「ありのまま」でいいんじゃない -6ページ目

その価値観はどこを向いているのか

山間から街中が見えてきたときやっと一つ前に進んだなと感じた。ウキウキ気分で下っていくといつの間にか平坦な道を歩いていた。

 

 

3日目は初めての宿泊。宿にはその日の朝予約の連絡を入れた。繁忙期だとその日の予約はまず取れないそうだ。そうなると、歩きたくても歩けなかったり、歩けないのに無理して歩かなければならないことも起る。計画通りに進みたければ宿泊よりもテント泊が増えることになる。

 

冬季は人も少なく予約も取りやすいが気温が低いぶん背負う荷物は重くなる。春夏秋季は身軽だが予約も取りづらく気温が高いぶん暑さと昆虫類との戦いがある。どちらも一長一短。

 

歩ける体にするために夏場から歩き始めていた。何が役立ったかと言えば、自分の体が分かったことが一番の収穫。「どこに靴づれが起きやすいのか、どの部分にテーピングをするのか、どの程度の肉体的負荷に耐えられるのか、どこが弱点になるのか」などがつかめた。それでも歩く中で隠されていた沢山のイレギュラーはあった。

 

宿に着けばまず洗濯場を聞いた。宿泊以外は洗濯をしなかった、というよりできなかった。明日のために洗濯物を早く乾かさなければならない。「乾燥機はあるのか、なければ部屋に干せるのか、乾かすための暖房器具は使えるのか」宿に着くと真っ先に取り掛かることだった。

 

この先要らないと判断したものを宅配で宿から自宅に送り返した。持ってくるときも悩んで何度もリュックから入れたり出したりしながら選んものを。一度送り返せば二度と戻ってはこない。潔い決断が問われた。

 

重たい荷物を背負って使う可能性がないものをこの先持ち歩いていくのか、荷物を軽くして体への負担を少なくするのか。生きるとはまさにこのような決断の連続だと思う。結局は自分で選んで自分で決めている。

 

「潔さ」という言葉が好きで厳しい決断はしてきたつもりだ。人生を何度繰り返しても同じ決断ができるぐらいに心の内を整え続けていたいものだ。

 

他人がどう絡もうが、どう決断するかはその人の価値観。「価値観はどこを向いているのか、価値観の矛先がきちんと自分に向けられているのか」と問いかけ続ける。「退路を断つ」ような英断と言われる決断はその矛先を真正面から自分に向けてくれる。あとは真摯に受け入れる。心に落とし込んだかと、また、問いかけてみる。

 

 

 

 

 

過酷でも目先を少し変えるだけで

夕方4時過ぎ、山間は陽が翳り暗くなる一歩手前。地図にはあるが「ほんとにあるのか、なかったら最悪テントだな」と腹はくくっていた。下り坂の途中の少し凹んだところにログハウスのような休憩所はあった。安堵した。

 

この時期だからか誰もいない。10畳ぐらいの部屋が一間、座卓と数枚の座布団があるだけで暖をとるものは何もない。火を起こすものは持ち合わせていない。電気が使えないと思っていたらタイマーで管理されていた。着替えを済ませ明日の身支度を整えて手持ちのおにぎりとアクエリアスで腹ごしらえ。早々に座布団を敷いて-20度仕様の寝袋へ身を投げ入れた。温もりを感じるまでには随分かかった。部屋にある水銀温度計はマイナス5度をさしていた。

 

 

音も光もない闇の世界に身が吸い込まれる。まだ雨露しのげて静かに寝れるだけでも有り難いことだと思えた。これも初日でテント泊したから思えるんだろうか。もし宿に泊まっていたらどうだっただろうか。ぬくぬくと生きてきたわけではないので僅かなことでも「有り難さ」は感じ取れると思うのだが、「確かめろよ」と言われている。それを考え続けられるこの環境はやはり格別。薄ぺらな座布団でもふかふかだった。

 

人は「もっと、もっと」と欲が上乗せされればそのうち見境がつかなくなる生き物。「有り難い」には「生きていることは難しい。暮らしにくい。」という意味もある。不便だから、過ごし難いから、些細な不可欠な出来事に心身は喜ぶもの。輝きを失いつつあった木目を乾拭きして光沢がでるような感じだ。

 

