ぼくは占い師じゃない -3ページ目

ぼくは占い師じゃない

易経という中国の古典、ウラナイの書を使いやすく再解釈して私家版・易経をつくろう! というブログ……だったんですが、最近はネタ切れで迷走中。

8月頭に軽井沢に行った。


今となっては、土産を買う相手もいなければ、その必要もない。
じゃ自分に土産でも、と思い、軽井沢ニューアートミュージアムに立ち寄った。

小松美羽女史の銅版画のジグソーパズルを買おうとしたら、高額なのと、気持ち悪いからやめろとかみさんに反対された。
仕方なく、本がならんでいるあたりをウロウロする。

「クラウド・コレクター[手帖版] クラフト・エヴィング商會 ちくま文庫」

こりゃ、読んじゃいけないやつだ、とすぐに思い出した。

結局、自分への土産は買わずに軽井沢を後にした。



自宅に本をためこんでいた頃だから、20年以上前だと思う。

同商會の「どこかにいってしまったものたち」が本棚にあった。

その後、本棚は撤去し、読んだ本はすぐ売るようになってしまうまでの間に、「どこかにいってしまったものたち」は、どこかにいってしまった。


「どこかにいってしまったものたち」は、幻想的な架空の品々を紹介した本だったと思うが、気に入っていたことは覚えている。



趣味でお話を書くようになってからは、原則、他の方の作品は読まないことにしている。これいいな、と思うと、すぐマネしてしまうからである。
まねっこまんじゅう、まめやのこぞう。
クラフト・エヴィング商會の本など、その最たるものだったのだ。

でもやっぱり気になった。

で。

結局、「クラウド・コレクター」を買ってしまうのである。
初めて読んだが、もちろんおもしろい。
一言では説明できない。
ファンタジーであることはまちがいない。

酒と数と瓶とタロットの本である。
酔っ払って注文したから、たぶん酒が酒を呼んだのだろう。
AZOTH(アゾット)という世界の旅行記でもある。
その架空世界には構造がある。

大アルカナの並びに即した構造。
小アルカナはものの見事にオミットされている。
まあ、あれは別物だし。

個人的にはタロットの本だと思っている。



易もタロットも構造(秩序)がある。

易は象徴そのものがバイナリなので、端からバチバチに構造がある。

拙作の……「トモルオン」や「空鏡録」、「マギステリウム」や「聖なる20」もそう。
意図はしていなかったが、構造的になってしまった「夜の石は天に昇り、空ゆく星に会えた」をベースにしているからだ。

でまあ、今、作ろうとしているオラクルカード「のようなもの」(前回ブログ参照)は……
ちょっと、もう、いわゆる「構造」からは離れようかと思っている。

とはいえ、構造・枠組み・秩序を完全に外してしまうと、カオス、つまり、悪い意味での混沌になってしまい、ツールとして成立しなくなるので、インデックスとしての番号だけはふることにした。

この数に意味はない。

純粋に「インデックス」でしかない。



【Purk;一夜の夢。シェヘラザードが語る千一番目の夢。】

上は、描いたばかりの22番目のモノタングル。
「22」は意味ありげだが、意味はない。
スタンプなどを使って活版っぽくナンバリングするところなどに、すでに、まねっこまんじゅうが見え隠れ。

いいや、別に。

気にしない。

世の中、まねっこで成り立ってるんだもんね。

ところで、「すぐそこの遠い場所(晶文社1998、筑摩書房2004)」は、「クラウド・コレクター」の姉妹編とうたわれているAZOTH事典である。

これもついでに買ってしまった。

夜な夜な就寝前にAZOTH事典の頁を繰っているところ。

読み終わる頃にはAZOTHに詳しくなっているにちがいない。
軽井沢よりもね。
 

きっかけは、久しぶりになんとなく描き始めたゼンタングルだった。

ゼンタングルはタイルと呼ばれる小さな画用紙にパターン (規則的な模様)を組み合わせて描き込んでいくアートである。

パターンは歳時記の季語のようなもので、非個人的な資産といっていいと思う。俳句は詠めないけれど。

季語とちがって、ひとつのタイルに描けるパターンの数にきまりはないが、これを俳句のように、ひとつのパターンだけをつかって描くタングルを、モノタングルという。

モノタングル集みたいなものを作れないかな、と思った。

   ☆

最初に知った公式パターンは100ある(「はじめてのゼンタングル」参照→)。
時とともに更新されたり、追加されたりする。
たぶんそんなに厳密なものではなく、これが公式だよね、というお約束みたいなもので、ゆるくくくられたカテゴリなのだろう。そうだとしたら、そんなところも季語のようだ。

