前回記事で、「俳優のしごと」ということについて触れました👇
舞台俳優とか、声優とか、そういった話ではありません。
俳優が、そもそもやるべきこと。
何を身につければ良いのか、ということです。
今回は、その原点に立ち返り。
俳優の、一番根源的な「しごと」、土台の部分を改めて確認してみたいと思います。
俳優がやるべきこと、その「しごと」とは?
セリフを滑舌よく喋ること??
いろいろなキャラクターを演じ分けること??
感情を豊かに表現すること??
演出家のオーダーに、即座に対応すること??
確かに、そのどれも大切なことかもしれません。
でも、僕が今日お伝えしたいのは、もっともっと根源的なこと。
もしかしたら、当たり前すぎて、かえって忘れられているようなこと。
それは。
俳優のしごとの土台は、「五感で感じる」ということです。
五感で感じることができていなければ、豊かな感情表現はできません。
しっかり感じていなければ、どんなに滑舌よくセリフを喋っても、心に響く言葉になりません。
まずもって、「五感で感じる」ということがしっかり出来ていなければ、その先でいくら演技を頑張ってもどうにもならない。
当然、他の訓練も、意味をなさないのです。
「そんなこと言っても……
現場に入ったら、ディレクターの指示やら何やらで、五感で感じている暇なんかないよ!」
……確かに。
戦場のような現場を経験しているプロの方なら、そう言いたくなる気持ちも、よくわかります。
しかし、そうやって「他にもたくさんやることがあるから、感じている暇なんてない」と思ってしまう時点で、俳優がそもそも身につけておくべき基礎、土台の部分が、きっちり身に付いていないということです。
サッカー選手が、
「ルールやら、戦略やらで、ボールを蹴っている場合じゃない」
なんて言っていたら、どう思いますか??
「感じている暇なんてない」と、もしあなたが感じるのであれば。
それは、サッカー選手がボールを蹴ることを放棄しているのと同じです。
「五感で感じる」とは、そのくらい、俳優にとって根本的な部分の「しごと」なのです。
もし、あなたが、演技の時に「感情が湧かない」と悩んでいるのなら。
もし、「しっかりセリフを喋っているのに、何か物足りない」と思うのなら。
もし、役を生きられていないように感じるのなら。
もう一度、一番土台の「五感」をチェックしてみてください。
今いる場所を、歩いてみましょう。
足の裏に、地面を感じますか?
それは、どんな感覚ですか?
コンクリートを感じますか? フローリングを感じますか?
平坦でツルツルしていますか? それとも、デコボコしていますか?
温かい感触ですか? ひんやりしていますか?
今、座っているのなら。
その椅子や地べたの感覚は、どんなものですか?
背もたれに背中をつけているなら、それはどうでしょう?
その椅子や地べたは、あなたにどんな感覚をくれますか?
近くに、人はいますか?
その人がいることで、あなたは何を感じていますか?
呼吸しているその空気は、温かいですか? 冷たいですか?
胸に入ってくる空気は、心地よいですか? ちょっと嫌な気分がしますか?
……あなたが今、そこにいるだけで。
五感からキャッチできる情報は、数えきれないくらいに多いんですね。
あらためて意識をしてみると、そのことに気づけるはずです。
人間は、そうした「五感」からの情報を、無意識にキャッチしています。
それは、無意識であっても、本来はちゃんと感じているものなんです。
例えば、急にガスの悪臭が漂ってきたら。
皆さんの嗅覚は、それを自然とキャッチし、危険だと思えば無意識から意識の領域に引き上げて、なんらかの行動を起こします。
人間は、無意識でも、しっかり「五感」を使っていて。
それに基づいて、反応や行動が起きたり、心のヒダが刺激されて感情が湧き起こったりします。
さぁ。
演技でも、そのくらい感じて、反応することができていますか??
俳優の演技は、通常、台本という設計図に沿って展開されてゆきます。
つまり、台本を一度でも読んでしまったら、俳優は常に「先を知っている」状態で演じることになるわけです。
唐突に、ガスの臭いがしたり、危険が迫ってくるようなことはない。
すべて台本に書かれているので、俳優は常に「安全」な状態で時を過ごすことになる。
それどころか、先の展開を「知っている」という、実際の人生では超能力者でない限りあり得ない状態に身を置くことになるのです。
当然ながら。
そのような状態では、人間の意識の状態は、実際の生活とは変わってきてしまいます。
つまり。
演技になると、途端に注意力が著しく欠如して、「五感」を敏感に使うことをやめてしまうのです。
だからこそ。
俳優は、まず真っ先に、意識的に「五感を使う、五感を呼び覚ます」訓練をして、台本に書かれた「先を知っている人生」であっても「五感で情報をキャッチする」ということができるようにしておかなくてはいけません。
それが、もはや無意識レベルまで自然とできるようになって初めて、「ディレクターの指示」などを受けても、「五感を使っている暇がない」なんて言い訳をせずに、しっかり感覚や感情を使いながら、その要求に応える演技をすることができるようになるわけです。
▲こうした五感の訓練を重ねて、初めて、舞台の上の想像の世界でも「感じる」ことができるようになる。
「大きな感情」や「役を生きる」ことは、その先にあるのです。
「五感」の訓練については。
まず、先ほど書いたような、「今、歩いているとしたら、足の下に何を感じるか?」といったことを、やってみてください。
今、ここにあるものを、ありのままに意識して感じられること。
それが、最初の課題です。
それができるようになってきたら、徐々に、「記憶や想像から、感覚をもらう」訓練をやっていくと良いでしょう。
「感覚の記憶」などと呼ばれる訓練法ですね。
具体的には……
たとえば、今歩いているコンクリートやフローリングの床が「砂浜」だと想像して。
その想像の砂浜の上を歩き回ってみる。
その時に、砂浜の感触……デコボコや、砂が滑ってスムーズに前に進めない感じ、足の指の間に挟まったりする砂粒などを想像し、感じられるようにします。
あるいは。
今、シャワーを浴びていると想像します。
首にシャワーが当たっているのなら、それはどんな感触でしょうか?
