フランクフルトに到着早々にして最大の訪問ポイントと考えていたシュテーデル美術館
に出かけ、
大きな満足を得た後はすでにしてフランクフルト落穂拾い的なものになっていきますが、
それでも地元の著名人には敬意を払うべく「ゲーテハウス」を訪ねることにしたのでありますよ。
昨年、リューベック
で訪ねたブッデンブロークハウス
は作家トーマス・マンの祖父母の家で、
小説「ブッデンブローク家の人びと」
の舞台となったわけですけれど、こちらの方は
まさにヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
が1749年に生まれた家ということで。
上の写真に見えるモダンな入口はゲーテ博物館の入口でありまして、
そこを通って裏から回り込む形でゲーテハウス(生家)に入っていくことになります。
何せ裏口から入るようなものですから、すぐ右手には台所。
ただ財産家であったようすは伝わってくるもので、
右側の流しに寄り添う細長い箱から出ている蛇口が見えますけれど、
これは地下の井戸に繋がっていて、台所(屋内)にいながら水が使えるというポンプ。
どうやら誂えもののようです。
別の階にはこのようなリネン・プレス機なるものが置かれていて、
お客のもてなしなどにたくさんのリネンが使われたでしょうけれど、
こんな最先端(?)の機械も導入するほどに
ゲーテ家は金持ちであったというか、新し物好きであったというか。
ゲーテ本人も機械にはかなり興味があったのでしょう、
2階の階段室には大層凝りに凝った置時計が鎮座ましましておりました。
1746年製の天文時計で月の満ち欠けなども分かるムーンフェイズの先駆けですな。
ところで間取りとしては1階には台所のほか、食堂と玄関の間があるきりですが、
2階から4階まではほぼ同じ作りで、階段ホールを除いて4室ずつ。
それぞれに豊かな暮らしを彷彿させる設えとなっておりました。
言い忘れましたが、このゲーテ生家はやはり第二次大戦下の空襲で壊滅状態になっている。
それを忠実に再現する一方で、家具調度は別の場所に移してあり、被害を免れたのだとか。
ですので、実際にこうした調度類に取り巻かれていたのでしょうね。
そして、俄然色めきたったのが4階の「詩人の部屋」と呼ばれる一室。
これぞゲーテ本人が使っていた机であると。
この家で暮らしている時分に
「若きウェルテルの悩み
」や「ファウスト」の初稿などが書かれたとなれば、
このインクの染みはそうした初期作の生みの苦しみの跡でもあろうかと思ったり。
ですが、ゲーテはもっぱら立ち机を使っていたとも聞きますので、こっちかも。
あまりにそっけなく置かれてますけれど。
とまれ、なんとなあくですが、こうした家庭の雰囲気からしても
また「ウェルテル」の主人公あたりからの想像でも、ゲーテ本人のお坊ちゃまぶりを
思い浮かべてしまうところながら、むしろ道楽息子っぽいのは父親の方であったかも。
帝国自由都市フランクフルトで帝室顧問官とは言われながら、
やっていたのはもっぱら美術品の収集で、取り分けその当時にフランクフルトで活躍した
コンテンポラリー・アート(要するにその時代の絵画)をコレクションしていたそうな。
成果のほどは、これこのとおり。
これだけの絵画(実際にはもっともっと展示してあった)に囲まれて暮らしていたわけですから、
ゲーテの美術に対する興味、素養には影響したのではないかと思うところです。
そのあたりのことが、生家に続いて見て回った隣接のゲーテ博物館の
展示内容に関わってくることになりますですが、ゲーテ博物館は次にご覧いただくということで。