アタマの大盛り | ぼくは占い師じゃない

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易経という中国の古典、ウラナイの書を使いやすく再解釈して私家版・易経をつくろう! というブログ……だったんですが、最近はネタ切れで迷走中。

諸星大二郎さんのマンガで「不安の立像」という作品があります。

話は、通勤電車の車窓から見えるいつもの風景の中に、主人公が、ふと、黒い人影を見つけるところから始まります。

その影は、突然あられたわけではなさそうで、以前からそこにあったのだけれど、見慣れた風景の中で、いつの間にか無意識化されていたのでした。



この記事はポメラを使って書いています。
パソコンとちがって、ポメラを使っていると邪魔が入りません。

更新! 更新!
(レベルアップ? ダウン?)

買え! 買え!
(別にいらない)

メール! メール!
(大部分は詐欺と宣伝)

ID! パスワード!
(ええっと……)

 

ヤバイ! とにかくヤバイ!

(なにが……)

ざっと、こういうの↑がありません。

子供の頃、こんなことをいわれました。

「みなさんが大人になる頃は、技術が発達して、人は真に創造的な仕事に取り組めるようになりますよ」

たしかに技術は発達して、ビット単価は、あるかどうかわからないくらいになりました。

高速通信網はあっという間に広がって、机上論だったストリーミングや、サーバー・クライアント処理がふつうに行われています。

で?

しばらく使ってないと、思い出したようにログインしろといわれます。こっちはそんなこと忘れていますが……

OSのみならず、使おうと思ったアプリケーションは、立ち上げた途端に更新がかかったり、更新がなくても、プロファイリング情報の収集や、新製品のPRなど、先方都合の処理で、なかなか使える状態になりません。

挙げ句の果ては、自分のファイルシステムが暗号化されていて(セキュリティのため)、アクセスできなくなってしまったり……あたふたしたけど、なんか、創造的な仕事とは、ほど遠い気が……

発達した技術。


ハイパフォーマンスなリソースは、いずこへ?

「さてやろう」とした自分の仕事に到達するまでに、いくつもの関門があります。こういうのを「オーバーヘッド」といいます。

けど、人の環境適応能力はたいしたもの。
オーバーヘッドにすら、慣れてしまいます。

とくに日本人はやさしいので、力まかせにパソコンを殴ったり、暴動を起こしたりはしません。

「まあ……しょうがないか」

ため息。


【不安の立像(Geminiによる)】

線路わきに立つ黒い人影。

黙認しているうちはまだいいのですが……意識されなくなったらアウトでしょう。

それをいいことに、その黒いものはだんだん大きくなり、ついには空全体をおおう暗闇になってしまいそうです。

物語では、主人公に追われて、影は逃げていきましたが、追いかける主人公の顔も引きつっていました。

得体が知れなくてコワイというのもあるでしょうが、主人公の顔が引きつっていたのは、あの黒い布の下から出てくるのは自分かもしれない、という恐怖からのような気もします。

きっとその「自分」は、ガリガリに痩せ細って、今にも死にそうな青白い顔をしているにちがいありません。

そんな気がします。


これからさらに暑くなります。
季節にあわせての怪談でした。