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「ソクラテスの弁明」が、なぜ好きなのか、最近になって納得し始めた今日この頃です。


〈【前の記事】からのつづき〉

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【6】「土壌(地表)」――素晴らしき哉、この“複雑系”なる世界

〇【7-⑮】「歴史的存在論」について【Ⅰ

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

技術と自然環境は、
人間社会の基礎構造を規定する決定的な要因ですし、
その社会のイデオロギーに深く影響するでしょう。
しかし唯一、市場経済のもとでのみ、
経済的要因が
文化に影響を与えるだけでなく、文化を決定するのです。
市場経済のもとでのみ、
経済が社会の状態と形式とを決定することになるのです。
経済決定論は
市場経済において動かしがたい事実となります。
ただし、市場経済のもとでだけです
それより前の時代を考える際には、
経済決定論は時代錯誤にすぎず、
未来を予測しようとする際には単なる憶断となる
でしょう。

 自由放任主義と同様に「マルクス主義」もまた、
19世紀的な条件を反映しています

市場経済とは、
市場、すなわち供給・需要・価格のメカニズムを通じて
編成された経済です。
市場経済のもとで暮らしていくためには、
原則的に市場で何か他の物を売って収入を得るしかありません。
しかしながら、市場経済を市場経済たらしめているのは、
その自己調整的な性格です。
市場経済は、
生産・労働・土地を
自身のシステムの包含することによって成立します。
私たちが暮らす社会より以前に
労働と土地の運命を 供給・需要・価格メカニズムの手に委ねた社会は
存在しません

ひとたびこのような事態が成立してしまうと、
社会は経済によって決定されることになります。
なぜでしょうか?
結局それは、
労働が人間の、そして土地が自然の別名だからなのです。
市場経済とは、
それ自体の法則に支配される自己制御的なメカニズムの作用に、
人間とその住処とを引き渡すのと同義です。
したがって、経済決定論の構想が
経済メカニズムの作用によって支配される社会で現れたことにも
合点がいくでしょう。
経済決定論とは現実の引き写しだった
のです。”
(カール・ポランニー「経済史と自由の問題」
『経済と自由』所収、ちくま学芸文庫 P.54-55)

――――――――――――――――――――――――

社会的存在諸条件のうえに、
さまざまな、特有な、感覚、幻想、思考様式・・・の
全上部構造が聳え立つ
。”
(カール・マルクス 『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』)

―――――――――――――――――――――――

”自由市場主義は、
経済成長という目標のもと、
原理主義宗教の教義のように
世界中で熱狂的に支持されてきた。
唯一の価値基準であるこの主義の実践は、
各地
深刻な社会的・環境的矛盾生み出している

経済専門家は、
いわばこの宗教の布教者だ。
彼らが擁護する価値観は 人間の精神を堕落させ、
彼らが想定する架空の世界は 現実からかけ離れている。
(引用者中略)

自由競争至上主義者の信条は、
現代経済学の用語に親しんでいる人には
すでにおなじみのものばかりだ。
国民総生産で測られる
「経済成長」を維持することは、
人類の進歩につながる

(引用者中略)

人類の進歩を測るには、
社会の構成員の消費量を見ればよい。
また、消費が増えれば増えるほど、
より多くの商品が生産されて、社会全体が豊かになっていく
。”

(デビット・コーテン【著】/西川 潤【監訳】/桜井 文【翻訳】
『グローバル経済という怪物』 P.89)

――――――――――――――――――――――――

‟ 《「成長するに任せよ」》

 飽くなき拡大という性質を持つ、近代の企業による市場システム
核心に迫った議論という意味で、
デ・ソトの『資本の謎』は 魅力的な面を持つ。
資本
新たなる資本を生み出すために存在するものであり、
資産は
さらなる資産を生みだすために存在する
とデ・ソトは主張した。
たとえ、
土地は食料を生み出し、
家は風雪をしのぐことを身体化したもの
であったとしても、
際限のない成長やめた資本は「死んだ」ものだそうだ。
ハンナ・アーレントが
1950年代に観察したように、
財産権擁護にかかわる近代的な概念は
近代が熱心に保護するのは、
財産そのものではなく、
それが新たなる財産や蓄積の追求を可能とすること
である」。
あるいは
(エレン・メイスキンス・ウッズの言葉を借りるならば)、
近代資本主義は
絶えざる自己拡大についての特異な要求
さらにはその能力
」によって特徴づけられる。
企業による市場経済は、

