《夕暮れ前の光に照らされて》
《箱根彫刻の森美術館》鑑賞記の後篇です。
ランチ後再び会場へ。
「くーた。飲んだ」 満足すた
フランソワ=ザビエ・ラランヌ、クロード・ラランヌ《嘆きの天使》(1986)
フランス人夫妻による合作。ユーモアと装飾性が融合した具象彫刻を手掛けた。2019年にクロードが最後に亡くなると、作品の多くはパリ装飾美術館に寄贈された。本作は自分の姿に恋焦がれて水仙に化身してしまった、ギリシャ神話のナルシスに擬えた天使の横顔。涙を流しているが、微笑んでいるようにも見える謎めいた大作。
続いてこれ。装置系の作品だ。
井上武吉《my sky hole 79 覗く穴》(1979)
「地下に降りるみたいだの」
前半で観た作品《my sky hole 84 HAKONE》が中空の立球体に穿たれた小さな穴を仰ぐものだったとしたら…
(再掲)
今度は地中の穴から外界を仰ぐという仕掛け。
ここで井上武吉(いのうえ・ぶきち)がどのようなアーティストだったかをおさらいしよう。
「ふむふむ」
★ ★ ★
井上武吉(1930‐1997)。奈良県出身の彫刻家、建築デザイナー。武蔵野美術学校卒。生涯を通じて金属を素材に造形を続けた。その井上が後年精力的に取り組んだのが球体だった。果たしてこの球体。なにを意味しているのだろうか。
美術愛好家であれば、このメタリックな真球を見て真っ先に連想するのはこれだろう。
(参考資料)
《my sky hole 85-2 光と影》(1985)東京都美術館
前川國男の建築ばかりに眼を向けがちだが、この作品こそ注目したい。通りがかる客の誰もが絶対にこの穴を覗く。だが制作者が誰なのか、なにを表現しようとしたのか。そこまで踏み込むひとは稀だ。
町田市の国際版画美術館に通じる芹ヶ谷公園にも同じ球体が設置されている。
(2022年8月28日撮影)
この日改めて穴を覗いた僕は、とある記憶に思考が飛躍した。
(以下参考資料)
それは三重県立美術館の前庭に設えられた耐候性鋼でできたスクエアな彫刻。球体ではないではないか。そう言われるだろう。しかし、表現の在り方と感性に共通するものがあった。制作者は間違いなく井上のはず。無造作に開けられた穴とスリット。初めて観たとき、なにかの策略があるに違いないと直感した。それは鑑賞者に生理的に訴えかけるもののはず。
覗いてみた。
やはり。
「なにが?」
ファルスを表しているね。これ。奥で凸面になっている鋼にスリットが写りこむという凝った仕掛けで。
「深読みしすぎやろ」
そうかな。ヒントが絶対何処かに在るはず。と裏面に回り込んだ。
間違いない。これは現代版の陰陽石だ。
制作者もタイトルも記されていなかったが、印象は深く記憶に刻まれた。もう15年以上も前になる。時代は便利になった。「井上武吉」「三重県立美術館」で検索した。現れたのは、やはりこの写真だった。
生命の神秘はつまるところ、ふたつの生殖細胞の結合に始まる。僕らもそうして生まれてきた。その生命もいずれ尽きる。だが、死は無ではない。分子化合物が水素と酸素と炭素に戻るだけだ。つまり、なにも無くなってはいない。井上武吉の表現は、生命の神秘と、その最小単位を抽象的に表すことにあったのではないかと。
「勝手に思ってますにゃ」
他方、作庭や建築の意匠設計でも多くの作品を残している。この彫刻の森美術館もしかり。有名な処では…
(参考資料)
建築家・村野藤吾の代表作でもあるウェスティン都ホテル京都の《哲学の庭》も井上のデザイン。因みに数寄屋の贅を尽くした同ホテル別館の佳水園は一泊20万円。僕ら庶民の手に届くものではないが。
「脱線しとるよ」
ということで早速入ってみよう。サブタイトルは《独りだけの旅》。誕生の瞬間は独りだ。
現代版胎内めぐりだね。
赤ん坊だった僕らが母親の産道を通り、初めて外界の光を仰ぐ瞬間を再現した。そう解釈した。
三島由紀夫は事あるごとに「産まれたときのことを覚えている」と周囲に吹聴していた。眉唾物だが、マザーコンプレックスの塊りだった三島の、歪んだ胎内回帰願望による記憶の捏造だったと思えば納得もいく。
