背負うものがあることに感謝
12/30(火)18日目は宿を起点に戻り打ち。宿の女将さんは事故で半身麻痺が残り思うように体が動かせない。お遍路をする人も少ないこの時期ましてや年末、断られた宿もあった。素泊まりならと言われたが、それだけでもありがたかった。
昨日は近くに飲食店も何もないので車を借りて買い物に行こうとしたら、旦那さんが少し離れたスーパーまで軽トラで買い出しに連れて行ってくれた。そのとき、奥さんの事故の話を聞く。奥さんは事故が起きるまでは意気揚々にもてなしをしていたそうだ。
朝食をとろうと椅子に腰を下ろすと前日に私がテーブルの上に用意をしていた朝食の中身が減っていた。前日の夕食は会話を楽しみながらつまみ食いをされたが、何も言わず食事をすませた。ピンときたが真実はわからない。
必要なものだけをショルダーバッグに詰め込んで宿を出る。最初は身軽さを感じていた。2連泊のため初めて重い荷物は背負わずすんだ。旦那さんから海岸へ出る道を前日聞いていたが、本当に遍路道はあるのかなと思いながら海岸を歩くと、あしずり遍路道の看板にホッとした。
「となりのトトロ」に出てくるような道を歩いた。
第38番礼所の拝礼をすませて郵便局へ向かう途中にあった万次郎足湯。郵便局に用事がなければ行くことはなかっただろう。約150年前に「虎年の大変」と呼ばれる地震が起こり、温泉の湧出はストップしたそうだが、1989年に源泉掘削が行われて復活したそうだ。県の天然記念物に指定されている足摺岬白山洞門を見ながらまったりした。
冬とは思えない暖かさ。いつもより荷物は軽いのに背負いごごちがしっくりこない。片方の肩だけでしょってる分、バランスの悪さを感じながら宿まで歩いた。
背負うものがあることに感謝しなければ、背負いたくても背負えない人もいる。やりたくてもできない人もいる。ねじ曲げられた矛先を突き刺さしてきた自らへの戒めとして気づく。ひとつ学べた。
ちょっと、ひと休みしませんか
12/29(月)16日目、7時前に出発する。この日は決めていた宿に泊まるので歩く距離は20km程度と少ない。のんびり気分で歩いていると、わざわざ車を止めて男性が駆け寄ってきた。お接待をうけて四万十川をバックに写真を撮っていただく。四万十川は四国最長の河川で日本有数の清流。お遍路での全身写真は唯一これ1枚だけ、貴重なものとなった。2014/12/29
川沿いを2kmぐらい歩いて四万十大橋を渡ると雲から後光のような陽が見え始める。思わずシャッターを切った。
内陸へ入ると四万十市と土佐清水市をまたいで全長1620mの新伊豆田トンネルがある。そこはトンネルがないときには相当の難所だったようだ。1.6kmは車ではたいした距離ではないがトンネルの中を歩くとなると。マスクとハンカチで鼻と口を覆い歩き始める。各々の出口までの距離を示した標識がモチベーションを上げ下げしたが、陰の世界はさほど長くは感じなっかた。
トンネルを抜けると休憩所があった。ゆったり、のんびり、くつろぐ。ここから宿まで残りは約10km。この日は休息日のような感覚だった。二日後ここに戻り、ここを起点に土佐ノ国を抜けて井伊ノ国に入る。戻り打ち。
陰から陽へ懐に何かが染み込んでくる。この光景を眺めながらあと少し歩けば宿だった。13時に宿に着くが宿の方が誰もいらしゃらず、小一時間宿の前に置いてある椅子に腰を掛けた。待つも修行の一つ。せっかちで待てなかった自分を振り返る。休むということは待ちなさいと、待つということは休みなさいと、問いかけてみる。
ちょっと、ひと休みしませんか。
あらしはつよい木をつくる
12/28(日)16日目。7時前に歩き始め国道56号線を約35km歩き続けた。天候は曇りから小雨に変わっていった。昨日とは打って変わってどんより。昔ながらの遍路道と国道が何度も交差することで自らの不注意から・・・。
