【7】自己憎悪社会 |   「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!

  「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!

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徳冨蘆花「謀叛論」を再発見してたら、
「ソクラテスの弁明」が、なぜ好きなのか、最近になって納得し始めた今日この頃です。

【すこし関連記事】
新自由主義政策と”雇用不安定化”(「貧困」と「刑罰国家」と「軍隊」と<新自由主義>と(その1))
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スリーストライク法」と悪循環~日本版プラン・メキシコへの罠(21)~
囚人は”とても優秀な労働者”!?~日本版プラン・メキシコへの罠(20)~
奴隷労働者供給構造と経済的徴兵制 ~貧困と監獄と軍隊と/日本版プラン・メキシコへの罠(最終回)


ジョック・ヤングが
『後期近代の眩暈』で取り上げた、
グローバル化と技術革新と新自由主義政策とによって
雇用的に立場が不安定な、正規雇用の中流階級層によるアンダークラスに対する《ルサンチマン(怨念)》の概念を拾い、
日本社会に引き寄せるに当たり、
いま少し、『後期近代の眩暈』について見ていく。

とはいっても、
『後期近代の眩暈』を概括的に把握するのは難しい。
ただし、
ドコに重点や軸を置き、
何を主旋や基調や基層としているのか、
著者のヤング自身が述べている箇所がある。



私が一貫して関心を寄せてきたのは、
いかに、貧困層の生活の特定の側面不可視な状態に置かれる一方で
犯罪や非行に焦点があてられているかということ
である。
まさに、アンダークラス、移民、犯罪者の三重奏は、
いずれも貧困のステレオタイプの鋳型にはめられるというところで
ごく共通しているのだ。
こうした認識は、
世界を二分法のレンズで眺めることによって拍車がかけられる
この中産階級/アンダークラスという二項対立は、奇妙な仕組みである。
とりわけ合衆国においては、
正規の職をもつのはほぼ全員が中産階級であると一緒くたにされ
金持ちは度外視され、
残りの人びと奇妙なことに
完全に階級構造の外部にいる「下位」「劣位」に置かれてしまう
のだ。
(中略)
こうした二分法は
働いている人常に失業している人に対応していると思われる。
(中略)・・・この二項対立は、
働いている人が暮らし向きがいいのは当然、
貧困層は失業と緊張な関係にあるといいたてる

(中略)
かれら〔ワーキングプアや移民労働者などのアンダークラス〕不可視性この二項対立から生じているのだ。”
(ジョック・ヤング【著】/木下ちがや&中村好孝&丸山真央【訳】

『後期近代の眩暈』 青土社、2019年、188-189頁)


「働いている人が暮らし向きが良いのは当然で、
/貧困層は失業と緊張的な関係にある」という、
二分法でみると、レンズから《零れ落ちる
実態や実情とは異なる不可視な側面》とは、
高度熟練専門職層や専門職エリートの「日常業務」
あるいは、そうした高収入エリート層の「日常生活」を、
そうした「アンダークラスの労働が支えている

あるいは
「アンダークラスによる労働なくしては」
専門職エリートの労働や日常は「成り立たないという点であった。


貧困層がマジョリティから道徳的に隔離され
障壁によって物理的に隔てられている
という二重都市テーゼは
俗説である。
そうした境界線日々越えられており
アンダークラスはいずれにせよ両側にいる
しかし貧しいほうの街に集住している人びとは、
いつも境界線を越えて働きに行き
富裕層の家族滞りなく生活させている

働く貧困層が、働く富裕層の生活支えている
それどころか、このような安価な「家事援助」が入手可能なことで
はじめて
夫婦共働きを続けることできる
。”
(ヤング、邦訳、66頁)

“ マイケル・ハリントンは
有名な著書『もう一つのアメリカ』(1963年)で、
合衆国の貧困層は不可視な存在になっていると述べている。
今日、かれらは
常に非難のサーチライトを浴び、スティグマ【烙印】化、監視と非難の対象
である。
しかしながらこのサーチライト
特定の存在、すなわちエキゾチックで、危険で落後した者だけを、
そしてその存在の際立つ箇所、ステレオタイプ化、怪しさだけを照らしだす