水圧や、温度、水の音などを想像して、感じてみます。
テーブルの上に、アツアツのコーヒーが入ったカップがあるのを想像してみましょう。
それを手に取り、一口飲んでみます。
その時に感じる、カップの重さ、質感、温度。
カップを口元に持っていった時の、熱いコーヒーから沸き立つ湯気と香り。
一口すすってみた時に、口に感じる熱さ、味。
カップを傾ける角度。
そして、それをまたテーブルに置く時の感触。
こうした、一つ一つの地道な訓練が。
やがて、役の人生を生きるための、重要なパーツになっていくのです。
▲いろいろな状況を、想像で感じてみてください。
ちなみに。
どうしても想像できない感覚、記憶を辿っても見当たらない感覚があるとしたら、その部分は、いわゆる「役のリサーチ」が必要になります。
裁判官を演じる時、裁判所の中の空気がどうしても分からなければ、裁判の傍聴に行ってみるのも良いかもしれません。
ピストルを撃つ感覚が分からなければ、海外の射撃場で、実際にピストルを撃ってみることも役に立つでしょう。
役の人生は、そもそもが、他人の人生です。
それをすべて埋め合わせしようとしても、完璧に他人の人生を経験するのは困難なことです。
まず、自分の中にある記憶や想像(想像も、実際には、記憶の断片を繋ぎ合わせているので、感覚その全てが「記憶」と言えます)を用いて、役に近づいてみる。
それでも、どうしても手に入らないものに関しては、いよいよ「リサーチ」が必要になってくる。
そう考えておくと、自分自身の中にあるリソース(記憶の資源)を最大限利用した、効率の良い役作りができてきます。
(※この「感覚の記憶」を用いた演技と、自分自身のトラウマを役に当て込んでいく「センソリー」や「感情の記憶」とは、全くの別物です。ご注意ください。)
▲記憶や想像では手に入らないものは、実際に経験して、五感で感じてみる。
これは、とても有効な「役作り」の手段の一つになります。
……少し、役作りのことまで話が発展してしまったので。
もう一度、「俳優のしごと」の土台部分に話題を戻します。
とにかく、まずは「今、実際にそこにあるもの、目の前のもの」に、意識的に感覚を向け、それを「五感」で感じ取るようにしてください。
そうしたことに、敏感になってください。
今、そこにあるものに意識を向け、五感で感じられなければ。
相手役と心で交流し、演技で感じ合うことなど、極めて困難です。
もう一つ。
特に、演技経験のある方は、「もっと具体的に考えなさい」という言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。
役が置かれた状況や、役の過去、相手との思い出など、すべてを「具体的」に、つまり、そうしたことの「ディテール(細部)」を考えなさい、ということです。
この「具体的、ディテール」ということ。
実は、これもまた、俳優が「五感で感じる」ためのものなんです。
たとえば。
役について考える時、こうした具体性のない言葉を使っていませんか??
「過去にとても嫌なことがあった」
「二人は、犬猿の仲だ」
「お互い、愛し合っている」
「あまり良い人間ではない」
「恋に落ちた」
「すごく優しい性格だ」
「孤独を感じている」
「まずい料理だ」
「相手を疑っている」
試しに、上にある言葉の一つ一つを、想像で「感じて」みてください。
……一生懸命に感じようとしても、感覚を手に入れるのは非常に難しくありませんか??
確かにこれらの中には、「孤独だ」「嫌いだ」など、あたかも「感覚的」な言葉もあったりします。
ところが、そうした言葉そのものを感じようとしても、五感は反応してくれない。
つまり。
こうした抽象的な言葉だけでは、いくら「五感で感じなさい」と言われても、感じることができないんです。
「恋に落ちた」という言葉からは、あの「胸キュン」は手に入りません。
でも、それを具体的な出来事として想像してみると、どうでしょう。
「たまたま二人きりになった時、僕がソフトクリームを食べていたら、それが鼻の頭にくっついてしまった。
そしたら彼女は突然、『動かないで!』と言って、指で僕の鼻についたソフトクリームを拭いてくれた。
……僕は、恋に落ちた。」
いかがですか?
具体的、ディテールが入ってくると、途端に「五感」が刺激されるでしょう??
(これを書いている僕自身が、今、鼻の頭に指の感触を感じています(笑)。これが、ディテールを想像するということの凄いところです。)
俳優が、なぜ「具体的」を要求されるか。
これで、よくお分かりになったと思います。
逆に言えば。
「役のことを具体的に想像しなさい」といくら言われたって、それが「なぜなのか?」が分かっていなかったら、なかなか演技に活かせない可能性がありますよね。
▲さまざまな俳優トレーニングや演技法がありますが。
「なぜ、それをやるのか?」「なぜ、それが必要なのか?」が分かっていないと、ただこなすだけで、役に立ちません。
だから。
重要なのは、きちんと1から、演技を順番に学んでいくこと。
「何が大事なのか?」を、基礎の基礎からしっかり理解し、積み上げていくこと。
それなくして、あれこれ学んでも、結局、どれもちゃんと身に付かなかったり、役に立たずに終わってしまうのです。
まずは、「俳優のしごと」の、基礎の基礎。
「五感を使う」ということを、しっかり理解し、学んでみてください。
それができたら、その後に続く学びも、その意味がよく分かって上達も早くなるはずです。
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