その100パターンのモノタングルを描いてみようと思った。

ゼンタングルを知って10年以上になるが、まだ描いたことのないパターンもある。

100枚のタイルが必要になるが、家にある分だけでは足りないので、高くなるが、USから取り寄せた。
最新版のホワイトタイルは、パッケージも新しくなって、パッケージの裏には、感謝で始まり感謝で終わるゼンタングル・メソッドのシンプルな説明があった。
届いたタイルの裏にあるコメント用のラインは、昔は2本だったが、3本に増えていた。

   ☆

人間複合体の存在レベルは概ね3つに分けるとわかりやすい気がする。もちろん、どこかに線が引いてあるわけではなくて、そういうモデル。

通常自分だと思っている個人的なレベル。
普遍的で非個人的なレベル。
個人的なレベルと非個人的なレベルの仲立ちになるレベル。

ゼンタングルでいうと、共有資産のような公式パターンは非個人的なレベルに相当する。

描いたモノタングルには、文章や言葉をつけようと思っているが、これが個人的な日常レベル。

パターンにはそれぞれユニークな名称がつけられているが、この名称と、描かれたタングルのイメージそのものが、個人的なレベルと非個人的なレベルの仲立ちをする。

そんな理屈があるわけではないが、そんなふうに想像しつつ、モノタングルを描いてみる。




瓶に入っているのは「Fengle」というパターン(かなりアレンジになってしまっている)だが、このイメージには「酒を醸造(つく)る」という文章を当ててみた。

ほとんどイラストになってしまっていて、こうなると、モノタングルというより、ZIA(Zentangle Inspaired Art)だが、こんなカードみたいなものが100枚あれば、オラクル・カードのデッキのようなものができるのではないか……と思っている。

オラクル・カードなら、たとえば「酒を醸造(つく)る」という文言は、「丹精込めて作り上げたなにか」とか、「好きなことに没頭する」といったような意味になるかもしれない。どう読むかは質問の内容によるし、占者の自由でもある。

……にしても、先は長い。

まず100枚描かなければならない。
カードにするのはコストがかかりすぎて無理だろう。
冊子にするにしても、それなりに手間はかかる。

それ以前に、まず自分で使ってみて、曲がりなりにも、テストしてみなければならない。

放り出さずに続けたとして、また1年くらいかかるのだろうか。

PS.
全てではありませんが、描いたタングルは、ときどきpxivに載せています。
そうでもしないと続かないからです。
ご笑覧いただければ幸いです。
→こちら
 

遊星出版のホームページが、以下のように移行しますのでお知らせいたします。

2025年9月30日まで
旧 →こちら(http://athome.la.coocan.jp/)

2025年10月1日から
新 →こちら(https://sites.google.com/view/yuusei-press)

プロバイダのサービス終了にともなう移行ですが、nifty様には、この場を借りて御礼申し上げます。今までありがとうございました。

この記事をアップした時点では新旧両方ともアクセスできますが、2025年10月1日からは旧サイトはアクセスできなくなります。
現時点では、新サイトは、まだ検索にはヒットしませんが、数日~数週間で検索に載ってくる予定です。

新サイト、旧サイトともに内容は同じですが、移行にともない、易システム関連ドキュメントの公開は終了します。

今までありがとうございました。
そしてこれからもまた、よろしくお願いします。

※遊星出版書籍をお買い上げの方々へ

「六十四卦夜話」までの、すでに作成済みの書籍の奥付には、旧サイトのurlが掲載されていますのでご注意ください。


ゼンタングルは、アメリカのマリア・トーマスとリック・ロバーツによって創始された、瞑想的なアートワークです。

タイルと呼ばれる9cm四方くらいの白いコースターのような厚紙に、ミリペンでパターンを描き込んでいくワークで、絵ではありませんが、絵のように描くこともできます(Zentangle Inspired Art)。

ゼンタングルに出会ったのは、かれこれもう10年前になります。
休日の午前中だけでしたが、さとういずみさんのワークショップに参加して、いろいろ教えていただきました(後日、渡すの忘れた!と、修了証をUS CAのご自宅から送ってもらいました)。

 

そのときのお話は「ゼンタングル!」→に書きましたのでよろしければご参照ください。


さとうさんが書かれた「はじめてのゼンタングル→」(自由国民社2014)という本は、ぼくにとっては今やバイブルで、イベント売りしている自作本→の挿絵はほとんど、ゼンタングルのメソッドが基本になっています。



