【12】〈序〉K・ポランニー「政治と経済は本質的に宗教的/人格に関するテーマ」 |   「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!

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徳冨蘆花「謀叛論」を再発見してたら、
「ソクラテスの弁明」が、なぜ好きなのか、最近になって納得し始めた今日この頃です。

〈【前ページ】からの続き〉
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


後は野となれ山となれ
これが すべての資本家と、すべての資本家国民との標語である。
だから、資本は、
労働者の健康と需要とにたいしては、
社会によってそれにたいする考慮を強制されないかぎり、
何ら顧慮するところがない。
肉体的および精神的な委縮、早すぎる死、
過度労働の責苦などにかんする苦情にたいして、資本はこう答える、
この苦しみは、
われわれの楽しみ(利潤)を増すものであるのに、
それがわれわれをなんで苦しめるというのか?と。
しかし、大体において、このこともまた、
個々の資本家の意志の善悪に依存するものではない

自由競争は、
資本主義的生産の内在的諸法則を、
個々の資本家にたいして、外的強制法則として、貫徹させる
のである。”
(カール・マルクス【著】/エンゲルス【編】/向坂逸郎【訳】
『資本論 2』、岩波文庫、159頁)

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
【関連記事】
〇【61】(故)志賀 櫻 弁護士《クロダノミクス》批判~アベノミクスは「成功」というには無理がある

《『沈黙の春』“複雑性”と人間の限界性&人間の驕り》
【19-⑨】〈分業社会〉に突きつけられた《福井豪雪》【監視-AI-メガFTA-資本】
・【6】「土壌(地表)」――素晴らしき哉、この“複雑系”なる世界
・【12-④】《現代テクノロジーと効率主義による貧困と死角》【~監視社会=AI=メガFTA=資本~

《“複雑化”と”システム危機リスク”》
・【7-⑳】〈4d〉《私たちの驕り》と「自然観の変質」~ハンス・ヨナス《無限の円環》~

《ブラジリア症》
・【7-⑯】〈3〉理性の《限界、ブラジリア症》~ユートピア主義者たちの「完全な都市」の《誤算》~

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

次のページでのポランニーの叙述内容は、
先のポランニー「ファシズムの本質」と、
内容的に(本来の意味での)“符合・割り符”のように
有機的に繋がり合っており、
ポランニーの精神構造全体において、
それぞれ有機的に繋がり合っている部品のように
読むことが出来ます。

カール・ポランニーは、
次のページに見ていく未完成の講義原稿で、
彼が信仰するキリスト教に見る核心と、
同じく彼がマルクスの概念にみる核心とを、
講義参加者に向けて説くべく、論を進めています。
キリスト教の「核心」とマルクス概念の「核心」とを
それぞれ別個に紹介するのではなく、
ポランニーが〈キリスト教〉と〈マルクスの概念〉
それぞれに求める〈両者〉の「核心」どうしが、
人間の「人格」を交差点にして交差し合っている
のを、目にする事になります。

その証左として、以下に見ていくように、
この講義/原稿の冒頭は、
このような文章で始まります。

政治と経済は本質的に宗教的な主題である。
なぜなら、宗教は人格的領域に関するからであり、
またこれら主題〔政治や経済〕は
人間の人格的関係の単に異なる側面にすぎない
からである
(「宗教的な問題でないような、
すなわち、
人格と人格の関係の問題でないような、
人間生活の問題は存在しない

われわれの政治的、経済的生活を
宗教的問題として取り扱うことを
避けて解決しようと試みても、
それを解決することはできない
であろう」)


カール・ポランニーにおいては、
「自由」と「責任」との間には密接な関係にあり、
何故そのような思想内容になるのか、
その事情を、次ページのポランニーの論理展開から
知ることが出来ます。
また、前々記事の初めのほうで述べさせてもらった、
“社会的存在”についての本当に拙い予備説明箇所の、
ポランニー本人による事情解説を、
次ページで分かりやすく見ていく事ができます。

