いやあ、長くかかってしまいました。

ようやっとトーマス・マンの「ブッデンブローク家の人びと」を読み終えたのでありますよ。


読んだのは図書館で借りた全集本の一冊でしたけれど、

そのボリュームをご理解いただくために、岩波文庫版で言ってみるならば、

上・中・下3巻で総ページ数が1,097という、なかなかの大河小説。

途中、何度かの中断を経て、ついに最後までこぎつけました。


河出世界文学全集 (18) ブッデンブローグ家の人々/トーマス・マン


といって、決して読みにくいとか、分かりずらいということではなく、

手に取った全集本がとにかく重いというのが、難点だったのかも。

いざ読み始めると、切れ目を付けにくい後引き感があり、むしろ面白かったと言えましょうから。


元は北ドイツ に出かける前に読もうかなと思ったですが、

結果的には帰ってきてから読んだのは正解だったかなと、個人的には思いますですね。


作品の舞台はリューベック。

住いであったブッデンブローク・ハウス は元より

聖マリーエン教会 市庁舎ブルク門ホルステン門 といった場所場所を

登場人物たちが動き回る。

夏の休暇となると、トラヴェミュンデ にも出かけていく。


自らふらふらと歩きまわって目にして来たところなだけに、

それこそ100年以上の時間差はあるものの、それらしい雰囲気、空気がいささかなりとも

分かるような気がしたものでありますよ。


お話は、交易都市リューベックで穀物商ブッデンブローク商会を営む一家四代の物語。

商売で一旗揚げようとメクレンブルクから出て来た祖先によって始められた商会の、

その羽振りの良さを示す大きな邸(ブッデンブローク・ハウス)へ転居したところから

語り起こされるのですね。


基本的に息子が、そしてそのまた息子が商会を受け継いでいくわけですが、

絶頂を極めたときはすでに斜陽の始まりてなことが言われるように、

祖父の、父の業績を受けて、彼らが成りえなかった市参事会員にも選ばれるという

栄誉に浴したトーマスは唐突に何ともあっけない最期を迎え、

一人息子のヨハンも若くして病いに倒れてしまう。


華々しく商会100周年記念を祝ったのもつかの間、

もろくもブッデンブローク商会は一切が無に帰してしまうのでありました…。


この市参事会員トーマス・ブッデンブロークのモデルが作者トーマス・マンの父親ということで、

一族として登場する人物たちはそれぞれをマン家の家族構成にほぼ等しい感じで

モデル設定されているそうな。


20代に書かれた処女長編で、これだけの人物を個性的に描き分けているのは、

モデルあらばこそなのかもしれませんですね。


リューベックのブッデンブローク・ハウスを訪ねたところでも

トーマス・マンの学業成績がふるわないものであったことに触れましたけれど、

必ずしもそうしたこととは関係のない文学者として光を見せるようになる原石が

マンにはあったということかも。


そして、後にトーマス・マンはノーベル文学賞を受賞するわけですが、

それは「主として『ブッデンブローク家の人びと』の作者として」ということだったのだとか。

「トニオ・クレーガー」でも、「ヴェニスに死す」でも、「魔の山」でもなく。



先に人物の描き分けと言いましたけれど、

ともすると傾倒したワーグナーのライト・モティーフに倣ったと言われることともある、

ひとりひとりの人物に付随する特徴的な描写が「お決まり」的に繰り返されたりする点は、

いささかくどい感もあるものの、何せ多くの人物が出て来る中でそれぞれを生き生きさせるのに

効果的ではあったようにも思われます。


とまあ、そんなふうに言ってきますと、

商会を引き継いできたブッデンブローク家男子の物語と見えるやもですが、

実のところ全編を通じて「ブッデンブローク家」なるものを体現しているのは、

トーマスの妹(著者の叔母がモデル)であるアントーニエ(トーニ)であろうと思うのですね。

巻末の解説にも、この小説は「女の一生」と言ってもいいといったことが書かれてましたですが、

正しくそのとおり。


ブッデンブローク家の栄光に包まれて育ち、

そのさらなる反映に手を貸すことこそが自分の生きる道と自らに言い聞かせ、

没落の兆候には誰よりも敏感で、栄華の失われることをあられもない姿で泣きじゃくってみせる

勝気なお嬢様。


トーニがどう考えるか、どういう行動にでるか、

こうした辺りを詠みながら、ハンザ同盟はもはや過去となった19世紀に、

リューベック商人(ブッデンブローク家ばかりでなく)がいかに没落していったかに思いを馳せる。


ドイツの近代文学はここから始まった…てなことを言われるのも、

なるほどと思うのでありました。