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アメリカなど欧米社会は、
ロシアによるウクライナ侵攻について、ロシアを強く非難し、経済制裁を科し、ウクライナに軍事支援をする一方で、
イスラエルによるパレスチナでの民族浄化的ジェノサイドについては、イスラエルを擁護・支援するという様子を目にして、私たちは、欧米諸国による〈ダブルスタンダード〉を感じています。

この“ダブルスタンダード”的な様相を、「(前哨)基地」という視点で見直してみると、ダブルスタンダードとは「また別の見え方」ができるかもしれません。

本日は終戦記念日である8月15日。
この8月15日に、鎮魂や平和への祈りと願いとをこめて、このブログ記事を、更新しようと思いました。


今回のブログ記事は主に、次の二つの論考に基づいています。

〇栗田禎子
「ガザ侵攻に抗うグローバルサウス」
(雑誌『地平』創刊号、2024年)

〇水島朝穂
「集団的自衛権の『無力』と危うさ:『プーチンの戦争』から見えるもの」
(Web日本評論 2022.04.06)

――・――・――・――

中東研究の歴史学者の栗田禎子氏は、雑誌『地平』2024年創刊号所収の「ガザ侵攻に抗うグローバルサウス」において、昨年10月7日からのガザ侵攻について、イスラエル政府に対して、機敏に糾弾する姿勢を見せた国々の特徴点として、これまで〈侵略〉や〈占領〉や〈植民地支配〉を受けてきた「南/サウス」の国々、南北問題における「南」の国々であることの共通点を、挙げています。

そしてイスラエル国家は、アメリカなどの「前哨基地」の役割を果たしてきた、と言います。

 冷戦が崩壊後では、アメリカをはじめとする西側諸国は、「テロとの戦い」の名のもとに、その経済的利害や地政学的利害から、明らかに国連憲章違反や国際法違反ではあっても、イラク戦争やアフガニスタン戦争などの「むき出しの軍事介入を他の諸地域に仕掛ける」(142ページ)ようになった。地球上の「南」の諸地域への、そのむき出しの軍事介入の背景には、「一握りの『北』の諸政府が共同で『南』の民衆を管理し資源を搾取しようとする仕組み」の「集団的帝国主義」(サミール・アミン)の論理がはたらいている、と指摘します(142ページ)。

 そう言われてみれば、第2次世界大戦後の国際世界は、《開発〔Development〕》を通した経済的支配が行なわれてきました。

アミンやアンドレ・G・フランクの‟従属理論”や、ウォーラーステインの“世界システム論”、などの概念を通して批判されるように、《植民地を持たないかたちの植民地支配》が行なわれてきており、それが故に実際のところ「南北問題/南北格差」が深刻化していきました。

脱炭素技術の裏側で
リオツバ・ニッケル鉱山の拡張がもたらすもの

ニューノーマル時代の人類へのメッセージ
(ヴァンダナ・シヴァ氏)
Message for Humanity in the New Normal Age (Dr. Vandana SHIVA)

【TVでおなじみ、ダニ博士が語る】
新型コロナウイルス発生の裏にある“自然からの警告”

モンロー教義は米外交の恒久基盤 / ボリビア政変未遂事件の真相

【30分以降~】

たとえば、アメリカがボリビアの資源を狙っているが、そのときのボリビアの政権が〈左派政権〉である場合の、アメリカの対応の仕方について、興味深い話がされています。


開発経済学者でアジア経済論の経済学者である郭洋春氏による『開発経済学~平和のための経済学~』(2010年)では、南北格差が、1820年には3対1だった格差が、1950年には35対1、
1992年には72対1と拡がってきたことを紹介しています。
 この〈開発経済学〉は、“第二次世界大戦後に生まれた「学問」”であったが、第二次世界大戦は終わっていないものの、〈連合国(United Nations〉の勝利が見えた1944年の時点で、〈“戦争〔経済〕が終わった後の”アメリカ経済をどうすべきか〉、アメリカ議会で議論がされており、その《開発の“矛盾”》の背景を読み取ることができます。



〔コーデル・ハル国務長官やディーン・アチソン国務長官補佐による聴聞会での発言をして〕
“ 第2の主なアメリカ合州国の目的は、投資資本の〔戦争終結後の〕将来の輸出であった。
戦争後の経済環境について1943年の下院委員会に、The National Plannning Associationのステイシー・メイ〔Stacy May〕が語っている。

「よき投資の見通しと機会とを探し求める貯蓄のとてつもない潜在力を、我々は持つ事になるであろう、と私は考えています。
数々の基金、戦争債、預金口座などといった形で、この戦争の間に積み上がった巨大な貯蓄を、我われは有することになるでしょう。
つまり、この合州国には、とてつもない〔規模の〕投資資金が、〔戦争終結後には〕存在することになるでしょう」
(House Special Committee
 on Postwar Policy and Planning,
78th Congress,Second Session(1944),p.1063)

 1940年代初めの段階で戦後の国際経済の状況に向けての計画プランを組み立てたが、先述の3つの主要目標
【引用者付記
①戦時経済中に形成された、巨大な生産供給力を吸収してくれるだけの規模の海外市場の必要性。
(C・ハル国務長官&ディーン・アチソン国務長官補佐の発言)

②戦時経済中に積み上がった膨大な投資資金や預金の投資先の確保の必要性。
(ステイシー・メイの発言)

③アメリカ国内の経済や生活に必要な原材料を調達するアクセスの確保の必要性、および原材料を買うための外貨を稼ぐ販路先の確保。】

 この3つに主要目標が、アメリカ合州国の、来たる戦後の国際経済プランにおいて、最重要課題であった。戦争が終結したことで生じる米国内の余剰〔生産品を吸収してくれるだけ〕の販路=市場を確保するための非-差別待遇的で自由で開放的な貿易。
海外の原材料や鉱物資源への確実なアクセスのための自由貿易。
他国の国家経済にアメリカ人による投資がしやすい好都合な投資環境のための自由貿易

このアメリカにとっての主要目標の1番目のものは、この計画立案のなかで頻繁に強調されて出てくるが、しかし、立法府の議員たちのほうは、長期的視野に立って考えてみた時に、1番目の主要目標に限らず、他の2つの主要目標のほうも、負けず劣らず同様に極めて重要だ、と考えたのであった。

 
(Bruce Nissen「Building the World Bank」
Steve Weissman〔編〕『The Trojan Horse』所収
Rampart Press,1975年改訂版、pp.39-41)
―――――――――――――――――――――

こうした背景から、第2次世界大戦後に“発見された/生み出された”《新しい貧困》を撲滅するための、世界中を舞台にされて展開される《開発〔Development〕》には、次のような矛盾した光景が見られたのでした。文化人類学者のアルトゥロ・エスコバル氏による『開発との遭遇』には、つぎのような記述があります。

“地球規模/世界規模での貧困は、第2次世界大戦以後の時期(the post-World WarⅡ period)に発見されたものの1つであった。ザックス(1990年)やラーネマ(1991年)が、すでに主張しているように、貧困についての考え方や扱い方が、1940年代以前のものと、かなり異なった。
(引用者中略)

同じ著者が指摘しているように、アジアの、アフリカの、そしてラテン・アメリカおよびアメリカ先住民の社会――殆どのヨーロッパの歴史の至る所にあったのと同様に――の内に、その土地固有(ヴァナキュラー・vernacular)の共同体社会が、自分たちの共同体の今後の展望、倹約、充足が調整される貧困を明確化し扱うやり方を、それぞれに発展させていた。そうしたヴァナキュラーの社会を理想的なものとして描かず、そうした伝統的なやり方が、どのようなものであるとしても、市場経済の拡大によって共同体の絆が壊され、そして土壌や水、その他さまざまな資源へのアクセスを何百万人もの者たちが奪われて初めて、近現代的な意味での大規模な貧困が現われた、ということは真実である。”
(Arturo Escobar【著】
『Encountering Development(開発との遭遇)』
Princeton University Press,1995年,22頁)

 政治経済学者のスーザン・ジョージによる著作や、また環境活動家ヴァンダナ・シヴァの著作を読むと、何故そのような「南北格差」が生まれてしまうのか、というと、技術進歩がもたらす「利益」は、〈その技術を開発した先進国〉に集中する傾向がみられ、
「南」の国々と人々は、その先進国からの「高度な技術やインフラを輸入する」ための《借金》をしてきたからなのでした。
 また例えば、ヴァンダナ・シヴァの著作を通して、“民主主義国家”のインドの政府、議会そして司法は外国資本と結託したインド国内の少数エリートが、インド国家を握ってきたため、インドがイギリスから「独立」した後であっても“一向に変わらない”実質的な《植民地支配体制》が続いてきた様子を、知ることができます。(シヴァ氏は、国際資本の根拠地である先進諸国の消費者・市民と、第三世界の現地民との「連帯」があってこそ、現状を良い方向に変えることができることを、示しています)。

自己憎悪社会

 20世紀に成立した《経済と法秩序とを通じての支配構造》の他方で、いまの〈ガザ侵攻〉とそれについての欧米社会の態度を契機にして、アメリカなど欧米世界にとっての「前哨基地」としてのイスラエル国家という視点を、わたしは得るのでした。

パレスチナ/イスラエル問題などの社会思想史研究者の早尾貴紀氏が、『地平』同号や『世界』2024年5月号などで、中東研究者のハミッド・ダバシ氏による「イスラエルの対ガザ戦争にはヨーロッパ植民地主義の歴史全体が含まれている」論考(MIddle East Eye)などを紹介している他方で、
栗田氏も、欧米社会にとっての「前哨基地」としてのイスラエルという視点で、つぎのような叙述をしています。



冷戦期の中東における米国の「前哨基地」だったイスラエルは、「新自由主義」と米主導の一連の戦争によって特徴づけられるようになった一九九〇年代以降の世界においても、先進資本諸国による中東支配を支える要として、その重要性を一層増すことになった。オスロ合意や「中東和平プロセス」の背後には、これを機に域内秩序を再編し、イスラエルを中心とする「新中東構造」(イスラエルの資本・技術とアラブ諸国の石油や労働力を結合)を結合させるという計画が存在したとされる。(中略)
 現在イスラエルは「テロ」への「自衛」を名目に、国際法・国際人道法違反の無差別殺戮を行なっているが、振り返ってみると「冷戦」後、米国をはじめとする先進諸国が中東に仕掛けてきた戦争(アフガン戦争、イラク戦争)も全く同様に「対テロ戦争」の名のもと、国際法を無視する形で強行されてきたのであり、ガザで進行中の事態はある意味では米主導の一連の対中東戦争のミニチュア版と言うこともできる。米国をはじめとする先進諸国がイスラエルのガザ侵攻を異様なまでに支持・容認しつづける根底にはこのような構図——「北」の諸政府が共同で「南」に軍事介入・支配しようとする現代の世界において、イスラエルはこうした戦争体制の不可欠の部品、最強の駆動装置なので、先進諸国は全力で守りぬこうとする——があるのではないか。

 このように見てくると、逆に「グローバルサウス」の国々がガザ侵攻を糾弾し、国際法にもとづく秩序を求めて声をあげつづけているのも、きわめて切実な危機感、問題意識にもとづく行動であることが理解できる。植民地主義は決して過去のものではなく、二一世紀の現在、先進資本諸国による「集団的帝国主義」、「北」による「南」の共同支配・搾取という現象は、生々しい現実として続いているのである。「グローバルサウス」が声をあげる背景にはイスラエルを支える「北」の支配層、新自由主義と戦争に狂奔する先進国諸政府への批判があり、今ガザを救うことができなければ、いずれは世界の諸地域・民衆全体が同じ運命に見舞われる、という認識が存在すると考えられる。”
(栗田禎子「ガザに抗うグローバルサウス」『地平』2024年創刊号、142—143頁 ※赤字・太字強調は引用者)


酒井啓子氏『現代の戦争と世界』(8分30秒~)
Stop the War―戦争をしない日本と世界を創る
 ※2022年6月18日公開

米軍による《イラク侵略》と《TPP》とは、実に「よく似ている」!

年間6500人自殺者も...米軍が抱える"深い闇"

ガザ攻撃 天然ガス大国イスラエルの強気
西側先進国の思惑【半田滋の眼No.90】20231115


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米中覇権戦争において、中国にぶつけるための、アメリカにとっての「捨て石」に、日本がさせられるのではないか、という懸念が、私のなかでは強まっています。


紛争回避のためには、緊張を高めたり、武装を強めるのではなく、「安心供与」や「緊張の緩和」「緩衝地帯を確保すること」の必要性があることを、たとえば、市民連合さんは、発信しています。

〇【徹底議論】「戦争回避」のためのリアル 第3回米中戦争を避ける、立憲デモクラシーの自己決定力柳澤協二元内閣官房副長官補(安全保障担当)×石田淳東京大学教授(国際政治学)【2023.3

〇【✏️#安心供与 ってなに?

「現況における安全保障政策についての市民連合の基本的な考え方」の検討と課題 【2023.5】 飯島滋明(名古屋学院大学教授/憲法学・平和学

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紛争が起こらないようにするためには、緊張ではなく、緩和や緩衝などが必要であることが、私たちの暮らす日本列島に引きつけて考えてみると、分かる訳ですが、この日本の状況を、ロシアのウクライナ侵攻に置き換えると、〈NATOの東方拡大〉は、“緩衝を無くし、緊張を高めた”と見ることが出来ないでしょうか。


 ロシアのウクライナ侵攻の際に、ルラ大統領のブラジルのなど少なからずの「南」(グローバルサウス)の国々が、ロシアに対する経済制裁に同調する国が‟少なかった”ことを、いま一度、捉え直してみませんでしょうか?


