自分の心を見つめ直すことから | 「ありのまま」でいいんじゃない

自分の心を見つめ直すことから

リュックサックが夜行バスの大きなトランクへ投げ込まれたき、玄関の鍵をかけて出かけるような、鍵がかかったままの玄関が開くのを待っているような、そんな感覚だったような気がする。小学生のときの徒競走で自分が走る順番が近づいてくる感覚かな。

 

夜行バスに乗るのも初めてだったので乗り心地も何もかもわからない。眠れようが眠れまいが、何もなければ夜10時過ぎに出て翌朝6時半頃には徳島に着いている。左窓側の前から3列目の席だった。カーテンを閉め、車内も暗くなり「寝る体勢」をつくり目を閉じた。少しすると前方真ん中の席で小さな諍いが始まった。最初は小さな声がだんだん荒々しくなり、大きくなっていく。席を蹴る音も大きく響いた。それでも周りは何も言わない。結局、お互いが謝ることもなく静まりかえった。

 

「怒り」は心のコップから水が溢れるようなもの。お互いの「こうあるべきだ」をお互いが理解しあえれば収まるのだが。お互いが「許せる幅」が大きかったら何も起きなかったはず。その前にどちらかが反射的に「何も考えず言い返したこと」から始まったんだろうな。「ちょっと待て」と間をとる工夫が怒りをコントロールする第一歩。

 

このとき「人が怖い」と感じたのですが、この思いは遍路で何度も経験した。今思い起こすと「人が怖いこと、あるよ!」と言われたんだなと思える。人が人と関わると何かが生まれる。不安や恐怖なのか、それとも安らぎや和みなのか。自分の心を知ることや懐深く安定させることは容易ではないのですが、心には「ゆらぎ」がつきものであると意識して生きたいものです。

 

常に「自分の心を見つめ直すことから」