鳥インフルエンザの人への感染
12月18日、一連の鳥インフルエンザ関連の事件で鳥インフルエンザの感染の可能性がある方が5人見つかり、その中の一人については感染が確認されました。
以前このBlogでも書きましたが、鳥インフルエンザの問題はメディアをよくにぎわせるBSE問題よりもはるかに深刻であると考えます。
鳥インフルエンザ対策の必要性について
今回鳥インフルエンザの人への感染が国内で初めて確認されたことによりその深刻さが再認識されたと思われます。
BSEは牛肉問題で消費者の食生活に影響を与えたことで話題になりましたが、未だ国内でBSEが人に感染したことはなく、人への感染の危険度では鳥インフルエンザの方がBSEより高いと考えられます。
また前回書きましたが、WHOが鳥インフルエンザによる世界的なインフルエンザの大流行が発生する可能性があるという主旨の発表をしたことをも考慮すると、日本政府は鳥インフルエンザが流行する前に適切な措置を取る必要があると考えられます。
したがって各種メディアは鳥インフルエンザに関する報道を増やし、予防方法などについて大々的に一般市民に伝えていくべきです。
日本メディアの鳥インフルエンザに関する報道は依然としてBSEに比べて少なく、危険性などに関する情報が充分に伝わっているとは思えません。
これから本格的なインフルエンザの季節が訪れることからもメディアにはより詳細な鳥インフルエンザの特徴、症状や治療方法などに関する情報を発信していくべきであると考えます。
追記:
来年度予算の財務省原案では鳥インフルエンザ対策費は137億円になっているようです。
BSEに関して行なわれる生産者表示への対策費が52億円なので政府は鳥インフルエンザ対策にそれなりに力を入れるようです。
これから各省庁の予算の争奪戦が始まるのでどうなるかわからないところもありますが...
以前このBlogでも書きましたが、鳥インフルエンザの問題はメディアをよくにぎわせるBSE問題よりもはるかに深刻であると考えます。
鳥インフルエンザ対策の必要性について
今回鳥インフルエンザの人への感染が国内で初めて確認されたことによりその深刻さが再認識されたと思われます。
BSEは牛肉問題で消費者の食生活に影響を与えたことで話題になりましたが、未だ国内でBSEが人に感染したことはなく、人への感染の危険度では鳥インフルエンザの方がBSEより高いと考えられます。
また前回書きましたが、WHOが鳥インフルエンザによる世界的なインフルエンザの大流行が発生する可能性があるという主旨の発表をしたことをも考慮すると、日本政府は鳥インフルエンザが流行する前に適切な措置を取る必要があると考えられます。
したがって各種メディアは鳥インフルエンザに関する報道を増やし、予防方法などについて大々的に一般市民に伝えていくべきです。
日本メディアの鳥インフルエンザに関する報道は依然としてBSEに比べて少なく、危険性などに関する情報が充分に伝わっているとは思えません。
これから本格的なインフルエンザの季節が訪れることからもメディアにはより詳細な鳥インフルエンザの特徴、症状や治療方法などに関する情報を発信していくべきであると考えます。
追記:
来年度予算の財務省原案では鳥インフルエンザ対策費は137億円になっているようです。
BSEに関して行なわれる生産者表示への対策費が52億円なので政府は鳥インフルエンザ対策にそれなりに力を入れるようです。
これから各省庁の予算の争奪戦が始まるのでどうなるかわからないところもありますが...
代用監獄制度と警察の取調べ
12月16日、防衛庁官舎のポストに反戦ビラを入れたとして住居不法侵入罪に問われていた市民団体の3人の被告のうち、全員に対して無罪判決が言い渡されました。
防衛庁官舎のポストには恒常的にチラシなどが投函されており、表現の自由の発現である反戦ビラを入れることに刑事罰を科すほどの違法性はないと判断されました。
各弁護士会の発表などで何度も示されていますが、日本の警察の捜査・取調べには節度を欠いたものが多々あり、最近はその件数も増加傾向にあります。
今回の事件でも被告は75日間も拘束され、自白を求められています。
日本の警察は昔から取り調べにおいて食事制限や睡眠妨害などの生活の規制を通じて、自白を強要することが問題になってきました。
また被疑者の弁護士との接見妨害も日常的に行なわれているといいます。
この常軌を逸した取調べの原因は法律上取調べに期間制限以外に何の制約も無いことに加えて代用監獄が制度として認められているということにあります。
刑事訴訟法上、逮捕された被疑者は3日以内に裁判官の面前に引致され、裁判官が勾留の決定をした場合には拘置所に移されて、最大10日間(延長あり)拘禁されその後起訴するか釈放するかを決定します。
国際社会における拘置所とは本来警察組織からある程度独立を保っている場であり、被疑者に苦痛などを与えて自白を強要することなどが無いように配慮されています。
しかしながら日本では警察署内の留置所を拘置所の代用として用いているために、容易に警察による生活の制限ができてしまうのみならず、弁護士との接見さえも妨害にあうという状態になっています。
すべての取調べがこのように行なわれているとは言えませんが、このような取調べが存在することも確かだと思われます。
上記のような取調べが被告人の高い有罪率を支えており、また逆に冤罪の温床ともなっています。
数日間にわたる食事制限・睡眠制限をはじめとする生活の管理・支配は相当な苦痛を被疑者に与え、そのような状況下での取調べに対して否認を続けるには強靭な精神力が必要となります。
また警察の調書は被疑者から聞いたことを書き取るというよりは、取り調べの前に事件のシナリオを作っておいてそれに対して肯定を求めることも多いと言われます。
精神的・肉体的疲労が続く中で「お前がやった」と言い続けることは冤罪の人を自白させるだけの強制力があります。
そして無辜の人を有罪だと認定して罰を与えることは、その人の国家に対する信頼を著しく害し、国家に対する信頼を損なうことは社会不安に繋がります。
私は司法制度改革の一環として警察の捜査の制約を設けるべきだと考えていますが、警察が管理・支配権を持つ留置所を代用監獄として認めているままでは、この法律改正がされても意味を成しません。
このような弊害の大きい代用監獄制度については即座に改正するべきであると考えます。
代用監獄制度は拘置所を別に作ることの非効率性から認められているところがあります。
しかしながらこのような問題に効率性を持ち出すべきでなく、より公正な取調べにこそ重点を置くべきであると考えます。
また私はこのような理由からメディアが被疑者の逮捕時から大々的に報道することや被害者が被疑者に対して感情をぶつけることを批判的に捉えています。
メディアを含めた日本社会は自白を重く捉えすぎています。
上記のような状況下で行なわれた自白にたいした価値がないことは明らかです。
大々的な報道はむしろ裁判で有罪が確定した際に行なわれるべきであり、現実の報道はこの逆になっているといえます。
被害者の人が被疑者に感情をぶつける問題については、被告人に無罪判決が下された時に被害者が裁判官を非難したりする場面をよく目にすることが問題の深刻さを示しているといえます。
感情としてはわかりますが、まだ有罪かどうかもわからない人、さらには無罪判決が下された人に対して憎しみを持つことは非常に大きな問題です。
そろそろ日本社会の逮捕が即有罪に繋がるという認識を改めるべきときが来ていると感じています。
一連の司法制度改革で市民の司法参加が既に決定しています。
市民が公正な判断を下せるようにするためにもメディアは逮捕時の過剰な報道は避けるべきであり、また一般市民の逮捕が即有罪に繋がるような認識は改めるべきです。
久しぶりに完全無罪の判決を見た気がしたのであまり今回の裁判とは関係ないところもありますが、警察の捜査について書くことにしました。
弁護士会以外で警察の捜査について書いているサイトがほとんど無いのですが、こういうことを書くと警察の捜査を受けたりするのでしょうか...