人間と人間の社会関係が、
物と物との関係に歪められた形で
社会的につながっている、ような存在様式
》に
人々が翻弄されている実際だが、
そうした存在様式や社会様式から、
脱け出すための道」として、
《そうした市場社会の「仕組み》を見える化」し、
その可視化された社会構造に対して、
民主主義的方途
その民主主義プロセスへの各個人の「責任ある参与」とをもってメスを入れることで、
少しずつでも「自由を獲得していく」、というのが、
ポランニーのヴィジョンでは無かったか、
と認識理解しているのですが、
この原稿(論考)において、
とくに煌(きらめ)きを放って見える点は、
――ボクの手持ちの言葉のなかでは、
鈴木大拙が「自由・空・只今」で言っていたような
「‟仏の煩悩=大慈大悲”的な遠大的な視座【※】」で――物事を眺め
その“大慈大悲”的な視座から、
キリスト教の「人格関係」と「マルクス概念」とを
手に取っている点です。


【※】「大慈大悲/仏の煩悩」
「人間には、
自分の外に出てまた自分を見ることができる“はたらき”がある。
この“はたらき”の故に、
人間は、自分らの社会的集団だけでなく、
自分以外の他の生物でも無機物でも
何でも一つにした絶大の社会集団を認めることができる。
これを仏の煩悩という。大慈大悲ともいう

弥陀の本願の出処はここにある」
(鈴木大拙【著】『東洋的な見方』岩波文庫、69-70頁)



なぜ自分が従事する活動や行動に
責任」を持つことが必要なのか
また、そもそも《市場社会》の下では、
自分の行っている経済活動の他人に及ぼす帰結を
知ることが無い=自覚する契機/機会もない
その事から、
自分の活動に対する「責任感」も《生じない》、
しかし、
お互いの活動がお互いに悪影響を及ぼす
悪循環袋小路》を「知ること」が《無ければ》、
誰もが「自由」には《なれない》…
といったような、ポランニーの思想背景や事情が、
以下の講演内容の原稿から知ることが出来ます。

ただし、
20世紀はアメリカの世紀」と言われるように、

【リンク記事】
【19-③】アメリカ型大量生産方式【3】 ~【監視-AI-メガFTA-資本】~
〇【19-④】製造部品の《規格・標準化》と「新大陸アメリカ」~【監視-AI-メガFTA-資本】~
《フォーディズム的な生産技術システム》が確立され、
その《アメリカ式の社会様式が世界中に広められた》歴史的経緯を、世界が経て以降
では、
ポランニーが敷衍している〈価格決定メカニズム〉を
そのまま踏襲して物事を見ることはできない
はずです。
――というのも、巷では、
いま華やかで確かに部分的に正しいMMT論をはじめ様々な〈マネー論〉は百花繚乱ですが、
そのマネーと(つい)関係にある
価格決定メカニズム〉についての議論や認識は、
もしかしたら
〈需要と供給とが一致した均衡点〉とするような、
19世紀における生産状況を反映させた常識のまま〉である場合が多いからです。
また、マネー論(の仕組み)が国内限定/国内完結での考察に終わっている〉恐れもあります。

【理由1】
:議論を国内だけに限定しても、
商品/製品についての価格決定のメカニズムは、
その製品や商品の性質上、
便宜的に大雑把に「2種類に分かれる」ので、
価格決定メカニズムは「一様/1種類ではない
」。

【理由2】
:昨今における様々な食料品や品物、エネルギー価格全般的な値上がり(☜リンク)》から
身をもって痛感させられている
ように、
(投機マネーの影響はここでは除外して議論しても)
《日本円安》の要因も背景の一つにある訳ですが、
MMT論が説いているように、
いかに国内でのマネー流通の大前提や主流
預金マネー」であり、
その「預金マネー」のつくられ方が「信用創造」で、
内生的貨幣供給」的であるとしても、
昨今の‟半導体供給の停滞”問題よろしく、
サプライチェーン》という、
社会分業型循環経済の構造上の、生産における側面
如実に物語っているように、
生産や製造に欠かせない「中間資材/資源/材料」を
海外から輸入しなければならない場合、
嫌が応でも、
国際為替相場での日本円の購買力の現実》を
突きつけられる
ワケであります。

では、その日本円の《購買力》は、
どのような仕組みで決まってしまうのか?
というと、
国内での「信用創造の仕組み」とは異なり、
〈世界中の銀行などが取引している
銀行間市場における需要と供給との結果の、
交換レート(=為替レート)
で、
各国の通貨の購買力決められている
ワケですよね?