フィリピンの学者ウォルデン・ベローが語る
ウクライナ紛争にかかわる米国の動機に
グローバルサウスが疑惑を抱く理由 (8分)
〔デモクラシーナウJP〕


「南」(グローバルサウス)の国々が、ロシアに対する経済制裁に賛成しなかったからといって、チェチェン鎮圧などロシアのプーチン政権の在り方が問題ではない訳ではありません。中国でもロシアでもアメリカでも自律型致死兵器ロボットの開発を進めています。南の国々が、ロシアに対する経済制裁などに同調しないからといって、それは、ロシア・ウクライナ戦争における戦争犯罪とは、話が別だと思います。

ロシアのウクライナ侵攻に関しての、ロシアに対する経済制裁に対して、「南/サウス」の国々が‟あまり同調しなかった”のは、そうした政治の在り方とは“また別の次元の問題”だと思うのです。

そのように思う理由として、今度は新たに〈「(前哨)基地」としてのNATO〉というふうに捉え直してみると、また別の見方ができてくるのではないか、と思うのです。

【経済の深層】ウクライナ戦争で知る 歴史・経済・文学

☞〈『週刊エコノミスト ~ウクライナ戦争で知る歴史・経済・文学~』(2022年5月13日発売日)〉(毎日新聞出版)

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アメリカなどの〈「(前哨)基地」としてのNATO〉という視点で、ロシア・ウクライナ戦争やNATOを捉え直すに当たり、おススメするページがあります。

それは、憲法学者の水島朝穂氏による「集団的自衛権の『無力』と危うさ:『プーチンの戦争』から見えるもの」(Web日本評論 2022.04.06)です。

 水島朝穂氏は、平和学者の(故)ヨハン・ガルトゥング氏が20年以上前に、NATOの「東方拡大」‟AMPO(日米安保体制「アンポ」)”の「西方拡大」とを取り上げて、NATOと日米安保との動きについて「地球軍事的構成」として喝破していたことを、拾い上げています。

 NATOの「東方拡大」と‟AMPO(日米安保)”の「西方拡大」との「地球軍事的構成」というガルトゥングの指摘の紹介を見たときに、わたしは、先ほどの栗田氏の論考で


「冷戦終結と…社会主義圏の崩壊の結果…米国を中心とする先進資本主義諸国が、経済的・地理的利害を求めて——19世紀末の帝国主義全盛期を彷彿とさせる——むき出しの軍事介入を他の諸地域に対して仕掛ける、という現象を生み出すことになった」(『地平』2024年創刊号、142頁 ※赤字・太字強調は引用者

という指摘を、私は連想してしまいます。


「南/サウス」の国々の政治家や人々は、ウクライナ紛争ついての、米国をはじめとする欧米諸国による経済制裁について「疑念」をもって見ているのは、西側先進諸国の“所業”を熟知しているからかもしれません。

「貧困の終焉?」
グローバル経済の収奪構造をえぐるドキュメンタリー


水島朝穂氏は、
ロシアによるウクライナ侵攻は、その必要性や緊急性などの自衛権の要件を満たさない明白な侵略であり、民間への無差別攻撃の戦争犯罪について論じる他方で、
NATOは、冷戦終結により「最大の仮想敵」を失った事により、「新たな脅威」が必要とし1999年に「新しいパラダイム転換」を起こすことを指摘しています。
 この存在理由を失ったNATOの「新戦略」では、〈世界の様々な地域や民族紛争に関与・介入していく〉ように「パラダイム転換」を起こしたのだ、と。そして、その「パラダイム転換」は、日米安保体制も同様だった、と。



“セヴァスティアン・キールマンセックの編著『国土防衛と同盟防衛の再帰―古いシナリオの新しい法的諸問題』 には、2014年3月のロシアによるクリミア併合が、「北大西洋条約機構(NATO)の新しいパラダイム転換」になるという分析が示されていた。実は「NATOのパラダイム転換」は30年あまり前に劇的な形で起きていた。それは「ベルリンの壁」崩壊後の1991年、ソ連邦とワルシャワ条約機構(旧WTO)の解体である。その意味で今回は、「パラダイムの360度転換」となるのか。

NATOとAMPOの再定義
1991年、NATOは、ワルシャワ条約機構の解体により「最大の仮想敵」を失うことになる。巨大な軍隊と高額の軍事費に依存する軍需産業を維持し続けるためには、「新たな脅威」が必要となった。ここから、NATOは自らの存在証明のため再定義を試み、1999年の「新戦略」により、世界各地のさまざまな地域・民族紛争に関与・介入していくことになる。これは、ソ連を最大の仮想敵国としていた日米安保条約体制も同様だった

22年前、平和学者のヨハン・ガルトゥングは、NATOとAMPO(日本通の彼は日米安保体制を「アンポ」と呼ぶ)の拡張を「地球軍事的構成」と喝破していた。即ち、NATOの「東方拡大」とAMPOの「西方拡大」である。湾岸への掃海艇派遣(1991年)に始まり、イラク派遣や南スーダン派遣、アフリカ・ジブチの海外拠点(基地)など、自衛隊の「西方拡大」が進んでいることは周知の通りである。NATOも、コソボ(KFOR)やアフガニスタン(ISAF)など、「北大西洋」にとどまらないグローバルな規模で新たな脅威を求めていった。2001年の「9.11」には、集団的自衛権機構としての「原点」である「5条事態」を宣言したものの、行使の相手が国家でなかったため、「テロとの戦い」という変則的な形となった

NATOは加盟国を増やしてきたが、1999年からは「東方拡大」路線をとり、チェコやポーランドなど、ワルシャワ条約機構加盟国の大半を取り込んでいく。ソ連邦解体で独立した諸国の多くも、NATOへの加盟を希望するに至った(現在、加盟国は30カ国)。

プーチン演説とウクライナ侵攻
プーチン・ロシア大統領は、ソ連邦の解体を「20世紀最大の地政学的大惨事」として捉え、「白ロシア」(ベラルーシ)を同盟国としつつ、「小ロシア」(チャイコフスキー交響曲第2番ハ短調のタイトル)のウクライナを最後の砦として重視してきた。プーチンの世界観からすれば、NATOの「東方拡大」がウクライナにまで進めば、ロシアの安全保障に対する明白かつ現在の脅威ということになる。2014年2月の政権交代により、親米政権がNATO加盟に前のめりになるに至り、プーチンは同年3月、一気に「クリミア併合」という禁じ手を使う。そして、東部のドンバス地域で、親ロシア派勢力がウクライナ政府軍との戦闘に突入していく。この「クリミア併合」に始まる一連の動きは、NATO本来の集団的自衛権機構としての本質に関わる重大事態だったはずだったが、米国もNATOもこれに効果的に対応することができなかった。ドイツのメルケル政権は、ウクライナのNATO加盟を「永遠の待合室」にとどめるように動く。バイデン米大統領も、2022年2月10日、「ロシアがウクライナに侵攻した場合、米軍を派遣する考えはない」と明言してしまう。2014年同様、ここでプーチンは電撃的な行動に出た。

2月24日、ロシア軍のウクライナへの全面的な軍事侵攻が始まった。「国際の平和及び安全の維持に関する主要な責任」(国連憲章24条)を負う安全保障理事会の常任理事国であるロシアが、自ら「平和に対する脅威」「平和の破壊」「侵略行為」の主体となるという、戦後国際秩序が想定していなかった異常事態が生まれた

背景を理解するために、侵攻に先立ち、プーチン大統領が行った24日未明の演説が重要である。そこには、彼なりの歴史認識、世界観、西側世界の嘘とダブルスタンダード(旧ユーゴ、イラク、リビア、シリア) への怒り、NATO「東方拡大」への本能的恐怖と激しい敵意・嫌悪感が滲み出ている。「わが国家の存在、主権そのものに対する現実の脅威、レッドラインを超えた」と。そして、ウクライナの極右民族主義者「ネオナチ」によるドンバス地域のロシア系住民の「ジェノサイド」を激しく非難する。ただ、それに対処するための「人道的介入」や「保護する責任」、あるいは「極右民族主義者の政権」を倒す「体制転換」(レジーム・チェンジ)という理由づけには踏み込まず、法的根拠らしきものは、直前の2月21日に国家承認した2つの親ロシア系「人民共和国」からの「要請」に基づく集団的自衛権行使ということにつきる。この「特別軍事作戦」を実施したことを、ロシアは、憲章51条に基づき、国連事務総長に対して、そこは遅滞なく通告している(S/2022/154)5)。”
(※赤字・太字強調は引用者)

―――――――――――――――――――――



私たちの多くは、〈ロシアによるウクライナ侵攻〉という侵略を知った時、〈プーチン独裁や併合など〉については知っていても、ウクライナ侵攻の、その背景の一つである〈NATOによる東方拡大〉について、知らされていません。

そして上に貼りつけた動画の、ウォルデン・ベロー氏のようなものの見方を持ちあわせていない。

アメリカの伝統的な戦略である〈オフショア・バランシング戦略〉の、東アジアにおける「前哨基地」として、日本や韓国が立たされている場合、日本は「捨て石」にされるのではないか、そのような危惧をもっています。


 アメリカはベトナム戦争を通して、アメリカが傾きました。

ベトナム戦争の痛い教訓を活かして、アメリカは、ワナを仕掛け、旧ソ連に、アフガン侵攻を誘いこみ、アフガニスタンを相手に戦った旧ソ連は、崩壊しました。

ICSの一つであるロシアは、《ウクライナに侵攻し、戦争中で》、多くの人々が戦争に殺され、多くの人々の人生が壊され、多くのものが奪われ、悲劇と地獄が続いています。
BRISの一角をなす中国を傾かせるには、〈日本をぶつけるだけで〉、中国の勢いを殺ぐには、十分なのかもしれません。
私たち日本が、「捨て石」としてしか求められていないとした場合、何も生き残こることを求められていません

アメリカから買わされる兵器は、時代遅れになるものばかりかもしれないからです。とても「同盟国」のようには見えません。

原発を停止して10年以上が経っている原発ですら、《その使用済み核燃料》を、自然災害時や戦争時に、どのようにして運ぶことが出来るのでしょうか?

日本には50以上もの原発施設があり、韓国にも原発があり、北朝鮮にも巨大な核施設があり、中国にも原発などがあり、東アジアは、原発や核という事柄ひとつを取り上げても、危うい状況に置かれているように、私には映ります。

日本への物流が断たれたら、第1次世界大戦のドイツのように、「飢餓」が待っています。

水道インフラが止まれば、トイレもできず、手を洗う事すらできなくなります。

電気インフラが止まれば、炊事すらできなくなるのではないでしょうか。

石油などが断たれれば、食料すら運べなくなります。


南西諸島のミサイル基地配備問題

20220404 UPLAN
纐纈厚「米本土防衛の盾にされる日本列島
~米中対立・台湾有事の背景を探る~」

反撃能力・核シェア・・・
専守防衛との整合性は【報道特集】

2021 12 12全国首長九条の会
・第2回総会のビデオメッセージ伊波洋一

参議院 2022年04月21日 内閣委員会
#04 坂本雅子
(参考人 名古屋経済大学名誉教授)


日本政府は今、「敵基地攻撃能力保有」の主張を前面に打ち出そうとしている
「敵基地攻撃」の「敵」は、もはや北朝鮮ではない。
中国である。
つまり中国の基地を攻撃できる能力を持とう、そのために憲法9条も遠からず変えようというのだ

 また今国会では、「経済安全保障推進法」の成立が見込まれるが、これは中国との経済面での遮断・対抗を念頭に置いている

 こうした軍事と経済二面からの中国との対立策は、日本が独自の打ち出したものではない

ともに米国の世界戦略の大転換に発したものである。
それは、中国を叩き、米国が今後も世界の覇権を握り続けるための転換、従来の新自由主義とグローバル化からの米国本位の転換
である。”
(坂本雅子〔名古屋経済大学名誉教授〕
「米国の対中国・軍事・経済戦の最前線に立つ日本」
『経済』2022年6月号、新日本出版社、102頁 ※太字強調・赤字・下線は引用者)


イスラエルが、中東におけるアメリカの「前哨基地」であるならば、日本は、東アジアにおける「基地国家であり、日本は、中東におけるイスラエルと、パラレルな関係にある、と栗田氏は位置づけています。(『地平』創刊号、145頁)

しかし、「米軍だけが使っている基地は、日本にあるもののうち、その面積の約70%が沖縄に集中し、…沖縄本島では約15%の面積を占めています。その規模は、東京23区のうち13区をおおってしまうほどの広大な面積」(沖縄県)であることをご存じでしょうか。
https://www.pref.okinawa.jp/kyoiku/kodomo/1002657/1002668.html

沖縄県民大会
:「海兵隊撤退を」米軍属事件に抗議


記者の目>沖縄 米軍属による女性殺害事件=佐藤敬一(毎日新聞 那覇支局


本土は怒りを知らない
 沖縄県うるま市の女性(20)を暴行して殺すなどした疑いで元米海兵隊員で米軍属の男(32)が逮捕された事件を巡り、沖縄では今、やり場のない怒りや悲しみ、悔しさが渦巻いている。県民の怒りが爆発した1995年の米兵3人による少女暴行事件から21年。抗議の声を上げ続けても過重な米軍基地負担を変えられず、未来ある1人の女性の命を守れなかった過酷な現実が県民一人一人に重くのしかかっている。繰り返される事件への沖縄の深い憤りに対し、政府の対応はあまりに小手先で軽く映り、その落差にがくぜんとする。政府は基地問題の本質に向き合うべきだ
(中略)

 抗議集会は米軍嘉手納基地前でもあった。元那覇市職員の真栄里泰山(まえざとたいざん)さん(71)は参加するためにタクシーに乗ったところ、運転手から「私の分もお願いします」と言われたという。「表には出さないが、みんな怒っている。政府、本土の人は気づいていない」。そして基地のフェンスの中に投げ込まれた白い花束を指して言った。「今は花束だが、やがて石を投げる運動が始まるかもしれない」
(中略)

 沖縄県が求めているのは、大幅な基地負担の軽減と、米兵や軍属の特権を保障している日米地位協定の改定だ。それは「基地があるがゆえに起きた犯罪」「地位協定で守られているから『何をやっても捕まらない』という意識が米軍関係者にあるという見方が沖縄では、政治的立場を超えて強いからだ。
(中略)

県幹部は「(問題の)本質を変えてくださいと言っているのに、政府は全く分かっていない。結局、日本政府は沖縄に寄り添っていない」と憤った。

 米軍基地を抱える自治体の職員は「女性が他国の元兵士に棒で殴られ、骨に傷が残るほど刺されて殺され、物のように雑木林に捨てられたんですよ国として許せますか。なのに政府が言うのは『街路灯を増やします』。一体何なんだ」と、声を震わせた。
(中略)

 「再発防止に取り組む」と繰り返す政府が「いつかは怒りは鎮まる」と高をくくっているのであれば間違いだ。「被害者は私だったかもしれない。家族、友人だったかもしれない」(名桜大4年の玉城(たまき)愛さん)と、沖縄の人たちは心底恐怖を感じている。”

――――――――――――――――


このように、基地を沖縄県に集中させてきている等の、日本の在り方と有り様とをして、栗田氏は、日本は「イスラエル」でも「パレスチナ」でもある、と形容しています。
日本は、「イスラエル」になり得ると同時に「パレスチナ」でもある存在であり、沖縄やヒロシマ・ナガサキの経験、戦争の惨禍の記憶をもち、平和憲法の精神(戦争や植民地主義との絶縁)を想起し、その方向性を目指すのならば、「グローバルサウス」と連帯でき、そして「グローバルノース=北」的な在り方をやめないかぎり、日本の未来も、切り拓くことはできない局面に達している、と栗田氏は述べています。


『地平』の同号で、
国際政治学者の三牧聖子氏が、いまアメリカのZ世代の若者たちが、自分たちの国が、〈命を粗末にする国〉ではなく、「命を大切にし、命をまもる国」であることを、強く求めていることを紹介しています。

パレスチナの人々と、自分たちとを重ね合わせているかもしれない、アメリカの抗する若者たち、日本の若者たち、グレタ・トゥンベリさんのような若者たちは、《誰かを犠牲にするような「北の豊かなライフスタイル」》を、もう求めていないのかもしれません。彼らの抗議する姿は、もしかしたら悲鳴やSOSの姿なのかもしれません。「いのちの大切さ」を知っているからこそ、パレスチナで起きていることが「他人事とは思えない」のかもしれません。

アメリカのようなライフスタイルを、世界中の地域が実現しようとすれば、地球が6個必要になる、と言います。だとすれば、世界中の国々のどこもが「成長し続ける」ことは、無理な話だという事になります。そして、どこかが豊かになるのに、他の何処かが犠牲になるのであれば、それは「シーソーゲーム」のような格好になるはずです。

『地平』の同号で、アラブ文学者でパレスチナ問題について発信しつづけている岡真理氏は、憲法の前文に、「この地上のすべての人々が欠乏と恐怖を免れ、平和のうちに生存する権利を有する」という文言を気に入っているようです。

そういえば、この精神は、ある意味、俳優のスーザン・サランドンさんがニューヨークのデモでも引用していた、ファニー・ルー・ヘイマーの名言「すべての人が自由にならない限り、誰も自由ではない」であったり、ネルソン・マンデラの「パレスチナ人が自由にならない限り、我われアフリカ人は、自由になれない」という言葉と、重なるところがあるかもしれません。



私たちは、どのようにすれば、「われらは、全世界の人々が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有」しつつ、 他の人々を犠牲にせずに「命を大切にし、命をまもる国」になることができるのでしょうか。

わたしは、岡真理氏の沖縄での講演について、ながら作業をしながら視聴していて、ラジ・スラーニーさんという有名な人権弁護士の方の発言について、耳にすることができました。

