【B】《楽園のパラドックス》~「拡大成長の呪縛をどう断ち切るか」~ |   「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!

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前回記事に引き続き、
(対談) 田中洋子×広井良典
「拡大成長の呪縛を どう断ち切るか
~地球資源、人的資源の決定的限界に向き合う~」

(岩波書店『世界』2014年3月号)
を、以下に見て行きます。


※引用文中の太字・色彩・拡大・下線での強調は、引用者によるものです。
また、《雇用破壊労働破壊、格差創造の悪循環》という点で、
以下の前半部分は、前回記事と重複します。
――――――――――――――――――――


"【田中】
もう一つの豊かさの根源は、
地球上の経済的、政治的、軍事的な格差
つまりグローバル格差の利用です。
その始まりは大航海時代ですが、
そのインパクトは
今日の世界各国の社会経済構造、人口構造にまで
影響を与えています。
 典型的な例は、
私たちが日々使っている砂糖です。
砂糖は
16世紀から17世紀にかけて、
ヨーロッパがアメリカ大陸を植民地化して
大規模栽培する中で拡大しました。
それまでヨーロッパでは甘いものは蜂蜜しかなく、
ポルトガルの王女が嫁ぐ際に、
砂糖の塊と銀塊のどちらを持っていくかと問われて
砂糖を選んだという話があるくらい
貴重品だったのです。

 そういう価値を有する砂糖を、
自らが武力で支配した地域の先住民を安く使って
生産させれば、
きわめて低コストで莫大な利益を手に入れられる

砂糖があるところに奴隷ありといわれるようなシステムが、
17世紀以降につくられました。
キューバのハバナの博物館では、
手や足に大きな鉄の塊がつけられた枷〔かせ〕を嵌〔は〕められた、絵にかいたような奴隷の展示を目にしました。
奴隷を使って労働力の価格をゼロに近づけ、
利益のすべてを本国に吸い上げていく。
このメカニズム
は、
砂糖のみならずコーヒーや紅茶、タバコなどにも広がり、
そのおかげで、
日常的な先進国が、
先進国の労働者階級に至る庶民レベルまで行き渡りはじめた
のが
19世紀です。

 こうしたやり方は、
現代に至るまで、
様々な形でアレンジされて続いています

現代でも、
上海の工場に連れて来られた四川省山間部の労働者や
あるいはバングラデッシュの少女を
きわめて安い賃金で雇用し、狭い部屋に収容して服を作らせ、
それより私たちは安価な商品を入手できる

このように、
私たちが消費する食料や衣料の相当部分
グローバルな超格安労働力の利用によることで
私たちの日々の豊かさ支えられているのです。


グローバル格差の利用という成長エンジンは消滅

【田中氏】
 グローバルな格差の利用によって、
とりわけ19世紀以降私たちは大きな恩恵を享受してきました
しかしながら、
こうした粗利がきわめて多い「うまい商売」
つまり安くこき使い、死んだら使い捨てにしても誰も文句を言わない
というやり方も限界に達しています

 たとえば、中国では これまでは
内陸部の人たちを安く雇用し、沿岸部で生産を行わせていましたが、
最近は労賃が上がり、労働争議も頻発し、
中国共産党も労働条件を向上させているため、
企業にとって中国で生産するメリットが少なくなっています。
中国のみならず、
インドネシアやベトナム、バングラディッシュでも徐々に賃金が上がり、
生活条件も上がってくる。
今後アジアでまだ格安労働力を利用できそうなところは
ミャンマー、究極的には北朝鮮ぐらいでしょう。
世界的に見れば、アフリカの大部分が残っています。

 しかし今後、
労働力を低劣な条件で酷使しても文句を言われない地域は
少ないでしょう。
国連や国際NGO、労働組合のチェックが働いていることに加え、
情報化が進展し、
誰もがネットで情報発信ができるようになったために、
企業が労働力を「自由」に酷使することが
できにくくなっているからです。
そうすると、
先進国を中心にこれまで豊かさを享受してきた「おいしい」システムは
縮小し、
自国でつくることと大して変わりがなくなります。
私たちは
グローバル格差の利用も
だんだんできなくなる客観的状態にあるのです。


【広井氏】
地球資源も、グローバル格差を利用した人的資源
限界に達しつつある ということですね。
市場経済プラス拡大成長が資本主義の本質だと述べましたが、
拡大成長ののりしろは もうない という現実を踏まえたとき、
定常期に移行する資本主義あるいは「ポスト資本主義」の社会構想を
つくっていく必要がある。
田中さんのお話を聞いて、
ローザ・ルクセンブルクの
資本主義は外部があってはじめて成り立つ
という有名なことばを想起しました。
その「外部」が、
いま消滅しようとしていることですね。

