10年近く前、せっせと映画を観に行ってはその感想をブログに公開していた。これは5年弱続き、数えてみたらテレビ鑑賞を含めると、300本を超えていた。(興味があったらご覧下さい→映画ブログ)
このブログを始めたのは、映画が好きなのはもちろん、何を観たかの備忘録的なものを整備しようと思い立ったこともある。
が、一番には「自分はどう思ったのか?」を確認したいと思ったからである。
変に思われるかも知れない。けれど自分、とっても流されやすい性格。そして思考回路のつながりが恐ろしく鈍い。なので、とある映画を観た誰かが「ここが面白くてここがツッコミどころ、作者はこういう意図」みたいなことをサクサク述べていると、「そうそう自分もそう思う」となってしまうのである。自分自身が思うように言葉にならなかったことを、バンと言い当ててくれる方が多いので便乗してしまう。
もちろん全部がそうではなく、自分はそう感じなかった、と思う時もある。でもその場合、なぜそう感じなかったのか、というのが上手く説明できない。何かイヤ、どうも嫌い、といった漠然とした感覚しかなく、理路整然と筋道立てることができないのだ。
ブログを書くにあたり、映画を脳内再生して考えて考えて、何度何度も言葉を選び直す。そうやって起こした文章で、ようやく「私はこう思ったんだ」とわかるのだ……こういうのを頭が悪いというのだろう。
昔から自分の意見を言えなかった。「こう思う」というのがすぐにまとまらない。だから議論は超苦手。誰かが何かを言うと、それについて考え吟味し言葉を探しているうちに、まわりはどんどん発展して全く違う話題になっていたりする。そのスピードについていけず、更に自分が「言おう」と思ったことなんて言えたとしても次への展開が少しもない。述べているうちに何を言いたかったのかわからなくなることもいまだに多い。
反射神経の鈍さが自分が何をどう思うかをシャットアウトして、人の話を聞くことに徹していた。そしていつのまにか、近いことを言った人の意見を自分のものとしていたところがあったように思う。
それじゃ物語の創作はできないなあ、と思ったのである。だから映画ブログをやって「自分はこう思った」と、一心不乱、必死に考えてみようと思った。自分にとって「率直な意見」を紡ぐのは、そのくらい大変なことなのだ。と、やってみて改めて自覚した。時間がかかっても、とにかくそうやって一生懸命に考えることが自分には必須なのだということも。
そのブログ、いろいろと言い訳はあるが、今や放りっぱなし。ずーーーーっと更新していないので、広告が出まくりの恥ずかしい状態となっている。ああ、ここまで散々もっともらしいこと言ってきといて。
再開したいのだが、このところなかなか映画を観なくなった。だから代わるものを何か見つけなくてはならないな、と思っていて、とりあえずこのブログを続けているわけでして。。。
(了)
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