ラジ・スラーニーさんは「自分はパレスチナ人として生まれて幸せだ」と語った、と言います。何故そのように思うのか、その箇所【2時間18分~】を、ぜひ聞いてみて下さい。

岡真理先生 講演会「パレスチナ・ガザはいま」
2023年12月10日 沖縄県立博物館・美術館 講堂にて


「全世界の人々が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する」ように、関心をもちつつ、かつ、自分もしあわせであるには、どのような在り方が、ふさわしいのでしょうか。


しかも、アジア太平洋戦争は、まだ終わっていません。


蟻塚亮二さん
「福島・沖縄・戦争――そのトラウマと向き合う」

Radio Dialogue 163(2024/6/5)

【狂った父親】凄絶な戦地の記憶
 家族に向いた狂気 復員兵のPTSD
 『精神疾患』発症 幻聴や幻覚に悩まされた復員兵 終戦後「カルテ

【KTN】“黒い雨”訴訟 長崎での救済は…
「被爆体験者は被爆者だ」

7.15 「坑道の入り口を開ける」



せめて、「新しい戦前」ではなく、 「戦後」に押し返したいものです。



――――――――――――――――――――


“…近代文明全体の性質が非暴力的であるというのは幻想にすぎない

 野蛮な野生的感情の対極に位置していたとしても、それは効率的で冷徹な破壊、惨殺、拷問の対極には位置していることにはならない……思考の質がより理性的になるにつれ、破壊は増加した。たとえば、現在のテロや拷問は激情的に使われる手段ではない。それは政治的理性が使う手段なのだ。

 文明化プロセスでじっさいに起こったことは、暴力の再編成であり、暴力的手段の再分配であった。われわれが避けるように、そして、嫌うように訓練されたのは暴力だけではないが、それにもかかわらず、暴力はその存在が消滅したわけではなく、視界から消えただけにすぎない
すなわち、厳しく規制され、個人化された私的経験の見晴らし台からはみえなくなっただけなのだ。
(中略)

 …暴力は技術に変わったあらゆる技術がそうであるように、暴力も感情から解放され、純粋なる理性となった。「道具的理性が「理性」であるなら、あるいは、アメリカの軍事基地やB52やナパーム弾やその他のものを、「共産主義国」北ヴィエトナムを「望まれるべきもの」に変える「オペレーター」として使用することが理性であるなら、暴力はまったく理性的だといえるだろう」。”
(ジグムント・バウマン【著】/森田典正【訳】
『近代とホロコースト』
ちくま学芸文庫、186-188頁)
―――――――――――――

〔ホロコーストは、産業システムのテクノロジーと効率性、そのエートスのおかげで成り立っていた点について]、
〔ヘンリー・〕ファインゴールドは真実を見事に言い当てている。

〈〔アウシュヴィッツは〕近代工場システムの平凡な応用の結果にすぎなかった。製品は生産されなくとも、そこでは人間が原材料に、死が最終の成果となり、日々の数値は工場長の精算表の上に丁寧に書き込まれた。近代工場システムの象徴である煙突からは人間焼却にともなう刺激臭のある煙が吐き出される。近代ヨーロッパの見事に整備された鉄条網は新種の原料を工場に運び込む。運搬方法は 他の物資の場合と同じであった。ガス室で犠牲者たちが吸った有毒ガスは、ドイツの先進化学産業が生産した青酸ガスから作られたものであった。技術者は火葬場を設計した。管理者たちは後進国がうらやむような効率性と力をもった支配体制を立案した。計画全体がゆがんだ近代科学精神の反映であった。われわれが目撃したのは、まさに、社会工学の壮大な実践であった・・・〉
(中略)

…スティルマンとファフの言葉によると、

物質的豊かさの世界的実現というヴィジョンをもとに大量生産ラインに投下された技術と、大量の死者のヴィジョンの下に強制収容所に応用された技術のあいだには、偶然とはけっしていいがたい関連がある。この関連は否定したいだろう。しかし、デトロイトのリヴァー・ルージュがわれわれ西洋の産物であるように、ブッヘンヴァルトもまたわれわれ西洋の産物なのだ。ブッヘンヴァルトだけを本質的には正常な西洋世界から生まれた奇形とすることはできない。〉


 ラウル・ヒルバーグがその比類ない、偉大なホロコースト研究の最後で
たどりついた結論をふりかえってみよう。「破壊のための機構は、組織化されたドイツ社会全体と構造的に同じであった。破壊のための機構はその特殊な役割の一つにおいて、組織化された共同体そのものであった」。

 リチャード・L・ルーベンシュタインの「文明進歩の証拠がホロコーストである」という発言こそ、ホロコーストから得られる究極の教訓だと私〔バウマン〕には思えてならない。それは二重の意味での進歩だった。近代文明が誇りにする産業の潜在能力、技術的ノウハウが最終的解決において前例なき成果をあげたことからみても、文明はここにおいて新たな高みに到達したといえるだろう。技術的効率性と優れた計画性を尊重し、賞賛するよう教えられる一方で、われわれ近代人は物質的進歩をもたらす文明の本来的能力を過小評価しすぎてきた。


〈死の収容所の世界とその世界が生みだす社会は、ユダヤ・キリスト教文明の漆黒化しつづける闇の部分の象徴である。文明とは奴隷制、戦争、搾取、そして、死の収容所のことである。一方、文明とは衛生医学、高度な宗教概念、美しい芸術、感動的音楽のことでもある。文明と野蛮は対極をなす と想像するのは誤りである……現代において、残虐行為は世界の他のほとんどのものと同様、以前に比べ、はるかに巧妙に遂行されている。残虐性は消滅してないし、消滅することもありえない。創造と破壊は文明と称するものの分離できない両輪なのだ。〉


 ヒルズバーグは歴史家、ルーベンシュタインは神学者である。”
(ジグムント・バウマン『近代とホロコースト』39-41頁)

―――・―――・―――・―――・―――

人間を
様々な軍需物資、「物的資源」と同じように、
戦争遂行のための国家の資源として扱う
のが
人的資源」の本来の意味であり、
人的資源」の発想も言葉も
戦前の軍部と官僚機構による国家総力戦・総動員体制づくりの過程で生み出された
こと
が明らかになった。”
(吉田敏浩【著】
『人を“資源”と呼んでいいのか』
2010年、現代書館、52頁)

――――――――――

‟人間が「物的資源」と同じように「人的資源」として扱われるとき、
心身にかかる負担は重く
それが病気や怪我、心の病を引き起こし、死に至ることもある。
過労死、過労自殺、労災事故、職業病などはその具体的現われだ。
(引用者中略)

 経済繁栄と経済大国化のかげで、
過労死、過労自殺、労災事故、職業病などが後を絶たない背景に、
人間を手段化し、使い捨てにする人的資源の発想があると思われる。
その本質国家総動員体制の時代と変わってはいない
その言葉を使う人が「人的資源」の歴史を知っているかどうかは
別にしても
。”
(吉田敏浩【著】『人を“資源”と呼んでいいのか』
2010年、現代書館、62頁
※赤字・太字・下線での強調は引用者)

――・――・――・――

“兵士たちには命の値段がつけられているというのは
あまりにも知られていない。

 この例をもっとも端的に語るエピソードとして、
わたしは特攻隊のケースを紹介しておきたい。
これは私自身の体験になるのだが、
私は特攻隊の仕組みや隊員の苦悩を具体的に調べていて、
いつも不思議に思うこと
があった。
それは陸海軍あわせて三千八百余人の特攻隊が、
大本営の無責任な作戦指導の犠牲になったのだが、
その内訳を調べてみると
七割余は学徒兵だったり、少年飛行兵だったりする
それゆえに彼らの残した手記や遺書は、
私たちの胸を激しく打つ。
涙なしには読めない手記もある。
もっともそのような手記は、
大体が検閲を受けずに密かに人づてに家族のもとに届けられた。

 それはともかく、
なぜ学徒兵や少年兵が特攻隊員に選ばれたのか。
私はそのことに強い疑問を持った。

 その疑問を昭和五十年代に、
軍事指導層に属した将校や参謀を訪ね歩いてぶつけてみた。
なぜ特攻は
海軍兵学校や陸軍士官学校の軍事教育を受けた軍人たちが
行われなかったんですか

という問いである。
もっとも特攻の第一陣は
海軍兵学校七十期生の関行男(せきゆきお)大尉(死後・中佐)の敷島隊だが、
そのあとはこうした職業軍人は少ない。
職業軍人の名誉のために補足しておくが、
彼らは特攻作戦を回避したのではなく、
陸海軍とも
こうした正式の軍人を特攻隊員にするのは避ける
という方針を密かに持っていたといってもよい。

 さて私の問いに対する答えである。
なかなか的確に答えてくれる元軍人は少なかったのだが、
航空畑のある参謀が、
君は軍国主義の時代を知らないんだね
と言ったあとに、次のような説明を行った。

一人の軍人を育てるために
国はどれだけのお金を使うと思う

たとえ尉官でも十代から軍の学校に通っていると、
国はそういう人物に
――そう、給料が四十円、五十円の時代に
千円や二千円を使っていたんだからね。
そういう軍人を
どうして特攻で死なせることができるかね


 私は脳天を殴られたような感がした。
では学徒兵少年兵には
国がお金を使っていないということですか

と尋ねた。
その参謀は、「そういうことだね」と応じた。

 こう書くと、この元軍人はなんと理不尽な、
人間味などこれっぽっちもないのか、とどなりたくなる。
怒りもわいてくる。
しかしこれは軍事主導体制にあってはあたり前のことなのだ。
軍事のためにどれだけ役だつか
これこそが
戦時下における人間の価値」であり、「値段
なのである。
むしろこの軍人は正直にそのことを教えてくれたのであった。

 軍事主導体制という網を張ると、
そこにそういう「人間の序列化」が始まるのはあたり前、
つまり軍事的に価値のない者から死んでいけ、というのが
日本軍国主義の特徴
だったのである。
(中略)
 …・・・昭和二十年(一九四五)八月六日に
広島に原爆が投下された

翌七日に
広島市の近住の旧制中学や高等学女校の生徒が
広島入りを命じられて市内に入り、
亡くなった人たちの遺体処理を行っている

これも不思議なのだが、
なぜ江田島の海軍兵学校の学生たちが市内に入って、
この仕事に携わらなかったのか

それについて海軍の首脳部の、
彼らはエリートである。
どうして彼らをそういう仕事に従事させるのことができようか

といった証言が残されている。
これも「地方人(一般の人びと)」と「軍人」の間に
差異化、序列化がなされている典型的なケース
である。”
(保阪正康『昭和のかたち』岩波新書、2015年、43-46頁
※赤字・太字での強調は引用者)

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「戦争のつくりかた」アニメーションプロジェクト
-What Happens Before War?-
【日米首脳会談】
自衛隊は米軍の指揮下に入るのか
:布施祐仁:のりこえねっとニュース解説:20240415


菅原文太氏のスペシャルゲストあいさつ

沖縄県民大会「私たちは国に従属する存在ではない。」
(具志堅隆松さん)

桜と予言と詩人
神隠しされた街 若松丈太郎
アーサー・ビナード

【取材報告】
福島県大熊町『一人ひとりの命の尊厳』
-約10年9カ月を経て見つかった娘の遺骨
_Voice of People_Vol.12/安田菜津紀・佐藤慧

 

アメリカなど欧米社会は、
ロシアによるウクライナ侵攻について、ロシアを強く非難し、経済制裁を科し、ウクライナに軍事支援をする一方で、
イスラエルによるパレスチナでの民族浄化的ジェノサイドについては、イスラエルを擁護・支援するという様子を目にして、私たちは、欧米諸国による〈ダブルスタンダード〉を感じています。

この“ダブルスタンダード”的な様相を、「(前哨)基地」という視点で見直してみると、ダブルスタンダードとは「また別の見え方」ができるかもしれません。

本日は終戦記念日である8月15日。
この8月15日に、鎮魂や平和への祈りと願いとをこめて、このブログ記事を、更新しようと思いました。


今回のブログ記事は主に、次の二つの論考に基づいています。

〇栗田禎子
「ガザ侵攻に抗うグローバルサウス」
(雑誌『地平』創刊号、2024年)

〇水島朝穂
「集団的自衛権の『無力』と危うさ:『プーチンの戦争』から見えるもの」
(Web日本評論 2022.04.06)

――・――・――・――

中東研究の歴史学者の栗田禎子氏は、雑誌『地平』2024年創刊号所収の「ガザ侵攻に抗うグローバルサウス」において、昨年10月7日からのガザ侵攻について、イスラエル政府に対して、機敏に糾弾する姿勢を見せた国々の特徴点として、これまで〈侵略〉や〈占領〉や〈植民地支配〉を受けてきた「南/サウス」の国々、南北問題における「南」の国々であることの共通点を、挙げています。

そしてイスラエル国家は、アメリカなどの「前哨基地」の役割を果たしてきた、と言います。

 冷戦が崩壊後では、アメリカをはじめとする西側諸国は、「テロとの戦い」の名のもとに、その経済的利害や地政学的利害から、明らかに国連憲章違反や国際法違反ではあっても、イラク戦争やアフガニスタン戦争などの「むき出しの軍事介入を他の諸地域に仕掛ける」(142ページ)ようになった。地球上の「南」の諸地域への、そのむき出しの軍事介入の背景には、「一握りの『北』の諸政府が共同で『南』の民衆を管理し資源を搾取しようとする仕組み」の「集団的帝国主義」(サミール・アミン)の論理がはたらいている、と指摘します(142ページ)。

 そう言われてみれば、第2次世界大戦後の国際世界は、《開発〔Development〕》を通した経済的支配が行なわれてきました。

アミンやアンドレ・G・フランクの‟従属理論”や、ウォーラーステインの“世界システム論”、などの概念を通して批判されるように、《植民地を持たないかたちの植民地支配》が行なわれてきており、それが故に実際のところ「南北格差」が深刻化していきました。

脱炭素技術の裏側で
リオツバ・ニッケル鉱山の拡張がもたらすもの

ニューノーマル時代の人類へのメッセージ
(ヴァンダナ・シヴァ氏)
Message for Humanity in the New Normal Age (Dr. Vandana SHIVA)

【TVでおなじみ、ダニ博士が語る】
新型コロナウイルス発生の裏にある“自然からの警告”

モンロー教義は米外交の恒久基盤 / ボリビア政変未遂事件の真相

【30分以降~】

たとえば、アメリカがボリビアの資源を狙っているが、そのときのボリビアの政権が〈左派政権〉である場合の、アメリカの対応の仕方について、興味深い話がされています。


開発経済学者でアジア経済論の経済学者である郭洋春氏による『開発経済学~平和のための経済学~』(2010年)では、南北格差が、1820年には3対1だった格差が、1950年には35対1、
1992年には72対1と拡がってきたことを紹介しています。
 この〈開発経済学〉は、“第二次世界大戦後に生まれた「学問」”であったが、第二次世界大戦は終わっていないものの、〈連合国(United Nations)〉の勝利が見えた1944年の時点で、〈“戦争〔経済〕が終わった後の”アメリカ経済をどうすべきか〉、アメリカ議会で議論がされており、その《開発の“矛盾”》の背景を読み取ることができます。



〔コーデル・ハル国務長官やディーン・アチソン国務長官補佐による聴聞会での発言をして〕
“ 第2の主なアメリカ合州国の目的は、投資資本の〔戦争終結後の〕将来の輸出であった。
戦争後の経済環境について1943年の下院委員会に、The National Plannning Associationのステイシー・メイ〔Stacy May〕が語っている。

「よき投資の見通しと機会とを探し求める貯蓄のとてつもない潜在力を、我々は持つ事になるであろう、と私は考えています。
数々の基金、戦争債、預金口座などといった形で、この戦争の間に積み上がった巨大な貯蓄を、我われは有することになるでしょう。
つまり、この合州国には、とてつもない〔規模の〕投資資金が、〔戦争終結後には〕存在することになるでしょう」
(House Special Committee
 on Postwar Policy and Planning,
78th Congress,Second Session(1944),p.1063)