防衛庁官舎のポストには恒常的にチラシなどが投函されており、表現の自由の発現である反戦ビラを入れることに刑事罰を科すほどの違法性はないと判断されました。
各弁護士会の発表などで何度も示されていますが、日本の警察の捜査・取調べには節度を欠いたものが多々あり、最近はその件数も増加傾向にあります。
今回の事件でも被告は75日間も拘束され、自白を求められています。
日本の警察は昔から取り調べにおいて食事制限や睡眠妨害などの生活の規制を通じて、自白を強要することが問題になってきました。
また被疑者の弁護士との接見妨害も日常的に行なわれているといいます。
この常軌を逸した取調べの原因は法律上取調べに期間制限以外に何の制約も無いことに加えて代用監獄が制度として認められているということにあります。
刑事訴訟法上、逮捕された被疑者は3日以内に裁判官の面前に引致され、裁判官が勾留の決定をした場合には拘置所に移されて、最大10日間(延長あり)拘禁されその後起訴するか釈放するかを決定します。
国際社会における拘置所とは本来警察組織からある程度独立を保っている場であり、被疑者に苦痛などを与えて自白を強要することなどが無いように配慮されています。
しかしながら日本では警察署内の留置所を拘置所の代用として用いているために、容易に警察による生活の制限ができてしまうのみならず、弁護士との接見さえも妨害にあうという状態になっています。
すべての取調べがこのように行なわれているとは言えませんが、このような取調べが存在することも確かだと思われます。
上記のような取調べが被告人の高い有罪率を支えており、また逆に冤罪の温床ともなっています。
数日間にわたる食事制限・睡眠制限をはじめとする生活の管理・支配は相当な苦痛を被疑者に与え、そのような状況下での取調べに対して否認を続けるには強靭な精神力が必要となります。
また警察の調書は被疑者から聞いたことを書き取るというよりは、取り調べの前に事件のシナリオを作っておいてそれに対して肯定を求めることも多いと言われます。
精神的・肉体的疲労が続く中で「お前がやった」と言い続けることは冤罪の人を自白させるだけの強制力があります。
そして無辜の人を有罪だと認定して罰を与えることは、その人の国家に対する信頼を著しく害し、国家に対する信頼を損なうことは社会不安に繋がります。
私は司法制度改革の一環として警察の捜査の制約を設けるべきだと考えていますが、警察が管理・支配権を持つ留置所を代用監獄として認めているままでは、この法律改正がされても意味を成しません。
このような弊害の大きい代用監獄制度については即座に改正するべきであると考えます。
代用監獄制度は拘置所を別に作ることの非効率性から認められているところがあります。
しかしながらこのような問題に効率性を持ち出すべきでなく、より公正な取調べにこそ重点を置くべきであると考えます。
また私はこのような理由からメディアが被疑者の逮捕時から大々的に報道することや被害者が被疑者に対して感情をぶつけることを批判的に捉えています。
メディアを含めた日本社会は自白を重く捉えすぎています。
上記のような状況下で行なわれた自白にたいした価値がないことは明らかです。
大々的な報道はむしろ裁判で有罪が確定した際に行なわれるべきであり、現実の報道はこの逆になっているといえます。
被害者の人が被疑者に感情をぶつける問題については、被告人に無罪判決が下された時に被害者が裁判官を非難したりする場面をよく目にすることが問題の深刻さを示しているといえます。
感情としてはわかりますが、まだ有罪かどうかもわからない人、さらには無罪判決が下された人に対して憎しみを持つことは非常に大きな問題です。
そろそろ日本社会の逮捕が即有罪に繋がるという認識を改めるべきときが来ていると感じています。
一連の司法制度改革で市民の司法参加が既に決定しています。
市民が公正な判断を下せるようにするためにもメディアは逮捕時の過剰な報道は避けるべきであり、また一般市民の逮捕が即有罪に繋がるような認識は改めるべきです。
久しぶりに完全無罪の判決を見た気がしたのであまり今回の裁判とは関係ないところもありますが、警察の捜査について書くことにしました。
弁護士会以外で警察の捜査について書いているサイトがほとんど無いのですが、こういうことを書くと警察の捜査を受けたりするのでしょうか...
科学と宗教
先のアメリカ大統領選でキリスト教右派がその力を存分に示したことや、クリスマスが近づいてきていることから、最近アメリカでキリスト教に関するアンケートが盛んに行なわれているようです。
その中でも私が興味を持ったアンケート結果を紹介します。
1.新約聖書にある聖母マリアの処女懐胎を信じるか?(ニューズウィーク)
A.信じている 79%(キリスト教徒87%)
B.信じていない 15%
2.新約聖書は歴史的に正しいか?(ニューズウィーク)
A.正しい 67%(キリスト教徒75%)
B.キリスト教信仰を肯定するために作られた神話である 24%
3.ダーウィンの進化論には科学的根拠があるか?(ギャラップ)
A.科学的根拠がある 35%
B.一つの理論に過ぎず科学的根拠に欠ける 35%
C.進化論についてよく知らない 29%
4.人類はおよそ1万年前に神によって創造されたか?(ギャラップ)
A.神によって1万年前に創造された 45%
私はもともと無効回答が大量に出る電話調査などは信頼性がほとんどないと思っており、この結果をそのまま受け取ることは危険であると思います。
なぜなら毎日を忙しく過ごしているビジネスマンが家で休息しているときに「人は神によって創造されたか?」という質問をされたら、答えずに切ってしまうことが多々あると考えるからです。
このような傾向の質問ではキリスト教を熱烈に信仰している方が積極的に回答をすると思われるのでその分は差し引いて考えなければなりません。
また日本でよく行なわれる無作為抽出による電話調査などについても同様の問題点が存在します。
無効回答が多数発生するアンケート調査などではどのような傾向の人が回答をしていないのかを考える必要が常にあるといえます。
ただし今回のアンケート結果はアメリカにおいて、また他の宗教が広く信仰されている国において宗教というものがどれほど深く信じられているかと言う事を示す良い例だと思います。
日本のように科学を全面的に信じている国にいると宗教を信仰しているということを理解することがなかなかできません。
ただ私は彼らは日本人が科学を正しいと考えるのと同様の感覚で宗教を正しいと捉えていると考えます。
科学も宗教のうちの一つであると考えるのです。
科学を信じる人が万有引力や質量保存の法則が正しく、それによって世界の仕組みを捉えることができると考えているのと同様に、宗教を信仰している人は絶対の神が存在し、それによって世界の仕組みを捉えることができると考えているのです。
この双方についてどちらがより合理的か、現実的かを判断することは非常に難しいことです。
科学の法則は科学の世界において正しく、宗教上の教義はその宗教の中において正しいからです。
極論を言えば、私は今の科学も数百年、千年も経てば当時の人は非現実的な科学という宗教を信仰していたと捉えられ、19世紀(20世紀)~21世紀は科学という宗教が先進工業国において広く信仰されたと歴史に刻まれるのではないかと考えています。
このような状況において日本人が国際社会に目を向けるとき、日本人が科学を信じているのに対して、その国の人が何を信じているのかをよく考えることが大切です。
多くの国家において宗教は厳然たる力をもっており、科学的な論理が必ずしも宗教上の教義に優先するとは限りません。
国際社会の動きを見るときには常に宗教という要素を考慮にいれ、日本人の感覚で科学が正しいと感じる程度に宗教を信仰している人がいるという認識を持つことが大切であると考えます。
