石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと -38ページ目

石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと

日常で気になったことや、長い物書き志望歴で思ったことをランダムに綴ります。

 

備忘録的に、今年はどれだけの量を書いたのかなあと振り返ってみる。

 

小説① 100枚

シナリオ① 55枚

小説② 10枚

小説③ 10枚

シナリオ② 55枚

小説④ 50枚

小説⑤ 30枚

小説⑥ 30枚

小説⑦ 10枚

小説⑧ 180枚

小説→シナリオ③へ直し 55枚

プロット作成中2本(小説100枚~200枚予定)

 

 ……といった具合で、長短合わせて小説8本、シナリオ3本、構想妄想中が2本。他、このブログを週1更新(毎回2.5枚くらい)。

 まっさら最初から創ったものもあれば、以前書いたもので形式を変えたもの、放り出してあった拙作をベースに化けたものもある。一応エンドマークはつけたが、直しがこれからのものを含め。

 

この量が、物書き志望者として多いのか少ないのかわからない。何作か並行してる時期もあり、錯乱しそうになったこともある。

けれど自分にしては、バイトや家事の合間を縫って、結構頑張った方だと思う。

 

ブログ以外は、大体どこかのコンクールに出したか出す予定のもので、6本落ち、1本結果待ち、4本は来年投稿予定。


ま、コンクールの当落なんて、ずっとこんな調子のトホホな確率。けど受かる受からないというより、締め切り設定に使わせてもらっている。締め切りがないと書き上がらない怠け者なので。

 

本当はあと2本出したかったのだが、うまくまとまらず期限に間に合わなかった。毎年応募していたところなのでちょっと悔しい。いずれもシナリオ。来年の課題としたい。

 

うん、年末らしく1年の総ざらいと来年の抱負になったかな……毎年あんまり変わらないんだけど、こんな風に年末に振り返ったのは初めてで、何か新鮮。

 

来年もいろんな物語に挑戦していけたらいいな、と願う年の瀬でした。

 

(了)

 

 

 

 

 

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 今年もこの季節がやって来てしまった。でも、去年はほとんど通常の掃除のみで終わってしまったので、今年こそ美しい家で年末を、と密かに意気込んでいる。

 

 しかし、去年はおろか、その前もその前も、……いったいどのくらい遡ればいいのかわからないくらい手付かずな箇所がいくつもある。考え出したら全くやる気にならないので、今年は「極意」に従うことにした。あちこちで聞くこれ、つまり一日にちょっとだけやる、という、実に簡単で実に難しいことなのである。

 

それでもその気になったとある日、まずはギュウマンになって開け閉めもままならない引き出しを一つ整理した。ごっそり捨てた。直後から何と快適なことだろうか。その所要時間、15分。

 

これで、味をしめた。

 

翌日は、頂き物のたびに捨てられなかったヒモとかお洒落な袋とか輪ゴムや他もろもろの小物の入った引き出し。これには約10分。

その翌日は、カオス状態の原稿や資料などの山。棚の古いのを押入に押し込み、手元の200%に詰め込まれたボックスの中身を棚に移動。空いたボックスにカオスを突っ込み、終了とする。これは30分。何か胸のつかえが取れた。

 

翌日は洗面所の棚。最後にいつ使ったかわからない使いかけのコンタクト洗浄液や髪染めや山のような試供品。目一杯捨てた。すかすかのきれいな棚。何というすがすがしさ。30分。

 

キッチンのカウンター&棚。30分ずつ×3日で、スッキリ。

 

お風呂のカビ退治。うっかり興が乗って、1時間。腰に来た。

 

この辺りで背中が固まってしまった。痛くてくしゃみもままならず、接骨院通いが再開。

加えて指や掌がカスカス。ハンドクリームを塗っても塗っても潤わない。紙の束を整理したせいでやたらに切り傷が増え、地味に痛い。

 

そろそろ限界かも。と思いつつ、やっぱりきれいになると気持ちいい。これを知ってしまうと結構続けられるものだと思った。


まだいろいろと気になる箇所があるのだが、優先順位が高いと思う順にやってきたので、残りは来年に持ち越してもいい。1日15分~30分を限度にできる範囲で。これなら、年末の大掃除じゃなくてもできるもんね、と気も楽だ。

