箱根 彫刻の森美術館
℡)0460‐82‐1161
往訪日:2023年11月4日
所在地:神奈川県足柄下郡箱根町二ノ平1121
拝観時間:9時~17時(年中無休)
拝観料:一般1,600円 高大生1,200円 小中学生800円
アクセス:小田原厚木道路・箱根登山口ICから12㌔(約40分)
駐車場:三時間まで500円
設計:井上武吉
《丸一日いても飽きない♪》
ひつぞうです。11月初めの三連休中日に箱根彫刻の森美術館を訪ねました。高原にありがちなメルヘン系と決めつけていたのですが、実は国内有数の彫刻の殿堂でした。しかし、こんなに大人気だとは。以下、阿鼻叫喚の往訪記です。
★ ★ ★
今年のマイブーム。それは、和食、陶芸、現代美術、建築、そして彫刻である。10月に訪ねた吹田市の彫刻美術館スキュルチュール江坂で「箱根彫刻の森美術館がスゴイ!」と今更のように知り、ならばと晴天の日を狙うことにした。
そして、その日がやってきた。快晴予報は連休のど真ん中。一大行楽地の箱根だ。混雑は眼に見えている。しかし、ファミリー層に現代彫刻は縁遠いし、静かな芸術散歩はできるだろう。楽観した僕らは開場の午前九時に合わせて箱根の峠道を登っていった。
着いて驚いた。
「すっごい行列ができてゆ!」
宿泊前の時間潰しなのだろうか。しかし、一般料金1600円、小学生でも800円と決して安くない。なぜファミリー層が??
箱根彫刻の森美術館の開館は1969年。芸術文化財団とフジサンケイグループの共同経営である。メディアの力があってこそ、このコレクションが可能になったのだろう。
入場券を購入して、エレベーターで庭園に向かう。
(館内見取り図)
展示数1250点。ご覧のようにかなり広大だ。しかも、常設の本館ギャラリー、ピカソ館、マンズー・ルームまである。案内には鑑賞1~2時間とあるが、サーっと流して観ての話。本格的に鑑賞するとなれば丸一日は必要だし、それだけの価値はある。
「そんなに耐えらえない」 サルはワイン飲んでるだよ
どうやら、キッズコーナーが幾つかあるらしい。さすがフジサンケイグループ。そのあたり抜け目がない。
では観て行こう。
マイヨール《とらわれのアクション》(1906)
最初に出迎えてくれるのはマイヨールの大作。女性といいながら骨太で肉感的、まるでダビデ像みたい。
「腹筋と肩の筋肉を重点的に鍛えているにゃ」 負けんよサルも
そういう風に観るものじゃないけど。
※実はおサルの腹筋も割れている(本当です)。
岡本太郎《樹人》(1971)強化プラスティック・塗料
ホイップクリームみたい。
マリオ・マリーニ《戦士》(1959‐60)
マリーニらしく直線的なデザインとざらついた質感が特徴的。
ブールデル《弓を引く戦士‐大》(1909)
有名な作品。上野の国立西洋美術館の前庭にもあるからご存じだろう。あれ、おサルどこいった?
立っている場所が悪いよ…。
「わざとじゃないし」
そうだね。
マンズー《衣を脱ぐ(大)》(1967)
枯れ枝か襤褸のように儚げで、この世のものとは思えない雰囲気が漂う。マンズールーム(撮影NG)にはサンピエトロ大聖堂を飾る《死の扉》の習作などが展示。皆スルーしていくけどね。
土田隆生《風韻》(1988)
いい作品だ。
土田隆生《眩驚‐Ⅴ》(1990)
土田先生の作品って、なんか真似したくなるよね。これからの季節はうってつけ。
「セーター被って“モモンガ~”ってにゃ」 ヒツから聞いた
※昔、旧制高校で流行った遊びです。
カール・ミレス《人とペガサス》(1949)
カール・ミレスはスウェーデン出身のアメリカ人。高くてよく見えんな。ズームしてみよう。
やあ。立派なものだねえ。
「なにが?」
彫刻に決まってんでしょ。
人とペガサスは、座屈しないようにバランス計算して接合箇所を決めている。
ロダン《バルザック記念像》(1891‐98)
スキュルチュール江坂で鑑賞した習作の完成形だよ。真横から撮影するべきだったな。
「あの話?」 スキやのー、キミも
(ネットより拝借いたしました)
これだと判るでしょ。下品な意味ではなくて、ロダンは真面目な意図をもって肥大したバルザック本人の“欲望”をダブらせたんだ。
ジュリアーノ・ヴァンジ《追憶》(2004)花崗岩
懐かしい。クレマチスの丘のヴァンジ美術館が閉鎖された今、鑑賞できるのはここだけかも。この像は記憶の中の祖母。腕は自分のもの。
