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マラッカ海峡の安全対策費用は誰が負担すべきか?

近年世界の海賊被害の35%が集中するといわれるマラッカ・シンガポール海峡に新たに船舶テロが発生する危険性が高まり、海峡の安全対策が問題になっています。

マラッカ海峡は300トン以上の船だけで年間6万隻以上が通航し、世界原油の半分、貿易量の4分の1が通過する北東アジア諸国にとって要ともいえる海峡です。

日本は原油の約80%以上を、韓国は90%以上をマラッカ海峡を介した輸送に頼っています。

しかしこれまで海峡を最もよく利用する日本や韓国は、マラッカ海峡の安全対策のための費用をほとんど負担してきませんでした。

このような現状に対して、沿岸国であるマレーシア、インドネシア、シンガポールは近年海峡の安全対策費用が増大しているのを受けて、海峡を利用する国に応分の負担を求めています。

この要求に対し日本は海峡の利用量に基づいて応分の負担をするべきであると考えます。

本来マラッカ海峡は、マレーシアとインドネシアの領海に当たり、他国にその安全対策費用を求めることができる性質のものではありません。

しかしながら海峡を利用する諸外国のために、沿岸国が一般に必要とされる限度を越えて領海の安全対策を講じなければならないとすれば、その費用は利用者が負担すべきであると考えます。

そこでどのような負担をすべきかが問題になりますが、この問題に対してテロや原油に対する安全保障の面から関与を強めたいアメリカは、太平洋軍を動員して同海峡の警備に当たることを提案しました。

しかしこの提案に対して沿岸国は同海峡にアメリカの軍艦が出入りすることは「国家主権に反する」として即座にこの提案を拒否しました。

マラッカ海峡が沿岸国の領海に当たる以上、この判断は当然のものであり、外国の軍隊などが警備を担当することなどは現実的ではありません。

したがってマラッカ海峡の安全対策に対して外国が応分の負担をする最もよい手段は、利用量に従って各国が安全対策費用の一部を負担することであると考えます。

また各国が安全対策費用を負担する際、資金の拠出量を真に公正なものにするために通航する船舶ごとに一定の料金を支払う通航料形式が最も適切であると考えます。

この形式はボスポラス・ダーダネルス海峡で取られている形式であり、船舶の通航量に対して応分に費用を分担することができます。

マラッカ海峡では以前からイスラムテロ組織による船舶テロが発生する可能性が指摘されています。

船舶テロが発生するのを阻止するためにも海峡利用国は十分な費用の負担をして、沿岸国が十分に海峡の安全対策をすることができるようにするべきであると考えます。

安全対策費用を利用国が負担することで中東から日本への輸送費が増大し、消費者に多少の打撃があるかもしれません。

しかしながらマラッカ海峡で船舶テロが発生することに比べれば、その打撃は許容できる範囲に収まるのではないかと思います。

『文藝ラウンジ:TB企画』「心に残った一文はなんですか?」

[関連したBlog]

あまり個人的なことは書きたくなかったのですが、妙に書きたくさせる話題だったので書いてみます。

今までの人生で出会った言葉の中で、一つに絞るのは相当に難しいのでとりあえずいくつか挙げてみます。

1.人知らずしていきどおらず 『論語』

他人に自分の考え方が理解されなかったとしても決して怒ったりはしない。

人は自分の考えを認められないと感情的になりがちです。
議論に感情を持ち込みそうになったときの自戒の言葉です。

2.知の難きに非ず、知に処するは則ち難きなり 『韓非子(韓非)』

知ることが難しいのではない、知ったことにどう対処するのかが難しいのだ。
ある日商人の蔵の鍵が壊れました。
それを見た近所のおじいさんが「早く直さないと泥棒に入られるよ」と忠告しました。
またその商人の息子も同様の忠告をしました。
しかし商人は明日直せばいいだろうと結局その日のうちに鍵を直すことをしませんでした。
果たしてその夜、商人の蔵は泥棒に入られ蔵の中のものをすべてとられてしまいました。
この事実を受けて商人は自分の息子については先見の明があると褒めるとともに、近所のおじいさんについては鍵が壊れていたことを知っていたことから、彼が泥棒ではないかと疑いました。
近所のおじいさんと商人の息子は同じ忠告をしたにもかかわらず、片方は褒められ、片方は疑われました。