本当はもう少し興味深いニュースがあればそちらを書きたかったのですが、最近興味を惹かれるニュースがなかなかないので少し前に見たアンケートについて簡単に書いてみました。
その中でも私が興味を持ったアンケート結果を紹介します。
1.新約聖書にある聖母マリアの処女懐胎を信じるか?(ニューズウィーク)
A.信じている 79%(キリスト教徒87%)
B.信じていない 15%
2.新約聖書は歴史的に正しいか?(ニューズウィーク)
A.正しい 67%(キリスト教徒75%)
B.キリスト教信仰を肯定するために作られた神話である 24%
3.ダーウィンの進化論には科学的根拠があるか?(ギャラップ)
A.科学的根拠がある 35%
B.一つの理論に過ぎず科学的根拠に欠ける 35%
C.進化論についてよく知らない 29%
4.人類はおよそ1万年前に神によって創造されたか?(ギャラップ)
A.神によって1万年前に創造された 45%
私はもともと無効回答が大量に出る電話調査などは信頼性がほとんどないと思っており、この結果をそのまま受け取ることは危険であると思います。
なぜなら毎日を忙しく過ごしているビジネスマンが家で休息しているときに「人は神によって創造されたか?」という質問をされたら、答えずに切ってしまうことが多々あると考えるからです。
このような傾向の質問ではキリスト教を熱烈に信仰している方が積極的に回答をすると思われるのでその分は差し引いて考えなければなりません。
また日本でよく行なわれる無作為抽出による電話調査などについても同様の問題点が存在します。
無効回答が多数発生するアンケート調査などではどのような傾向の人が回答をしていないのかを考える必要が常にあるといえます。
ただし今回のアンケート結果はアメリカにおいて、また他の宗教が広く信仰されている国において宗教というものがどれほど深く信じられているかと言う事を示す良い例だと思います。
日本のように科学を全面的に信じている国にいると宗教を信仰しているということを理解することがなかなかできません。
ただ私は彼らは日本人が科学を正しいと考えるのと同様の感覚で宗教を正しいと捉えていると考えます。
科学も宗教のうちの一つであると考えるのです。
科学を信じる人が万有引力や質量保存の法則が正しく、それによって世界の仕組みを捉えることができると考えているのと同様に、宗教を信仰している人は絶対の神が存在し、それによって世界の仕組みを捉えることができると考えているのです。
この双方についてどちらがより合理的か、現実的かを判断することは非常に難しいことです。
科学の法則は科学の世界において正しく、宗教上の教義はその宗教の中において正しいからです。
極論を言えば、私は今の科学も数百年、千年も経てば当時の人は非現実的な科学という宗教を信仰していたと捉えられ、19世紀(20世紀)~21世紀は科学という宗教が先進工業国において広く信仰されたと歴史に刻まれるのではないかと考えています。
このような状況において日本人が国際社会に目を向けるとき、日本人が科学を信じているのに対して、その国の人が何を信じているのかをよく考えることが大切です。
多くの国家において宗教は厳然たる力をもっており、科学的な論理が必ずしも宗教上の教義に優先するとは限りません。
国際社会の動きを見るときには常に宗教という要素を考慮にいれ、日本人の感覚で科学が正しいと感じる程度に宗教を信仰している人がいるという認識を持つことが大切であると考えます。
本当はもう少し興味深いニュースがあればそちらを書きたかったのですが、最近興味を惹かれるニュースがなかなかないので少し前に見たアンケートについて簡単に書いてみました。
追記:日比FTA交渉に見る日本の強気外交
先日このBlogで書いた日本・フィリピン間のFTA交渉の最新の資料が11月29日に外務省HPに掲載されたので少し追記しておきます。
日比FTA交渉に見る日本の強気外交
まず合意内容を列挙してみます。(括弧内は筆者注、項目番号は共同プレス発表に準拠)
1.物品の貿易
先日記載した通りです。
全体として日本側が相当有利になっています。
2.税関手続
両国間の情報交換・協力を推進(具体的には何も決まっていない)
3.サービス貿易(日本側が主に要求)
市場アクセス及び内国民待遇に適合しない全ての規制に関するリストを作成していく(これから問題点を明らかにしていく)
多くの分野において自由化を後退させず、かつ特定分野で自由化を行なう(現状維持、特定分野については詳細不明)
4.投資(日本側が主に要求)
内国民待遇、最恵国待遇及びパフォーマンス要求の禁止に関する規定を設ける
規定に適合しないすべての例外を明記
投資保護についての規定を設ける(全体として日本の要求通り)
5.人の移動(フィリピン側が主に要求)
これも前回書いた通りです。
日本側はフィリピン人看護師・介護士の受け入れ人数を100人程度に抑える意向であり、実質上フィリピン側の要求はほとんど受け入れられていない。
6.協力
9つの分野において二国間の協力を促進する(FTAではなくEPAであると主張するための項目か?)
7.知的財産(日本側が主に要求)
協力の要素と、適切な知的財産保護及び執行についての要素を盛りこみ、協議メカニズムを通じて、知的財産保護及び執行の強化に向けた協議を行う(具体的には何も決まっていないか?協議の内容次第)
8.競争政策
反競争的行為への取組みを通じ競争を促進するための適切な措置をとり、また、協力する(措置、協力の内容次第)
9.相互承認
交渉を継続(これからの交渉次第)
10.ビジネス環境整備
ビジネス環境を整備する
民間セクターからの代表の参加も可能なビジネス環境整備のための委員会など、協議のための枠組みが設置(とりえず枠組みだけは決定)
以上です。
全体としてみると前回書いたとおり日本側の主張が多く受け入れられているのに対して、フィリピン側の主張はほとんど入れられていないようです。
また物品の貿易、人の移動に関する内容がこの合意では最も意味が大きいと考えられます。
他の部分についてはこれからの協議次第の分野が多くあり、今回のFTA交渉の中心的議題は物品の貿易、人の移動に関するものであったことがうかがえます。
また投資分野についても、投資保護・最恵国待遇・内国民待遇などに関する規定が作られることになっており、思ったよりも投資分野については自由化が進むことになりそうです。
繰り返しになってしまうのでこれ以上は書きませんが、日本は保護主義的でない本当の意味での自由貿易の促進を図るべきであると考えます。
日比FTA交渉に見る日本の強気外交
まず合意内容を列挙してみます。(括弧内は筆者注、項目番号は共同プレス発表に準拠)
1.物品の貿易
先日記載した通りです。
全体として日本側が相当有利になっています。
2.税関手続
両国間の情報交換・協力を推進(具体的には何も決まっていない)
3.サービス貿易(日本側が主に要求)
市場アクセス及び内国民待遇に適合しない全ての規制に関するリストを作成していく(これから問題点を明らかにしていく)
多くの分野において自由化を後退させず、かつ特定分野で自由化を行なう(現状維持、特定分野については詳細不明)
4.投資(日本側が主に要求)
内国民待遇、最恵国待遇及びパフォーマンス要求の禁止に関する規定を設ける
規定に適合しないすべての例外を明記
投資保護についての規定を設ける(全体として日本の要求通り)
5.人の移動(フィリピン側が主に要求)
これも前回書いた通りです。
日本側はフィリピン人看護師・介護士の受け入れ人数を100人程度に抑える意向であり、実質上フィリピン側の要求はほとんど受け入れられていない。
6.協力
9つの分野において二国間の協力を促進する(FTAではなくEPAであると主張するための項目か?)
