モデルさんを、
皆んなで一斉に描いたのだけど。
描き終わった後に行われる講評会で、
先生から、
「いい絵が一つも無い」
と言われてしまいました。
それで講評会が終わってから、
残った皆んなで雑談をしていた時に、
1人の生徒が先生に、
「どうしたら絵が上手くなりますか?」
って質問したら。
その答えが。
「頭を使って、対象物の構造をよく考えること」
でした。
何で対象物がそのように見えるのか、
どうしたら対象物を、
そのように描き出せるのか、
謎を解き明かすように、
そのものの構造を考えることが大事。
その言葉は今までもずっと、
先生が伝え続けてくれていた言葉で、
けれどやっぱり出来ていない私は、
「よし、考え方を身につけられるように頑張ろう」
と、改めて思ったのだけど。
そこで、その話を聞いていた1人の生徒が、
「あたし、バカだから出来ない」
って言った時に、
「あぁ、この子は恵まれて育ってきたんだなぁ」
って、私は感じてしまいました。
これは私1人の、
偏った考え方なのかもしれないけれど。
私は自分が発達障害の特性から、
皆んなと同じことが出来なくて、
「私はなんてバカなんだろう」
と悲しく思っていた時に、
決して人前で、
「自分はバカだから出来ない」
なんて言えませんでした。
父親からの心ない言葉を真に受けて、
自己肯定感が低く育ってしまった私は、
見捨てられ不安が強く、
実際に学校で先生から無視されたり、
同級生からイジメられたこともあって、
自分がバカなことが、
周囲の人に知られてしまったら、
皆んなから相手にしてもらえないだろうし、
自分がバカだから出来ないなどと言ったら、
そのまま放って置かれて、
生きていけなくなってしまうと思っていました。
だから自分で自分のことをバカだと思っても、
その状態から脱出出来るように、
いつも一生懸命努力して生きてきました。
バカな自分を曝け出しても、
安心して生存できる場所があるなどと、
とても思えなかったからです。
だから、私は、
自分で自分の、
生きる可能性を捨ててしまうような、
「あたし、バカだから出来ない」
なんて言葉を、
人前で安心して言える人は、
バカな自分でも相手にしてもらえて、
自分が出来ないと言ったら、
誰かが助けてくれるような、
そんな幸せな環境で生きてきたのだと、
思ってしまうのです。
私のこの考え方は多分極端で、
一般的でないものだと思います。
ただ自分を卑下したら、
ますます追い込まれる環境で育ってきた私は、
自分で自分のことを、
諦めるような言葉を口にすることは、
よほどの事がない限りありません。
そして、そんな環境で育ってきた自分を、
今では良かったと思っています。
自分の未来の可能性を、
諦めずに信じることが出来るから^^
私の中には、
自分の可能性を自分が否定したら人生終了
という思いがあります。
それは誰にも期待されずに生きてきた私が、
生きる力の源になってくれました。
だから40代の半ばを過ぎた今でも、
色んなことに挑戦出来るのだと思います。
生まれた時から父親に否定され、
マイナスから出発した私の自己肯定感。
でも、今では自分を、
大切で大好きだと思うことが出来ています(〃ω〃)
それは、自分を諦めずに生きてきて、
少しずつ、
自分で自信を積み上げていったから。
誰かから貰えなくても。
自己肯定感は自分で積み上げることが出来るのです(*´꒳`*)