 

 まあ明日の自分は信用できない。現状維持の通常作業だけでいっぱいいっぱいになっている姿が容易に浮かぶ。でも、「ちょっとだけ掃除」で気持ちが洗われれば、気分転換にもなるし、日々の暮らしも楽になる。それを覚えておけばいつでも家の中が快適になる、はず。……記憶力に自信がないのが問題だけど。

 

(了)けろけろけろっぴ

 

 

 

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 クリスマス会、忘年会、新年会、と、宴会シーズン突入。幹事さん、ご苦労様です。日程調整とかお店選びとか会計とか、結構な手間。参加するときは感謝を忘れないようにしたいです。

 

中でも幹事のお仕事としては参加者への連絡というのが重要。近年はスマホの普及で、LINEでの一斉連絡が可能になった。メールでも複数送信ができるし、随分楽になった……と、年寄りの昔話に飛びます。

 

ケータイメールが存在しなかった頃、自分の場合はパソコンのメールで連絡していた。まだまだ家庭にパソコンがそうない頃の話で、大体が勤め先のメアドでやりとり。今ほどウィルスなどが問題視されておらず、タイトルさえ「飲み会のお知らせ」などでなく「日程調整の件」とかで目くらましをしておけば、ゆるくまかり通っていたものだった。

 

このメール連絡という手段、この頃は大変画期的で、とても嬉しかった。それまでは電話連絡だったからである。

 

一人一台のケータイを持っている時代ではなく、家電というやつである。これがなかなかにめんどくさい。連絡先が一人暮らしの人ならともかく、家族がいらしたり、寮で備え付けの電話が一台しかない、という場合もある。

 

飲み会が一対一で、連絡する相手が一人の場合はいい。留守電に入れておくか、連絡がつけばそれで話は済むのである。

問題は参加者複数の場合である。普段顔を会わせないメンバーだったりすると、連絡網というやつで電話を次々回す、という手段しかない。

 

幹事の自分がまず一人目に電話。日時場所などを伝えて次の人に電話してもらう。次の人は同じようにその次の人、そのまた次の人、と回してもらうのである。

しかし皆さん忙しい身。留守でつかまらないとそこで一旦ストップ。気を利かせて一つ飛ばして連絡してくれる方もいたが、そのまま停滞していることも多かった。また、お家の方に伝言をお願いすることもあったが、それがうまく伝わらずにフェードアウト、なんてパターンも。

 

また、最初に電話する幹事が言い忘れてはならないことがある。「最後の人は必ず私に連絡返してもらうよう伝えてね」と。でないと全員に回ったかどうかわからないからだ。

 

けれどこういった伝言ゲーム、必ずどこかで変形する。先に述べたようにぷつんぷつん途切れがち。なわけで、最後の人から連絡が返ってきた試しがなかった。日が迫って、最後の人に「伝わってる?」と確認電話してみると、いいやと否定されて遡っていくのが常だった。

 

そもそも連絡網が存在すればいいけれど、ないケースも多かった。で、○さんは×くん、×くんは△ちゃん、△ちゃんは□さんに連絡お願いね、などと指示するわけだけど、まあ大体失敗する

 

……ああ、思い返してみたらまどろっこしすぎる。あんな時代によくぞ平然と滞りなく宴会開催に漕ぎ着けた幹事さん、猛者と呼びたい。自分の場合は不備ばかりだったことを思うと、LINEや複数送信メールがあらためて光り輝いて見えるこの季節なのである。


(了)けろけろけろっぴ

 

 

 

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「ガラスの仮面」をご存じだろうか。なんて愚問か。まだ連載中の、美内すずえさんの演劇大河マンガである。長年見守ってきた者としては、マヤと亜弓さんの決着を早く見たいものだが、永遠に妄想していたい気もする。このマンガがそれくらい深く心に刺さっている方は、私以外にも大勢いらっしゃるだろう。

 