7.知的財産(日本側が主に要求)
協力の要素と、適切な知的財産保護及び執行についての要素を盛りこみ、協議メカニズムを通じて、知的財産保護及び執行の強化に向けた協議を行う(具体的には何も決まっていないか?協議の内容次第)
8.競争政策
反競争的行為への取組みを通じ競争を促進するための適切な措置をとり、また、協力する(措置、協力の内容次第)
9.相互承認
交渉を継続(これからの交渉次第)
10.ビジネス環境整備
ビジネス環境を整備する
民間セクターからの代表の参加も可能なビジネス環境整備のための委員会など、協議のための枠組みが設置(とりえず枠組みだけは決定)
以上です。
全体としてみると前回書いたとおり日本側の主張が多く受け入れられているのに対して、フィリピン側の主張はほとんど入れられていないようです。
また物品の貿易、人の移動に関する内容がこの合意では最も意味が大きいと考えられます。
他の部分についてはこれからの協議次第の分野が多くあり、今回のFTA交渉の中心的議題は物品の貿易、人の移動に関するものであったことがうかがえます。
また投資分野についても、投資保護・最恵国待遇・内国民待遇などに関する規定が作られることになっており、思ったよりも投資分野については自由化が進むことになりそうです。
繰り返しになってしまうのでこれ以上は書きませんが、日本は保護主義的でない本当の意味での自由貿易の促進を図るべきであると考えます。
フリーターの課税強化と景気回復の立役者
先日、自民党税制調査会が就労期間が一年に満たないアルバイトや派遣社員などの「フリーター」に対する住民税の課税を強化する方針を固めました。
改正案は「フリーター」の所得の申告を、1月1日時点で働いているかどうかに関わらず企業に義務付けるというものです。
私はこのアルバイトや派遣社員に対する課税の強化に疑問を感じざるを得ません。
「フリーター」は一般に働くことを怠っているとして消極的に捉えられがちです。
しかしながら今の日本経済の構造を考えるとアルバイトや派遣社員こそが最近の日本経済の回復の立役者であることは否めません。
さまざまな企業経営者が経営を改革し業務を効率化しましたが、その中心的な内容は費用削減であり、より具体的には正規従業員の削減とより安い労働力への転換です。
このように考えると健康保険や雇用保険などの各種保険に加入することを必要とせず、企業の負担を引き下げ、労働市場に対して安価な労働力を供給してきたアルバイトや派遣社員は本人たちの自覚の有無に関わらず日本経済回復の中心的役割を担ってきたと言えます。
日本経済の発展に尽力しているにもかかわらず、アルバイトや派遣社員は各種保険への加入も許されず、継続的に安い賃金で働かざるを得ないなど経済の発展の恩恵に与ることができない状況にあります。
そもそも「フリーター」という新しい雇用形態が増えたのは、政府の企業よりの規制緩和が原因です。
自らの政策で「フリーター」が増える土壌を作っておきながら、社会保障も整備されていないうちに課税の強化をするのは問題があると考えます。
確かに将来的には「フリーター」に対する課税強化は必要です。
また今回の課税強化は税額を増やすというものではなく、より確実に規定された税金を徴収することを目的とするものであり、一定程度はその正当性を認めることができます。
しかしながらそれは社会保障が整備された後になされるべきであり、課税強化によって増加する税収も不明なうちに実施されるべきではないと考えます。
社会保障が整備されていない不安定な地位に置かれた「フリーター」に対して、課税強化をすることはその地位をより不安定なものにします。
むしろ収入の多くを消費に回していると考えられる「フリーター」よりも高所得者の課税強化を先に実施するべきです。
日本経済は「フリーター」や企業の末端の正規従業員の活躍によって回復に向かっています。
しかしながら景気回復の恩恵は資本家や経営者層に未だにとどまっているように思われます。
これからはいかに景気回復の恩恵を正規従業員や「フリーター」に分配するかを考えていくべきです。
改正案は「フリーター」の所得の申告を、1月1日時点で働いているかどうかに関わらず企業に義務付けるというものです。
私はこのアルバイトや派遣社員に対する課税の強化に疑問を感じざるを得ません。
「フリーター」は一般に働くことを怠っているとして消極的に捉えられがちです。
しかしながら今の日本経済の構造を考えるとアルバイトや派遣社員こそが最近の日本経済の回復の立役者であることは否めません。
さまざまな企業経営者が経営を改革し業務を効率化しましたが、その中心的な内容は費用削減であり、より具体的には正規従業員の削減とより安い労働力への転換です。
このように考えると健康保険や雇用保険などの各種保険に加入することを必要とせず、企業の負担を引き下げ、労働市場に対して安価な労働力を供給してきたアルバイトや派遣社員は本人たちの自覚の有無に関わらず日本経済回復の中心的役割を担ってきたと言えます。
日本経済の発展に尽力しているにもかかわらず、アルバイトや派遣社員は各種保険への加入も許されず、継続的に安い賃金で働かざるを得ないなど経済の発展の恩恵に与ることができない状況にあります。
そもそも「フリーター」という新しい雇用形態が増えたのは、政府の企業よりの規制緩和が原因です。
自らの政策で「フリーター」が増える土壌を作っておきながら、社会保障も整備されていないうちに課税の強化をするのは問題があると考えます。
確かに将来的には「フリーター」に対する課税強化は必要です。
また今回の課税強化は税額を増やすというものではなく、より確実に規定された税金を徴収することを目的とするものであり、一定程度はその正当性を認めることができます。
しかしながらそれは社会保障が整備された後になされるべきであり、課税強化によって増加する税収も不明なうちに実施されるべきではないと考えます。
社会保障が整備されていない不安定な地位に置かれた「フリーター」に対して、課税強化をすることはその地位をより不安定なものにします。
むしろ収入の多くを消費に回していると考えられる「フリーター」よりも高所得者の課税強化を先に実施するべきです。
日本経済は「フリーター」や企業の末端の正規従業員の活躍によって回復に向かっています。
しかしながら景気回復の恩恵は資本家や経営者層に未だにとどまっているように思われます。
これからはいかに景気回復の恩恵を正規従業員や「フリーター」に分配するかを考えていくべきです。
日本の学力低下と衆愚政治
先日発表された2003年度の「生徒の学習到達度調査」(PISA)の結果が発表され、日本の成績の低下が問題になり、文部科学相は教育政策の見直しの分析・検討を進めると発表しました。
世界共通で行なわれる試験の日本の成績は以前は常に上位に位置しており、中位層が厚いということで海外からは高い評価を得ていました。
しかしながらこの日本の教育は国内からは「詰め込み教育」「画一的教育」等の批判を浴び、政府は「ゆとり教育」や「独創性を育てる教育」等の目標を掲げて、教育内容の削減や習熟度別教育を導入しました。
この経緯をみればそもそも政府は試験の成績向上のために「ゆとり教育」や「独創性を育てる教育」を始めたわけではないことは明らかです。
にもかかわらず、文部科学相は今回の国際的な学習到達度調査で日本の成績が下落し、学力の低下が鮮明になってきたことを憂慮して、また教育政策の見直しを進めるなどと言いはじめています。
文部科学省は一連の教育改革を進めるに当たって日本の学力が低下することは当然に想定していたはずです。
今回大きな問題とされている読解力の低下についても英語教育が国語教育よりも重視される現状では、むしろ当然の結果と言えますし、小学校からの英語教育を強要される世代では、思考力・読解力の低下はさらに鮮明になると思われます。
なぜならあらゆる思考が言語単位で行なわれる以上、自分の思考の基礎となる言語をしっかりと一つ持っていなければ深い考察はできないからです。
私は今回の結果について文部科学相がもっと勉強をするようにしなければならない主旨の発言をしたことには疑問を感じずにはいられません。
文部科学相の発言が必ずしも文部科学省全体を代表するものとは限りませんが、一連の「ゆとり教育」に代表される教育改革を進めた人々は日本の学力の低下という結果を予想していたはずだからです。
今また学力向上のための教育改革の見直しを進めることは数年間にわたって実施してきた「独創性を育てる教育」「独創性を育てる教育」などの成果をふいにすることに繋がりかねません。
近年の教育改革自体には私個人としては批判的ですが、この改革によって新たに育てられた能力も存在するはずです。
旧来型の試験の成績ではなく独創性などを育てるための教育改革を進めている以上、非常に難しいことですが生徒の独創性などを量ることで、近年の教育改革を評価すべきであると考えます。
そしてその上で、近年の教育改革で得られた能力と失われた能力を比較検討しどちらが将来の日本のために必要な能力であるのかを議論することが必要ではないでしょうか。
また私は文部科学省全体の意見は文部科学相の意見とは異なるものであると考えています。
先ほどから繰り返してきたとおり、「ゆとり教育」の先に学力低下があることは明らかであり、「ゆとり教育」を推進した人がそのことに思い至らなかったはずはないからです。