ここから天を、つまり産道の外を覗く。なにが見えるだろう。出生を今かと待ち侘びる人々の姿か。だが、いちいち衒学的に説明されることは、井上自身も決して望まないだろう。飽くまで僕の戯言に過ぎない。
「おサルは単純に面白かった」
次はキッズ向けのアート遊具コーナー。
12個の四角なフレームが連続する。
松原成夫《宇宙的色彩空間》(1968)鉄・塗料
焦点におサル。
松本秋則《風の奏でる音楽》(1987)
松本秋則(1951-)さんは日本のサウンドアートの第一人者。36歳でここに作品を収めたのかと感心した。三年前に新潟・十日町の《絵本と木の実の美術館》の企画展で鑑賞したことをふと思い出した。松本さんが企てる音は、朴訥ながら、意想外の音とタイミングで奏でられる。つまり、活きている。箱根の丘は風もなく、聴くことは叶わなかった。あの日聴いておいて良かった。
妻の松本倫子(1973‐)さんも猫のほっぺをモチーフにした細密画を描く美術家。
こちらも機会があればぜひ観ていただきたい。
「アートの世界は無限だにゃー♪」
イサム・ノグチ《オクテトラ》(1973)セメント・塗料
四つ(テトラ)の八面体(オクト)。だからオクテトラ。建築資材も立派な遊具彫刻(プレイス・カルプチャー)に。
キミが入ってどーするの。
アリシア・ペナルバ《ハコネ》(1968‐69)
壁の飾りも…
有田暁子《足跡》(1971)
足跡も全部アート。
新谷琇紀《アルバ》(1972)
新谷琇紀(しんたに・ゆうき)(1937-2006)は神戸出身の具象彫刻家。金沢工芸大卒でイタリア留学ののちエミリオ・グレコに師事。作品の多くを神戸市内のパブリックアートとして鑑賞できる。主として女性の裸婦像を制作。イタリア人の妻パトリツィアがモデルを務めている。《アルバ》はとりわけ完成度が高く、捩れた肉体のリアリズムと、モダンバレエのような躍動感が素晴らしい。因みにalbaはイタリア語で“夜明け”。
マルタ・パン《浮かぶ彫刻3》(1969)ポリエステル樹脂・塗料
今年四回目のマルタ・パン。紅い浮体彫刻は初めて。しかもちゃんと水に浮かんで風に触れている。魚の頭かナッツの断面にも…いろいろなものに見える。作家の企みを探るのもアート鑑賞の愉しみ。
矢崎虎夫《能姿の空間(弱法師)》(1969)
能の演目《弱法師》から。盲目の弱法師(よろぼし)が梅の香りを愛でる場面。
(参考資料)
矢崎虎夫(1904-1988)は平櫛田中に師事した茅野市出身の彫刻家。
「でもハイパーリアルな田中ぽくないにゃ」
というのは60歳の時(1964年)に渡欧。最晩年のザッキンに学んでいるんだよ。
(参考資料)
矢崎虎夫《雷電像》(1966)
こういう作品には田中のエッセンスが現れているでしょ。器用だよね。
ジョアン・ミロ《人物》(1972)合成樹脂・塗料
ミロは絵画だけではない。彫刻、陶磁器など、広くチャレンジした。その姿勢はピカソに似ている。
後半の大物・ピカソ館に向かおう。だがその前に道中の彫刻にも注目。
エミリオ・グレコ《腰かける女 No.2》(1969)
ここはグレコの彫刻三体が集まる言わばグレコ坂。
エミリオ・グレコ《水浴びする女 No.6》(1962‐64)
このぽってり、ツルンとした皮膚の表現こそグレコ。
エミリオ・グレコ《うずくまる女 No.6》(1973)
「ちょっと触ってみたくなるにゃ」
ダメよ。
パブロ・ガルガリョ《預言者(大)》(1933)
ピカソと親交を結んだスペインの前衛彫刻家だ。
ピカソ館に到着。ただし、撮影NGなので取り立てて紹介できない。主に陶芸とオブジェ。若い時からずっと追ってきたのでいくぶん食傷気味。それでもじっくり見ちゃったけど。
屋外に出て驚いた。既に曇り空になっていた。考えてみればここは箱根。山の天気は変わりやすい。そんな当たり前のことを忘れていた。
まあいい。翳りを帯びた彫刻もまた彫刻。
