【7-②】《経済成長/GDP》と《生物多様性・自然環境破壊》 |   「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!

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徳冨蘆花「謀叛論」を再発見してたら、
「ソクラテスの弁明」が、なぜ好きなのか、最近になって納得し始めた今日この頃です。

〈【前ページ(7-①)】からのつづき〉
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PHC Film:土は生命体


中村哲先生特別講演会
「蘇る!アフガニスタン大地と暮らしの物語」全編
@明治学院大学(2016.06.21)
【50分辺りから~】


映画『世界が食べられなくなる日』予告編

NHK環境アーカイブス
レイチェルカーソン 沈黙の春 1962 6分

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※太字による強調は引用者。
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" 〈宮本〔憲一氏〕〉
資本の問題について言ったのは、
環境経済学自身に問題があるからです。
自然と資源の関係性ですが、
自然のなかには資源があるわけです。
例えば川があって川の水を使って飲用水をつくる。
その場合は商品になり、自然から資源を抜くということになる。
しかし、
資源にならないものが自然のなかには多くあって、
それを保全することが大切なものなのです。
市場制度のもとでは、
どうしても資源としてしか自然を見ない
わけです。
それが間違うわけです。
経済学者は 環境論に関して、
資源論から入り、自然を資源として扱う。
ところが、
自然を資源としてだけ扱うと、
自然破壊が起こる
わけです。
それが今の環境経済学者に対する一つの問題提起です。
経済学者は自然を扱うときに、
「希少資源」だなんて言っている


〈西谷〔修氏〕〉
そうすると
まさに経済学の十八番の「希少性」の話で、
もはや財の流通サイクルしか視野に入りませんから。”
(【対談】宮本憲一氏×西谷修氏
『現代思想』2015年3月号 臨時増刊号
 総特集「宇沢弘文」P.120-121)

――――――――――――――――――――――

”〈宮本氏〉
イリイチは、メキシコの地震があった直後に、
我々の公害研究委員会にぜひ会いたいという要望があったので
お招きしました。
帰国寸前で、質疑には45分位しか時間がなかったですが、
彼はどうしても一つだけ意見が聞きたいと言う。
都留〔重人〕さんや宇沢さん、私も会場にいました。
それで、イリイチが何を言ったかというと、
日本はなぜ溜め込みの便所をやめたのか、ということでした(笑)。
何で下水道にしてしまったのか、その理由を聞きたいというのですね。
我々のほうは意外な質問でどきっとしたのです。
下水道は一つの近代化の象徴なわけですからね。

 イリイチが言うには、
メキシコの地震のときに一番困ったのは、
地震で下水道がやられてしまって
伝染病が大変流行った
ことだそうです。
むしろ、郊外にあった貧困者の住宅は
屎尿〔しにょう〕溜め込み便所で、その地域は無事であった、と。
完全循環方式から言うと、
溜め込んだ屎尿を肥料にするという
日本の江戸期以来の都市と農村を共生する方式が理想的で、
その理想を何で簡単にやめてしまったのか聞きたい
と言われました。
それで困ってしまってね(笑)
確かに、そう言われれば、
地震でもし下水道が破壊されたら大変です。
それは確かに阪神淡路大震災の時に経験したのですね。
下水道が駄目になったところは雪隠詰めになって
どうしようもなかった

しかし今では
都市では溜め込み方式の便所の中身を
持って行って処理して肥料にする方式が
ほとんどなくなってしまっています。

 これは確かに考えさせられる質問でした。
下水道をつくる公共事業の補助金がでる。
生活基盤の社会資本では最も大きな補助金です。
それを獲得すれば政治家には大きな功績になる。
そうすると、
全然必要のない農村部で下水道が作られるようになる。
しかし、農村部などの広い土地で、
点々と住宅があるところに下水道をつくるには
ものすごくお金がかかり、
下水道をつくったことで
農村部の上流の水が汚れるような問題も出てきた