おそらく今回の日本の学力低下は文部科学省を含む官界の想定内にあると思われます。
民主主義国家において官界が目指すのは一部のエリートによって大衆が思いのままに動かされる衆愚政治です。
教育改革により導入された習熟度別学習や様々な規制の緩和によって日本の中位層は崩壊し、上位と下位に二分される形になりつつあり、現在の日本は衆愚政治に近づきつつあるように思えます。
そして実際のところインターネットをよく利用する層に若年層が多いことを考慮すると、この官界の目標はある程度成果を上げているように思われます。
Blogをこうして書いている私が言うことではないのですが、インターネットでは人々が誰が書いたかもわからず誰も責任を負っていない個人の文章を無批判に受け入れてしまっている状況をよく目にします。
またある人のサイトを見てその人の意見に共鳴した人が、新たに自分のサイトを作って同様の情報を公開することが容易なインターネットの性質上、一つの情報源から非常に多くのサイトが乱立し、そのサイトの多さが、もとは一つの情報源に収束してしまうものにもかかわらず、あたかも多数の人が様々な情報源から情報を得ているかのように見えることで、その意見の信頼性が高いかのように錯覚してしまうこともよくあります。
この問題については私はインターネットで文章を書くときにも現実に論文を書くときと同様にしっかりと参考文献などを明示することである程度は解消できるかと思いますが、私のこのBlogにも参考文献を明示していないように、暇つぶしで書くような文章に参考文献を明示するのはなかなか難しいと思われます。
このような無批判で情報を受け入れてしまう人が増えることは官界による国民の操作を容易にします。
従ってせめて国民がメディアやインターネットから情報を得るときにはある程度批判的に情報を分析・検討することが必要であると考えます。
最近の日本の世論は政府の意図する方へと動かされやすくなって来ているように感じます。
民主主義社会に生きる主権者として情報を得たときにはすぐにそれを信じるのではなく、その意見に反対する他の人の意見と比較してどちらがより正しそうか検討してみることが大切であると考えます。
また今回の学力の低下論議については学力の低下からすぐに「学力向上を目指さなければならない」と考えるのではなく、「ゆとり教育」「独創性を育てる教育」によって得られたもの、失われたものを比較してこれからどうしていくべきかを考えるべきです。
世界共通で行なわれる試験の日本の成績は以前は常に上位に位置しており、中位層が厚いということで海外からは高い評価を得ていました。
しかしながらこの日本の教育は国内からは「詰め込み教育」「画一的教育」等の批判を浴び、政府は「ゆとり教育」や「独創性を育てる教育」等の目標を掲げて、教育内容の削減や習熟度別教育を導入しました。
この経緯をみればそもそも政府は試験の成績向上のために「ゆとり教育」や「独創性を育てる教育」を始めたわけではないことは明らかです。
にもかかわらず、文部科学相は今回の国際的な学習到達度調査で日本の成績が下落し、学力の低下が鮮明になってきたことを憂慮して、また教育政策の見直しを進めるなどと言いはじめています。
文部科学省は一連の教育改革を進めるに当たって日本の学力が低下することは当然に想定していたはずです。
今回大きな問題とされている読解力の低下についても英語教育が国語教育よりも重視される現状では、むしろ当然の結果と言えますし、小学校からの英語教育を強要される世代では、思考力・読解力の低下はさらに鮮明になると思われます。
なぜならあらゆる思考が言語単位で行なわれる以上、自分の思考の基礎となる言語をしっかりと一つ持っていなければ深い考察はできないからです。
私は今回の結果について文部科学相がもっと勉強をするようにしなければならない主旨の発言をしたことには疑問を感じずにはいられません。
文部科学相の発言が必ずしも文部科学省全体を代表するものとは限りませんが、一連の「ゆとり教育」に代表される教育改革を進めた人々は日本の学力の低下という結果を予想していたはずだからです。
今また学力向上のための教育改革の見直しを進めることは数年間にわたって実施してきた「独創性を育てる教育」「独創性を育てる教育」などの成果をふいにすることに繋がりかねません。
近年の教育改革自体には私個人としては批判的ですが、この改革によって新たに育てられた能力も存在するはずです。
旧来型の試験の成績ではなく独創性などを育てるための教育改革を進めている以上、非常に難しいことですが生徒の独創性などを量ることで、近年の教育改革を評価すべきであると考えます。
そしてその上で、近年の教育改革で得られた能力と失われた能力を比較検討しどちらが将来の日本のために必要な能力であるのかを議論することが必要ではないでしょうか。
また私は文部科学省全体の意見は文部科学相の意見とは異なるものであると考えています。
先ほどから繰り返してきたとおり、「ゆとり教育」の先に学力低下があることは明らかであり、「ゆとり教育」を推進した人がそのことに思い至らなかったはずはないからです。
おそらく今回の日本の学力低下は文部科学省を含む官界の想定内にあると思われます。
民主主義国家において官界が目指すのは一部のエリートによって大衆が思いのままに動かされる衆愚政治です。
教育改革により導入された習熟度別学習や様々な規制の緩和によって日本の中位層は崩壊し、上位と下位に二分される形になりつつあり、現在の日本は衆愚政治に近づきつつあるように思えます。
そして実際のところインターネットをよく利用する層に若年層が多いことを考慮すると、この官界の目標はある程度成果を上げているように思われます。
Blogをこうして書いている私が言うことではないのですが、インターネットでは人々が誰が書いたかもわからず誰も責任を負っていない個人の文章を無批判に受け入れてしまっている状況をよく目にします。
またある人のサイトを見てその人の意見に共鳴した人が、新たに自分のサイトを作って同様の情報を公開することが容易なインターネットの性質上、一つの情報源から非常に多くのサイトが乱立し、そのサイトの多さが、もとは一つの情報源に収束してしまうものにもかかわらず、あたかも多数の人が様々な情報源から情報を得ているかのように見えることで、その意見の信頼性が高いかのように錯覚してしまうこともよくあります。
この問題については私はインターネットで文章を書くときにも現実に論文を書くときと同様にしっかりと参考文献などを明示することである程度は解消できるかと思いますが、私のこのBlogにも参考文献を明示していないように、暇つぶしで書くような文章に参考文献を明示するのはなかなか難しいと思われます。
このような無批判で情報を受け入れてしまう人が増えることは官界による国民の操作を容易にします。
従ってせめて国民がメディアやインターネットから情報を得るときにはある程度批判的に情報を分析・検討することが必要であると考えます。
最近の日本の世論は政府の意図する方へと動かされやすくなって来ているように感じます。
民主主義社会に生きる主権者として情報を得たときにはすぐにそれを信じるのではなく、その意見に反対する他の人の意見と比較してどちらがより正しそうか検討してみることが大切であると考えます。
また今回の学力の低下論議については学力の低下からすぐに「学力向上を目指さなければならない」と考えるのではなく、「ゆとり教育」「独創性を育てる教育」によって得られたもの、失われたものを比較してこれからどうしていくべきかを考えるべきです。
デジタル万引きへの書店の対応は?
カメラ付き携帯電話の普及に伴い、書店で書物を買わずに内容を撮影する「デジタル万引き」が問題になっています。
今回は「デジタル万引き」について簡単に考えてみたいと思います。
まず「万引き」という語句から思い浮かぶ窃盗罪との関係について考えています。
刑法上の窃盗罪や詐欺罪などの財産犯の客体としては財物及び財産上の利益が規定されています。
財物は有体物及び電気や水道水などの管理可能なものを指し、それ以外の情報などについては財産上の利益とされます。
現行刑法では詐欺罪などについては財物に加えて財産上の利益についても客体たり得ることを規定していますが、窃盗罪の客体については財物についてしか規定されていません。
このことから現行刑法では窃盗罪については財物を窃取するときのみ窃盗罪に当たることになります。
ここで「デジタル万引き」について考えると書物に記された情報という財産上の利益を窃取したとは言えない事もないですが、書物という財物を窃取したわけではないので窃盗罪には当たらないことになります。
次に知的財産権で保護される可能性のある情報と著作権法との関係を考えてみます。
著作権法は「文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする」もので、著作物の無断複製などを禁じています。
しかし著作権法30条には「個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用すること」を目的とする場合には複製が許可されています。
したがって「デジタル万引き」について考えるとカメラで撮影した画像を自分以外の人の閲覧に供したりしない限り著作権法違反は問えないことになります。