話す人の立場によって同様の言葉であっても相手の受け取り方は異なってきます。
また人は「知る」ことで満足してしまいがちです。
自分の立場を考え、得た知識をいかに活用すべきか、これも自戒の言葉といえます。

3.天才とは努力し得る才能である (ゲーテ)

宮城谷昌光氏がその著書の中で小林一茶氏が引用した言葉として紹介していたものです。
宮城谷氏は努力し得る才能であり努力する才能ではないところに注目しておられました。

何の努力もしないで8割の評価が得られればそれが一番楽でいいと思っていた時、この言葉に出会って自分の愚かさを痛感しました。
ある分野で何の努力もなしに良い評価を得られても他の分野では全く通用しないかもしれません。
しかし努力できる力さえ持っていれば、あらゆる分野において活躍できます。
成功を収めようと思ったら努力するほかはない、努力し得る才能のみがあらゆる分野に通用する唯一の才能である、これも自戒の言葉です。

4.偉人とは苦難のかたまりのようなものだ。偉人になりたいと望むことは、天に、死ぬほどの苦難をくださいとねだることだ。苦難のない人などこの世にいないが、その苦難の量と質によって、庶民は庶民でしかなく、賤臣は賤臣でしかないといえる 『奇貨居くべし(宮城谷昌光)』

人は苦難に直面するとより楽な道を選ぼうとしがちです。
しかしその時には何のメリットもなかったとしても、より難しい道を選び努力することで人は成長し、いずれ成功をつかむのだと思います。
易しい道と難しい道、二つの選択肢があったときには必ず難しい道を選ぶ、これもまた自戒の言葉といえます。

5.天知る、地知る、子知る、吾知る、何ぞ知るものなしといわん 『十八史略(曾先之)』

天が知っている、地が知っている、あなたが知っている、私が知っている、どうして知るものがいないといえようか。
「誰も知りませんから」といわれて賄賂を渡された揚震が、賄賂を受け取るのを断ったときの言葉です。

天と地の部分はおいておいても「あなたも知っているし私も知っている」という言葉には感銘を受けました。
人は誰も見ていないと多少の悪事はかまわないかと思ってしまいがちです。
そんなときの自戒の言葉です。


と、いくつか挙げてみたのですが、すべて自戒の言葉で困りました。

私は自戒だらけでがんじがらめになって生きているのだと実感する結果になるとは思いもしませんでしたので。

人間誰でも多種多様な規制に縛られて生きているのだと思いたいです。

しかし「心に残った一文はなんですか?」ということなので一つに絞らないわけにはいきませんね。

私のこれまでの人生への影響度を考えると私に努力の大切さを気付かせてくれた3のゲーテの言葉「天才は努力し得る才能である」が最も心に残っているといえます。

ちなみに解釈はだいたい通用しているものと同じであると思いますが、一部私の思い込みもあると思います。

私は上記の意味で人生に影響を受けたので自分なりの解釈をここでは示しておきました。

この文章を私の知り合いが読んだら、このBLOGを書いているのが誰かわかってしまいそうですね。

血液型性格診断と一見科学的に見える話

先日、今春から増えている血液型性格診断番組に対して多数の抗議があり、放送倫理・番組向上機構(BPO)がテレビ局に対して、番組制作に当たり慎重な対応を求めました。

血液型性格判断は1920年代にある教育学者による論文によって世に広まり、これをもとにして1971年に出版された「血液型でわかる相性」によって一大ブームを引き起こしました。