一方で、
非常に豊かな社会における平凡なもの、
日常的な貧困層の中心部分無視してしまう
のだ。”
(ヤング、邦訳、171頁)


貧困層の労働が、
まるでスラムやゲットーの中で
行なわれているかのように描かれ、
スラムやゲットーにおける貧困層による労働と
中流階級社会とのあいだには、
何も関係が無く断絶しているかのようなイメージが描かれるが、しかし実際は異なり
「彼ら[貧困層]は例外的存在ではなく
貧困の残余でも、
経済の周縁にいるわけでもない
かれらは経済の中心であり、
必要不可欠な経済循環の中心に位置」しており
(173頁)、
彼らは「一般市民と相互交流があり
かれらには知識、忍耐、ケア、関与が要求される。
かれらの仕事は
合衆国や先進国の繁栄にとって経済的に不可欠な存在
である。
かれらは成長部門であり、
ニューエコノミー

低賃金労働者を減らすどころか増大させてきた
。」(174頁)
にもかかわらず、
奇妙なことに

この労働者たち不可視な存在のままなのである」(174頁)という。
つまり、問題点は、
アンダークラスの労働や日常の実態が
《不可視化・他者化》されているだけだ、という。

ヤングは
不可視の労働者】という項目のなかで、
「ロスアンジェルス」という都市
アンダークラスによる労働やその存在の
《不可視性&他者化》の象徴
として取り上げている。
デヴィッド・リーフ
『ロスアンジェルス――第三世界の首都』での
ロスアンジェルスに対して、人々が抱くイメージは、
“緑が青々と生い茂り、瑞々しくゆったりした光景”

だが、
地理的には、
現実のロスアンジェルス
盆地で、
太平洋と山に囲まれた砂漠”である事から、
「芝生のみずみずしいさわやかさ、
種々の苗木や灌木の繁茂の一切は、
不可視された労働者がつくりあげたもの」(175頁)で、
ロスアンジェルスの都市の風景は、
アンダークラスの労働なくしては成立しない
、という。
さらに、ロスアンジェルスの専門職層の日常生活
使用人やワーキングプア抜きでは、成り立たないという。

世界都市の日常
高度専門職労働者が日常を営む上
欠かせない存在であるにもかかわらず、
不可視化
されていたり

メディアによるステレオタイプな取り上げ方により
「他者化」されて扱われている
が、
ワーキングプアや貧困層や移民などの
実際や実態や実情とは異なる
《他者化》や《悪魔化》《不可視化》

現実的には、何をもたらし、
何に役に立ってしまっているのか


☆その帰結の一つは、
中流階級の
いっそうの冷淡さ》と《自己中心主義化

☆もう一つは、
グローバル化や技術革新や新自由主義政策によって、
自分の足元の立場を、日々脅かされ続けている、
職業が不安定
正規雇用の中流階級労働者

アンダークラスに対する《ルサンチマン

寄与している、という。
このブログで、
日本社会に引き寄せて考えるに当たり、
日本社会における
或る《ルサンチマン》の側面
を取り上げるのに
参考にするのは、この後者の現象である。

しかし、このページでは
後者の現象の”奇妙さ”を際立たせる一環として
ステレオタイプ化により《不可視化》されて、
“見えていない
実態
との関係での
前者の側面を見ていく。

上に少し見たような《不可視》《他者化》は、
経済成長〉構造経済や〈グローバル化

GDP/会計尺度における
第三世界の犠牲環境破壊の《不可視性
似ているところがあるかもしれない。
たとえば、下の動画のインタビューに出てくる、
政治経済学者のスーザン・ジョージによる
『債務ブーメラン~第三世界債務は地球を脅かす~』
(原著1992年、邦訳1995年、朝日選書)では、
先進国の銀行が
アジアや中南米やアフリカなど第三世界に
貸しつけたカネ
》、
別な言い方をすれば
先進国の銀行から、
第三世界が負うことになった借金/金銭債務
》は、
次の格好で、結局は、
先進国にも“ブーメラン”としてはね返ってくる
、という。