続いて民法上の救済手段として、書店の利益の侵害、撮影者の受益があったとして撮影者に対して民法703条を根拠に不当利得返還請求をすることができるかについて考えてみます。
不当利得とは民法703条「法律上の原因なくして他人の財産又は労務に因り利益を受け之が為めに他人に損失を及ぼしたる者は其の利益の存する限度において之を返還する義務を負ふ(『カタカナ→ひらがな』にしてあります)」を根拠とするもので、一定の要件下で自分の利益が害され、それによって他人が利益を受けた場合にその利益の返還を請求できるという制度です。
不当利得の要件は条文から次の4つにになります。
1.被請求者が利益を受けたこと
2.請求者が損失を受けたこと
3.利益と損失の間に因果関係があること
4.利益の移転を基礎付ける法律関係がないこと
まず1ですが「デジタル万引き」においては撮影者が書物の中の情報を撮影することで情報という利益を受けており、撮影者が利益を受けたことには争いがないと思われます。
次に2と3ですが「デジタル万引き」によって書店が損失を受けたか、またその損失と撮影者が受けた利益の間に因果関係があるかが問題になります。
なぜなら書物の撮影をしなかったからといって、その人が書物を購入したかどうかはわからないからです。
ただこのような被請求者の利益だけが存在し、損失が存在しない無賃乗車や受信料を払わないままでのNHKの視聴のような事案について損失の擬制や損失概念の拡大によって、不当利得返還請求権を認めることがあり、また学説によっては受益の証明だけで良いとするものもあるため、一概に不当利得が成立しないとは言えず、不当利得が成立する可能性は残ると考えられます。
また4については「デジタル万引き」によって撮影者が得る情報という利益に法律上の利益の移転の基礎付けはないので「デジタル万引き」はこの要件を満たすといえます。
では仮に不当利得返還請求権が認められた場合に請求金額はどれくらいになるかですが、その金額は基本的には受けたる利益の範囲ということになります。
情報の内容にもよると思いますが、少なくとも請求金額が書物の値段を越えることはないと思われます。
こう考えてみると定価数百円程度の雑誌の撮影について不当利得返還請求訴訟を起こすのは訴訟の煩雑さなどから現実的ではないことになります。
以上のことから実質上現行法では「デジタル万引き」を取り締まるのは難しいと考えます。
「デジタル万引き」は「万引き」よりも「立ち読み」に近いものがあると思います。
これ以降「デジタル万引き」が社会問題化し「デジタル万引き」の取り締まりが強化されるとしても「立ち読み」を同時に取り締まることをしなければ法の公正を欠くと考えます。
ここで「立ち読み」の規制について考えてみると「立ち読み」が許されるかどうかは現在非常に曖昧なものになっています。
一般に書店では活字本については「立ち読み」が許されていますが漫画等については「立ち読み」は包装などによって実質上禁止されています。
この活字本と漫画本との対応の差は読了時間などを理由としてなされているのだと思われますが、その包装の差に法律上の規制があるわけではなく専ら出版社や書店の判断によってなされています。
「立ち読み」と「デジタル万引き」との類似性を考えると書店が「デジタル万引き」を防ぐために行なう手段としては自主的な包装の強化が最も適切であると考えます。
もし「デジタル万引き」が書店に深刻な被害をもたらすようになれば今以上に包装された書物が増えることが予想されます。
出版社の利益の薄い電子辞書の普及で紙媒体の辞書が売れなくなり、新版の辞書の作成費用が集まらないことが問題になっています。
出版社はたくさんの人が書物を購入してくれることで新たな書物を作成する費用を得ることができます。
その情報が本当に自分にとって必要なものであるのならば代金を支払って購入をすることが本人にとっても最も良い選択であると考えます。
そうすることで自分が必要であると思った書物に関係した書物がまた作られていくからです。
ただし近年のインターネットの普及によって紙媒体の情報誌の価値が急落していることは確かです。
程度の差こそあれ紙媒体の雑誌で手に入る情報の多くはインターネットで得ることができ、この事実が「デジタル万引き」でよく問題とされる情報誌の売り上げ減に繋がっていることは否めません。
このような現状を踏まえ、出版社や書店はすでに売れなくなりつつある紙媒体の情報誌などにかわる新たな情報の提供の道を探っていくべきであると考えます。
今回は「デジタル万引き」について簡単に考えてみたいと思います。
まず「万引き」という語句から思い浮かぶ窃盗罪との関係について考えています。
刑法上の窃盗罪や詐欺罪などの財産犯の客体としては財物及び財産上の利益が規定されています。
財物は有体物及び電気や水道水などの管理可能なものを指し、それ以外の情報などについては財産上の利益とされます。
現行刑法では詐欺罪などについては財物に加えて財産上の利益についても客体たり得ることを規定していますが、窃盗罪の客体については財物についてしか規定されていません。
このことから現行刑法では窃盗罪については財物を窃取するときのみ窃盗罪に当たることになります。
ここで「デジタル万引き」について考えると書物に記された情報という財産上の利益を窃取したとは言えない事もないですが、書物という財物を窃取したわけではないので窃盗罪には当たらないことになります。
次に知的財産権で保護される可能性のある情報と著作権法との関係を考えてみます。
著作権法は「文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする」もので、著作物の無断複製などを禁じています。
しかし著作権法30条には「個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用すること」を目的とする場合には複製が許可されています。
したがって「デジタル万引き」について考えるとカメラで撮影した画像を自分以外の人の閲覧に供したりしない限り著作権法違反は問えないことになります。
続いて民法上の救済手段として、書店の利益の侵害、撮影者の受益があったとして撮影者に対して民法703条を根拠に不当利得返還請求をすることができるかについて考えてみます。
不当利得とは民法703条「法律上の原因なくして他人の財産又は労務に因り利益を受け之が為めに他人に損失を及ぼしたる者は其の利益の存する限度において之を返還する義務を負ふ(『カタカナ→ひらがな』にしてあります)」を根拠とするもので、一定の要件下で自分の利益が害され、それによって他人が利益を受けた場合にその利益の返還を請求できるという制度です。
不当利得の要件は条文から次の4つにになります。
1.被請求者が利益を受けたこと
2.請求者が損失を受けたこと
3.利益と損失の間に因果関係があること
4.利益の移転を基礎付ける法律関係がないこと
まず1ですが「デジタル万引き」においては撮影者が書物の中の情報を撮影することで情報という利益を受けており、撮影者が利益を受けたことには争いがないと思われます。
次に2と3ですが「デジタル万引き」によって書店が損失を受けたか、またその損失と撮影者が受けた利益の間に因果関係があるかが問題になります。
なぜなら書物の撮影をしなかったからといって、その人が書物を購入したかどうかはわからないからです。
ただこのような被請求者の利益だけが存在し、損失が存在しない無賃乗車や受信料を払わないままでのNHKの視聴のような事案について損失の擬制や損失概念の拡大によって、不当利得返還請求権を認めることがあり、また学説によっては受益の証明だけで良いとするものもあるため、一概に不当利得が成立しないとは言えず、不当利得が成立する可能性は残ると考えられます。
また4については「デジタル万引き」によって撮影者が得る情報という利益に法律上の利益の移転の基礎付けはないので「デジタル万引き」はこの要件を満たすといえます。
では仮に不当利得返還請求権が認められた場合に請求金額はどれくらいになるかですが、その金額は基本的には受けたる利益の範囲ということになります。
情報の内容にもよると思いますが、少なくとも請求金額が書物の値段を越えることはないと思われます。
こう考えてみると定価数百円程度の雑誌の撮影について不当利得返還請求訴訟を起こすのは訴訟の煩雑さなどから現実的ではないことになります。
以上のことから実質上現行法では「デジタル万引き」を取り締まるのは難しいと考えます。
「デジタル万引き」は「万引き」よりも「立ち読み」に近いものがあると思います。
これ以降「デジタル万引き」が社会問題化し「デジタル万引き」の取り締まりが強化されるとしても「立ち読み」を同時に取り締まることをしなければ法の公正を欠くと考えます。
ここで「立ち読み」の規制について考えてみると「立ち読み」が許されるかどうかは現在非常に曖昧なものになっています。
一般に書店では活字本については「立ち読み」が許されていますが漫画等については「立ち読み」は包装などによって実質上禁止されています。
この活字本と漫画本との対応の差は読了時間などを理由としてなされているのだと思われますが、その包装の差に法律上の規制があるわけではなく専ら出版社や書店の判断によってなされています。
