石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと -39ページ目

石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと

日常で気になったことや、長い物書き志望歴で思ったことをランダムに綴ります。

よく聞くタイトルのこの言葉。野球好きでなくても、「ギリギリまで追い詰められても逆転可能」という意味であることは知られていると思う。

野球好きである私は、もちろんそういう試合展開をたくさん見てきたし、胸が熱くなって泣きそうになったこともあれば、やられたときは悔しさと怒りのぶつけどころに困った。

でも、大量差で負けていた場合、最近の私、さっさとあきらめの境地と化す。

先週の、ロッテVS中日の交流戦のお話。もし球場にいたとしたら、早々と帰途についていたことだろう(そんなことしたら一生後悔の嵐だった!)。テレビ観戦も打ち切るのが習慣になっていた。が、たまたま点けっぱなしていたこの日。

ロッテが7-2で5点も負けていた9回裏、粘ってつないで差が縮まっていく。ついには6点をもぎ取って、奇跡的な逆転サヨナラ勝ちとなった。ロッテファンの私、狂喜乱舞であった! (中日ファンの方の悔しさも有り余るほどわかります……スミマセン)

野球は9回2アウトから。
知ってはいた。可能性がゼロではないと頭ではわかっていた。

でも、このところ散々「追い付かない程度の反撃」で終わるロッテを観ていて、その日もどうせそうなるだろう、とあきらめモード120%であった。

ダメ。あきらめちゃダメですよ、全国のみなさん、特に子供たち。世の中にはこういうことが起こるときがあるんです! 6点をも取って引っくり返すようなことが。

この大逆転劇の中心となったのは、ホームラン2本とサヨナラ打を打った鈴木大地選手。

この人、去年まではずっとレギュラーだったけど、今年は補強の関係でポジションがなくなった。だから、開幕はスタメンに入れなかった。

それでも腐らず、いつも元気に一生懸命。そしてチャンスをもらえたときには結果を出し続けた。その姿勢は、チームメイトみんなに好影響を与えていることも見てとれる。

この日のサヨナラ打は、バット真っ二つながらもしぶとく一二塁間を抜けていった渋すぎるヒットだった。

神様は見ている。ボテボテのアウトになってもおかしくなかったその当たりには、そんな鈴木大地の執念というか魂というか、そういう一押しが乗っかっていた。その分が、紙一重のバランスをこちらに引き寄せた。思いが野球の神様に届いたのだ。

全国の子供たち。いえ、大人でも。この人を見てほしい。後ろや下を向きたくなるとき、きっと、もう少しあとちょっと頑張ろうと思える力をもらえる。その折れたバットを掲げた鈴木大地選手を見たら、泣きそうになったもの。

いやあ、それにしても。
ここしばらく、野球の醍醐味というものを忘れていたわ。シーソーの末の8-7なんて、いわゆるルーズベルトゲームなんだよね。

この日のビールが美味しかったことは言うまでもありません。(了)


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 久し振りに映画館で映画を観た。東野圭吾原作の、自分の記憶に自信がなくなっていく脳科学者のお話だ。

 

 この小説は大好きで、何回読んだかわからない。ただし、話がかなり入り組んでいるので、体調の悪いときや忙しいときには読み返す気が起こらない作品でもある。

 

 主人公の現在が二通りあるのである。一つは学生の頃から恋していた相手と同棲しているというもの。もう一つはその彼女が親友の恋人で、嫉妬に苦しんでいるというもの。

 

 それぞれの状況が並行してそれぞれに進んでいく上に、脳科学の専門的な話がバシバシ絡む。よーく読み込まないと、「……どっちだっけ。今どうなってるんだっけ」となってしまうのである(単に私の脳が複雑な物に弱いだけという説も有力です)。

 

 私の手持ちの原作本は、講談社文庫で443ページ。その膨大なボリュームで、しかもそんなややこしいストーリー。正直、ドラマ化や映画化は難しいだろうなと思っていた。

 

 けれど、映画版はコンパクトにうまくまとめてあって、ちゃんとわかるように作られていた。原作を先に知っていると、必ず「イメージが違う!」とか違和感を覚えるのだが、玉森くんは弱さも自己嫌悪もスルリと演じていたし、染谷くんも親友で頭脳明晰だけど苛立つのもわかる、って感じがよく出ていた。