難しいところ、厳しいところで無意識の中に飛び込んでくるものがある。暗闇の中で何かを感んじ取ろうとしても何もなかったような気がする。それは今だからわかる。このとき何を感じいていたのか。10万以上はあると言われているその人なりの価値観。自分の価値観から生まれる感情に自分自身が翻弄されることはなかったことだけは言い切れる。

 

過酷でも目先を少し変えるだけで暗闇に小さな光が灯る。その灯りを手がかりに歩むことで自らが選んだことだと自覚できる。いつか何かが変わっていることに気づくんだろうな。

 

余計な枝葉を削ぎ落としているか

山岳寺院札所の厳しい遍路道、お遍路さんを転げ落とすような急な登り坂を「遍路ころがし」と言います。平坦な道からいよいよ最初の難関、11番礼所から12番礼所までの山岳12.9 km。11キロの荷が肩に食い込む、無酸素ぎみで40歩を刻んでは15秒休んでの繰り返し。6つの坂で終わることを知らずに4/6という標識を見て「そうか6つの坂か」と気づいた。

 

終わりの見えない苦痛ほど辛いものはないが、それに等しかった。競技スポーツを通じて古きよき時代の心体の苦痛を味わったことはある。厳しくも優しい指導者のおかげで苦痛に免疫があるというか、慣れれているというか、不思議と心と体は覚えているもの。時計の針が止まって見えるぐらい「これでもか、これでもか」と追い込まれて反発しながら強くなっていった遠い昔を思い出した。

 

ここでの心境は追い込まれているのではなく、自ら追い込むというか、成し遂げたいなら当然でしょ、と苦痛を受け入れて前に進んでいる感覚に近かった。だから、負の感情は一切起きなかった。やらされている感覚がないから心が体を引っ張っているのは感じられた。体が心を引っ張って乗り越えたときとは違う。ある程度体を作ってきたおかげで、「辿り着きたい」という心の要求に体が応えながらさらに体が研ぎ澄まされていったような気がする。

 

汗だくで水分補給しては呼吸をした記憶と、緑豊かな自然が瞼に刻まれているだけ。1200kmという長い道のり、その日その日のゴールを決めて黙々と歩くだけだが、それでもこの日出会った人は覚えていた。地元の方とトレッキングしている人の二人だけだったからか。歩いて目的地に向かう、わかりやすい一途なことだから心の中には余計な枝葉は生まれにくい。

 

「心体にある余計な枝葉を削ぎ落としているか」これも終えて時間の経過とともにさらに問いかけ始めた。樹木の剪定のように果樹の生育や結実を促すためには欠かせない枝葉の削ぎ落とし。人も同じであることに気づけない、いや気づいていても目先の欲がそうさせない。この地に行くまでもを含めて余計な枝葉を削ぎ落としていかないと成し遂げられなかっただろう。自らを剪定するのは容易ではないことだとは思う。

 

 

 

いただいて有り難さを噛み砕く

遍路を終えて今頃になって氷が溶け出すようにじわりじわりと思いが流れ出す。遍路にいく前はなんと窮屈だったことか。頑固で用も足さない変なプライドを隠し持って振舞っていたことに気づく。素直に人の善意を感じ取ることができなかったり、人の考え方や価値観の違いを理解しようとしなかったりと心の潤いを妨げていたことが随分あったと思いを巡らしている。

 

人は「何事もどの様に受け入れるのか」を考えて生きている。理屈では分かってはいてもいざとなると上手に受け入れられない。腑に落ちることが多いのか、少ないのか、幅や深さはどうだ、と問いかけることはなかった。

 

「良薬口に苦し」とまではいかなくても、少しでも腑に落ちれば気持ちよく飲み込めるはず。尊敬や自分の置かれた立場への謙虚さが微塵もなければ「有り難さ」は生まれ難くなる。「いただいている」ことの「有り難さ」を肌感覚で味わえない心の潤いが枯渇した社会は寂しい。希少な機会に成りつつある自然との極限から「人との関わり」を学ぶことができるのも遍路。

 