今は技術が発達して、
それほど河川が汚れるとは言われないけれど、
とはいえ、
もっと簡単な簡易浄化槽もある
わけですね。

 農村部地方財政の赤字の大きな原因は
下水道会計なのです。
例えば、沖縄の離島なんかでも
赤字になっている最大の原因は下水道です。
そういう意味では、
確かに完全循環方式に合うような、もっと別な方式を
近代化のなかで編み出さなけらばいけない

イリイチの言う通り、
画一的になぜ国土の隅々まで下水道をつくる必要があったのか
ということです。
確かにこれまでの溜め込み式便所は
臭くて非衛生的だったという問題はあるのですが、
それは今ではかなり簡単に技術的に解決できるのです。

 私は長野県の山荘をつくったときに
溜め込み式でやっていたのですが、
全然臭くなく、水をほとんど使わない衛生的な方式ができています。
屎尿を二年くらい溜め込んだら処理に来てくれるのですね。
それで結構うまくいく。
それなのに、
農村部で膨大な投資と、毎日大量の水とエネルギーを使って、
長いパイプと下水処理場をつくるのは、
イリイチの言う通り
近代の技術と画一的な補助金制度が持っている欠陥であるところがある
と思います。”
(『現代思想 2015年3月臨時増刊号』P.125-126)

――――――――――――――――――――

‟2008年3月、
ロバート・ケネディの演説から40年の歳月を経て、
GDPに対する疑問
ようやくワシントンで議題にのぼった。
上院委員会で、
GDPでは
環境破壊、貧困、所得格差、健康、生活の質が測れないこと
や、
GDPで国民の幸福を測ることの危険性が議論されたのである。
このときは国民経済計算に修正を加える法改正にまでは
いたらなかった……”
(ジェーン・G・ホワイト
 『バランスシートで読みとく世界経済史』P.238)

―――――――――――――――――

ウェントワース懸念する科学者の会(2008年)
会計システムは、
資源が永遠であると思われていた時代に、

自然環境の保護ではなく
産業革命の推進に重きが置かれる状況のもとで発展した。」

―――――――――――――――――

 複式簿記の始まりと変容は、
これまでほとんど語られることがなかったが、
次の点で非常に大きな意味を持つ。
まず、ルネサンスという形で富と文化を開花させたこと。
そして、資本主義を隆盛させ、世界経済を根底から変えたこと。
さらに数世紀をかけて洗練されたシステムへと変容し、
21世紀の世界経済を支配するようになったことである。
この中世の産物は、
今日でも世界中で日常的に使われている。

 最後に、もっとも重要な点としてあげたいのは、
簿記に地球の存亡がかかっているということだ。
会計の世界では
あらゆるものを貨幣価値に変換するため、
地球が私たち人間に無償で与えてくれる生存環境には
最低限の価値しか見い出してこなかった。
会計の論理を振りかざすことで、
私たちは地球を傷つけてきた

しかし、いまこの会計が地球を救う鍵を握っている
ガーディアン紙のジョナサン・ワッツは
2010年10月にこう書いている。
とうとうここまで来てしまった。
地球上の生物多様性の危機
きわめて深刻だ。
科学者、政治家、環境問題の活動家、宗教の指導者が、
どんなに優秀であっても救うことはできないだろう。
軍隊も無力だ。
しかし、最後の希望の星となりうる人たちがいる。
アカウンタントである」”
(ジェーン・グリーソン・ホワイト【著】/川添節子【訳】
『バランスシートで読みとく世界経済史』P.6-12)

―――――――――――――――――――――――

ロバート・レペット 世界資源研究所(2000年)
「・・・…鉱物資源を掘りつくし、森林を伐採し、
土壌を浸食し、帯水層を汚染し、
野生動物を絶滅に追いやったとしても、
国の収益には影響がない
…・・・」

