旅の思い出「絵本と木の実の美術館」(新潟・十日町) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

鉢&征三 絵本と木の実の美術館

℡)025-752-0066

 

往訪日:2020年11月15日

所在地:新潟県十日町市真田甲2310-1

開館時間:10時~16時(10月~11月)(水・木定休)

入館料;(一般)800円(小中学生)300円

駐車場:20台ほど

※11月下旬~4月中旬まで休館となります

 

≪ただの流木も田島征三の色彩とタッチに≫

 

こんばんは。ひつぞうです。長らく書き続けてきた福島・越後の旅もこれで最終回。新潟市内を後にした僕らが最後に目指したのは十日町市のとある美術館でした。

 

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絵本作家・田島征三は僕を豊かな物語の世界に誘ってくれた恩師である。小学校に進学すると図書館で本を借りることを覚えた。しかし、科学少年だった僕は、まず何から読んでいいのか判らない。そんなとき、学友の一人が横長の変形大判の絵本を借りた。タイトルは『ふきまんぶく』

 

(画像はネットよりお借りました。ご容赦ください)

 

まず表紙の絵に圧倒された。子供の顔が植物のガクのようなものに包まれている。そのシュールな画像もさることながら、子供向けにしては土俗的でおどろおどろしいタッチ。お世辞にも美しいとは言えない。しかし、言葉では言い表し得ない魅力を感じた。

 

物語の舞台はとある山村。夏の夜空のもと、主人公のふきちゃんは、山のうえにそこだけ光る奇妙な何かを見つける。好奇心に駆られて、たった独りで山を攀じ登っていく。するとそこには露を被ったフキの群落があった。

 

 

ふきちゃんはフキと戯れ、フキに包まれて一夜を過ごす。娘の失踪に腰を抜かした父親は、山の中で寝入っている人騒がせな娘を見つけておぶって帰る。季節は移り代わり、山は葉が落ちて禿山となった。ふと、ふきちゃんはフキの楽園のその後が気になり、再び山に入る。彼女が山の上で見つけたのは…

 

 

可愛く中華まんのように膨らんだふきのとうだった。子細に観察すると、そこには無数のふきの子供たちが春の訪れを首を揃えて待っているのだった。

 

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ただこれだけの物語だが、子供だけに許される好奇心と豊饒な想像力の存在を強く感じた。遠くに見える異形の山巓に興味を抱き、その頂上に登ってみたい、そして、そこになにがあるのか確かめたいと感じる欲求。僕を登山に誘う動機とそれは似ている。画風は今思えば稚拙派の巨匠アンリ・ルソーを思わせる。絵画にとって美とはなにか。その回答は一筋縄ではいかないが、正確なデッサンと自然に忠実な光と色彩の再現だけではないことは、田島先生の絵の魅力を考えれば判る。

 

(ちなみにモデルとなった舞台は奥多摩の日の出集落。つまり東京都だった。「ふきまんぶく」というのは、フキノトウを意味するこの地方の方言なのだそうだ。)

 

では、田島先生の、もうひとつのスタイルを観ることにしてみよう。

 

 

絵本と木の実の美術館の存在を知ったのは、田島先生の最近の活動について、殆ど思いつきの好奇心から調べたことに始まる。そして、2009年越後妻有アートトリエンナーレに「空間絵本」というコンセプトで廃校になった小学校の校舎を作品として出展したと知った。先生は大阪生まれの高知育ち。新潟との縁は意外だった。その≪作品≫が現在の美術館である。

 

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十日町市中心部から信濃川を渡り、国道253号を走る。松代方面に向かって数度走った道だ。それをすぐに吉田公民館で左折して案内に導かれるままに山里に入っていく。鉢沢川両岸の急斜面は次第に狭まって最後は擂鉢状の集落に至る。まさに「鉢」というに相応しい最奥の集落だった。

 

 

失礼ながら意外にも集落の戸数は多く、今でも人びとの生活の匂いはしっかりしている。ただ、子供の絶対数は限りなく減ってしまったのだろう。真田小学校は2005年(平成17年)に廃校になってしまった。

 


開校は明治七年というから歴史は古い。過去八回の増改築を行ったという。

 

現在はNPO法人によって運営されている。施設内容に比して大人800円は高いかもしれない。だけど想像力のストレッチ料と考えれば、感性の錆びついた僕らには安いのではないか。