 ところで、「ガラスの仮面」より前(あるいは並行して)、美内すずえさんは恐怖系のマンガもたくさん描いておられる。「13月の悲劇」「金色の闇が見ている」「白い影法師」「黒百合の系図」「妖鬼妃伝」と……タイトルを並べるだけでも怖い。

 

 そんなことを思い出したのは、最近ニュースで、神奈川県寒川町のひまわりのことが報じられたのがきっかけである。

 

 寒川町はその名前からどうしても寒い冬のイメージが強い。それをどうにか払拭したいと「冬のひまわり」にトライし続け、近年咲かせることに成功したのだという。

    背丈40センチ程と少し小さめだが、7万5千株が咲き誇る映像は壮観。摘み取りもできるというので出かけたいと思っていたのだが、結局行けずに来年への課題となった。

 

「冬のひまわり」。

    美内すずえファンならばこのタイトルの短編を読んだ方も多いだろう。私は傑作選の文庫を買い集めたときに初めて読んだ。これも、どちらかと言えば恐怖系に近かった。

 

 内容は……(これから読みたい方、ネタバレすみません)

 偶然見た絵画の背景に、雪の中に咲くひまわりを見つけ、強く惹かれた少女。「冬に咲くひまわりなんて」と笑われ、バカにされる中、何年も探し追い求めていく。辿り着いたのは永遠に冬の幻の村。そこでようやく「冬のひまわり」を見つけたものの恐ろしい思いをし、逃げ切った後にはロマンを追うのをやめ、現実を歩き出す。……そんな話だった。

 

 このタイトルが秀逸だと思う。

 読み手100%の立場の初読の時、「え? 何のこと?」と引っかかりを感じた。書き手になりたいと四苦八苦している立場の今、そういう引っかかりがあり、かつ内容にピッタリリンクするタイトルを付けるのは、実に難しいとわかる。

 

「冬のひまわり」とは、現実にはあり得ないものの象徴とされていると想像する。

    話には、ロマンばかりを追い求めて失脚したお金持ちも登場するし、ひまわりを追っかけたために主人公も、当時女性の幸せと思われていた玉の輿のチャンスや友人達を失う。

    でも非現実的なものに浪費するのは無駄、といった一般論の中で、希望を持ち続けた主人公は真の理解者を見つける。また、彼女が知らないうちにその希望のバトンが次世代に継がれていく、というラスト。

 

あり得ない幻に導かれることもある、と。でも。

これは40年以上も前に描かれたお話。


今や寒川町には「冬のひまわり」が咲き誇る。12月に摘み取ることができる何万株が存在する。素敵だな、と思う反面、もう「あり得ないものの象徴」としては使えないんだろうな、と、一抹の寂しさも感じたのは、贅沢なのだろうか……。

 

(了)

 

 

 

 

  

 

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 紅葉狩りの季節、お寺巡りをしてきた。お寺には春の桜とこの時期の紅葉がつきもの。葉っぱの色づきはちょうどよくて、とても楽しめた。


    ついでといっては何だが、お寺だから、時間によっては和尚さんのお話を聴けたりする。

 

 いくつか拝聴したうちの一つのお話に、心が響いた。それは、よく言われていることだし、考えてみれば当たり前かもしれないのだが、そういう考え方をどこかに置き忘れていたことを思い出したというか。

 

その和尚さんはおっしゃった。

心が変われば言葉が変わる。言葉が変われば態度が変わる。態度が変われば生活が変わる。生活が変われば人生が変わる、と。

 

小さなことからなのだという。

悪いことなら、例えば十円を盗めば百円、百円を盗めば千円、そして次は一万円ということに必ずなる。最初は些細でも、どんどん膨れ上がってゆく。

良いことなら、例えば玄関を入る時にちょっと履き物を揃える。その小さなことが何かの変化をもたらし、部屋などが整理されてくる。すると生活も落ち着いてくるという。

詳細は曖昧にしか覚えてないのだが、そんな感じのお話だった。

 

髪を立て半分お尻を出したようなファッションの若者さえ納得し、帰りに挨拶までしてくれた話だそうだ。

 