「なすに任せよ(laissez faire)」ではなくて、
成長するに任せよ(laissez croitôre)」
という原理に基づいている
。”
(テッサ・モーリス-スズキ【著】/辛島理人【訳】
『自由を耐え忍ぶ』
2004年、岩波書店、35-36頁)

――――――――――――――

‟いま、西洋の外では、資本主義は危機にあるが、
それは、
国際的なるグローバリゼーションが失敗しているからではなく、
発展途上や旧共産圏(ex-communist)の国々が
自国内の資本(capital)を、
グローバル化できないが故に
である
(Hernando De Soto【著】
『The Mystery of Capital
~Why Capitalism triumphs in the West and fails Everywhere else~』
2000年、BLACK SWAN BOOK,Bantam Press, p.219)

――――――――――――――――――――

‟2008年3月、
ロバート・ケネディの演説から40年の歳月を経て、
GDPに対する疑問が ようやくワシントンで議題にのぼった
上院委員会で、
GDPでは
環境破壊、貧困、所得格差、健康、生活の質が測れないことや、
GDPで国民の幸福を測ることの危険性
が議論された
のである。
このときは国民経済計算に修正を加える法改正にまではいたらなかった……”
(ジェーン・G・ホワイト  【著】/川添節子【訳】
『バランスシートで読みとく世界経済史』 238頁)

―――――――――――――――――

‟ウェントワース懸念する科学者の会(2008年)
会計システムは、
資源が永遠であると思われていた時代に、
自然環境の保護ではなく
産業革命の推進に重きが置かれる状況のもとで発展した。」”
(ジェーン・グリーソン・ホワイト 同 220頁)

―――――――――――――――――

‟ ――『フォーチュン』誌に載せたフィリピン政府の広告文句――

あなたのような会社に興味を持っていただけるよう……
私たちは
山をならし、ジャングルを切り開き、沼を埋め立て、
水路を動かし、町を移動させました

……あなたの会社が、操業しやすくするため
です”
(デヴィッド・コーテン【著】/西川 潤【監訳】・桜井 文【翻訳】
『グローバル経済という怪物』
1997年、シュプリンガー東京、201頁)

―――――――――――――――――――

ロバート・レペット 世界資源研究所(2000年)
「・・・…鉱物資源を掘りつくし、森林を伐採し、
土壌を浸食し、帯水層を汚染し、
野生動物を絶滅に追いやったとしても

国の収益には影響がない
…・・・」
(ジェーン・グリーソン・ホワイト 同 220頁)

―――――――――――――――

‟「ケインズは、
経済を総支出によって生じる総産出高として表現した
はじめての経済学者である。
・・・・・・このようにしてケインズの総額という概念は、
国民所得勘定の創設につながっていった
。」
   ――ロバート・スキデルスキー

「(複式簿記は)
国民所得・生産勘定の品質を保証する役割を果たしている。」
   ――キャサリン・G・エイブラハム&クリストファー・マッキー
(ジェーン・グリーソン・ホワイト 同 172頁)

―――――――――――――

‟「国民経済計算の構成
不変でなければならない理由はなく、
経済活動に該当するものが変化しても不思議はない。」
  ポール・オルメロッド『経済学は死んだ』(1994年)”
(ジェーン・グリーソン・ホワイト 同 220頁)

――――――――――――――――――――

「近代が熱心に保護するのは、
財産そのものではなく、
それが新たなる財産や蓄積の追求を
可能とすること
である」。
というアーレントの近代システムの側面評を
引用しながら、
近代資本主義に対する本質的分析を
テッサ・モーリス=スズキが展開しているのを
読んでいて、
いまひとつ別に思うことなのですが、

