理系に進みながらも、理系的才能も適性もなかったことは、前回書いた。文系的才能もないくせに、物書きになりたいな、と思ったことも。一般的には妙な分類の人間なのかもしれない。
要するに、理科へも文科へも、どちらも秀でていない。平均的に低めだったので、どう進めばいいのかわからなかったのである。
で、だから物書きを目指せるか、というと、ウン十年いろいろ書いて、いろいろ弾かれたりして思ったのは、「売り」の必要性である。
理系だから物語を書けないかというと、全然そんなことはない。
手塚治虫はお医者だし、東野圭吾は工学系である。エセでない正真正銘理系出身の彼らが書く物を面白いと思う私は、畏れ多くも、リケジョでももしかしてそういうことができるのでは? と希望を持ったわけで。
おまけに東野さんがどこかで言った言葉を支えにしちゃっている。ミステリーを書くことは理系には向いている、というようなことだった。
これはつまり、ラストを決めてから書くミステリーの場合、あちこちに伏線やヒントをパズルのようにはめ込む。そういう図形的な感覚は、理系なら得意なはず、といった意味に捉えた覚えがある。こういうときばっかり自分は「理系」だと思い込む。
と、そこまでは都合良く解釈したのはいいとして。手塚さんにしても東野さんにしても、理科系の専門性がガッツリと「売り」になっているじゃあないですか。
作品を読めば明らか。エセでない理系の方は、半端無い「手に職」的技術をお持ちだ。それを物語のリアルな背景に据えられるのが強みだと言える。
そういうのがなくて、元々文系的描写力もなくて、自分、我ながら無謀な挑戦だと思う。
そう言えば、以前、理系の才女菊川怜が言っていた。「ブラックジャック」と「ガラスの仮面」に心酔して、医者になるか女優を目指すか迷ったと。
私もその2つは愛読書だったが、全くそんな発想は出なかった。リアルな将来に反映しなかった。その辺りが平々凡々なただのエセリケジョでしかない悲しさ。
彼女は「ブラックジャック」の影響で東大理系へ進み、「ガラスの仮面」を諦められずに女優になった。
せめてその思いの強さの端っこだけでも真似したい。
平々凡々の平均的人間にしか書けない何かがある……そう思いたい。エセリケジョっていう、肩身の狭い立場も、きっといつかキャラ作りなどに役に立つ、とも。
そういう前向き思考は、この長い物書き志望歴の間に身に付いたものである。それだけでも進歩かな。
(了)
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