなく、自分はそう感じなかった、と思う時もある。でもその場合、なぜそう感じなかったのか、というのが上手く説明できない。何かイヤ、どうも嫌い、といった漠然とした感覚しかなく、理路整然と筋道立てることができないのだ。

 

 ブログを書くにあたり、映画を脳内再生して考えて考えて、何度何度も言葉を選び直す。そうやって起こした文章で、ようやく「私はこう思ったんだ」とわかるのだ……こういうのを頭が悪いというのだろう。

 

 昔から自分の意見を言えなかった。「こう思う」というのがすぐにまとまらない。だから議論は超苦手。誰かが何かを言うと、それについて考え吟味し言葉を探しているうちに、まわりはどんどん発展して全く違う話題になっていたりする。そのスピードについていけず、更に自分が「言おう」と思ったことなんて言えたとしても次への展開が少しもない。述べているうちに何を言いたかったのかわからなくなることもいまだに多い。

 

反射神経の鈍さが自分が何をどう思うかをシャットアウトして、人の話を聞くことに徹していた。そしていつのまにか、近いことを言った人の意見を自分のものとしていたところがあったように思う。

 

それじゃ物語の創作はできないなあ、と思ったのである。だから映画ブログをやって「自分はこう思った」と、一心不乱、必死に考えてみようと思った。自分にとって「率直な意見」を紡ぐのは、そのくらい大変なことなのだ。と、やってみて改めて自覚した。時間がかかっても、とにかくそうやって一生懸命に考えることが自分には必須なのだということも。


そのブログ、いろいろと言い訳はあるが、今や放りっぱなし。ずーーーーっと更新していないので、広告が出まくりの恥ずかしい状態となっている。ああ、ここまで散々もっともらしいこと言ってきといて。


再開したいのだが、このところなかなか映画を観なくなった。だから代わるものを何か見つけなくてはならないな、と思っていて、とりあえずこのブログを続けているわけでして。。。

 

(了)

 

 


  

 

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 ホラーというジャンルの物語を書いてみたくて、「自分は何を怖いと思うだろうか?」と考えた。

 

 かつて読んだ本で怖かったのは、「むかし僕が死んだ家」(東野圭吾)、「リング」(鈴木光司)、「黒い家」(貴志祐介)など(敬称略)。

 

「むかし僕が死んだ家」は、何が起こっているのかわからないうちからその雰囲気が異様に怖い。そして謎が解き明かされた先にはリアルな社会問題があって、それが怖さに拍車をかけた。

 

「リング」は、映画で長髪の貞子がテレビを出てくるシーンがお馴染みだが、そこは別に自分のツボではなかった。原作にはないシーンだし。自分には、謎を解明していく過程の、例えばまばたきが男性は毎分20回、女性なら毎分15といった、身近でリアルな事実の積み重ねがすごく怖かった。

 

「黒い家」は、保険金殺人のあまりのリアルさが怖すぎた。買ったその文庫本を持っているのが恐怖ですぐに売ってしまったほどである。またこれを大竹しのぶさん主演で映画化が決まったという時期に読んだので、頭にクッキリイメージが沸いてしまい、更に恐怖が膨れ上がったわけで(あまりに怖くて映画は観に行けなかった……)。

 

 そういう感覚の自分は、どういうホラーが書けるだろうか? これまでの人生で怖かったことは何だ? と思い悩んだ末に、一つだけ出てきた。「置いていかれること」。

 

 いろんな人がいろんな共通点で繋がっている。でも一緒だと思っていた彼らが、違っていたら? 自分一人が置いていかれるとしたら?


 例えば、年を取っていろんなことが退化していくこと自体も怖い。けれど、同年代の友達や学校の同級生などみなそれは同じように起こる。だから年寄りになってもお互い安心してそういう話で盛り上がり、仲間でいられるのでは?


 だったらもし、自分だけが年を取らずに置いていかれてしまったとしたら、……これ、ものすごく怖くない? 