【「初学者のための魔法の基礎→」(校正中)の挿絵】

そのあと、「小さなピースで楽しむゼンタングル→」(同2018)という本が出ました。この本では、レイキュラと呼ばれるグリッドに、フラグメントと呼ばれるシンプルなパターンを繰り返し描き込んでいくメソッドが紹介されています。人によって合う合わないがあるかとは思いますが、個人的にはおもしろいと思っています。描いているとクラクラしてきます。


【「六十四卦夜話→」のインデックス。フラグメントの応用】

それから、出版という意味では長い沈黙があって、ついこの間、新刊が出たことを知って「あなたの才能が開花するゼンタングルアート→」(同2024)を買いました。

実に6年ぶりのこの本は、またふたたび原点回帰した感じでもありますが、パターンのアレンジ(エンハンスとタングリエーション)が中心です。

よく見てみると、「はじめてのゼンタングル」で紹介された基本パターンも、10年という年月を経て、パターン自体がバージョンアップされていたり、名称がちょっと変わったりしています。

「はじめてのゼンタングル」で紹介されていたパターンを刷り込んでしまった身からすると、アレンジのアレンジみたいに見えてしまいますが、まあ、それはそれで……変化しないものないというのは易の法則でもあります。もちろん新しいパターンの紹介もあります!


【Hollibaughのタングリエーション。道幅を変える、間の黒にグレイを交える】

ゼンタングル三部作ってことになるんでしょうか。

続きが出るのかどうかはわかりませんが(本を作る側はものすごく大変だと思います)、いずれも黒を基調としたシックな装丁がシャレオツな本です。

 

もちろんこれからゼンタングルをやってみよう! という方にもおすすめです。とりあえず最新刊、「あなたの才能が開花するゼンタングル」が、いいんじゃないでしょうか。

いずれにしても、ぼくにとっては、「はじめてのゼンタングル」に載せられた100パターンは、俳句の季語集・歳時記、あるいはゼンタングルという言語の辞書のようなものです。

俳句は作れませんが、ゼンタングルなら、ぼちぼち描いていけるかな。

ではまた。
 

 

夏の日暮れ。

「うつくしい」はあります。

「うつくしい」と思う自分がいません(ま。忘れてるだけでしょうが)。

この本に書かれているのは、自分がなくなると、「うつくしい」はもとより、怒りや不安が、きれいさっぱりなくなる、と、いうことでは……なさそうです。

不愉快もイライラもあります。
あらわれてはきえていきます。

道(タオ)の働き?

著者なら「エネルギーの収縮」というかもしれません。

喜びや心地よさ、怒り、イライラなどの感情はある。したがって、それらを感じる自分もまだある。だから、まだダメだ。なぜなら、自分があるのだから……というロジックに陥りそうですが、そうでもなさそう。

自分は実在しない。
それだけのことのようです。

目先の損得ではありません。
よくもなく、わるくもなく。

メリット、デメリット、エビデンス、コスパ等々というコトバで説明される世界からは推し量ることができません。

同じ世界なんですがね。

たぶん。
 

本だったノートだったノート」という記事を書いたのが去年の10月も終わる頃。

雑記帳を作りました~って話。

「目下のところ詩(の原石)を書き付けています」などと、気取ったことが書いてありますが、ただ漫然と、詩(のようなもの)をメモっていっても仕方ないかなあ、とも思ってました。

ある程度、テーマを決めた方がいい。

思いついたのが……

 

書いている人間は、占い師でも魔法使いでもない上に、さらなる誤解を与えそうな、「初学者のための魔法の基礎」というタイトル。

理由にはならないけど、文フリでは「自らが文学と信じるもの」(イベントのキャッチフレーズですね)を売ってるんだから、「自らが魔法と信じるもの」をテーマにしたっていいんじゃないか……

 

ってことで、早10ヶ月近く。

内容は、決して指南書ではなく、詩とエッセイの混在で、ビブリオマンシー(書物占い)としても利用できるように、ちょっとした工夫をおまけでつけたものです。

校正のための印刷ができました。


【本だったノートだったノートは 300ページほぼ使い切りました (没原稿も含む)】


カタチになると、やっぱりうれしい。

だもんで、こうして記事を書いているのですが、肝心のブツの方は、ジョーンズの書籍出版の法則(*)に従って、まちがいだらけ。

画面上ではさんざん確認したはずなんだけどな。
どうして、紙で確認すると新たにミスが出てくるんだろうな~

しかも、ぞろぞろ。

トツキといえば子も生まれそうな期間です。

地平は遙か彼方にあって遠いぜ……などと、カッコつけて(誰も見てない)思っていたら、アンクラの第2回が開催されるという知らせが入りました。



アンクラは、アンダークラフトマーケットの略で、自分で作ったものを自分で売る、スチームパンク系のイベントです。

そうだ、このイベントでのリリースを目指して作ろう!