そこで、では、
通貨の購買力を維持したり上げたりする要素は?”
というと、
以前の拙記事で少し見つめてみた事があるのですが、
仮に《基軸通貨》であったとしても
その地位を「支える要因の一つとしては、
「当該国の経済的規模」「他国との経常取引の在り方」など「実物的関係」が“きわめて重要だという考察を、石見徹『国際通貨・金融システムの歴史』を通じて、見たことがあります。

【参考】☞【17-③】《国際基軸通貨》としての「USドル」 ~監視-AI-メガFTA-資本~

(今日では、
USドル建て決済だけでなく、
様々な通貨で決済が行われているようですが、
話を分かりやすく)
日本国内で作られている魅力的な商品や製品」を
海外の人やメーカーが調達する/買うためには、
日本円を調達する必要」があり

そのために〈為替相場で日本円が買われて、
その分、円高要因として寄与する〉。
そうした「実物的関係」が
日本円/各国通貨の〈国際的購買力〉を「支える」のだとすれば、
‟なぜ〈産業競争力がー〉と喧しく言われるのか?”
また、”なぜ基軸通貨覇権国のアメリカですら、
USドル防衛に血道を上げ続けてきたのか?”
分かるのではないでしょうか?


【関連記事】
〇【4】メガFTAと特許とプラットフォーム戦争《監視社会化ー=人工知能=メガFTA=資本》
〇【7-③】《経済成長/GDP》と《自然環境破壊》と《グローバル化&自由貿易》と
〇【19-⑪】《石油ショック》 ~OPEC(中東産油国)とメジャー(国際石油資本)との抗争~
・【19-⑬】《石油依存文明アメリカ》と《資源の呪い》~【監視-AI-メガFTA-資本】~
〇【59】④米国が《オフショア・ビジネス》を❝国家戦略”にした理由 ~基軸通貨ドル~
〇【60】⑤米国が《オフショア・ビジネス》を❝国家戦略”にした理由Ⅱ ~基軸通貨ドル~
〇【63】⑦若きマイケル・ハドソンに渡されたメモ ~米国が《オフショア》を‟国家戦略”にした理由~
〇【64】⑧若きマイケル・ハドソンに渡されたメモ ~米国が《オフショア》を‟国家戦略”にした理由~
〇【65】金融引き締め論者ポール・ヴォルカーのFRB議長へのカーター大統領による任命と、皮肉な結末
〇【62】HSBC銀行員の「スイス・リーク事件」~米国が《オフショア》を‟国家戦略”にした理由Ⅲ~


しかし、
話が180度 急転換して恐縮しますが、
では、‟今後もずっとイノベーション競争
続けなければ生きて行けない”という在り方にも、
未来は無いのではないか?という意見を、
また別の次元の視座で、同時に抱いています。
その理由は、
以下に並べた記事に記している事情から来ますが、
端的に言える理由の一つとしては、
以下に見ていくポランニーの文章の要諦と
すこし重なるかもしれませんが、
外貨を稼いだり、自国通貨の国際購買力を維持させるためにも、未来永劫、イノベーション競争から脱することができない”という状態では、
それは《技術革新における“競争の強制法則》と言えるからです。
しかも、未来の選択肢や方向性
現役世代/過去世代が《決定》し《殺ぎながら》の
技術革新
であるのならば、
それは、決して持続可能なもの”《ではない》からです。


