フランクフルトでは取るものも取りあえずシュテーデル美術館を訪ねたのだと言いつつも
勿体ぶってCMを挟み込むTV番組のようになってしまいましたですが、
焦らされていざ続きを見ると「なんだ、そんなことなの…」となりがちなTVとは違い、
どなたにとっても「一度は行きたい美術館」に挙げてもらっていいのでは…というのが
シュテーデル美術館でありました。
金融の街フランクフルトらしく銀行家であったヨハン・フリードリヒ・シュテーデルが
1815年に創設したということですから、2015年は200周年だったのですなあ。
コレクションは大きく分けて、14世紀~18世紀までのオールドマスター、
19世紀から1945年までのモダンアート、そして1945年以降のコンテンポラリー、
加えてドローイングなどが階毎にたぁんと展示されておりました。
最上階の3階(その場での表示では2階)から
階段を降りると時代も下るてなふうに見ていったですが、
「こんな絵があります」的なダイジェストでご覧になる方の「行ってみたいかも」気分を
煽ってみたいと思います(笑)。
まずは左側がヤン・ファン・エイクの「ルッカのマドンナ」(1437年頃)です。
王冠のあたりを飾る真珠の輝きの見事なことに感心しきりでありまして。
そして右側は一目で分かる個性に溢れたルーカス・クラナッハ(父)の「ヴェーヌス」。
裸婦像はとかく豊満な姿で描かれますけれど、
「ギャラリー・フェイク」で貧乳ばかり描くと言われていたクラナッハの面目躍如?たる作品は
これにはこれの妖艶さといったものがありますですね。
こんどは1410年から1420年頃の作とされる上部ライン地方の無名画家によるもの。
少しの後のヒエロニムス・ボスにも通ずるレトロSFチックな雰囲気ですが、
見れば「ふうむ」と思う作品を残した無名画家がたくさんいたのでありましょうねえ。
続いてはアルブレヒト・デューラーの作品で、左は「髪を下げた若い婦人の肖像」(1497年)。
髪の細かなきらめきにはデューラーの版画を思い出させるところがありますが、
右側の方は「こういう絵も描くのだな、デューラーは」と思ったものでして。
ヤン・ブリューゲルのギリシア神話を題材にした作品(1601年)ですが、
よくよく見れば等身大のカエルたちが描き込まれている。
さほどギリシア神話に詳しくないものですから後から調べてみたところによりますと、
どうやらアポロンとアルテミスの母となるレトのお話のひと幕のようですね。
例によってレトを身ごもらせたのはゼウスですが、
これまた例によってヘラの嫉妬を買い、レトは出産場所を求めて歩かなくてはならなくなる。
その旅の途次、池の水を飲もうとしたところ村人たちに遮られたため、
「そんなに池が大事なら一生池で暮らすとよい」と願うと村人たちはカエルになってしまった…。
毎度のことながら、ギリシア・ローマ神話とキリスト教のことは多くを知っているに
こしたことはないと思うところでありますよ。
お次はルーベンス。本当は小さい作品ながら、ここではちと大きめに。
アントワープの教会を飾る作品のスケッチ(1628年)とのことですけれど、
下絵とはいえ、否下絵だからこそルーベンス本人の手になるわけで、
こういっては何ですが大きく仕上げた工房作とは違ってドラマティックが実に濃厚であるなと。
こちらはルーベンスがヤン・ボッケンホルストと共作した「ハープを奏でるダビデ王」。
貸し出されて日本に来たときにも目をとめた作品ですけれど、これもまたいいですな。
何度も言ってますが、ルーベンスは小品を訪ね歩きたいものだと改めて。
アントワープのルーベンス・ハウスにも一度行きたいなとも…。
さてだんだんと佳境、黄金時代へと入ってきておりますが、ここの2枚はレンブラント。
上の1660-70年頃に描かれた若い女性の肖像は、レンブラントがおよそ200年も前に
印象派に先駆けた描き方をしていたと思わせるものなのですが、
画像ではわかりませんですね…。
下の方は有名作ですね。
サムソンがペリシテ人に襲撃されて眼を抉られる場面を描いた一作(1636年)。
足指のこわばりを見ても、目潰しにあうとは「いてえんだろうなあ」と痛烈に想像させられますですよ。
そしてそして、「これがあるのがシュテーデル美術館!」と思っていたのがこれ。
ヨハネス・フェルメール
の「地理学者」(1669年)であります。
2011年、渋谷のBunkamuraザ・ミュージアム
で展示されたときには余りの人だかりに辟易し、
いつぞやフランクフルトでじっくり見てやろうと思っていたのが、ようやっと叶ったわけです。
それも、寄ろうが引こうが誰の邪魔にもならないフェルメール独り占め状態という願ってもない環境で。
光によって生ずる視覚上の眩惑までも描きこんでいるやに思われるさまやら
アムステルダムで見た「牛乳を注ぐ女」同様に近付かないと見えない色粒(特に白)やら、
堪能するにはこうでなくてはとの思いを強くするのでありました。
そしてさらに「これもあったか」というのが、このボッティチェリ
による女性の肖像(1480年頃)。
「ヴィーナスの誕生」のモデルとも言われるシモネッタ・ヴェスプッチの肖像ではないか?
と考えられているようで。
シモネッタ・ヴェスプッチの肖像としては、
丸紅コレクションにある「美しきシモネッタ」を見たことがありますけれど、
こちらの方が若々しくて媚も無く、乙女の肖像という相応しいですな。
ボッティチェリらしい、いつもの無表情もむしろしっくりくる風情でもあろうかと。
これもまたよくよく見れば、胸元から肩、背中へかけての微妙な陰影は見事だなと
あまりボッティチェリ好みでない者でも、そんなふうに思いましたですよ。
このあたりで3階部分を見終わって…という段階ですけれど、
2階のモダンアート(といっても近代以降ということですが)は次回にまたじっくりと。