自分にもストンと腑に落ちた。


よく気の持ちようと言うけれど、そういう小さなことができる余裕、そこから生まれる気遣い、それが呼ぶ相手からの信頼という安心感。そうやって心が変わっていくのではないだろうか。

……という風に自分は受け取った。なのでその日から履き物を揃えてみようと思った。

 

そもそも毎日の雑事に追われ、身の回りがごちゃごちゃしまくり、それを避けるように生活するためせせこましく、だからルーティンを雑にこなす。これが精神衛生上良いはずはない。

 

履き物を揃えるだけで、そのうち家の中がぴっかぴか。溢れ返っていた物が整理され、広々とした空間で効率的な動線で物事が進んで。そうしたら、何だか自分を褒めたくなり、人にも優しくなり、今までと違った空気が生まれてきたりして。――なんて夢が膨らむ膨らむ。

 

とまあ、都合のいい妄想通りになるかどうか、結果はまだ出ていない。が、何かを変えるという意識を持つことだけで、何だか新鮮で前向きになる。背筋が少しのびる。


この歳からでもやれることはまだまだありそうだ、と思った紅葉狩りだった。

 

 

(了)けろけろけろっぴ

 

 

 

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 10年近く前、せっせと映画を観に行ってはその感想をブログに公開していた。これは5年弱続き、数えてみたらテレビ鑑賞を含めると、300本を超えていた。(興味があったらご覧下さい→映画ブログ

 

 このブログを始めたのは、映画が好きなのはもちろん、何を観たかの備忘録的なものを整備しようと思い立ったこともある。

    が、一番には「自分はどう思ったのか?」を確認したいと思ったからである。

 

 変に思われるかも知れない。けれど自分、とっても流されやすい性格。そして思考回路のつながりが恐ろしく鈍い。なので、とある映画を観た誰かが「ここが面白くてここがツッコミどころ、作者はこういう意図」みたいなことをサクサク述べていると、「そうそう自分もそう思う」となってしまうのである。自分自身が思うように言葉にならなかったことを、バンと言い当ててくれる方が多いので便乗してしまう。

 

 もちろん全部がそうではなく、自分はそう感じなかった、と思う時もある。でもその場合、なぜそう感じなかったのか、というのが上手く説明できない。何かイヤ、どうも嫌い、といった漠然とした感覚しかなく、理路整然と筋道立てることができないのだ。

 

 ブログを書くにあたり、映画を脳内再生して考えて考えて、何度何度も言葉を選び直す。そうやって起こした文章で、ようやく「私はこう思ったんだ」とわかるのだ……こういうのを頭が悪いというのだろう。

 

 昔から自分の意見を言えなかった。「こう思う」というのがすぐにまとまらない。だから議論は超苦手。誰かが何かを言うと、それについて考え吟味し言葉を探しているうちに、まわりはどんどん発展して全く違う話題になっていたりする。そのスピードについていけず、更に自分が「言おう」と思ったことなんて言えたとしても次への展開が少しもない。述べているうちに何を言いたかったのかわからなくなることもいまだに多い。

 

反射神経の鈍さが自分が何をどう思うかをシャットアウトして、人の話を聞くことに徹していた。そしていつのまにか、近いことを言った人の意見を自分のものとしていたところがあったように思う。

 

それじゃ物語の創作はできないなあ、と思ったのである。だから映画ブログをやって「自分はこう思った」と、一心不乱、必死に考えてみようと思った。自分にとって「率直な意見」を紡ぐのは、そのくらい大変なことなのだ。と、やってみて改めて自覚した。時間がかかっても、とにかくそうやって一生懸命に考えることが自分には必須なのだということも。


そのブログ、いろいろと言い訳はあるが、今や放りっぱなし。ずーーーーっと更新していないので、広告が出まくりの恥ずかしい状態となっている。ああ、ここまで散々もっともらしいこと言ってきといて。


再開したいのだが、このところなかなか映画を観なくなった。だから代わるものを何か見つけなくてはならないな、と思っていて、とりあえずこのブログを続けているわけでして。。。

 

(了)

 

 


  

 

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 ホラーというジャンルの物語を書いてみたくて、「自分は何を怖いと思うだろうか?」と考えた。