―――――――――――――――――――――

 ――『フォーチュン』誌に載せたフィリピン政府の広告文句――

あなたのような会社に興味を持っていただけるよう……
私たちは
山をならし、ジャングルを切り開き、沼を埋め立て、
水路を動かし、町を移動させました

……あなたの会社が、操業しやすくするためです”
(デヴィッド・コーテン
『グローバル経済という怪物』P.201)

――――――――――――

 このように昆虫を食べる鳥たちは、
殺虫剤のために大打撃をうけているが、
それだけではなくて、
さらに経済的、またそのほか有形無形の嘆かわしい損害がある。
たとえば、
シロハラゴジュウカラ、キバシリは、
木に有害な昆虫の卵、幼虫、成虫などを
夏にたくさん食べる。
シジュウカラの食糧の4分の3は動物で、
いろんな昆虫の生活環の各段階が含まれている。
(引用者中略)

 研究がいろいろと行われ、
さまざまな場合に
鳥が昆虫防除という大切な役割を果していることが
わかってきた。
たとえば、
キツツキは、
トウヒにたかる甲虫を防除する第一人者で、
この害虫を
45パーセントから98パーセント減少させ、
またリンゴ園では
シンクイガの天敵としても重要である。
シジュウカラや、
そのほか冬 合衆国に棲息【せいそく】する鳥は、
シャクトリムシの害から果樹園を守る。

 だが、
自然界のいとなみは、
化学薬品洪水【こうずい】の現代の世界では禁じられている。
薬品スプレー〔散布〕は
昆虫ばかりでなく、
昆虫の第一の敵、鳥をいためつける。
あとになって
昆虫が再発生するようなことになれば

(そしてまた たいていこういう羽目になる)、
それを抑えるべき鳥たちは、
もはやどこにもいない

ミルウォーキー公立博物館の主事、オーウェン・J・グロム氏は
「ミルウォーキー・ジャーナル」に寄稿している
――《昆虫の最大の敵は、
捕食性の昆虫や鳥、小哺乳類などである。
しかし、DDTは
自然自身の番人や警官までも
何もかも殺してしまう……
進歩という名のもとに私たちは、
悪魔のように昆虫を駆除しながら、
結局
自分たち自身その犠牲になろうとしている
のではないのか。
ただその場かぎりのことを考えるから、
ほかの木に害虫がおそいかかるだろう。
そのとき、私たちは どうしたらよいのか。
自然の番人(鳥)が
毒で殺されてしまっていたら
……》。”
(レイチェル・カーソン【著】/青樹簗一【訳】
『沈黙の春』1974年、新潮文庫、124-137頁)

――――――――――――――――

‟ この数世紀で
人類は飛躍的な進歩を成し遂げ、
科学技術の発達による生産性の上昇は
生活水準を大いに高めた

それを疑う者はいないだろう。
しかし同時に、この章で述べるように、
今考えられているような経済成長
自動的に人間の幸福をもたらすわけではない
イギリスの経済学者ポール・イーキンズによると、
ある特定の分野の成長が成功だったと言えるのは、
次のような条件が満たされた場合だけだ。

・その成長が、
 本質的な価値を持つ有益な商品やサービスの生産によって
 達成されたものであること。

・それらの商品やサービスが、
 社会全体に広く行き渡っていること。

・成長のもたらす恩恵が、
 社会に与える負の影響よりも大きいこと。

 GNPという指標は、
これらの条件を全く考慮していない

それどころか、
GNPの伸びの大部分は、
次のような行為の結果
なのである。

さまざまな活動を
家庭や地域社会の非貨幣経済から貨幣経済へと移し
結果的に社会資本の減少を招いたこと

森林、漁場、原油、鉱石といった天然資源を、
回復能力をはるかに越える勢いで消耗したこと


・ゴミの処理や、
有害廃棄物および石油流出の後始末、
公害病患者に対する医療、
森林伐採などによっておこる洪水の後の再建、
公害対策事業にかかる費用など、
成長の弊害に対処する費用も所得として計上すること