2時間弱歩いて朝飯。道の駅なぶら土佐佐賀でうどんをいただく。普段はできるだけ無駄遣いせず、無駄食いもせず、カロリーを計算して最小限のエネルギーを補給することにしていた。それでも道の駅は寄り道したくなる。
再び15km近く海っぱたを歩くといい言葉が目に止まる。休憩所の脇で見かけた石碑には「あらしはつよい木をつくる」と掘られていた。つい最近の新聞から北の斜面で春を待つ雪に覆われた福寿草は、陽を多く浴びたものより、茎は太く、花の色は濃いそうだ。
黙々と歩くことで心地よい気持ちになり、行くべき道を誤ることになる。二度目のコースアウト。自分が歩いているポイントを完全に見失う。地元の人に地図を見てもらいどうにかこうにか分かったが、まだテント泊できる場所は見つかっていない。暗くなる時刻が近づいている。テント泊できるところがあると信じて歩くしかなかった。
迷い立ち止まったところから2km程度ひき返すと駅が見える。行ってみた。古津賀駅の階段下が運よく屋根となった。近くにはトイレがあり自販機がある。「今日は厳しいかな」と覚悟を決めてただけに、まさか、こんなところがあるとはっという喜びが湧いた。手持ちの地図からこの環境は判断できない。詳しく下調べはしていないから、出くわすことは予想もつかないことばかり。見つけ出すとか、巡り会うとか、察知したり、予感したりと第6感が自然と研ぎ澄まされていく感覚はあった。
あらしはつよい木をつくる
雲泥の差を感じたから
12/27(土)15日目、朝7時前に宿を出て第37番札所に向かう。海から離れて木々の中を歩く。高低差があまりない穏やかな道を歩く。雨が降ると滝の流水で通行不能になることもある道を歩く。
約10kmの木々を抜けるとJR土讃線沿いのコンクリート道が現れた。線路沿いには柵もなく、遮断機がないところもある。幼少期のものが溢れていない古き良き時代がフラッシュバックした。その道を約8km歩くと標高300mにある岩本寺が見えてくる。
第36番札所から第46番札所は礼所間の距離が長く、遍路で最長10区間で約360kmを歩く。歩く、歩く、ひたすら黙々と歩く。
テント泊を想定した二つの休憩所がテント泊にはむかず、二度歩き直した感覚で先を目指した。地図上には遍路小屋だけだったが、なんと隣に道の駅があった。トイレもある、自販機もある。喜んだ。時計を見ると16:00時。もう、薄暗い。急いで小屋の中にテントを張る。雨を心配しなくてもいい。誰もいないから貸切だ。
普段の生活で些細なことでもここでは雲泥の差が生まれる。今いる環境では欠かせないものが、普段は意識しなくても手が届くところにある。屋根があること、トイレがあること、温かい飲み物が飲めることなど、当たり前がここでは当たり前ではない。だから、今ここにあるものの有り難味が身に浸みていく。寒くても暖は取れない。だから、自らの体温で自らを暖めるしかない。
雲泥の差を感じたから感謝と工夫が生まれた。
食わず嫌いに学びなし
14日目12/26(金)まだ暗い中、6時過ぎに第36番札所青龍寺に向かって歩き出す。門に着いたが誰もいなかった。
ここから来た道を戻りながら次の目的地に向かう。
喫茶店で昼食をとる。「どこからきたの」と店主、「神奈川から来ました」、すぐさま神奈川県にいる親戚の話が返ってきたことを思い出す。2002年から高知県須崎市の「かわうそのまちづくり」キャラクターとして活躍する2代目「しんじょ君」がこの写真。名前の由来は、最後にニホンカワウソが目撃された新荘川を「いつまでもできる限り美しく子孫に残しておきたい川」との思いとともに、信条と真情の意味も含めたとそうだ。ニホンカワウソは2012年に絶滅種指定された。
この先はしばし自然から離れ街中を歩くことになる。テント泊も8泊。ずいぶん板についてきたが、「寝るときもうちょっと断熱シートがあったらな」と思いながら歩いているとホームセンターの看板がが見えてくる。地図のコースから少し脇道に逸れて畳1畳分の断熱シートを買う。小脇に抱えながら宿へ向かって行くと再び磯の香りが漂い始めた。