 主人公の自己嫌悪のための小道具や設定(例えば指輪とか足の悪さとか)が、生かしきれていない感じがしたのももったいないとは思ったが。

 

 大きく不満だったのはラスト。

 

 私のこの小説の好きなところは、冒頭とラスト。

 

 冒頭は、山手線と京浜東北線が並行して走っていて、同じ場所にいるのに違う空間で――それがパラレルワールドを暗示している。

私もたまにその辺りでどちらかの電車に乗ったとき覚えたことのある不思議な感覚。その現実感と、ちょっと切ない感じが、もうこの物語の大半を語っていると言っていいと思うほど見事で好き。

 

ラストは、自分の心の弱さ、醜さに苦しんだ主人公が一つの選択をする。それがメビウスの輪のように冒頭に繋がってゆく――つまり最初に戻る。その構成がすごく好きだった。

そこが映画では少し変えられていて、何というか、蛇足みたいな付け足しがあって、イマイチ意味がわからなかったのが残念。

 

 一言で言ってしまえば三角関係の話だけど、そこは東野作品。理科系的背景の鮮やかさが、そんじょそこらのそういう話とは別物に仕立てられている。どこかで東野さん談を読んだが「『夢オチ』にだけはしたくなかった」という世界観に納得。そこは映画でもしっかり押さえられている。

 

 油断してボーッと観ているとわからなくなると思うので、体調万全、疲労回復完了、といった態勢で鑑賞するのがお勧めです。

 

(了)

 

 

 

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 たとえば、学生時代の試験前。机の前に座ったはいいが、その気になれずつい部屋の掃除など始めてしまう。読むつもりじゃなかった推理小説を手に取り、ふけってしまう。どうにか試験に関係のあるところまで戻ってきたとしても、色とりどりの美しい計画表を作るだけで終わる。

 

たとえば、保険契約などの面倒な書類。目を通すのが億劫で、先へ先へと延ばしてしまい、結局勧められるままにうなずくことがある。

 

年末の大掃除。夏冬の衣替え。扇風機と温風ヒータの入れ替え。自分がやる気にならないと全く進まないこと。冒頭から並べてみた。

 

そしてそれは、今私が目指しているところの「物書き」という作業にも通ずる。

 

会社勤めのお仕事であれば、9時から5時まで、とか、この作業が終わるまで、とかの縛りがある。管理者がいて目を光らせている。お金をいただくというプライドから、何とかそれ相応の仕事を時間内にやり遂げるテンションが保てる。

 

ところが、物書き修行とは基本一人の作業なので、誰も管理してくれず、それ相応の仕事がいつまでかかろうが、クレームも何もないのである。

 

で、だらだらしていると何も出来上がらない。出来上がらないのに、だらだらすることを止められないことがしょっちゅう。

 

やれ風邪をひいたの、バイトが繁忙期だの、どうしても見たいテレビがあるの。そんなことで、か弱い集中力は軽く吹っ飛ぶ。どうにかパソコンを立ち上げるところまではいっても、なかなか書きかけの原稿ファイルを開くことが出来ず、ゲームを何十分とやっている。

 

気付くと1ヶ月かかってもプロットの1行すら出来ていない、という恐ろしい事態に直面する。更に恐ろしいのは、それでも誰も困らないということ。書き物が仕事になるところまでいっていないので、私自身ですら実害はない。

 

だから、様々なコンクールを締切に見立て、そこに間に合わせるようスケジューリングするのがここ数年の怠け回避法である。

 

それでも「もう間に合わないからいいや」と逃げてしまいそうなとき、必勝の魔法の言葉をつぶやく。

 

「あと1時間だけやろう」

 

あと1時間だけやってから、好きなドラマの録画を見よう。あるいはおやつを買いに行こう。飲みに出ちゃおう。などと決めると、それまでゲームだのメール整理だの延々だらだらしていたのに、意外と切り替わる。切り替わると1時間で終わらず、ノッてきたりするのが大体だ。

 

ゲームする前にそう唱えれば、もっと時間を無駄にしなくていいのにね。なぜかそうならないのが、自分の甘さ……。

 

(了)

 

 

 

 

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  箪笥が壊れた。

 