この血液型によって性格がわかるという説に日本中の心理学者は驚嘆し、上記の1920年代の論文に関して300を超える論文が書かれたといいます。

しかしこの多数の心理学者が血液型性格診断について研究した結果、導き出された答えが「血液型と人格には統計上関連性がない」というものだったのです。

この統計上関連性がないということは科学的根拠がないことよりもはるかに血液型診断を支持する人にとって不利なデータです。

科学的根拠がないだけならば、いまだ解明できないメカニズムによって血液型と性格が関係していると主張することはできますが、統計上関連性がない場合には反論のしようがありません。

この血液型性格診断と同じような性質のものとして、サブリミナル効果があります。

サブリミナル効果は未だに日本では統計上の関連性、科学的な根拠があると考えられていますが、サブリミナル効果については統計上の関連性を証明した論文も科学的根拠を明示した論文も存在しません。

日本でサブリミナル効果が広く一般に膾炙するもととなった話に、「映画館で映画の合間に人が意識できないコマ数でポップコーンとコーラの映像を流したらポップコーンとコーラの売り上げが増加した」というものがあります。

しかしながらこの話が書かれた論文を発表した人自身が数年後に、映画館の統計はデータを捏造したものであると告白しました。

この事実は日本ではあまり報道されず、多くの人は未だにサブリミナル効果を信じています。

ただ血液型性格診断はサブリミナル効果よりも多くの問題を含んでいます。

血液型性格診断の血液型別評価を日本人の血液型分布と比べると、そこにはマジョリティーがマイノリティーを差別する構図が浮かんできます。

そして血液型で人を区別することは、性別で人を区別するよりもはるかに問題が大きいといえます。

なぜなら統計上男女間にはさまざまな有意な差が認められますが、4つの血液型の間には統計上有意な差がないからです。

ジェンダーで男女がその働き方などを区別されていたとき、ほとんどの人はそれが差別であるとは感じていませんでした。

今の血液型性格診断もこれと似たような状況にあると思われます。

また様々なメディアによって広まる「一見科学的に見える話」に対して、メディアから情報を得る私たちは気をつけなければならないと考えます。

メディアは話題になると考えることについては大きく報じますが、前回の報道を否定するような、もしくは話題になりそうもないことについては、ほとんど報じません。

したがってメディアの伝える情報を鵜呑みにせず、注意深く小さな記事にも目を通すようにしなければ誤った認識を持ち続けることになりかねません。

以上のことから、私は今回BPOが放送局に対して注意を促したことは妥当であると考えます。

メディアの無責任な報道を放置することは誤った認識を広めることに繋がります。

表現の自由という憲法上優越的な地位を認められた権利を考えると国家が不適切な報道を制限することが許されない以上、NHKと民放が設立した第三者機関であるBPOが、メディアに注意を促すことは不適切な報道を規制する最も良い手段であると考えます。

近年の健康ブームの中で「一見科学的に見える話」が増えています。

このような「一見科学的に見える話」の中でも科学的根拠、統計上の関連性が低いものについてはある程度のBPOによる注意の喚起が必要であると考えます。

またそれと同時に国民一人一人にはメディアやネットが伝える情報を鵜呑みにしないことが大切であると考えます。


暇な時間を使って毎日更新しようと思って、はじめたBLOGなのですがなかなか毎日は書けませんね。

興味深いニュースが毎日あるわけでもないのに加えて資料集めもなかなか時間を使います。

新聞社の情報をそのまま信じるのも問題が大きいと思いますので。

そういえばこの前のCMカットが著作権法に抵触するという話ですが、未だに朝日新聞しか報道していませんね。

ここまで報道する新聞社が少ないと本当にそんな発言があったのかどうか、疑わしく思います。

新聞社と民放連の関係が深いということも多少は影響しているとは思いますが...

