静かな優等生(18/4/1) | 石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと

石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと

日常で気になったことや、長い物書き志望歴で思ったことをランダムに綴ります。

  もう半年以上前になるが、愛車を買い替えた。ハイブリッドにしたので、ガソリンの補充頻度が減って家計にも優しい。更にものすごく静かで振動も少なく、乗り心地抜群の優等生である。

 

 しかし、この「ものすごく静か」というのが、逆によろしくないと最近わかった。

 

 静か過ぎるのである。発進する時も、普通に走っている時も、スピードを上げる時も。運転する立場でもほとんどストレスを感じないくらいで、だから歩行者からしてみれば、全く気付かないほどのおとなしさ。

 

これってめちゃくちゃ優秀。車の騒音が問題になって、開発者の方々がおそらく大変な工夫と努力をもって解決した、素晴らしい技術であるはず。

 

けれどそもそも、車=うるさいという認識が、誰にでも普通に刻み込まれている。だから音もなく近づくなんて思いもしないのだ。

自分が歩行者になって思った。その車が10センチ横を通り抜けようとするのも、すぐ後ろでエンジンをかけられても何の気配も感じない。これがとても危険だということは子供でもわかる。だから嘘かホントか少しは音が出るように改良された、との話も聞いた。

 

 ふと自分の子供時代のことを思い出した。

 

 決して優等生ではなかったが、はみ出したり誰かを困らせたりすることのない、親や教師にとってはたぶん楽な子供だったと思う。勉強もスポーツも友達付き合いも平均的で、大人の手を患わせるような大きな問題は起こさなかった(はず)。

 

 けれどこの「手のかからない」ということが、逆にネックだった。大人は手のかかる子供に注目する。そちらにかける時間の方が圧倒的に多くなる。それだけでも少し寂しさを感じたが、一番理不尽に思ったのはそこじゃなく。

 

 例えば宿題を期限までに出す。やりたくはないのだけれど、小心者だから泣く泣く遊ぶ時間を減らしてでもとにかくやる。当たり前のことだから誉められはしない。でもそれよりすごいことが出来る訳じゃないので、結果誉められる機会は全くないわけである。

 ところがそういう当たり前のことをやらない輩がいる。親も教師も怒る。何とかしようと闘いになる。そしてその果てにその子がちゃんと宿題を出した暁には、大喜びで褒めちぎる。

 こちらは遊びたいのを我慢した。そっちは遊びたいだけ遊んでいた上にそれだ。

 

 そんなことをたくさん横目で見てきた。自分がやっても褒められないことを、やらないでいた子が褒められるというモヤモヤ。見放されているような孤独感。

 

 大人になった今ならわかるが、子供は一人一人違う。長所を見つけてやることが大事。見つけにくい子に時間がかかるのは仕方ない。わかるが自分は教師にはなれないな、と思う。ちゃんとやった子を放っておく事態にならざるを得ないのはどうしても忍びない。

 

 うちの愛車、大事にしよう。静かなのを誉めてあげよう。やることやってるのにそのせいで肩身が狭いなんて、切ないから。

 

(了)

 

 

 

 

 

 

 

 

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