 会計学においては、
所得から固定資産の減価償却分を差し引くのが普通である。
ところが
経済成長を測る際には、
社会資本や自然資本の消耗は全く考慮されていない。
それどころか、
経済成長にともなうさまざまなコストを

――人間の幸福を促進するよりも
むしろ損なうものであるにもかかわらず――
経済的利得に含めているのだ。
その結果、
滑稽としか言いようのない現象も起きている。
例えば、
エクソン・ヴァルディーズ号から
アラスカの沿岸に流出した原油の後始末や、
テロ事件で爆破された
ニューヨークの世界貿易センターの修復にかかった費用は、
どちらも総生産に加えられる。
つまり、
住民や環境に巨大な被害をもたらす惨事は、
経済にとって有益ということになる


 『共通善のために』を著したハーマン・デイリーとジョン・コップは、
60年から86年に至るアメリカの経済生産のうち、
人間の生活改善に役立ったものだけを足し上げ、
さらに人的資源や天然資源の消耗分を差し引いて計算し直した。
この計算結果は、
生産高の総計というよりも、
むしろ経済福祉度を表わすものと言える。
デイリーたちによると、
アメリカ人の平均的福祉は
69年をピークに達し、
その後横ばい、
そして80年代初めから半ばにかけて低下した
という。
しかし、69年から86年の間に、
1人当たりGNPは35%も上昇し、
化石燃料の消費量も17%ほど増加しているのだ。
結局、成長が多くの人間にもたらしたのは、
いくら懸命に働いても生活の質の低下を食い止められないという現実
だったのである。

人間の幸福にとっては
パイの絶対的な大きさより、その分配方法の方が重要な場合が多い。
国連開発計画の研究によれば、
GNPがさほど高くなくても、
自国民の基本的ニーズを満たすことはできる
という。
事実、GNPが低くても生活水準の高い国がある
サウジアラビアの1人当たり所得は
スリランカの15倍だが、
識字率はスリランカより低い。
ジャマイカの1人当たり所得は
ブラジルの半分だが、
児童死亡率はブラジルの方が4倍も高い。

 確かに、最低限の生産レベルに達しなければ
基本的ニーズは満たせないし、
世界の最貧国ではそのレベルにすら達していない。
しかしほとんどの国の住民にとって、
基本的ニーズが満たされるか否かは、
1人当たり所得の額ではなく、
生産物がどう分配されるかにかかっている。
人間の幸福に欠かせないもの
――十分な食糧、住居、衣服、きれいな水、医療、交通機関、教育など――の供給を目標に分配をおこなうなら、
たいていの国は
すでにそれだけの経済力がある。
生産レベルが同じでも、
生活水準をあげることは可能なのだ。
軍隊や兵器に投入される資源を回すだけで、
十分こと足りる場合が多い。
 健康と長寿にとってもっとも大切なのは、
おそらくきれいな水と衛生的な環境だろう。
インドのケーララ州などに行くとわかるが、
たとえ所得水準が低くても、
これらの条件を満たすことはできる。
反対に、所得水準の高い国では、
ガン、呼吸器疾患、ストレス、心臓血管疾患、先天的欠損症、
無精子症などが増えている。
さまざまな研究や統計を総合すると、
これらの病気はすべて経済成長の副産物
――大気・水質汚染、化学添加物、食物中の残留農薬、騒音、
電気機器の電磁波など――が原因だと考えられる


 郊外への流出、自動車での移動、テレビ中心の娯楽
――これらも経済成長の副産物だ。
おかげで、かつて村や町の住民が路上ですれ違い、
家庭や地域ごとの娯楽に集い、
地元の商店やコーヒーショップにたむろするという形で
成立していた人間どうしの日常的な接触が、
今では希薄になってしまった。