宿に着くといの一番に洗濯場に。洗濯物を干し終わると断熱シートをテントの幅にカットした。これで地面から伝わってくる痛いような寒さに耐えれると喜んだ。残りは体に巻きつけるために胴体周りの長さにカットした。寝心地も随分変わると予想した。
さて、食事。宿での料理に鰹を期待していたがその年は鰹が不漁のため食べられず。見たことない魚が食卓を賑わしていた。肉食だった私が魚も食べれるようになったのは妻のおかげ。出されたものは全て完食。
生きることは「与えられるもの」と「求めるもの」とのギャップやすれ違いが多い。何事もうまく噛み合うとき、全く噛み合わないとき、どちらも、そのときにふさわしい自らの心が映し出されている。そのことから何に気づくかがその隙間を埋めていくような気がする。
食わず嫌いに学びなし
腹八分目に医者いらず
12/25(木)もあと少し、テント泊する竜の浜駐車場に向かう手前には宇佐大橋がある。 昭和48年(1973)に橋が開通するまで約400mを渡し船が行き来してたそうだ。橋を歩くと歩道の幅も狭く真下が見えるほどガードレールも低く、歩くための橋ではないことを実感した。写真を撮るのも怖かった。まっすぐ海が目に飛び込んできて吸い込まれて落ちるような恐ろしさが蘇る。宇佐大橋を渡り終えるころにはテントを張りたくなるような弧を描いた美しい海岸線が見えてきた。
我欲と葛藤したが、先に進むことが勝って通り過ぎることができた。それほど居心地が良さそうな海岸だった。こんな時でも欲が生まれるのが人間。成し遂げたいという大きな願いがあるのに欲張ろうとする。「千と千尋の神隠し」で千尋の両親が中華料理を食しながら豚に変わっていくシーンが浮かんでくる。
竜の浜駐車場は風が強かった。テントごと飛ばされそうになったのでトイレ裏脇のテントひと張りが入る隙間に位置を変えた。そこにはちょうど一枚の敷板があった。たぶんお遍路さんが何人も使っただろうなと想像していた。
想像を巡らすことで歩きながら楽しんでいた。ある意味孤独を満喫しているのだから楽しまなければもったいないのだが。毎日1回は妻への連絡があるから完璧な孤独ではない。それでも人に合わないと人はどうなるのか、人体実験だった。寂しがるのか、人恋しくなるのか、人懐っこくなるのか、どれも当てはまらない。ただ、一つだけ心動かすことがあった。それはテントの中で人の気配を感じた瞬間の恐ろしさだった。
自分と向き合うことでしか見えてこないものがある。どういう時に、何を感じて、何を思い、何に迷い苦しむのか、どうして迷うのか、向き合った時間に比例するかのように後になり明らかになっていくものは多いような気がする。
湯水のごとく心に湧き上がる欲に人は苦しめられる。せて、その欲どうするのかな?欲を満たしても幸せとは限らないと知ったとき、欲が欲でなくなることも知んだろうな。不安や恐怖も欲張ることから生まれているのかな。
腹八分目に医者いらず。
人事を尽くして天命を待つ
12/25(木)13日目、前日は種崎千松公園でテント泊。ご覧の通り最初は芝生の上にテントを張ったのだが、今までがコンクリートもしくは平らな板の上だったこともあり、柔らかくてしっくりこないので海岸際の石畳に場所を変えた。公園内には遍路とは関係なさそうなテントの張りが何個かあったのを思い出した。
ここで迷う。歩いて次へ向かうのか。それとも浦戸湾の渡し船を利用するのか。全てを歩き通したかったから最後までどうするか悩んだ。自然体で目が覚めてから急ぎばやに身支度をする。そして走り始める。歩いていたら間に合わない。もし6時40分の始発に間に合えば乗れということ、ダメなら歩けということだなと。船に乗るのと歩くとでは2時間近く違うのだが、成りゆきに身を預けた。どうしても乗らなければという思いもなければ、30分待って次の便に乗ろうとも考えなかった。