 1940年代初めの段階で戦後の国際経済の状況に向けての計画プランを組み立てたが、先述の3つの主要目標
【引用者付記
①戦時経済中に形成された、巨大な生産供給力を吸収してくれるだけの規模の海外市場の必要性。
(C・ハル国務長官&ディーン・アチソン国務長官補佐の発言)

②戦時経済中に積み上がった膨大な投資資金や預金の投資先の確保の必要性。
(ステイシー・メイの発言)

③アメリカ国内の経済や生活に必要な原材料を調達するアクセスの確保の必要性、および原材料を買うための外貨を稼ぐ販路先の確保。】

 この3つに主要目標が、アメリカ合州国の、来たる戦後の国際経済プランにおいて、最重要課題であった。戦争が終結したことで生じる米国内の余剰〔生産品を吸収してくれるだけ〕の販路=市場を確保するための非-差別待遇的で自由で開放的な貿易。
海外の原材料や鉱物資源への確実なアクセスのための自由貿易。
他国の国家経済にアメリカ人による投資がしやすい好都合な投資環境のための自由貿易

このアメリカにとっての主要目標の1番目のものは、この計画立案のなかで頻繁に強調されて出てくるが、しかし、立法府の議員たちのほうは、長期的視野に立って考えてみた時に、1番目の主要目標に限らず、他の2つの主要目標のほうも、負けず劣らず同様に極めて重要だ、と考えたのであった。

 
(Bruce Nissen「Building the World Bank」
Steve Weissman〔編〕『The Trojan Horse』所収
Rampart Press,1975年改訂版、pp.39-41)
―――――――――――――――――――――

こうした背景から、第2次世界大戦後に“発見された/生み出された”《新しい貧困》を撲滅するための、世界中を舞台にされて展開される《開発〔Development〕》には、次のような矛盾した光景が見られたのでした。文化人類学者のアルトゥロ・エスコバル氏による『開発との遭遇』には、つぎのような記述があります。

“地球規模/世界規模での貧困は、第2次世界大戦以後の時期(the post-World WarⅡ period)に発見されたものの1つであった。ザックス(1990年)やラーネマ(1991年)が、すでに主張しているように、貧困についての考え方や扱い方が、1940年代以前のものと、かなり異なった。
(引用者中略)

同じ著者が指摘しているように、アジアの、アフリカの、そしてラテン・アメリカおよびアメリカ先住民の社会――殆どのヨーロッパの歴史の至る所にあったのと同様に――の内に、その土地固有(ヴァナキュラー・vernacular)の共同体社会が、自分たちの共同体の今後の展望、倹約、充足が調整される貧困を明確化し扱うやり方を、それぞれに発展させていた。そうしたヴァナキュラーの社会を理想的なものとして描かず、そうした伝統的なやり方が、どのようなものであるとしても、市場経済の拡大によって共同体の絆が壊され、そして土壌や水、その他さまざまな資源へのアクセスを何百万人もの者たちが奪われて初めて、近現代的な意味での大規模な貧困が現われた、ということは真実である。”
(Arturo Escobar【著】
『Encountering Development(開発との遭遇)』
Princeton University Press,1995年,22頁)

 政治経済学者のスーザン・ジョージによる著作や、また環境活動家ヴァンダナ・シヴァの著作を読むと、何故そのような「南北格差」が生まれてしまうのか、というと、技術進歩がもたらす「利益」は、〈その技術を開発した先進国〉に集中する傾向がみられ、
「南」の国々と人々は、その先進国からの「高度な技術やインフラを輸入する」ための《借金》をしてきたからなのでした。
 また例えば、ヴァンダナ・シヴァの著作を通して、“民主主義国家”のインドの政府、議会そして司法は外国資本と結託したインド国内の少数エリートが、インド国家を握ってきたため、インドがイギリスから「独立」した後であっても“一向に変わらない”実質的な《植民地支配体制》が続いてきた様子を、知ることができます。(シヴァ氏は、国際資本の根拠地である先進諸国の消費者・市民と、第三世界の現地民との「連帯」があってこそ、現状を良い方向に変えることができることを、示しています)。

〇【7】自己憎悪社会

 20世紀に成立した《経済と法秩序とを通じての支配構造》の他方で、いまの〈ガザ侵攻〉とそれについての欧米社会の態度を契機にして、アメリカなど欧米世界にとっての「前哨基地」としてのイスラエル国家という視点を、わたしは得るのでした。

パレスチナ/イスラエル問題などの社会思想史研究者の早尾貴紀氏が、『地平』同号や『世界』2024年5月号などで、中東研究者のハミッド・ダバシ氏による「イスラエルの対ガザ戦争にはヨーロッパ植民地主義の歴史全体が含まれている」論考(MIddle East Eye)などを紹介している他方で、
栗田氏も、欧米社会にとっての「前哨基地」としてのイスラエルという視点で、つぎのような叙述をしています。



冷戦期の中東における米国の「前哨基地」だったイスラエルは、「新自由主義」と米主導の一連の戦争によって特徴づけられるようになった一九九〇年代以降の世界においても、先進資本諸国による中東支配を支える要として、その重要性を一層増すことになった。オスロ合意や「中東和平プロセス」の背後には、これを機に域内秩序を再編し、イスラエルを中心とする「新中東構造」(イスラエルの資本・技術とアラブ諸国の石油や労働力を結合)を結合させるという計画が存在したとされる。(中略)
 現在イスラエルは「テロ」への「自衛」を名目に、国際法・国際人道法違反の無差別殺戮を行なっているが、振り返ってみると「冷戦」後、米国をはじめとする先進諸国が中東に仕掛けてきた戦争(アフガン戦争、イラク戦争)も全く同様に「対テロ戦争」の名のもと、国際法を無視する形で強行されてきたのであり、ガザで進行中の事態はある意味では米主導の一連の対中東戦争のミニチュア版と言うこともできる。米国をはじめとする先進諸国がイスラエルのガザ侵攻を異様なまでに支持・容認しつづける根底にはこのような構図——「北」の諸政府が共同で「南」に軍事介入・支配しようとする現代の世界において、イスラエルはこうした戦争体制の不可欠の部品、最強の駆動装置なので、先進諸国は全力で守りぬこうとする——があるのではないか。

 このように見てくると、逆に「グローバルサウス」の国々がガザ侵攻を糾弾し、国際法にもとづく秩序を求めて声をあげつづけているのも、きわめて切実な危機感、問題意識にもとづく行動であることが理解できる。植民地主義は決して過去のものではなく、二一世紀の現在、先進資本諸国による「集団的帝国主義」、「北」による「南」の共同支配・搾取という現象は、生々しい現実として続いているのである。「グローバルサウス」が声をあげる背景にはイスラエルを支える「北」の支配層、新自由主義と戦争に狂奔する先進国諸政府への批判があり、今ガザを救うことができなければ、いずれは世界の諸地域・民衆全体が同じ運命に見舞われる、という認識が存在すると考えられる。”
(栗田禎子「ガザに抗うグローバルサウス」『地平』2024年創刊号、142—143頁 ※赤字・太字強調は引用者)


酒井啓子氏『現代の戦争と世界』(8分30秒~)
Stop the War―戦争をしない日本と世界を創る
 ※2022年6月18日公開

米軍による《イラク侵略》と《TPP》とは、実に「よく似ている」!

年間6500人自殺者も...米軍が抱える"深い闇"

ガザ攻撃 天然ガス大国イスラエルの強気
西側先進国の思惑【半田滋の眼No.90】20231115


――・――・――・―――――

米中覇権戦争において、中国にぶつけるための、アメリカにとっての「捨て石」に、日本がさせられるのではないか、という懸念が、私のなかでは強まっています。


紛争回避のためには、緊張を高めたり、武装を強めるのではなく、「安心供与」や「緊張の緩和」「緩衝地帯を確保すること」の必要性があることを、たとえば、市民連合さんは、発信しています。

〇【徹底議論】「戦争回避」のためのリアル 第3回米中戦争を避ける、立憲デモクラシーの自己決定力柳澤協二元内閣官房副長官補(安全保障担当)×石田淳東京大学教授(国際政治学)【2023.3

〇【✏️#安心供与 ってなに?

「現況における安全保障政策についての市民連合の基本的な考え方」の検討と課題 【2023.5】 飯島滋明(名古屋学院大学教授/憲法学・平和学

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紛争が起こらないようにするためには、緊張ではなく、緩和や緩衝などが必要であることが、私たちの暮らす日本列島に引きつけて考えてみると、分かる訳ですが、この日本の状況を、ロシアのウクライナ侵攻に置き換えると、〈NATOの東方拡大〉は、“緩衝を無くし、緊張を高めた”と見ることが出来ないでしょうか。


 ロシアのウクライナ侵攻の際に、ルラ大統領のブラジルのなど少なからずの「南」(グローバルサウス)の国々が、ロシアに対する経済制裁に同調する国が‟少なかった”ことを、いま一度、捉え直してみませんでしょうか?


フィリピンの学者ウォルデン・ベローが語る
ウクライナ紛争にかかわる米国の動機に
グローバルサウスが疑惑を抱く理由 (8分)
〔デモクラシーナウJP〕


「南」(グローバルサウス)の国々が、ロシアに対する経済制裁に賛成しなかったからといって、チェチェン鎮圧などロシアのプーチン政権の在り方が問題ではない訳ではありません。またインドのモディ政権が善政だとも思えません
南の国々が、ロシアに対する経済制裁などに同調しないからといって、それは、ロシア・ウクライナ戦争における戦争犯罪とは、話が別だと思います。

ロシアのウクライナ侵攻に関しての、ロシアに対する経済制裁に対して、「南/サウス」の国々が‟あまり同調しなかった”のは、そうした政治の在り方とは“また別の次元の問題”だと思うのです。

そのように思う理由として、今度は新たに〈「(前哨)基地」としてのNATO〉というふうに捉え直してみると、また別の見方ができてくるのではないか、と思うのです。

【経済の深層】ウクライナ戦争で知る 歴史・経済・文学

☞〈『週刊エコノミスト ~ウクライナ戦争で知る歴史・経済・文学~』(2022年5月13日発売日)〉(毎日新聞出版)

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アメリカなどの〈「(前哨)基地」としてのNATO〉という視点で、ロシア・ウクライナ戦争やNATOを捉え直すに当たり、おススメするページがあります。

それは、憲法学者の水島朝穂氏による「集団的自衛権の『無力』と危うさ:『プーチンの戦争』から見えるもの」(Web日本評論 2022.04.06)です。

 水島朝穂氏は、平和学者の(故)ヨハン・ガルトゥング氏が20年以上前に、NATOの「東方拡大」‟AMPO(日米安保体制「アンポ」)”の「西方拡大」とを取り上げて、NATOと日米安保との動きについて「地球軍事的構成」として喝破していたことを、拾い上げています。

 NATOの「東方拡大」と‟AMPO(日米安保)”の「西方拡大」との「地球軍事的構成」というガルトゥングの指摘の紹介を見たときに、わたしは、先ほどの栗田氏の論考で


「冷戦終結と…社会主義圏の崩壊の結果…米国を中心とする先進資本主義諸国が、経済的・地理的利害を求めて——19世紀末の帝国主義全盛期を彷彿とさせる——むき出しの軍事介入を他の諸地域に対して仕掛ける、という現象を生み出すことになった」(『地平』2024年創刊号、142頁 ※赤字・太字強調は引用者

という指摘を、私は連想してしまいます。


「南/サウス」の国々の政治家や人々は、ウクライナ紛争ついての、米国をはじめとする欧米諸国による経済制裁について「疑念」をもって見ているのは、西側先進諸国の“所業”を熟知しているからかもしれません。

「貧困の終焉?」
グローバル経済の収奪構造をえぐるドキュメンタリー


水島朝穂氏は、
ロシアによるウクライナ侵攻は、その必要性や緊急性などの自衛権の要件を満たさない明白な侵略であり、民間への無差別攻撃の戦争犯罪について論じる他方で、
NATOは、冷戦終結により「最大の仮想敵」を失った事により、「新たな脅威」が必要とし1999年に「新しいパラダイム転換」を起こすことを指摘しています。
 この存在理由を失ったNATOの「新戦略」では、〈世界の様々な地域や民族紛争に関与・介入していく〉ように「パラダイム転換」を起こしたのだ、と。そして、その「パラダイム転換」は、日米安保体制も同様だった、と。



“セヴァスティアン・キールマンセックの編著『国土防衛と同盟防衛の再帰―古いシナリオの新しい法的諸問題』 には、2014年3月のロシアによるクリミア併合が、「北大西洋条約機構(NATO)の新しいパラダイム転換」になるという分析が示されていた。実は「NATOのパラダイム転換」は30年あまり前に劇的な形で起きていた。それは「ベルリンの壁」崩壊後の1991年、ソ連邦とワルシャワ条約機構(旧WTO)の解体である。その意味で今回は、「パラダイムの360度転換」となるのか。

NATOとAMPOの再定義
1991年、NATOは、ワルシャワ条約機構の解体により「最大の仮想敵」を失うことになる。巨大な軍隊と高額の軍事費に依存する軍需産業を維持し続けるためには、「新たな脅威」が必要となった。ここから、NATOは自らの存在証明のため再定義を試み、1999年の「新戦略」により、世界各地のさまざまな地域・民族紛争に関与・介入していくことになる。これは、ソ連を最大の仮想敵国としていた日米安保条約体制も同様だった

22年前、平和学者のヨハン・ガルトゥングは、NATOとAMPO(日本通の彼は日米安保体制を「アンポ」と呼ぶ)の拡張を「地球軍事的構成」と喝破していた。即ち、NATOの「東方拡大」とAMPOの「西方拡大」である。湾岸への掃海艇派遣(1991年)に始まり、イラク派遣や南スーダン派遣、アフリカ・ジブチの海外拠点(基地)など、自衛隊の「西方拡大」が進んでいることは周知の通りである。NATOも、コソボ(KFOR)やアフガニスタン(ISAF)など、「北大西洋」にとどまらないグローバルな規模で新たな脅威を求めていった。2001年の「9.11」には、集団的自衛権機構としての「原点」である「5条事態」を宣言したものの、行使の相手が国家でなかったため、「テロとの戦い」という変則的な形となった

NATOは加盟国を増やしてきたが、1999年からは「東方拡大」路線をとり、チェコやポーランドなど、ワルシャワ条約機構加盟国の大半を取り込んでいく。ソ連邦解体で独立した諸国の多くも、NATOへの加盟を希望するに至った(現在、加盟国は30カ国)。

プーチン演説とウクライナ侵攻
プーチン・ロシア大統領は、ソ連邦の解体を「20世紀最大の地政学的大惨事」として捉え、「白ロシア」(ベラルーシ)を同盟国としつつ、「小ロシア」(チャイコフスキー交響曲第2番ハ短調のタイトル)のウクライナを最後の砦として重視してきた。プーチンの世界観からすれば、NATOの「東方拡大」がウクライナにまで進めば、ロシアの安全保障に対する明白かつ現在の脅威ということになる。2014年2月の政権交代により、親米政権がNATO加盟に前のめりになるに至り、プーチンは同年3月、一気に「クリミア併合」という禁じ手を使う。そして、東部のドンバス地域で、親ロシア派勢力がウクライナ政府軍との戦闘に突入していく。この「クリミア併合」に始まる一連の動きは、NATO本来の集団的自衛権機構としての本質に関わる重大事態だったはずだったが、米国もNATOもこれに効果的に対応することができなかった。ドイツのメルケル政権は、ウクライナのNATO加盟を「永遠の待合室」にとどめるように動く。バイデン米大統領も、2022年2月10日、「ロシアがウクライナに侵攻した場合、米軍を派遣する考えはない」と明言してしまう。2014年同様、ここでプーチンは電撃的な行動に出た。