 全部で7段、1番上は3つに、2番目は2つに分かれた引き出し、あとは仕切りなしのが1つずつの木製箪笥である。


 その、3段目の取っ手が外れ、はめ込もうとしたら繋ぎの突起が折れた。だから引き出しなのに引き出せない。しょうがないから取っ手を外し、開けっ放しの引き出さない引き出し。


 というように何となくごまかしながら使い続けていたのだが、他の段にまで感染、発症。もうどうにも止まらない。

 

 そもそもこの箪笥、実家で使っていた物を持ってきたので、軽く見積もって30年選手。減価償却し尽くした、どころか今の価値はマイナスでしかないだろう、くらいによく働いてくれた優れ物だ。

 

 というわけで、新しい物を購入。意外とこの大きさで同じ段数で、というのが見つからず、結局1段少ないし、奥行きも短くなった。

 

 搬入のときに古い物は引き取ってくれるというので、中身を取り敢えず紙袋に移す。これが、出るわ出るわ。紙袋15個分! え、こんなスリムな箪笥のどこにそんな四次元ポケット的な包容力が?

 

 一つ一つじっくりあらためている時間がなかったので、一目で判別していった。捨て、捨て、捨て、取り敢えず残し、くらいな仕分け。

 

 無理無理詰め込んであったので、底の方から「そう言えば」みたいな物が続々出てくる。「何だ、こんないいのがあったんじゃん、新しいの買っちゃったよ」みたいな。何となれば、引き出しを引っこ抜いた後ろに挟まったままの物まで見つかる。ほぼ新品で、全然使える。

 

 私の脳もこんな状態なのかしら、とふと思った。

 次々新しいのを無理矢理突っ込んで、それまで意識せずフツーに使用していた物が奥の底の方に追いやられる。そのことを忘れ、使える物がないないと、また新しい物に手を出して、脳はパンク。

 

 奥の底の方にあるものを引っ張りだせば、結構使える? そんな思い出なり知識なりがあるかも知れない。記憶を一生懸命辿ってみたが、開けっ放しの引き出しどころか、二度と開かない開かずの引き出し状態のようで。何が入っているかはたぶん永遠の謎のまま、そのスペースだけが無駄に残り続けるのか。だから年々記憶力のキャパがちっちゃくなってるのか……?

 

 それはともかく、引き取り&搬入は、ほんの5分で終了した。長いことお世話になった旧箪笥に別れを惜しむ間もなかった。


 その後、紙袋の中身を新箪笥に入れる作業を始めたが……全くもって収まらない。かなり捨てたはずなのに。

 入れ物が小さくなったせいもあるが、ここ何年も見て見ぬフリをしていたカオス状態をスッキリさせる良い機会である。と、前向きに捉えるも、これ以上どう減らそう、と未だ立ち往生中である……。

 

(了)

 

 

 

 

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  先日、ゴールデンウィーク初日に風邪をひき、医者に行けなくて四苦八苦した旨を書いた→GW

 

 そのゴールデンウィークも明けて2週間も経った。咳や鼻といった症状はいまだ残るものの、医者に行かずしてともかく強引に治すことに成功した。……と思い込もうとしていた。

 

 突然、関節がぎしぎしする。周りは半袖の陽気だというのに寒くてたまらない。洗濯物を干すくらいの簡単な家事がおっくう。しゃべることさえめんどくさい。目の後ろがガンガン痛くてたまらない。

 

 よもや、と思い、体温を計ると、38度5分だった。最初に風邪かな、と思ってから既に3週間を経過。今更、と、喉の痛みも鼻水も無視しようとしていたが、結局お医者にお世話になることになった。だったら初っぱなに行っておきたかった。そうしたらここまで長引かなかったろうに、GWのバカ! というのは先日にも書いたっけ……。

 

 発熱が最後(と思いたい)に発症するのは珍しいが、とにかくつらくて動けないので、全ての予定をキャンセルして薬を飲み、寝続けた。

 

 普段の私は、具合が悪いと思いたくないので、「思い過ごし、思い過ごし」とスルーすることも多い。が、今回「やばい」と感じたのは、きっと今後もバロメータとなるだろう2つのことだった。

 

 1つめは、私の場合、バイトにしろ、原稿を書くにしろ、休日にくつろぐにしろ、ほぼ毎日コーヒーが欠かせない。大抵は一日一杯までと決めているが、勧められたりすれば、もっと飲む。