鳥インフルエンザ対策の必要性について

11月25日、世界保健機関(WHO)は鳥インフルエンザ(avian influenza, bird flu)が将来大流行し、最大で世界人口の3割が発病し、死者数が200~300万人に達する虞があると発表しました。

その発表は下記の通りです。

1.インフルエンザの大流行は20~30年おきに起きている
2.過去36年間、インフルエンザの大流行は起きていない
3.今年32人の死者を出した鳥インフルエンザが大流行の原因の型になる可能性が高い

これをみると「今まで大流行が20~30年おきに起きてきたのに、過去36年は起きていないから、そろそろ起きるかもしれない。」というもので、鳥インフルエンザが大流行するメカニズムを解析して、その危険性を述べたものではありません。

ただ今年タイやバンコクで32人の死者を出していることを考えると鳥インフルエンザは、今日本が直面する最も危険な感染症であると思われます。

ここで日本のメディアに目を転じるとBSEに関連して、毎日アメリカと日本との牛の輸入再開交渉の模様が報道されるばかりで、鳥インフルエンザについては死者がでた場合に小さく伝えられるのみです。

BSEについては、その牛から人への感染確率は極めて低いとされ、BSEが人に感染したという例はヨーロッパに滞在歴のある人以外では存在しません。

それに対して今年だけで鳥インフルエンザを原因としてアジアで32人が死亡しており、その危険性はBSEよりもはるかに高いと思われます。

その危険性を考えれば牛の全頭検査よりも鳥の全羽検査の方が必要であると考えます。

鳥の羽数を考えると現実的には難しいと思われますが、全羽検査に向け必要な努力をするべきではないでしょうか。

またメディアもBSEに比べると鳥インフルエンザの危険性を十分に報道しているとは言えません。

感染症は不衛生な場所で広まるため、日本で数百万人規模で鳥インフルエンザが流行することはないかもしれません。

しかしBSE対策と同程度に政府は鳥インフルエンザ対策を進め、メディアも鳥インフルエンザの危険性を伝えるべきだと考えます。

飲料メーカーの酒税対策は企業努力か?

最近メディアでアルコール製品についてまた増税がされるという報道を多く見かけるようになりました。

概ねメディアは消費者の負担増を理由としてこの増税に懐疑的です。

また飲料メーカーは今回の増税は企業努力を無にするものであると政府に批判的です。

しかし個人的には消費者の意見はわかりますが、飲料メーカーの企業努力を無にするもので認められない、という意見には疑問を感じずにはいられません。

税金対策をして商品の価格を下げることは企業努力なのでしょうか。

確かに企業にとって税金対策は非常に重要な問題であり、どの企業も税金を少しでも減らすために様々な策を講じています。

しかしだからといって一般の企業が「税金対策」「企業努力」であると主張することはまずありません。

一般の企業の税金対策が主に直接税対策であるのに対して酒税が間接税であることを差し引いても飲料メーカーのこの主張は異常に思えます。

本来、企業努力とは原価の抑制や輸送手段の効率化など費用の削減を通じて商品の価格を下げたり、より品質の良い製品を作り出して販売量を増やすことを指します。

しかし今や飲料メーカーはいかに酒税の低い製品を作り出すかという研究に何年もかけて取り組んでいるのが現実です。

あるメーカーのアルコール飲料は原価はすべての商品で同程度で価格差は税金の差で生まれるところもあると言います。

これは原料調達から製造工程まで最大限効率化された結果であるという見方も出来ますが、私にはむしろメーカーが商品ごとの特性によって出来る費用削減を怠っているように見えます。

メーカーが酒税対策に研究費をつぎ込むのは、酒税がアルコール度数によって大幅に税額が変わってしまうことに原因があると考えます。

そのためメーカーは費用の削減をするより、酒税対策をした方が商品価格を抑えられると考えて酒税対策に研究費がつぎ込まれるようになったのではないでしょうか。

今回の酒税制度の改正で税制調査会は単に増税するのでなく、アルコール度数に基づく税額の変化の簡素化を含む酒税制度全体の改正に言及しています。

酒税のアルコール度数による大幅な税額の変化がメーカを税金対策に走らせている現実を考えると、私もアルコール度数などに基づいて細かく税区分をする現行の酒税制度は改正するべきであると考えます。

消費者にしてみればアルコール飲料の価格が上がることは短期的には打撃になりますが、酒税制度全体が見直されることによって飲料メーカーの製造や輸送、販売の費用削減等の企業努力を促し、将来的には消費者にとってプラスになると考えられます。

