何も言わずとも
気づくためにどうあるべきか
純粋な内省が価値観になる
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和やかな言葉
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穏やかな動きは心を整えてくれる
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極限が日常になるとき
人は最後の最期になっても試されていると噛み締められたとき、他人には「極限」に見えるものがその人にとっての日常になっているに違いない。
いったい自分自身とはなんだろう?
出来事の意味は変えられる
と言うわけで迷い道から戻ってきたらお腹がグーと鳴っていた。道の駅にあるレストランで一息いれる。店員さんに道の駅の中にある遍路小屋でテント泊できるのかを尋ねると、「マナーが悪い人が多くなって今はできない」と。
「近くに宿はありますか?」と尋ねると親切な方で知り合いの宿にすぐ電話を入れてくれた。その宿は自宅を少し改良してお遍路さんが2人だけ泊まれる遍路宿、外見は一般宅だ。目と鼻の先には元総理菅直人さんも宿泊した宿があった。
黒光りしている石風呂はご主人手作りのものだった。石職人ではないご主人は趣味で洞窟に彫刻している人。奥さんは話好き。3人でテーブルを囲み話が弾んだ。奥さんからお孫さんがサッカーをしている話題が出てきた。
四国お遍路で唯一、私は自分の家族のことを話した。「僕には3人子供がいて皆んなプロサッカー選手になったんですよ」等々アットホームな雰囲気に口は滑らかになった。「どうしたら3人もが」と聞かれたので「彼らが自分で挑んだからですよ」と伝えた。四国から帰ると直ぐに私が執筆した本を送った。
道に迷わなければお会いすることのなかったご縁なのかもしれない。迷わなくてもお会いできたご縁なのかもしれない。それはわからない。もう一度お会いするための縁もあれば、二度とお会いできない縁もある。出会った意味さえもわからない縁もあれば、何も気づけないご縁もある。
縁の意味を深く感じとれたとき、そのご縁はその人の心の中を生き続けていくんだろうな。出来事の意味はいつでも変えられる。
自らの地図を作り、生かすために
札所近くにある宿に夕方4時ごろ着く。宿のご主人が玄関入るなり「今なら間に合いますよ」と声をかけてくれたおかげで重たい荷物を降ろして明日朝一で行く予定の18番礼所に行ってこれた。
朝起きると雪がちらついていた。気温は毎日10度以下それでも500mlのペットボトルが2本から3本はなくなる。歩いていれば湿ったグローブも湯気が出て温かくなるほどどっぷり汗をかく。雪の中、地図を出すのも億劫になり見ずに「遍路しるし」を見つけながら川沿いを歩いていた。顔にあたる雪が痛かったのを覚えている。吹雪いてきた。
先を見通すと人がひとり渡れる一本橋が見えてきた。渡りたい心境にかられた。橋には「遍路しるし」らしきものがあったような、なかったような。あとで知る「星の岩屋」「佛陀石」がある標高300mの山中へ吸い込まれていった。
雪山の中で3時間近く歩き迷ったあげく、ぐるっと回って振り出しに戻った。giveup寸前119番通報することも脳裏をかすめた。辛うじて舗装された道に出れた。それでも今いる場所が分からないから地図も読めない。GPS機能があるものは持っていない。分かれ道では立ち止まっては歩き出し、また引き返すことを何度か繰り返す。それでも理由もなく直感で意を決して歩き出した。しばらく歩いていると軽トラが止まっていた。いきなり「冷汗」と「暖汗」が混ざり合った。地元の方に道を聞いて難を逃れた。
始まりは地図を出さなかったことから。地図を見ていれば起きなかった出来事かもしれない。地図はあっても読めなければただの紙くず。地図はあっても読まなければこうなる。
おぼろげながら人生の地図を描いては消してと何度も書き直してきた。地図にないところを歩いたり、地図通りに歩いたりと。生きるには自らの地図を作ることから始まる。善心の地図も。
どこに終わりをおくのか。何を持ってよしとするのか。何を残したいのか。そういうと何か大きな地図のように思えるが小さくてもいい。大きさではない、中身だと今は思える。
外に関わりながら、外に向けていたエネルギーを内に向けると外は少しづつ変わり始めることに気づいた。内で描いた地図は何度でも書き直せる。その地図を生かすために善エネルギーを惜しみなく注ぐことだ。
心動いて、心止めて、さらに心動かせるように
訪れるお寺にある納経所はすべて朝7時に開かれ夕方5時には閉まる。歩き始まりは最初に訪れるお寺までの道のりを考えてその日のスタート時間を決め、歩き終わりは宿泊の場所か次に向かうお寺の場所で決める。基本は夕方4時以降、夜は歩かない。遅くても朝6時半までには出発すると決めていた。
8番札所では早く着きすぎて暗い寒い中お寺の駐車場で納経所が開くまで1時間以上も待った。止まっていることが辛かった。歩いていれば暖かいこともあるのだがそれ以外にも理由はあった。
山から抜け出して街中へと足を運ぶ。お母様を亡くされて区切り打ちで遍路をしている女性と宿で会話を交わしていた。泊り客はその人と私のふたりだけ。彼女はJR徳島線の駅近くにあるお寺で今回は終わる。他に何を話したかも名前も顔も覚えていない。歩く速さは私とそんなに変わらず途中まで気遣いながら歩いていたので歩き姿だけは覚えている。
彼女以外その日はお遍路さんを見かけることはなかった。人の行き来や車の往来という日常を目にしながら日常とは離れた自分を地図を見ながら思い出そうしているのだが。何度かJR徳島線をまたぐように西から東、東から西と踏切を渡ったその風景しか目に浮かばない。ただ時間だけが過ぎていったということなのか。それとも気づけていないのか。些細な出来事を心に印象づけるのは難しい。
私は「待つこと」が苦手な性分だった、というより「せっかち」と言ってもいいだろう。それでも「子を育むこと」と遍路を終えたことで「待つ身」を養えた気がする。
妻は「おしん」のように気長に待てる人だ。彼女は動画のようにストーリーを展開しながら途中で止めてまた動かせるように出来事を心に刻める。彼女には記憶が失せ難いからそのぶんよい気づきが隠されていると思う。
私は瞬間を捉えた写真のようなインパクトは持ち合わせているが、前後が繋がり難いぶん記憶が失せて気づき難いことがわかった。
それではどうするのか。
見聞きしたものを五感で心に語りかけ物語を作っていく。その都度印象深いものはしっかり心に焼き付けていく。写真のように瞬間止めたものは丁寧につなぎ合わせていく。
おぼろげなものは安らかに待つしかない。心動いて、心止めて、さらに心動かせるようにすれば、いずれよい気づきがあると信じている。