経済成長
【20b】《経済成長》の姿を探して ~【監視-AI-メガFTA-資本】~
【20c】《経済成長》の姿を探して ~【監視-AI-メガFTA-資本】~
〇【36】「成長するに任せよ」――「未来を担保にする」《成長経済システム》 ~AI-資本~
〇【37】テッサ・モーリス-スズキ《市場の社会的深化》 ~AI&メガFTA&資本~
〇【27】④ 史的な資本主義システムは《ダイナミックに変身し、生まれ変わる》という見方

《イヴァン・イリイチ「根源的独占/現代的な意味での貧困」
〇【16-7】「価値」考 ~インド伝統農業に降りかかった《根源的独占》~【AI-メガFTA-資本】
〇【7-⑪】緑の革命の《暴力》
16-6】〈緑の革命⇨バイオテクノロジー〉と《成長経済型販路確保策と根源的独占》
・【7-①】《経済成長/GDP》と《生物多様性・自然環境破壊》


水野和夫×兪炳匡 資本主義の終焉
~働く99%豊かな生活のために
【どん底ニッポンを立て直す 特別編】20211224
生物学者 五箇公一 × 辻元清美 対談
『ダニ先生に聞く ダニから経済までつながる世界を生きる〜パンデミック・気候変動〜』



《経済成長》が
新たなる市場開拓の触手を伸ばす&拡げる》格好で
進展するのならば、
経済成長が進展すればするほど

この世の中の複雑化進み》ます
また、《経済成長》を、
単純に“生産性の増大”だと捉えると、
その経済成長の格好が
〈生産性を増大させる格好〉であっても、
また
〈費用対効果/効率性を向上させる格好〉であっても
(経済が、新たな市場開拓先として

日常生活や私達の身体や生命活動や生存に対して
その触手を伸ばし、浸食している兆候の様子をして、
テッサ・モーリス=スズキ氏が
市場の社会的浸透”と形容して指摘した如く)
(広い意味での)生産性の量的規模の拡大が、
具体的には〈生産性の増大〉か〈効率化〉の
いずれの場合であったとしても、
かつてイヴァン・イリイチ氏が抉って表現してみせた
現代化された貧困】》の‟度合い深くなります

この《現代化された貧困》という事象は、
他方で、後に(故)デヴィッド・グレーバー氏が
ブルシット・ジョブ》と呼んだ《奇妙な事象》と、
それぞれ別の著者と立場とから捉えられた
現代における或る同一“奇妙な”の事象》であるかもしれません。

このまま進めば20世紀末には、
テクノロジーの進歩によって
週15時間労働が達成させるだろう
〉と
1930年代にケインズが予言していたとは裏腹に
《生産に携わる労働のほとんどが自動化されたにもかかわらず

それに伴って人々の余暇が増えること〉という光景は見られず、逆に
金融サービスやテレマーケティング、企業法務や
学校管理・健康管理、人材管理、広報・・・といった
ように
管理業務や技術支援業務など新しい諸部門や新しい仕事作業〉の、膨大な創出と拡張
が見られ、
これら新しく創出され拡張してきた業務》を、
その空疎な内実性から、デヴィッド・グレーバー氏は
“《ブルシット・ジョブ》”と位置づけ、呼ぶに至ったはずです。

しかし、
この《ブルシット・ジョブ業務創出&拡大》が、
生産性の向上〉という面でも、
また〈費用対効果/効率性の向上〉という面でも、
機械化の進歩による機械置き換える事によって
それまで人が従事してきた作業や労働排除

生産拠点の海外への置換資材の輸入による
国内労働・作業不必要化/排除》を、
同時に意味してきたことの裏返し”だとすれば
ブルシット・ジョブ業務創出&拡大》は、
機械やグローバル化によって奪われた労働/所得機会を、また新たに探り続けてきた撤退の歴史
だと
捉えることが出来るのかもしれません。

