【16-3】ヴァンダナ・シヴァ《開発と経済成長、資本主義の勃興と、その技術的構造の隠れた歴史》 |   「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!

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徳冨蘆花「謀叛論」を再発見してたら、
「ソクラテスの弁明」が、なぜ好きなのか、最近になって納得し始めた今日この頃です。

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『種子 みんなのもの? それとも企業の所有物?』予告編


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合計200万円のようですので、
ご興味や御関心のおありの方、
クラウド・ファンディングへの御参加のご検討を、
お願い申し上げます。)
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モンサント遺伝子組み換え種子を拒否するカナダ農民    Democracy Now !


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TPPについて - 日本の皆さんへのメッセージ


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ドキュメンタリー映画
『fire in the blood』(薬は誰のものか?) 日本語版予告編

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前回記事〉から続く形となりますが、
ヴァンダナ・シヴァの叙述を通じて、
インドを襲った
近代西欧からの現代技術-開発-経済成長》、
そして《多国籍企業》と《国際機関IMFIBRD、またWTOなど)》正体について、
捉えようとしています。


人工知能監視社会》を取り上げた
今回の一連記事ですが、
このシリーズ記事の最終地点も、
人工知能と、人工知能にまつわる事柄」です。


というのも、《人工知能活用無責任》と
人工知能による安全保障のジレンマ》の‟悪循環”とに心から憤って書き始めたからです。

〈前回記事〉では
産業経済で「成長とされる経済の在り方では、
たとえば、自然林
単一種大面積栽培モノカルチャー)の人工林
変える
が、
それにより自然を《痩せさせたり》、
また、
森林から生物多様性と土壌や水を保持する能力
奪い取る行為》だったり
あるいは、
森林に依存する人々の暮らしから、
食物、飼料、燃料、繊維、医療品
洪水や旱魃に対する従来の安全保障源泉
奪い取る行為基づく》ので、
成長志向の経済の在り方》は、
ヴァンダナ・シヴァたちの眼から見れば
自然人々からの《窃盗の一形態でもある
という告発
を見ました。

今回も、その続きで、
今回は、もう少し長期的に歴史的に、眺めてみたいと思います。

今回は、
同じくヴァンダナ・シヴァ『緑の暴力』(邦題)から

見てみたいと思います。


緑の革命から得た持続可能性についての教訓が 今ほど必要な時ない
自然の持続可能性は、
自然のプロセスを再生し、自然の返報の法則を遵法することにある。
農業共同社会の持続可能性は、
農業生産の文化地方経済再生し、活性化することにある。
市場における持続可能性
原料の供給商品の流れ資本の蓄積投資に対する利益確保することにある
生命を維持している自然の能力損なうことによって失った持続力
市場によって与えられることできない
世界的市場の成長
国内生産消費の国内経済破壊覆い隠す

持続可能な農業への移行には、
自然人間軽視された経済を、
農業の生産性とコスト利益分析の評価のなかで
目に見える形で表さなければならない

環境社会持続可能性損なわれてきたのは、
経済発展の支配的のパラダイムにおいて、
自然の経済」と「人間の経済」が軽視され崩壊しているからである。
このパラダイムにおいて
市場の成長たいていは
自然の経済人間の経済破綻と縮小
ともなっている

にもかかわらず
市場経済の成長しか測定しない

農業生態的な基礎破壊され
大勢の農民立ち退きをせまられ根なし草となっている

 持続可能な農業移行するには、
軽視されている自然の経済人間の経済を、
農業の生産性評価とコスト利益の分析に
目に見える形で表に表さなけらばならない

持続可能性の基準農業内部化できるのは、
自然の経済健全な自然生態的プロセス表し
人間の経済
現実に健全な社会経済状態および栄養状態表している場合のみである。

 開発経済成長もっぱら
資本蓄積のプロセスという条件でのみ認識されている
しかし、市場経済レベルでの金銭的資源の増加たいていは、
人間の生存のための経済自然の経済から
自然資源取り上げることによって行なわれている

一方、
経済成長は、
自然資源めぐる争い引き起こし
他方では
自然人間資本経済的に不安定な関係
つくりだしている

(ヴァンダナ・シヴァ『緑の革命とその暴力』P.ix-x)


以下の引用内容からは、
今シリーズでの、これまでの記事と、
内容的に重なるところも数々見られますし、
いま私たちが直面しているバイオテクノロジーと
近代の《所有権》という枠組みという歴史的なものとを同時に、見させられ、考えさせられることになります。



