〈近日イベントなどの告知〉
―――――――――――――――
〈前ページからの続き〉
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
『種子 みんなのもの? それとも企業の所有物?』予告編
☞ラテンアメリカのドキュメンタリー映画
『種子(たね)-みんなのもの?それとも企業の所有物?』
日本語版制作ファンディング中
(目標金額は、すでに達成はされていますが、
スタッフさんの自己犠牲が軽減される追加的目標が
合計200万円のようですので、
ご興味や御関心のおありの方、
クラウド・ファンディングへの御参加のご検討を、
お願い申し上げます。)
――――――――――――――――――――――
モンサント遺伝子組み換え種子を拒否する カナダ農民 Democracy Now !
※日本語字幕が表示されない場合、
YouTube画面の右下の[cc]という表示に、
マウスのカーソルを持って行き、
左クリックして[cc]に赤い下線表示が出ると、
日本語字幕が出てきます。
――――――――――――――――――――――
TPPについて - 日本の皆さんへのメッセージ
――――――――――――――――――――――
ドキュメンタリー映画
『fire in the blood』(薬は誰のものか?) 日本語版予告編
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
話を本題に
戻さなければなりません。
しかし今ひとつだけ、
ジェーン・G・ホワイトの同書の中の
第10章「会計は地球を救えるか」の扉には、
つぎのような発言が引用されています。
ロバート・レペット 世界資源研究所(2000年)
「・・・…鉱物資源を掘りつくし、森林を伐採し、
土壌を浸食し、帯水層を汚染し、
野生動物を絶滅に追いやったとしても、
国の収益には影響がない…・・・」
――・――・――・――・――・――・――
ウェントワース懸念する科学者の会(2008年)
「会計システムは、
資源が永遠であると思われていた時代に、
自然環境の保護ではなく
産業革命の推進に重きが置かれる状況のもとで発展した。」
――・――・――・――・――・――・――
ポール・オルメロッド『経済学は死んだ』(1994年)
「国民経済計算の構成が
不変でなければならない理由はなく、
経済活動に該当するものが変化しても不思議はない」
(同 P.220)
ジェーン・G・ホワイトは
同書の最後のほうに、
つぎのような提言を書いています。
❝2008年3月、
ロバート・ケネディの演説から40年の歳月を経て、
GDPに対する疑問が ようやくワシントンで議題にのぼった。
上院委員会で、
GDPでは
環境破壊、貧困、所得格差、健康、生活の質が測れないことや、
GDPで国民の幸福を測ることの危険性が議論されたのである。
このときは国民経済計算に修正を加える法改正にまでは
いたらなかった……(引用者中略)
現実的には、自然資源を定義し、数値化し、評価するということは
非常に難しいが、それを踏まえたうえで、
EUの欧州環境機関(EEA)とその加盟国は、
生態系が国民福祉にどれだけ寄与しているかを記録する方法を
開発しようとしている。
この「生態系勘定」には、
ストック、原材料とエネルギーのフロー、サービスの物理的な量と金額が
含まれる。
基本的な考え方と同じレべレルのサービスを提供する生態系を
つくるのに、
どのくらいの投資が必要かを見極めようとするものだ。
EEAは、さらに土地、炭素、水の勘定もつくり、
欧州でそれらの勘定がどのくらい変化しているか、
そしてそれがどれだけ経済に影響を与えるかを示そうとしている。
(引用者中略)
国連が2010年に発表した
『地球規模生物多様性概況第3版』をまとめた
経済学者のパヴァン・スクデフは、
自然界にあるモノやサービスを評価して
グローバルな経済システムに組み込まなければ、
私たちは環境を破壊し続けることになり、
その結果、衝撃に対する環境の耐性を弱め、
人間の命や生活を危機にさらすことになると言う。
しかし、現状を打開するためには、
私たちのビジネスや消費のあり方、そして生活に対する考え方を
根底から変えていかなければならない。
国連のこの報告書には、
「グローバル経済は、
自然の価値を盛り込んで大きく変わらなければならない」
と記されている。
社会は自然を消費するのではなく、
地球上の限りある資源の価値を保全するように努力する。
企業には自然の利用について厳しい制限を課す。
そして、企業と政府は、
業績とともに自然や人的資源の利用についても説明しなければならない。
報告書が描いているのは、
地球の未来のためにつくられた会計制度によって規制される世界だ。
(引用者中略)
地球上の限りある資源の価値を評価する――あるいは評価しない―― 方法である複式簿記は この地球上の生命を存続させるかもしれない。
環境の利用はコストがかからなないとして、
国や企業の決算書に含めず、地球を壊し続ける道もある。
自然を会計に含めることで、豊かな自然を取り戻す道もある。
数字や貨幣が、
このグローバル資本主義経済において
唯一の共通言語であるならば、それを使うべきだろう。
アカウンタントはエコ・アカウンターとして、この転換のなかで
中心的な役割を果たすことができる。
2010年にジョナサン・ワッツがアカウンタントを
「地球上の最後の希望の星」と表現したのは、これが理由だ。
ただし、ワッツが指摘するように、
うまくやらなければ、環境会計を導入しても、