 

 最近で怖かったことは何だろう? 思い出してみた。あったあった。

 

 我が家には高さを上下できるテーブルがあるのだが、ある日帰宅したら、座卓として低くセットしていたはずのそれが、最上位に上がっていた。その日家族は朝早く出たままで、自分が帰るまでは誰もいなかったはず。


    泥棒? いや何も荒らされていない。使いかけの食器も朝干したままの洗濯物も投げ出した新聞や雑誌もいつもの場所、何一つ動いていない。動いたのはテーブルの高さだけ。誰が。何のために。

 

 怖い。めっちゃ怖かった。そしてテーブルの下には濃い色の液体がポツーリポツーリ……ぎゃあああ。

 

 ……何か工場っぽい匂い。よくよく見たら、油みたいだった。……あ、このテーブルの上下って、油圧式? それが漏れちゃった? だから調節が狂って勝手にテーブル上がっちゃった?

 ……とまあ、そういうことらしかった。

 

 すぐにニューテーブル購入に走ったが……それでわかったのは、自分が怖いのは「身近でリアル」なことだってこと。

    先の三冊の本にしても、超現実的なことが出てきても身近でリアルな裏付けがあった。そういったところに怖さを感じたのだと合点がいったのであった。


    まあテーブルの件は、ネタとしては全く膨らまないような予感がしてます。


 

 

(了)

 

 

 

  

 

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「甲斐キャノン」とは、プロ野球ソフトバンクホークスのキャッチャー甲斐選手の通称である。

    その鉄砲肩がすごすぎて、最初は単にバズーカとかキャノン砲と呼ばれていたそう。そのうち機動戦士ガンダムのガン・キャノンというモビルスーツ(分かりやすく言えばロボットね)をカイ・シデンという名の戦士が操縦していたことから「甲斐キャノン」。覚えやすいしゴロがいい。それに何かとてつもなく強そうだ。


    ペナントレース終盤から聞きかじったこれが自分的にはツボで、電車の中の「無料シャトル」という広告までが「甲斐キャノン」に見えてしまったほど。……今年の流行語大賞ノミネートに間に合わなかったのが残念。

 

 その威力は、先の日本シリーズで一躍有名になった。

 でも自分、あまりノリノリでこの頂上決戦を見ていたわけでなく。感想としては、……何かあっさり終わっちゃったなあ、日本シリーズ、という。

 

 ロッテファンの自分としては、今年のプロ野球はとうの昔に終わっていた。けれど一応シーズンは見届けたくて、まあ雑用やりながらのテレビまだら観戦。

 

 クライマックス第1ステージでは、3位の日ハムを応援していた。なぜって、西武もソフトもシーズン中強すぎたから。

 しかしソフトは2位でもやはり強く、日ハムは敗退。

 

 で、ファイナルステージでは西武を応援していた。なぜならソフトは去年もだだ強かったので、新鮮な方を選んだのである。

 しかし西武は短期決戦に弱かった。パリーグシーズンぶっちぎり優勝だったのに、あえなく敗退。くそう。

 

 では日本シリーズ、広島に頑張ってもらおうではないか。去年クライマックス敗退という煮え湯を飲んでいることだし、活きの良い選手が揃ってるし、頑張れー、と。

 

 ……。

 ……。

 ……。

 

 あら。日曜にもう試合がないんですが。

 

 初戦はさすがの実力者同士、両者譲らぬ引き分けという壮絶な戦いを見せてくれたのに。これはひょっとして月曜とか火曜とかの第9戦、 いやもっと先の未知の長丁場に? と、期待していたのだが。

 結局、ソフトの4勝1敗1分という……結果的にはかなりの大差で終わった。

 

 第2戦以降、広島は「甲斐キャノン」に自慢の足をことごとく封じられた。ロッテもシーズン中、さんざんあのバカッ肩にやられたものだが、この大舞台で6-6、100%の盗塁阻止はすごい。それで広島は勢いが死んだと思う。


    甲斐選手は、その規格外の仰天プレイだけならまだしも、涼しげな目元が市原隼人を思わせるイケメンで(私見です、汗)、今後彼の人気はギータ(柳田選手)並みになるのではないか? と、勝手に想像している。

    ゴールデングラブも取ったことだし、今後ロッテの前に立ちはだかる強大な壁であることは間違いない。そうなると、好きな選手だけど複雑な心境ではある。

 