〇地球環境破壊
〇麻薬
〇“先進国の”納税者の負担の増大
(肩代わり)
〇先進国における失業の増大
  
および先進国の市場の縮小、
〇移民の圧力
〇地域紛争と戦争の勃発


スーザン・ジョージの他方で、
同じくデビッド・コーテンも、
先進国の銀行が
第三世界の(債務)国におカネを貸した後の
《悪循環》
的な帰結について、
次のように表わしている。

“【借金のつけ】


 1943年、
ニューヨークのナショナルシティバンク副頭取ウィルバート・ワードは、
世界銀行設立案について、未来を見通したような疑問を呈した。

 銀行というものは、
最終的に返済される見込みのある金だけ
融資するのでなければ、立ち行かない。
……数百億ドルもの金を借りて、返済できる国があるだろうか


 この問いに対する答えはまだ出ていない
世銀のエコノミストは判で押したように、
融資を元手に経済成長を達成して、そこから返済すればよいという
ところが現実には、
多くの国が借りた分を返すためにさらに借りる、という悪循環
に陥っている。
借りれば借りるほど国際融資への依存が高まり
自国開発は二の次で、借り入れを増やすことで頭がいっぱいになる
まるで麻薬中毒のような状態
だ。”
(デビッド・コーテン【著】/西川潤【監訳】/桜井文【翻訳】
『グローバル経済という怪物』
シュプリンガー東京、1997年、206頁)

第三世界へのカネの貸し付けを、
カネを貸した側である先進国(の銀行)の立場で見ると、次のような行動をとる、という。
たとえば、
先進国の銀行が、
《信用創造で》貸し付けたおカネ(金銭債権)と
利子
を貸しつけた第三世界の国々から回収するとしたら、貸しつけた第三世界の商品が貿易でちゃんと売れて

売れた商品で作られた富
先進国の銀行への返済に当てられる必要がある

先進国の貸しつけた銀行の立場からすれば、
その第三世界の国から返済を受けるため》には、
・〈その第三世界国際的競争力商品が売れて
銀行への返済につながる
〉のと、
・〈自国の産業が守られる事で
貸し付けた国と競合する自国の産業の輸出の順調により、貸しつけた第三世界の国の商品売れず
銀行への返済つながらない
〉のとでは、
どちらが、銀行が貸したカネの回収につながるか
(さらに、
アジアやアフリカなどの債務を負った第三世界の国々は
借金返済の為に〈国際競争力のある農作物を作る〉ので、
現地の人々のための農作物生産〈ではなくなる
ーー「食料」の場合、さらに事情は複雑になる。
スーザン・ジョージ【著】
『これは誰の危機か、未来は誰のものか
ーーなぜ1%にも満たない富裕層が
世界を支配するのかーー』には、
”自由貿易”とは名ばかりで、
自由貿易ですら無い《ダブル・スタンダード》の実際を紹介している。


“米国も欧州連合(EU)も世界貿易(WTO)の規制を尻目に
補助金漬けの農産物を第三世界市場に輸出し続け
しばしば地元農民よりも安く売って
地元農民が生産コストに見合う価格で収穫物を売る機会つぶす

ダンピング…は跡を絶たない。”
(スーザン・ジョージ【著】/荒井雅子【訳】
『これは誰の危機か、未来は誰のものか
ーーなぜ1%にも満たない富裕層が
世界を支配するのかーー』、岩波書店、2011年、138頁)

上記の項目に並べた
地球環境破壊
先進国の自国市場の縮小や失業の増加という矛盾を、
先進国の銀行による
第三世界の国々への貸しつけ
その返済問題

という背景から見ると、ワケが分かってくる。


送金のためのドルを稼ぐため
債務国は
輸出向け生産に投資しなければならない
が、
その商品は「北[=先進国]」で生産される商品と
しばしば競争関係にはいる

債務国は
構造的な貿易黒字を追い求めざるをえない
そうでもしないと彼ら[債務国]は、
かならず債務不履行状態(デフォルト)に陥る
だろう。

 ・・・貿易はゼロサムゲーム〈一方の得がかならず他方の損になる関係〉だから、
ある人にとっての黒字はそれ以外の人にとっての赤字を意味する。
・・・彼ら[債権国(の銀行)]利子を欲しいのなら、
その場合は債務国の商品受け入れなければならない
債権国が輸出をしないのなら、アダム・スミスが指摘したように、
その場合は「その国の生産的労働の一部分はなくなるに違いない」。
・・・進んで支払ってもらおうとする、
あるいは
自国の銀行が支払いを受けることを望む国は、
輸出犠牲にしなければならない