 

 かつて読んだ本で怖かったのは、「むかし僕が死んだ家」(東野圭吾)、「リング」(鈴木光司)、「黒い家」(貴志祐介)など(敬称略)。

 

「むかし僕が死んだ家」は、何が起こっているのかわからないうちからその雰囲気が異様に怖い。そして謎が解き明かされた先にはリアルな社会問題があって、それが怖さに拍車をかけた。

 

「リング」は、映画で長髪の貞子がテレビを出てくるシーンがお馴染みだが、そこは別に自分のツボではなかった。原作にはないシーンだし。自分には、謎を解明していく過程の、例えばまばたきが男性は毎分20回、女性なら毎分15といった、身近でリアルな事実の積み重ねがすごく怖かった。

 

「黒い家」は、保険金殺人のあまりのリアルさが怖すぎた。買ったその文庫本を持っているのが恐怖ですぐに売ってしまったほどである。またこれを大竹しのぶさん主演で映画化が決まったという時期に読んだので、頭にクッキリイメージが沸いてしまい、更に恐怖が膨れ上がったわけで(あまりに怖くて映画は観に行けなかった……)。

 

 そういう感覚の自分は、どういうホラーが書けるだろうか? これまでの人生で怖かったことは何だ? と思い悩んだ末に、一つだけ出てきた。「置いていかれること」。

 

 いろんな人がいろんな共通点で繋がっている。でも一緒だと思っていた彼らが、違っていたら? 自分一人が置いていかれるとしたら?


 例えば、年を取っていろんなことが退化していくこと自体も怖い。けれど、同年代の友達や学校の同級生などみなそれは同じように起こる。だから年寄りになってもお互い安心してそういう話で盛り上がり、仲間でいられるのでは?


 だったらもし、自分だけが年を取らずに置いていかれてしまったとしたら、……これ、ものすごく怖くない? 

 

 最近で怖かったことは何だろう? 思い出してみた。あったあった。

 

 我が家には高さを上下できるテーブルがあるのだが、ある日帰宅したら、座卓として低くセットしていたはずのそれが、最上位に上がっていた。その日家族は朝早く出たままで、自分が帰るまでは誰もいなかったはず。


    泥棒? いや何も荒らされていない。使いかけの食器も朝干したままの洗濯物も投げ出した新聞や雑誌もいつもの場所、何一つ動いていない。動いたのはテーブルの高さだけ。誰が。何のために。

 

 怖い。めっちゃ怖かった。そしてテーブルの下には濃い色の液体がポツーリポツーリ……ぎゃあああ。

 

 ……何か工場っぽい匂い。よくよく見たら、油みたいだった。……あ、このテーブルの上下って、油圧式? それが漏れちゃった? だから調節が狂って勝手にテーブル上がっちゃった?

 ……とまあ、そういうことらしかった。

 

 すぐにニューテーブル購入に走ったが……それでわかったのは、自分が怖いのは「身近でリアル」なことだってこと。

    先の三冊の本にしても、超現実的なことが出てきても身近でリアルな裏付けがあった。そういったところに怖さを感じたのだと合点がいったのであった。


    まあテーブルの件は、ネタとしては全く膨らまないような予感がしてます。


 

 

(了)

 

 

 

  

 

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「甲斐キャノン」とは、プロ野球ソフトバンクホークスのキャッチャー甲斐選手の通称である。

    その鉄砲肩がすごすぎて、最初は単にバズーカとかキャノン砲と呼ばれていたそう。そのうち機動戦士ガンダムのガン・キャノンというモビルスーツ(分かりやすく言えばロボットね)をカイ・シデンという名の戦士が操縦していたことから「甲斐キャノン」。覚えやすいしゴロがいい。それに何かとてつもなく強そうだ。


    ペナントレース終盤から聞きかじったこれが自分的にはツボで、電車の中の「無料シャトル」という広告までが「甲斐キャノン」に見えてしまったほど。……今年の流行語大賞ノミネートに間に合わなかったのが残念。

 