 にしても。

 この日本シリーズ、ことごとく自分が応援する方が負けて去っていった。このジンクス、何か別のことで役立てて大儲けできないかと思ったりする。

 

 とにもかくにもソフトバンクホークス、日本一おめでとうございました。

    来年こそはロッテも……せめてクライマックスに参加したい……って去年も言ってた気がする。。。1年経つのが早すぎる。

 

 

 

(了)けろけろけろっぴ

 

 

 

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 一時期、出版社にマンガ原作の持ち込みをしていたことがある。持ち込みとは、要するに売り込みのことで、「こんなの書いたんですが、載せてもらえませんか?」と編集者を訪ねて読んでもらうのである。

 

 自分の場合は、一応原作コンクールで賞を頂いたご縁で、電話して日程調整して伺うという流れだった。

 けれど、マンガ原作またはマンガについては、直接持ち込みを受け入れている出版社も多く、ご縁がなくとも勇気を持って当たっていけば、プロの編集者からアドバイスがもらえる。


 結果として採用されなくてもそれはとても役に立つ。わかってはいても、自分の場合、電話するときからして尻込み、勇気を出すのに一週間はかかった。そのままやめちゃおうか、と思ったことも数知れず。が、たまたまやはり持ち込みをしていた知り合いがいて、感化されて勇気を出すことができた。

 

 持ち込む物の書き方は、出版社にもよると思うが、自分の場合はシナリオ形式だった。箇条書きや小説の形の場合もあるという。

 最初は物語全てを書き終えてから電話する勇気を振り絞ったものだが、回を重ねるにつれ、「こういう話はどうでしょう」というあらすじというかネタというか、企画書とも言えない趣旨のようなもの一枚を出すだけになった。全部書き終えた物を出しても、必ずやり直しになるからである。もっと言えば、根本的に違う方向へ進むことの方が多いからである。だから最初に担当さんと話し合い、詰めてから書き始めるようになった。

 

 自分の場合はこれを月に一度くらいの頻度でやっていた。書き終わったらまた次最初から、といった具合。けれど大体がボツで、掲載まで漕ぎつけたのは十本に一本くらい。何て効率の悪さ。時給にしたら何十円の世界だね、なんて先の持ち込みの先輩と話したこともある。それでも今考えれば、結構なヒット率だったと言えると思う。

 

 実際何本かマンガになったときはとても嬉しかったが、実感したこともある。編集者さんに何度も言われたのは、「マンガは漫画家さんの物」ということ。これも出版社によって、あるいは原作者の格付けによっても違うのだと思うが。要は、こちらは「自分の書きたいことをマンガにしてもらえる」という気分でいたがそうではなく、「漫画家さんがネタに出来る物を提供する」というのが求められる原作者だったように思う。


 だから、「原作ではこう書いたのに違ってる!」とか言える立場でもない。そして書き上がった物を渡した後は、その雑誌の○月号に掲載との連絡をいただくのみで、発売日に書店に行って初めて「こんなマンガになったんだ」と知る、という感じ。

 

 それでも原作者名が印字されていることに感動したっけ。それは確かに自分が作ったものなのに、マンガとして載っているとなぜか新鮮で、どこか遠くの誰か知らない人が書いたような不思議な気分だった。

 

(了)


 

 

 

  

 

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 東野圭吾さんの小説「宿命」の解説にあった。最後の一行を書きたくて書いた話だと。

 

文庫本一冊の長さだ。腐れ縁の二人の男の長い年月の物語だ。それがその一行に集約され、幕を閉じる。

初めて読んだのは相当昔なので、当時の自分の詳しい感想は覚えていないが、その意外性に切なくもホッとしたように思う。

 

宮部みゆきさんも、話は決まっていないラストのストックがいくつかあるという。山崎豊子さんの最後が決まらないと書けない、との一言も見かけた。

 

これらのことは、自分が物語の創作を始めてみてからとても身に染みるようになり、よく思い返す。

 