従って消費者の理解を得るためにも今回の酒税制度の改正が単なる新しいアルコール飲料への増税で終わらず、しばらくは改正をしなくてすむような、制度の抜本的な改正に繋がることを強く望みます。

日比FTA交渉に見る日本の強気外交

11月19日、日本とフィリピンとの間でFTA(Free Trade Agreement)の交渉が決着したと報じられました。

今回はその合意の内容について考えてみたいと思います。

まず、合意内容を簡単に列挙してみます。(括弧内は筆者注)

1.農業分野(フィリピンが要求)
 バナナ、パイナップル、鶏肉は低関税枠を設定(実質上の数量制限)
 キハダマグロ、カツオは五年以内に関税撤廃(輸入量少ない)
 砂糖は四年後に再協議(実質上の白紙回答)

2.鉱工業品分野(日本が要求)
 一部産品を例外にして、即時または段階的に関税を撤廃(実質上日本の要求通り)
 自動車は即時または段階的に関税を撤廃(日本の要求通り)

3.労働者の移動(フィリピンが要求)
 フィリピンの看護師、介護士に特例ビザ発給(日本は100人程度に抑える予定)
 滞在期間中に日本の国家資格に合格すれば在留期間の更新可能(滞在に更なる条件付け)

4.その他
 サービス、投資、政府調達(筆者資料不足のため正確には不明、現状維持か?)

さてだいたいこんな形にまとまったのですが、これを見てまず思ったことは「日本は相変わらず、途上国に対しては強気外交である」ということです。

昔から日本はその経済力や資金援助を背景として東南アジアを中心とする途上国に対して強気な外交を展開してきました。

今回もその例に漏れず、日本の主張は相当数受け入れられているのに対し、フィリピンの主張はそのほとんどが退けられ、日本に相当に有利な協定になっています。

前にも書きましたが日本は途上国との共通利益を追求するというよりも、自国だけの利益をひたすら追求する道を選んだというところでしょうか。

しかしWTO協定ではFTAを締結する際、実質上すべての貿易に対して自由化することが義務付けられている(WTO協定24条)にもかかわらず、農業をほぼ棚上げしたままのFTA合意には釈然としないものがあります。

この実質上すべての貿易という語句に関しては明確な解釈がなく、それがFTA締結の際の制限を和らげる結果となっています。

FTAとはそもそもたとえ二国間であっても無関税で貿易制限措置のない地域を増やしていけば、多角的な交渉において関税引き下げにプラスになるという理念に基づいて考え出された制度です。

今回のような農産品等の一部産品を例外扱いするようなFTAが世界的な自由貿易の促進に役立つのかどうかもう一度考え直さなければならないときに来ているのかもしれません。

また日本政府は一連のFTA交渉を殊更にEPA(Economic Partnership Agreement)交渉であると主張しています。

単なる小泉氏のキャッチフレーズのようにも思えますが、もし本気で人の移動や投資などについての自由化までを含む経済連携協定(EPA)を目指しているとしたら、農産品や鉱工業品が議題の中心となった今回の交渉はEPAとはとても呼べないものです。

日本は海外に市場の開放を求めるだけでなく、国内市場の開放も含めて交渉をすすめ、少なくともFTA交渉においては相手国に農産品の市場を開放するべきであると考えます。

そのためには国内の農業に関する規制を撤廃し、国際市場で生き残れない産品については構造調整をすすめ、国内の農業分野の競争力を強化することが不可欠です。

海外への資金援助が急激に減少している日本が国際社会へ貢献する道は、市場を開放して外国の経済発展を支えるくらいしかないと考えます。



憲法改正のための国民投票の方式はどうすべきか?

