三谷幸喜さんのエッセイに、こんなことが書いてあったのを目にした。
『旅行が嫌い。家にいれば要りような物がどこにどうしまってあるか把握している。旅行へ行くとそうはいかなくなるのが嫌』というような趣旨だったと思う。
それで腑に落ちた。自分はなぜ旅行となるとこんなに憂鬱になるのかと。
全く三谷さんに同感で、荷物に詰めた途端、どこに何があるのかわからなくなる。どころか詰め忘れるのも常で、探し出すのにもたつき苛ついてしまうのだ。
旅行自体は好きである。普段の自分の行動範囲では見られないもの、できないこと。そうした体験はとても楽しいし、新たな発見は心の栄養になる。同じ毎日の繰り返しから抜け出せる気分転換になる。そうわかっている。
が、どうにも憂鬱さも抜けない。自分なりに何故なのか分析してみた。
一つ、三谷さん現象。
一つ、荷造りが面倒。
気候がわからない季節には本当に悩むので、あり得ない程荷物が膨らんでしまう。半袖からコートまで、タオルからマフラーまで、バカみたいな品揃えになってしまうのである。でも重たい思いをしたくないので、何かを削ろうと必死に考える。でも考える労力が最近続かなくてすぐに萎えてしまう。結局重たい量を持ち歩く。どっと疲れる。……今までの人生、結構な回数の旅行をしているはずなのにアホかと思う。
一つ、録画が溜まってしまう。
ついついドラマや映画を片っ端から録画するのが癖で、これはノルマのように追われて見るはめになる日々を招く。できるだけ定期的に見ては消すようにしている。これが旅行が入ると後へ後へと繰り延べられる。いつ消化しようか頭を捻らなくてはならなくなり、億劫になる。
一つ、生活リズムが狂う。
普段起きる時間、やるべきこと、寝る時間、は大体のところ決まっている。これが旅行に出ると、あれもこれもやりたいし、貧乏性ゆえに詰め込みすぎて疲れるし、何よりご当地グルメを食べまくってしまう。旅行後は必ず2キロほど太ってしまい、最近はそれが戻らないうちに次の旅行へ出かけたりするものだから、恐ろしいことになっている。
更に一つ。
洗濯。2,3日ならともかく、少し長くなるととてつもない量になる。その大仕事のことが、旅行の後半くらいから頭をよぎってしまうのだ。もう激しく憂鬱になってくる。
ただし、これについては最近解決策を見出した。宿泊先かコインランドリーで乾燥まで終わらせてしまうのだ。それでストレスが洗濯物と同じくらいグッと減る。
こうやって考えてみると、やっぱり自分は「旅行好き」とは言えないのだろうなあ。でもやっぱり出かけてしまう。だとすると、「エセ旅行好き」 ……うん……その名乗りが正解な気がする。
(了)![]()
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