そしてアメリカは、すくなくとも輸出反対し
したがって自国の「生産的労働」反対し
つまりは銀行の味方をする選択をしたのである。”
(スーザン・ジョージ【著】/佐々北建・毛利良一【訳】
『債務ブーメラン』、1995年、朝日選書、170頁)
ーーーーー

【構造調整のいう名の貧困再生産】

彼らの道具は、銃やムチではない、世界銀行とIMFだ。
ーージェシー・ジャクソン

あなたのような会社に
興味を持っていただけるよう……
私たちは山をならし、ジャングルを切り開き、
沼を埋め立て、水路を動かし、町を移動させました

……あなたのような会社が、
操業しやすくするため
です。
ーーフォーチュン誌に掲載されたフィリピン政府の広告”
(デビッド・コーテン【著】/西川潤【監訳】/桜井文【翻訳】
『グローバル経済という怪物』
シュプリンガー東京、1997年、201頁)

【森林伐採・地球環境破壊と生態系破壊について】
生息してきた森林・生態系環境を、森林伐採/開発で奪われ、
子供のオランウータンを背負って、当て処なく彷徨う、
瘦せ細り、あたまを抱える、母オランウータンの光景を収めた、
リンク先の30秒ほどのツイートの動画
どうか見てみて下さい。☟

 

消えゆく熱帯雨林と私たちの未来
〜ウータン・森と生活を考える会〜


「どうなん?!バイオマス発電
〜パーム油発電ってホントに地域と地球にやさしいの?」
2019.9.13@舞鶴市


マレーシアでは海外からの移住労働者、インドネシアでは国内の移住労働者
プランテーションの主な労働者として使用されており、次のような処遇にある、という。
・法定賃金以下での労働
・女性を主とした、長期間の日雇い労働
(女性は妊娠すると仕事を失う)
安全装置費用は労働者が負担
・労災なし
・労働組合の組織化妨害
・パスポートの取り上げ
・斡旋システム、
ビザ・労働許可証取得のための借金漬け≒債務労働化
・詐欺的な募集
・賃金不払い・法外な天引き
・達成困難なノルマを課される

【11分以降~】 ※内情が日本の「外国人技能実習制度」と似ている

【関連記事】
〇【16-1】ヴァンダナ・シヴァ《生命の収奪》批判と会計 ~監視社会-AI-メガFTA-資本~
〇【16-2】V・シヴァ《生命の収奪/biopiracy》批判~監視社会-AI-メガFTA-資本~
〇【1】〈死の霊薬〉 ~レイチェル・カーソン『沈黙の春』~
〇【6】「土壌(地表)」――素晴らしき哉、この“複雑系”なる世界
【7-②】《経済成長/GDP》と《生物多様性・自然環境破壊》
〇【7-③】《経済成長/GDP》と《自然環境破壊》と《グローバル化&自由貿易》と

ーーーーーーーーーーー

この事から、もう一つ導けることは、
GDP「一人当たり」とか「平均」とかの
国際比較を見せられる事があるけど、
その比較を見せられている時点で、
《誰が優遇されて、
誰が犠牲にあい、冷遇されているか》が
《切り落とされて、不可視化》されている
点だ。

【関連記事】
〇【7-⑥】《「開発」発展モデル》と《経済成長/GDP》と《グローバル化&自由貿易》と
〇【66】「1979年の《ポール・ヴォルカーの一撃》」と《債務経済術》の幕開け
〇【68】ポール・ヴォルカ―《1979年の一撃》から生まれた《債務経済支配》

「貧困の終焉?」
グローバル経済の収奪構造をえぐるドキュメンタリー

【関連記事】
7-③】《経済成長/GDP》と《自然環境破壊》と《グローバル化&自由貿易》と
ーーーーーーーーーーー

上記の“第三世界の債務危機”の構造
グローバル規模での南北問題であったが、
このページで垣間見る《ヤングが可視化した世界》は
同一都市内同一国内で成立している”、
南北問題的な従属構造と言えるかもしれない。