最近、憲法改正の議論が盛んです。

しかし現実には憲法の改正案についての議論ばかりで、憲法改正のために必要な国民投票の方法についてはほとんど議論されていません。

国民投票という形を取る以上、どのように国民の賛否を量るかは非常に重要な問題です。

今回はこの国民投票の方法について考えてみたいと思います。

まず国民投票の方法には次の5つが考えられます。

1.一括して現・新憲法を比べてどちらか一方を選択する方式
2.関係する条文のグループごとに選択する方式
3.条文ごとに選択する方式
4.条項ごとに選択する方式
5.語句ごとに選択する方式

まず1は現憲法と憲法の改正案の全体を比べて一方を選択する方式です。

開票作業が楽で全体の合意が得やすい半面、「集団的自衛権には反対するが知る権利には賛成」というような部分的賛成の人の意見を反映することができないという欠点があります。

それに対して2は安全保障に関することは安全保障で個人の権利に関することはその権利に関係する条文で一括りにして賛否を問う方式です。

開票作業は多少煩雑になりますが、国民のより正確な意見を知ることができ、また国民は条約一つ一つの意味を理解する手間を省くことができます。

3は条文ごとに賛否を問うもので、2よりもさらに正確な意見を知ることができる一方、条文と条文の不整合が発生する可能性があるという欠点が考えられます。

最後に4、5は3よりも細かく分けて選択できるようにするもので、正確な民意を得るという利点は高まりますが、同時に条文の不整合の起こる確率もより高くなります

では、この中でどの方法をとるのが良いといえるでしょうか。

1の方式をとった場合、今の世論を見ているとかなりの高確率で改正案は過半数の賛成を得ることになると考えられます。

どのような内容の改正をするか、細かいところで対立はありますが、「憲法を改正したほうが良い」という意見は政府の働きかけもあって、過半数を越えるようになってきているからです。

また多角的な国際協定の交渉の際に、これに似た一括受諾方式という方法が取られることがあり、この方式で交渉をする時、協定が妥結までいくことが多いことからも、一括して選択させることは改正の実現に有利に働くと考えられます。

しかしながら1の方式を取ることで安全保障と人権などをセットにして判断を迫ることは民意の反映という点で問題があるように思えます。

民意を正確に反映するためには、少なくとも2のように関係する条文のグループごとに選択することが必要であると考えます。

またより正確な民意を反映するという意味では、2よりも3、4、5の方がより優れているといえますが、法律を学んだことのない一般の人に条文ごとの選択、語句ごとの選択をさせるのは少し難しいように思えます。

以上の理由から関係する条文のグループごとに、簡単な解説などをつけて国民に判断してもらうのが憲法改正について最も適切な方法であると考えます。

ただしこの方式をとる場合、どの条文とどの条文が関係しているのかをめぐって新たな論争が起こることも予想されます。

この方式をとる場合には国民の理解を得られる条文の適切なグループ分けが必要とされます。

もしこの適切なグループ分けができないのならば、条文ごとに判断するという方式について考えてみる必要があるかもしれません。

CMカット機能の著作権違反発言に対するメーカーの対策は?

11月12日、日本民間放送連盟会長がDVD録画再生機を用いてCMや見たくない場面を飛ばして番組を録画・再生することが「著作権法に違反する可能性もある」と述べました。

そもそも著作権はまだ一部の先進国でしか法制化されておらず、国際的な著作権に関して規定しているWTOの附属書TRIPS協定があるとはいえ、その権利義務は国によって大きく異なります。

例えば日本では当然のものとされているビデオのレンタルショップについては海外から規制を求める圧力がかかっています。

このいまだあいまいな著作権について論じるのはその道の専門家に譲るとして、この発言に対してメーカーが取りうる対策を考えてみたいと思います。

まずメーカーがとりうる対策を挙げる前に、なぜかこの記事が朝日新聞にしか掲載されていないこと、朝日新聞の記事が発言の要約であって実際の表現がどうなっていたのかわからないことから、日本民間放送連盟会長がどのような主旨の発言をしたのかを検証することから始めてみたいと思います。

1.CMや見たくない場面を飛ばすとは何を指しているのか

CMを飛ばす機能はDVD録画・再生機はもとよりVHS録画・再生機にも搭載されており、音声のステレオ、モノラル、多重音声などを識別してモノラルの場合が多いCMをカットして録画するもので、特に問題はありません。

