8月頭に軽井沢に行った。
今となっては、土産を買う相手もいなければ、その必要もない。
じゃ自分に土産でも、と思い、軽井沢ニューアートミュージアムに立ち寄った。
小松美羽女史の銅版画のジグソーパズルを買おうとしたら、高額なのと、気持ち悪いからやめろとかみさんに反対された。
仕方なく、本がならんでいるあたりをウロウロする。
「クラウド・コレクター[手帖版] クラフト・エヴィング商會 ちくま文庫」
こりゃ、読んじゃいけないやつだ、とすぐに思い出した。
結局、自分への土産は買わずに軽井沢を後にした。
☆
自宅に本をためこんでいた頃だから、20年以上前だと思う。
同商會の「どこかにいってしまったものたち」が本棚にあった。
その後、本棚は撤去し、読んだ本はすぐ売るようになってしまうまでの間に、「どこかにいってしまったものたち」は、どこかにいってしまった。
「どこかにいってしまったものたち」は、幻想的な架空の品々を紹介した本だったと思うが、気に入っていたことは覚えている。
☆
趣味でお話を書くようになってからは、原則、他の方の作品は読まないことにしている。これいいな、と思うと、すぐマネしてしまうからである。
まねっこまんじゅう、まめやのこぞう。
クラフト・エヴィング商會の本など、その最たるものだったのだ。
でもやっぱり気になった。
で。
結局、「クラウド・コレクター」を買ってしまうのである。
初めて読んだが、もちろんおもしろい。
一言では説明できない。
ファンタジーであることはまちがいない。
酒と数と瓶とタロットの本である。
酔っ払って注文したから、たぶん酒が酒を呼んだのだろう。
AZOTH(アゾット)という世界の旅行記でもある。
その架空世界には構造がある。
大アルカナの並びに即した構造。
小アルカナはものの見事にオミットされている。
まあ、あれは別物だし。
個人的にはタロットの本だと思っている。
☆
易もタロットも構造(秩序)がある。
易は象徴そのものがバイナリなので、端からバチバチに構造がある。
拙作の……「トモルオン」や「空鏡録」、「マギステリウム」や「聖なる20」もそう。
意図はしていなかったが、構造的になってしまった「夜の石は天に昇り、空ゆく星に会えた」をベースにしているからだ。
でまあ、今、作ろうとしているオラクルカード「のようなもの」(前回ブログ参照)は……
ちょっと、もう、いわゆる「構造」からは離れようかと思っている。
とはいえ、構造・枠組み・秩序を完全に外してしまうと、カオス、つまり、悪い意味での混沌になってしまい、ツールとして成立しなくなるので、インデックスとしての番号だけはふることにした。
この数に意味はない。
純粋に「インデックス」でしかない。

【Purk;一夜の夢。シェヘラザードが語る千一番目の夢。】
上は、描いたばかりの22番目のモノタングル。
「22」は意味ありげだが、意味はない。
スタンプなどを使って活版っぽくナンバリングするところなどに、すでに、まねっこまんじゅうが見え隠れ。
いいや、別に。
気にしない。
世の中、まねっこで成り立ってるんだもんね。
ところで、「すぐそこの遠い場所(晶文社1998、筑摩書房2004)」は、「クラウド・コレクター」の姉妹編とうたわれているAZOTH事典である。
これもついでに買ってしまった。
夜な夜な就寝前にAZOTH事典の頁を繰っているところ。
読み終わる頃にはAZOTHに詳しくなっているにちがいない。
軽井沢よりもね。