ヘンリー・ムーア《横たわる像:アーチ状の足》(1969‐70)
ムーアの代表作。
「ペガサスの方が目立つにゃ」
愉しそうだね。飼い主と戯れるワンコみたいで。
ジャン・デュビュッフェ《アルボレサンス》(1971)エポキシ樹脂・塗料
フランス語で「樹枝状」という意味だそうだ。
李禹煥《関係項‐A》(1979)鉄・石
言わずと知れたもの派の巨匠のひとり。一種の庭園美。
二コラ・シェフェール《空間力学No.22》(1954-80) ステンレス・鋼
まだ入場者が少ないので何処を切りとっても絵になる。
新宮晋《終りのない対話》(1878)鉄・アルミニウム・キャンバス・塗料
風の戯れが巨大なキャンバスの対話を促している。
ハンス・エッシュバッハー《フィギュールⅠ》(1969)花崗岩
具象から抽象に向かったスイス人彫刻家による《形態》シリーズの一作。寄り添い囁きあう三人の男たち。
マッチンスキー=デニングホフ《シュトルム(暴風)》(1980)ステンレス・鋼
ドイツ人の彫刻家夫婦による合同制作。
伊藤隆道《16本の回転する曲がった棒》(1969)ステンレス・鉄・モーター・塗料
モーター仕掛けで16本の曲がったSUS棒が回転。錯視によって遠目には左右に揺れているように見える。幼い子供が食い入るように見つめているのが印象的だった。将来大物になりそう。
流政之《風の刻印》(1979)花崗岩
原石を叩き割った時の“割れ肌”を活用。
「どこが割れた痕?」 そーは見えないけど
花崗岩だけに加工の跡が顕著だね。恐らく天端部のサイドでは?
後藤良二《交叉する空間構造》(1978)
金網格子にヒントを得たそうだ。
「眼がチカチカすゆ💦」
愉しそうに踊っているよ。
ジュリアーノ・ヴァンジ《偉大なる物語》(2004)大理石
またまたヴァンジ。力作。
ケネス・アーミテージ《両腕》(1969-70)
イギリスの彫刻家だね。初めて観た。抽象と具象が融合。どことなくユーモラス。
セザール《ヴィルタヌーズの勝利》(1965)
「なんと豊満な」と喜んで近づいたらセザールだった。こんな具象も制作したんだ。
「妊婦さん?」
かな。
でも細部は人造人間的。圧縮彫刻のセザールらしさがエスプリのようにささやかに。
目玉焼きのオブジェでできたベンチで休憩。実際はすごい人で撮影順番待ち。映える施設《幸せを呼ぶシンフォニー彫刻》などを綺麗に撮影したいのであれば、開場一番に撮ることをお薦めする。ファミリー層に大人気。
バリー・フラナガン《ボクシングをする二匹のうさぎ》(1985)
郡山市美術館の作品とはまた別のフォーム。
峯孝《プリマヴェラ》(1972)
昔、三船敏郎が「ん-寝てみたい」と決め台詞を吐くマルハチ真綿のCMがあった。峯先生の作品を観たら(いやらしい意味ではなくて)純粋に「抱きついてみたい」と思うはずだ。完璧なプロポーション、捻りをいれた艶めかしい人肌のニュアンス。ブロンズとは思えない神技の表現力。光線の加減も良かった。
「イヤらしくない以外にどんな意味が?」
美しいものや完璧なものって、なんか雑に扱いたくならない?
このS字状に捩じれた体幹がまたいい。
峯孝(1913‐2003)。戦後活躍した京都出身の画家、彫刻家。東京美術学校に入学後にブールデル、そしてその弟子にあたる清水多嘉示に師事。同じ近代彫刻の世界にありながら、新制作派(佐藤忠良、本郷新、舟越保武、柳原義達ら)とは異なる、装飾性を排した写実的作風を構築。武蔵野美大教授を務めた。
高村光太郎《みちのく》(1953)
「こっちはまた肉づきが豊かだにゃ」
肉体美の好みは十人十色。光太郎先生はルノワールばりの豊満な体を美しいと感じたんだろう。
水井康雄《五合目標》(1969)大理石
彫刻ってね、最後は対象(モデル)ではなくて、捏ねたり、彫ったり、素材との対話なんだって。
プレイスポットの《星の庭》と《ネットの森》。オッサンの出る幕じゃないかも。(ここが一番混雑していた)
「サルは迷路に入ってみゆ」
好いんじゃない(笑)。ちびっこいから。おサルは。
エトワールの周辺には新制作派の巨匠の作品がズラリ。
木内克《エーゲ海に捧ぐ》(1972)
茨城県近代美術館で撮れなかった作品も好きなだけ。
「サルもサルも」
マックス・ビル《パヴィリオン彫刻》(1969)白御影石
おサルは抽象彫刻苦手だよね。
「うむ。全然興味ない」 何言われてもへーき
なんか彫刻っていうより建築の匂いがしない?