2月24日、ロシア軍のウクライナへの全面的な軍事侵攻が始まった。「国際の平和及び安全の維持に関する主要な責任」(国連憲章24条)を負う安全保障理事会の常任理事国であるロシアが、自ら「平和に対する脅威」「平和の破壊」「侵略行為」の主体となるという、戦後国際秩序が想定していなかった異常事態が生まれた

背景を理解するために、侵攻に先立ち、プーチン大統領が行った24日未明の演説が重要である。そこには、彼なりの歴史認識、世界観、西側世界の嘘とダブルスタンダード(旧ユーゴ、イラク、リビア、シリア) への怒り、NATO「東方拡大」への本能的恐怖と激しい敵意・嫌悪感が滲み出ている。「わが国家の存在、主権そのものに対する現実の脅威、レッドラインを超えた」と。そして、ウクライナの極右民族主義者「ネオナチ」によるドンバス地域のロシア系住民の「ジェノサイド」を激しく非難する。ただ、それに対処するための「人道的介入」や「保護する責任」、あるいは「極右民族主義者の政権」を倒す「体制転換」(レジーム・チェンジ)という理由づけには踏み込まず、法的根拠らしきものは、直前の2月21日に国家承認した2つの親ロシア系「人民共和国」からの「要請」に基づく集団的自衛権行使ということにつきる。この「特別軍事作戦」を実施したことを、ロシアは、憲章51条に基づき、国連事務総長に対して、そこは遅滞なく通告している(S/2022/154)5)。”
(※赤字・太字強調は引用者)

―――――――――――――――――――――



私たちの多くは、〈ロシアによるウクライナ侵攻〉という侵略を知った時、〈プーチン独裁や併合など〉については知っていても、ウクライナ侵攻の、その背景の一つである〈NATOによる東方拡大〉について、知らされていません。

そして上に貼りつけた動画の、ウォルデン・ベロー氏のようなものの見方を持ちあわせていない。

アメリカの伝統的な戦略である〈オフショア・バランシング戦略〉の、東アジアにおける「前哨基地」として、日本や韓国が立たされている場合、日本は「捨て石」にされるのではないか、そのような危惧をもっています。


 アメリカはベトナム戦争を通して、アメリカが傾きました。

ベトナム戦争の痛い教訓を活かして、アメリカは、ワナを仕掛け、旧ソ連に、アフガン侵攻を誘いこみ、アフガニスタンを相手に戦った旧ソ連は、崩壊しました。

ICSの一つであるロシアは、《ウクライナに侵攻し、戦争中で》、多くの人々が戦争に殺され、多くの人々の人生が壊され、多くのものが奪われ、悲劇と地獄が続いています。
BRISの一角をなす中国を傾かせるには、〈日本をぶつけるだけで〉、中国の勢いを殺ぐには、十分なのかもしれません。
私たち日本が、「捨て石」としてしか求められていないとした場合、何も生き残こることを求められていません

アメリカから買わされる兵器は、時代遅れになるものばかりかもしれないからです。とても「同盟国」のようには見えません。

原発を停止して10年以上が経っている原発ですら、《その使用済み核燃料》を、自然災害時や戦争時に、どのようにして運ぶことが出来るのでしょうか?

日本には50以上もの原発施設があり、韓国にも原発があり、北朝鮮にも巨大な核施設があり、中国にも原発などがあり、東アジアは、原発や核という事柄ひとつを取り上げても、危うい状況に置かれているように、私には映ります。

日本への物流が断たれたら、第1次世界大戦のドイツのように、「飢餓」が待っています。

水道インフラが止まれば、トイレもできず、手を洗う事すらできなくなります。

電気インフラが止まれば、炊事すらできなくなるのではないでしょうか。

石油などが断たれれば、食料すら運べなくなります。


南西諸島のミサイル基地配備問題

20220404 UPLAN
纐纈厚「米本土防衛の盾にされる日本列島
~米中対立・台湾有事の背景を探る~」

反撃能力・核シェア・・・
専守防衛との整合性は【報道特集】

2021 12 12全国首長九条の会
・第2回総会のビデオメッセージ伊波洋一

参議院 2022年04月21日 内閣委員会
#04 坂本雅子
(参考人 名古屋経済大学名誉教授)


日本政府は今、「敵基地攻撃能力保有」の主張を前面に打ち出そうとしている
「敵基地攻撃」の「敵」は、もはや北朝鮮ではない。
中国である。
つまり中国の基地を攻撃できる能力を持とう、そのために憲法9条も遠からず変えようというのだ

 また今国会では、「経済安全保障推進法」の成立が見込まれるが、これは中国との経済面での遮断・対抗を念頭に置いている

 こうした軍事と経済二面からの中国との対立策は、日本が独自の打ち出したものではない

ともに米国の世界戦略の大転換に発したものである。
それは、中国を叩き、米国が今後も世界の覇権を握り続けるための転換、従来の新自由主義とグローバル化からの米国本位の転換
である。”
(坂本雅子〔名古屋経済大学名誉教授〕
「米国の対中国・軍事・経済戦の最前線に立つ日本」
『経済』2022年6月号、新日本出版社、102頁 ※太字強調・赤字・下線は引用者)


イスラエルが、中東におけるアメリカの「前哨基地」であるならば、日本は、東アジアにおける「基地国家であり、日本は、中東におけるイスラエルと、パラレルな関係にある、と栗田氏は位置づけています。(『地平』創刊号、145頁)

しかし、「米軍だけが使っている基地は、日本にあるもののうち、その面積の約70%が沖縄に集中し、…沖縄本島では約15%の面積を占めています。その規模は、東京23区のうち13区をおおってしまうほどの広大な面積」(沖縄県)であることをご存じでしょうか。
https://www.pref.okinawa.jp/kyoiku/kodomo/1002657/1002668.html

沖縄県民大会
:「海兵隊撤退を」米軍属事件に抗議


記者の目>沖縄 米軍属による女性殺害事件=佐藤敬一(毎日新聞 那覇支局


本土は怒りを知らない
 沖縄県うるま市の女性(20)を暴行して殺すなどした疑いで元米海兵隊員で米軍属の男(32)が逮捕された事件を巡り、沖縄では今、やり場のない怒りや悲しみ、悔しさが渦巻いている。県民の怒りが爆発した1995年の米兵3人による少女暴行事件から21年。抗議の声を上げ続けても過重な米軍基地負担を変えられず、未来ある1人の女性の命を守れなかった過酷な現実が県民一人一人に重くのしかかっている。繰り返される事件への沖縄の深い憤りに対し、政府の対応はあまりに小手先で軽く映り、その落差にがくぜんとする。政府は基地問題の本質に向き合うべきだ
(中略)

 抗議集会は米軍嘉手納基地前でもあった。元那覇市職員の真栄里泰山(まえざとたいざん)さん(71)は参加するためにタクシーに乗ったところ、運転手から「私の分もお願いします」と言われたという。「表には出さないが、みんな怒っている。政府、本土の人は気づいていない」。そして基地のフェンスの中に投げ込まれた白い花束を指して言った。「今は花束だが、やがて石を投げる運動が始まるかもしれない」
(中略)

 沖縄県が求めているのは、大幅な基地負担の軽減と、米兵や軍属の特権を保障している日米地位協定の改定だ。それは「基地があるがゆえに起きた犯罪」「地位協定で守られているから『何をやっても捕まらない』という意識が米軍関係者にあるという見方が沖縄では、政治的立場を超えて強いからだ。
(中略)

県幹部は「(問題の)本質を変えてくださいと言っているのに、政府は全く分かっていない。結局、日本政府は沖縄に寄り添っていない」と憤った。

 米軍基地を抱える自治体の職員は「女性が他国の元兵士に棒で殴られ、骨に傷が残るほど刺されて殺され、物のように雑木林に捨てられたんですよ国として許せますか。なのに政府が言うのは『街路灯を増やします』。一体何なんだ」と、声を震わせた。
(中略)

 「再発防止に取り組む」と繰り返す政府が「いつかは怒りは鎮まる」と高をくくっているのであれば間違いだ。「被害者は私だったかもしれない。家族、友人だったかもしれない」(名桜大4年の玉城(たまき)愛さん)と、沖縄の人たちは心底恐怖を感じている。”

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このように、基地を沖縄県に集中させてきている等の、日本の在り方と有り様とをして、栗田氏は、日本は「イスラエル」でも「パレスチナ」でもある、と形容しています。
日本は、「イスラエル」になり得ると同時に「パレスチナ」でもある存在であり、沖縄やヒロシマ・ナガサキの経験、戦争の惨禍の記憶をもち、平和憲法の精神(戦争や植民地主義との絶縁)を想起し、その方向性を目指すのならば、「グローバルサウス」と連帯でき、そして「グローバルノース=北」的な在り方をやめないかぎり、日本の未来も、切り拓くことはできない局面に達している、と栗田氏は述べています。


『地平』の同号で、
国際政治学者の三牧聖子氏が、いまアメリカのZ世代の若者たちが、自分たちの国が、〈命を粗末にする国〉ではなく、「命を大切にし、命をまもる国」であることを、強く求めていることを紹介しています。

パレスチナの人々と、自分たちとを重ね合わせているかもしれない、アメリカの抗する若者たち、日本の若者たち、グレタ・トゥンベリさんのような若者たちは、《誰かを犠牲にするような「北の豊かなライフスタイル」》を、もう求めていないのかもしれません。彼らの抗議する姿は、もしかしたら悲鳴やSOSの姿なのかもしれません。「いのちの大切さ」を知っているからこそ、パレスチナで起きていることが「他人事とは思えない」のかもしれません。

アメリカのようなライフスタイルを、世界中の地域が実現しようとすれば、地球が6個必要になる、と言います。だとすれば、世界中の国々のどこもが「成長し続ける」ことは、無理な話だという事になります。そして、どこかが豊かになるのに、他の何処かが犠牲になるのであれば、それは「シーソーゲーム」のような格好になるはずです。

『地平』の同号で、アラブ文学者でパレスチナ問題について発信しつづけている岡真理氏は、憲法の前文に、「この地上のすべての人々が欠乏と恐怖を免れ、平和のうちに生存する権利を有する」という文言を気に入っているようです。

そういえば、この精神は、ある意味、俳優のスーザン・サランドンさんがニューヨークのデモでも引用していた、ファニー・ルー・ヘイマーの名言「すべての人が自由にならない限り、誰も自由ではない」であったり、ネルソン・マンデラの「パレスチナ人が自由にならない限り、我われアフリカ人は、自由になれない」という言葉と、重なるところがあるかもしれません。



私たちは、どのようにすれば、「われらは、全世界の人々が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有」しつつ、 他の人々を犠牲にせずに「命を大切にし、命をまもる国」になることができるのでしょうか。

わたしは、岡真理氏の沖縄での講演について、ながら作業をしながら視聴していて、ラジ・スラーニーさんという有名な人権弁護士の方の発言について、耳にすることができました。

ラジ・スラーニーさんは「自分はパレスチナ人として生まれて幸せだ」と語った、と言います。何故そのように思うのか、その箇所【2時間18分~】を、ぜひ聞いてみて下さい。

岡真理先生 講演会「パレスチナ・ガザはいま」
2023年12月10日 沖縄県立博物館・美術館 講堂にて


「全世界の人々が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する」ように、関心をもちつつ、かつ、自分もしあわせであるには、どのような在り方が、ふさわしいのでしょうか。


しかも、アジア太平洋戦争は、まだ終わっていません。


蟻塚亮二さん
「福島・沖縄・戦争――そのトラウマと向き合う」
Radio Dialogue 163(2024/6/5)

【狂った父親】凄絶な戦地の記憶
 家族に向いた狂気 復員兵のPTSD『精神疾患』発症
 幻聴や幻覚に悩まされた復員兵 終戦後「カルテ

【KTN】“黒い雨”訴訟 長崎での救済は…
「被爆体験者は被爆者だ」

7.15 「坑道の入り口を開ける」



せめて、「新しい戦前」ではなく、 「戦後」に押し返したいものです。



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“…近代文明全体の性質が非暴力的であるというのは幻想にすぎない

 野蛮な野生的感情の対極に位置していたとしても、それは効率的で冷徹な破壊、惨殺、拷問の対極には位置していることにはならない……思考の質がより理性的になるにつれ、破壊は増加した。たとえば、現在のテロや拷問は激情的に使われる手段ではない。それは政治的理性が使う手段なのだ。

 文明化プロセスでじっさいに起こったことは、暴力の再編成であり、暴力的手段の再分配であった。われわれが避けるように、そして、嫌うように訓練されたのは暴力だけではないが、それにもかかわらず、暴力はその存在が消滅したわけではなく、視界から消えただけにすぎない
すなわち、厳しく規制され、個人化された私的経験の見晴らし台からはみえなくなっただけなのだ。
(中略)

 …暴力は技術に変わったあらゆる技術がそうであるように、暴力も感情から解放され、純粋なる理性となった。「道具的理性が「理性」であるなら、あるいは、アメリカの軍事基地やB52やナパーム弾やその他のものを、「共産主義国」北ヴィエトナムを「望まれるべきもの」に変える「オペレーター」として使用することが理性であるなら、暴力はまったく理性的だといえるだろう」。”
(ジグムント・バウマン【著】/森田典正【訳】
『近代とホロコースト』
ちくま学芸文庫、186-188頁)
―――――――――――――

〔ホロコーストは、産業システムのテクノロジーと効率性、そのエートスのおかげで成り立っていた点について]、
〔ヘンリー・〕ファインゴールドは真実を見事に言い当てている。

〈〔アウシュヴィッツは〕近代工場システムの平凡な応用の結果にすぎなかった。製品は生産されなくとも、そこでは人間が原材料に、死が最終の成果となり、日々の数値は工場長の精算表の上に丁寧に書き込まれた。近代工場システムの象徴である煙突からは人間焼却にともなう刺激臭のある煙が吐き出される。近代ヨーロッパの見事に整備された鉄条網は新種の原料を工場に運び込む。運搬方法は 他の物資の場合と同じであった。ガス室で犠牲者たちが吸った有毒ガスは、ドイツの先進化学産業が生産した青酸ガスから作られたものであった。技術者は火葬場を設計した。管理者たちは後進国がうらやむような効率性と力をもった支配体制を立案した。計画全体がゆがんだ近代科学精神の反映であった。われわれが目撃したのは、まさに、社会工学の壮大な実践であった・・・〉
(中略)

…スティルマンとファフの言葉によると、

物質的豊かさの世界的実現というヴィジョンをもとに大量生産ラインに投下された技術と、大量の死者のヴィジョンの下に強制収容所に応用された技術のあいだには、偶然とはけっしていいがたい関連がある。この関連は否定したいだろう。しかし、デトロイトのリヴァー・ルージュがわれわれ西洋の産物であるように、ブッヘンヴァルトもまたわれわれ西洋の産物なのだ。ブッヘンヴァルトだけを本質的には正常な西洋世界から生まれた奇形とすることはできない。〉


 ラウル・ヒルバーグがその比類ない、偉大なホロコースト研究の最後で
たどりついた結論をふりかえってみよう。「破壊のための機構は、組織化されたドイツ社会全体と構造的に同じであった。破壊のための機構はその特殊な役割の一つにおいて、組織化された共同体そのものであった」。

 リチャード・L・ルーベンシュタインの「文明進歩の証拠がホロコーストである」という発言こそ、ホロコーストから得られる究極の教訓だと私〔バウマン〕には思えてならない。それは二重の意味での進歩だった。近代文明が誇りにする産業の潜在能力、技術的ノウハウが最終的解決において前例なき成果をあげたことからみても、文明はここにおいて新たな高みに到達したといえるだろう。技術的効率性と優れた計画性を尊重し、賞賛するよう教えられる一方で、われわれ近代人は物質的進歩をもたらす文明の本来的能力を過小評価しすぎてきた。


