「ありのまま」でいいんじゃない -7ページ目

やってみたいことはやってみる

今までの「挑み」とは明らかに違った。何かを辞めてだとか、犠牲にしてだとか、追い込まれるような「負」をイメージするエネルギーを利用して身を奮い立たせることもなかった。だから、どうしても結願させなければという強い思いは抱かなかった。身の危険を感じれば辞める覚悟もあったから妻には「リタイヤする勇気はあるよ」と話してはいた。結願とは八十八礼所をすべて礼拝祈願することで、ちなみに私は全区間一遍に打ち上げる「通し打ち」に挑んだ。遍路が礼所を巡拝することを「打つ」という。

 

「最初からやめる勇気があるか、ないか、成し遂げるための鍵を握る」

 

そのとき子供三人全員が海外で日本語のないところで挑んでいた。彼らの気持ちに近づけるのでは、と勝手に考えたところもある。彼らとレベルや中身が違いすぎるのは百も承知だが、自立した彼らへささやかでも共感したいという思いもあった。それは「一緒に涙した、一緒に喜んだ」という経験がないに等しいからかもしれない。

 

子供の頃のように「やってみたい」という能が自然体になっていた。彼らとの親子としての節目がはっきりしたことで「自分にはできるのだろうかと思いながらも達成感を味わいたい、試行錯誤してでもやってみたい」という埃を被っていた冒険心と興味ごころが目を覚まし踊り始めていた。

 

そのとき自然体になれたのは、「ドイツへ行ってみたくて」50歳を過ぎて初めて海外を経験したこと、今まで妻任せなところを払拭してパスポート取得からすべて自分で準備をしたこと、そして一人でドイツポツダム駅に立っていたこと、それは、どうしようもなく追い込まれてやった経験ではなかったから。それは「俺でもできるんだ」という成し遂げた体験となった。端から見れば小さいようでも私にとっては大きい次への布石だった。そのことが私を遍路へ導いてくれた。

 

「やってみたいことはやってみる」

路を遍く

2年前の昨日、徳島の地に立っていました。一番札所である霊山寺から心身の修行の始まり。道中日記もつけることもなく、写真もほとんどありません。それでも断片的ではなく、ストーリーとして心を振り返ろうという気が起こりました。それは正岡子規が写生画から写生句につなげ、写生文へと展開しようとしていたことを知ったからです。それも最期まで。生を写す「写生文」という言葉が心に響きました。どのように展開していくかは想像もつきませんが、その時の心のゆれうごきを言葉に写して生きたいと思います。

 

最初に「へんろみち保存協力会」が出しているガイドブックのまえがきを抜粋しておきます。空海の史跡を尋ねて 四国遍路ひとり歩き同行二人 解説編(第7版)にこう書いてあります。

 

礼所間の空間を歩いて心身を養うために足で歩いて読む修行です。「安全、快適、能率、便利、利潤」といった現代の価値観にどっぷり漬かった生活から脱して四国の自然に身をさらし、「不安、危険、不便、不足、苦痛」を体験し、辛抱、我慢、気配りの努力で困難を乗り越え、くぐり抜け、時に心こもるお接待に感動し、「尊敬と信心、感謝と思いやり、我慢」という、人間にとって最も大切なものが呼びさまされます。道に迷うこと。つまずきは失敗ではなく、試練の機会です。

 

10kgを超えているリュックを背負い、「それじゃぁ、行ってくるよ」と言って歩き出すんですが振り返らず、海老名から徳島行きの夜行バスが出る横浜に向かいました。

家内はFBでこう呟いています。「また一人、挑む人を見送りました」と。

 

2014/12/12

 

 

 

親と子のほんとうの自立

人が属する一番小さな環境は家族です。幼子が生きるためには欠かせません。家族とは私たちにとってなんのためにあるのでしょうか。一番近くにいる他人の集まりが家族。

 

家族が順境の中にあろうが逆境の中にだろうが、自分の可能性を最大限に高めてくれるもの。そして、一番大切な愛を気づかせてくれるものだと思う。その人の経験の捉え方次第で未来は如何ようにでもなる。ただ、心の中にはその環境で刻まれたものが隠されていることがある。