【関連記事】
☞【44】②乗数の《穴》と《ポスト工業社会》と《不動産バブル》と《負債経済
〇【A】「拡大成長の呪縛をどう断ち切るか ~地球資源、人的資源の決定的限界に向き合う~」
〇【B】《楽園のパラドックス》~「拡大成長の呪縛をどう断ち切るか」~
〇【C】《足下の在り方や政策発想の抜本的大転換の必要》 ~拡大成長の呪縛を どう断ち切るか?~

経済成長》の性質の都合上、
新たな市場開拓が進められ続けてきた結果としての《複雑化》に関して、

岩波書店の月刊誌『世界』2020年8月号
特集〈グリーン・リカバリー〉
に寄稿されている
中野佳裕「いまこそ〈健全な社会〉へ」には、
歴史学者J・A・タインター『複雑化社会の崩壊』やI・イリイチの概念などをもって、
今般の新型コロナ災禍を通じて‟顕在化した”
いま私たちが暮らしている《複雑化社会》の
“構造的問題”
を、次のように剔〔えぐ〕り出して論じています。


“その古典的名著『複雑化社会の崩壊』(1988年)において
タインターは、
人間の社会機構の進化
複雑性の増大過程
の観点から分析している。
その分析によると、
人類は農耕社会から産業社会へと、
各時代の生存問題に対応するために
社会機構の複雑性を増大させてきたが、
複雑化した社会は
ある一定の閾値【いきち】を超えると
資源やインフラの維持など、
複雑性を維持するための社会的費用が
常に便益を上回るようになる
転換点
(ティッピング・ポイント)に達する。
転換点を迎えた社会

しばらくはその複雑性を増大させるが、
やがて維持不可能になり、崩壊する


 タインターの研究によれば、
世界一の経済大国である米国は、
20世紀全般を通じて
産業機構を高度に複雑化してきた
が、

その結果、
教育・医療・特許部門における費用
常に期待される便益(専門家育成、平均寿命の伸び、特許獲得)
超えるようになった

また、
自動車による移動距離は年々伸び、
それに応じて石油消費量も増加し続けている。
つまり、複雑性増大の限界収益逓減が生じている

 複雑化した社会がもたらす構造的問題は、
タインターの指摘する費用対便益に止まらない

その点については、
社会思想家のI・イリイチの議論が示唆に富む

イリイチは、
複雑化した教育制度・交通制度・医療制度が
人間の身体感覚や想像力にもたらす象徴的効果に着目し、
産業社会逆生産性を論じている。
学校、自動車交通、医療などの社会制度は、
ある一定の閾値を超えて発展すると
当初の目的に反して

人間の生活の質を低下させてしまう

1970年代の彼の一連の著作は、
米国を中心とする先進産業社会が、
当時、そのような逆生産性の段階に突入していた
こと
を明らかにした。

 経済のグローバル化は、
こうした複雑化社会の逆説に直面した
当時の先進産業社会がとった対案であった

産業的生産様式を地球規模で拡大することで
複雑化した社会機構の維持費用
発展途上国に肩代わりさせると同時に、
費用のかかる公共サービスや社会保障制度に
市場原理主義を導入し、
民営化と規制緩和を進める戦略を採った
のだった。
ここに社会学者S・ラッシュとJ・アーリがいうところの
組織化された資本主義」から「脱組織化された資本主義」、
即ち福祉国家のもとで安定した成長を目指す資本主義から、
流動的で不安定な資本主義への転換が起こった
かくして、
産業社会を構成する複雑性は、
一国レベルのものから
グローバルなレベルへと非連続に転換するにいたった
のである。

 J・アーリが明らかにしているように、
脱組織化した資本主義のグローバルな複雑性を構成しているのは、
人・モノ・情報の移動(モビリティーズ)の絶え間ない流れ(フロー)
だ。
グローバル化した世界には
一つの安定した構造や固定した中心があるわけではない。
生産拠点の海外移転、線地球的な物流網の発達、
移民労働者、観光客、インターネットを通じた取引や情報の交換は、
グローバル・シティに代表される諸都市を結節点にしつつも、
全地球的な網の目を形成し、常に流動的に変容する