〈死の収容所の世界とその世界が生みだす社会は、ユダヤ・キリスト教文明の漆黒化しつづける闇の部分の象徴である。文明とは奴隷制、戦争、搾取、そして、死の収容所のことである。一方、文明とは衛生医学、高度な宗教概念、美しい芸術、感動的音楽のことでもある。文明と野蛮は対極をなす と想像するのは誤りである……現代において、残虐行為は世界の他のほとんどのものと同様、以前に比べ、はるかに巧妙に遂行されている。残虐性は消滅してないし、消滅することもありえない。創造と破壊は文明と称するものの分離できない両輪なのだ。〉


 ヒルズバーグは歴史家、ルーベンシュタインは神学者である。”
(ジグムント・バウマン『近代とホロコースト』39-41頁)

―――・―――・―――・―――・―――

人間を
様々な軍需物資、「物的資源」と同じように、
戦争遂行のための国家の資源として扱う
のが
人的資源」の本来の意味であり、
人的資源」の発想も言葉も
戦前の軍部と官僚機構による国家総力戦・総動員体制づくりの過程で生み出された
こと
が明らかになった。”
(吉田敏浩【著】
『人を“資源”と呼んでいいのか』
2010年、現代書館、52頁)

――――――――――

‟人間が「物的資源」と同じように「人的資源」として扱われるとき、
心身にかかる負担は重く
それが病気や怪我、心の病を引き起こし、死に至ることもある。
過労死、過労自殺、労災事故、職業病などはその具体的現われだ。
(引用者中略)

 経済繁栄と経済大国化のかげで、
過労死、過労自殺、労災事故、職業病などが後を絶たない背景に、
人間を手段化し、使い捨てにする人的資源の発想があると思われる。
その本質国家総動員体制の時代と変わってはいない
その言葉を使う人が「人的資源」の歴史を知っているかどうかは
別にしても
。”
(吉田敏浩【著】『人を“資源”と呼んでいいのか』
2010年、現代書館、62頁
※赤字・太字・下線での強調は引用者)

――・――・――・――

“兵士たちには命の値段がつけられているというのは
あまりにも知られていない。

 この例をもっとも端的に語るエピソードとして、
わたしは特攻隊のケースを紹介しておきたい。
これは私自身の体験になるのだが、
私は特攻隊の仕組みや隊員の苦悩を具体的に調べていて、
いつも不思議に思うこと
があった。
それは陸海軍あわせて三千八百余人の特攻隊が、
大本営の無責任な作戦指導の犠牲になったのだが、
その内訳を調べてみると
七割余は学徒兵だったり、少年飛行兵だったりする
それゆえに彼らの残した手記や遺書は、
私たちの胸を激しく打つ。
涙なしには読めない手記もある。
もっともそのような手記は、
大体が検閲を受けずに密かに人づてに家族のもとに届けられた。

 それはともかく、
なぜ学徒兵や少年兵が特攻隊員に選ばれたのか。
私はそのことに強い疑問を持った。

 その疑問を昭和五十年代に、
軍事指導層に属した将校や参謀を訪ね歩いてぶつけてみた。
なぜ特攻は
海軍兵学校や陸軍士官学校の軍事教育を受けた軍人たちが
行われなかったんですか

という問いである。
もっとも特攻の第一陣は
海軍兵学校七十期生の関行男(せきゆきお)大尉(死後・中佐)の敷島隊だが、
そのあとはこうした職業軍人は少ない。
職業軍人の名誉のために補足しておくが、
彼らは特攻作戦を回避したのではなく、
陸海軍とも
こうした正式の軍人を特攻隊員にするのは避ける
という方針を密かに持っていたといってもよい。

 さて私の問いに対する答えである。
なかなか的確に答えてくれる元軍人は少なかったのだが、
航空畑のある参謀が、
君は軍国主義の時代を知らないんだね
と言ったあとに、次のような説明を行った。

一人の軍人を育てるために
国はどれだけのお金を使うと思う

たとえ尉官でも十代から軍の学校に通っていると、
国はそういう人物に
――そう、給料が四十円、五十円の時代に
千円や二千円を使っていたんだからね。
そういう軍人を
どうして特攻で死なせることができるかね


 私は脳天を殴られたような感がした。
では学徒兵少年兵には
国がお金を使っていないということですか

と尋ねた。
その参謀は、「そういうことだね」と応じた。

 こう書くと、この元軍人はなんと理不尽な、
人間味などこれっぽっちもないのか、とどなりたくなる。
怒りもわいてくる。
しかしこれは軍事主導体制にあってはあたり前のことなのだ。
軍事のためにどれだけ役だつか
これこそが
戦時下における人間の価値」であり、「値段
なのである。
むしろこの軍人は正直にそのことを教えてくれたのであった。

 軍事主導体制という網を張ると、
そこにそういう「人間の序列化」が始まるのはあたり前、
つまり軍事的に価値のない者から死んでいけ、というのが
日本軍国主義の特徴
だったのである。
(中略)
 …・・・昭和二十年(一九四五)八月六日に
広島に原爆が投下された

翌七日に
広島市の近住の旧制中学や高等学女校の生徒が
広島入りを命じられて市内に入り、
亡くなった人たちの遺体処理を行っている

これも不思議なのだが、
なぜ江田島の海軍兵学校の学生たちが市内に入って、
この仕事に携わらなかったのか

それについて海軍の首脳部の、
彼らはエリートである。
どうして彼らをそういう仕事に従事させるのことができようか

といった証言が残されている。
これも「地方人(一般の人びと)」と「軍人」の間に
差異化、序列化がなされている典型的なケース
である。”
(保阪正康『昭和のかたち』岩波新書、2015年、43-46頁
※赤字・太字での強調は引用者)

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「戦争のつくりかた」アニメーションプロジェクト
-What Happens Before War?-
【日米首脳会談】
自衛隊は米軍の指揮下に入るのか
:布施祐仁:のりこえねっとニュース解説:20240415


菅原文太氏のスペシャルゲストあいさつ

沖縄県民大会「私たちは国に従属する存在ではない。」
(具志堅隆松さん)

桜と予言と詩人
神隠しされた街 若松丈太郎
アーサー・ビナード

【取材報告】
福島県大熊町『一人ひとりの命の尊厳』
-約10年9カ月を経て見つかった娘の遺骨
_Voice of People_Vol.12/安田菜津紀・佐藤慧

アメリカなど欧米社会は、
ロシアによるウクライナ侵攻について、ロシアを強く非難し、経済制裁を科し、ウクライナに軍事支援をする一方で、
イスラエルによるパレスチナでの民族浄化的ジェノサイドについては、イスラエルを擁護・支援するという様子を目にして、私たちは、欧米諸国による〈ダブルスタンダード〉を感じています。

この“ダブルスタンダード”的な様相を、「(前哨)基地」という視点で見直してみると、ダブルスタンダードとは「また別の見え方」ができるかもしれません。

本日は終戦記念日である8月15日。
この8月15日に、鎮魂や平和への祈りと願いとをこめて、このブログ記事を、更新しようと思いました。


今回のブログ記事は主に、次の二つの論考に基づいています。

〇栗田禎子
「ガザ侵攻に抗うグローバルサウス」
(雑誌『地平』創刊号、2024年)

〇水島朝穂
「集団的自衛権の『無力』と危うさ:『プーチンの戦争』から見えるもの」
(Web日本評論 2022.04.06)

――・――・――・――

中東研究の歴史学者の栗田禎子氏は、雑誌『地平』2024年創刊号所収の「ガザ侵攻に抗うグローバルサウス」において、昨年10月7日からのガザ侵攻について、イスラエル政府に対して、機敏に糾弾する姿勢を見せた国々の特徴点として、これまで〈侵略〉や〈占領〉や〈植民地支配〉を受けてきた「南/サウス」の国々、南北問題における「南」の国々であることの共通点を、挙げています。

そしてイスラエル国家は、アメリカなどの「前哨基地」の役割を果たしてきた、と言います。

 冷戦が崩壊後では、アメリカをはじめとする西側諸国は、「テロとの戦い」の名のもとに、その経済的利害や地政学的利害から、明らかに国連憲章違反や国際法違反ではあっても、イラク戦争やアフガニスタン戦争などの「むき出しの軍事介入を他の諸地域に仕掛ける」(142ページ)ようになった。地球上の「南」の諸地域への、そのむき出しの軍事介入の背景には、「一握りの『北』の諸政府が共同で『南』の民衆を管理し資源を搾取しようとする仕組み」の「集団的帝国主義」(サミール・アミン)の論理がはたらいている、と指摘します(142ページ)。

 そう言われてみれば、第2次世界大戦後の国際世界は、《開発〔Development〕》を通した経済的支配が行なわれてきました。

アミンやアンドレ・G・フランクの‟従属理論”や、ウォーラーステインの“世界システム論”、などの概念を通して批判されるように、《植民地を持たないかたちの植民地支配》が行なわれてきており、それが故に実際のところ「南北格差」が深刻化していきました。

脱炭素技術の裏側で
リオツバ・ニッケル鉱山の拡張がもたらすもの

ニューノーマル時代の人類へのメッセージ
(ヴァンダナ・シヴァ氏)
Message for Humanity in the New Normal Age (Dr. Vandana SHIVA)

 【TVでおなじみ、ダニ博士が語る】
新型コロナウイルス発生の裏にある“自然からの警告”

モンロー教義は米外交の恒久基盤 / ボリビア政変未遂事件の真相

【30分以降~】

たとえば、アメリカがボリビアの資源を狙っているが、そのときのボリビアの政権が〈左派政権〉である場合の、アメリカの対応の仕方について、興味深い話がされています。


開発経済学者でアジア経済論の経済学者である郭洋春氏による『開発経済学~平和のための経済学~』(2010年)では、南北格差が、1820年には3対1だった格差が、1950年には35対1、
1992年には72対1と拡がってきたことを紹介しています。
 この〈開発経済学〉は、“第二次世界大戦後に生まれた「学問」”であったが、第二次世界大戦は終わっていないものの、〈連合国(United Nations)〉の勝利が見えた1944年の時点で、〈“戦争〔経済〕が終わった後の”アメリカ経済をどうすべきか〉、アメリカ議会で議論がされており、その《開発の“矛盾”》の背景を読み取ることができます。


「…もし、この戦闘〔第二次大戦〕が止まれば、…この合州国におけるほぼすべての金属加工プラント工場が、そしてまた、そのほかの工場や鉱床や会社が、戦争体制の終結に直面する事となり、〔今度は〕平(和)時の製品マーケットを、緊急に探すことになるでしょう。
海外市場は、我々〔アメリカ合州国〕にとって、非常に重要なものとなり、前途の見える限り、海外市場は〔我々にとって〕不可欠なものとなり得るでしょう。
我々〔アメリカ〕の製品に対する差別の除外や対外貿易障壁の縮小を勝ち取るべく、試され確かめられた手段を手にすることは、善きこととなりましょう
。」
(Secretary of State Cordell Hull,
Extension of Reciprocal Trade Agreements Act,
House Committee on Ways and Means,
hearings,78th Congress,1st Session(1943),p4
コーデル・ハル国務長官、
1943年 第78回アメリカ連邦議会、第1期、
予算に関する委員会聴聞会、互恵通商延長法(案)、4頁)
―――――――――――――――

こうした背景から、第2次世界大戦後に“発見された/生み出された”《新しい貧困》を撲滅するための、世界中を舞台にされて展開される《開発〔Development〕》には、次のような矛盾した光景が見られたのでした。文化人類学者のアルトゥロ・エスコバル氏による『開発との遭遇』には、つぎのような記述があります。

“地球規模/世界規模での貧困は、第2次世界大戦以後の時期(the post-World WarⅡ period)に発見されたものの1つであった。ザックス(1990年)やラーネマ(1991年)が既に主張しているように、貧困についての考え方や扱い方が、1940年代以前のものと、かなり異なった。
(引用者中略)
同じ著者が指摘しているように、アジアの、アフリカの、そしてラテン・アメリカおよびアメリカ先住民の社会――殆どのヨーロッパの歴史の至る所にあったのと同様に――の内に、その土地固有(ヴァナキュラー・vernacular)の共同体社会が、自分たちの共同体の今後の展望、倹約、充足が調整される貧困を明確化し扱うやり方を、それぞれに発展させていた。そうしたヴァナキュラーの社会を理想的なものとして描かず、そうした伝統的なやり方が、どのようなものであるとしても、市場経済の拡大によって共同体の絆が壊され、そして土壌や水、その他さまざまな資源へのアクセスを何百万人もの者たちが奪われて初めて、近現代的な意味での大規模な貧困が現われた、ということは真実である。”
(Arturo Escobar【著】
『Encountering Development(開発との遭遇)』
Princeton University Press,1995年,22頁)

 政治経済学者のスーザン・ジョージによる著作や、また環境活動家ヴァンダナ・シヴァの著作を読むと、何故そのような「南北格差」が生まれてしまうのか、というと、技術進歩がもたらす「利益」は、〈その技術を開発した先進国〉に集中する傾向がみられ、
「南」の国々と人々は、その先進国からの「高度な技術やインフラを輸入する」ための《借金》をしてきたからなのでした。
 また例えば、ヴァンダナ・シヴァの著作を通して、“民主主義国家”のインドの政府、議会そして司法は外国資本と結託したインド国内の少数エリートが、インド国家を握ってきたため、インドがイギリスから「独立」した後であっても“一向に変わらない”実質的な《植民地支配体制》が続いてきた様子を、知ることができます。(シヴァ氏は、国際資本の根拠地である先進諸国の消費者・市民と、第三世界の現地民との「連帯」があってこそ、現状を良い方向に変えることができることを、示しています)。

7】自己憎悪社会


 20世紀に成立した《経済と法秩序とを通じての支配構造》の他方で、いまの〈ガザ侵攻〉とそれについての欧米社会の態度を契機にして、アメリカなど欧米世界にとっての「前哨基地」としてのイスラエル国家という視点を、わたしは得るのでした。

パレスチナ/イスラエル問題などの社会思想史研究者の早尾貴紀氏が、『地平』同号や『世界』2024年5月号などで、中東研究者のハミッド・ダバシ氏による「イスラエルの対ガザ戦争にはヨーロッパ植民地主義の歴史全体が含まれている」論考(MIddle East Eye)などを紹介している他方で、
栗田氏も、欧米社会にとっての「前哨基地」としてのイスラエルという視点で、つぎのような叙述をしています。



冷戦期の中東における米国の「前哨基地」だったイスラエルは、「新自由主義」と米主導の一連の戦争によって特徴づけられるようになった一九九〇年代以降の世界においても、先進資本諸国による中東支配を支える要として、その重要性を一層増すことになった。オスロ合意や「中東和平プロセス」の背後には、これを機に域内秩序を再編し、イスラエルを中心とする「新中東構造」(イスラエルの資本・技術とアラブ諸国の石油や労働力を結合)を結合させるという計画が存在したとされる。(中略)
 現在イスラエルは「テロ」への「自衛」を名目に、国際法・国際人道法違反の無差別殺戮を行なっているが、振り返ってみると「冷戦」後、米国をはじめとする先進諸国が中東に仕掛けてきた戦争(アフガン戦争、イラク戦争)も全く同様に「対テロ戦争」の名のもと、国際法を無視する形で強行されてきたのであり、ガザで進行中の事態はある意味では米主導の一連の対中東戦争のミニチュア版と言うこともできる。米国をはじめとする先進諸国がイスラエルのガザ侵攻を異様なまでに支持・容認しつづける根底にはこのような構図——「北」の諸政府が共同で「南」に軍事介入・支配しようとする現代の世界において、イスラエルはこうした戦争体制の不可欠の部品、最強の駆動装置なので、先進諸国は全力で守りぬこうとする——があるのではないか。

 このように見てくると、逆に「グローバルサウス」の国々がガザ侵攻を糾弾し、国際法にもとづく秩序を求めて声をあげつづけているのも、きわめて切実な危機感、問題意識にもとづく行動であることが理解できる。植民地主義は決して過去のものではなく、二一世紀の現在、先進資本諸国による「集団的帝国主義」、「北」による「南」の共同支配・搾取という現象は、生々しい現実として続いているのである。「グローバルサウス」が声をあげる背景にはイスラエルを支える「北」の支配層、新自由主義と戦争に狂奔する先進国諸政府への批判があり、今ガザを救うことができなければ、いずれは世界の諸地域・民衆全体が同じ運命に見舞われる、という認識が存在すると考えられる。”
(栗田禎子「ガザに抗うグローバルサウス」『地平』2024年創刊号、142—143頁 ※赤字・太字強調は引用者)


酒井啓子氏『現代の戦争と世界』(8分30秒~)
Stop the War―戦争をしない日本と世界を創る
 ※2022年6月18日公開

米軍による《イラク侵略》と《TPP》とは、実に「よく似ている」!

