マルトリートメントと私24.破かれた日記 | ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

25年以上1つの会社に健常者として勤務し、係長として人の上に立つようになった私が、
どのようにASD(自閉症スペクトラム)の特性と折り合いをつけて生活しているか、
その方法をお伝えしていきたいと思います。

事実と違っている可能性があります。
===================
 

私が前回の記事で担任の先生に訴えた日記は、

宿題として、毎日書いて提出するものでした。

ですが毎日、毎日なんて、
書くこともそうありません。

特に私の家は、
父のやりたいことではなくて、
父以外の他の家族が本当に行きたかったり、
行かなければならない用事で、
週末に家族で出かける約束をしていた場合、
父が自分の気分次第で簡単に、

「やっぱり行くのは辞める!」

とすぐに約束を反故にして、
昼間からテレビを見て酒を飲んで、
一緒の家に住んでいるのに、
まるで私達家族などいないかのように、
一人で好き勝手に振る舞う人だったため、
私達家族は週末でも父の顔色を伺って、
父の機嫌を取り続けなければいけませんでした。

そんな日常が当たり前だったため、
父との約束を楽しみにしていても、
どうせ裏切られるだけだと、
父に期待などしなくなっていた私は、
かえって約束が守られた時など、
嬉しくてたまりませんでした。

だから私は、
父が約束を守ってくれたその日の夜に、
その嬉しかった気持ちを、
家族皆んなが集まっていた居間のコタツで、
日記に書き綴っていました。

家族で何か出来たことが、
とても楽しくて幸せでご機嫌でした。

けれど私のその幸せな気持ちは、
長く続くことはありませんでした。

同じコタツで酒を飲んでいた父が、
私の書いていた日記を読んで、
激昂したからです。

「何を書いてやがるんだ!!」

父の怒声が居間に響いた時に、
私は最初、自分の日記が原因で、
父に怒られているとは分かりませんでした。

なぜなら私は、
その日、家族で出かけた楽しかったことを、
日記に書いていたからでした。

私は訳が分からず、
ただ驚くしか出来ませんでした。

「先生にチクりやがって!!」

そう父に言われても、
私は父が何に怒っているのか、
さっぱり分かりませんでした。

けれど私の隣に座っていて、
私の日記の内容を知っていた母は、
父の怒りを理解したようでした。

母は状況が飲み込めない私に代わって、
父にこう言ってくれました。

「ちゃんとじゅんは最後に、
楽しかったって書いてるじゃない!
先生にチクろうとしてる訳じゃないでしょう!!」

今にして思えば、
小学校2年生の子供が週末に出かけるために、
父親の顔色を気にして、
何回もご機嫌を伺いながら、
ようやく約束を守ってもらったと日記に書かれるのは、
父親としての体裁が悪かったと分かるのですが、
その頃の私にはその生活が当たり前で普通だったため、
父のそのような言動を他の人(担任の先生)に知らせることが、
父の顔を潰すことになるなどとは、
思ってもみなかったのです。

母はまた、
一生懸命に私を庇ってくれたのですが、
父の怒りは収まることなく、
私から日記を取り上げると、
ビリビリに破いてしまいました。

父は力がとても強かったため、
もう、冊子の原型は留めておらず、
先生に提出出来ない状態だったのですが、
それでも父の気持ちは収まらなかったのか、

「コイツの日記のせいで、俺が悪くなるのは嫌だ!!」

と言って、
夜の8時前という時間だったにもかかわらず、
父は私の担任の先生に電話をかけて、
いかに私の日記が嘘で、
自分は悪くないのかを、
先生に怒りながらまくし立てました。
(私の子供の頃には電話連絡網というものがあって、
クラス全員の家庭の電話番号と、
担任の先生の電話番号が載った一覧表が、
各家庭に配られていました)

私はそんな電話を、
担任の先生かけられたことが、
とても恥ずかしくて、
毎日提出しなければならない日記も、
破かれて冊子ごと無くなってしまったため、
父からの電話で真実を知っている先生に、

「宿題を忘れました」

と嘘をつくのが、
とても嫌だったのですが、
次の日に、
とても先生に対して気まずい気持ちのまま、
何とか学校に登校して、
宿題の日記を集めている時に、
先生に向かって忘れたと私が伝えると、
担任の先生は、
何事もなかったかのように振る舞い、
私は宿題を提出し忘れた子供として、
普通に扱われました。

私はそんな先生の態度に、
クラスの子供達に、
自分が引け目に感じている、
家庭環境がバレずに済んで、
ホッとしたのですが、
大人になった今の自分の視点からみたら、
私がこんな家庭環境だと分かっていても、
私を問題児とみなしたこの先生の対応こそ、
問題があったのではないか、
と思っています。

担任の先生にとって、
私は家庭環境まで含めて、
関わりたくない子供だったのでしょう。

そして、私が書いた日記の内容が、
担任の先生に読まれたら、
自分の体裁が悪くなると、
理解していた父も。

決して父に発達障害があったから、
家族に対して、
あんな態度しかとれなかったのではなく、
自分の家族に対する態度が、
他人の目から見たら非難されるものだと、
分かっていてやっていたのだと、
私はこの出来事を思い返して、
気がついたのでした、、、