 なのに、全く飲みたくなかった。コーヒーの美味しいお店へ行こうと誘われ、普段は二つ返事なものを、このときは「欲しくないなあ……紅茶にしようかなあ」と思ったのである。

 

 2つ目は、宝塚。最近ハマッてしまい、手持ちの録画やDVDを繰り返し観るのが今の楽しみの1つなのである。→宝塚にハマる


それが、観ているうちに目眩がしてきた。キラキラにあてられたのかな。もしくは、最近トップさん以外にも気になる方が増えてきて、大勢でのダンスのとき、あちらこちらに目をやるからくたびれてしまったのかしら、と思った。あり得ないことに、途中で観るのを止めた。

 

 何のことはない、その後発熱。体調不良だったのだと気付く。

 

 私のバロメータは、コーヒーと宝塚。大好きなその2つを受け入れられなくなったときは非常事態。と疑うべきだった。いや、今後は即疑おう、と思った令和最初の決心です。

 

 

(了)

 

 

 

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 先日、書き物の恩師とも言うべき方にいただいた言葉がある。

「自分で書き上げたものの中でも好き嫌いが出てくる。好きと思えるものが本当に書きたいことだから掘り下げるべき」と。

 

 結構長い年月の間、物語を作り続けてきた私。本当にたくさんのコンクールに応募しては落選し、たまに当選もあり。みたいなことを繰り返している。

 

 なので、手持ちの習作はかなりの数にのぼるのだが、それらに対する思い入れがそれぞれ異なるのが不思議だ。

 

 作品の傾向やトーン、扱う素材にそう違いはないと思っている。なのに、書き上がった時の満足度が作品によって違う。どれも「書きたい」と思って書き始めたはずなのに。

何度でも手直しして読み返したくなるものと、二度と読み返す気にならず放り出しているものと。未だにその違いがよくわからないでいる。

 

スカッとハマッて思い通り、いや思った以上に展開がうまくいった。人物が気に入った出来になった。この主人公を何とか幸せにしてあげたい、という一心で書き上げた。そんな作品は、読み直してみると細かいところまで丁寧に修正したくなる。

それを繰り返して、一度何かのコンクールに落ちても生まれ変わらせて別のものに応募してみると、いいセンまで行ったりした。

 

書いたことすら忘れていたけど、ネタ切れしているから使えるかも。なんていう下心から思い出したものは、書いた時点で「何かイマイチ」と思っていたやつ(それすら忘れていたわけで)。読み直してもひどすぎて手を入れる気もしないことが多い。

 

ストーリーだけを追いかけて、強引に思い通りの結末に持って行く。だから登場人物がその人なりの動きができていない。こういうものは絶対に「好き」とは思えない出来になっている。こっぴどい評価をいただいた経験もある。


よく、キャラが勝手に動き出す、と言われるが、それが「好き」と言える出来になる鍵かも知れない。

自分のイメージとしては、あるべき位置にちゃんと配置するというか、埋まっているままの形を掘り出してやる、というか、そんな感覚。

 

小説にしろシナリオにしろ、書き上げるのには結構な時間と体力が要る。だったら丁寧に作って何度でも読み直したくなる物を書いていきたい。その気持ちを忘れずに。……忘れてはいないつもりだけど、やっぱり好き嫌いが出てくる、この不思議。

 

(了)

 

 

 

 

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 今年は、平成→令和の改元があって、5/1、5/2がお休み。それでGWは10連休となった方も多かったと思う。

 

我が家も同じ。

 

けれど、毎年思うのだが、……連休、要らない。

 

どこに行くにも混んでいる。だから行くのも帰るのも倍も三倍も時間がかかるし労力も。目的地でも大混雑でやたらに疲れたことばかり記憶に残り、楽しめない。価格も相当に割高。なのにマスコミはどこかへ行かなくちゃ非国民かのように煽り立てまくる。……うんざり。


こんな時期に旅行とか観光とか行く方には、ものぐさな私は心底敬意を表してしまう。もちろん、この時期にしかお休みがとれなくて、数少ない長期旅行のチャンス! という方、帰省がマストの方もいらっしゃるだろう。でもニュースで放映されている交通機関の混雑ほどそんな方がいるんだろうか? といぶかっている。

私の場合、実家は日帰りできるので帰省の必要もないし。結局、近場をチョロチョロ食べ歩くか、衣替えをやっつける等して過ごした。


が、終わった後も憂鬱だ。バイト先がGW明けから凄まじい繁忙期となるのだが、この連休がなければもっと分散して緩和できたはずなのだ。頭も身体も鈍ってるから、復活するだけでも辛いのに、いきなりそんなピークが来ても死ぬ。

同じような懸念を、世間では五月病と騒いでいるけど、だったら国策として間に平日を挟んだままで良かったのでは?