年間6500人自殺者も...米軍が抱える"深い闇"

ガザ攻撃 天然ガス大国イスラエルの強気
西側先進国の思惑【半田滋の眼No.90】20231115


――・――・――・―――――

米中覇権戦争において、中国にぶつけるための、アメリカにとっての「捨て石」に、日本がさせられるのではないか、という懸念が、私のなかでは強まっています。

経済安保》&《IPEF》&《経済的徴「用」制度化》など《米国の「捨て石」空母化する日本》!?

紛争回避のためには、緊張を高めたり、武装を強めるのではなく、「安心供与」や「緊張の緩和」「緩衝地帯を確保すること」の必要性があることを、たとえば、市民連合さんは、発信しています。

〇【徹底議論】「戦争回避」のためのリアル 第3回米中戦争を避ける、立憲デモクラシーの自己決定力柳澤協二元内閣官房副長官補(安全保障担当)×石田淳東京大学教授(国際政治学)【2023.3

〇【✏️#安心供与 ってなに?

「現況における安全保障政策についての市民連合の基本的な考え方」の検討と課題 【2023.5】 飯島滋明(名古屋学院大学教授/憲法学・平和学

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紛争が起こらないようにするためには、緊張ではなく、緩和や緩衝などが必要であることが、私たちの暮らす日本列島に引きつけて考えてみると、分かる訳ですが、この日本の状況を、ロシアのウクライナ侵攻に置き換えると、〈NATOの東方拡大〉は、“緩衝を無くし、緊張を高めた”と見ることが出来ないでしょうか。


 ロシアのウクライナ侵攻の際に、ルラ大統領のブラジルのなど少なからずの「南」(グローバルサウス)の国々が、ロシアに対する経済制裁に同調する国が‟少なかった”ことを、いま一度、捉え直してみませんでしょうか?
存在感増す“第3極”グローバル・サウス 問われる新しい世界への向き合い方


フィリピンの学者ウォルデン・ベローが語る
ウクライナ紛争にかかわる米国の動機に
グローバルサウスが疑惑を抱く理由 (8分)
〔デモクラシーナウJP〕


「南」(グローバルサウス)の国々が、ロシアに対する経済制裁に賛成しなかったからといって、チェチェン鎮圧などロシアのプーチン政権の在り方が問題ではない訳ではありません。またインドのモディ政権が善政だとも思えません
南の国々が、ロシアに対する経済制裁などに同調しないからといって、それは、ロシア・ウクライナ戦争における戦争犯罪とは、話が別だと思います。

ロシアのウクライナ侵攻に関しての、ロシアに対する経済制裁に対して、「南/サウス」の国々が‟あまり同調しなかった”のは、そうした政治の在り方とは“また別の次元の問題”だと思うのです。

そのように思う理由として、今度は新たに〈「(前哨)基地」としてのNATO〉というふうに捉え直してみると、また別の見方ができてくるのではないか、と思うのです。

【経済の深層】ウクライナ戦争で知る 歴史・経済・文学

☞〈『週刊エコノミスト ~ウクライナ戦争で知る歴史・経済・文学~』(2022年5月13日発売日)〉(毎日新聞出版)

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アメリカなどの〈「(前哨)基地」としてのNATO〉という視点で、ロシア・ウクライナ戦争やNATOを捉え直すに当たり、おススメするページがあります。

それは、憲法学者の水島朝穂氏による「集団的自衛権の『無力』と危うさ:『プーチンの戦争』から見えるもの」(Web日本評論 2022.04.06)です。

 水島朝穂氏は、平和学者の(故)ヨハン・ガルトゥング氏が20年以上前に、NATOの「東方拡大」‟AMPO(日米安保体制「アンポ」)”の「西方拡大」とを取り上げて、NATOと日米安保との動きについて「地球軍事的構成」として喝破していたことを、拾い上げています。

 NATOの「東方拡大」と‟AMPO(日米安保)”の「西方拡大」との「地球軍事的構成」というガルトゥングの指摘の紹介を見たときに、わたしは、先ほどの栗田氏の論考で


「冷戦終結と…社会主義圏の崩壊の結果…米国を中心とする先進資本主義諸国が、経済的・地理的利害を求めて——19世紀末の帝国主義全盛期を彷彿とさせる——むき出しの軍事介入を他の諸地域に対して仕掛ける、という現象を生み出すことになった」(『地平』2024年創刊号、142頁 ※赤字・太字強調は引用者

という指摘を、私は連想してしまいます。


「南/サウス」の国々の政治家や人々は、ウクライナ紛争ついての、米国をはじめとする欧米諸国による経済制裁について「疑念」をもって見ているのは、西側先進諸国の“所業”を熟知しているからかもしれません。

「貧困の終焉?」
グローバル経済の収奪構造をえぐるドキュメンタリー


水島朝穂氏は、
ロシアによるウクライナ侵攻は、その必要性や緊急性などの自衛権の要件を満たさない明白な侵略であり、民間への無差別攻撃の戦争犯罪について論じる他方で、
NATOは、冷戦終結により「最大の仮想敵」を失った事により、「新たな脅威」が必要とし1999年に「新しいパラダイム転換」を起こすことを指摘しています。
 この存在理由を失ったNATOの「新戦略」では、〈世界の様々な地域や民族紛争に関与・介入していく〉ように「パラダイム転換」を起こしたのだ、と。そして、その「パラダイム転換」は、日米安保体制も同様だった、と。



“セヴァスティアン・キールマンセックの編著『国土防衛と同盟防衛の再帰―古いシナリオの新しい法的諸問題』 には、2014年3月のロシアによるクリミア併合が、「北大西洋条約機構(NATO)の新しいパラダイム転換」になるという分析が示されていた。実は「NATOのパラダイム転換」は30年あまり前に劇的な形で起きていた。それは「ベルリンの壁」崩壊後の1991年、ソ連邦とワルシャワ条約機構(旧WTO)の解体である。その意味で今回は、「パラダイムの360度転換」となるのか。

NATOとAMPOの再定義
1991年、NATOは、ワルシャワ条約機構の解体により「最大の仮想敵」を失うことになる。巨大な軍隊と高額の軍事費に依存する軍需産業を維持し続けるためには、「新たな脅威」が必要となった。ここから、NATOは自らの存在証明のため再定義を試み、1999年の「新戦略」により、世界各地のさまざまな地域・民族紛争に関与・介入していくことになる。これは、ソ連を最大の仮想敵国としていた日米安保条約体制も同様だった

22年前、平和学者のヨハン・ガルトゥングは、NATOとAMPO(日本通の彼は日米安保体制を「アンポ」と呼ぶ)の拡張を「地球軍事的構成」と喝破していた。即ち、NATOの「東方拡大」とAMPOの「西方拡大」である。湾岸への掃海艇派遣(1991年)に始まり、イラク派遣や南スーダン派遣、アフリカ・ジブチの海外拠点(基地)など、自衛隊の「西方拡大」が進んでいることは周知の通りである。NATOも、コソボ(KFOR)やアフガニスタン(ISAF)など、「北大西洋」にとどまらないグローバルな規模で新たな脅威を求めていった。2001年の「9.11」には、集団的自衛権機構としての「原点」である「5条事態」を宣言したものの、行使の相手が国家でなかったため、「テロとの戦い」という変則的な形となった

NATOは加盟国を増やしてきたが、1999年からは「東方拡大」路線をとり、チェコやポーランドなど、ワルシャワ条約機構加盟国の大半を取り込んでいく。ソ連邦解体で独立した諸国の多くも、NATOへの加盟を希望するに至った(現在、加盟国は30カ国)。

プーチン演説とウクライナ侵攻
プーチン・ロシア大統領は、ソ連邦の解体を「20世紀最大の地政学的大惨事」として捉え、「白ロシア」(ベラルーシ)を同盟国としつつ、「小ロシア」(チャイコフスキー交響曲第2番ハ短調のタイトル)のウクライナを最後の砦として重視してきた。プーチンの世界観からすれば、NATOの「東方拡大」がウクライナにまで進めば、ロシアの安全保障に対する明白かつ現在の脅威ということになる。2014年2月の政権交代により、親米政権がNATO加盟に前のめりになるに至り、プーチンは同年3月、一気に「クリミア併合」という禁じ手を使う。そして、東部のドンバス地域で、親ロシア派勢力がウクライナ政府軍との戦闘に突入していく。この「クリミア併合」に始まる一連の動きは、NATO本来の集団的自衛権機構としての本質に関わる重大事態だったはずだったが、米国もNATOもこれに効果的に対応することができなかった。ドイツのメルケル政権は、ウクライナのNATO加盟を「永遠の待合室」にとどめるように動く。バイデン米大統領も、2022年2月10日、「ロシアがウクライナに侵攻した場合、米軍を派遣する考えはない」と明言してしまう。2014年同様、ここでプーチンは電撃的な行動に出た。

2月24日、ロシア軍のウクライナへの全面的な軍事侵攻が始まった。「国際の平和及び安全の維持に関する主要な責任」(国連憲章24条)を負う安全保障理事会の常任理事国であるロシアが、自ら「平和に対する脅威」「平和の破壊」「侵略行為」の主体となるという、戦後国際秩序が想定していなかった異常事態が生まれた

背景を理解するために、侵攻に先立ち、プーチン大統領が行った24日未明の演説が重要である。そこには、彼なりの歴史認識、世界観、西側世界の嘘とダブルスタンダード(旧ユーゴ、イラク、リビア、シリア) への怒り、NATO「東方拡大」への本能的恐怖と激しい敵意・嫌悪感が滲み出ている。「わが国家の存在、主権そのものに対する現実の脅威、レッドラインを超えた」と。そして、ウクライナの極右民族主義者「ネオナチ」によるドンバス地域のロシア系住民の「ジェノサイド」を激しく非難する。ただ、それに対処するための「人道的介入」や「保護する責任」、あるいは「極右民族主義者の政権」を倒す「体制転換」(レジーム・チェンジ)という理由づけには踏み込まず、法的根拠らしきものは、直前の2月21日に国家承認した2つの親ロシア系「人民共和国」からの「要請」に基づく集団的自衛権行使ということにつきる。この「特別軍事作戦」を実施したことを、ロシアは、憲章51条に基づき、国連事務総長に対して、そこは遅滞なく通告している(S/2022/154)5)。”
(※赤字・太字強調は引用者)

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私たちの多くは、〈ロシアによるウクライナ侵攻〉という侵略を知った時、〈プーチン独裁や併合など〉については知っていても、ウクライナ侵攻の、その背景の一つである〈NATOによる東方拡大〉について、知らされていません。

そして上に貼りつけた動画の、ウォルデン・ベロー氏のようなものの見方を持ちあわせていない。

アメリカの伝統的な戦略である〈オフショア・バランシング戦略〉の、東アジアにおける「前哨基地」として、日本や韓国が立たされている場合、日本は「捨て石」にされるのではないか、そのような危惧をもっています。


 アメリカはベトナム戦争を通して、アメリカが傾きました。

ベトナム戦争の痛い教訓を活かして、アメリカは、ワナを仕掛け、旧ソ連に、アフガン侵攻を誘いこみ、アフガニスタンを相手に戦った旧ソ連は、崩壊しました。

ICSの一つであるロシアは、《ウクライナに侵攻し、戦争中で》、多くの人々が戦争に殺され、多くの人々の人生が壊され、多くのものが奪われ、悲劇と地獄が続いています。
BRISの一角をなす中国を傾かせるには、〈日本をぶつけるだけで〉、中国の勢いを殺ぐには、十分なのかもしれません。
私たち日本が、「捨て石」としてしか求められていないとした場合、何も生き残こることを求められていません

アメリカから買わされる兵器は、時代遅れになるものばかりかもしれないからです。とても「同盟国」のようには見えません。

原発を停止して10年以上が経っている原発ですら、《その使用済み核燃料》を、自然災害時や戦争時に、どのようにして運ぶことが出来るのでしょうか?

日本には50以上もの原発施設があり、韓国にも原発があり、北朝鮮にも巨大な核施設があり、中国にも原発などがあり、東アジアは、原発や核という事柄ひとつを取り上げても、危うい状況に置かれているように、私には映ります。

日本への物流が断たれたら、第1次世界大戦のドイツのように、「飢餓」が待っています。

水道インフラが止まれば、トイレもできず、手を洗う事すらできなくなります。

電気インフラが止まれば、炊事すらできなくなるのではないでしょうか。

石油などが断たれれば、食料すら運べなくなります。


南西諸島のミサイル基地配備問題

20220404 UPLAN
纐纈厚「米本土防衛の盾にされる日本列島
~米中対立・台湾有事の背景を探る~」

反撃能力・核シェア・・・
専守防衛との整合性は【報道特集】

2021 12 12全国首長九条の会
・第2回総会のビデオメッセージ伊波洋一

参議院 2022年04月21日 内閣委員会
#04 坂本雅子
(参考人 名古屋経済大学名誉教授)


日本政府は今、「敵基地攻撃能力保有」の主張を前面に打ち出そうとしている
「敵基地攻撃」の「敵」は、もはや北朝鮮ではない。
中国である。
つまり中国の基地を攻撃できる能力を持とう、そのために憲法9条も遠からず変えようというのだ

 また今国会では、「経済安全保障推進法」の成立が見込まれるが、これは中国との経済面での遮断・対抗を念頭に置いている

 こうした軍事と経済二面からの中国との対立策は、日本が独自の打ち出したものではない

ともに米国の世界戦略の大転換に発したものである。
それは、中国を叩き、米国が今後も世界の覇権を握り続けるための転換、従来の新自由主義とグローバル化からの米国本位の転換
である。”
(坂本雅子〔名古屋経済大学名誉教授〕
「米国の対中国・軍事・経済戦の最前線に立つ日本」
『経済』2022年6月号、新日本出版社、102頁 ※太字強調・赤字・下線は引用者)


イスラエルが、中東におけるアメリカの「前哨基地」であるならば、日本は、東アジアにおける「基地国家であり、日本は、中東におけるイスラエルと、パラレルな関係にある、と栗田氏は位置づけています。(『地平』創刊号、145頁)

しかし、「米軍だけが使っている基地は、日本にあるもののうち、その面積の約70%が沖縄に集中し、…沖縄本島では約15%の面積を占めています。その規模は、東京23区のうち13区をおおってしまうほどの広大な面積」(沖縄県)であることをご存じでしょうか。
https://www.pref.okinawa.jp/kyoiku/kodomo/1002657/1002668.html

