穏やかな動きは心を整えてくれる | 「ありのまま」でいいんじゃない

穏やかな動きは心を整えてくれる

二十二番札所で参拝を終えて海に向かう。
陽も落ち始め夕方5時を過ぎてテントを張れる場所を探しながら歩いていると、田井の浜駅近くにある海岸がいきなり現れて微笑んだこと思い出す。地図には海水浴場は載っていなかったから。公衆トイレの横にこの薄明かりのおかげでテントが張れた。写真で思い返しても「穏やか」な気分にさせてくれた海だった。
10年前に「穏やか」という字をほぼ毎日のようにTHREE YEAR DIARYに書き込んだことがある。「まあ、いいか」ではいられない。「これくらい、いいだろう」ができない。「ゆるすということ」という本を読んでから10年が経つが何度も何度も読み返してきた。ずいぶん時間をかけてここまできた。
 
「穏やか」でなければそこにあるものは「不安」や「怒り」の元がある。向き合いきれず、誤魔化したり、正当化したり、後悔したこともある。去年暮れにアンガマネジメントファシリテーター養成講座を受けた。「怒り」と向き合うことで、「怒り」の連鎖を断ち切ることで「穏やかさ」が育まれることを理論的に知った。
 
自分に対しての不満や不安は分かりづらく隠れている。日々日常のちょっとした仕草、「ドアを静かに開け閉めをする、ものを丁寧に置く」などに常に意識して所作を身につけていくとマイナスの感情は離れていくことに気づいた。丁寧な身のこなし、穏やかな言動は心を整えてくれる。合掌もそのひとつ。