不可視の使用人」というタイトルの項目で
ヤングは、サスキヤ・サッセンの叙述を引用しつつ、
高所得専門職労働者
ワーキングプア労働に依存しているが、
それを不可視化してきている矛盾
について
記している箇所がある。

実際には他人の労苦や犠牲を土台にしながらも
それが《不可視化されていることの闇》を
この本は指摘する。

日本国内の問題との関係で言えば、
《外国人労働者問題》の実態は
なかなか私たちの耳目には入らず、
“不可視化”や“他者化”されている


「団地と移民」【ゲスト:安田浩一】
2023年5月19日(金)
【大竹メインディッシュ】大竹まこと 室井佑月 安田浩一

安田浩一×安田菜津紀 外国人差別の現場
【著者に訊く!】 20220726


外国人労働者だけでなく、
国内低賃金労働、
官製ワーキングプアによって
日常業務や社会運営が
維持されて久しくなる


”格差社会化”問題の指摘を受けて、
格差があって何が悪い」と
2006年に第164回 国会で、
小泉純一郎首相(当時)が吐き捨て、

また、自民党 某議員は
「貧困の再生産など起きない。
彼らは子供さえ持てないから、
いずれなくなる
だろう」
(『週刊SPA!』 2006年9月19日号49頁))
と言ったようだが、

そのシワ寄せは、
その15年後の今や、
根本を揺るがす危機的状況として
突きつけられている
いるが、
戦争準備化や原発再稼働と地震の問題、
地震による原子炉の倒壊危険性、
食料安全保障や出口なき金融・財政問題、
構造的円安と産業競争力問題、
環境問題や持続可能性問題、
また放射能汚染水放出…により、
霞んで見えなくなっている。
(じつは「デュオ・ピークス」も)
——ただし、
賃金水準や受給水準の上昇、
絶えず漸増するインフレ
は、
いずれにしても、
地球上の再生維持の持続可能性の容量
突き当たるのではないか?――

ーーーーーーーーーーーーー

話題を、
本来の『後期近代の眩暈』の基調や主旋に戻すと、
いかに知識資本主義や
高付加価値の技術職、
最先端の高度な熟練労働職であっても、
低賃金の非熟練労働や移民による労働によって
支えられて成り立っているのにもかかわらず、
それが《不可視化されている》という。


“バーバラ・エーレンライクは、
ワーキングプアの状況を調査するなかで、
延々と床磨きをする「メイド・インターナショナル」の従業員として
自分が働いたときのこと
を描いている。
彼女が活写するそれは、
働く彼女が19世紀の召使いのそれと五十歩百歩の、
不可視な存在
であるということだ。
(中略)

 このような不可視性の最も根本的な原因は、
多くの移民の女性が行なう経済の根幹をなす貧しい賃労働への
われわれの理解が及ばないこと
にある。
かれらの労働は単なる付け足しにすぎず、
とるに足らない補助でしかなく、
行きあたりばったりで、まともな経済部門ではない
、というように。
サスキヤ・サッセンがこれについて説得力のある問題提起をしている。
脱工業社会の一般的な語りが、
高度な熟練労働をもち情報が豊富な労働力の登場だけを際立たせること

誤りがあると彼女は主張する。
それ膨大な非熟練労働力をもまた必要とするのである。
だから彼女はこう述べるのである。

低賃金労働者は、
世界都市の先端部門における日常労働の大部分を遂行する
結局のところ、
高度専門職は、
その先端的な職場において、事務員、清掃作業、修繕係を必要とするのであり、
かれらのソフトウェアやトイレットペーパーを運ぶ運送作業員を必要とする
のである。
私がニューヨークなどの都市を調べたところによると、
先端部門で働く労働者の三割から六割は、実際には低賃金労働者なのである。

 こうした専門職部門に共通する最先端のライフスタイルは、
メイドやベビーシッターといった家内労働者の新規需要を創出し、
また同時に
こうした高所得専門職労働者の消費慣行に対応するサービス労働者の需要
創出する