 その威力は、先の日本シリーズで一躍有名になった。

 でも自分、あまりノリノリでこの頂上決戦を見ていたわけでなく。感想としては、……何かあっさり終わっちゃったなあ、日本シリーズ、という。

 

 ロッテファンの自分としては、今年のプロ野球はとうの昔に終わっていた。けれど一応シーズンは見届けたくて、まあ雑用やりながらのテレビまだら観戦。

 

 クライマックス第1ステージでは、3位の日ハムを応援していた。なぜって、西武もソフトもシーズン中強すぎたから。

 しかしソフトは2位でもやはり強く、日ハムは敗退。

 

 で、ファイナルステージでは西武を応援していた。なぜならソフトは去年もだだ強かったので、新鮮な方を選んだのである。

 しかし西武は短期決戦に弱かった。パリーグシーズンぶっちぎり優勝だったのに、あえなく敗退。くそう。

 

 では日本シリーズ、広島に頑張ってもらおうではないか。去年クライマックス敗退という煮え湯を飲んでいることだし、活きの良い選手が揃ってるし、頑張れー、と。

 

 ……。

 ……。

 ……。

 

 あら。日曜にもう試合がないんですが。

 

 初戦はさすがの実力者同士、両者譲らぬ引き分けという壮絶な戦いを見せてくれたのに。これはひょっとして月曜とか火曜とかの第9戦、 いやもっと先の未知の長丁場に? と、期待していたのだが。

 結局、ソフトの4勝1敗1分という……結果的にはかなりの大差で終わった。

 

 第2戦以降、広島は「甲斐キャノン」に自慢の足をことごとく封じられた。ロッテもシーズン中、さんざんあのバカッ肩にやられたものだが、この大舞台で6-6、100%の盗塁阻止はすごい。それで広島は勢いが死んだと思う。


    甲斐選手は、その規格外の仰天プレイだけならまだしも、涼しげな目元が市原隼人を思わせるイケメンで(私見です、汗)、今後彼の人気はギータ(柳田選手)並みになるのではないか? と、勝手に想像している。

    ゴールデングラブも取ったことだし、今後ロッテの前に立ちはだかる強大な壁であることは間違いない。そうなると、好きな選手だけど複雑な心境ではある。

 

 にしても。

 この日本シリーズ、ことごとく自分が応援する方が負けて去っていった。このジンクス、何か別のことで役立てて大儲けできないかと思ったりする。

 

 とにもかくにもソフトバンクホークス、日本一おめでとうございました。

    来年こそはロッテも……せめてクライマックスに参加したい……って去年も言ってた気がする。。。1年経つのが早すぎる。

 

 

 

(了)けろけろけろっぴ

 

 

 

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 一時期、出版社にマンガ原作の持ち込みをしていたことがある。持ち込みとは、要するに売り込みのことで、「こんなの書いたんですが、載せてもらえませんか?」と編集者を訪ねて読んでもらうのである。

 

 自分の場合は、一応原作コンクールで賞を頂いたご縁で、電話して日程調整して伺うという流れだった。

 けれど、マンガ原作またはマンガについては、直接持ち込みを受け入れている出版社も多く、ご縁がなくとも勇気を持って当たっていけば、プロの編集者からアドバイスがもらえる。


 結果として採用されなくてもそれはとても役に立つ。わかってはいても、自分の場合、電話するときからして尻込み、勇気を出すのに一週間はかかった。そのままやめちゃおうか、と思ったことも数知れず。が、たまたまやはり持ち込みをしていた知り合いがいて、感化されて勇気を出すことができた。

 

 持ち込む物の書き方は、出版社にもよると思うが、自分の場合はシナリオ形式だった。箇条書きや小説の形の場合もあるという。

 最初は物語全てを書き終えてから電話する勇気を振り絞ったものだが、回を重ねるにつれ、「こういう話はどうでしょう」というあらすじというかネタというか、企画書とも言えない趣旨のようなもの一枚を出すだけになった。全部書き終えた物を出しても、必ずやり直しになるからである。もっと言えば、根本的に違う方向へ進むことの方が多いからである。だから最初に担当さんと話し合い、詰めてから書き始めるようになった。

 