 1970、80年代には、
グローバルな格差に関する議論が活発で、
大きく2つの考え方がありました。
1つは、
ロストウなどを代表的論者とする「近代化論」です。
これは、
世界のどの国も農業から工業化が進み、みなが豊かになる
という議論です。
もう1つは、
アミンやフランクといった論者を代表とした「従属理論です。
これは、
世界全体が近代化するというのは幻想であり、
むしろ「中心と周縁」という形で格差や従属関係が存在し、
途上国や南側諸国との間の不等価交換の上に、
先進国の繁栄は成り立っている
のであって、
その関係自体が根本的に変わらない限り、
世界全体がエスカレーターを昇っていくことはあり得ない
というものでした。

 しかしその後は
社会主義が退潮し、
従属理論やマルクス主義的分析が後退したこともあり、
現在は
グローバリゼーションで全体が豊かになる
という新古典派的なパラダイム
圧倒的に強い状況が続いています。
ただ、80年代以降
金融資本主義が世界を席巻した後に、リーマンショックによって
楽観的な見通しは もうあり得ない ということに
ようやく人々が気づくようになった。
しかも新興国の工業化に いわば寄生することで
成長を図ってきたが、
皮肉にもそれは資本主義が依拠していた「外部」を失うことにもなり、
この意味でも根本的な限界に至っている
それで近年になって、
脱成長といった議論が
再び出てくるようになっているのではないでしょうか。”



究極の工業化がもたらす「楽園のパラドクス」


【田中氏】
 豊かさ成長を支えるもう一つの要因として、
近代の科学技術の進歩があります。
競争に打ち克つための企業努力、
シュンペーター的なイノベーションとしての技術開発
です。
この力は
想像以上にすごいもので、
私たちの社会経済のあり方大きく規定しています


 18世紀末のイギリスの産業革命の綿工業に始まって、
鉄鋼業・機械工業が続き、電機、化学工業へ
と進む中、
19世紀末から20世紀にかけて
先進国内では
いまの私たちが依存している社会が ほぼできあがります
この時期に電気製品やインフラストラクチャーの原型が生まれ、
電話もラジオもレコードプレーヤーもできる。
それがいまスマートフォンなどの情報通信機器など
いろいろな形に展開しているわけです。
もっと世の中を便利にできる、あるいは儲かるという発想から、
いろいろな人が津々浦々で努力して競争し、宣伝し
そこから優れた技術が残って、さらに発展していく
 というプロセスが
現在でも続いています。
もっと早く、もっと競争力のある売れる商品を出す
という力学
は むしろ加速化しています。

 よく「脱工業化」と言われてきましたが、
私たちは
工業化を脱したのでは全くなく、
工業化
行き着ける先のもっと先まで進んでいて、
ものすごい高度化したレベルまで究極に進化しつつある
のが
現在
です。

 工業化徹底して進むこと何が起こるのか
19世紀以前の基本的な産業は農業で、
それに加えて職人が
王侯貴族の要望に応えるものをつくったり、
手工業者の鍛冶屋が鋤など農機具をつくったりしていました

ところが、
20世紀以降技術革新でトラクターやコンバインが導入されると、
それまで何十人もが共同体的に作業していたことが、
運転手1人でできてしまい、人手が要らない状態起きました
それがさらに進んで、いまアメリカでは
広大な農地を飛行機で飛んで農薬散布もやって、
あとは巨大コンバインで収穫です。
また、何年も修業して1年前になった職人や、
それを受け継いだ熟練労働者
も、
機械の中その技量や職人技取り込まれてしまいました
旋盤で1個1個の金属を職人が削っていたのを、
いまは機械がヒュンヒュンと自動で削ってくれる
若い人を熟練労働者に養成する必要
大きく減っていきました

 1980年代には、
マイクロソフトエレクトロニクスとかロボトニクスが拡大し、
ロボットやNC旋盤に数字を打ち込むと、
勝手に機械がピタッと正確な動作をしてくれます。
いまはさらにそれがコンピューターのソフトになって、
3DでCADで設計してプログラミングで入れると、
あとは勝手にマシニングセンターが加工したり、
立体印刷してくれる

ものすごく生産性上がります

 そうすると何が起きるか
一番優秀な人のノウハウや技術
全部コンピューター入れてしまえばいいのですから、
どんどん人不要になり
リストラが進みます

生産現場だけではありません。
会計や経理などホワイトカラー系の事務でも、
いいソフトを使えば、
データさえ打ち込めば、あとは勝手に計算してくれて、
フォーマットも整えてくれて、
関連するものまで全部統合してれる
となると、
もうたいした人手要らない
のです。
工業化が進めば進むほど
機械が進歩して
人が働く必要なくなる