…こうしたものはごく近年になって目につくようになった。
われわれは今日、
高所得世帯や高級住宅街「サービス階級」の再台頭を目にしているのだ
。〉


 …かなりの規模をもちながらも
しかし相対的に不可視な存在であるこの労働者

こうした専門職エリート補助者として登場した
のである。
今日のグローバル化の語りは、
したがってサッセンによれば
最上層の循環にだけ焦点をあてられていて
下層の循環あてられていない
のである。
さらにこの下層の循環は、
グローバル化での第三世界の厳しく悲惨な状況に促迫され
そしてこの循環は
移民労働者が第三世界の親類縁者に相当額を送金することによって完成される
のである。
…多くの労働者は、
電話情報サービスやメールでレントゲン写真を送付する医療労働者のように、
できるだけアウトソーシングされる…。
先進国で維持されているのは、
高度な熟練を伴う革新的な全体設計にかかわる労働
物理的に外注困難な非熟練労働
である。
(中略)
このようにわれわれは第三世界に
製造、サービス業を外注【アウトソース】するとともに、
第三世界から子守やセックスワーカーといった介護労働を内注【インソース】する
ポルノ写真は外注できるが、性行為は内注しなければならない
…ホックシールドがエッセイ「愛と黄金」…で
新しいかたちの帝国主義について語っていることがまさにそれなのだ。
つまり、
かつて先進国は鉱物を搾り取っていたが、現在はケアを輸入するのである。
こうして「愛とケア新しい黄金になった」。


〈 この時代の帝国主義の野蛮性は、
かつて第三世界から物質的資源を搾取していたのと
今日の感情的資源を搾取するのとを比べて
なお小さなものとはいえない

今日の先進国は、
力によって第三世界から愛を搾取しているわけではない。
革のヘルメットをかぶった植民地官僚はいないし、
植民地に向けて出航する軍艦もいない。
その代わりにわれわれが目にするのは、
先進国の公園で第三世界の女性が
元気のよい子どものベビーカーを押しているところであり、
年配のケア労働者が辛抱強く腕を組んで年配の介護者と街頭を歩いているところ、
あるいはかれらのそばに座っているという心温まる場面なのである。
今日、強制の操作は異なるものになっている
性の貿易や家内サービスのいくつかは
大部分が容赦なく強制されているが、
新しい感情帝国主義は銃身から放たれるわけではない
女性は家事労働のために移住を選択する。
しかしかれらがそれを選択するのは、ほぼ強制的な経済圧力のゆえにである。
この金持ちの国と貧しい国の大きな隔たりは、
それ自体が強制の様式を織りなしており
自分たちの国では職を得る機会がないので
先進国で仕事を探すように第三世界の母親たちに強いる
のである。
ところが、
自由市場のイデオロギー普及していることを考えれば、
移住は「
個人的な選択」とみなされる
のだ
その帰結は「個人的問題」への解消である。
この意味において、移住は、
白人男性の負担【バーデン】をつくりだすのではなく、
連なる不可視の環をつうじて暗幕の裡に
子どもたちの苦難【バーデン】をつくりあげる
のである。〉
(ヤング、邦訳、179-182頁)


“新型コロナ・パンデミックが猛威をふるった時、
ニューヨーク市では、
たとえば宅配ピザ・サービスを通じて、
宅配ピザのサービスを享受する富裕層と、
感染リスクを負う配達員とに分かれる、
という極端な光景が見られた。
貧困層はコロナ禍でも労働を余儀なくされるが、
しかし富裕層は、
その貧困層の低賃金労働に依存している



“・・・食料や家庭用品の生産、電気・ガス・水道といった公益事業は
すべて別のところから供給されるているが、
富裕層の生活水準を維持するのに必要な無数の仕事はどれも、
貧困層住居地域にある自宅から毎日通ってくる使用人や従業員が
間断なく供給している

