路を遍く | 「ありのまま」でいいんじゃない

路を遍く

2年前の昨日、徳島の地に立っていました。一番札所である霊山寺から心身の修行の始まり。道中日記もつけることもなく、写真もほとんどありません。それでも断片的ではなく、ストーリーとして心を振り返ろうという気が起こりました。それは正岡子規が写生画から写生句につなげ、写生文へと展開しようとしていたことを知ったからです。それも最期まで。生を写す「写生文」という言葉が心に響きました。どのように展開していくかは想像もつきませんが、その時の心のゆれうごきを言葉に写して生きたいと思います。

 

最初に「へんろみち保存協力会」が出しているガイドブックのまえがきを抜粋しておきます。空海の史跡を尋ねて 四国遍路ひとり歩き同行二人 解説編(第7版)にこう書いてあります。

 

礼所間の空間を歩いて心身を養うために足で歩いて読む修行です。「安全、快適、能率、便利、利潤」といった現代の価値観にどっぷり漬かった生活から脱して四国の自然に身をさらし、「不安、危険、不便、不足、苦痛」を体験し、辛抱、我慢、気配りの努力で困難を乗り越え、くぐり抜け、時に心こもるお接待に感動し、「尊敬と信心、感謝と思いやり、我慢」という、人間にとって最も大切なものが呼びさまされます。道に迷うこと。つまずきは失敗ではなく、試練の機会です。

 

10kgを超えているリュックを背負い、「それじゃぁ、行ってくるよ」と言って歩き出すんですが振り返らず、海老名から徳島行きの夜行バスが出る横浜に向かいました。

家内はFBでこう呟いています。「また一人、挑む人を見送りました」と。

 

2014/12/12