「立ち読み」と「デジタル万引き」との類似性を考えると書店が「デジタル万引き」を防ぐために行なう手段としては自主的な包装の強化が最も適切であると考えます。
もし「デジタル万引き」が書店に深刻な被害をもたらすようになれば今以上に包装された書物が増えることが予想されます。
出版社の利益の薄い電子辞書の普及で紙媒体の辞書が売れなくなり、新版の辞書の作成費用が集まらないことが問題になっています。
出版社はたくさんの人が書物を購入してくれることで新たな書物を作成する費用を得ることができます。
その情報が本当に自分にとって必要なものであるのならば代金を支払って購入をすることが本人にとっても最も良い選択であると考えます。
そうすることで自分が必要であると思った書物に関係した書物がまた作られていくからです。
ただし近年のインターネットの普及によって紙媒体の情報誌の価値が急落していることは確かです。
程度の差こそあれ紙媒体の雑誌で手に入る情報の多くはインターネットで得ることができ、この事実が「デジタル万引き」でよく問題とされる情報誌の売り上げ減に繋がっていることは否めません。
このような現状を踏まえ、出版社や書店はすでに売れなくなりつつある紙媒体の情報誌などにかわる新たな情報の提供の道を探っていくべきであると考えます。
社会保険料徴収の民間請負と効率化
社会保険料の徴収を民間企業に委託するという話が出ています。
社会保険庁の徴収システムは徴収金額あたりの費用が民間に比べて大きく非効率的だからということが理由とされています。
今回業務の委託をするのは強制徴収を除く徴収業務と、窓口での相談です。
そして徴収の委託先は入札による競売で決めますが、貸し金業者が有力であるといわれています。
私はこのような民間企業は効率的であるのに対して、国は非効率的な業務を行なっているので、業務を民間企業に任せれば良いという論法に疑問を感じます。
毎年多数の民間企業が倒産していることを考えれば、民間企業が必ずしも効率的ではないことは明らかです。
また最近は効率化というとすぐに民間委託、民営化などが議論されますが民間委託や民営化は目的ではなく単なる手段に過ぎません。
民間委託、民営化をする目的は業務を効率的に行なうことです。
民間に任せれば即業務が効率化される訳でもないことを考える必要があります。
国家の業務が非効率であるとき、なぜすぐに民営化の話になって「業務をいかに効率的に行なうべきか」が議論されないのか甚だ疑問です。
国の非効率な業務から即民営化を持ち出すのは国民に訴えかけるためだけの単なるパフォーマンスに過ぎないように思えます。
また民営化を行なえば民間企業で日常的に行なわれる接待をはじめとした収賄・贈賄が増えることは避けられません。
企業の利益のことを考えたとき賄賂はプラスに働くこともありますが、全国民に公平なサービスを提供することを理念とする公共サービスにとってはその理念実現の妨げになる可能性があると言えます。
国家の非効率な業務についてはサービスの水準の低下しない範囲で効率化を行なうべきであると考えます。
国家業務の効率化による歳出削減は急務ですが、それを即民営化に繋げることは早計です。
国民年金の運用はよく非効率的だといわれますが、共済年金は効率的な運用を行なっています。
その是非はさておき、公務員にも効率的な業務遂行が可能であることはここによく表されていると思います。
民間企業に勤める人も公務員も同じ人間です。
民間は効率的、公務員は非効率的と決め付けるのではなく、公務員の行なう業務をいかに効率的にしていくかを議論していくべきだと考えます。
社会保険庁の徴収システムは徴収金額あたりの費用が民間に比べて大きく非効率的だからということが理由とされています。
今回業務の委託をするのは強制徴収を除く徴収業務と、窓口での相談です。
そして徴収の委託先は入札による競売で決めますが、貸し金業者が有力であるといわれています。
私はこのような民間企業は効率的であるのに対して、国は非効率的な業務を行なっているので、業務を民間企業に任せれば良いという論法に疑問を感じます。
毎年多数の民間企業が倒産していることを考えれば、民間企業が必ずしも効率的ではないことは明らかです。
また最近は効率化というとすぐに民間委託、民営化などが議論されますが民間委託や民営化は目的ではなく単なる手段に過ぎません。
民間委託、民営化をする目的は業務を効率的に行なうことです。
民間に任せれば即業務が効率化される訳でもないことを考える必要があります。
国家の業務が非効率であるとき、なぜすぐに民営化の話になって「業務をいかに効率的に行なうべきか」が議論されないのか甚だ疑問です。
国の非効率な業務から即民営化を持ち出すのは国民に訴えかけるためだけの単なるパフォーマンスに過ぎないように思えます。
また民営化を行なえば民間企業で日常的に行なわれる接待をはじめとした収賄・贈賄が増えることは避けられません。
企業の利益のことを考えたとき賄賂はプラスに働くこともありますが、全国民に公平なサービスを提供することを理念とする公共サービスにとってはその理念実現の妨げになる可能性があると言えます。
国家の非効率な業務についてはサービスの水準の低下しない範囲で効率化を行なうべきであると考えます。
国家業務の効率化による歳出削減は急務ですが、それを即民営化に繋げることは早計です。
国民年金の運用はよく非効率的だといわれますが、共済年金は効率的な運用を行なっています。
その是非はさておき、公務員にも効率的な業務遂行が可能であることはここによく表されていると思います。
民間企業に勤める人も公務員も同じ人間です。
民間は効率的、公務員は非効率的と決め付けるのではなく、公務員の行なう業務をいかに効率的にしていくかを議論していくべきだと考えます。
日本国債の価値は?
12月1日、政府は日銀保有の国債について、2004年度に償還時期を迎えた長期国債で、一年物短期国債に乗り換えたものの一部をさらにもう一年短期国債に乗り換えるよう日銀に要請しました。
乗換えとは日銀が保有する長期国債で2004年度に償還時期が来たものについて、国債の計画的償還を目的として、一年だけ短期国債に乗り換えることを例外として認めた制度です。
しかし政府は来年度以降の国債の償還本格化に備えて今年もまた国債償還を先延ばしすることを日銀に要請したのです。
国債の新規発行額は小泉政権成立以来増加し続け、2004年度には37兆円に達しました。
国債及び借入金現在高は700兆円を越えており、すでに尋常な金額ではなくなっていると言わざるを得ません。
以前海外の格付け会社が日本の国債に途上国並みの格付けを行い話題になったことがありましたが、私はあの格付けは妥当であると考えています。
あの時、日本のメディアは概ね格付けが低すぎるという評価をしましたが、税収が42兆円を切る国が700兆円の国債を発行していると言う状況は、多くの途上国よりもはるかに財政状況が悪いのではないでしょうか。
政府が国債の買い手として個人を意識し始めたことにも日本国債の危うさが見え隠れしています。
格付け会社が途上国並みの格付けを日本に与えたことからもわかるように、大口投資家にとって日本国債の評価はすでに相当低くなっており、そのため国債の大口投資家の買い手がいなくなったことが、政府が国債の買い手として個人を意識し始めた理由に思えるからです。
しかしながら国債問題については有効な打開策がないのも事実です。
ただ以前に日本国債が海外の格付け会社に低い評価を与えられたとき、評価が低すぎると考える人が多数存在したということが、この問題の解決を遅らせているように思えてなりません。
このまま行くと日本は国債の償還を踏み倒すかもしれないと海外から捉えられたからこそ、先進国がそろって最高評価を得ている中で、日本だけが途上国並みの評価しか得られなかったのであり、この事実を日本はもっと深刻に受け止めるべきだと考えます。
また日本国債の話になると決まって「アメリカ国債を売却すれば大丈夫」というような楽観的な意見がだされますが、日本のアメリカ国債保有総額は40兆円から50兆円程度と言われており(政府はアメリカ国債保有額を公表しておらず、正確な額は不明)700兆円と比べると全くスケールが違います。
またそれはODAについても同様のことが言えます。
日本国債の踏み倒し、それによる円の暴落を防ぎ、国債を完全に償還するためには日本人一人一人がもっと真剣に国債の償還について考えなければなりません。
私は極度の合理化、効率化には反対なのですが、ここまで状況が悪化している政府については合理化、効率化を進める以外に選択肢がないように思えます。
社会保障費が減少することを望めない以上、公共事業費、防衛費をはじめとする各種歳出の減額はやむをえないと考えます。
また必要であれば増税と言う選択肢もあると考えています。
ただし停滞する経済状況の中でパートやアルバイトとして働く人が増えたことで、労働者の生活は相当に厳しいものになっています。
この状況を踏まえて増税は所得税の最高税率の見直しなどによる高収入の人、法人の負担増の後に低所得者層の負担増を議論すべきであり、消費税などの逆進性(注)を持つ間接税の安易な増税はすべきではないと考えます。