最後の一行じゃなくてもいい。物語の結末でなくても。こういうシーン、この一言、その一行を書きたい。そういうひらめき、思いが、物語を書ききるための勢いというかエンジンみたいなものになる。自分みたいな物書き見習いにでも、そこへ向かうことですべての神経が研ぎ澄まされる感じはわかる。

 

これまでいくつもの物語を書いてきたが、それがなかったものは大抵失敗している。途中であちこち脱線し、迷走し、放り投げた物も数知れず。何とかエンドマークをつけることができても、自分自身読み返したいと思わないほどに思い入れがない。

 

本当に少ないのだが、これという最後の一行を書きたくて書き始めた物が、自分にもあった。これは強かった。

調べものが面倒だったり登場人物に嫌気がさしたり途中もたもたする展開に整理ができない自分の頭を恨んだりと、必ずどこかで突っかかるのは他の作品と変わらなかったのだが。

 

とにかく「その一行」が書きたくて、そこに向かって働く復元力や推進力がものすごいのだ。最後にその一行が来るのだからそれを際立たせる伏線をこっちにもあっちにも入れて。それを言わせる人物はこういう性格にして。だからこういうことが起こって脇にはこういう人が必要で。

といった具合に、ただ漫然と結果もわからず書いているよりずっとクリア。ものすごく張りがある。

 

自分の場合、「その一行」「そのシーン」はずっと頭にだけ置いておいて、そこに辿り着くまではわざと書かない。すぐに萎えて挫けてしまう自分に、人参としてちらつかせるのだ。そしていよいよそこに到着した時の達成感といったら……!!

 

脳内再生でヨダレが出てしまった。

何せ、そうそうできないのだ、これが。書きたくなりそうな景色、言葉、イメージ、ニュースなど、ガンガン羅列してはみるのだが、自分の度量と推し量り、膨らんでいかないものも多い。……というか、ほぼ8割方ダメじゃん……、と、ネタ出しの時点で嫌になることが多い。

 

それでも残り2割を求め、「その一行」を探して、今日もあちこち目をこらしている。あの超強力エンジンの中毒患者なのである。

 

(了)

 

 三谷幸喜さんのエッセイに、こんなことが書いてあったのを目にした。

 

『旅行が嫌い。家にいれば要りような物がどこにどうしまってあるか把握している。旅行へ行くとそうはいかなくなるのが嫌』というような趣旨だったと思う。

 

 それで腑に落ちた。自分はなぜ旅行となるとこんなに憂鬱になるのかと。

    全く三谷さんに同感で、荷物に詰めた途端、どこに何があるのかわからなくなる。どころか詰め忘れるのも常で、探し出すのにもたつき苛ついてしまうのだ。

 

 旅行自体は好きである。普段の自分の行動範囲では見られないもの、できないこと。そうした体験はとても楽しいし、新たな発見は心の栄養になる。同じ毎日の繰り返しから抜け出せる気分転換になる。そうわかっている。

 

 が、どうにも憂鬱さも抜けない。自分なりに何故なのか分析してみた。

 

 一つ、三谷さん現象。

 

 一つ、荷造りが面倒。

気候がわからない季節には本当に悩むので、あり得ない程荷物が膨らんでしまう。半袖からコートまで、タオルからマフラーまで、バカみたいな品揃えになってしまうのである。でも重たい思いをしたくないので、何かを削ろうと必死に考える。でも考える労力が最近続かなくてすぐに萎えてしまう。結局重たい量を持ち歩く。どっと疲れる。……今までの人生、結構な回数の旅行をしているはずなのにアホかと思う。

 

 一つ、録画が溜まってしまう。

ついついドラマや映画を片っ端から録画するのが癖で、これはノルマのように追われて見るはめになる日々を招く。できるだけ定期的に見ては消すようにしている。これが旅行が入ると後へ後へと繰り延べられる。いつ消化しようか頭を捻らなくてはならなくなり、億劫になる。

 

 一つ、生活リズムが狂う。

普段起きる時間、やるべきこと、寝る時間、は大体のところ決まっている。これが旅行に出ると、あれもこれもやりたいし、貧乏性ゆえに詰め込みすぎて疲れるし、何よりご当地グルメを食べまくってしまう。旅行後は必ず2キロほど太ってしまい、最近はそれが戻らないうちに次の旅行へ出かけたりするものだから、恐ろしいことになっている。