県営フェリー種崎渡船場のゲートは閉じていた。「間に合わなかったか」と腹をくくるとゲートが開き始めた。「乗っていいよ」と言われている感覚に喜んだ。乗り込めば自転車で通う地元の障害を持つ女の子と私だけ、話が噛み合わなかったことが残念だった。
後になって知るのだが、現在は浦戸湾の種崎・長浜間の渡し船が残るのみ。渡し船に乗っても徒歩で結願したとみなされるそうで安堵した。ちなみに渡し賃は無料。
人事を尽くして天命を待つ
千里の道も一歩から
12/24(水)12日目、宿の奥さんに見送られるなか、6時半に宿を発つがまだ暗い。タウンリュックに縫い付けたライトと道しるべを頼りに歩き出した。ここまでは雪や雨に降られたものの海岸端が平坦で暖かいおかげで概ね小春日和だったようなイメージが残っている。海沿いを歩けば太平洋側ということもあり海抜○○mという標識がいたるところにあった。四国お遍路は1200年間かけて築き上げてきた地域一帯・一筆描きの巡礼システム。2015年には文化庁により日本遺産として「四国遍路ー回遊型巡礼路と独自の巡礼文化」と選定されている。
畦道を歩けば、古い道しるべやお地蔵さんなのか、力尽きた人々の供養仏なのか、歪で石が朽ちてなんであるのかさえ判別できないものもあった。一瞬ではあったが、立ち止まり手を合わせては歩き続けた。自らが1200年もの歴史の一刻になっているんだなと思うと感慨に耽られる。何人もの先人達が道なき道を道にしてきたことに感謝の念を忘れてないけない。歩くことを続ける人が途切れることなく連なっている。歩く人を支えてくれる人が連なっている。歩きお遍路をする人は年間2500人〜5000人ともいわれている。
徳島県阿波ノ国は23の礼所があり約220kmを歩いてきた。高知県土佐ノ国は16の礼所があり約390kmを歩くのだが、すでに5つの礼所を参拝して約100kmを歩いているので四分の一は終えていた。ちなみに愛媛県伊予ノ国は26の礼所があり約360kmを歩く、最後の香川県讃岐ノ国は23の礼所があり約160kmを歩く。合わせて88礼所を遍く巡り約1200kmを歩く。
千里の道も一歩から。
急いては事を仕損じる
adidasの5000円程のタウンリュックはウエストベルトとボトルホルダーなどを自分でミシンで縫い付けた手作り品。完全な防水加工がされていないので防水カバーを被せているが、雨粒が大きければ中はびしょ濡れ。なので、中に入っているものはすべて小分けしてビニールパックに入れていた。携帯電話は2つ持っていった。通話のみと念のためにと持っていたiPhoneだが、WiFi環境もなく自動アップデートに悩まされ使えずじまい。位置情報は最初から使わないと決めていたので写真を撮るだけだったが、途中でデジカメが動かなくなり重宝した。
12/23(火)の宿泊は一般住宅を改装した遍路宿だった。他に男性客二人が宿泊していて夕食を共にする。宿屋の旦那さんは料理好きで元シェフ、奥さんは話好き。今ままでのお客さんの話が出るわ出るわ。外国の方の宿泊もあるということで800km歩くスペイン巡礼の旅を知る。それはサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路、おおよそ1ヶ月をかけてフランスを起点にスペイン北部をほぼ横断する800kmの道のり。
スペインで800kmを歩いて四国お遍路を経験する外国人が結構いて、歩きお遍路を終えた日本人がスペイン巡礼に行っていることも知る。心身整えば行ってみたいなぁ。
あとちょっと、88番札所に着く手前の山で歩き続けることができなくなり通し打ちを断念した人のことを奥さんが話してくれた。普段はほとんど人通りもないところ、運よく地元の人の軽トラの後ろに乗せてもらい病院に行けたそうだ。私が先へ先へと急いでいるように見えたんだろな。朝食時間と決めていた出発時間が同じなので朝食をキャンセルしたぐらいだから。
「急いてはことを仕損じる」
肝に命じた。






