 

「おサルは感性の生き物だけど、ひつは理屈の生き物だからにゃあ」サル

 

ほっといてよ。今更変らんし。

 

 

まずは旧体育館に所狭しとぶら提げられた流木オブジェの数々。ただ拾ってきた木材に着色しただけなのに、まさに田島先生特有の筆のタッチに見えてくるから不思議。『ちからたろう』『しばてん』など、子供の頃に親しんだ人も多いだろう。多摩美術大卒業後に広告代理店に勤務。少し遠回りして、絵本作家の道に進んだ先生は、初期の代表作に関して悉く讃辞の嵐をうけた。だが、ひとつの不幸なできごとによって、いわれなき誹謗と不遇を得ることになる。画風は大きく変わることになり、試行錯誤が続いた。

 

(校舎に住み着いた想い出を食べるお化けトペラトト

 

そんな個人史を忘れたかのような、躍動感と童心に満ちた世界が、鉢集落の木の実アートで形作られていた。実際に絵本になった『学校はカラッポにならない』でも描かれたように、最後の在校生、ユウキ、ユカ、ケンタが学び、遊んだ物語の風景がそこにあった。

 

(ウミサキ先生は三人のアイドルだった)

 

 

「これはなんなのち?」サル

 

蒲の穂のアートなんじゃない?

 

「むひ~。判らんにゃ」サル

 

 

なんかメキシコのプリミティブアートっぽいね。

 

 

自転車をこげば中の木人が太鼓を叩く仕掛け。

 

 

長年のお勤めで少しお疲れのようです。動くけど。

 

 

動きのあるオブジェがたくさん。黒板の落書きは最後の在校生によるもの。

 

 

そういえば小学生のころ年表って作ったよ。グループ作業が苦手だった僕は、遊んでばかりでまったく役立たずだったな。NHK「小さな旅」は(僕らのお気に入り番組だけど)ここも取り上げられたらしい。判る気がする。

 

世界の大きな動きの中で、学校はすこしずつ小さくなっていったんだ。

 

 

今の日本には(僕自身が知らないだけで)人口減少が止まらない集落が沢山ある。だから、ひとつの集落の貴重な想い出の施設が、オブジェとして生まれ変わったことだけを喜んでも、根本的な解決にはならない。しかし、それは自然の形態の変化と一緒で、人間の暮らしも少しずつ変わらざるをえないのだろう。

 

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「絵本と木の実の美術館」には企画展ブースがある。このときは松本秋則倫子夫妻の合同展が開催されていた。

 

 

松本秋則さんは自動演奏のサウンドオブジェを手掛ける造形作家。竹の乾いた牧歌的な打音や、金属弦から発されるシタールのようなエキゾチックな音が、オブジェの動きとともに室内に静かに再現される。それがなんとも気持ちいい。誰もが確実に癒される。

 

 

松本倫子さんは秋則さんの創作活動を手伝うなかで知り合った。総合失調症の治療の一環として創作に携わるようになり、飼い猫ほっぺをモデルとした独特のサイケ調のデザインを施したオブジェを手掛けるようになったそうだ。

 

地方美術館の良さは偶然でしか知り得ない作家との出逢いにある。だから、ビッグネームに開花したときは本当に嬉しい。

 

 

至るところで作品のキャラクターであるヤギの“しずか”が草を食み、水を飲んでいた。

 

 

当初は先生自らがここに移り住み、子供という後進の育成に関わっているのだろうと勘違いしていた。しかし、先生は棲家に帰って作品だけが残り、作品の「原資」を与えた村そのものは次第に小さくなろうとしている。なんだか主不在の留守宅を訪ねたような、そんな錯覚を受けた。

 

 

最初は複雑な思いを抱きながら作品作りに参加した様子が伺える。

 

だが「絵本空間」の存在によって、真田小のかつての小学生たちの唯一無二の世界がここに生き続けるとともに、訪れた誰もが「失われた自分の記憶」を再び取り戻して、想い出に手を触れることができる。

 

 

田島征三と十日町の古い集落の記憶に触れて満足した僕らは、八箇峠を越えて、南魚沼の市街に戻った。薄雪をかぶった巻機の割引岳の凛々しい山巓を仰いで、夕暮れ間近な関越道を経て、帰途についた。

 

(越後の旅はこれにて終了)

 

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