 

私のささやかな物書き修行にも差し障っている。

時間を見つけてはなるべく毎日少しずつでも続け、遠ざからないようにしているのに、GWだと家族がずっと家にいる。物を書くのは基本家で行う作業なので、これではほとんど集中できなくなる。自分の裁量で時間を使えないのだ。


休み明けはバイトに明け暮れ、結局1ヶ月くらい全く手をつけられない状態が続く。そうなると、それまで何をどう書いていたのかさっぱり忘れている。

取り敢えず書き上がってるものは第三者の目で読み直せるのでよし。が、書きかけのものはゼロどころかマイナス状態からのリスタートとなる……。

 

ため息。

  

加えて、連休のしょっぱな、4/28に喉の痛みが発生。あれよあれよという間に奥まで広がって、咳、鼻。いつもなら最初の時点でやばそうだ、と駆け込む医者も連休。しかたなく、ドラッグストアで風邪薬を買い、その服用で何となくごまかし続けた。

が、後から気付いたのだが、私は緑内障の疑いがあって、点眼薬を常用している。これは風邪薬と併用してはいけないらしく、薬箱にも「医者に相談のこと」とか書いてある。……どうしろってのよ。

 

まずは風邪を退治。そして点眼を再開。と決めた。で、連休明けにその旨、医者に説明しに行くべきか……けど、観光地以上に大混雑の大混乱に巻き込まれそうなのでやめた……。今更もういいでしょ、そこそこ抜けたし、と思っていたら、ぶり返し。突発的に襲ってくる強烈な咳にぶっ倒れそうになっている現在。どうしても医者行くしかないのか……なら、早く行きたかったさ……。

 

そんなこんなで、皆の者、一斉大型連休ってどうなのよ、と叫びたくなる。

心底思う。要りません、そんなもの。

休みはほどほど、できれば個人個人で好きなときに取りたいです。

 

(了)


 

 

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私の野球ファン歴は長い。その中継の視聴時間も相当なもの。なので試合そのものや選手、チームの傾向などの知識は結構あるつもりになっていて、更に解説者についても一家言あるくらいのうるさ型になってしまった。

 

 子供の頃、一番ダメだったのが、声が甲高かったりかすれてたりの耳障りな解説者だった。


 中高生の頃は、偉そうな解説者が嫌だった。自身の現役時代の成績が誇らしいあまり、上から目線で現役をけなしてばかりといった人。


 その後は、どんなプレーや裏話が出ても、必ず自分の話にすり替えていく解説者にイラッとした。


 のべつ幕なしにしゃべり続ける解説者も、ちょっと苦手。せめてバッターが打つ瞬間くらいは黙ってて、と思ってしまう。サービス精神旺盛なのは買うけどメリハリつけて欲しいかなと。

 

最近は、そのチームなりのカラーや戦略をろくに知らないで「解説」して下さる方がダメ。例えばセ・リーグのことしか詳しくないのにパ・リーグの解説をしてしまったがために、それがばれてしまう、という。「勉強して来いや!」と、テレビに叫んでいる私である。


そんなとき、解説者なんか要らなくない? などと傲慢にも思ったりした。


でも、最近はそうでもないかな、と思い直している。野球以外で、思うところがあったから。

 

先日、宝塚にハマッた旨のブログを上げた。→宝塚にハマる、宝塚にハマり、シナリオを起こす

 

なぜハマッたか。もちろん、その世界がとても素敵で、ちょうど「美しさ」を目や耳が欲していた、というのが直接の理由ではある。


けれど、そんなにも素直にハマレたのは、誘ってくれた方がとても通だったからである。


初心者の私に、「あのジェンヌさんは別の演目でこんな役を演じていた」「このショーは昔からの定番だけれど、こういうところが新しい」等、知っていればより興味深く見られる情報を都度都度解説してくれた。疑問があると即答してくれた。何でも教えてもらえた。