 アーリが複雑系科学の知見を援用しながら強調するのは、
このような流動的な移動のネットワークによって
形成される世界においては、
一部のローカルな場所で起こった変化が地球規模での影響を与える

グローバルなフィードバック・ループ
多次元的に依存し、システムに非線形な動的変化を生じさせる ということだ。

 実際に、過去数十年を振り返ると、
経済のグローバル化の進展と共に
次のようなシステミックなリスク
地球規模で蓄積されていた


・社会的リスク
――先進産業社会の多国籍社会の多国籍企業は
安価な労働力を求めて生産拠点の海外移転を大規模に展開。
さらに、国内では労働市場の規制緩和による非正規雇用の増加、
低賃金の外国人労働者の受け入れが進んだ。
先進国の格差は米英を中心に著しく拡大し、
地域コミュニティの社会関係資本の衰退、幸福度の低下、健康の悪化など、社会のまとまりが大きく崩れてきている。

・生態学的リスク
――生産拠点、物流、旅行のネットワークの全地球的拡大は、
輸送にともなう環境負荷を高めた。
IEAの調査によると、
2018年の世界全体の燃料燃焼から生じる二酸化炭素排出量の24%は、
運輸によるものである。
乗用車やトラックなどの陸運は そのうちの4分の3を占め、
空輸と海運による二酸化炭素排出量もまた年々増加している。
これらグローバルな輸送の増加は
地球温暖化に大きく寄与するだけでなく、
世界の主要工業都市を中心に
大気汚染による健康被害のリスクも高めている。

・疫学的リスク
――地球規模での都市化と工業的畜産の発展は、
野生動物の生息域の現象にともなう感染症の発生リスクを高めている。
さらに、観光・ビジネス・医療支援など国境を越えた移動の増加は、
空港や大都市を中心に感染症の流行のリスクを高めている。

・安全保障のリスク
――グローバルな移動は、国際的なテロ活動も促進した。
2001年9月11日の米国同時多発テロは
そのメルクマールといえるだろう。
以後、アルカイダやISSの活動に見られるように、
インターネットを通じて特定の場所で起こったテロ活動が、
世界各地において複製される事態が起こっている。


 本稿でまず主張したいのは、
新型コロナウィルスのパンデミックが
「危機」と呼ばれるものになった仕組み

それが内包する様々なリスクや不確実な未来を考える際には、
パンデミック発生以前に
これらの社会的・生態的・疫学的・安全保障上のリスクが、
グローバルな複雑性の中に蓄積された
という事実
忘れてはならないということだ。
そして、
〈コロナ以後〉の社会の展望を考察する際にも、
このグローバルな複雑性がもつ多次元的なフィードバック効果
考慮に入れなければならない。

 特に留意すべきは、
前述した様々なリスクに対する政治の反応である。
政治学者コリン・クラウチが指摘するように、
この間、先進産業社会の政治は、
デモクラシーからポスト・デモクラシーへと変容した。
巨額の選挙資金を獲得するために、
また経済成長を追求するために、
グローバル経済を支配する一部の巨大企業の圧力に追従する政治
行われた。
その結果、
社会的リスクと生態的リスクに対する有効な政策は講じられず
格差と地域環境破壊はいっそう深刻化していった
また、疫学的リスクに対しても、
財政緊縮政策の下で十分な医療体制を整えることができなかった

(引用者中略)

コロナ危機の根幹には階級問題があり、
グローバル化の過程で深まった格差社会の現実
一層鮮明に顕在化させた


 それだけではない。
封じ込め政策は、
格差よりもさらに根源的な貧困問題を開示した

それは、
グローバルな複雑性に組み込まれた
現代化された貧困(modenized poverty)」である。
現代化された貧困」とは、
1970年代にイリイチが導入した概念であり、
人間のニーズ充足手段
商品化された製品やサービス依存し
自立的に生きる能力失うこと
を指す。
産業的生産様式の発展過程
商品世界閉じ込められた人間は、
自らの手で食料・住居・衣服を作る能力失い
専門家集団が生産・供給する商品を消費する以外に
生活手段がなくなる

