エセリケジョ・続編(18/8/26) | 石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと

石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと

日常で気になったことや、長い物書き志望歴で思ったことをランダムに綴ります。

「リケジョの頭の中をのぞけ」というテーマで、自分が文系女子とどう違うと思うか、をリケジョにアンケートするラジオ番組があった。

 

 以前も書いたが、私はリケジョである。いえ、正しくは、理系の学部を卒業だけした、理系と呼ぶにはおこがましいこと甚だしいエセリケジョである。

→「エセリケジョ」、「リケジョは物書きを目指せるか

 

 だけど時々、やっぱりどちらかと言えば理系脳なんだろうなあ、と思う。そのラジオ番組を聞いていても、著しく共感する意見があったのだ。

    その一つが、「同じことをいろんな言葉で何度も言われるのがまどろっこしい」というもの。

 

 そうなのだ。日本語とは、一つのことを様々な表現で言える素晴らしい言語。「私」という一人称ですら「ぼく」「俺」「それがし」「あたし」「うち」「自分」等の言い分けがある。

 おしなべてそんな風に言葉の種類が豊富なわけで、「彼女は綺麗、美しい、麗しい、華やか、見映えがする」とか、状況に応じて言い方を変えられるのだ。

 

文系には、そういうことを得意な方が多いのだろう。が、理系は「要は美人のことでしょ」とか「夏緒か」との一言ですんでしまうのである。

 

他にも、家に無駄なものを置きたくないとか、お金の使い道は計画的に考えるとかの意見があった。その辺は私、やっぱリケジョじゃない、と思ったけど。

 

そのラジオのパーソナリティの男性が、「リケジョというと理屈っぽくて怖そうという先入観があったけど、キッパリサバサバ格好いいイメージに変わった」と言っていた。私も、自分のことは別として、そう思う。

 

つまりは無駄が嫌いなんじゃないかな。単純明快、スッキリ飾りっ気ナシ、みたいなのを好むんじゃないかな。……私もリケジョに混ぜてもらえるのなら、その辺はわかる。

 

物書きを目指したい身としては、表現力、描写力が必要なわけで、様々な言い分けは出来た方がいい。でもいかんせん、やっぱりズバリわかりやすいのが好きなので、単純な表現になりやすい。気付くと「美しい」「美しかった」「美しすぎて」と、同じ言葉ばかりが重なっている。読み返すとそれはうるさい。言い換えができるよう語彙を増やさなくてはと思っている。

 

ただ、私の目標は「過不足なく」。読み手にわかってもらえる最小限の言葉、文章で表したいと思っている。……って、めちゃくちゃ難しくて、日々苦労してます。

 

(了)

 

 

  

 

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