 支配的パラダイムにおいては、
技術社会よりも上にある見なされており
社会の構造と発展の両方において
技術解決策を与えたり、決定要素になる
という理由でそのように考えられている
技術
社会に存在する諸問題の解決策の源と見なされていて
新たな社会問題の源として認識されることほとんどない
その方向
自己決定的なもの考えられている
急速に技術的な変化起こっている時期
その変化平等持続可能性参加という社会価値観合わせる
ではなく
社会大衆
その変化合わせなければならない
と考えられている
【――※引用者
ティモシー・メイ&ジグムント・バウマン【著】
『社会学の考え方』(第2版)
〈第9章「テクノロジーとライフスタイル」〉
においても、
私たちの行為が、
情報機器や職場環境との関係によって、
様々な形で制約を受け変更を余儀なくされる
という指摘が出てきましたが、その指摘を思い出させます。――】

 しかしながら、技術的変化
支配的な人々の優先順位によって形づくられており
その優先順位役立たせるプロセスである
と考える別の視点もある
この視点では、
技術的選択
狭い社会基盤もとづいていれば

人間的な関心事大衆参加排除される

その狭い層の利益
本質的に革新的であり、社会的に中立な技術を持続するという名目で
保護される

一方、社会的基盤が広がれば
支配サークル現在の小さなグループから広げることによって、
人権環境保護される

 新しいバイオテクノロジー出現したことで、
この二つの傾向顕著に現れた

バイオテクノロジー技術的アプローチ
技術の発展自己決定的なものとして描きだし
社会的な犠牲必然と見なす
したがって、大衆の生活権などのような人権
革新的プロセス保護する所有権のためには
犠牲にしなければならない

皮肉なことに、人権犠牲にするプロセス
あたかも自動的に人類の幸福を導くものとして
描き続けられている


 新しい所有権をつくるため
大衆の権利犠牲にすること

新しいことではない

これ資本主義の勃興その技術的構造
隠れた歴史の一面
であった。
15世紀から16世紀にかけて現れた私有権法同時に
森林牧草地使用する人々の行動の権利侵し
産業化を通じて資本蓄積社会的条件つくった
私有権の[という]新しい法律は、
財貨として個人の所有権保護することめざしており
生計の基礎としての共有地の集団的権利破壊した
私有権の語源であるラテン語のPrivateは、
取り上げること」を意味する。
人権から私的な所有権シフトすること
排他主義的技術社会に根をおろすため
一般的な社会的および政治的前提条件
である。
そのようなシフトの舞台がいまや設営され、
企業と産業が発展するバイオテクノロジーの時代迎える用意
整っている

 狭い考え方では、
科学と技術は科学者や技術者がつくりだしたものとして
慣例的に受け入れられており、
発展とは
科学技術つくりだしたものとして認められている
ここでいう科学者技術者とは、
西欧の科学技術について正規の教育
西欧の研究所や団体
あるいは西欧のパラダイムを模倣したアジアの研究所で受けている
という社会学的範疇に属する人々として受けとめられている
こうした同義反復的な定義は、
大衆や、とくに貧しい人々除外し、
多彩で特異な文化をつくってきた地球の文化的多様性独特の文明史
無視するというのならば問題はない

この考え方における発展とは
非西欧的な状況
西欧科学技術導入することと同義として
受けとめられている
この不可思議なアイデンティティとは、
発展=近代化=西欧化というもの
である。

 科学を「知ることの手段」と考え、
技術を「為すことの手段として考えるような広い文脈では、
すべての社会
その多様性を残したまま
それぞれの独特の多様な発展の土台となるような科学と技術体系をもってきた
技術あるいは技術体系は、
天然資源人間のニーズギャップをつなぐかけ橋となっている

知識と文化体系は、
科学と技術の定義認識する上での枠組みを与える
科学と技術はもはや西欧独特なものとしてではなく
すべての文化や文明と多元的に関連するものとして見なされる。
そして、特定の科学や技術
自動的にあらゆる場所における発展転化されることない
生態的にも経済的にも不適切な科学と技術
低開発の解決策にはならず、むしろ低開発の原因となる
生態的にも不適切であるということは
生命維持システムを再生する自然の生態的プロセス
技術的プロセス資源要求影響ミスマッチなのである
技術的プロセス
天然資源大量に取りだし
汚染物質生態的な限界超えて放出する
そのような場合
技術的なプロセス
生態系破壊し、低開発に寄与する


 経済的に不適切であるということは、
社会のニーズ技術体系要求ミスマッチだということである。
技術的なプロセス原料と市場の需要つくりだすので、
原料と市場の両方を支配すること
技術的変革政治の必須の要素となっている
(ヴァンダナ・シヴァ『緑の暴力』P.239-243)



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