去年の暮れ近く、体調を崩して病院へ行った。時期的に同じような人々で待合室は溢れ、席さえ確保できないくらい。具合が悪い上に座ることも出来ず、空気は澱み、延々と待たされる中。ハズレに当たった……。
ようやく座れた席の、すぐ横に立っているお母さんと小学生に向かい、どこの奥からやってきたのか、「ああら○○さん!」と、同級生の父兄らしきオバちゃんが。「どうしたの? 風邪?」とそこまではよい。お母さんが「そうなの」とたった一言答えるや否や。「うちはねえ、今朝起きてごはん作ってたら調子悪いけど学校行くって言うからそのまま行かせたのよお。でも結局熱っぽくて帰されるっていうからじいちゃんが迎えに行って、あ、私は仕事に行っちゃってて、仕事っていうのは××で△△のパートなんだけど、それが10時からだから、家には年寄りしかいなくて、で、子供は帰ってきたら吐いたっていうの、それがサラサラじゃなくてドロドロの――」と、その長々しい話は止まらない。
子供の朝一番からの描写、必要ですか? あなたのお仕事がどんななのかは別に興味ないです。病人の事細かな病状は、医者だけに話してくれ。
と、思いながら延々と続く話を聞くしかない。なぜなら席を立てばもう二度と座れないだろうし。聞かされている母子も、会計の呼び出し待ちらしくそこを動くわけにいかない模様。
その話、一から十まで聞きたいと思いますか? との暴言が喉まで出かかるほど、具合の悪さが倍増される事件であった。
恐らくそのオバちゃんは親切なのだろう。相手がわからないといけないので、なぜ自分が迎えにいけなかったか、どれだけ子供の病状が悪いのかを事細かにお話してくれた、と。
だけどこの件で、注意しなくてはとつくづく思った。
物を書く時は説明しすぎてはいけない。リズムが悪くなるし読み手に「そんなことはわかってるよ」と思わせては残念だ。説明が少なすぎてもいけない。読み手がわからなくて途中で放り投げる恐れがある。一から十まで語らずして伝えきるには五くらい? 七? それとも三でいい? この過不足の加減が難しい、といつも思うのだ。
テレビドラマで、いつからか、最終回とかで10分延長という特別措置をするのが氾濫するようになった。それを見ると、「この10分必要?」と思うことが多い。60分の内容を70分に希釈しているに過ぎない場合、テンポが悪くて惰性感ありあり、になるのがよくわかる。
それを反面教師に、だらだら長すぎてはいけない、と自戒しつつ、必要な部分まで削ってしまって「わからない」とぶった切られる。
そんな感じで長年に渡り試行錯誤中の、物書きもどきです。
(了)
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