これに対して見たくない場面を飛ばすとはどういうことなのかが明確ではありません。

音声の識別以外に自動で場面をカットする機能が他にあって、それを指しているのでしょうか。

この見たくない場面を飛ばすについては内容が不明確なのでここでは音声識別によってCMをカットする機能について述べられていると仮定します。

2.朝日新聞記者がDVDの編集機能についても言及していることについて

朝日新聞の記事ではDVDの編集についても著作権法に違反していると取れる書き方をしていますが、これについては疑問に思わざるを得ません。

確かに「放送は1時間すべてが著作物」という考え方に従えば、著作物の改変は著作権法の同一性保持権に違反することになりますが、判例では恋愛シュミレーションゲームで、ゲームをスタートしてすぐにラストシーンまでいけてしまうようにするなどのデータの改変を著作権法違反としていますが、歴史シュミレーションゲームで本来100を最大値とする能力値に100を超える値を入力できるようにしたデータの改変については著作権法違反は認定されませんでした。

これは明確なストーリーの侵害があったかどうかが結論の違いになったと考えられます。

この判例からすると今回のあらゆる「編集」を規制するようにも取れるこの記事の書き方、もしくは発言は妥当ではないように思われます。

またDVDの売りでもある編集機能についてはメーカーもたとえ訴訟に持ち込まれたとしてもその機能を廃止することはないのではないでしょうか。

そこで今回はCMカットに限ってメーカー側の対策を考えてみたいと思います。

考えられる対策として私は以下の3つを挙げます。

1.CMカット機能の搭載をやめる
2.発言を無視して何の対策もとらない
3.CMカット機能の名称を変える

まず1についてですが、これは民放連の主張を全面的に受け入れるものです。

ただ競争が激しい今のDVD業界でこれを行なえば多くのユーザーを失うことは確実で、メーカーがこのような対策を取る確率はかなり低いと考えます。

次に2ですが、訴訟を起こされるだけで企業イメージが大幅に悪化する日本社会において、この方法は危険性がかなり高いといえ、完全に無視するというこの方法を取る確率もあまりないと思います。

最後に名称を変更するものですが、これは例えばCMカットモノラル音声カット機能多重音声選択録画機能などの名称に変更し、この機能はCMカットを意図したものではないと主張するものです。

1、2の方法を取るのが困難であることを考えるとこの方法が一番実行される確率が高いのではないでしょうか。

それにしても、この問題で本当にメーカーが訴訟を起こされたりすると著作権については、著作権侵害を可能にする技術を提供するだけで著作権侵害が認定されるようになる可能性があることを考えると、最近の著作権論議は極めて危険な方向に向かっているように感じます。

あまり面白いニュースがなかったので書いていなかったのですが、これ以上長く書かないわけにもいかないと思い、最近よく話題になっているものを取り上げました。

判例の部分など資料不足気味なので、あとで調べてから少々変更を加えるかもしれません。

参考URL

H13.02.13 第三小法廷・判決 平成11(受)955 損害賠償等請求事件

上記URLは本文恋愛シュミレーションゲームについての最高裁判例です。

人質殺害事件と100年先まで続く禍根

先日イラクで日本人旅行者が自衛隊撤退を要求するテロリストグループに拉致され、殺害されるという事件がおきました。

拉致グループは日本に対する警告は一回のみでおそらく指定時間通りに人質となった日本人旅行者を殺害したのだと思われます。

このグループが行なう人質事件では、複数回の警告を発することもあるようですが、今回ははじめの警告の後、発信されたのは人質殺害の映像だけでした。

私はこの事件の一部始終を見たとき「日本は国際テロリスト集団にとって完全な敵国になってしまったのだ」と強く感じました。

日本がアメリカのイラク攻撃をいち早く支持したことはもとより、自衛隊のイラク派遣もアラブ世界の強い反感を煽ったことは確実です。

確かに自衛隊のイラク派遣はサワマに住む現地の人、さらに少なくともイラクに住む人からは感謝されているのかもしれません。

しかしながらイラクはもともとテロリストなどいないフセイン政権の独裁体制下にあったことは周知の事実であり、そのテロリストのいないイラクの人に感謝されてもテロリスト集団に狙われないことを意味しないことは明らかです。