 

 更に一つ。

洗濯。2,3日ならともかく、少し長くなるととてつもない量になる。その大仕事のことが、旅行の後半くらいから頭をよぎってしまうのだ。もう激しく憂鬱になってくる。


ただし、これについては最近解決策を見出した。宿泊先かコインランドリーで乾燥まで終わらせてしまうのだ。それでストレスが洗濯物と同じくらいグッと減る。

 

 こうやって考えてみると、やっぱり自分は「旅行好き」とは言えないのだろうなあ。でもやっぱり出かけてしまう。だとすると、「エセ旅行好き」 ……うん……その名乗りが正解な気がする。

 

(了)けろけろけろっぴ

 

 

 

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 最近、うまく電車を降りられない。

 というのは、前に立っている人が降りるのか降りないのかが直前、というよりその時になってみないとわからないのである。その人を避けて前に出ていいのか、はたまたその人の後ろで待っていればいいのかが判断できず、降り損ねそうになる。

 

 歩いている時もそう。前や横の人がまっすぐ行くのか右に曲がるのか左なのかいやもしや止まるのか。それでうまく追い越せずにぶつかったり壁との間に挟まれたりする。

 

 昔、車の運転免許を取った時の話だが、車線変更がうまくできなかった。右折も左折もおどおどしていて、周りの意地悪いクラクションや幅寄せで泣く泣く直進するしかなくなったことも多々あった。今なら「どいてどいて私こっちに行きたいの~だから入れてね~避けてね~」てなもんで図々しく鼻先を突っ込む。後ろや横の車にこれでもかと自己主張する。彼らはきっと「ちっ図々しい」とか「やな奴の後ろについたな」などと思いながらも入れてくれるはずだ。

 

 つまり、どっちへ行きたいかの意思表示をハッキリする。それがわかれば譲ってくれる。または入れてくれない人でもとっとと抜いていってくれる。

 

 その、人が「どっちに行きたいのか」の予測というか先読みというか、それが本当に出来ないのが先の電車を降りるときや抜きたいとき。

 理由はほとんどスマホ。ギリギリまで画面を見ているから準備していないのである。彼ら自身が先をどうしたいとか思っていないから、こちらが読み取れるわけがない。目的駅に着いてしばらくしてから気付き、乗り込む人を掻き分けて飛び出す人もいる。

 

 これが結構疲れる。

 

随分前に、スキー場にスノーボードが現れた時の感覚に似ている。自分がやったことあるのなら予測もできるのだろうが、何せ経験はスキーオンリー。スノボは曲がり方や止まり方がまるで違うので、避ける自信も追い越す勇気も出なかった。

 

逆にそんなにせっかちに急ぎなさんなよ、と周りは思うかも知れない。けど体力が落ちている分、行動は予測に頼る割合が上がってきている。それができないとなると結構つらい。

 

そういう乗り降りや追い抜きに限らない。

例えば「こういう仕事に就きたい」「こんな夢がある」「こういうタイプの人が好き」とか普段から希望を明らかにしていると、意外に周りが気にかけてくれる。そのおかげで何度も助けをもらったり有難い思いをしたことがある。このオーラ、侮れない。

 

 そういうわけで、どっかの電車で「降りますオーラ」を人一倍激しく燃焼しているオバサンがいたら、それは私です。

 

(了)けろけろけろっぴ

 

 

 

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 以前、どこかのテレビの企画で、「大人になるのはいつだと思うか?」といった街頭インタビューがあった。集計結果は「就職した時」に落ち着き、まあ常識的というか、普通にそう思う。

 

 似たようなことが、「笑っていいとも」で取り上げられたこともあった。そのときのお題は「大人になるってどういうこと?」だった気がするが、タモリさんの答えは、「しがらみが増えること」だった。自分が好きなことだけやってはいられない。人間関係が増え、その分あれやこれやのTODO諸事が増えるということだろう。妙に納得した覚えがある。

 