その事柄は、
資本主義の事柄とは別個な事柄として
思いがちになる
かもしれませんが、
しかし、じつは、その仕組みからして
無関係では全くない事柄
です。

その事柄というのは、
近代国家の「財政」の仕組み〉であり、
それ〉についての連想です。


今般の《新型コロナウィルスの大流行》と
それによる《社会的停滞≒政治経済的停滞》を
受けて
政府や行政は、
住民の生活や生存や、
生業の元手=事業存続および雇用を守るために、
住民に対しては生活給付や生存補償、
また事業者(=経済活動)に対しては、
家賃などの固定費コストへの配慮や
納税猶予や借金の返済などに関する猶予措置の必要が
喫緊に求められており、
日本以外の先進国やまともな国では、
被害や悲劇拡大を縮小・緩和させるべく、
それら措置が採られているのを、
私たちは、
他のおウチの窓に明かりが灯っていて、
その窓を通して見える、ほかの家庭の様子を
羨ましく感じつつ、
愚かな散財を通じて、
この期に及んでも
《タックスヘイブン》的租税回避を以って
ネコババしようとする
愚鈍で超利己的なDVオヤジ的首相をしり目に、
ひもじい思いをしているところです。
――そういえば、
政府広報が呼びかける
‟3蜜を避けよう!”の「3蜜」状態ですが、
新型コロナ感染拡大を
《真剣に防ぎ縮小させたいようには見えない
政府の態度姿勢や動き》からみて、
長期的に続きそうな《新型コロナ禍》を
迎えるにあたり、
これからの《夏場》のオフィスや
冬場》のオフィスでは、
窓を開けっ放しに」できるのでしょうか?

日が暮れて、照明の灯るオフィスに、
虫も入ってくるでしょうし、
《暑さ》や《寒さ》に弱いパソコンやコンピュータも
密集・密接なるオフィスにいる従業員も

「窓の解放による通気化」で《堪えうる》のでしょうか?

オフィス〉は
付加価値=GDPを生産する場〉ですが、
《そこの従業員の間で感染拡大をして
オフィスが運営・機能しなくなれば》、
経済活動の点で《非持続的》ですが、
安倍政権&連立与ゆ党は、
このまま
やってる感&国富のネコババに終始》で
いいのでしょうか?

どう考えても〈Go To〉の行きつく先は、
“V字回復の兆し”ではなく、
《悪循環の泥沼》《生き地獄》《行き詰まり》
のような気がします。
平時でも火事場でも泥棒な政治》の地金
新型コロナ禍で洗い流されて
表出された感があります。――


話を本題に戻すと、
〈近代国家〉は〈租税〉国家であり、
近代国家の財源の本来〉は〈直接税〉です。

〈直接税〉ということは、
事業が赤字で、利益を作れなかった場合、
〈課税がなされません〉


そして近代国家の租税の基本には、
〈資本非課税〉〈生計費非課税〉という
元本不可侵〉の原則が流れているはずです。

いま上に、
〈近代国家の財政の在り方〉の特徴について、
書き並べさせてもらいましたが、
それらは、ある1つの‟原理や筋”で貫き通して、
整理し、まとめ、記憶する事ができます。

その原理や筋というものは、
近代国家の財源は、
経済活動を行なう者の
経済活動によって生み出された
付加価値創出による利潤=所得に対する課税〉

である、という事です。
――そういえば《消費税》も、
担税者は事業者で《付加価値に対する課税》であり、
こちらのほうは、事業が《赤字であっても、
国税局に、積極的に容赦なく取り立てられて、
取引関係上のチカラ関係によって、
弱いほうが負担を押しつけられる》面さえある――。


〈資本=元手は非課税、生計費非課税〉なのは、
経済活動を行ない、所得を生み出すのに必要
元手/商売道具〉に対して、
また他方、〈労働力としての身体〉や
〈身体を休め維持する費用〉に対して、
課税を行なえば、
所得〉を生み出せなくなるからです。
――地方で田や畑をしていた
実家の亡くなった親の田んぼや畑を、
都会で生活している
その息子や娘さんが相続するのは、
得策ではない、
または、兄弟間で分けて相続するのに、
その田畑だった農地を〈換金化する〉など、
田畑などの農地にも
相続税〉や〈固定資産税〉が掛かってくるので、
その田畑だった〈農地が
新興住宅や分譲地の格好に資本化
〉されて
やがて日本列島の都市部周辺が
どんどん《コンクリ化》し
ヒートアイランド化》すると同時に、
それと《悪循環に、皆が夏場、
四六時中エアコンを使わざるを得なくなる
》ことを
見るにつけ、高樹は、
先のアーレントの指摘を引いた
モーリス=スズキ氏の叙述を
連想してしまいます。――