今イラクで起こっているテロのほとんどはイラクとは関係のない国際テロリスト集団によるものであり、イラクの人々はフセイン政権が倒れたことによってテロにおびえて生活せざるを得なくなったといえます。

そしてイラクに自衛隊を派遣した日本は国際テロ組織から明示的に「敵」であるとされました。

今の日本の世論をみるに、日本人のほとんどは国際テロ組織に敵であると認識されることの意味をあまりに軽く捉えすぎているように思えます。

日本は国際テロ組織に敵と認識されることで何十年、何百年続くかわからないテロとの戦争という泥沼に片足を突っ込んでしまったのです。

日本人は100年先までテロに脅え続けなければならない将来の日本人のことを考えて今回の決定をしたのでしょうか。

今回の日本人殺害事件で一度の警告のみで時間通りに人質が殺害されたことは、テロリストが日本人に対して全く情を持っていないことを示しています。

おそらく日本でテロが起こるのは時間の問題といえるでしょう。

そしてテロが日本で頻発するようになったとき、果たして日本人はイラクへの自衛隊派遣は正しかったとなお言うことが出来るのか、私は疑問に思います。

私は100年先まで日本に禍根を残した政権として小泉政権は日本史に名を残すのではないかと考えています。

では、これからどうすればいいのか。

私は先日テロの原因は怨恨と貧困であると書きました。

怨恨の払拭には時間の経過しか方法がないことを考えれば、日本はイスラム社会の貧困をなくすためにあらゆる手を尽くす以外にないと思います。

日本がテロの脅威から開放され、テロとの戦争に勝利するために日本はイスラム社会に対して莫大な資金援助をすべきであると考えます。

そしてそれこそが100年先まで続く禍根を断つ唯一の方法であると考えます。



定率減税と最高税率の特例のどちらを先に廃止すべきか?

最近国会では所得税の定率減税の廃止について議論され、段階的に廃止することで落ち着くようです。

そこでこの定率減税の廃止について考えてみたいと思います。

まず定率減税の位置づけを見てみます。

定率減税は小渕内閣が景気を回復させるために1999年に始めた恒久的減税の一つです。

恒久的減税には次の3つが定められています。

1.所得税最高税率の特例(最高税率50%→37%)
2.所得税の定率減税(所得税額の20%を削減)
3.扶養控除額の引き上げ(16歳未満38万→48万、16歳以上58万→63万)

今回政府はこの3つの恒久的減税のうち定率減税を段階的に廃止しようとしているわけですが、私は今の景気回復局面において特に定率減税を廃止することに疑問を感じます。

景気が回復傾向にあるといってもまだ個人消費は本格的に回復しておらず、個人消費の低下に繋がるような増税はできるだけ避けるべきだと思います。

もしどうしても税収の引き上げが必要であるのならば、所得税の最高税率の特例を先に改正すべきであると考えます。

なぜならば収入の消費弾力性(注)を考えたとき、高所得者層に比べて低所得者層の方が収入の減少によって、急激に消費が鈍ると考えられるからです。

したがって本当に日本の景気回復を考えるならば、最高税率の特例の廃止のあとで定率減税の廃止が議論されるべきです。

小泉内閣が成立した後、日本政府は規制緩和を中心とした高所得者層中心の政策を立て続けに実施してきました。

今回もその流れの一環であるといえますが、その国内消費量への影響を考えたとき、安易に廃止に踏み切るべきではないし、それを何の抵抗もなしに許すべきではないと思います。


注)個人の収入が一単位増加・減少したとき、消費がどれだけ増加・減少するかを示す値のこと。一般に月収20万円の人の給料が1万円増えるときの消費量の増加は月収100万円の人の給料が1万円増えるときの消費量の増加より大きいと言われる。