最近。
ミュージカルの演技について、複数の方からご質問、ご相談をいただいています。
「ミュージカルの演技って、何をやったらいいの?」
「ミュージカルには、特別な演技法が必要?」
「ミュージカルの演技は、どこで習えるの?」
「そもそも、ミュージカルをやるのに演技を学んだ方がいいの?」
……まず、上のようなご質問やご相談について、基本的に知っておいていただきたいのは。
「ミュージカル演技」という固有の演技スタイルや演技法があるわけではない、ということです。
結果として、いわゆる「ミュージカルっぽい演技」に見えるものはあるかもしれません。
しかし、独自の「ミュージカル演技」というものがあるのではなく、あくまでも、基本は普通の「演技」と同じです。
ただし。
そこに、歌やダンスが入ってくる(だからこそ「ミュージカル」なんですけども)から、なんとなく「ミュージカルには独自の演技法やスタイルがある」と感じてしまうだけなんですね。
だからこそ。
ミュージカル俳優もまた、普通の「舞台演技」といったことの勉強は確実に必要です!!
……僕は、2003年から2019年くらいまで、仕事の多くがミュージカルの舞台でした。
そうした経験から、日本のミュージカル俳優たちに「演技を学ぶ習慣がない」という、非常に不思議で危険な状況を、ずっと見てきました。
その理由の一つとしては、ミュージカル作品に出演するにはまず真っ先に「歌とダンス」が必要で。
そうしたレッスンに通うために、「演技」の勉強に時間や労力を割かなくなってしまう、ということがあるようです。
が、もう一つの理由。
日本のミュージカル業界の中で、どういうわけか「演技を軽視」し、「演技は学ばなくていい」という理屈が成り立っているのも事実です。
僕は、2003年に大劇場ミュージカルに出演した時、その作品の主役の方から、はっきりとこう言われました。
「ミュージカルをやるなら、歌とダンスをやっとけ。
とりあえず、演技はいらない。
演技は、演出家によって言うことが違うから、その時その時でついていけばいい。」
……数年後。
大先輩からのこの言葉は、完全なる「間違い」だと気づきました。
日本におけるミュージカルの歴史は、アメリカやイギリスに比べたら非常に短く、層も浅いです。
2003年当時、まだまだ「発展途上」とも言える日本のミュージカル業界では、まずは「歌、ダンス」だけで十分だったのかもしれません。
十分というよりも、当時はそれで手一杯だったとも言えるでしょう。
それだけで、なんとか「ミュージカル」というカタチを作り出そうとしていたのかもしれませんね。
▲西洋発祥のミュージカルに対して、日本はまだまだ発展途上なのかもしれない。
こうした「歌とダンス」偏重の考え方。
確かに、ミュージカルの歴史や成り立ちを、"ある側面" から捉えると、「歌とダンスが主役」で「演技は脇役」という感じがするのかもしれません。
それは、元々「オペラ(と、それに続くオペレッタ)から、ミュージカルが派生している」という歴史的な側面です。
たとえば「テノール(男性の高音域)」がヒーローや主人公、それより低いバスやバリトンが悪役、というように、「音域、声域」で配役が決まったりする。
その結果、そこには「形式・様式」といったものが色濃く現れてきます。
こうしたオペラやオペレッタの事情を考えると、「そこで見せるもの」の主役は「歌」なのだということが、よく分かりますね。
まぁ、そもそも「オペラ」とは、歌や音楽が演劇を引っ張る=歌、音楽が主役となる「歌劇」のことですから、それは当然と言えるでしょう。
(※今日のミュージカルにおいても、そうした「音域、声域」と配役は、密接な関係を持っています。)
▲オペラ、オペレッタ、そしてミュージカル。
それぞれの詳しい発祥や起源については、またいつか記事にまとめてみようと思います。
ちなみに、オペラにもセリフは存在しますが、それがオペレッタになっていくと、セリフの割合が増えてゆきます。
また、オペラは「歌」が主役ですが、オペレッタになるとダンス(バレエ)もよりフィーチャーされるようになってゆきます。
しかし、時代が進み、オペラやオペレッタとは違ったスタイルの舞台芸術が誕生します。
19世紀末から20世紀初頭の、アメリカにおけるミュージカルです。
元々、オペラやオペレッタでは、「歌い手」と「ダンサー」が分離していました。
それが、ミュージカルの誕生とともに、「歌い手」と「ダンサー」の仕事が合体して、一人の俳優が「歌って踊る」という仕事をこなすようになります。
さらに、同じ俳優が「セリフ」も喋る。
こうして、一人の俳優が「歌、ダンス、芝居」の全てをこなすという、現在のミュージカル俳優の "三拍子" の形態へと変わっていくわけですね。
この変遷によって、舞台の上に、オペラやオペレッタとはまた違った「劇的効果」が得られるようになり。