そこで、と言うべきか、
しかし、と言うべきか、
以下に学ばせてもらう引用文での対談では、
拡大成長の呪縛》に関して議論されていますが、
拡大成長を通して生み出された所得=付加価値》に対する〈課税〉の在り方を、
例えば、応能負担にするか否か、
範囲内だけの議論では、
今般の新型コロナウィルスの発生の災禍》への
《根本的解決にはならない
のではないか、
と思います。
そして、
《この新型コロナウィルス問題発生》の要因として
グローバル化&新自由主義経済》が
絡んでいますが、
しかし、《この問題》は
〈剰余価値の搾取という側面〉の問題ではないし、
〈所得分配などに関する事柄〉の問題ではなく、
《拡大成長を支えさせられてきたもの》や
拡大成長付加価値創出財貨による交換の際に、
犠牲になっているもの》の問題であるように
見えるからです。
――そして銀行からの〈信用マネー〉の融資に対して
返済するために行なっている行為も、
そして〈信用創造〉(の価値)を埋め、支えているのも、じつは〈付加価値=所得の創出〉であるはず――。
さらにまた、
貨幣循環的(内生的貨幣供給的)なる分業経済社会〉では、
流通経路やライフライン経路が《停滞/寸断》したり、
資源資材や中間財、支払いが《滞る》などして、
(付加)価値実現や生産が《できなくなれば》、
貨幣の額面に記されている価値〉は、
その瞬間に蒸発して無くなる》のではないでしょうか?――

【関連記事】
☆【19-⑨】〈分業社会〉に突きつけられた《福井豪雪》【監視-AI-メガFTA-資本
☆【12-④】《現代テクノロジーと効率主義による貧困と死角》【~監視社会=AI=メガFTA=資本~
〇【54】銀行――たんなる仲介なのか、あるいは効率的金融市場なのか



以下に学ばせてもらう対談には、
近代財政の仕組みについての言及は無いはずですが、
しかし、
拡大成長の呪縛〉と〈近代財政の在り方や仕組み〉とは、
じつは両者それぞれが、
クルマの両輪のような相互関係にあるように見え、
ヘタをすると、
《今般の環境問題や新型コロナ禍の発生》のような、
双方間を行き来する(反-生産的な)《悪循環》を描く
のではないか、とも思っています。


そしていま一つ、
この喫緊の大問題や課題の本質を、
有権者に知らされず、有権者が知らぬまま、
選挙などが行なわれた場合、
生存的自滅に向かうポピュリズムの暴走列車に
私たちや子供たち・未来の世代たちや生命たちが
集団心中的に、強制的に乗せられる

という懸念もあります。

さらにまた1つ、
フーコーの『知への意志』で
実在しない〈ヒステリー〉という概念が、
それを取り巻き構成する、
数々の言説や装置の組合せ如何
によって

その〈ヒステリー〉の概念の内容が‟二転三転する”
という様子が書かれてあったはずですが、
ウソは、その規模が大きいほど、騙しやすい
という言葉の如く、
あまりにも抽象的で大規模な問題について
人々に見せて抱かせるイメージの内容は、
それを取り囲む言説いかんによって、
誤導させたり翻弄させたり

させられる危険性があるのではないか、
という勘繰りも、ここで働くのであります。



※引用文中の太字・色彩・下線での強調は、引用者によるものです。
―――――――――――――――――――

(対談) 田中洋子×広井良典
「拡大成長の呪縛を どう断ち切るか
~地球資源、人的資源の決定的限界に向き合う~」

(岩波書店『世界』2014年3月号)


空前の豊かさをもたらした「資源」の利用



――近代化の中 私たちは成長を求めて進んできました
しかしすでに20世紀後半に「成長の限界」が指摘され、
金融工学で乗りきったものの結局行き詰まりを迎えています。
現政権〔安倍政権〕は成長依存の経済政策を打ち出していますが、
期待外れではないか。
一方で「成長の外」に出ることは可能なのでしょうか。

【田中〔洋子氏〕】
成長や経済発展による豊かさを享受して 私たちは生きています。
しかし歴史的に見れば、
人類がいまのような豊かさを享受しはじめたのは
それほど遠い過去ではありません。

 豊かさや爆発的な成長の根源の一つは、
化石燃料などを含む地球の埋蔵資源の利用です。
その大規模な利用が始まったのは
18世紀末から19世紀で、
特に19世紀が大きな転換点
となり、
一万年の人類の文化の中で初めて、
これまでまったく使われることのなかった石炭や石油が
エネルギー源となりました。
このことは、
人類の歴史、地球の歴史において
きわめて画期的
です。
これがベースとなって現在
電気や車やプラスチックなどが使えるようになったわけで、
私たちを取り巻く日々の豊かさをもたらしています。