「聞かずにやってみること」と「聞いてやってみること」のバランスがとれた「有り難さ」の源は自然との接点が教えてくれる。聞かずにだけではなく、聞けずにやらなければならないときもあった。自然は厳しくも優しく、人に何かを問いかけてくるもの。厳しくとも自分と対峙する空間を自らの意思で作ることで蟻の一穴のように少しづつ広がりをみせ、誰もが大きな展開が望めるようになると私は信じている。

 

「受け入れる」とは「いただいて、有り難さ」を噛み砕くことだと今は思う。

 

 

迷い疑うことから始まる

トレッキングシューズを履いてレインウエアーで身を固め、菅笠をかぶり白装束の上着だけを纒って杖をつきながら歩き始めた。頼りになる「遍路道のしるし」が見つからない。なかなか見つけられない。他に「お遍路さん」は誰もいない。人も歩いていない。「あってんのかな」と迷い、自分を疑うことから始まった。立ち止まって大まかな地図と方位磁石を見直しても半信半疑。ただただ、道なりに歩けばいいだけなのに。

 

これから先も迷いながら気づいたり、気づけなかったり。「うたぐる」と「信じる」で心を揺さぶられ続けるんですが。もしも沢山の「お遍路さん」がいる時期だったら、何も考えずに人に合わせて行ったのかもしれないなと思う。「何事も結局最後は自分で決めっているんだよ」と人にはよく言うが、普段の生活では他人合わせの色合いが濃く自分の力ではどうにもならないこともある。世間さまと関わることが極端に少ないこの場にいることで「迷い、決める」を積み上げていく過程がおのずとある。

 

 

迷いは「道のり」だけではない。冬季だから「生きる」を考えたときの「今日をどうするか、明日をどうするか、今をどうするか」全てが含まれている。人は疑い迷うことから遠ざかろうとするが、でもここでは逃げられない。準備した上での実践のスタート。「今までの人生でどれだけ迷って、悩んで苦しんで、それでも何を決めてきたか」を問われ続けていく。

 

迷い疑うことから始まる。

 

1日目は天然温泉御所の郷で心身を温め、公園近くのトイレ脇にテントを貼る。霙まじりで風が強く小物入れが吹き飛ばされてなくなった。人の気配を感じては身を固めることもあり浅い眠りだった。朝4時半には歩き始めて八番札所に向かった。

 

矛盾は調和の中において生かされる

「調和の中にはあらゆる矛盾が含まれている。そして、矛盾は調和の中において生かされる」意味深い言葉だ。日常の中で調和を取ろうとすると、どうなるだろう。心は「歪む」、それとも「制させる」、もう一つの「整される」なのか。

 

一番札所で遍路お決まりの金剛杖を買った。周りの所作をうかがいながら真似るしかない。礼拝を終え納経帳に印をいただく。一番札所は誰もが最初に訪れようとする処だけあってお遍路さん用記帳ノートが置かれていた。日付と名前とを記入する人、そうでない人もいるだろう。ことを起こす前に「記する」とはどういうことなのか。どういう思いが込められていたのか。今はもうわからない。ただ、「宣言した」という思いだけが頭に浮かんだ。

 

日常の中で「宣言」することは、「もう歳だからという思い、年甲斐もなくとも言われそうで」歳が経てば経つほど少なくなるような気がする。「歩いてはお経をあげ、また、歩いてはお経をあげる」日常ではない自分と日々暮らす地元の人々との出会いが始まる。そこにどのような調和が生まれるのだろうか、どう調和をとろうとするのだろうか。予想もつかなかった。ましてや考えもしなかった。「調和」が2年前に経験したお遍路の本質の一部なのかな、と今頃になって考える。まだまだ気づき切れないことがたくさんある。ほんとうに奥が深い。

 

妻との約束があった。それは毎日歩き終えたら電話を入れることだった。「ここで寝る、次の日の予定はここまで」を伝えたことで全行程が記録として残っている。おかげでそれを頼りに思い出して書くことができる。彼女は「明日はこのへんかな」と言えるまでになっていった。「言い出したらやる」私ですから彼女からすれば私は矛盾の塊のはず。妻あっての私は「矛盾は調和の中において生かされる」ことの一つだと思う。

 

道中「調和の中に含まれる矛盾」と向き合っていった。遍路の地だからなのか「スー」と落とし込めたこともあり、日常を思い出した途端落とし込めないこともあった。何度も繰り返しながら。

 