沖縄県民大会
:「海兵隊撤退を」米軍属事件に抗議


記者の目>沖縄 米軍属による女性殺害事件=佐藤敬一(毎日新聞 那覇支局


本土は怒りを知らない
 沖縄県うるま市の女性(20)を暴行して殺すなどした疑いで元米海兵隊員で米軍属の男(32)が逮捕された事件を巡り、沖縄では今、やり場のない怒りや悲しみ、悔しさが渦巻いている。県民の怒りが爆発した1995年の米兵3人による少女暴行事件から21年。抗議の声を上げ続けても過重な米軍基地負担を変えられず、未来ある1人の女性の命を守れなかった過酷な現実が県民一人一人に重くのしかかっている。繰り返される事件への沖縄の深い憤りに対し、政府の対応はあまりに小手先で軽く映り、その落差にがくぜんとする。政府は基地問題の本質に向き合うべきだ
(中略)

 抗議集会は米軍嘉手納基地前でもあった。元那覇市職員の真栄里泰山(まえざとたいざん)さん(71)は参加するためにタクシーに乗ったところ、運転手から「私の分もお願いします」と言われたという。「表には出さないが、みんな怒っている。政府、本土の人は気づいていない」。そして基地のフェンスの中に投げ込まれた白い花束を指して言った。「今は花束だが、やがて石を投げる運動が始まるかもしれない」
(中略)

 沖縄県が求めているのは、大幅な基地負担の軽減と、米兵や軍属の特権を保障している日米地位協定の改定だ。それは「基地があるがゆえに起きた犯罪」「地位協定で守られているから『何をやっても捕まらない』という意識が米軍関係者にあるという見方が沖縄では、政治的立場を超えて強いからだ。
(中略)

県幹部は「(問題の)本質を変えてくださいと言っているのに、政府は全く分かっていない。結局、日本政府は沖縄に寄り添っていない」と憤った。

 米軍基地を抱える自治体の職員は「女性が他国の元兵士に棒で殴られ、骨に傷が残るほど刺されて殺され、物のように雑木林に捨てられたんですよ国として許せますか。なのに政府が言うのは『街路灯を増やします』。一体何なんだ」と、声を震わせた。
(中略)

 「再発防止に取り組む」と繰り返す政府が「いつかは怒りは鎮まる」と高をくくっているのであれば間違いだ。「被害者は私だったかもしれない。家族、友人だったかもしれない」(名桜大4年の玉城(たまき)愛さん)と、沖縄の人たちは心底恐怖を感じている。”

――――――――――――――――


このように、基地を沖縄県に集中させてきている等の、日本の在り方と有り様とをして、栗田氏は、日本は「イスラエル」でも「パレスチナ」でもある、と形容しています。
日本は、「イスラエル」になり得ると同時に「パレスチナ」でもある存在であり、沖縄やヒロシマ・ナガサキの経験、戦争の惨禍の記憶をもち、平和憲法の精神(戦争や植民地主義との絶縁)を想起し、その方向性を目指すのならば、「グローバルサウス」と連帯でき、そして「グローバルノース=北」的な在り方をやめないかぎり、日本の未来も、切り拓くことはできない局面に達している、と栗田氏は述べています。


『地平』の同号で、
国際政治学者の三牧聖子氏が、いまアメリカのZ世代の若者たちが、自分たちの国が、〈命を粗末にする国〉ではなく、「命を大切にし、命をまもる国」であることを、強く求めていることを紹介しています。

パレスチナの人々と、自分たちとを重ね合わせているかもしれない、アメリカの抗する若者たち、日本の若者たち、グレタ・トゥンベリさんのような若者たちは、《誰かを犠牲にするような「北の豊かなライフスタイル」》を、もう求めていないのかもしれません。彼らの抗議する姿は、もしかしたら悲鳴やSOSの姿なのかもしれません。「いのちの大切さ」を知っているからこそ、パレスチナで起きていることが「他人事とは思えない」のかもしれません。

アメリカのようなライフスタイルを、世界中の地域が実現しようとすれば、地球が6個必要になる、と言います。だとすれば、世界中の国々のどこもが「成長し続ける」ことは、無理な話だという事になります。そして、どこかが豊かになるのに、他の何処かが犠牲になるのであれば、それは「シーソーゲーム」のような格好になるはずです。

『地平』の同号で、アラブ文学者でパレスチナ問題について発信しつづけている岡真理氏は、憲法の前文に、「この地上のすべての人々が欠乏と恐怖を免れ、平和のうちに生存する権利を有する」という文言を気に入っているようです。

そういえば、この精神は、ある意味、俳優のスーザン・サランドンさんがニューヨークのデモでも引用していた、ファニー・ルー・ヘイマーの名言「すべての人が自由にならない限り、誰も自由ではない」であったり、ネルソン・マンデラの「パレスチナ人が自由にならない限り、我われアフリカ人は、自由になれない」という言葉と、重なるところがあるかもしれません。



私たちは、どのようにすれば、「われらは、全世界の人々が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有」しつつ、 他の人々を犠牲にせずに「命を大切にし、命をまもる国」になることができるのでしょうか。

わたしは、岡真理氏の沖縄での講演について、ながら作業をしながら視聴していて、ラジ・スラーニーさんという有名な人権弁護士の方の発言について、耳にすることができました。

ラジ・スラーニーさんは「自分はパレスチナ人として生まれて幸せだ」と語った、と言います。何故そのように思うのか、その箇所【2時間18分~】を、ぜひ聞いてみて下さい。

岡真理先生 講演会「パレスチナ・ガザはいま」
2023年12月10日 沖縄県立博物館・美術館 講堂にて


「全世界の人々が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する」ように、関心をもちつつ、かつ、自分もしあわせであるには、どのような在り方が、ふさわしいのでしょうか。


しかも、アジア太平洋戦争は、まだ終わっていません。


蟻塚亮二さん
「福島・沖縄・戦争――そのトラウマと向き合う」

Radio Dialogue 163(2024/6/5)

【KTN】“黒い雨”訴訟 長崎での救済は…
「被爆体験者は被爆者だ」

7.15 「坑道の入り口を開ける」



せめて、「新しい戦前」ではなく、 「戦後」に押し返したいものです。



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“…近代文明全体の性質が非暴力的であるというのは幻想にすぎない

 野蛮な野生的感情の対極に位置していたとしても、それは効率的で冷徹な破壊、惨殺、拷問の対極には位置していることにはならない……思考の質がより理性的になるにつれ、破壊は増加した。たとえば、現在のテロや拷問は激情的に使われる手段ではない。それは政治的理性が使う手段なのだ。

 文明化プロセスでじっさいに起こったことは、暴力の再編成であり、暴力的手段の再分配であった。われわれが避けるように、そして、嫌うように訓練されたのは暴力だけではないが、それにもかかわらず、暴力はその存在が消滅したわけではなく、視界から消えただけにすぎない
すなわち、厳しく規制され、個人化された私的経験の見晴らし台からはみえなくなっただけなのだ。
(中略)

 …暴力は技術に変わったあらゆる技術がそうであるように、暴力も感情から解放され、純粋なる理性となった。「道具的理性が「理性」であるなら、あるいは、アメリカの軍事基地やB52やナパーム弾やその他のものを、「共産主義国」北ヴィエトナムを「望まれるべきもの」に変える「オペレーター」として使用することが理性であるなら、暴力はまったく理性的だといえるだろう」。”
(ジグムント・バウマン【著】/森田典正【訳】
『近代とホロコースト』
ちくま学芸文庫、186-188頁)
―――――――――――――

〔ホロコーストは、産業システムのテクノロジーと効率性、そのエートスのおかげで成り立っていた点について]、
〔ヘンリー・〕ファインゴールドは真実を見事に言い当てている。

〈〔アウシュヴィッツは〕近代工場システムの平凡な応用の結果にすぎなかった。製品は生産されなくとも、そこでは人間が原材料に、死が最終の成果となり、日々の数値は工場長の精算表の上に丁寧に書き込まれた。近代工場システムの象徴である煙突からは人間焼却にともなう刺激臭のある煙が吐き出される。近代ヨーロッパの見事に整備された鉄条網は新種の原料を工場に運び込む。運搬方法は 他の物資の場合と同じであった。ガス室で犠牲者たちが吸った有毒ガスは、ドイツの先進化学産業が生産した青酸ガスから作られたものであった。技術者は火葬場を設計した。管理者たちは後進国がうらやむような効率性と力をもった支配体制を立案した。計画全体がゆがんだ近代科学精神の反映であった。われわれが目撃したのは、まさに、社会工学の壮大な実践であった・・・〉
(中略)

…スティルマンとファフの言葉によると、

物質的豊かさの世界的実現というヴィジョンをもとに大量生産ラインに投下された技術と、大量の死者のヴィジョンの下に強制収容所に応用された技術のあいだには、偶然とはけっしていいがたい関連がある。この関連は否定したいだろう。しかし、デトロイトのリヴァー・ルージュがわれわれ西洋の産物であるように、ブッヘンヴァルトもまたわれわれ西洋の産物なのだ。ブッヘンヴァルトだけを本質的には正常な西洋世界から生まれた奇形とすることはできない。〉


 ラウル・ヒルバーグがその比類ない、偉大なホロコースト研究の最後で
たどりついた結論をふりかえってみよう。「破壊のための機構は、組織化されたドイツ社会全体と構造的に同じであった。破壊のための機構はその特殊な役割の一つにおいて、組織化された共同体そのものであった」。

 リチャード・L・ルーベンシュタインの「文明進歩の証拠がホロコーストである」という発言こそ、ホロコーストから得られる究極の教訓だと私〔バウマン〕には思えてならない。それは二重の意味での進歩だった。近代文明が誇りにする産業の潜在能力、技術的ノウハウが最終的解決において前例なき成果をあげたことからみても、文明はここにおいて新たな高みに到達したといえるだろう。技術的効率性と優れた計画性を尊重し、賞賛するよう教えられる一方で、われわれ近代人は物質的進歩をもたらす文明の本来的能力を過小評価しすぎてきた。


〈死の収容所の世界とその世界が生みだす社会は、ユダヤ・キリスト教文明の漆黒化しつづける闇の部分の象徴である。文明とは奴隷制、戦争、搾取、そして、死の収容所のことである。一方、文明とは衛生医学、高度な宗教概念、美しい芸術、感動的音楽のことでもある。文明と野蛮は対極をなす と想像するのは誤りである……現代において、残虐行為は世界の他のほとんどのものと同様、以前に比べ、はるかに巧妙に遂行されている。残虐性は消滅してないし、消滅することもありえない。創造と破壊は文明と称するものの分離できない両輪なのだ。〉


 ヒルズバーグは歴史家、ルーベンシュタインは神学者である。”
(ジグムント・バウマン『近代とホロコースト』39-41頁)

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人間を
様々な軍需物資、「物的資源」と同じように、
戦争遂行のための国家の資源として扱う
のが
人的資源」の本来の意味であり、
人的資源」の発想も言葉も
戦前の軍部と官僚機構による国家総力戦・総動員体制づくりの過程で生み出された
こと
が明らかになった。”
(吉田敏浩【著】
『人を“資源”と呼んでいいのか』
2010年、現代書館、52頁)

――――――――――

‟人間が「物的資源」と同じように「人的資源」として扱われるとき、
心身にかかる負担は重く
それが病気や怪我、心の病を引き起こし、死に至ることもある。
過労死、過労自殺、労災事故、職業病などはその具体的現われだ。
(引用者中略)

 経済繁栄と経済大国化のかげで、
過労死、過労自殺、労災事故、職業病などが後を絶たない背景に、
人間を手段化し、使い捨てにする人的資源の発想があると思われる。
その本質国家総動員体制の時代と変わってはいない
その言葉を使う人が「人的資源」の歴史を知っているかどうかは
別にしても
。”
(吉田敏浩【著】『人を“資源”と呼んでいいのか』
2010年、現代書館、62頁
※赤字・太字・下線での強調は引用者)

――・――・――・――

“兵士たちには命の値段がつけられているというのは
あまりにも知られていない。

 この例をもっとも端的に語るエピソードとして、
わたしは特攻隊のケースを紹介しておきたい。
これは私自身の体験になるのだが、
私は特攻隊の仕組みや隊員の苦悩を具体的に調べていて、
いつも不思議に思うこと
があった。
それは陸海軍あわせて三千八百余人の特攻隊が、
大本営の無責任な作戦指導の犠牲になったのだが、
その内訳を調べてみると
七割余は学徒兵だったり、少年飛行兵だったりする
それゆえに彼らの残した手記や遺書は、
私たちの胸を激しく打つ。
涙なしには読めない手記もある。
もっともそのような手記は、
大体が検閲を受けずに密かに人づてに家族のもとに届けられた。

 それはともかく、
なぜ学徒兵や少年兵が特攻隊員に選ばれたのか。
私はそのことに強い疑問を持った。

 その疑問を昭和五十年代に、
軍事指導層に属した将校や参謀を訪ね歩いてぶつけてみた。
なぜ特攻は
海軍兵学校や陸軍士官学校の軍事教育を受けた軍人たちが
行われなかったんですか

という問いである。
もっとも特攻の第一陣は
海軍兵学校七十期生の関行男(せきゆきお)大尉(死後・中佐)の敷島隊だが、
そのあとはこうした職業軍人は少ない。
職業軍人の名誉のために補足しておくが、
彼らは特攻作戦を回避したのではなく、
陸海軍とも
こうした正式の軍人を特攻隊員にするのは避ける
という方針を密かに持っていたといってもよい。

 さて私の問いに対する答えである。
なかなか的確に答えてくれる元軍人は少なかったのだが、
航空畑のある参謀が、
君は軍国主義の時代を知らないんだね
と言ったあとに、次のような説明を行った。

一人の軍人を育てるために
国はどれだけのお金を使うと思う

たとえ尉官でも十代から軍の学校に通っていると、
国はそういう人物に
――そう、給料が四十円、五十円の時代に
千円や二千円を使っていたんだからね。
そういう軍人を
どうして特攻で死なせることができるかね


 私は脳天を殴られたような感がした。
では学徒兵少年兵には
国がお金を使っていないということですか

と尋ねた。
その参謀は、「そういうことだね」と応じた。

 こう書くと、この元軍人はなんと理不尽な、
人間味などこれっぽっちもないのか、とどなりたくなる。
怒りもわいてくる。
しかしこれは軍事主導体制にあってはあたり前のことなのだ。
軍事のためにどれだけ役だつか
これこそが
戦時下における人間の価値」であり、「値段
なのである。
むしろこの軍人は正直にそのことを教えてくれたのであった。

 軍事主導体制という網を張ると、
そこにそういう「人間の序列化」が始まるのはあたり前、
つまり軍事的に価値のない者から死んでいけ、というのが
日本軍国主義の特徴
だったのである。
(中略)
 …・・・昭和二十年(一九四五)八月六日に
広島に原爆が投下された

翌七日に
広島市の近住の旧制中学や高等学女校の生徒が
広島入りを命じられて市内に入り、
亡くなった人たちの遺体処理を行っている

これも不思議なのだが、
なぜ江田島の海軍兵学校の学生たちが市内に入って、
この仕事に携わらなかったのか

それについて海軍の首脳部の、
彼らはエリートである。
どうして彼らをそういう仕事に従事させるのことができようか

といった証言が残されている。
これも「地方人(一般の人びと)」と「軍人」の間に
差異化、序列化がなされている典型的なケース
である。”
(保阪正康『昭和のかたち』岩波新書、2015年、43-46頁
※赤字・太字での強調は引用者)

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「戦争のつくりかた」アニメーションプロジェクト
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【日米首脳会談】
自衛隊は米軍の指揮下に入るのか
:布施祐仁:のりこえねっとニュース解説:20240415


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