 自分の場合はこれを月に一度くらいの頻度でやっていた。書き終わったらまた次最初から、といった具合。けれど大体がボツで、掲載まで漕ぎつけたのは十本に一本くらい。何て効率の悪さ。時給にしたら何十円の世界だね、なんて先の持ち込みの先輩と話したこともある。それでも今考えれば、結構なヒット率だったと言えると思う。

 

 実際何本かマンガになったときはとても嬉しかったが、実感したこともある。編集者さんに何度も言われたのは、「マンガは漫画家さんの物」ということ。これも出版社によって、あるいは原作者の格付けによっても違うのだと思うが。要は、こちらは「自分の書きたいことをマンガにしてもらえる」という気分でいたがそうではなく、「漫画家さんがネタに出来る物を提供する」というのが求められる原作者だったように思う。


 だから、「原作ではこう書いたのに違ってる!」とか言える立場でもない。そして書き上がった物を渡した後は、その雑誌の○月号に掲載との連絡をいただくのみで、発売日に書店に行って初めて「こんなマンガになったんだ」と知る、という感じ。

 

 それでも原作者名が印字されていることに感動したっけ。それは確かに自分が作ったものなのに、マンガとして載っているとなぜか新鮮で、どこか遠くの誰か知らない人が書いたような不思議な気分だった。

 

(了)


 

 

 

  

 

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 東野圭吾さんの小説「宿命」の解説にあった。最後の一行を書きたくて書いた話だと。

 

文庫本一冊の長さだ。腐れ縁の二人の男の長い年月の物語だ。それがその一行に集約され、幕を閉じる。

初めて読んだのは相当昔なので、当時の自分の詳しい感想は覚えていないが、その意外性に切なくもホッとしたように思う。

 

宮部みゆきさんも、話は決まっていないラストのストックがいくつかあるという。山崎豊子さんの最後が決まらないと書けない、との一言も見かけた。

 

これらのことは、自分が物語の創作を始めてみてからとても身に染みるようになり、よく思い返す。

 

最後の一行じゃなくてもいい。物語の結末でなくても。こういうシーン、この一言、その一行を書きたい。そういうひらめき、思いが、物語を書ききるための勢いというかエンジンみたいなものになる。自分みたいな物書き見習いにでも、そこへ向かうことですべての神経が研ぎ澄まされる感じはわかる。

 

これまでいくつもの物語を書いてきたが、それがなかったものは大抵失敗している。途中であちこち脱線し、迷走し、放り投げた物も数知れず。何とかエンドマークをつけることができても、自分自身読み返したいと思わないほどに思い入れがない。

 

本当に少ないのだが、これという最後の一行を書きたくて書き始めた物が、自分にもあった。これは強かった。

調べものが面倒だったり登場人物に嫌気がさしたり途中もたもたする展開に整理ができない自分の頭を恨んだりと、必ずどこかで突っかかるのは他の作品と変わらなかったのだが。

 

とにかく「その一行」が書きたくて、そこに向かって働く復元力や推進力がものすごいのだ。最後にその一行が来るのだからそれを際立たせる伏線をこっちにもあっちにも入れて。それを言わせる人物はこういう性格にして。だからこういうことが起こって脇にはこういう人が必要で。

といった具合に、ただ漫然と結果もわからず書いているよりずっとクリア。ものすごく張りがある。

 

自分の場合、「その一行」「そのシーン」はずっと頭にだけ置いておいて、そこに辿り着くまではわざと書かない。すぐに萎えて挫けてしまう自分に、人参としてちらつかせるのだ。そしていよいよそこに到着した時の達成感といったら……!!

 

脳内再生でヨダレが出てしまった。

何せ、そうそうできないのだ、これが。書きたくなりそうな景色、言葉、イメージ、ニュースなど、ガンガン羅列してはみるのだが、自分の度量と推し量り、膨らんでいかないものも多い。……というか、ほぼ8割方ダメじゃん……、と、ネタ出しの時点で嫌になることが多い。

 

それでも残り2割を求め、「その一行」を探して、今日もあちこち目をこらしている。あの超強力エンジンの中毒患者なのである。

 

(了)