ゲート付きコミュニティは障壁に透過性がなければならないが、
それは皮肉にも一方通行である。
つまり、富裕層は貧困層のゲットーを知らないし立ち入ろうとしない。
たとえばブルックリンのイーストニューヨークは、
同じブルックリンのパークスロープの中産階級の住人たちにとって
未知の領野である。
しかしメイド、子守、運転手、ポーター、洗車係、棚卸作業員たちは、
イーストニューヨークからやってきて、
パークスロープの高級住宅や病院、レストランに向かう
のである。”
(ヤング、邦訳、67-68頁)

その結果、
ワーキングプアに依存する中流階級には
《一層の冷淡さ》と《自己中心主義》が生み出されるという。
ヤングは、
バーバラ・エーレンライクの叙述を引用しつつ、
この帰結や現実を示している。


“〈使用人経済【サーバント・エコノミー】は、
限られた機会を貧困層や女性の移民に提供するかもしれない。
だがサービスされる側には、
冷淡さ
自己中心主義生み出される
そしてサービスが暮らしや再生産をする場所で
日常的に密着して行われるならば、
いっそうの冷淡さと自己中心主義生み出される


 さらに、前著『ニッケル・アンド・ダイムド』で彼女が指摘しているように、
かつてわれわれは貧困層が福祉で生計を立てることを非難したが、
今やわれわれは、かれらを自足させている
貧困の淵でかつかつに糊口をしのがせている
のだ。
他者化という異常な行ないのもと、
われわれは、
依存に苛まれる存在というスティグマを施したかれらに依存するようになった
のである。”
(ヤング、邦訳、190頁)

――・――・――

こうした実態や実際であるにもかかわらず、
メディアなどで描かれる「アンダークラス」像は、
怠け者や税金泥棒などであるかのように描かれ

それが、グローバル化やアウトソーシング、
技術革新や新自由主義政策によって
雇用の足元を揺るがされ、
不安定な立場
の正規雇用労働者の中流階級には
ウケる、のだという。



アンダークラスが
より大きな経済過程の分かちがたい一部分となっていること、
そしてより重要なことだが、恵まれたコミュニティの生活水準と快適さが
この階級によって支えられていることは あまり認識されておらず、
また めったに話題にされることもない。
(中略)・・・経済的に恵まれた人びとが
この階級の存在に依存するところは きわめて大きいのである。

 アンダークラスは 社会的機能に深くかかわっている。
すべての産業国家には、
程度の差や形態の差こそあれ、アンダークラスが存在する。
もしかれらの一部が収奪や強制から逃れたとしたら、
その補充が必要不可欠となる。
ところが、
どんなに高級な社会的、経済的議論も、この問題については沈黙を守っている。
容赦ない社会的排除の苦難を救済できるような政治経済システムの構想が
求められているにもかかわらず、
満ち足りた人びとの都合だけが社会の正面に出て、
明瞭きわまる現実を押し隠しているのである。


 それにもかかわらずアンダークラスは、
望まれていないもの、社会的残余として描かれるのが一般的
である。
かれらは、
資本が労賃のような安価なところへ移動した傍らで、
都市の後背地にとり残された人びと
である。
もはや働くことを求められず、
しかもジグムント・バウマンなら「欠陥のある消費者」と呼ぶ存在
である。
まばゆいばかりの後期近代社会の商品を
買わせようとする人たちの興味を引くには、
かれらの収入は足りない。
かれらはグローバル化と新しい技術の犠牲者である。
かれらは無用階級であり、
社会から隔絶され無意味となった断片
である。
「ひどい言い方をさせてもらえば、
かれらは必要とされていない。
われわれは かれらがいなくても生きていけるだろうし、
むしろそうしたいと思っている
」とラルフ・ダーレンドルフは述べている。
かれらは、
単に
その存在が社会に効用をもたらさないから
使い物にならないだけではない
まったく使い物にならないくせに莫大なコストがかかるのである。
かれらの機能不全には二つの形があるといわれる。
ひとつは、
アンダークラスが
犯罪や市民らしからぬふるまいの根源で、危険階級とみなされる

もうひとつは、
残余物はコストがかかり、ますます納税者の重荷になる。”
(63-64頁)