 で、最近聞いたラジオである。「あなたの考える大人」を聞いてみるという企画だった。これがなかなかにうなずける答えばかりで。

「褒め上手」、「行きつけのバーがある」、「字がキレイ」、「お手紙上手」、「時間に余裕を持って行動」等々。

 

「褒め上手」にはなかなかなれぬ。自分、タイミングとか言葉選びとか笑顔とかが下手くそで、褒めても通じないことが多くて。

 

「行きつけのバー」、これもない。一人で入って長居できてお店の人に顔を覚えられている喫茶店ならいくつかあるが、さすがにお酒、しかもバーはハードル高し。

 

「字がキレイ」……これは最近本当に反省している。パソコン、基ワープロを使うようになってからというもの、文字は下書きの殴り書きくらいしか記した覚えがない。いざ書いてみようとすると、筆圧からして加減できず、シャーペンの芯をボキボキ折りまくる始末である。

 

「お手紙上手」も「字がキレイ」にある意味含まれると思うが、気遣い、タイミングを逃さない、という要素が加わる気がする。その点、ついうっかり忘れる、いつのまにか季節が変わっている、となってしまう自分、大反省である。

 

そして「時間に余裕」であるが、これはできているゾ、と胸を張って断言。……って、ただの体力の不安である。ギリギリに家を出て走って間に合う自信がないのである。更に、その焦りからどこかに躓いたり転げ落ちたりして大怪我につながる恐れがあるからである。決して妄想ではなく経験値である。

 

というわけで、アラフィフにもなって全然大人になれていない自分に、愕然とする。

 

ちなみに、「人はいつ大人になるの?」というテーマの話を作ったことがあるが、心底自分の大人度欠損具合が嫌になったのがきっかけである。

 

自分が考える大人。それは、「他人のことを心底慮れる人」である。自分はこの年齢になってそれができていない。自己チューを全く卒業できていない。悲しすぎる。そういったオトナ人に出会うたび、「一体いつどうやって、そんな素敵な大人になったの?」と問いかけたくなる。

 

(了)けろけろけろっぴ

 

 

 

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 私事であるが、先日読売新聞のUSO放送に応募。「残りものに福浦あり ――ドラフト主催者」と。まあ、落ちたようなので誰の目にも触れていないが、本人自信作なのでここに記します。

 

9/22に52人目の2000本安打の偉業を達成したロッテの福浦和也選手は、ドラフトのとき全ての球団の最後の最後で指名された人――残りものだったのだ。

 

元々投手、でもバッティングセンスを買われ転向、イチローなき後首位打者を獲っている。ロッテが史上最大の下克上と言われた、3位から日本一に駆け上がった2010年の中心選手でもあった。千葉一筋、習志野高校からロッテに入って25年。実績もすごいが、人格者でもあり、記録達成の瞬間には心が震えました……。

 

でも、カウントダウンしながらも、達成してしまったら引退するのではないかと、ロッテファンとしては恐れも持っていた。それが、まだまだやりますとのコメントで安心したのも束の間。

 

大好きだった岡田幸文選手が引退宣言。自分にとってはゲリラ豪雨に遭ったような衝撃。

 

岡田は守備でお客を呼べる外野のスペシャリストだった。その一歩目の早さ、球に追いつくまでの加速、ギリギリでキャッチするのに楽々捕っているかのような美しさ。まさに魅せる守備。

 

ゴールデングラブを2度も取っているし、何よりここ2年ヒットがないというのに2軍落ちしないでいた期間が長かったことが、どれだけ守備で貢献していたかの証拠である。


普通の選手では普通にヒットになるであろう場所まで軽くアウトにしてみせるその守備範囲は、エリア66(66は岡田の背番号)と呼ばれたほどだ。私は球場で、あり得ない守備を3連続して相手の巨人ファンからですら拍手されたのを見ている。めちゃくちゃかっこよかった。


引退は本当に残念だけれど、胸のすくプレイを見せ続けてくれたことに、とても感謝している。

 

岡田に継いで、金澤、根元といった良い選手が次々引退表明をした。出場機会にあまり恵まれなかったけれど、みなどこかしらでここぞというプレイを見せてくれた選手ばかり。


ロッテに限らず、巨人の杉内、広島の新井、西武の松井、オリックスの小谷野、日ハムの矢野、中日の岩瀬、浅尾、荒木……ちょっと泣きそうなほどの豪華ラインナップ。

 