やがては、より様式や形式から切り離された、演劇的に自由でリアリティーのある劇空間が出現します。
こうして、オペラやオペレッタとは違った「ミュージカル」の世界が出来上がっていきます。
……さぁ。
こうして見るだけでも、ミュージカルは「歌だけやっていればいい」「ダンスが踊れればいい」ということではないことが分かります。
「歌、ダンス、芝居」という3つの技を、一人の俳優が表現できるところに、ミュージカルの凄さ、素晴らしさがあるのですね。
そして、音楽を用いた形式、様式の舞台芸術の世界に、リアリティーという言葉も付け加わりました。
つまり、「リアリティーのある演技」ということを理解し、身につけておくことは、今日のミュージカル俳優には必要な条件になるのです。
▲「歌、ダンス、芝居」を融合した、アメリカ発祥の「ミュージカル」は、ショーの趣きが強いものでしたが。
やがて、イギリス発の『レ・ミゼラブル』や『ミス・サイゴン』のような、シリアスでリアリティのあるドラマを表現したミュージカルもたくさん作られるようになりました。
さて、一方。
ミュージカルの成り立ちを、オペラを起点とした歴史的な側からではなく、「普通の舞台演劇に、歌とダンスが導入された」という演劇理論的な側面からも考えてみましょう。
普通の舞台演劇、つまり、セリフを使った「ストレート・プレイ」では、その表現にどうしても制約がかかってしまう部分があるんですね。
たとえば。
物語が始まった段階で主人公が置かれた状況や、その時の感情のあり方、あるいは作品の世界観といったものを観客に伝えようとした時。
通常のセリフ劇だと、言葉を使って、それ相応の "たっぷりした時間" が必要になってしまいます。
しかし。
そこに「音楽」という要素を導入すると、あっという間に、主人公が置かれた境遇や作品の世界観を観客に伝えることができるのです。
僕が、ミュージカル『エリザベート』に出演していた時。
とある劇場にて、全館学生の貸切で、開演前の客席が「ワー、ワー!! キャー、キャー!!」と、ものすごくうるさかったということがありました。
舞台裏でスタンバイしているキャストたちも、
「今日は、集中してやれるか分からないね……」
と、開演前に不安な言葉を漏らしていたほど。
ところが、客電が消え、指揮者がタクト(指揮棒)を振り上げ。
そして、暗闇に、たった「3つの和音」が流れた瞬間に、あれだけうるさかった客席の雰囲気が一転し、あの独特な「黄泉の国」の世界観に包まれたのです。
たった「3つの和音」。
つまり、ものの10秒程度で、客席全体が『エリザベート』の世界観に引きずり込まれ、あの独特な雰囲気に包まれて。
学生たちが、一気に舞台上に集中したのです……。
セリフ劇では、この世界観や雰囲気、客席の集中を作り出すのに、おそらく10分程度は要するでしょう。
しかも、その10分間は本当に勝負で、少しでも失敗すれば、客席の注意力や期待感を掌握できぬまま、その後の舞台を進行させざるを得ない場合も多々あるのです。
そして、もっと凄いのは。
セリフ劇では、その言語を理解できる人しか引き込めないのに対し。
「音楽」を使えば、万国共通、世界中の人々を、ものの数秒でその世界に誘い込むことができるのです。
こうした、セリフでは達成し得ない「より大きな劇的効果」を求めた結果。
舞台に「音楽」が導入され、さらに、セリフも「歌」になっていく。
こうやって、セリフ劇に対する演劇理論的な側面、劇的効果の側面からも、ミュージカルの成り立ちというものは説明することができます。
そして、この成り立ちを考えてみても、やはり「ミュージカルもまた、演劇」であり。
だから、そもそものこととして、ミュージカル俳優にも真っ先に「演技力」が要求される、ということがよく分かります。
▲ウィーン発のミュージカル『エリザベート』。
今日のミュージカルは、細かく見ていくと、さらに複雑に分岐しています。
たとえば、アメリカにおける、ミュージカルの黎明期から黄金期。
歌とダンスによるレビューを経て。
1927年にブロードウェイで初演された『ショウ・ボート』で、現在に繋がる「物語を見せる」ミュージカルのスタイルが確立します。
はっきりとした、分かりやすい "筋書き" があり、それが音楽に乗って軽快に進行してゆくというスタイルです。
そこから、往年のMGMのミュージカル映画なども制作されるようになり、ミュージカルは黄金期を迎えます。
ここに登場するのは、フレッド・アステアのような、華麗なダンスと歌で魅せるスター達。
とっても分かりやすい物語と、夢と感動がある、楽しい世界です。
▲『ショウ・ボート』
その後。
戦後になると、ミュージカルの物語はより "内面的な" ドラマチックさを見せるようになります。
また、ブレヒト演劇の影響によると思われる、「歌になったら、わざと物語が停滞する」というスタイルのミュージカルも登場します。
