東京から名古屋までは「のぞみ」ですいっと移動したとだけ言って
特段何も触れずに伊勢路紀行の話に入ろうとしておりますなあ。


東海道新幹線は何度も乗っているものですから、時折、車窓から外を眺め、
「今日は富士山、見えるかな」とか「ああ、浜名湖だ」とか言っているうちに着いてしまい、
あまり目新しさを感じないといいますか。

(個人的にはそもそも新幹線では旅情を感じないのですが…)


飛行機に乗ると窓にへばりついて写真を撮っていたりするのに、新幹線でそれをやらないのは
窓外の景色が「ああとへあとへと飛んで行く」(文部省唱歌「汽車」の歌詞ですな)ばかり。
よほどの遠景が見通せるようでもないと、写真を撮る暇があまりないようなわけで。


それに比べると、今回乗った近鉄名古屋線は(全く初めて乗るというわけではないものの)
土地勘がまるで無いせいか、どこをどう走っているのかも想像の余地ありだものですから、
窓外の景色から目が離せないと申しましょうか。乗った車両はロングシートであっただけに、
外を見るのにきょろきょろする姿はまさに挙動不審者と見られていたかもしれませんですよ。


とまれ、近鉄名古屋線の車窓から外を眺めやっておりました移動のようすなどから
語り起こしということにいたします。


と、唐突ながら、近鉄名古屋駅では列車が発車する際に

「ドナウ川のさざなみ」が流れるのですなあ(全ての列車ではないようですが)。

しみじみと別れを惜しむような、せつない気のしてくるメロディーですので、

旅の始まりとしては「なんだか寂しい…」と思ったものでありました。


そんな近鉄名古屋駅を後にして松阪行き急行列車は走りだしましたですが、

土地勘の無い者としては単純に東海道線は東西に走っている、

名古屋から伊勢方面へは南下する…と、かような程度にしか認識していないのですね。


で、名古屋駅からほどなく、八田駅を過ぎたあたりで気付いたのでありましょうか、

進行方向右手の車窓から遠く山並みが見えたのですな。

進むにつれてその山並みはどんそん近づいて、しかも天辺には雪をいただいた山も。


これってもしかして鈴鹿山脈?とは思ったところながら、

鈴鹿の山って雪をかぶるほどに高い山であったのかしらん…と、確信が持てず。


雪をいただく鈴鹿山脈の山々

これは後に列車を降りてからの遠望ですけれど、ともかくもあとから地図をみれば、

その後、しばあらく右手には山並みが見え続けていたのはやはり南北に長い鈴鹿山脈。

中にはスキー場の開かれる山もあるんだそうですなあ。


なんだか関東者にはこれが意外でしてねえ。

伊勢の方はいくらか暖かいのではないかと、漠然と思っていたものですから。


このあたり、東京から見た房総といった雰囲気を思い浮かべてしまってましたですが、

この「いくらか暖かいのでは」という思い込みは大外れであると、後に思い知らされたのでした。


列車は名古屋とその周辺の町々を抜けて進みますが、やがて大きな鉄橋に掛かりました。

木曽川橋梁と書かれてあったその鉄橋はなかなかの長さ。

しばらく前に木曽路をたどって見やった木曽川が終点ではこんなに広い川幅になるだあねと。


そんなことを思っているうちにまた鉄橋になりまして、長良川を渡り、さらに揖斐川を渡る。

江戸の時代に東海道はこの木曽三川の川越えを避けて、熱田神宮のある宮宿から

次の桑名宿まで七里の渡しでもって海上移動したわけですが、なるほどなあと思います。


三本の川が狭いエリアに集まってきて、増水でもしようものなら足止めは必至。

まだ海上を船で移動した方が安全でらくちんだったのでしょう。


と、列車の方もまた桑名の駅に到着しましたですが、

ホーム越しには大垣行きの列車が停まっているのが見えて、また少々混乱。

走っているところの地図を、頭の中にどうしても思い浮かべられない…。

これまたあとから調べてみると、養老鉄道という路線が両都市を結んでいたのですなあ。


そんな桑名は途中駅より少し都会のせいか、比較的乗降者がいましたけれど、

そこで聞こえてきたのが「おお、関西弁ではないか」と。

エリア的には「伊勢弁」というべきかもですが、関東者には全く区別がつかないのですよね。


桑名と聞いては先のとおりに「七里の渡し」を思い浮かべ、
てっきり海が近いものと思い込んでいましたけれど、
今の桑名の目の前は木曽三川の最下流域に当たっておるようで。
沿岸の埋め立てなどで、昔に比べて海岸線は遠のいてしまったのでしょうかね。


ですから、今の地図で見る限り宮宿から船で渡る先は四日市宿の方が適当に見え、
実際に江戸期にも桑名を飛ばして、宮宿と四日市宿とを直接に結ぶ
「十里の渡し」というのもあったということでありますよ。


と、列車は伊勢湾岸自動車道の下を潜り抜け、進行方向左手(つまりは海側)に
工場の煙突が目立つようになってきますと、四日市に近づいた証しですな。


四日市は今も変わらぬ工業都市のようで、高度成長期に起こった公害問題では
さまざまな病気被害の中に「四日市ぜんそく」などという有り難くない命名もありましたね。
関東でいいますと、川崎のような位置づけの町ということになりましょうか。


三重県内では県庁所在地の津を上回る人口を抱えた都市だけに
高い建物も多い四日市を過ぎますと、あたりの景色にはすっかりのんびり感が漂ってきて。
そうした中でしばし過ごすとまず最初の目的地になる伊勢若松駅へと到着するのでありました。