日々が「シンプル」であれば、「気づき」もまた「シンプル」で「ダイレクト」になるはず。

 

 

 

 

 

どこにでも日常がある

興奮と緊張で「うとうと」しては「目がさめる」ことを何度も繰り返していた。眠りは浅かったように覚えている。カーテンの隙間ごしに夜が白々と明けていく鳴門海峡を見て心が躍った。「いよいよ始まるんだな」という嬉しさが込み上げてきた実感を思い出せる。心の修行なのですが子供の頃のように「挑むワクワク感」がフラッシュバックし始めた。

 

予定より早く徳島駅に着いたおかげで駅で長く待つこともなくドンピシャのタイミングで予定していたのより早い電車に乗れた。車内は人もまばら他にお遍路さんは一人もいなかった。生まれて初めてきた四国の地、車窓からの眺めは新鮮そのもの、あっという間に一番礼所霊山寺のある坂東駅に着いた。この駅から帰ることになるのですが、「戻ってくるぞ!」という「りきみ」は一切なかった。小さな駅から静かな住宅街を5分程度歩くと目先にさほど大きくない門が飛び込んできた。

 

人として自分の発する言葉を心身に染み込ませたい思いがあった。家族への強い思いがあった。行える身体があること、行える環境に今いること、一番近くの理解者そう妻がいることに気づける。実に有り難い贅沢な修行であることは間違いない。

 

夏場の暑いさなから歩き始め、今は冬。「人間の魂、この世の中に修行に来ている。お遍路は世のため、人のためになる修行である。空間を歩いて心身を養うことに意義がある」と書かれている。よく聞く「同行二人」とは弘法大師空海と「二人で」という意味ですが、自分の心にある様々な方々と行く思いもある。合掌して門をくぐる。そこにも日常があった。

 

「日常と非日常の境、それを決めているのはあくまで心のうち」

自分の心を見つめ直すことから

リュックサックが夜行バスの大きなトランクへ投げ込まれたき、玄関の鍵をかけて出かけるような、鍵がかかったままの玄関が開くのを待っているような、そんな感覚だったような気がする。小学生のときの徒競走で自分が走る順番が近づいてくる感覚かな。

 

夜行バスに乗るのも初めてだったので乗り心地も何もかもわからない。眠れようが眠れまいが、何もなければ夜10時過ぎに出て翌朝6時半頃には徳島に着いている。左窓側の前から3列目の席だった。カーテンを閉め、車内も暗くなり「寝る体勢」をつくり目を閉じた。少しすると前方真ん中の席で小さな諍いが始まった。最初は小さな声がだんだん荒々しくなり、大きくなっていく。席を蹴る音も大きく響いた。それでも周りは何も言わない。結局、お互いが謝ることもなく静まりかえった。

 

「怒り」は心のコップから水が溢れるようなもの。お互いの「こうあるべきだ」をお互いが理解しあえれば収まるのだが。お互いが「許せる幅」が大きかったら何も起きなかったはず。その前にどちらかが反射的に「何も考えず言い返したこと」から始まったんだろうな。「ちょっと待て」と間をとる工夫が怒りをコントロールする第一歩。

 

このとき「人が怖い」と感じたのですが、この思いは遍路で何度も経験した。今思い起こすと「人が怖いこと、あるよ!」と言われたんだなと思える。人が人と関わると何かが生まれる。不安や恐怖なのか、それとも安らぎや和みなのか。自分の心を知ることや懐深く安定させることは容易ではないのですが、心には「ゆらぎ」がつきものであると意識して生きたいものです。

 

常に「自分の心を見つめ直すことから」

 

 

 

予想もつかない、それでもやれるか。

解説編とともに購入した地図編を読み、行程を何度もイメージすることから全体の日数を割り出していった。「どのぐらいかかるのか、そして、どうしたらできるのか」そこから、「自分がすべきこと」を明らかのしていく。

 

何も背負わず、7〜8kmの舗装された少々起伏のある道を歩き始め、裏山の標高260mの山道でアップダウンを積み重ねていった。体が慣れてきてから2kg、4kg、6kgと背負う重さを増していった。遍路はコンクリート舗装路が80%、山道等舗装さていない道が20%の割合。一時間に歩ける距離と自分の「一日歩ける距離」で大まかな日数が決められる。ちなみに私の最速は時速5.5kmだった。