 

思いを伝え合っていますか。

出来事の結びつきを考えていますか。

結果を素直に受け入れていますか。

 

一人ひとりが「考える、決める、やりきる」ことで家族が成り立っていくと思う。お互いが自らの経験を言葉にして表現するようになると親と子のほんとうの自立が始まると思う。

 

人間力

人間力とは「人と関われる力、生きる力」だと今は思う。

 

分け合う。

共に感じ合う。

 

人は人に支えられて、人を支えて生きている。

人はもう一人の自分と向き合って生きている。

人は心の修行をしながら生きている。

だから、今を生きよう。

 

人は自然と人に支えられて生きているのは確かなことです。それでは人を支えて生きているとはどういうことでしょか。人がただ直向きにまわりに目もくれず挑んでいるとき、その人は人に感動や勇気、希望を与えている。それがどんな小さなことでも。人は人を支えていることに気づけないことが多いかもしれない。

 

自分と向き合うとはどういうことでしょうか。それには自分に語りかけることで自分を知れるようになる働きがあります。「今は苦しいか、そうだよな」「もうちょっと、やってみるか」「あと少しだ、やるしかないな」などと実際に言葉にすると今の素直な自分が見えてくる。その先の行動は別として案外ゆったりと落ち着けるものです。

 

心の修行というと大袈裟かもしれないが。人の心は些細なことでも大きく揺れ動いてしまう。怒りは不安や恐れが形を変えたもので誰にでもあるものです。叱れる人、叱られても受け入れられる人になりたいもです。喜怒哀楽は生きる源。心技体、技術も体力も大切だが、やはり要は心。

 

過去を嘆き、未来を憂うのではなく、今を生きよう。

 

 

 

点と点が結びつく人生を

人は行動を起こした結果が新たな行動の「きっかけ」を生んで、一人一人の物語を自らが描いている。それが人の一生。目的を明らかにしながら生きていれば、始まるものがあり終わるものがあることを深く知ることになる。

 

新たに始めるものがあれば終わらせるものも出てくる。始まりから終わりまでが長いものもあれば短いものもある。終えた時それぞれが「点」となり心身に刻まれる。その「点」が濃く深く刻まれるものもあれば、薄く浅く刻まれるものもある。

 

人はそれぞれの「点」が時を経て結びつき、「かたち」となることを前もって知ることはできない。それはつながり合う結果を知る術がないから。「点」と「点」がつながり合うことにもし気づけたら、でも気づけないのが人生。思わぬところで「あ、つながった」と気づくことがある。

 

 

バランス感覚を育む

何事もある方向だけに極端に偏り過ぎればどうなるか。偏りすぎは元に戻すことのできない大きな歪みを生み出すこともある。固執した偏りも度を越せば時間の経過とともに事それ自体が悲鳴をあげて壊れることになる。偏りからある一定の距離感を保ちつつ視点を変えてみることで偏りではなく傾きになる。

変化の先にある進化を求めて一途に邁進したとき、一見すると一つの方向に偏っているなと見えてもバランス感覚があれば傾きに変えてくれる。右に左に傾きながらごく自然体で程よい痛みを伴いながら化けるシーンを随分見てきた。そして、偏りすぎてバランスを崩した失敗も多く経験してきた。

優しさと厳しさ、強さと弱さ、静かさと動き、乱れと定まり、柔らかさと剛さ、弛みと張り、top-downとbottom-upなどどちらか一方だけでなく両面で事が成り立つことが望ましい。偏らない根幹には何事にも耐えうる柔軟性がある。その幹からは枝葉
 として漲る自信とこうべを垂れる謙虚さが生まれ、どっしり地に根ざしたバランス感覚が育まれ磨かれていくのではないでしょうか。

自分に正直に生きていれば

バスケット同窓会の帰り道。恩師と入れ替わるように車内に乗り込んできた娘世代の女の子、いや男の子。彼女は男として生きる宣言をしていた。「まさかこんなところで」と正月に会ってからの再会にお互いに驚き合った。