だから本当は、
労働から解放された極楽生活が
できるはず
なのです。
しかし、その極楽生活
実際には失業、解雇など、悲惨な状態
つながってしまっている
です。

 そして最終的に残る仕事なに
製造業ではものすごい単純労働です。
たとえば、
ペットボトルの製造ラインでは
大量の派遣労働者が働いていますが、
かれらは
キャップのところがなめらかになっているかを
確認する作業
をしているのです。
機械ではできないそうで、
流れてくるボトルを、たださわるだけ
こういうバイトがあって、
これを何日も何日もやっていると おかしくなりそうで、
実際に途中で騒ぎ出す人が出て
現場が混乱したこともあった
と、
ゼミ生が言っていました。

 あるいは
コンビニのサンドイッチをつくっている会社では、
24時間操業で、
ひたすらハムやレタスをはさむだけの仕事
をやっています。
そこの夜勤で働いているのは
フィリピン人などの外国人労働者中高年男性多く
誰も一言も口を利かない異常な雰囲気の職場
とゼミ生から聞きました。
そういう人が夜中に働いて、
あの綺麗なおいしそうなサンドイッチを
つくっているわけです。
野菜を入れた、身体にいいサンドイッチを考える
コンビニのブレーンの人の仕事は とても創造的だけど、
それを誰をどうやってつくっているか
誰も知らない
残されているのは
こういう究極の単純労働

雇用の質の悪い仕事です。
技術革新すすめた結果として、
できることろ全部機械であり
残った単純作業だけ
劣悪な低賃金労働任せて

私たちは
自分たちの豊かさ基盤を得ている
のです。

 ゼミの学生とビールの製罐会社を
見学に行ったのですが、
一分間にこのビール缶が
1つのラインで2300個できるそうです。
1年で15億個です。
大きな自動機械が入っているのですが、
製造現場にいる人はわずか30人。
その人数で1日に600万個つくる

もう想像しづらい数字です。
アダム・スミスの『国富論』の冒頭で
ピンをつくる職人の話が出てきます。
職人が1本1本つくると効率が悪かったけれど、
針金を伸ばす人、切る人、とがらせる人と
分業がすればとても効率がよくなって
何十本もつくれます、と。
いまは何百本ですよ。
技術革新のレベルは、
劇的に進歩して、とんでもないレベルになっている

いまはそのために供給
だぶついている
そうです。
ビールを飲む人口が少なくなっているのに、
生産性を究極まで上げたおかげ供給過剰
競争が激しくなって、
1個当たりの納入価格を
下げなければいけなくなって
逆に経営は大変
と聞きました。

 その一方で、
生産性の枠に入らない仕事が残っています
ケアや対人サービスのように、
機械で効率化できない部分
です。
ところが、
これまで賃金の社会的なコンセンサスは
生産部門の男性労働者をベースにして
作られてきたもの
なので、
ケアやサービスの賃金には うまく対応していないですね。
というのは、
ケアやサービス
家族やコミュニティの中で
お金をもらわないでやっていたシャドウワーク
だったからです。
それがいま社会の表面に出てきて、
低賃金労働の領域を広げている
生産性の向上企業の技術革新と、
さらなる効率化を前提としたときに、
社会全体の人々の働き方をどうするか
根本的に考え直すときが来た
と思います。


【広井氏】
 ローマクラブが1997年に出した
『雇用のジレンマと労働の未来』という報告書で
「楽園のパラドックス」という興味深い議論を展開していますね。
まさに田中さんが言われたことですが、
技術革新の帰結として労働生産性が上がれば上がるほど、
少ない労働で多くの生産を上げることができて
人々の需要を満たすことができるわけだから、
生産性が最高度に上がった社会とは
ほとんどの人が失業する社会なんですね。
それがいま多くの先進国に起こっている事態です。
アメリカ、日本は
中でもひどい状況で
はないでしょうか。

 現在の先進諸国で
若者を中心に失業が慢性化していることの根本原因は、
資本主義が生産過剰に陥っているからです。
いわば過剰による貧困が生じているわけで、
過剰を抑制していかなければいけないし、
同時に分配について考えなければなりません。
少人数の労働で多くの生産が上げられ
全てに人の需要が満たされるということ
は、
その少人数の人に富が集中することになる

それはまた、
仕事を持つ人―持たない人
富を持つ人―持たない人
二極化を意味しますから、
格差が広がり、分配こそが
重要な問題になってきます。



 過剰の抑制と雇用、分配を考えるとき、
いまのケア労働もそうですが、
ローカルな雇用、経済循環を築く必要があると思います。
それは口で言うのは簡単で、
実際はきわめて困難ではありますが、
田中さんが御専門のドイツは、
社会保障や再分配、そして自然エネルギーにしても、
ローカルなコミュニティで経済を循環させていこうとする志向
見えますし、
相対的にうまくいっているように思うのですが。”
(岩波書店 雑誌『世界』 2014年3月号、74-76頁)

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〈【次のページ(C)】につづく〉
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