 

5:30起床、6:30出発、16:30終了をベースにした。1日/30km〜35km歩いて35日から40日、時期は12月中旬から1月中旬で結願するとはじいた。この時期は人も少なく混雑もない。「通し打ちの人」と出会うことはほとんどなかった。2月に入ると宿もほとんどが休業に入る。この時期を逃したら無理だなと準備が進む中で感じた。

 

同時に全行程で衣食住も考える。宿泊だけではこの行程は完結できない。必然的にテント泊が必要になり、夏に一人用テントと冬用の寝袋(-25℃対応)を購入した。自宅のウッドデッキで何度もテント泊を体験してから、自宅近辺を20km歩いて川辺でテントを張った。予算の都合上装備は機能性が少し劣り軽量ではない安価なものに。背負う総重量は11kgを超えた。

 

予算は全てで30万円と設定したが下回った。往復の夜行バス2泊、宿泊18泊、テント泊18泊、38日で全行程を納めた。スタンプラリー的な感覚は持ってはいなかった。本堂と大師堂でロウソクに火を灯し、お線香をあげ、お経を唱える。毎日同じことの繰り返しの中から心身がそぎ落とされていく感覚は日常では味わえるものでない。がしかし、準備することの中で自分に嘘はつけなくなっていく。自分に正直になっていく。変なプライドも欲も消え失せていく。「ほんとうにやりたい」にどんどん近づいていく感覚があった。最後はやっぱり苦しくてもやりたいかどうか。

 

あえて情報を抑えた。ネットから引き出せる情報を最小限にしたつもりだ。経験をつまらないものにしたくはなかった。知らないことをどう解決して前に進むのか、そこだ。今まで積み上げてきた経験で試してみたくなるのだが、どうにかなるもの、どうにもならないものもある。雪山で迷い、人に会えて命拾いしたこともあった。人との関わりなしには前に進むことができないことも多い。独り身を自然に委ねるしかないこともある。

 

電車に乗り込み横浜へ向かう途中、師走をいく疲れたサラリーマンらしき姿が目に入る。「もし逆の立場だったら」どう思うだろう。「わざわざそんな苦しいのやるの」「いいな俺も行きたいな」どっちだろうか。知らないことは知りたいから「俺もやりたいな」と思うだろうな。

 

「予想もつかない、それでもやれるか」

 

 

問いかけの始まり

今までの経験から言えば「やらなければ」という思いが強い中で、いくらことを成し遂げても達成感や幸福感は思ったよりも小さい。そのときの思いそのものに白黒つけるのは難しいけど、できたら純粋にやってみたいことを躊躇せずにやって、成し遂げることに矛先を向けるべきでだろう。そういう思いを成し遂げた経験があるか、ないかで、その先の人生の捉え方は随分変わると私は信じている。それが大きくても小さくても。

 

「挑みのための準備は自らへの問いかけの始まり」

 

一人で冬の四国を歩いて一周するわけだから、「やりたいからすぐやれる」という生半可なレベルの話ではない。「生きている」ことと真正面から向き合わなければならないことの連続。まず、「どうすればできるか」を考えた。「いつ行くのか、いくらかかるのか、どう体を鍛えるのか」一つ一つ空いているマス目を埋めるように準備を始めた。どれ一つ頓挫しても四国の地には立てない。ある意味最後は「天命」に委ねるしかないと思った。深夜バスの乗り込んで一番礼所に着いてやっと「やらしていただける」と実感した。

 

ちょうど6ヶ月前の6月にテレビで高校生が遍路に挑んでいるシーンが目に入ったとき「正面から立ち向かう経験がしたい、生きるという言葉を心身に刻みたい」と思った。これも動機の一つ。この番組を目にした時期がちょうどいい準備期間を与えてくれた。身体的に言えば、四国に行くまでの6ヶ月間ですでに1200kmを歩いていた。

 

私は自分自身を信じれるものを欲していたことに気づいた。日常の中では純粋に自分を信じ切れる経験を積んできていないと感じていた。どこかに違和があり、どこかに濁りがあり、無垢ではなかった。問いかけてみてこの機会を待ちわびていたんだなとしみじみ思った。

 

「準備の中で心に根づかせたものは何だったのか」