ということで、また校正に入るのでした……

クラフト系のイベントなので、ブックケースを自分で作ろうと思い立ちまして、現在試作中。



ご自分で手を動かしてみたことがある方は、おわかりになるかと思いますが、箱って、単純なようでいて、いい塩梅のサイズで作るのは存外むずかしいものです。

いろいろな商品パッケージを見てもわかるとおり、日本の紙工技術は世界でもトップクラスですが、プロの製品のようにはいきません。
どうしても手作り感は残ります。

ご容赦。

イベントの件はまた別途、このブログでお知らせします。

ではまた。

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(*)ジョーンズの書籍出版の法則
マーフィーの法則のひとつ。マーフィーの法則の基本は「失敗する可能性のあるものは失敗する」。他の法則は、すべてそこから敷衍されたもので「洗車をすると雨が降る」などもこの類い。ジョーンズの書籍出版の法則は「出版されるまで気づかれないまちがいが必ずある」。
 

 

電車から降りると眼鏡が曇る。

この時期になると思い出すのは、町田洋さんの「惑星9の休日」だ。その画の線の少なさは、あふれる光を連想させる。

夏は好きだ。

明るい光は……

潮風の香りにたまらず、海へ飛び出していったことや、

歳の離れた従姉妹たちに連れていってもらった、山の上にあったプールや、

自転車がブームになる遙か以前に、自分の給料で初めて買った本格的な自転車で、友人と山奥を走ったことや、

そんなものを連れてくる。

「砂の都」という作品では、記憶でできた都が砂漠を流れていく。明るい光であふれた砂漠を。

惑星9は義理の弟にやってしまった。
砂の都は珍しく何度か読んで売った。

シーブリーズを一本買った。

いつも、それがなくなる頃に夏は終わる。
 

 

 


角ハイ飲みながら、かっぱえびせん食べてたら、こんなのが出てきました。 

諸星大二郎さんのマンガで「不安の立像」という作品があります。

話は、通勤電車の車窓から見えるいつもの風景の中に、主人公が、ふと、黒い人影を見つけるところから始まります。

その影は、突然あられたわけではなさそうで、以前からそこにあったのだけれど、見慣れた風景の中で、いつの間にか無意識化されていたのでした。



この記事はポメラを使って書いています。
パソコンとちがって、ポメラを使っていると邪魔が入りません。

更新! 更新!
(レベルアップ? ダウン?)

買え! 買え!
(別にいらない)

メール! メール!
(大部分は詐欺と宣伝)

ID! パスワード!
(ええっと……)

 

ヤバイ! とにかくヤバイ!

(なにが……)

ざっと、こういうの↑がありません。

子供の頃、こんなことをいわれました。

「みなさんが大人になる頃は、技術が発達して、人は真に創造的な仕事に取り組めるようになりますよ」

たしかに技術は発達して、ビット単価は、あるかどうかわからないくらいになりました。

高速通信網はあっという間に広がって、机上論だったストリーミングや、サーバー・クライアント処理がふつうに行われています。

で?

しばらく使ってないと、思い出したようにログインしろといわれます。こっちはそんなこと忘れていますが……

OSのみならず、使おうと思ったアプリケーションは、立ち上げた途端に更新がかかったり、更新がなくても、プロファイリング情報の収集や、新製品のPRなど、先方都合の処理で、なかなか使える状態になりません。

挙げ句の果ては、自分のファイルシステムが暗号化されていて(セキュリティのため)、アクセスできなくなってしまったり……あたふたしたけど、なんか、創造的な仕事とは、ほど遠い気が……

発達した技術。


ハイパフォーマンスなリソースは、いずこへ?