岡本覚/ルクムエナ・センダ《妖精たちのチャペル》(2005)
ガラスアーティスト岡本覚氏とコンゴ出身のルクムエナ・センダ氏のコラボ作品。
リサイクルされた界面結晶化ガラスで構成。
宮脇愛子《うつろひ》(1981/2015再設置)
季節の移ろいを感じるこの時期、宮脇作品はひと際風景に馴染む。
さて最後の大型施設だ。
ガブリエル・ロアール《幸せをよぶシンフォニー彫刻》
ちょっと曇っちゃったね。ピカソ館の前に来るべきだったな。
高さ18㍍の螺旋階段を昇りながら、美しいステンドグラスを鑑賞。
森の知恵者ミミズク。
最上部から観たヘンリー・ムーアの作品群。ちょうど箱根は紅葉の真っ最中だった。
ヘンリー・ムーア《大きな糸つむぎの形》と《二つに分けられた横たわる像》
この作家は緑が似合う。
ヘンリー・ムーア《ファミリー・グループ》(1948‐49)ブロンズ
表情のある作品もあるんだね。ムーア自身が父親になった記念の作品。
アントニー・ゴームリー《密着Ⅲ》(1993)鉄
ゴームリー(1950‐)自身から型を取った。
「よく夜明けの新橋にいるにゃ。こーゆーひと」
行き倒れではないよ。地球の重力を表現しているんだ。ゴームリーは或るプロジェクトで一躍注目された。2013年に国東半島の霊山・千燈岳の切りたつ岩尾根の登山道に、やはり等身大(191m)の鉄の像を設置した。
しかし幾ら等身大とはいえ、相手は鉄。その重さは629㌔。どうやって運ぶのか。その前に地元からは「神聖な場所にわけのわからんモノを置くなんてけしからん!」と昔気質のおっさんたちに詰め寄られたらしい。なんとか理解を得るも、危険すぎてヘリコプターもダメ。そこで中継点を構築してワイヤーロープで吊り上げることになった。仏教にハマる外人の考えることは計り知れない。
普通鋼材でできた像は錆びるまま。いずれは朽ちて山に還るのだという。
こちらは田窪恭治先生の作品。ホールに展示されていた《オベリスク》の作者だね。
現在の田窪先生は廃墟再生をひとつの芸術活動として取り組んでいる。林檎の礼拝堂として知られるサン・ヴィゴール・ド・ミュー礼拝堂。今ならばクラウドファンディングなのだろうが、フジサンケイグループが寄附したというのがすごい。ここはその姉妹版。床の耐候性鋼が再現されている。
いよいよ見学も終盤。
ニキ・ド・サンファル《ミス・ブラック・パワー》(1968)ポリエステル樹脂・塗料
超大型パブリックアートの巨匠で、美貌の反逆児ニキの人生は(誤解を恐れずに言えば)作品そのものよりも面白いかも知れない。
キニ・ド・サンファル(1930-2002)。フランスの画家、彫刻家、映像作家。ファッションモデル出身でアートは独学。幼くして渡米。波瀾と狂気に満ちた人生のなかで、セラピーを目的に絵画に開眼。巨大作品ナナで注目を浴びた。
東京のニキ美術館が閉館したいま、国内における大型作品は(立川や津など地方都市のパブリックアートを除けば)ベネッセハウスとここしかない。だからぜひ観たかった。
イガエル・トゥマルキン《私の七本の知恵の柱-箱根へのオマージュ》(1992)
『智慧の七柱』はアラビアのロレンスこと、トマス・エドワード・ロレンスの著作。ロレンスは大英帝国の先遣隊として、アラブ反乱軍とユダヤ人双方に独立を約束。つまり(経緯はあれど)二枚舌を用いてオスマントルコ陥落に成功。結果的にその履行されない約束手形が、今の哀しい現代史に繋がっている。
イガエル(1933-2021)はドイツ・ドレスデン生まれ。ホロコーストから帰還したのち、芸術の道に進む。いずれの作品にも闘いと信仰への決意が感じられる。ただ、この作品は至って穏やかだった。
ということで時計を見れば既に15時半。6時間かけても完全には観きれなかった。腰が痛くなって挫折したというのが本当の処。でもまだまだ入場者がいるんだよね。
「陽が暮れかけとるわい!」 ったく!
ありがとうね。ワイン1本で許して。
さあ!あなたも彫刻の森においで!
(おわり)
ご訪問ありがとうございます。