 それから200年、いま石炭や石油は
採りやすい所のほとんどすべてを取り尽くしてしまいました。
近年、シェールガスの出現で、
成長路線はあと50年、100年は可能だとアメリカは言っていますが、
シェールガスを採取するフラッキングという技術は、
地下水の汚染や地震を引き起こす可能性もあります。
資源の利用という観点から見たとき、
成長はすでに末期的な最終段階に来ているようです。
残された資源の採取は 技術的には不可能ではないにせよ、
コストや被害が大きい上に、
地球に大きな負荷をかけるやり方しか残っていない。
この200年間の資源の利用によって温暖化や大気汚染が進行し、
それが地球規模の気象変化の悪化ももたらしています。


私たち、主に先進国の人々は、
この200年という短い期間に、
決定的に地球の資源を利用し尽くしてしまった。
それはエネルギー源に限りません、
アメリカの大平原の帯水層が枯渇してしまったら
いったい誰が世界の食料生産を支えるのでしょうか。
石炭や石油、水や土壌まで含め
すべてにわたって資源は限界に達しているのです。

 ですから、豊かさや成長を望んでも
客観的条件としてそれがもう難しい状態になっています
しかし、
豊かさを失いたくないために、現実を直視できない

だからこそとりあえず
「シェールガスやメタンハイドレートは画期的」、
「原発を使えば発展する」
と気持ちを落ち着かせようとしているのでしょう。
でも、
客観的状況はどんどん厳しくなっており、
歴史的に行き着くところまで来つつあることを
認識しなくてはなりません。
再生可能エネルギーを本格的に導入し、
よりローカルなエネルギーの自給自足といった方向に
踏み出さない限り、
限界を迎えているのが現代だと思います。

【広井〔良典氏〕】

 いまのお話を、さらに長い時間軸で見たらどうなるか。
資源消費の拡大を ここ200~300年続けてきましたが、
人類誕生以来の長い時間軸で見ると、
資源消費には拡大期と定常期がありました

結論から言えば、
いまは
3回目の拡大期から定常期への移行期だというのが
私の理解です。

 最初の拡大と成長は、
20万年ほど前にホモサピエンスが生まれ、
狩猟採集を行い始めた時期です。
それが資源的な限界に行き当たって定常化します。
2番目は、
1万年ほど前、農業が始まった時期です。
農業は、
いまでは自然にやさしいというイメージがありますが、
狩猟採取に比べれば、
森林伐採などを通じて木材を消費します。
それにより
人口や資源消費が1万年前からまた大幅に増えました。
しかし、
それも資源的な制約に行き着いて
定常化しました。
3番目は、
さきほどの田中さんのお話のとおりで、
石油、石炭を利用する時期です。
石油などの化石燃料は、
数億年かけて生物の死骸が地下にたまってできたものです。
つまり、
数億年の蓄積を、私たちは
わずか200年で食い尽くすことで拡大成長を図り

いま、それが限界に差しかかっているということでしょう。

 ですから、
拡大期から定常期への移行は、
現代が初めてではなく、
人類がかつて経験したことなのです。
とはいえ、
それがはるかに大規模に起こりつつある。
拡大成長から、
資源を食い尽くすことのない、別の豊かさを
いかに実現していけるか
という課題に直面している
のではないでしょうか。

 その際に、
工業化あるいは産業化と、資本主義、そして市場経済の3つ
基本概念になってくると思います。
私は、
資本主義とは
市場経済プラス拡大成長」を基本とするもの

と考えています。
資本主義と市場経済とをイコールで結ぶ議論がありますが、
市場経済自体は紀元前からあったもので、
拡大成長こそが資本主義の本質だと思うのです。
それは、マルクスが、GーWーG´、
Gはお金でWは商品ですが、
お金を投資して商品にかえ、
最後に得られるG′が最初のお金よりも大きくなっている
と定式化した通りです。

 では、
拡大成長をどう達成するか
工業化とは
資源どんどん消費することであり、
言い換えれば
自然からどんどん搾りとっていくこと
です。
もちろん拡大成長には
16世紀頃からの商業資本主義という形態もあれば、
産業資本主義、金融資本主義という形態もありますが、
もっとも強力な意味を持ったのが
工業化ないし産業化であり、
ここで市場経済プラス拡大成長の資本主義と、
資源の大量消費の話が結びつきます

社会システムのあり方をどうしていくか ということと、
資源消費の話はつながってくる
と思います。”
(岩波書店 雑誌『世界』 2014年3月号、70-72頁)

――――――――――――――――――――――――――――

20190423 UPLAN
【院内集会】
世界の貿易体制はどこへ向かうのか?
 〜TPP11/日欧EPA/RCEPそしてWTOの課題〜


〈【次(B)のページ】につづく〉