アンダークラスによる犯罪には、
困窮や飲食物を得るため、財産を奪うため、
薬物を得るために犯罪を犯す、という実利的動機に
留まらず、
社会から排除されていることの〈屈辱感〉から、
その反抗や復讐心から、
違反行為のスリルを感じる体験を通じた、
自分の存在論的確信を得る側面もあるために、
危ない存在として見られるには一理はある。

しかし、そうした描かれかたの一方で、
アンダークラスが暮らす実際のハーレム街では、
朝、出勤のために、
バス停でバスを待ち構えている人々の姿、
渋滞でバスでの通勤を諦め、
地下鉄に乗ろうと地下鉄の入り口で
行列している通勤者や通学者の光景
があるという。

実際との間にギャップがあるにもかかわらず、
描かれるステレオタイプのイメージが、
雇用上の立場が不安定な
正規雇用の中流階級層にウケる
その背景には、何があるのだろうか



【8】に続く。



樋口健二
・売れない写真家が見つめた日本の闇
(PARC自由学校セレクト・アーカイブズ)

2023年4月5日 全8回(収録期間:2021年6月~11月/再生時間: 15時間 32 分)
視聴可能地域: 全世界
原発労働者の被曝、公害、戦争の傷跡、自然破壊などを半世紀以上にわたり記録してきた報道写真家・樋口健二さん。自身は「売れない写真家」を名乗るが、日本人として初めて「核なき未来賞」を受賞するなど、世界的に評価が高い。そのフォト・ルポルタージュの軌跡を、圧倒的な語りとともに振り返った全8回のオンライン講義の記録。


西谷文和 路上のラジオ 第138回
「原発の危機!大特集~ふたりの専門家に訊く!~」

<前半>
テーマ:「今、必要なのは、戦争と原発そのものを廃止すること
ゲスト:小出裕章さん(元京都大学原子炉実験所助教)*電話インタビュー
<後半>
テーマ:「福島原発大ピンチ。原子炉倒壊=日本壊滅の対策を急げ
ゲスト:森重晴雄さん(原子核工学専門家)
(中略)
まず前半では、元京都大学原子炉実験所助教の小出裕章さんにお電話をおつなぎし、戦争と原発をテーマにお話しを伺います。報道にあるように、100万KW級の原子炉6基を抱えるウクライナ・ザポリージャ原発が破壊されたら、いったいどんなことが起こるのか小出先生は、周辺国のみならず広範囲に想像すらできないほどの甚大な被害が及ぶと、科学的データを示しながら警告します。ロシアはそのような自国をも全滅させるような愚かな選択はしないであろうとしながらも、人類を破滅に導くような装置を作り運転しつづけることの愚かさを小出先生は強調されます。折しも岸田政権は、巨額な防衛費という名の軍事費を積み上げ戦争の脅威に備えると言いますが、安全保障上最大級のリスクをはらむ原発利用を強力に推進するという自己矛盾をどう説明するというのでしょうか?(後略)

そして後半では…森重さんは、フクイチの1号機は、震度6強の地震で容易に崩壊すると予てから警告しています。このことを知った参議院議員が、岸田総理に質問状を送った回答が、6月27日にあったといいます。その答えとは、原子炉倒壊の危険性の認識はあるとするも、東電の見解ではそれによる環境被害はほとんどないと承知しているとのこと。そのような岸田首相の認識がいかに愚かなことなのか、炉心溶融した原子炉や吹き飛んだ建屋、392体もの燃料棒を取り出せないままの使用済み燃料プールの状態などの構造を知り尽くした専門家のお立場から、わかりやすく解説していただきます。

樋口英明さんビデオメッセージ
「女川原発再稼働をストップさせるための意見広告」

桜と予言と詩人 神隠しされた街
若松丈太郎
アーサー・ビナード

【原発耕論 No15】
汚染水海洋放出は無責任の極み!20210515


汚染水の海洋放出は世界の流れに逆行する
(2023年08月24日 Video News Network)
ロバート・リッチモンド 海洋科学、海洋生物学。

トリチウムの人体への影響を軽くみてはならない
(2023年年04月17日Video News Network)
河田昌東 (かわた まさはる)分子生物学者

【CLPレポート】
「(海洋放出以外の)代替案はあるが、
公の場で検討されてこなかった」
(国際環境NGO FoE Japan・満田夏花)