 

遠い、30年くらい前のことも思い出した。


初めての欧州旅行。その旅程には美術館がたくさん組み込まれていた。ろくに前提知識もなく訪れた私は、危うく「ふうん」で終わってしまうところだった。


が、同じツアーにいた方がとても絵画に詳しくて、絵を一枚一枚解説してくれたのだった。細かいことは忘れてしまったが、背景にある歴史、宗教、聖書等について聞かせてくれたので、とても楽しかったのを覚えている。

 

野球解説者も同じかも知れない。

かなりの辛口でもこちらを楽しい気持ちにさせてくれる方がいる。よく聞いてみれば、裏に後輩達への愛が溢れているのが透けて見えるから。しゃべりすぎの人でもかすれ声の人でも、野球愛が伝わってくれば嫌になることはない、と気づいた。

 

結局のところ、宝塚でも絵画でも野球でも、その方のそこへの愛が解説を生かす。こちらの心を揺さぶる。そんな気がしている。

 

 

(了)

 

 
 

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 自殺を食い止める。あるいは説得に東奔西走する。妻の態度が冷たくなったと思ったら死期が近く、その後の夫を心配してのことだった。等々。

 

最近の小説やシナリオコンクールの傾向は、そんな感じで「死」を扱う話がブームだということである。

 

選評をいくつか読んだ。

 

自殺関係物がとても多く、そういうテーマを書けば入選する、などと思われては困る、とか。

応募作の実に8割が、主要人物が死ぬ。死にすぎる。本当にそれが、その物語を語る上で必要なことかよく吟味して欲しい、とか。

 

私自身、苦い思い出もある。

 

2年前、あるコンクールに応募するつもりの作品を書き上げたとき、その前年の選評を読んだらそんなだった。げっ、と思った。ご多分に漏れず、オチが「実はこの人は死んでいた」というものだったのだ……。書く前に読んでおけばよかったと、深~~く後悔。

 

とにかく何とかしなくては、と、死んだのではなく、膨大な借金を苦に夜逃げして音信不通、という設定に変えた。けれど明らかに無理な展開となり、自分でも「ダメだな、こりゃ」とため息が出た。もちろん落選したことは言うまでもない。

 

昨今の映画や書籍の売り文句として、「泣ける話」がやたら氾濫しているように思う。受け手が思い切り泣きたい時代なのか、わかりやすいキャッチフレーズだからなのか、とにかく多い。

 

誰かの言葉を思い出した。人が泣く理由は、死とか別れとか誰にでも共通するものが多いので、共感しやすいのだと。笑うツボは、人によりかなり多岐に渡るので笑わせる話を書く方が難しい、のだとか。

 

だから、コンクールに応募するような初心者が、「泣ける話」を自分の経験などに基づいて書くことは、間違ってはいないと思う。それがたくさんの人に響く話になる可能性は高い。

 

ただ、こんなにあちこちの選評で「多い」と言われると、「求ム、違うモノ」ということなのかと思う。それでもこれが書きたい、とこだわるなら、よほど味付けが上手いか、キャラが立っているか、背景が特殊か等の抜きん出た何かが必要と思える。

 

コンクールに応募する以上、せめて最後まで読んでもらいたい。「またか」と思われてそこで切られてしまうのは残念だ。

 

というわけで、抜きん出る要素のない私は、人が死なない話を書くしかないと思った。既に死んでいるという設定の人はいても、登場人物は死なせないと決めた。

 

そんな中で、何かの「感動」を書けるか。読み手の気持ちのどこかを揺さぶることができるか。最後まで読んでもらえる話を創れるか。

 

それはそれでなかなかハードルの高い挑戦であり、日々悪戦苦闘している。

 

 

(了)

 

 

 

 

 

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 先週、宝塚にハマッたことを書いた。

→宝塚にハマる

 

 その後、YouTubeやDVDで、作品&ショーをチェックしまくった。

 

 トーク映像を見つけては舞台上のかっこよさと素の可愛らしさとのギャップに萌え、同じジェンヌさんを好きな方のブログやコメントを見てはうんうんとうなずいて幸せになったりしている。