「さてやろう」とした自分の仕事に到達するまでに、いくつもの関門があります。こういうのを「オーバーヘッド」といいます。

けど、人の環境適応能力はたいしたもの。
オーバーヘッドにすら、慣れてしまいます。

とくに日本人はやさしいので、力まかせにパソコンを殴ったり、暴動を起こしたりはしません。

「まあ……しょうがないか」

ため息。


【不安の立像(Geminiによる)】

線路わきに立つ黒い人影。

黙認しているうちはまだいいのですが……意識されなくなったらアウトでしょう。

それをいいことに、その黒いものはだんだん大きくなり、ついには空全体をおおう暗闇になってしまいそうです。

物語では、主人公に追われて、影は逃げていきましたが、追いかける主人公の顔も引きつっていました。

得体が知れなくてコワイというのもあるでしょうが、主人公の顔が引きつっていたのは、あの黒い布の下から出てくるのは自分かもしれない、という恐怖からのような気もします。

きっとその「自分」は、ガリガリに痩せ細って、今にも死にそうな青白い顔をしているにちがいありません。

そんな気がします。


これからさらに暑くなります。
季節にあわせての怪談でした。

読書日記のようになりつつあるこのブログです。

さて。

「ヴォイニッチ写本の謎」
ゲリー・ケネディ ロブ・チャーチル著
松田和也訳
青土社
2006年(2017年 6刷)

もとはBBCのドキュメンタリー。

こういう本はおもしろい。
なぜって、結論は決まっているからです。
どうせわからない。

刑事コロンボみたいなもので(古くてスミマセン)、コロンボのドラマでは犯人(結論)がわかっているところから始まります。
 

最初っから犯人がわかってたら、つまらないじゃん、と思われるかもしれませんが、コロンボがどう煮詰めていくかがオモシロイ。

で。ヴォイニッチ写本。
どう煮詰めるかですが、こんな感じ。

(1) 暗号。
(2) 実在する未知の言語。
(3) アウトサイダー・アートかもね。
(4) 偽書でしょ。

(1)は暗号学の基礎の基礎みたいな話から始まります。「サイファ」と「コード」のちがいなど、最低限のことを知っていないと、話についていけなくなるので、しかたありませんが、読んでいくうちに自動的に勉強させられます。

(2)最初その説を唱えた人が、批判を受けてポシャったそうですが、人工言語の可能性は残ります。

個人的に一番オモシロかったのは(3)。
 

アウトサイダー・アートって言葉は知りませんでした。


粗っぽくひとことでいえば、イッちゃった人がピーク時に描いた、あるいは書いた、絵画なり文章なのですが、その線でいうなら、ホゼ・アグエイアス夫妻のマンダラだって、ユングの赤の書だって、ライトランゲージだって、これに入るんじゃないでしょうか。

(3)の最後では、いわゆる偏頭痛にともなう病理について語られます。ここでいわれているのは、幻視をともなう強い心身症状を引き起こす頭痛で、芥川龍之介が悩まされた閃輝暗点という症状もこれにあたるのでしょう。龍之介の名前は出てきませんが、まあ、病理です。

 

偏頭痛から派生したイメージが、アウトサイダー・アートのソースになっていることもあるという話でした。

(4)は金儲けや売名のためのインチキ本ということ。
たぶん、コレなんだろうな、という気もします。

手前味噌で恐縮ですが、(3)と(4)の中間みたいな絵が「マギステリウム」という、拙作の絵本の中にもあります。
 

これを描いたときは、ヴォイニッチ写本のことはアタマにありませんでしたので、とくに似ているわけではありませんが。


遊星出版「マギステリウム」より。こういうのをジッと見るのは、だいたい男の人です】

著者のひとりが最後に書いていますが、ヴォイニッチという人物自身が、怪しくて、粗野で、礼儀正しくみえるときもあって、一歩違えば実は貴族で、詐欺師でペテン師みたいな稀覯本ブローカーでスパイ……という、かなりヤバい感じなので、あんまり関わりにはなりたくないけど、なかなか魅力的なキャラ。

 

ナインスゲートのコルソ(ジョニー・デップ)も思い出させますが、イメージ的には、もうちょいエネルギッシュなインチキ親父。

しかしまあ、これだけ多くの人たちが、これだけ長い期間、この写本に関わってるってこと自体、歴史の1ページといえそうです。

事ほど左様にですね……読んでいくにつれ、だんだん写本の内容より、その周辺ドラマの方がオモシロくなってくるという本でもありました。


翻訳ものになれていない方は、カタカナの名前が覚えられなくてメンドクセエとかいわれます。
この本では、おびただしい数の固有名詞が登場しますが、後ろに索引がありますので大丈夫。

ドキュメンタリーもいいけど、こういうのはなあ……
ヴォイニッチ主人公で、誰か映画にしてくれないでしょうか。


【ウィルフィルド・ヴォイニッチの紋章(同書より)】