スポーツ界は入れ替わりが早いなあと思う。歌手や俳優も、旬の人が変わっていくのがやはり早いと思うけれど、スポーツほどじゃない。一般人でも、身近ないろいろなことがいずれ変わっていくことを象徴しているようにも見える。そんな中で生きてきたアスリートの人達は、普通の何倍もの濃い日々を送ってきたのかな、とも思う。

 

彼らの若い頃からの成長を見てきた身としては、時の流れに一抹の寂しさを感じている。でも引退する人も、大ベテランとして残る人も、まだ30代40代。

これまでその世界で培った体力精神力人間力が、次のステージで存分に生かされることを、願わずにはいられない。

 

(選手の方々の敬称を一部省略させていただきましたkeroppi)

 

(了)

 

 

 

 

 

 

 

 

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 先日、酷暑まっただ中にエアコンが故障した。新エアコンを買ったものの、その取り付け工事が3週間後と告げられ、白目を剥いたばかりである。

 

 なのに、今度はテレビ内蔵型のHDDが御陀仏となった。何だか反応が鈍くなったぞ、動かないぞ、再生できないぞ、とバタバタ進化しているうちに、ついに録画もできなくなった。いや、一応録画するのだが、そして一覧に表示はされるのだが、1時間か2時間後に確認するとまっさら消えている。更には、今まで8年に渡って録り溜めた映画やドラマや実録ドキュメント、全ていなくなった……。

 

 脱力である。時間のある時にゆっくり観ようと楽しみにしていたクライマーズハイ。あああ。

 と思ったけど、思い出せるのはそれくらいで、あとは何を溜めてあったのか……?

 

 HDDの具合が怪しくなった時点で、ハマッていた連ドラの最終回が迫っていた。深夜だったので(最近早寝早起きなため、23時でも自分には深夜枠ど真ん中なのである)録画、でも翌日にはすぐ視聴。そういうお気に入りの最終回を、見られなかったらどうしよう?

 

 それで自分、何年ぶりかでオンタイム視聴というのをしたのであった。

寝過ごしたらいかん、と5分前にアラームをかけ、途中でウトウトしても巻き戻しはできん、と晩酌も取り止め。

で、めでたくちゃんと視聴成就した。妙な達成感をおぼえるほど、なかなかのミッションであった。

 

ちょっと新鮮だったのが、CM。ここ何年も見たい番組は録画ばかりだったので、いつも早回しで飛ばしていた。が、オンタイではそうはいかない。仕方なく見るハメになったけど、結構へええ、だった。流行っている音楽はこのCMだったのか、とか、この旬の俳優こんなCM出てるんだ、とか、この商品ちょっと興味をそそるな、とか。

 

何故かちょっとした取り残され感が湧いた。何だか自ら世の中から距離を置いていたかのような。最近、マスコミが騒ぐ物に興味が持てない傾向にはあったけど、録画視聴も一因になってたりするのかな、と思ったり。まあ、だからといってこれからもCMをじゃんじゃん見ようとは思わないけど。

 

とにかく新しい録画機、早急にカモン。と思いつつ、テレビごと買い換えようか、そうすると大きいのが欲しいし、そのためには周りにあれやこれや積み重なった荷物を整理して片付けて埃を掃除して……うっ、めんどくさ……。

めでたくそれを超えたとして、今テレビ機の後ろからぞろりと出ているCSやらチューナーやらのコードを正しく繋ぎ直すことができるのか?

 

悩んでいるうちに早2週間。あれ? 録画機なしで済んでる……。どころか、溜まった録画を消化しなくちゃしなくちゃ、という強迫観念がなく、至ってスッキリ清清しい。

 

……もしかして、録画機能、要らないの?

 

いやいや。今は連ドラの狭間。これから始まる新ドラとか年末に向けた特番とかもある。やっぱり急いで買わなくてはいけない、はずだ。

 

(了)けろけろけろっぴ

 

 

 

 

 

 

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