イリイチにとって、
この自律性の喪失は、

所得格差として現れる経済的貧困以上に根源的な貧困
である。

 当時、イリイチは
この問題を一国レベルで考察していた。
しかし、
コロナ危機によって明らかになったのは、
現代産業は
社会における「現代化された貧困」が、
グローバルな複雑性の中で
編成されている事実
ではなかろうか。
現代人の生活は、
全地球的に展開するサプライチェーンや消費の流れ
依存しており

ますますローカルなものから離れている
そのため
ひとたび経済活動停止すると
生活基盤大きく動揺する

かくして、
海外生産される医療物資、工業製品、食品の生産・供給滞り

外国人観光客依存の観光産業や航空・鉄道業界は大打撃を受けた。
グローバルな移動の流れに依存する
生活のレジリエンス(回復力/忍耐力)は、
極めて脆弱
だ。

大都市圏の生活は特にそうである。”
(中野佳裕「いまこそ〈健全な社会〉へ」
『世界』【2020年8月号】岩波書店、116-121頁)


‟気候変動”問題や311フクシマ原発事故を受けて、
「再生可能エネルギー」への転換が、
待ったなしの人類の課題として進められています。

ところが、
アジア太平洋資料センター(PARC)の
自由学校の講座の1つで、
カウントダウン・気候危機―全員で生き残れるトランジションを考える
というクラスが開かれました。
その中の授業で、次のような授業が行われました。
――――――――――――――――――


〈9/22(水)電気自動車が滅ぼす生態系
Grizelda Mayo-Anda(環境法律支援センター/ELAC)

:フィリピン・パラワン島は
手つかずの自然が残っている「最後のフロンティア」と言われています。
そしてそこは
低炭素社会への移行の《カギになる鉱物》を多く宿しています
低炭素社会目指して開発が進めば
破壊は取り返しのつかないものになる
でしょう。

―――――――――――――――
〈10/6(水)
いのち」を破壊しては地球を救うことできない
Carlos Zorilla(DECOIN)

エクアドルでも《低炭素社会必要鉱物》をめぐって
大規模な鉱山開発が進められようとしています

社会全体のトランジションのためには
多少の犠牲はやむを得ない
」のでしょうか?
その考え方の向こうに待つのは恐ろしいディストピアです。

――――――――――――――――

私は、
こうした実態や事実を知らされるまで
こうした実態は全く死角で見えていませんでした


最近になり、ようやくトヨタ・グループも
電気自動車の開発に、本腰を入れ始めたことは、
御承知の通りです。
トヨタは、
現在の日本での《外貨稼ぎの代表的存在》ですが、
低炭素化社会への移行のために、その結果、
地球上の生態系破壊されてしまう(☜リンク)》
とすれば、
木を見て森を見ず”のように
根本的に何かが間違っているのではないでしょうか?

〈電気自動車〉に必要な〈鉱物資源
この地球上に《数量的に限られている》場合、
《地球上のどれくらいの人々や階層が
電気自動車を所有・利用できる》
のでしょうか?
――その限られた資源の占有や獲得の仕方は
どのような手段や方法や方途で以て決められるのか?
・紛争によって?
・(NATOのような軍事)同盟サークルの形成によって?

アフリカの紛争地の如く、現地を武力支配したり性的暴力支配を通じた恐怖支配ツールを駆使して、現地を実質的に支配する〈現地の武装勢力(武器はドコから?)〉に、非合法に《鉱物資源》を輸出させる格好によって?
〈関連記事〉☞【19-⑭】《「悪魔の排泄物=資源の呪い」》 ~【監視-AI-メガFTA-資本
・知的財産権のような法制度装置での排除によって?――

そして、
もし人類の活動による二酸化炭素排出が
地球温暖化の元凶だったとした場合、
電気自動車や再生可能エネルギーに〈必要鉱物資源〉の埋蔵量/容量は、
私たちの社会的ニーズを《賄い・補い得る
のだろうか?
という問題意識が浮かびます。