2度目の会話とは思えないほどの間髪容れない「やりとり」が続く。人目も気にしない途切れることのない会話は久しぶり。湧き水の如く、出るわ、出るわ、言葉が溢れ出していた。話の中では説教も出なければ指示もない。あるのは私が経験したことを言葉にできるものだけだった。解釈次第では如何様にでもなるもの。

彼のように自分に素直に生きている人には「あれしたら、これしたら」は不要の長物。彼の聞き入れようとする器のおかげで私は自然体で気持ち良く言葉を連発していた。「会えてよかった」と心からそう思えた再会だった気がする。自分に正直に生きていれば、またどこかでこのような巡り合いがあるだろう。

叱り叱られ時が経つ

「本当にごめんなって」涙をこらえた父親の愛おしい声の震えに我が身を振り返る。「子供のためにと思って」と叱れる親、躾としての言動だからこそ紙一重で起こりうる子供の逞しさのあらわれ。叱ってみないとわからないことは山ほどある。「叱る側」も「叱られる側」も互いに心結びつくこともあれば、その時うまく結びつかいないこともある。

叱り叱られ時が経つ。生かされた命、家族にとって間違いなく身を振り返る貴重な時間になったでしょう。できることなら誰もが叱りたくもなく、叱られたくもないはず。常に投げかけられる「叱り」という育みのテーマ。生半可では「自己満足の怒り」になりかねない。真心で叱れる人は素直に非を認められる、謝れる度量があり、鋭敏な感受性の持ち主である。

「叱る」とは感情と理性の狭間を漂い整えながら黙していくことだと思う。叱る側は自らを律しているのか、叱るスタンスに変わりはないか、常に自問自答しながら悩み苦しむもの。人は人との関わりの中で行動の是非を問われ続けている。いくら年を重ねても叱る側にも叱られる側になりうる。「叱られて」人の関わりが深まり、時を経て有難いものに自然となっていくと私は信じて疑わない。

人を柔和にさせてくれる

人の怖さ、強引さ、切り替えの速さ、表現の豊かさ、待てる優しさ、無言の厳しさ、ゆるす優しさ、突っ撥ねる厳しさ、様々な私を見せつけた。そして、考えさせた。まだ8歳だけど一般的な子供もよりも自分で考えて判断して決めていく機会は圧倒的に多いだろう。「全て自分が決めていくんだよ」と、どうしても心に響かせたかった。

母親には最期間近に会う機会が巡ってきた。子がいる前で彼女は自身の生き様を語り始めていた。彼女の子への思いも私にぶつけるように語った。私は涙をこらえながら聞いていた。時間とともに生きたい力を帯びる彼女の表情に安堵な気になりながらも現実と交差した。「今日1日、今を精一杯生きるしかない。それしか僕は言えない」と彼女に言った。「そうだね、やるよ」と柔和な笑顔といっしょに返ってきた。

死を間際にした一期一会でした。とても貴重な時間、二度と訪れることのない時間、「私は彼女のために何ができるのだろうか」と考えたが、何も浮かばなかった。そのときも今も心の中にある、日々を精一杯生きるという思いを彼女にも感じてもらえたらという思いに辿り着いていた。ふと、ガンジーの言葉を思い出す。「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ」この言葉は人を柔和にさせてくれる。


両手に余るほどの経験値

いつかは来るとは分かってはいても寂しいもので、現役引退と聞いて幼い頃の娘を思い出した。あまり写真も撮らず、目に焼き付けたつもりの記憶もおぼろげで情けない親だと今更ながらに感じる。何一つ親らしいこともしてあげららず、ただただ「高みを目指せ」と言い続けてきたような23年間。

我が家は裕福でもなく、夫婦に高い教養があるでもなく、ずいぶん辛い思いをさせてきたと思う。猪突猛進で抑えが利かず無理もした。決してお手本になるような親ではない。心に大きな影響を与えすぎたよくないものは「愛と感謝」で削ぎ落として第二の人生を歩んでほしい。

親から子への負の連鎖、家族の格差は著しい。一つのことを極めよう、高い頂きに挑もうとすれば、生まれ育つ環境でその時々の犠牲も重荷も変わる。恵まれないのであれば、現況に耐えながら常識を超えるしかない。リバウンドも起きるが、両手に余るほどの経験値がそのリバウンドを遥かに超えていくだろう。