自然を「商品として扱い、値づけし、もっとも高い値段をつけた人に 切り売りする」世界を招くことになりかねない。
しかし、成功すれば私たちの価値観を変え、
資本主義社会を新たな形に進化させることになるだろう。❞
(ジェーン・G・ホワイト
『バランスシートで読みとく世界経済史』P.238-242)
引用文の最後のほうで、
《従来どおりに、
地球上の限りある資源の価値を評価しないまま》だと
環境の利用は《コストが掛からなない》として、
国や企業の《決算書に含めず》地球を壊し続ける。
しかし、かといって、
環境会計を導入しても、「うまくやらなければ」、
自然を《商品として扱い、値づけし、
もっとも高い値段をつけた人に切り売りする世界》を
招くことになりかねない。
と、ジェーン・G・ホワイトが書いているように、
後者のほうの懸念は、
地球環境の破壊への歯止めのための
《自然の価値評価/環境会計》は、
別な見方をすれば、
前記事で御紹介した見田宗介氏による指摘である
《自然環境の貨幣への疎外》とも言えます。
また他方、
生態系などの自然環境から
《自然資源として徴用する》に当たり、
その自然資源を「人間が拵(こしら)えるとしたら、
どのくらいの投資が必要か」を算出する仕組みの 〈生態系会計〉をはじめ、
〈環境会計〉の「仕組み作り」の困難さを、
ジェーン・G・ホワイトは断っているが、
しかし、「その計算のしくみ」は、
――善意であっても、
何かしらの悪巧みを含みもっているにしても――
《どういう人間たち》によって、
《どういう時代や状況や環境のなか》で
《どのような考え方や思想に基づいて》、
――生態系や自然環境をどこまでは算出に含め、
どこからは算出から排除するのか等――
設計されるのか、という
《設定上の、大なり小なりの何かしらの恣意性》は、
免れ得ないので、
それへの心配も生じてくるのではないでしょうか。
――・――・――・――・――・――・――
さて、話を本旨に戻すと、
いまの一連記事のキーワードやテーマは
「知財/特許」「現代技術」「開発」のはずなのに、
唐突に《会計システム》の話をしていて、
さらに話題が二点三転し、あたまを混乱させ、
ご迷惑をお掛けし恐縮至極ですが、
ここで、ようやく本題に入ることが出来ます。
今回を含めて、以降の何回かは、
この《現行の会計システム》では
「勘定されない大事なもの」と、
「それ」を私たちから奪う《合法的窃盗活動》
についての話なのです。
ヴァンダナ・シヴァの著作から、以下に引用します。
❝【「成長」は、自然や人々からの窃盗の一形態】
過去20年以上にわたって私が環境保護活動家として、
また市民運動の知識人として関わってきたあらゆる問題は、
産業経済で「成長」とよばれているものが、
じつは自然や人々からの窃盗の一形態であることを
明らかにしてきた。
森林を切り倒したり、
自然林を
マツやユーカリの単一大面積栽培(モノカルチュア)の人工林に変えて
パルプ工業の原料にしたりすることが、
歳入や経済成長を生み出すというのはその通りである。
しかしこの成長は
森林から生物多様性と土壌や水を保持する能力とを
奪い取る行為に基づいたものだ。
この成長は、森林に依存する人々の暮らしから、
食物、飼料、燃料、繊維、医療品、洪水や旱魃(かんばつ)に対する
安全保障の源泉を奪い取る行為に基づいているのである。
ほとんどの環境保護論者は、
自然林を単一種大面積栽培の人工林に変えることは
自然を痩せさせる行為だということが理解できているのに、
こうした洞察を工業化された農業にまで拡張する人はそうは多くない。
工業化された農業は
より多くの食糧を育て飢えを減らすために必要だ、という企業神話が 創られてきて、
ほとんどの主流的な環境保護論者や地域開発団体もそれを共有している。
多くの人はまた、
集約的な工業的な農業は資源を節約し、
したがって生物種を救うとも仮定している。
しかし農業でも林業と同じく、
成長という幻想が、自然や貧しい人々からの窃盗を隠蔽し、
資源の欠乏を創り出しているのに、
それを成長と偽っているのである。
このような窃盗は
グローバル化した経済の出現以降ひどくなる一方だった。
1994年の関税と貿易に関する一般協定(GATT)ウルグアイラウンドの実現と
世界貿易機関(WTO)の設立は、
自然と人々から盗まれた収穫に基づく企業成長を制度化し、合法化したのである。
WTOの貿易における知的所有権に関する協定(TRIPs協定)は、
種子の保存と種子の分配を犯罪行為にしてしまった。
また同じくWTOの農業に関する協定は、
遺伝子組み換え食品の各国へのダンピングを合法化し、
多様な食物システムが依拠している生物的、文化的多様性を保護する活動を犯罪行為にしてしまった。
GATTへの対応として始まったグローバル化反対運動は
著しく成長してきた。
そこに参加してきたことは私の誇りである。
(引用者中略)
遺伝子工学や企業による農業支配に反対する地球規模の市民運動が、
遺伝子工学を
周辺的な話題から通商や経済の中心舞台に引き出してくるのを私たちは見てきた。
私は、生物荒廃(biodebevatation)に関するセントルイスでの集会とか、
英国における遺伝子組み換え作物取引の五年間凍結キャンペーンの開始とかで、
同時代の最も勇敢で創造的な人々と共に働いていきたが、
彼ら〔勇敢で創造的な人々〕が巨大企業と対決して、
そ〔巨大企業〕の方向を変えたのである。
政府を操り人形にし、
自らを守るためにWTOのような道具や制度を作ってきた大企業が、
今日では一般の人々に対する説明責任を求められている。
(ヴァンダナ・シヴァ『食糧テロリズム』P.11-13)
【次のページにつづく】