「ぜんぜん」
スイス出身のマックス・ビル(1908-1994)はバウハウス最後の美術家で、最初はル・コルヴィジエの影響で建築家からスタートしている。なので彫刻よりも工芸の分野で広く実績を残したんだけど(ハンガリーのマルタ・パン同様に)高松宮殿下記念世界文化賞の受賞で、日本での認知度もあがった。その意味でこの文化賞は、20世紀後半以降の建築、彫刻、現代音楽といった、やや一般に馴染み薄な芸術家の紹介に貢献している。
フランチェスコ・メッシーナ《エヴァ》(1949)
フランチェスコ・メッシーナ(1900‐1995)は(名前から判るように)シチリア出身。戦前から知られていたが、マリーニ、マンズーなど、同じイタリアでも近代彫刻ほど話題にのぼらない。古典的で写実的な作風は“古臭い”と取られたのかな。
「なんかすごいのがあるよ!」
伊本淳《断絶》(1969)アルミニウム
現代的だけど僕らが生まれた頃の制作なんだね。人体や頭蓋骨のリアルなフォルムをアルミで造形。
死のイメージを喚起するよ。
「こっちは皆が集まってゆ」
球がぶらさがっているな。
井上武吉《my sky hole 84 HAKONE》(1984)
当館をデザインした井上武吉の遊び心ある立体作品。
自分が写ってる。当たり前だけど。
ポモドーロ《球体をもった球体》(1978‐80)
球体繋がり。エイリアンみたいだね。
ここからは小品を含めてドンドン行こう!
「数が多すぎる」
北村西望《将軍の孫》(1918)
こんな可愛い作品もあるんだね。馬と武人だけじゃないんだ。
高田博厚《海》(1962)
そうそう。高田の女性美はこの滑らかな肌が命なんだよ。
アギュスタン・アルデナス《休息する女》(1976)
キューバの作家だね。このあたりから第三国の彫刻家も。
本郷新《鶏を抱く女》(1962)
本郷にしては珍しい意匠性の高い作品。盟友・柳原義達風。
ザッキン《住まい》(1963‐66)
ザッキンはこうした後期作品の方が、温かみがあって好き。
フランシスコ・スニガ《海辺の人々》(1984)
コスタリカの彫刻家。作者自身もメスティーソなんだよ。アジアの血が入っているからか、僕らにも響くものがあるね。
朝倉響子《女》(1970)
朝倉響子(1925‐2016)先生は朝倉文夫のお嬢さん。頭の小さなスレンダーな女性が特徴。横浜の関内ホールの脇にも素晴らしい作品がある。
サンティアゴ・デ・サンティアゴ・エルナンデス《抱擁》(1966)
判らん。余りにつるりとしずぎて。良いのか。でも良いのだろう。ここにあるのだし。
ライナー・クリスタ―《大きな手》(1973)アルミニウム
ドイツ人彫刻家ライナー・クリスタ―(1935-2002)は抵抗や抑圧をテーマにしているそうだ。
「このあたりまでマイナーになるさすがに情報がないみたいにゃ」
なかなか大変だよ。復習が💦
多田美波《極》(1979)
やあ。多田先生の作品だ。知っている作家の作品だと安心できるよ。これは第1回ヘンリー・ムーア大賞受賞作。そういえば大阪のドーンセンターの前にも先生の作品があったな。大阪や横浜の大きなビルの前庭はパブリックアートの渉猟ポイントなんだよね。
ブールデルの大作四点が並ぶ広場だ。やっと半周してきた。これでもまだ半分だ。
おサルと比較すると巨大さが判るね。
まだまだいい天気。午後はやや曇りの予報。観きれるだろうか。
切り捨てる作品がほとんどなくて、カタログ雑誌になってしまった(笑)。
「お好きなように」 なんか飲もーぜ
田窪恭治《オベリスク》(1985)木・コンクリート・金箔・オイルステイン・コールタール
ここで一回昼食をはさむことにした。
パスタにハムの盛り合わせ。そしておサルの好物グラタンで。
「ワインはサンライズしかなかった」 ひとりで飲むしいいや
ま。美術館だし。
(後篇に続く)
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