注)逆進性とは所得が増えるほど負担が軽くなる税金のこと。消費税などの所得に関わらず一律の税率を課す税金では、実質上低所得者の方が負担が重くなるとされる。
乗換えとは日銀が保有する長期国債で2004年度に償還時期が来たものについて、国債の計画的償還を目的として、一年だけ短期国債に乗り換えることを例外として認めた制度です。
しかし政府は来年度以降の国債の償還本格化に備えて今年もまた国債償還を先延ばしすることを日銀に要請したのです。
国債の新規発行額は小泉政権成立以来増加し続け、2004年度には37兆円に達しました。
国債及び借入金現在高は700兆円を越えており、すでに尋常な金額ではなくなっていると言わざるを得ません。
以前海外の格付け会社が日本の国債に途上国並みの格付けを行い話題になったことがありましたが、私はあの格付けは妥当であると考えています。
あの時、日本のメディアは概ね格付けが低すぎるという評価をしましたが、税収が42兆円を切る国が700兆円の国債を発行していると言う状況は、多くの途上国よりもはるかに財政状況が悪いのではないでしょうか。
政府が国債の買い手として個人を意識し始めたことにも日本国債の危うさが見え隠れしています。
格付け会社が途上国並みの格付けを日本に与えたことからもわかるように、大口投資家にとって日本国債の評価はすでに相当低くなっており、そのため国債の大口投資家の買い手がいなくなったことが、政府が国債の買い手として個人を意識し始めた理由に思えるからです。
しかしながら国債問題については有効な打開策がないのも事実です。
ただ以前に日本国債が海外の格付け会社に低い評価を与えられたとき、評価が低すぎると考える人が多数存在したということが、この問題の解決を遅らせているように思えてなりません。
このまま行くと日本は国債の償還を踏み倒すかもしれないと海外から捉えられたからこそ、先進国がそろって最高評価を得ている中で、日本だけが途上国並みの評価しか得られなかったのであり、この事実を日本はもっと深刻に受け止めるべきだと考えます。
また日本国債の話になると決まって「アメリカ国債を売却すれば大丈夫」というような楽観的な意見がだされますが、日本のアメリカ国債保有総額は40兆円から50兆円程度と言われており(政府はアメリカ国債保有額を公表しておらず、正確な額は不明)700兆円と比べると全くスケールが違います。
またそれはODAについても同様のことが言えます。
日本国債の踏み倒し、それによる円の暴落を防ぎ、国債を完全に償還するためには日本人一人一人がもっと真剣に国債の償還について考えなければなりません。
私は極度の合理化、効率化には反対なのですが、ここまで状況が悪化している政府については合理化、効率化を進める以外に選択肢がないように思えます。
社会保障費が減少することを望めない以上、公共事業費、防衛費をはじめとする各種歳出の減額はやむをえないと考えます。
また必要であれば増税と言う選択肢もあると考えています。
ただし停滞する経済状況の中でパートやアルバイトとして働く人が増えたことで、労働者の生活は相当に厳しいものになっています。
この状況を踏まえて増税は所得税の最高税率の見直しなどによる高収入の人、法人の負担増の後に低所得者層の負担増を議論すべきであり、消費税などの逆進性(注)を持つ間接税の安易な増税はすべきではないと考えます。
注)逆進性とは所得が増えるほど負担が軽くなる税金のこと。消費税などの所得に関わらず一律の税率を課す税金では、実質上低所得者の方が負担が重くなるとされる。
11月総評
月が変わったので11月に書いた記事について振り返り、今後の記事作成に活かしたいと思います。
EEZ(排他的経済水域)について
本BLOG開始二回目の記事です。
最近よく話題になる排他的経済水域について国際法的観点から考察しています。
日中間ではEEZの境界が定まっていないので、日中双方の主張の正当性は同程度であり、境界画定のための協議を早期に設定することが大切であると結んでいます。
正確を期し条約を引用していますが、かえってわかりづらくなっている面もあるのは否めません。
私企業は自助努力だけで国際競争で生き残れるか?
日比FTA交渉に見る日本の強気外交
双方とも国際経済法について書いたものです。
現代の国際経済体制において企業が国際競争で勝ち残るためには国家の外交努力が非常に重要であることを述べています。
ODAをこれだけ急激に減らすと途上国の日本に対する不満がそろそろ爆発するのではないか、という危惧も最近抱いています。
定率減税と最高税率の特例のどちらを先に廃止すべきか?
本格的に国会での議論の始まった定率減税削減について書いています。
経済への影響から定率減税よりも最高税率の特例を先に廃止するべきだと結論付けています。
本文中の収入の消費弾力性は経済学的には所得の消費弾力性という用語の方が適切ですね。
人質殺害事件と100年先まで続く禍根
オランダの爆破事件とテロ
テロとの戦争に関連する記事です。
テロの原因は怨恨と貧困であるとし、経済体制の不平等の解消、経済的な援助によってしかテロを撲滅できないと結論付けます。
シティグループへの行政処分と収益性重視
シティバンクが受けた行政処分に書いています。
シティグループの影響力の大きさと収益性重視の問題性を書きたかったのだと思いますが、まとめきれずに支離滅裂になっています。
典型的な駄作の例といえます。
鳥インフルエンザ対策の必要性について
鳥インフルエンザの危険性について書いています。
BSEより鳥インフルエンザの方が危険性が高いといえるのに、むしろBSE対策の方に世間の目が向いていることについて書くことを目的としていたのですが、鳥インフルエンザのほうが危険であることの論拠が薄弱であったために中途半端な内容になってしまっています。
時期から言うと大統領選かな
ブッシュ氏再選ですね
アメリカ大統領選についての記事です。
概ね両候補間に内政については様々な違いがあるが外交についてはほとんど違わないという内容のことを書きたかったのだと思いますが、まとめきれていません。
飲料メーカーの酒税対策は企業努力か?
酒税制度の問題点について書いています。
企業が租税対策による低価格化に傾倒することをやめるような税制度を制定すべきだと結論付けています。
良い意味でも悪い意味でも11月の記事で気になった記事は以上です。
なかなか自分の記事にコメントをつけるのも難しいですね。
コメントは後から修正・追加する可能性があります。
EEZ(排他的経済水域)について
本BLOG開始二回目の記事です。
最近よく話題になる排他的経済水域について国際法的観点から考察しています。
日中間ではEEZの境界が定まっていないので、日中双方の主張の正当性は同程度であり、境界画定のための協議を早期に設定することが大切であると結んでいます。
正確を期し条約を引用していますが、かえってわかりづらくなっている面もあるのは否めません。
私企業は自助努力だけで国際競争で生き残れるか?
日比FTA交渉に見る日本の強気外交
双方とも国際経済法について書いたものです。
現代の国際経済体制において企業が国際競争で勝ち残るためには国家の外交努力が非常に重要であることを述べています。
ODAをこれだけ急激に減らすと途上国の日本に対する不満がそろそろ爆発するのではないか、という危惧も最近抱いています。
定率減税と最高税率の特例のどちらを先に廃止すべきか?
本格的に国会での議論の始まった定率減税削減について書いています。
経済への影響から定率減税よりも最高税率の特例を先に廃止するべきだと結論付けています。
本文中の収入の消費弾力性は経済学的には所得の消費弾力性という用語の方が適切ですね。
人質殺害事件と100年先まで続く禍根
オランダの爆破事件とテロ
テロとの戦争に関連する記事です。
テロの原因は怨恨と貧困であるとし、経済体制の不平等の解消、経済的な援助によってしかテロを撲滅できないと結論付けます。
シティグループへの行政処分と収益性重視
シティバンクが受けた行政処分に書いています。
シティグループの影響力の大きさと収益性重視の問題性を書きたかったのだと思いますが、まとめきれずに支離滅裂になっています。
典型的な駄作の例といえます。
鳥インフルエンザ対策の必要性について
鳥インフルエンザの危険性について書いています。
BSEより鳥インフルエンザの方が危険性が高いといえるのに、むしろBSE対策の方に世間の目が向いていることについて書くことを目的としていたのですが、鳥インフルエンザのほうが危険であることの論拠が薄弱であったために中途半端な内容になってしまっています。
時期から言うと大統領選かな
ブッシュ氏再選ですね
アメリカ大統領選についての記事です。
概ね両候補間に内政については様々な違いがあるが外交についてはほとんど違わないという内容のことを書きたかったのだと思いますが、まとめきれていません。
飲料メーカーの酒税対策は企業努力か?
酒税制度の問題点について書いています。
企業が租税対策による低価格化に傾倒することをやめるような税制度を制定すべきだと結論付けています。
良い意味でも悪い意味でも11月の記事で気になった記事は以上です。
なかなか自分の記事にコメントをつけるのも難しいですね。
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