代表的なものといえば、1966年にブロードウェイで初演されたミュージカル『キャバレー』における「MC」役という存在です。
ブレヒト演劇では、舞台上でわざと「歌」を歌わせて、劇の進行をストップさせるという手法が生み出されました。
それによって、その劇が語ろうとする「社会的なテーマ、批判」を、観客に認識させるためです。
また、そうしたテーマ、批判を浮き彫りにするために、物語の結末を先に(進行役が)解説したりもします。
(※ブレヒト演劇の手法は、先ほどご紹介した『エリザベート』にも強く現れています。そのあたりの詳しいお話は、またいつか解説します。)
▲『キャバレー』
1970年代には、より一層、登場人物の内面に迫る作品たちが登場します。
代表的なのは、1975年ブロードウェイ初演の『コーラスライン』。
「名もなきダンサー達、その一人一人にも、身を切るような人生のドラマがある」ということにフォーカスした作品ですよね。
その結果、以前のMGMのミュージカル映画のような「分かりやすく、はっきりしたプロット(筋書き)」を持つ作品に比べると、表立ったストーリー展開は影を潜め、より人間の内面のドラマに焦点が当てられます。
実際。
物語の中で、オーディションを受けるダンサー達が語る告白の一部は、本当に取材され、その実話を元に取り入れられています。
▲『コーラスライン』
また、1997年に初演の舞台『ライオンキング』では、俳優たちに対し、「マイム」のテクニックが導入されました。
これは、フランスで生まれた演技訓練法 "ルコック・システム" による「マイム」の手法を用いて、動物のマイムを俳優たちが訓練し、演技で表現するというものです。
ただ、バレエやジャズ、タップダンスといった「ダンスが得意」というだけの身体性ではなく。
『ライオンキング』のキャストたちが要求されたのは、きちんとした「演技法、演技理論」に基づいた身体表現なのです。
▲『ライオンキング』
……このように。
ただ「歌って、踊る」だけでは、ミュージカルの演技というのは理解できません。
演技を学び、演劇を知り、その中の "リアリティー" についてを学ぶ。
こうしたプロセスなくしては、本当のミュージカル俳優にはなり得ないと、僕は思うのです。
さらに。
ミュージカルにおいては、台本だけでなく、楽譜もまた、その作品や役を創るための「設計図」です。
つまり、ミュージカルの場合は、楽譜もまた「台本」なのです。
ミュージカル俳優は、楽譜から、「人の心の移り変わり」や「役の性格付け」などを読み取らなくてはいけません。
そこには、音楽的な知識と共に、演劇的な技量も必要になります。
……ざっくり、ミュージカルというものを大きく俯瞰して捉えてみるだけでも、これだけの「演技の勉強が必要な理由」が見えてきます。
しかし、僕がこれまでにいただいてきた多くのご質問やご相談は、このようなものでした。
「ミュージカル俳優にとって、歌やダンスを学べる場所はたくさんあるが、演技を学べる場所がない」
確かに、ミュージカル俳優に限らず、演技を学べる場所というのは、歌やダンスに比べて少ないかもしれませんし。
何を学んだらいいのか、どのクラスに通ったらいいのかも、とても分かりづらいものだと思います。
ここにも、日本の「俳優教育の混乱」が影響しているように思いますね……。
それと同時に、ミュージカルは「独自の演技スタイルがある」という勘違いがあったり。
また、「演技は学ばなくていい」という、誤った主張をする先輩たちも多いのかもしれません。
現場によって、演出家によって、求められることが違う。
だから、演技を学ばなくていい。
……いえいえ。
演技をちゃんと学んでいなければ、そうした「現場によって、演出家によって」の違いになんて、対応できません。
あまり「ミュージカルの演技を教えてくれる場所」とは考えず。
ごくシンプルに、「『舞台演技』を、しっかり基礎から教えてくれる場所」や「専門知識があり、正しく教えてくれる講師」を選んで、演技は演技でしっかり学ぶことをお勧めします。
あらためて。
ミュージカルとは、「音楽(歌)」と「ダンス」だけの舞台芸術ではありません。
「芝居」の要素も加わって、はじめてミュージカルなのです!!
その3拍子のどれもがしっかり磨き抜かれていなくては、プロの技とは言えない。
それを、忘れないでくださいね。
<オススメ記事>
台本読解が苦手な理由…役の想像、解釈はNG!? 重要なのは「事実確認」です!!
役になりきる必要なんて、ない!?…演技における「リアリティー」の捉え方について。
「役になりきる」のは精神的に危険か? 実例から「演技」と「憑依」の境界線について考えてみよう。
台本読解の極意! 広がった風呂敷を畳み、たった1つの「貫通行動」をキャッチせよ!!
演技は、シューティング・ゲームだ!! 台本読解して役をシンプルにすればこそ、夢中で敵と戦える。