 途上国の経済が急速に成長すると、
近代的な空港や、テレビ、高速道路、
エアコンつきショッピングセンターができ、
中には最先端の家電製品やブランド服を手にする者も現れる。
だが、大多数の国民の生活は向上しない。
このような成長を実現するために、
経済は
金持ち向け商品を買うために
外貨をかせぐ輸出主導型に転換する。
貧困者から接収した土地で
輸出用作物が作られ、
土地を奪われた農民は
都市部のスラムに流れ込み、
輸出製品を作る零細工場で細々と生計をたてる。
家族は散り散りになり、
社会構造は崩壊
暴力がはびこる。
経済成長で太った人々は、
持たざる者の怒りから身を守るのに
必要な武器を輸入するために、
いっそう多くの外貨を欲しがるようになる――
というわけだ。
(デビッド・コーテン『グローバル化という怪物』P.51-54

―――――――――――――――

”自由市場主義は、
経済成長という目標のもと、
原理主義宗教の教義のように世界中で熱狂的に支持されてきた。
唯一の価値基準が金であるこの主義の実践は、
各地に深刻な社会的・環境的矛盾を生み出している

経済専門家は、いわばこの宗教の布教者だ。
彼らが擁護する価値観は
人間の精神を堕落させ、
彼らが想定する架空の世界は現実からかけ離れている。
そして、彼らは
統治の諸機関を自由主義的に再編しようとしているが、
それが根本的な問題を さらに解決し難いものにしつつある。
しかも彼ら教義に疑問を呈すれば 異端とみなされ、
職業上の検閲を受けることはもちろん、
会社や官庁や大学における職歴に傷がつくことも
覚悟せねばならない。
オーストラリアの社会学者マイケル・プージーの言葉を借りれば、
彼らは経済学を
「知的探求と市民の責任に対抗するイデオロギーの盾」の地位に貶め、
多くの大学における経済学説を、
きわめて思想性の強い教化活動に変えてしまった。

〈欲望の神話化〉

自由競争至上主義者の信条は、
現代経済学の用語に親しんでいる人には
すでにおなじみのものばかりだ。


国民総生産で測られる「経済成長」を維持することは、
人類の進歩につながる

(デビット・コーテン【著】/西川 潤【監訳】/桜井 文【翻訳】
『グローバル経済という怪物』 P.88-90)

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「これまで私たちは
物質的な蓄積を求めるなかで
個人の美徳やコミュニティの価値を蔑ろにしてきたのではないだろうか。
いまやわが国のGNPは8000億ドルを超えている。
しかし、アメリカをGNPで評価するということは、
大気汚染、たばこの広告、交通事故の犠牲者を運ぶ救急車を
その勘定に含めることを意味する

それだけではない。
ドアにつける頑丈な鍵、
そしてそれを破る者を収容する刑務所。
アカスギの伐採、無秩序に広がる開発によって失われるすばらしい自然
ナパーム弾や核弾頭に、暴動を鎮圧する警察の装甲車。
ホイットマン〔テキサス大学に立てこもり、ライフル銃で15人を殺害した〕のライフルや
スペック〔看護師寮に押し入り8人の女性を殺害した〕のナイフ、
それに子どもたちに玩具を売るために暴力を称えるテレビ番組。
こういったものがすべて含まれてしまうのだ。
その一方で、
子どもたちの健康や質の高い教育、遊びの楽しさは考慮されない。
詩の美しさや結婚のすばらしさ、開かれた議論の価値、
公務員の誠実さも無視される。
私たちの機知も勇気も、知恵も学習も、
思いやりの心も国への忠誠心も含まれない。
つまり、GNPは
人生を豊かにするものを除外して国を評価しているのである。」

(ジェーン・グリーソン・ホワイト【著】/川添節子【訳】
『バランスシートで読みとく世界経済史』P.5-6)


〈【次のページ(7-③)】へ続く〉