 

 ちなみに私が惚れ込んでしまったのは芹香斗亜さん。

 きっかけは「カリスタの海に抱かれて」という4年前の作品で、芹香さんはその準主役。気の毒な役所なのだけどステキすぎる。何度も何度も観てしまう。

 

 そんなお目当てが一人いると、自ずとその周りのジェンヌさん達の顔もわかるようになり、面白さも愛しさも倍増。そしてDVD再生をもう一度。なんてことを繰り返して。

 

ふと思いついた。

 

私の場合、物語を書くことは、テレビドラマのシナリオを習うところから始めた。そのときに言われたことがある。放映されたドラマから逆にシナリオを起こしてみると、とても勉強になると。

 

実は、わかっていてもこれまであまり実行していなかった。これ、私にとっては大変な時間のかかる面倒な作業で。

 

1セリフごとに一時停止しては書き取る。しかしその短いセリフも一瞬のうちに頭から抜け、微妙に違った言い回しになったり忘れたりして、3度も4度も巻き戻しては聞き直し書き直す。

 

最終的に、1時間ドラマでも10倍くらいの時間がかかってしまい、疲れ果てる。たぶん5作に届かないくらいで挫折した。

 

その敬遠していた作業を、この「カリスタの海に抱かれて」でやりたくなってしまったのである。芹香さんの役をシナリオに起こしてみたい、と思った。

 

そして、たまたまこの作品は、長いことお手本と思い続けてきた脚本家大石静さんの書き下ろしだった。もうやるしかないと決意が高まる。

 

あまりに繰り返し観たので、いくら私でも大まかに覚え込んでいたりする(おかげでずっと寝不足続き)。

 

なので、まずそらでそこそこ覚えている部分をパソコンに打ち込んでみる。それから映像を見てその言葉尻や順序などを直す。そういった手順で芹香さんが出るシーンは早々と仕上がる。

 

後はその間を、聞いては止め書き取り、地道に埋めていく。そうして1時間半の演目を、ほぼシナリオ化することができたのである!(歌や群舞シーンの書き方はよくわからないので自己流で……)

 

1日1時間を何とか捻り出して10日かかった。結局やっぱり上演時間の10倍近くかかり、量は大体400字×100枚くらいにもなったけど、疲れ果てることなどなく、仕上がった達成感にうち震えている。

 

何だ、このものすごいエネルギー。改めて思い知る。「好き」という気持ちには無限大のパワーがある。面倒だの大変だの疲れるだのの後ろ向きな感情を、一気に払い落とし軽く飛び越える。何に対してにせよ、「好き」を持つことは強みだと確信した。

 

で、シナリオ起こし。これ、確かにものすごく勉強になる。ただシーン割とか話運びだけの問題ではなく。 

 

例えば、ラブシーン。

男女と言っても宝塚、女性同士だからマイルドなのか、男性のかっこよさを強調してもキザがいやらしくならない品があるからなのか、純粋に「いい! このシーン好き!」と思った。

けれど文字にしてみたら(というより文字だけの時点だと)、めちゃくちゃ生々しい。気恥ずかしくなって照れてしまうほど。

 

また、信念のぶつかり合いや愛憎のもつれ。観たときはそんなにも激しく感じなかった言動が、紙上だけだと直接的に突き刺さって辛くなるくらいに強い。

 

そうか。シナリオとはそういうもの。設計図なわけだから、舞台になってみると色合いが変わってくるものなのだ。そのくらい強弱ハッキリ書いた方がいいのだと思った。

 

ドラマを書くのに必要不可欠と言われ続けてきたことも実感した。人物同士の対立、ぶつかり合い、三角関係、葛藤。背景の重厚な世界感、そのための史実。

 

これらは全て、私の書く物には欠けていた要素だった。歴史、特に世界史は得意ではなく、学生時代にテストを白紙で出したほど嫌いだった。もったいない……、心底そう思い始めた。

 

宝塚にはそういったものがてんこ盛り、勉強の題材としてはうってつけだったんじゃないだろうか。

 

そういうものももっと創作に取り入れてみようという気になった。だからこれから書くものは、少しは変わってくるはずである。成長するはずである……たぶん。

 

(了)

 

 

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