》というものが、
信用創造であろうが、
政府マネーの発行であろうが、
知識資本主義活動による付加価値の創造であろうが、
どのような〈富の創造の仕方〉であろうが

つくられた富に《見合うだけ資源量や環境容量、
地球の再生能力
無ければ
》、
それら作られた富が要求する債務の履行〉の際に、
《あたま打ち》を食らいます

誰にでも理解できる証左として、
エコロジカル・フットプリント》を提示できます。

地球の環境容量は有限」なのに、
経済成長無限
というのは、
矛盾”していませんでしょうか?
【関連記事】

〇【23】①「成長経済システム」という《ガレー船を漕ぐ、我ら奴隷》~AI-資本~
〇【24】②〈相対所得&格差〉と「成長経済システム」という《ガレー船を漕ぐ、我ら奴隷》
〇【26-b】②デヴィッド・ハーヴェイ《あらゆるものの商品化》 ~AI-メガFTA-資本~
〇【35】モーリス-スズキ氏による〈ヘルナンド・デ・ソト『資本の謎』考〉 ~死んだ資本~

それでは、まるで
地球環境を「持続可能にする」ため、というよりも、
結局のところは
経済成長/開発》や《新しい市場開拓の創出》が
先行している
のではないでしょうか?

本当に困窮している者に対しては冷たいくせに、
社会的に大々的に喧しいくらいに、
私たちの目の前に提示されているものの、
怪しい「持続可能な開発目標(SDGs)」”は、
私たちにとっての“持続可能性”ではなく、
じつは《経済成長にとっての持続可能性》だとしたら、そうした《矛盾》説明ができてしまいます

それは、むしろ
社会的な壮大な《グリーン・ウォッシュなのかもしれません。

これは何も、
〈低炭素社会に向けた移行の取り組み〉に
始まった話ではなく、
たとえば〈パーム油生産〉のために
森林破壊/生態系破壊》がもたらされている
ようなすでに起こっている進行中の問題です。

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資本主義の駆動》による《テクノロジー進歩主義》が引き起こした《危機》を解決すべく採られた〈解決策〉が、《また別の新しい危機課題を生み出す》という袋小路悪循環は、
ハンス・ヨナスが問題をえぐり出した
受動的なる《無限の円環/円環的弁証法》の軌跡を描き、
かつ又、
経済成長や利潤の増大を目指す限り
マルクスの描いた受動的なる《競争の強制法則》の軌跡を描いているようにも、映って見えます。

そのような遠大的(慈悲的)な視座の眺め方を、
カール・ポランニー
「共同体と社会
 ――われわれの社会秩序のキリスト教的批判」

で説かれた核心は、その息吹として
もたらしてくれるようボクは思います。
――そして、この課題は、
トヨタが外貨稼ぎの筆頭である
現在においてもなお依然として
宇沢弘文
『自動車の社会的費用』(岩波新書)が
新鮮味を保っている問題や問いかけのように
感じられます――。

20190423 UPLAN 【院内集会】 世界の貿易体制はどこへ向かうのか? 〜TPP11/日欧EPA/RCEPそしてWTOの課題〜

映画『天のしずく 辰巳芳子"いのちのスープ"』予告編

映画『人生フルーツ』予告編

PHC Film:土は生命体
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【経済の深層】ウクライナ戦争で知る 歴史・経済・文学

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【特集】ワクチン後遺症
~副反応ではない 慢性的な後遺症の訴え~
 (サンテレビ)
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練習中に倒れて死亡した中日・木下投手の「ワクチン接種」を報じない朝日新聞とNHK
(SAMEJIMA TIMES 2021年8月10日)

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フライパン危ない!隠された令和の水俣「PFOA
NO.1【Tansa報道最前線】20220208

Tansa (探査報道に特化したジャーナリズム組織)

沖縄の米軍基地から漏れ出す「永遠の化学物質」

(「Web 論座」 島袋夏子 琉球朝日放送記者)
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ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会